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2006年10月29日
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怒れるの読み方は普通「いかれる」だわな。

わが母語には「おこれる」という自発動詞があって、これにぴたっとはまる1語が標準語にないことを残念に思う。「頭にくる」とか「いかりがこみあげてくる」というほど激しくないし、たぶん近いのは「むかつくー」なんだけど、このような従来の使用法とのズレがあるようなものでもなく、おこれちゃうのである。
「超むかつくー」は「どおこれるー」にほぼ近いが、怒りの対象への攻撃性は低く、気軽に使うことができる。

自発動詞が豊富なんだろうか。「おぼわる」というのがあるのだが、無理やり暗記するんではなくて、自然に覚えてしまうことをさす。
「歴史はなかなか覚えられんけど、地理は好きだから自然とおぼわっちゃう」
というような使用法になる。
だから、先生たちは
「おぼえようとするから大変なんだ。この程度のものはおぼわってしまいなさい」
と無茶な要求もしたりする。



おぼえる→おぼわる (-える→-わる)のパターン
[他動詞][自動詞]
変える:変わる
横たえる:横たわる
伝える:伝わる   
加える:加わる
まじえる:まじわる
据える:据わる
・・・と、二段動詞(2グループ)の他動詞の自動詞形に同じパターンがあるからだ。

では、
おこる→おこれる

いずれも[自動詞]である。・・・と思うだろう。ところがどっこい。
・花子は太郎に怒った
という標準語としての使用も可能なのだが、
・花子は太郎を怒った
という他動詞の使い方が可能なのだ。


・花子は太郎を叱った(他動詞)→太郎は花子に叱られた(受身)
・花子は太郎に怒った(自動詞)→太郎は花子に怒られた(受身)
となる。
「♪あ、いかりやに、あ、おこられた」(加藤茶)のようにフツーに標準語でも使う受身だ。

意味は
叱る:目上から目下に対象に対ししつけをする(という意味をこめて怒ってみせる)こと
怒る:(立場の違いは関係なく)対象に怒りをぶつけること
という感じ。

ちゃんと叱る先生より、単に気まぐれで怒っている先生が多い。
行為の受け手に非は少ないので、傍観者である生徒・児童は「太郎はたまたま運が悪かったのだ」と他人事のようにとらえる。
だから恩恵というか被害の方向を、行為の受け手に共感して視点をあわせるということがない。
そのため受身形ではない形で
「先生が太郎を怒った」
という。
同じ場面について、傍観者が
「先生が太郎を叱った」
と表現することは少ない。
「太郎が先生に叱られた」
となる。叱るのは、被害ではなく恩恵寄りになり、太郎の罪は非常に重たいものになる。

「~をおこる」に対し、「~におこれる」の意味は、
怒れる:(立場の違いは関係なく)対象に怒りを抱くこと
になる。

ついでにいうと、
・花子は太郎が怒れた。(自動詞)
ではなく、
・花子は太郎のことが怒れた。
になるのが自然なような気がする。

標準語の場合、「怒りをぶつける」という意味ではなく、「怒りを抱く」という意味のとき、
「彼女、私に怒っているんじゃないかしら」とか
「彼女、私のことで怒っているんじゃないかしら」とか「に」とか「で」でなく、
「彼女、私のことを怒っているんじゃないかしら」という用法は普通にあるんじゃないか?

よくわからなくなってきた。







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Last updated  2006年10月30日 13時41分45秒


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