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2007年01月16日
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「ブログ検索」っていうのをはじめて使ってみた。

“不二家”
とだけいれると、
・不二家はひどい
・大好きな不二家製品が食べられないのが悲しい
・なくなる前に不二家製品を買い占めてきた
という話題ばかりになるが、
“不二家”“報道”

しかも
「(基準を破ったということは)決して許されるわけではないが」
という断りが必ずといっていいほど書いてある。

結局、飴玉とかクッキー類も含めて、小売店では商品を置かないことになった。
スーパーへ行くと、納豆のコーナーと同様にカラの段があったりする。
「安全性が確認できるまでは」
という断り書きとともに。

物が流通していないのならともかく、そんなの消費者の意思に任せて並べておけばいいのに、そうはできないのは、「正しさを信じるお客様の苦情」が怖いからだ。
「あの有名なニュースを見ていないんですか」
「こんなものを並べておいて、もし間違って買う人がいたらどう責任をとるんですか」
というようなたぐいのものが、発生しそう(or既に発生したこと)は容易に想像できる。


・・・おまえが買わなければいいだけじゃないか

と思うのだが、「正しいことはみんなで守っていかなくちゃね」というおせっかいも、正しい行動だとして肯定されなければならないので、こうした流れができてしまうのである。

これっていじめの構造と同じではないだろうか。

某新聞では、元旦のトップ記事からいじめの特集を組んで連載しているのだが、いじめが成り立つ背景をドラえもんになぞらえている。
加害者のジャイアンと被害者ののび太だけでいじめが成立するのではなく、どちらについたら得かという判断で動くスネ夫と、何もせず傍観しているだけのしずかちゃんが、いじめに加担しているのだということを言っている。


ジャイアンが悪い、となぜいえないのか。
強いものは、それだけで正しいからである。
だから報道は正しいのである。

嘘をいっているわけではないので「報道がおかしい」という方向での報道ができないので、ますます「正しさ」を味方に勢いづいている。

ここは厚生労働省が「問題なし」というべきではないか。
企業を守るためではない。
大衆に求められている解答を出せば、世の中に対する不信感ばかりが増えるからだ。
実際、ゴム長靴でふんづけられ鼻水のついた手で切り刻まれたような輸入野菜の流通を容認しているのだから、「(管理責任があるから)確認できたこと」だけを裁くのはおかしい。
こんなバランスの悪い「清潔感」の上で、「食の安全」とか「信頼」とか言っても意味がないだろう。

不二家のない地域で育ったため、あのケーキがどれほど大衆にとって郷愁を帯びたおいしいものとして記憶されているかが実感できないのだが、結局はこれが一応「権威」だからこんなことにまでなっている、としかいいようがない。

・同族会社なのが気に入らない。
・パートの待遇が悪いのが気に入らない。
・知名度が高いのが気に入らない。

本当の原因はこんなところだろう。

あるいは株価をどん底に落としておいてから、買い占めてやろうとしている大きな勢力があるとか、そういう裏事情があるんじゃないか。





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Last updated  2007年01月20日 10時52分17秒


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