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2007年04月08日
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ディスカバリーチャンネルの「シリーズ:ゼロアワー」で「オウム地下鉄サリン事件」をみた。
http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=416194&eid2=000000

客観的に時間を追って、事件を追っているのが日本の感覚と違って興味深かった。
登場人物の当時の年齢が若くてびっくり。もう12年も経っているのだな。

ついでに、上祐史浩のHPというのも読んだ。
http://www.joyus.jp/
mixiのページも読んだが、ブログと同じような内容だった。
http://www.joyus.jp/diary/10/0000.html

いまの上祐くんの希望は、最近出た島田裕巳の中沢批判本を読んで、中沢新一にオウムを総括して欲しいということのようだ。
その本は読んでいないが、中沢新一という人は、チベット密教を日本語で紹介した人で、それを読んだ麻原がおおいに影響を受けてオウムがああなったということなんだが、それだけでは中沢氏には非があるとはいえんので、中沢氏のオウムに対する現在の態度がどうなのかということを言えということなんだろうか。
というより、上祐くんは、チベット密教についてもっと知りたいから、中沢氏に本を書いて欲しいんじゃないかな。

全体の印象として、上祐くんは「幼い」と思った。

この12年、上祐くんは、自分の頭で信仰について真剣に考えるようになったのだが、彼の場合は、自分で何かを作り出すことはできるタイプではなくて、他者の書いたものから考えていくタイプであるようだ。
「チベット語を学んで、原典にあたってみればいいのに」と思うのだが、そういうことはしている様子はみえない。

今後、上祐が指導者となるのは「弱い」と思う。が、それ以上の適任者がいないようなレベルの団体なんだろう。

上祐くんは、3月3日のブログに「なぜ、これまで、元代表から自立できなかったのか」ということを書いている。
http://www.joyus.jp/diary/10/0003.html
「私は、私にとって、最も私を愛してくれた存在だと思うが故に、元代表を否定することができなかったのではないか」
と、帰依ではなく、愛著(あいじゃく)だったと考えているようである。

気になるのは、上祐くんは、自分の位置の示し方として、自分が男性であることを持ってくることが多いことだ。
mixiだったかで、他宗教の人と話をできたときの感想でも、その人について「信仰も違う。性別も違う」とかいうようなことを書いていた。


性別って生きて行く上でそんなに重要な区別なんだろうか???


上祐くんは、一般人のmixiでの質問に対し、確かこのような感じで答えている。

「上祐さんを見ると、胸がドキドキします。これは恋でしょうか」


「松田聖子派ですか、中森明菜派ですか」
「どちらかというと、同じ久留米市出身の松田聖子さん派でしょうか。彼女は我慢強い人です」

「性欲の解消にどうしていますか」
「ヨガをします」

「大きいおっぱいと小さいおっぱいとどちらがすきですか。ぼくは小さいおっぱいです」


みたいな具合。

上祐くんにとって、自分の性別が男であるということの肯定の仕方が信仰と直接結びついているのではないだろうか。







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Last updated  2007年04月11日 13時39分19秒


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