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2007年06月27日
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寛大性の公理


というのを説明したら、「ひっかかる」人が出た。
「ひどいと思います。自分も相手も利益があるべきです」
という記述があった。

自分も相手も利益があるのは、そりゃあ理想的だ。
しかし、待遇面でどっちかしかないとなれば、どっちにするか、という問題。

ニュースを見ていたら好例があった。
ミートホープ社の社長。


そりゃないだろ、おっさん。
自己の利益を言ったから、いかんでしょ。
謝罪と矛盾、だいなし。
本気で謝っていないなあ~。
インタビューしている記者から失笑を買っていた。
(死人が出た事件ではないので、笑いにできる)

謙遜の公理
自己への賞賛は最小限に、非難は最大限に


グライスにしてもリーチにしても、公理に掲げたものは、
ざっと読んだ人だと「アタリマエすぎ」
じっくり読んだ人だ「アドホック的すぎ」


ad hoc…特にそのための(ラテン語)

応用がきかないというのではなく、場当たり的で何とでもいえてしまうのがまずいということだ。
それはそうだと思った。
が、素人向けの説明としては便利である。
「何が変か」「何で変か」ということを説明するのに、もっともらしく聞こえて便利だ。


つまり冗談か皮肉として使われるか、その冗談や皮肉が通じなかったり、もともと冗談や皮肉を意図しなかったりするものならば、相手を戸惑わせたり悲しませたり怒らせることになる。

冗談は異常な会話である。
普通ならばあるべき会話をわざとはみ出すからおもしろい。

「わざと」という意図性が鍵である。
意図性をもたないのに笑うと、「ばかにした」ということにもなる。





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Last updated  2007年07月03日 12時58分21秒


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