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2007年09月26日
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「本当はお金があるのに、ないと信じ込んで病んでしまう」


そういう人が他にもいるんだ。
認知症とかだとそういうの、よく聞くもんな。
あと50年先も生きていたら絶対に言うようになるだろうなあ。
誰が盗ったとか。
そんで本当に盗られても信じてもらえなかったりとか、ありそうだなあ。

お金の不安だけど、財布に封筒にいれた3万円をいれておくようにしたら、少し落ち着いた。
 やっぱ、現ナマよね。

でも、どっかで開けてしまうんだろうな。
開けたら別の紙に入れ替えられていたりして。

あと支払は、どかんと一気にためてやることにした。銀行も遠いしね。
3千円以上2万円以内の支払を、しょっちゅうやっていると、どんどんお金が奪われていくような気分になる。ところが単位がでかい非日常的な札束になると、お金だか紙だかなんだかわからなくなる。
なので、何か1つ督促状が来てから、他の物もまとめて払う、ということにした。

しかし、まとまったお金には罠がある。
払うほうじゃなくて、受け取る場合ね。

実際の数字だとあまりに小さくてみみっちくみえるので、でっかい単位でたとえるけど、
・生活費100万円
・立て替え分30万円
これらが受け取れる日に、

って、その言い方は違うだろう~!!
「借金は10万円だけ返した。まだあと20万円は返済を待ってください。」
これが正解だっ。

生活費より多い額だといっても、それが借金返済額を含むなら、実は生活費は減らされていることになるのだということが何べん説明してもわからんらしい。
「生活費が足りん」

「そこにあるでしょ」
となる。これは返してもらった借金であって、生活費として使うものではなく、崩した貯金を補填するものだ。
しかし現ナマがあると、生活ができないわけではないということの証拠になる。

なんかわざととぼけてるんだろうか?と思うくらい、のみ込みが悪い。
「立て替え分を返す」と「いつもより10万円も多く渡した」
と、ものすごく負担増大なことを2つも成し遂げた感覚になっている人からみると、
「いつもより10万円も多くありがとう。今月はリッチだなぁ。」
といってくれるはずな相手が、なぜか
「まだあと20万円」
と強欲なことを言うので、へんだなあということになるらしい。

一生懸命説明した結果、
「計算がどうとかっていっても、ないものはない」
とふてくされ
「これだって一生懸命かきあつめたのに」
と褒めてくれないことにがっかりする。

おかげで目減りする一方の貯金。
水泳用プールからコップに1杯ずつ水を汲みだしているというレベルではない。
それだけあったら、そんなに気にしないだろう。
細い細い蛇口から出ている水をためた風呂から盥(ドリフで最後に落ちてくる大きさの)で汲みだすというような感じで、ざぶざぶと目に見えて減っている。

こういうとき、
「まだ底をついたわけでもないのだから不安になることはないよ、じゅうぶんあるんだから」
とは思えないんだよなあ。

たとえば、
「たぶん砂漠の人がみたらこれだって豊富な水だ」
とかって、砂漠で暮らしたことがないから実感がないし、
「世の中にはもっと水に困っている人だっているんだから」
って、そういう暮らしになりたくないから心配なんだし、
「細々とでも水が出続けているうちは、死にはしない」
とかだって、もうじき断水だという警告はきているし、だいたい死にはしないってところまで引きあいに出さなければならないほど、ぎりぎりなところまでねばるべきだという考え方もしんどい。

水の量が少ないことが一番の問題なのではなく、ただでさえ少ない水を盥で汲み出されてしまい、しかも補充が間に合わないというところが大問題なのである。
こうも問題がはっきりしているところに、別の視点をもってきてはぐらかそうとしても、まったく不安は解消できるポイントにならない。


せめて盥で汲みだしたあとに、コップ1杯分だけでも補充がきけばましなのだがなぁ。
金貸し業なら、利息ももらえるのに。


給料明細は「みたことがない」「たぶんもらってないと思う」と言ってのける。
通帳記帳なんて、何十年もやったことがない。
キャッシュカードの時代になってからって、昭和何年の話だ。
残高が7桁になったことがないどころか、札が出せない桁になることもあるらしい。
社会人、何年やっているのだ。

とりあえず、「解約手続きが面倒臭いから、そのまま勝手に引き落とさせている」という無駄なものを、わかる限り紙に書き出した。
使ってない電話とか携帯電話とか、メリットのない保険とかの、あほすぎる無駄遣いが、毎月数万円ある。
という現実を並べて、なお
「こんなの節約すればなんとかなる範囲の額だ」
と、節約生活を肯定する。

節約しないで贅沢したいというのは傲慢だというのは、まあそうかもしれん。
明治生まれのおばあちゃんは地味な生活に愚痴ひとついわない立派な人だった。
でも、おばあちゃんの生活は、現代だと銭金に出てきそうな自給自足生活だし、節約は結果であり手段であって目的ではない。

「お金は自分のために使うものではない」
そうそう社会のために還元してこそよね、と大きくは理解できるんだが、しかし、サービスを全く享受させてくれない相手を儲けさせるために、わざわざ節約して浮いたお金を使って応援してあげる必要はないだろう。
しかも思い入れが全くない団体相手に。

何かおおいに勘違いしているぞ。
無欲がベースというより、無精がベースでは、清貧とはいえないではないか。


年内になんとかしなければ、しかるべき措置をとらせてもらう。





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Last updated  2007年09月29日 16時30分14秒


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