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2008年04月21日
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18歳とたったの1か月の少年が死刑になるなんてかわいそうだからねという理由で、一審二審で無期懲役になっていたのを、最高裁で差し戻しになり、そこへ至上最狂弁護団ができて、荒唐無稽な不愉快な話をぶちたて、マスコミと国民と裁判官の心証を悪くし、結局死刑になってしまった。

誰が被告人を死刑にさせたかというと、他でもない、死刑制度廃止を強く望んで結成された弁護団であろう。

「活動は間違っていない」と、まあそういうしかないのだろうが、怒りのポイントがずれまくり。
「死刑を免れるというものではなく、有利不利を問わずすべてを話すという気持ちから話しているのに、裁判所は被告人の心を完全に見誤っている」
ってことは、
「すべてを話したんだから、裁判所はそこを評価してよ」
って意味? なんだそりゃ。

「無知だったので弁護士を信じてしまった。騙された」
とか思っていたりして。


なんつーか、この裁判でずーっと思ってきたことは、自分の考えを自分のことばで説明できる力って重要だよな、ということだった。
ちと好かんことばでいうと自己表現ってやつ。

前にも書いたが、被害者の遺族の方は、なみはずれて優れていたので、マスコミから大衆まで圧倒されてしまったのだ。
9年前というと、
「加害者が少年なら、更正が期待されるので信じてあげるべきだ」
というのが、非当事者としてのお手本的な言い方として、まだ残っていたのだが、一審の頃の
「死刑にならないなら、出てきたときに私が殺してやる」
というような内容の過激な発言すら、世論は賛同の方向に動いていったとおもう。

品のある顔立ちだし、かわいい被害者とか、広島大こうがくぶ卒だとか、どうも大衆それぞれにぐっとくる要素もいろいろあるようなのだが、それでも話ができないひとであったら、とっくに風化して忘れ去られていたはずだ。

それに対し、被告人はあまりにおそまつだ。
病気ではないかとおもうくらい、言葉が不自由だ。

だが、それにしても乏しい。
もう少しまともな本を読めばよかったのだろうか。

現在、20代も後半という結構いい歳だ。
でも、犯行時のまま、少年扱いで名前は出てこない。ネットとかで漏れてはいるけどね。
名前が出たからといって、べつに誰が得するとか喜ぶとかってもんでもない(むしろ同姓や同名のひとが嫌な思いをしたり悪いことのほうが多い)のだが、名前をださない狙いってのが「未来ある少年のため、更生して一般社会生活が営めるようにするため」ということなんだとしたら、死刑になったら、元少年はおとなとおなじあつかいでいいのではないだろうか。


それもなんだかなぁだなあ。





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Last updated  2008年04月25日 22時59分55秒


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