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日本には、多くの外国人か暮らすようになった。それにともない外国人の犯罪もふえている。悲しいことだ。もちろん犯罪者に対しては、断固、厳しく法律を適用すべきだ。しかし、すべての外国人が犯罪予備軍のようにみられてしまうのもちょつと違和感のあるところだ。ロシア人の奥さんがいるからということは別として、私たち日本人も外国人にたいする変なアレルギーは、捨て去らなければならない時代がきているのかもしれない。少子高齢化は、労働力を急速に低下させてしまう重大な要因となっていることも事実なのである。とすれば多くの外国人の労働力が必要となってくる時代がもうまもなくやってくるかもしれないのだ。その時になって慌てないためにも、今日本が置かれている状況を分析し将来に備えなければならないだろう。日本は、経済発展という目的のために多くの犠牲を出してきたように思う。しかしそのことで、子供を育て国の年齢別人口バランスを調整し明日を担う若い力を育てる事を怠ってきた。あるアジアの貧しい国を旅行したとき、あふれ出しそうな多くの子供たちが目を輝かせて遊び回る姿をみて、驚き、この国が将来大きく成長していくのではないかとおもったりもした。いま日本の田舎に子供の姿は、恐ろしいほどに少ない。政治の怠慢と嘆いてみても問題の解決にはならないだろう。とすればどんな選択肢があるのだろうか?そんなことをおもいながら私は、電車のなかにいた。10月17日不法滞在の外国人家族に対する入国管理局の強制退去処分にたいして、東京地裁は、この家族が、長期にわたって日本で大きなトラブルもなく生活し、子供も、日本の生活習慣のなかで暮らしてきていること、強制退去によってこの子供に対する不利益等を勘案して入国管理局の強制退去処分は、裁量権の乱用としを取り消す判決を出した。賛否両論は、あるだろう。じゃ、不法滞在者は、人道的見地からすべて日本滞在を合法化してしまうことになると。しかし、ほかのケースは、また慎重に、判断されればいいことで、この判例だけが即一人歩きすることはないようにおもわれる。それよりもこの子供が日本において、この国に少しでも貢献し、多くの日本人と一致協力して日本という国を盛り立てていってくれたらと思うのである。
2003年10月30日
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沖縄から東京の我が家にもどってくるとやはり住みなれた家はほっとする。不思議なものだ。古い家だけれど愛着がある。あしたから仕事だと思うともうすこし休みが欲しいなとあらためておもったりもした。義母は、沖縄の美しい海をみて大満足だった。いい思い出が出来たらしい。ロシアにもどって日本の沖縄の美しい海の話が、パパや親類や友人への土産話になるだろう。彼女に、私や我が家族、そして日本の生活がどう映っているのだろう。この地に、娘をお嫁にだすということは、どんな思いなのだろう。どこの親も子供の幸せを祈っている。彼女の目で見た日本が想像よりよく映っていればいいけれど。そして私が彼女の娘にとってよき夫であると思ってくれるならこれほど嬉しい事はない。近年、非婚化といわれる時代に、多くの回り道をして試行錯誤の末たどり着いた国際結婚による家族。その選択が是か非かは別として、ある種の充実感と満足感を与えてくれたことは、事実である。そして自分の中に見出そうとしているものが何なのかをしっかりとみつめていきたい。もうすぐ新緑の季節がやってくる。その生命感に感動を覚え足取りも軽くまた家族でどこかへ出かけよう。いつか娘が大きくなって親元を離れる前に、父とし多くの思い出を残してあげたい。もちろん我が家族の生活は、平坦な道ばかりではないだろうが・・。さてもうひと頑張りもふた頑張りもしないと。私はベットですやすやと眠っているむすめをみつめていた。妻が、眠そうに私をみた。「あした早いでしょ 仕事頑張ってください。もう寝ましょう」そういうとすぐに眠ってしまった。私は、おおきくあくびをした。
2003年10月29日
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沖縄旅行も残すとこ一日となった。また都会の喧騒のなかにもどっていくのかと思うと憂鬱だ。このままここに住みつきたい。誰もがそう思うが現実は、思いを裏切って結局、思いより現実が優先する。しかし本当をいえば必死でそれを求めているのでもないのかも知れない。年を取ると共に、思考が行動をコントロールしてしまう。何か行動をおこそうとすると今まで蓄積してきた情報や知恵が邪魔になるのだ。結局当たり障りのない結論になってしまう。そしてやっぱりこんなものだとさめた自分がもう一人の自分をみているということになる。だから知らないと言うことほど強いことはない。知らないから、知識が行動を邪魔しないのだ。必死になって手探りでも知ろうとする。一番おもしろくないというかつまらないというかそういったことは、自分が知っていると思い込んでいて物事の本当の姿を知らないことなのではないか。国際結婚や外国人といった問題もマスコミでどんなにでも情報が一人歩きしてしまう。だから、よく国際結婚というとヘエーってな感じ、それにロシア人というと、何でまた?とくる。日本人は日本人と結婚するという暗黙のルールにいつの間にか縛られているのだろう。だが世界は、急激な変化にさらされている。国際結婚してみて分かったことは、妻が外国人だとちょっと距離をおいて日本人を見る事ができると言うことだ。それは日本人の長所だったり短所だったりする。それにジョークなんかは意外と国籍が違ってもハハハハなんて感じでうけるのだ。私みたいにねるとんパーテーに、8年も懲りずに通い出会った女性の数は、もう膨大、デートした数だって、数百人といった感じなのだ。あまり誇れたことじゃないけどまあそれだけもてなかったのかもしれない。理想が高かったのだと思っているけど・・・・。ただ女性の扱い方だけはすこしはなれたのかもしれない。でも恋に関してはいつでも初心者マークなのである。奥さんがいるのに恋をするのかって もちろん奥さんに恋してるということなんですよ。本当かいな??? どこかで天の声が,うそつきとささやいた。聞こえないよ私はつぶやいた。さあもうひと泳ぎ私は、エメラルド色の海にむかって歩き出した。娘が、勢いよく走ってきた。わたしは、一目散に海にとびこんだ。娘が手をふっていた。多分私の恋人は今、娘なのかもしれなかった。
2003年10月27日
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波打際で、遊んでいる妻と娘と義母。その姿をぼんやり見つめながら砂浜に横になる。うとうとしながら目の前の風景がゆらゆらとゆれだす。これは幻。わたしは、現実と夢の世界を行ったり来たり。何処からが現実で何処からかが夢か。音のない世界。ゆらゆらと揺れる情景。消えては現れる海辺。ゆっくりと時間が流れていく。娘が私にささやきかけているが言葉は、聞こえない。妻も笑みを浮かべている。なんていっているのだろうか。もしかしてここは天国への入口? 霧の向こうに、人影。どこかで会った。誰だろう?老人だ。私が、考え込んでいるとそれは、私だ。むこうも考え込んでいたらしいが自分だと気付いた。何でここに? 多分これは夢。いや・・・。老人が言った。この言葉ははっきりしている。私は誰かの生まれ変わり。死ぬ間際になって気がついた。老人が言った。そういえば老人の姿はうっすらとしている。どこか存在感もない。そういえばもうはっきり見えるのは顔だけ。忘れないで私は、父方の曾おじいさんの生まれ変り。まさか私は、声を発したが言葉になっていない。老人の姿は、幻のように、消えていた。私は、現実の世界にひき戻されていた。多分私は、誰かの生まれ変わりそんな気がした。そういえば、昔、今の妻とも会っていたような気がした。そうだこんな風景は、前もあったっけ。そうだ確かにあった。古い記憶のよみがえり。妻がやってきた。「どうしたの?」私は、妻を見つめた。あなたに会う前に別のあなたにあっているかもしれない。「ええええ」妻は、驚いて声を上げた。「熱あるの? 」 心配そうに私を覗き込んでいた。いやちょつとからかっただけだよ。私は、笑いを作った。夢を見たのかもしれない。だがあの老人は、私だった。そんな夢もあるのだろう。妻が私の手を取った。二人して海に走った。はしゃぎながら水をかけてくる妻に私は微笑んだ。今日は夢をみた。でもそれも何かの意味があるのかもしれない。古い記憶のよみがえり・・・・・・。私が砂浜を見ると、老人が微笑みながら手を振っていた。
2003年10月26日
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次の日は4人は、お疲れモード。はしゃぎすぎた分、沈黙状態。おはようの声を出すのもおっくうで、まあ12時を回ってまでおはようではないけど。ごそごそ起き出す。はたから見たらその沈みよう、お通夜のようだ。がしかし娘は、元気元気すぐにわくわくモードでおおはしゃぎ。私の手をとってビーチへ散策の催促。私は、よっこらしよと掛け声をかけて立ち上がった。娘は容赦なく私の手を引っ張る。妻と義母は、よろしくてな感じでまたベットへ。娘の思いのほか強い力に促されてビーチへ。歩いていてふとサンダルをみるとあれれ左右違うサンダル。娘は、フフフと笑った。これが流行よ。と私もやりかえす。今日もいい天気だ。ビーチにはちらほらと人影。水着姿は3,4人子供が多い。時間の流れは、いつの間にかゆっくりと流れだしていた。ゆったりそんな感じは都会にいるとなかなか味わえない。次から次へ時間が押し寄せてきて行動をせかされる。便利と言う反面、その時間のサイクルに縛られている。新幹線ができて泊まりでなれれば,行ってってこれなかった仕事も日帰りできるようになって、余った時間にまた次の用事と詰め込んでいく。便利になればなるほど忙しさが増した。本当に便利になったのかな?あまり忙しすぎて気がついたら人生終わりなんてのもいやだな。仕事が人生の目的なんていやだと思っても、社会の仕組み事態それを今まで許さなくしていた。バブルがはじけて、悪夢?から覚めてようやくみんな考え出した。気がつけば、皆さん、住宅ローンだ、事業資金のローンだ、カードローンだと債務の山にとほほほてな感じである。裁判所にいけば自己破産や特定調停や個人再生手続きで、てんやわんや。大盛況とは、いただけない話。将来、年金どうなるのよと若者は、疑心暗鬼。電車が人身事故でとまること、頻繁。自殺者数年間、約35000人。これでいいのか日本とひとり力んでいると。ブォォォォォォと大きな爆発音が私の背後で。そう私のおなら。娘も、驚き。私を見つめる。私は、照れを隠すために走り出す。娘も、笑いながらついて来る。ロシア語でなにか言っている。多分、くさい、くさいとでも言っているのだろう。一発出て。体も快調。桟橋の近くまで、来ると白いクルーザーがとまっている。この船で、大海原に出てみたい。そんな気分だ。娘が追いついてきた。私、突然音痴ながら歌を歌いだす。海は広いな大きいな、いってみたいなよその国♪娘も、真似して歌い出した。イントネーションがおもしろいがなんとか意味が通ずる。わたしが何度も海は広いな大きいなと歌うと何度も真似する。今日も、海は太陽の日差しを受けて輝いている。天気予報またもおおはずれ。
2003年10月24日
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娘は、夜になると私と妻を引き連れて、人魚伝説の洞窟へ向かった。ライトアップされたビーチは、不思議な世界を現出させていた。打ち寄せる波の音と空に輝く星が私たちに語りかけていた。娘は興奮気味で目を輝かせている。妻は、うその話でしょと私に言った。私は、いやと首を横に振っていた。その洞窟もライトの光の中ぼんやりと浮かびあがっている。三人が耳を澄ましながら洞窟へ降りていく。ビシャと波が洞窟の岩に当たって音を発していた。娘は、わくわくしながら中を覗き込んでいる。ビシャ、ビシャ、ピシャまるで大きな魚が、尾びれを水面にたたきつけるような音に、娘は、ワーッと歓声をあげて私たちの方をみた。娘にとってこの暗闇の先には確かに美しい人魚がいるのだ。昔、おとぎばなしを聞いてわくわくした子供時代。誰もが夢を胸いっぱいに抱いていた。世の中の仕組みもしらず何にも縛られない自由な思いが輝く未来を夢見ていた。子供の時代のこのおとぎばなしは、子供にとっては、けしておとぎばなしではない。私も、娘を見て同じようにワァーと叫んでいた。ピシャ、ピシャ、ピシャ。娘のこころの中には今、人魚がいた。この島で昔、戦争があったとは思えないくらいだ。娘は、満足したように洞窟を後にしていた。夜風が気持ちよく三人を通りすぎていく。坂をあがると教会があった。ここで結婚式を挙げるカップルもいるのだろう。私が腕組みをして教会を、見上げていると。娘が左腕を取った、妻は右腕を取った。三人手をつないだ。空は、星が今にも落ちてきそうなほど輝いていた。天気予報は大はずれ。私がつぶやいた。三人は、鐘の方へ歩き出した。むすめは、途中から走り出した。そして鐘を何度も鳴らした。私は、洞窟の中の人魚が目を覚ましちゃうよといった。妻が、ロシア語でそう言うと娘は、そうだったと言った顔でうなずいていた。
2003年10月23日
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私は、娘とはしゃぎすぎたせいか、ちよっと疲れて砂浜に座ってひと休み。妻がやってきて横に座った。我々もこのすばらしい景色の一部なんだよなとロマンチックなことをいったが、ちょっと意味が通じなかったらしい。君も風景もワンダフルてことと言うと納得したようにうなずいた。妻の日本語の理解力も結構なものとなってきた。わかってないだろうと思っていると、しっかり理解していて反撃にあう。うれしいことであるがちょっと怖い。意味が伝わらない時は、後で言わなきゃ良かったといったこともごまかせたが、いまは、それっておかしいよと指摘をうけてしまう。新しい車も欲しいし、家も欲しいし、大きなテレビも欲しいしと妻が言えば私がおうむがえしに、新しい車も欲しいし、新しい家も欲しいし、新しい大きなテレビもほしいしそれにあたらしい・・・といいよどんでいると「新しい奥さん欲しい」と妻が言った。私は、どうしてわかったのかと言った顔をする。爆笑の二人。だから、いまは、日常生活で妻が外国人などと意識することはあまりなくなった。ずっと昔からそばにいたような気になってくるのも不思議だ。しかし出会いとは、不思議なものだとつくづく思った。ロシアにいって女性に会わないかといわれたときに、ロシアですか? と拒否していたら今の妻との出会いはなかった。なんでも経験と好奇心旺盛な私が行動を起こしたのが今につながっている。分からない世界に踏み出すことは大変なエネルギーが必要だし周囲の反発も大きい。すべて無難に常識的に生きれば、波風も立たない。非難や中傷にさらされることもない。父の口癖は、迷った時は、難しい方へ行け。ちょつと分かったような気がした。海を見つめながらふと思った。配偶者ビザが取れずに気持ちが離れそうになった時、必死に訴えた私の思いを受け入れ信じてくれた妻に感謝したい。異国の地に来て、まったく今までと違う環境で生活することは、すごい挑戦だろう。人々の好奇なまなざしや、陰口や差別をはねのけてよくがんばってきてくれたと思う。波打ち際では娘と義母が海と戯れている。そういえば妻のパパの浮気問題は、どうなったのだろう。妻に尋ねると もう平気と言った。歳をとっても夫婦は男と女、いっぱいのドラマをもっている。娘が私たちの方へ走ってきた。どうやら人魚伝説がこのビーチには、あるらしい。娘は、興奮気味で話している。後でその場所にいってみようということになった。娘はおとぎばなしの世界に興奮気味に目を輝かせている。そしてうれしそうに波打ち際を走り出した。きらきら輝く海にシルエットのようにうつる娘の姿は、人魚伝説よりもっとおとぎばなしのようにおもえた。妻は私を見ていた。私がゆっくり立ち上がると妻も立ち上がった。私と妻の出会いももしかしたら遠いおとぎばなしの世界だったのかもしれない。旧ソ連が崩壊しロシアになる以前は・・・・。
2003年10月22日
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丘を越え行こうよ、口笛ふきつうつ♪と軽快に沖縄旅行にでかけるはずだったのだが、持ち物でドタバタあれがない、これがないとすったもんだ。おおざっぱで、いきあたりばったりの妻と、仕事以外は、超おおざっぱな私がタグマッチを組んでいるんだからそのはちめちゃぶりは、言うに及ばず。後で気がついたのだが、大きな荷物は、宅急便で、羽田空港に送っておけばよかったと。それが朝のラッシュ時に、4人は、大きなバックで右往左往。サラリーマンのひんしゅくをかったのは言うまでもなかった。羽田空港に着いたときは、もう疲労困憊気味。まったく・・・。が救いはあった。娘の笑顔と、タフさ。子供は偉い。ロビーで、妻と義母を残して2人で逃走.空港内を走り回る。ロシアの子供と変な日本のお父さんの場外運動会をあきれたように見つめる人々。これでいいのだ。バカボンのパパならぬロシア娘のパパなのだ。がしかし世間は、そうみない、幼児誘拐とかの事件がひんぱつしている。だからあらぬ疑いだってかけられないことはない。二人の関係を証明するものはといわれて ????となっては困るなと思って妻と娘と私が写っている写真を持ち歩けばいいのかな。と思ったりしてみた。飛行機が那覇空港に到着して。私たちは、沖縄にいた。とうとう来ました。私だって初めてだ。海外旅行は、あっちこっちといっていたが。迎えのタクシーに乗り込みさあホテルへ。幸い天気は今のところべリーグッド。だが、天気予報は、こののち天気のくずれを予想していた。でも気分は、楽天的。タクシ-から見える美しい海に4人は、満足そうに歓声をあげる。娘と私は手をとりあつて、はしゃぎまくり。妻は、娘をとられてちょっとトーンダウン。ちょっと嫉妬。タクシーは、ホテルに、軽快にスライディングするかのように到着した。水着に着替えるのもわずらわしいが、ここはヌーディストクラブでもない高貴?いえ好奇?あるビーチ。早速、飛び出す。わあーーーきれいだ。思い切り叫んだ。妻にだってこんなに思い切りきれいだと叫んだことはない。と言うことは海の方が妻よりきれいだということになる。そう海に恋しているのよといつもの独り言。白い砂浜にポツリポツリの人影。もうプライベートビーチだ。娘のピンクの水着姿におおかわいい。二人は、エメラルド色の海に突進。ちょつと冷たい。が気持ちはヒートアップ。妻だって負けていない。ビキニではないが、うーーーんグラビアモデルだってできるな。誰が買うか??? てなわけでビーチは日露混成家族で大盛り上がり。日差しもうれしそうに大盛り上がりの気温アップであった。
2003年10月21日
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沖縄旅行を前日に控えて、仕事もうわのそら。準備にバタバタしていたしやっとホット一息。会社の昼休み。ボーとベンチに横になる。空は快晴。日差しは心地よい。私は、ふとまた思い出のタイムマシーンに乗ってしまった。瞬時にしてタイムスリップ。ここは?そう幼稚園。そこに、初恋の彼女がいた。小さな恋の物語のはじまりだ。彼女の横顔をみつめて小さな胸は、ときめいていた。私は、4歳。誰も、僕が彼女に恋をして愛を語ろうとしているなんて信じない。信じろと言う方が無理かもしれなかった。彼女は、20歳、彼女だって僕が真剣なのは分からない。多分。でも本気なんだ。はたからは4歳にしか見えないが、僕は、超ませたガキ。いや超の上にまた超が付く位。私は一目散に彼女のもとに走った。どーんと胸に体当たり。あれれて彼女が笑って僕を抱き上げる。ちくしよう子供だとおもってやがる。好きだよなどといってもうんうんとあたまをなでなでしていい子てな感じで相手にしてくれない。僕のお嫁さんになってよなどというと笑顔を作ってまた頭をなでなで。僕は、思い切り彼女を抱きしめようとしたけどそれは物理的に無理。手を取ってベンチへ。なんて可愛いんだ。僕が頬を染めているのにまったく気付かない。一体どうしたらいいんだ。でも彼女が好きなんだよ。だからお嫁さんにするんだ。そう何度も告白するが無理無理。こうなりやスカートの中に突撃だ。きゃーというも、また笑い声。ただの子供にしか見てくれない。まるでママが子供に接するのと同じだ。僕は、本当に悲しくなってしまった。涙が頬を伝ってエーンエーンと泣き出した。彼女は、困ったように、ハンカチで涙をぬぐってくれた。来る日も来る日も、僕は、告白し続けた。すこしは真剣に彼女も聞いてくれた。でもそれは、それだけのこと。大人になるまで待っててとか言ったかもしれない。でも僕の心は、もう大人のつもりだった。何年も過ぎて、私もいい年になった。再び彼女と会ったら私はなんと言うだろうか。子供の時の時間はゆっくり過ぎて、大人の時の時間は早すぎるそんな気がする今日この頃です。私は、なにをもとめて人生を歩いていこうとしているのか ふと立ち止まっている自分に気付いた。「あなた起きて」妻の笑顔で起こされた翌朝は、朝寝坊のため遅刻ぎみ。ドタバタの始まりだった。
2003年10月20日
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サイクリングから戻ると食卓には、大きな皿に、レタスやトマトきゅうり、バナナなどのサラダが置かれていた。これは、私のダイエット用に作ってくれたものではない。実は、娘は、ベジタリアン?なのだ。野菜とかフルーツとかが好きで肉類、魚類はほとんど食べない。私が肉食動物?なのに対して娘は草食動物?てな感じかな・・・。もちろん娘も成長過程で食生活は、変わっていくかもしれない。わたしだって最近は、娘の影響でベジタリアン?? 娘は、私がサラダをむしゃむしゃと下品に食べるのを見て笑っている。男はこれでいいの。と私が日本語で言ったが通じない。娘も真似して口にいっぱいサラダを入れてムシャムシャ.ママがそんな食べ方はだめとロシア語で言っているのだろう。娘がへへへと、言った顔で私を見た。怒られちゃった。てな感じ。ママは困ったように顔を少々曇らせた。私がオーバーにムシャムシャ食べると娘は大笑い。おいしく食べればいいんだよ。とわたしが言った。はたして通じたか?そうパパ娘同盟は健在なり。義母は、ゆったりと椅子に座って朝のコーヒータイムでリラックス。あさってから、いよいよ念願の沖縄旅行だ。4月の海水浴、まあできないことはないけどと旅行会社に言われた。人がいないほうがいいんだ。4人だけのプライベートビーチてな感じでね。妻は、4日間のバケーションにびっくり。そんなのバケーションじゃない。と以前びっくりした顔で私を覗き込んでいた。これも習慣の違い。せこ過ぎるバケーションに妻はあきれるやらおどろくやら・・・。会社からそんなに休みは取れないのと言ったけれどまだ信じられないでいる。たしかに日本ほど休みがとれない国もないかもしれない。働け、働けそうすればしあわせがまっていますよ。本当かいな?? 一億国民総洗脳漬け。仕事の忙しさは、夫婦間、親子間の関係を希薄にしてしまっている。社会全体が狂った歯車の中、利益第一主義のもと暴走しているのかもしれない。私は、ふと失われた多くの人々の時間のことを思った。
2003年10月18日
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赤い糸・・・。その先に彼女はいなかった。自分では運命の赤い糸と思い込んでいた。しかし、紆余曲折ののち、些細なことで二人の関係は終わってしまった。あの時ああしておけばといったことは、いっぱいある。しかしそれも後からそう思うことでやはり縁というものは、人為をこえたところにあるのだろう。ただいえることは、確かにある時期二人の思い出の時期があったことは疑いのない事実だろう。『おもいでがいっぱい』その曲を聴くたびにその過去のラブストーリーが思い出される。妻には、やっぱりちょっと内緒。私は、目を閉じた。そうか思い出と言うタイムマシーンに乗れば瞬時にして過去と現在を行き来できる。もちろん過去は時と共に美化されてくるかもしれないけど。生きるとは、思い出をいっぱい作ることなのだろう。ふと私は、もっと昔の思い出にタイムスリップしていた。まだ学生のころ映画作りで夜も寝ないでフイルムをまわし続け、脚本を書き直し、フイルム編集をし、議論したあのころ湘南の海でのロケ、江ノ電から見える海岸線、そしてそのとき出会った友人たち今は、まれにしか会わないしまったく音信も途絶えたものもいる。あの夏きらきらと輝いた海で、映画作りに戯れた日々。あのときの笑い声や、怒鳴り声や泣き声や、色々な音がまるで今の時間のように私に迫ってくる。すこし寄り道しすぎたかな、私はふと今の文章を書いている自分にもどっていた。そばには、疲れをみせないで私に、まとわりついている娘の姿があった。ようしサイクリングにいこう。娘に、自転車に乗るジェスチャーをするとすぐに頷いた。ママなんか置いていこう。まだ寝ているから風をきってペダルをふむ。やっばり、朝のサイクリングは、気持ちがいい。娘は、すぐに自転車に乗れた。今度で、3回目で少しふらふらしているがたいしたものだ。私が彼女の後ろをついていくが見事にバランスをとっている.チヨコマカ,フラフラ,時々後ろの私を振り返る。何処の親も自分の子が一番かわいいとおもっている。親ばかだ。わたしなんぞは親大バカかもね。大きな公園の入り口から中に入ると、サイクリングロードがある。さあ競争だ。懸命にペダルをこぐ。ふたりは、風のなかを風のように走った。しばらく行くとブランコと滑り台と砂場に、子供たちと母親たちの集団を発見。娘は、自然に、そのなかへ、公園デビューとかは結構大変なのだときいていたが、またどういうふうなのかは分からず戸惑っていたが。娘はあれよあれよと小さな女の子と遊びだす。子供は子供がすきなのだな。ううんお姉さんのような、小さなママのように小さい子を扱っている。これって神様が与えてくれた才能なのかな。私は、遠くからその光景をほほえましく見つめていた。大人って言葉に頼りすぎるのかな・・・。娘が私のほうを見るとあふれんばかりの笑顔で、手を振った。私は、変にはにかみながら、遠慮がちに手を振った。
2003年10月16日
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その過去のラブストーリーであるが。二人の仲はより親密になっていった。田舎の自然のあるところで暮らしたい。彼女は体が弱かったからそんな自然のある空気のきれいなところで住みたかったのだ。私も、都会の生活に疲れ気味でそんなふたりの家庭を夢見ていた。すぐには結婚できない。そんな状況が私をすこし苛立たせていた。それにお客さんとはいえ、彼女目当てで言い寄ってくる客は、いっぱいいた。仕事なのだからと思ってもわりきれないものがいっぱいあった。いつ心変わりするか。そんな心配がないわけはなかった。しかし疑いだしたらきりはない。彼女の私に接する態度や話す言葉から真意を読み取らなければならなかった。カラオケで彼女は『思い出がいっぱい』という歌をうたっていた。私も、二人で入ったカラオケボックスなどでその曲を二人して歌った。二人にはおもいでがいっぱいになっていた。よくけんかもした。彼女の国に何度か行った。両親は離婚して母親と兄弟姉妹、彼女をふくめて5人いた。母親は、生活のこともあって彼女にいますぐ結婚して欲しくないと望んでいた。働きたくても、働くとこは少ないし、賃金だってとんでもなく安かった。それに日本人が、この国の娼婦を買いに来ていた。日本人はその経済力をみせつけるように、街を闊歩していた。私は、なんともいえない気持ちでいっぱいだった。この地で子供を作って日本に逃げ帰った日本の男たちの話をいっぱい聞いた。また逆に日本人をだます現地の日本人の話、また日本人をだますこの国の女性たち。人間の欲望と色とが渦巻く姿があった。一体彼女は日本という国をどう思っているのだろうか。そして私を・・・・。彼女は、アジアのスラム街といわれるそばに住んでいた。その国の人でさえあそこはと言う場所に。私は、疲れた体でホテルにもどっていった。ふと見上げた2階のレストランに目を向けた。そこには、私を見下ろしている男の姿があった。あれ・・と思った。向こうも同じ反応を見せた。下で待っていると、昔、一緒に映画学校に行っていたU君だった。この国でドキュメンタリーの映像の仕事をしているといっていたが。二人は10年ぶりの外国での再会に、驚きあった。彼はもうすっかり現地の人間といった雰囲気をもっていた。それに取材中、警官の発砲によって瀕死の状態だったことが数年前にあった。日本のテレビもニュースで何度か放送していた。もしかしたらということで仲間は、現地に飛んでいた。私は遠方ということもあり事態をみまもっていた。幸い容態は回復した。いまは大丈夫といってU君は、屈託なく笑っていた。また私が、この国の女性と交際していることを知って驚きもしていた。変なのにだまされるなよと笑った口から健康そうな白い歯がのぞいていた。しばらくしてかれが私財をなげうって現地に貧しいひとたちの教育のための学校を作ったと知った。生死をさまよって彼の心の中に大きな変化が起きたのだろう。私は、心からの声援を送っていた。日本にもどって私は、色々と考えていた。彼女との連絡は、しばらくして途絶えてしまった。やっぱりね。と思った。それから3ヵ月後、今、日本の浜松にいるのと連絡が入ってきた。私は、うれしいやら、くやしいやらで複雑な気持ちになっていた。
2003年10月15日
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新潟空港からようやく我が家に到着したのは、夜10時を過ぎていた。ベットに入ってすぐに寝付けると思ったが睡魔はすぐに襲ってこなかった。天井をみつめながらふと私は、自分のもう一つのラブストーリーを思い出していた。別に、妻に秘密にするほどのことでもないし過去形の物語だ。現在進行中であれば不倫という烙印を押されるだろう。もう4年も前の話である。元妻と別れて寂しさと落胆と面白くない日々を過ごしていた時。仕事帰りに入った。いわゆるパブというお店。「いらしゃいませ」という片言の日本語。こんな家のそばでも外国人のひとが働いているのか。座ったテーブルに、獲物をもとめて女の子たちは精一杯の笑顔と優しさをふりまいていた。たまにはこんなところもいいなと内心おもった。一種の擬似恋愛だ。いかに恋人らしく振舞って、またお店にきてもらうかそれが彼女たちに課せられた職務なのだ。だからもてない訳はないし、お客様がどんなことに興味をもっているのか、いちはやく観察しその話題に興味を示してあげる。あわよくば私も、それをしたいは、こんどぜひ教えてとか連れてってとさりげなく恋人感覚で迫っていくのだ。そしてそんな甲斐あって常連さんになってもらえば、お店でNO1にだってなれるのだ。しかしいかに自然にお客様の心をつかむか。営業用のスマイルやトークだと遊びなれたお客は、しらけるばかりである。お客にあなただけ他はみんなただのお客さんあなたは、特別と思わせなければだめなのだ。それは一種の洗脳にちかいものがある。だから世の奥さんたちから見れば天敵みたいなものだ。しかし擬似恋愛の結果、家庭崩壊などというケースもある。妻の座にいるからといって安泰ではない。お客は、心の空白をうめるため、お店に通うケースも多い。一人暮らしの老人だったり妻を病気でなくした男だったり,借金で自己破産した男だったり、恋人に振られた男だったり、さまざまな空白を埋めるため男たちは、そんな秘密の花園にかようことになるのだ。「いらしゃいませ」何人かの女の子たちがいれかわりたちかわり我がテーブルにもやってきた。何処に住んでいるの?とか、いくつですか?とか、お仕事は?とか、そんなたわいもない会話が最初は続くのだ。ふと店内を見回す。結構客がはいっているものだ。皆さん奥さんじゃ満足できない。多分。でお客はお客で、みな独身を演出する。離婚してねとか、恋人にふられてとかなどなど、結局そんなやり取りで好みの女の子をさがすのだ。ふと視線の先にちょっとつんとすました生意気そうな女の子を発見。早速指名をすると「こんばんは」とやってきた。声の調子は、見た感じと違って優しい声だ。ふうんと思ったが、これが本気モードに入ってしまうとは、自分でもわからなかったのである。けしてうまい演出をする女性ではなかった。その自然さが演出といえばたぶん主演女優賞だろう。擬似恋愛そんなことはわかっている。そうだれでもおもうのだが。いつしか、二人は、自然と話をするようになっていた。おそらくロマンチックじやない話。心臓病のはなし、彼女の見せてくれた日本の病院の診断書。体の弱い彼女にとって夜の仕事は、大変である。同情ではなく、どこか同じ視点で物事を見つめる彼女にどんどんひかれていった。でも心の片隅には、これも彼女の高等な演出なのかもしれないとおもったりもした。ただ、ナニが欲しい、お金頂戴とか、お母さんが病気だとかでお金と言う言葉は、一切でなかった。恥ずかしいよ、お金頂戴なんて、わたしがいつもチップをさしだすと怒ったようにそれをはらいのけた。お金じゃないよ。なに考えてるの。その態度さえ計算された演技なのかと思った。それは、お店とお客という構図のなかでは、完全に払拭しきれないものだろう。もちろんそんなところで知り合い結婚するカップルもいるそして幸せに日本でくらしていたりするのだ。男と女の出会いと別れそれは途方もない謎を秘めたものなのだろう。いつか人は、老いそして死んでいくその中でいったいどんなドラマがまちうけているのだろうか・・・。「結婚しょう」私は、その言葉を発していた。「まだ、わからないよあなたのこと」と彼女。確かにそうだ。結構色々な話をしていたが、自分の詳しい話は、ほんのちょつとだけであった。「それに、わたしまだ働かないと、国に兄弟多いし」「そうだったね」自分だけの感情で色々なことを決定できないのだ。私は、そんな過去の物語を思い出しながら天井をみつめていた。この過去の物語は、次回に続くのである。
2003年10月13日
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午後3時までに余裕で到着できると思っていたがやつぱり予想と現実はだいぶかけ離れていた。沼田インターを過ぎるころからは、車は、だいぶ減って渋滞も解消されていた。、快適にドライブできる状態だ。妻は、もっと速くもっと速く、とスピード狂のごとくけしかけるがアクセルいっぱいに踏み込んだって我が愛車がそういうことを効くわけでなく、それにスポーツカーじゃないからスピードは、そんなにでないし、第一私がスピード狂でないのだから妻のこの挑発には、乗らない。私は心の中で思い切りアカンべーをしていた。東京を出る時は、安全運転でねといっていたくせにまったく。愛車は、心地よいエンジン音と妻と私の変な不協和音を乗せて新潟空港へ向かって行った。遅れること1時間、がらんとした空港にいましたいました。小さなシンデレラとやや太り気味のいえ充分すぎるをはるかにオーバーした妻のママ。小さなシンデレラは、私めがけて飛んできた。ママは、無視された。そうママはライバルなのだ。ちょつとうれしい。が妻は、ちょっとさびしいらしい。すでに三角関数いや三角関係のバトルが始まったのか。そんなことはありません。小さなシンデレラは、すぐにママのもとにそして熱い抱擁。私は、妻のママと薄い?抱擁。とほほ。多分小さなシンデレラの娘は、最初、気をつかったのだ。気配りなんて子供らしくないぞ。さっそく挨拶もそこそこに車は、東京へむけて走り出した。行きも大変、帰りはもっと大変。私は、やせる思いで疲れたからだにムチを打ちながらハンドルを握っていた。そのとき、ルームミラーに娘のゆがむ顔。気持ちが悪いらしい。妻が慌ててビニール袋をとりだした。車は、サービースエリアへ一目散。飛行機の疲れと車の振動で娘は、気分が悪くなったのだ。だから新幹線にしとけばよかったんだ。もう外はすっかりと暗くなっていた。「ここから、新幹線の駅へ」と妻が言ってきた。いまさら予定変更。それに私もくたくたで、地図を見て、高速を何処で降りて、新幹線の駅を探すのも大変だ。ゆっくりいこう休み休み。慌てる必要などないのだ。妻はややご機嫌ななめ。私だって疲れてんだよ。て言いたいのをこらえて笑顔を作ろうとするが、ぜんぜん笑顔になっていない。トイレに駆け込み顔を洗う。鏡に映ったわたしの顔は、幽霊のようなお疲れモード。二枚目半の顔が台無しだ。トイレをでると娘が待っていた。「コーラ」と小さな声で私に言った。うんうんママに内緒。二人はママと妻のママの視界から身を隠して自動販売機のところへ突進していた。コーラを飲みながら満足そうに娘は、笑った。私は、健康ドリンクを2本買い込んで一気に飲んだ。娘はすでに元気を回復していた。私は、娘の笑顔に元気をもらっていた。そこへ妻と妻のママ。おっとと、と思ったが「あらら、コーラは良くないでしょ」とママ。私にも抗議の視線。「ママ、タバコ良くないでしょ」と娘の反撃。突然の反撃に困ったようなママの顔が我がパパと娘同盟の勝利をもたらしていた。
2003年10月12日
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私が、妻との出会いや生活を物語にして書いていると知って妻が鬼のような形相で怒り出した。まるでこの世のことでないようなその表情に私の心臓は、カチンカチンに凍りついた。そして日本人を夫にしたロシアの女の物語を書くと言い出した。私が、この物語より面白いものが書けるのかというと、あなた、あなたと妻の声がトーンダウンしている。あれれと思った瞬間。私は、眠りから覚まされた。妻が起こしていたのだ。夢か・・。私は、目をこすりながら妻を見た。微笑む妻の顔があった。なんであんな夢を見たのだろうか? まさか正夢てなことはないよねとぶつぶついっていると「食事行きましょ」と妻が言った。「どこへ?」となるのだが妻の「食事行きましょう」は「食事にしましょう」という意味なのである。だから最初のうちは、レストランでも行きたいのかなとおもっていたのだ。だから行きましょうじやなくて、しましょうだよて説明してるのだがまだ時々この言葉はでるのである。そう今日は、新潟空港まで、車で妻のママと娘を迎えに行く日なのだ。新幹線にしないと時間がかかるよといったが日本にいるロシアの友達に聞いたらしく、近い近いといわれてその言葉を信じ込んでいる。旦那を信じなさいよといってもやはり同国人のほうを信じるのでじゃ行ってみようじゃないのとこっちも変に意地になった。しかし運転するのは私だ。往復で800キロはあるよ。いくら高速使ったってへとへとになることは目に見えている。後で分かったのだが新幹線だとお金がかかると気をつかっていたらしい。久しぶりに我が家のベンツくんの登場だ。メルセデスベンツという車じゃなくて私が車に勝手に名前をつけているだけなのだけど。妻は、私がベンツ君というと本物がほしいね。とニコニコしている。その微笑みは、いつなのかなといった要求書のように思える。おおこわーーい。ベンツ君という名前をかえてカローラくんにしよう。やっぱり連休のせいもあって関越自動車道は思い切り混んでいた。多分歩いている人にも負けるくらいのスピードだ。ああまたストップだ。これじゃパーキングアンド超低速道路だろうとぶつぶついっていると妻の寝息が、寝顔をみるとまだどこかに幼さみたいなものをほんのちょびっと残している。本当に私なんかが夫でよかったのだろうか。異国から勇気をもって私の胸に飛び込んできた彼女に心のそこからありがとうといいたい気持ちでいっぱいだった。私は自然と妻の唇に、唇を重ねた。ビーーークラクションの音が超ロマンチックな空間に殴りこみをかけてきた。私の前の車は、だいぶ先まで行っていた。クラクションの大きな音でも妻はすやすやとやさしい寝息を立てていた。疲れているのか興奮して昨日はよく眠れなかったのかもしれない。新潟空港に到着するのはいつになることやら。
2003年10月11日
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私のちょっとした知り合いにSという名前の男がいる。ひょんなきっかけで知り合いとなった。彼は離婚暦4度の男だ。別に親友でもない。時々世間一般の相談にのるだけだ。あまり深い付き合いでないので差し障りないアドバイスをしているという感じだ。あるときふと彼がなぜ4回も離婚したのかと思うようになった。私の印象では、紳士然としているし短気でもなさそうだ。それに口調だっておだやかだし・・・。なんだか不思議な感じがしていた。多分運がわるかったのだろう。ただいつもここだけの話なのだけどといった感じで話してくるのが妙に鼻についていた。しかしあるとき、私はかれの人生に対する取り組みを垣間見てなるほど思ったのである。最近彼が中国の女性と結婚したという電話をもらってよかったなあと思っていた。これで彼も、幸せをつかめるかもしれない。ところがあるとき彼が私に電話してきた。彼の結婚は仲介業者によるものだった。まあ出会いは色々な手段があるしそのこと自体は問題でもないし驚くこともない。がしかし紹介を受けたが内緒で結婚して紹介料をその相談所に払ってないらしい。彼が私に電話してきた時は、内緒の結婚がその業者にバレそうだということであわてふためいていた。私から見れば、彼は、ただ反則をしているのである。彼の言い分は仲介料が高いということだった。その金額には納得していたんでしょ。というと、まあねとうなずいた。私は、当惑した。彼は、自分の意思で契約したのだろうしその対価として契約金を払うことになっていたはずだ。自分が自分の意思で行動して自分の行動に責任をもてないというのはどういったことなのだろうか。強制的にとか騙されて契約させられたというなら同情の余地はある。しかしうまくいったらお金が惜しくなった。そういったことである。しかし納得して契約してその契約を無視するとはと彼の考え方にもあきれてしまったのだった。自分の行動に対する責任。それを理解できてない。いやおそらくわかっているだろうがいかにごまかすか。なんともせこいなと思った。なんでもっと積極的に人生にとりくまないのだろうか。よきパートナーをみつけられたならより一層がんばって金を稼ごうとならないのか。もしかしたら4回の離婚の原因もそんな彼の生き方に対する元妻たちの回答だったのかもしれないと。
2003年10月10日
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数日後ポストを覗くと1枚のはがきが来ていた。それは、まさにそこに存在するのが当たり前のようにわたしには感じられた。むしろ遅すぎるくらいに。そう、入国管理局からのものであったのだ。私が慌てて手に取ると妻に入国管理局に来てください。といった内容のものだった。多分配偶者の在留資格がOKになったのだろう。翌日妻と共に入国管理局に出かけた。窓口で、配偶者ビザが取れたことを知ってふたりして抱き合った。まるでメロドラマのように。入国管理局の職員は、苦虫をつぶしたように私たちを見ていた。待合で待っていた他の国の外国人たちは、にやにやと、でも好意的な視線を向けてきた。二人の頬には、涙が伝っていた。もしかしたらだめかもと思ったこともあった。だからこうして、二人がお互いの存在をより強く認め求めあった結果だと思った。もう季節は、春の顔をあちこちにのぞかせていた。そのことにその日はじめて気付いた。頬に当たる風が春を運んできていた。ふたりして品川駅前のレストランに入った。「私はうそつきじゃないだろ」私が言うと妻が頷いていた。妻の顔には、あふれ出そうな笑顔があった。二人してビールで乾杯した。その夜、ロシアのママに妻は、電話をしていた。輝く妻の瞳が幸せそうに輝いていた。妻のママとパパの険悪な関係はどこか隅においやられていた。妻のままと妻の娘が4月に日本に来ることになった。「沖縄に、行きましょう 泳ぎに。ママ楽しみにしている」と妻がいきなり言った。「うん、でもまだ泳ぐには、寒いかも」「南の島でしょ」「うん」私は、4月でも泳げるのか心配だった。翌日旅行会社に電話をいれると泳げないことはないけど泳いでいる人は少ないでしょう。といわれた。つまりビーチにはそんなに人はいない。多分数人ぐらいだろう。ゆったりできるし寒い国ロシアから沖縄を訪れればパラダイスだろう。それに室内プールもある。ようし私は、すでにビーチにいる自分を思い浮かべた。妻とふたりしてエメラルド色の海の砂浜を歩く。想像しただけでもわくわくしてきていた。それに娘ともひさしぶれに会う。また小さなシンデレラに会えるのは、妻といる時よりも幸せだ。お父さんは若い女性が好き。若すぎるって。そうそう子供が好きなのです。ママと三人で、それに妻の母も加えていざ沖縄へ
2003年10月09日
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話は、前後するが、妻の弟が静岡の大学で勉強をしている。夜のアルバイトをしながらだから結構大変らしい。でもロシアでは、2つぐらい大学を出るのはあたりまえで妻などは28歳でも二つ目の大学で、まだ法律の勉強をしていた。一つ目の大学では経済の勉強をしていた。それも子供がいてである。ちょつと日本ではそこまでしないからやや尊敬もするが、大学の期間が短いじゃないのかと思って聞くと1番目の大学で5年、2番目の大学で、3年だという。計8年も勉強している。講義のスタイルもちがうしカリキュラムも違うから日本の大学と比較するのは難しいけど、やっぱりアメリカと一時期肩を並べた大国であったこともうなずける。その弟が、日本の女性と交際しているらしい。それで出来れば結婚したいらしい。彼から見ると東洋の国アジアの日本の女性は、神秘的で魅力があるらしい。まあ知らないというのはそういうことだ。逆に私が西洋の女性に興味をもつのとおなじかもしれないが。ただ弟は、まだ学生で生活の基盤も危ういのに大丈夫なのかとおもったりしたが、二人が決めることだしそれはそれでチャレンジしてみるほうがいいだろう。若さは時として途方もないエネルギーを発揮するから。入国管理局にしびれをきらして私は、在留資格のことで怒りの電話を入れていた。一体、どうなってるんですか? ともかくはっきりしないまま時間が流れると、妻との関係だってうまくいかなくなるかもしれないてですよ、そうなったらどなたが責任を取ってくれるんですかといった内容を、結構強い口調で言った。その勢いに、やや圧倒されたのか上司に伝えておきます。ときた。お願いしますよ。私は,そういって電話を切った。それから数日して、入国管理局から電話が入った。私が留守だったので母親が対応した。色々聞かれたらしいけど、母親も、妻を気に入っていたので、いい嫁がきたからもう思い残すことはないとか一芝居うっていた。お涙頂戴のドラマじゃあるまいしまったく女性は、演技がうまいな、と関心するやら驚くやらで、母親の名演技に感謝しまくりであったのだ。硬軟入り混じった作戦でどう出るか・・・・・。その夜、妻が、彼女のママと電話していてすごく悲しい顔になっていた。ホームシックかなとおもったら、パパとママの関係が険悪になっているということだった。それもどうやら浮気らしい。 そしてその相手が娘と同じ年くらいと聞いて本当かいな?となってしまった。もう60歳に近いんだからよくやるよと思ったが、もしかしたら私に娘をとられてさびしすぎたのかな・・・・。どこの国の父親も同じだろう多分。
2003年10月07日
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ロシアにお見合いにいった金持ち男の話の続きだけれど二人めに指名した女性ともうまくいかないらしい。多分あせるあまり空回りしてしまっている。こういう場合女性の目からは、余裕のない男と見られる。だから女性の方で引いてしまう。男にとっては金持ちだということが逆に災いいして、なぜ? となるから余計にあせる。あせればあせるほど女性の心は、離れていくのだ。こういった状態の時に、したたかな女は食いついてくる。カモだ。ということになってお金をどんどん貢がせる。男のほうは、これで彼女になった恋人になったと錯覚してしまい洗脳された信者のごとくとなるのだ。冷静になって考えれば分かることも洗脳という渦の中にいるとまったく方向感覚を失った小船のように大海の中をさまようのだ。お金持ちは、絶対的な結婚の条件ではないということにはやく気付けばその泥沼からぬけだせるのだが。わたしは、妻に一度、彼を日本に戻らせたほうがいいといったが彼は、みんなにお嫁さんを連れてロシアから戻ると公言したから始末が悪い。うーーんと私は腕組みをした。もし彼と話せるなら次のことをアドバイスしたかった。それは、いかに自分の存在が彼女にとって運命的なものかをアピールできなければだめだということだ。運命という言葉に女性たちはすごく弱い。すごく知的にすぐれている女性でも例外でない。やはり二人の出会いが何か必然のようなラブストーリーにならければならないのだ。彼女が自然とこの人は私にとって特別な人と思わせることが必要なのだ。それはテクニックではない。彼女の感情に訴えるのだ。この人は私を理解してくれる。わたしのことをよく知ろうとしてくれる。私のことをわかってくれている。つまりふんふんと彼女の悩みや問題やを夢を聞けることが必要なんだと思う。この人はこんなに自分のことを理解してくれる。けして二枚目でなくても彼女の心のとびらが開くことが出来たら二人のラブストーリーがはじまる可能性が高いのだ。そのときこそアイラブユーなのだ。あとはどんな歯の浮くような台詞だって問題ない。二人は本当に運命の扉をあけてしまうことになるからところが、誤解している男は、相手の心が開いていないのに、自分の思いのたけを、好きだ。愛してるいを連発する。自分だけのラブストーリーに酔っているから相手はしらけてしまって。ストーカー扱いだったり、しつこい嫌な奴になるのだ。相手が心を開いてくれば運命のラブストーリーは小気味よく甘い流れを作ってくるのだ。そしてそのときに言い寄ってもそれは情熱的な男として迎えいれてもらえるのではないか。ただ気を付けなければいけないのは、最初から生理的に合わないということで避けられている場合は、どんなに努力してもむだなので、別の相手を探すべきだろう。
2003年10月06日
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ロシア人の美人女性と結婚したいという男性が私の妻にロシア女性の紹介を頼んできた。話しを聞くと相当の金持ちらしい。私など足元にも遠く及ばない。すぐに相手は見つかるだろう。そう思っていた。そして彼が女性を数人指名してきたらしい。やはりお金持ちは美人が好き。金持ちじゃなくても男は、美人がいいに決まっている。さっそく引き合わせるために妻は彼を連れてロシアに行った。私は、正直ちょとさびしいし心配、それにお金持ちの男やっぱり女性にとっては、玉の輿てな願望は、どこの国の女性だって同じだ。私のいとこなんかは、ハゲでも、デブでもいいお金持ちとほざいている。ばか者。旦那がかわいそうになる。これなど家庭内いじめじゃないか。まあいとこは若いころ超美人で有名。某音楽大学でミスにも選ばれたくらいだから。でも俺は、いとこだから実態を知っている。貪欲な女だということを性格悪いし。だから俺から見ればこのいとこを選んだ男性はミスならぬミステイクのほうだったんじゃないかと同情しまくりだ。でも美人の幻想に男はいつもはまっていくのだよなそこが男の悲しい性でもある。わたしは、もちろん 「し、しあわせです今のところ」トホホホ。がしかし先はどうなるやら。ところで話がそれたがロシア人女性と結婚したいという男、ちと性格に問題が、やっぱり金の力でなんでも思い通りになると思っている。相手の心を思いやるということにかけているようで。見合いするもどうも女性からいい返事がもらえないらしい。だからよけい金持ちの自分を強調するあまりレストランでまさに傍若無人周囲をあきれさせる。一番悲惨なことは、自分の欠点がそこにあることに気付いていない。やっぱり女性は、こまかくチェツクしているし本当に結婚しょうと考えている女性にとってこの手の男性は、圏外だ。以前もある西洋系の国の女性にプレゼント攻勢をかけたらしいが、結局貢がされてバイバイだったらしい。札束で相手の頬をたたくようなことは、一時期相手の気を引くが結局それだけだ。妻も、どうしていいかと思案しているようだけれど変にアドバイスしてもこの手の男性は、多分聞く耳を持たないだろう。でも、妻がこの男を見て、自分の旦那が一番となってくれれば万々歳だけどこれは,神のみぞ知るである。
2003年10月04日
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妻の後ろに男の影があった。妻は、自分が尾行されているのにとっくに気付いていた。むしろ男の方でわざと尾行しているぞと振舞っていたのかもしれなかった。つまりそういった行為から妻との接点を取りたかったのかもしれない。姑息な手段だ。相手に対してプレシャーをかけて自分の存在をアピールする。世に言うストーカーなのか?よく言えばそれだけあなたさまを気に入っています。ということなのだろうがまあそれは尾行側の論理で尾行される側は、相手の意図や真意がわからないだけに気味が悪い。尾行する側は、自分の行為そのものに自己陶酔してるのかもしれないが。妻が、反撃に出ないわけはない。その男の前に敢然とたちはだかった。予期せぬ反撃に、おののき後ずさりする男の姿が目に浮かぶようである。「あなた、いったいナニがほしいの?」妻は、大声で威嚇した。男は身動きすらできない。息をすることさえも忘れていたかも・・・・。野次馬は、この外国女とおどおどした日本のストーカー男のやりとりを、テレビドラマのやりとりのように見つめていた。「別に、なんでも」男は、声にならない声で答えた。蚊のなくような声よりもっと小さい。「あなた、ずーとなんでついてくるのよ」大声の妻の声に出来る人だかり。ボクシングではないけどKOまであと少しだ。男は戦意を失い。目は、うつろレフリーストップだ。「ついてこないで あんぽんたん」と妻は言った。まああんぽんたんとは言わないかもしれない。まあそんなニュアンスだったと推測できるのだが。家に帰ってくると前述のその話しでわが家は、おお盛り上がり。妻は魅力を自画自賛。私は、たくましすぎる妻にこの先、どう対処しようか思案を開始。あまりしゃべらなければ程ほどいい女かな?「ところで変なものみつけたの」妻が押入れの奥を指差しながら言った。それはわたしが大事に隠しておいたいやらしいビデオ。「はいはい」私の顔に戦慄が走っていた。「わたしとこの変なビデオの女のヌードとどっちを取るの?」「それは、あなたでしよ」「では、このビデオは、捨てます」「もつたいないよ」「あれれれれれ それってミレンでしょ」「いえ、リサイクル」「ナニ?」「これは、観賞用」「あなたは、実践用」「はあああ??????」「愛情実践用」「ジッセン?」私は、隙をみて唇を奪っていた。そして寝技に入って一本となるはずが階段を上ってくる足音に邪魔された。ふたり顔を見合わせた。「洗濯物いれるよ」母親の声。超うそーーーータイミング悪い。そういえばさっきから雨が降り出していたのだった。
2003年10月03日
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妻は、少しモデルの仕事に慣れてきていたが時々遅刻するらしかった。それでも使ってもらえるのは、生まれるからのそのブルーの瞳とすらりとした体形。ナイスボデーのおかげなのかな。それに比べれば私の体形はもうお世辞にも美的とはいえない。鑑賞に堪えない。つまりいるだけで暑苦しい。大きくて邪魔な存在だ。電車のシートをふたり分とは言わないが確実に一人分以上を、占有している。もし電車の運賃が体重や大きさで決まるとなると高くつくな、などと思った。また、もしミニスカート割引とか、セーラー服割引なんかあったら面白いだろうなんてね。変態か俺は・・・。もし40代のおばちゃんまでもが節約生活のためにセーラー服通勤やミニスカート通勤になったらちょつとまずいかもね。まあそれも笑える話だしこんな暗い世の中だから、わが社の女子制服は、みなセーラー服にしますなんていう社長がいたりしたらそれももっと面白い。てな馬鹿なことを考えていたら突然、ケイタイが鳴った。「あなたの奥さん、恋人と抱き合ってるよ一体どうなってるの?」例のモデルクラブのおばさんがヒステリックに電話してきた。「ウ、うそでしょ 何かの間違え」と私が言うも、断定的な口調で「絵画教室の中で公然と抱き合っていたわよ」状況がつかめず。「どういうことですか?」と私。「こちらが聞きたいくらいよ」とおばさん。今までのうっぷんを一気に吐き出すように、また嘲笑的に私に、あなた、だまされてるんじゃないのてな雰囲気で話を伝えてきた。私は、頭の中がこんがらかってなんとも言葉が出てこない。それにどうも話が分からない。「・・・」「だから外国人はふしだらな それに今日も遅刻したらしいわよ」「すいませんでもね、ふしだらかどうかはわからないだろ」と強く言うと「男と抱き合ってそれも外国人と」私は、一瞬ひらめいた。多分弟だ。「弟ですよ、それに抱き合うのが挨拶ですから、姉弟で」「わかるものですか」「心配ご無用」私が、明るく言うと、おばさんもすごすごと電話を切った。多分、弟だ。静岡から東京に出てきたのだろう。ようし今日は、初対面の歓迎会か私は、慌てて妻のケイタイに電話した。やっぱりね。だいたい男と女が抱き合ったぐらいで恋人どうしなんて考えるのは、古すぎるね。おばちゃんすこし世間のこと勉強しなされ。私は、まだ見ぬ義理の弟との抱擁をおもって緊張していた。
2003年10月01日
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