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新聞報道で工業デザイナーの草分けの柳宗理氏が、亡くなられたことを、知った。もちろん、柳さんと個人的な面識があるわけではないが、高校の時、教職実習にこられた当時、金沢美術工芸大学の学生であったTさんから、柳さんのデザインの素晴らしさを教えていただいたことや、そのTさんから、たしか講習電話の受話器だったかと思うが、工業デザインのプロセスや図面、レンダリングの絵を見せられて、<これこそが、自分の進む道だと、方向を示してくれたものだと、確信した>強烈な印象を、受けた。 自分にその才能が、あるかどうかも見極めずに、ひたすら、あこがれに似た想いを持ち続けてきた。そのキッカケのキーワードになったのが、柳さんだった。 だから、デッサンを1年間、ひたすら描き続けて、デッサンだけなら合格できるよと、美術の教師に言ってもらえるまでに、なった。だが、学科のほうは、さっぱり勉強もせず、模試の内容も、全く金沢美大に合格する見込みもないのに、受験するという、無鉄砲というか、楽天的というか、今の自分から、当時の自分をみると、「おい、おい、こらこら!」ですなあ。 今なら、合格するにはどうすればいいか、もっと戦略的に考えるだろう。 もう、何年も前になるが、当時過ごした金沢の旅館のひと時は、忘れない。もし、合格していれば、実際に柳宗理氏に会えていたのに。
2011.12.27
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モノ作りの自分として、今心がけていることは全ての出来上がっているものに対して、その意図を読むということをしている。 そして、その意図が理解できれば、自分がモノ作りするときに活かしたいと、考えている。 それは、ファッション然りである。男性でも女性でも、もちろん、気にかけて服を着ていると思うが、とりわけ、頭の先から、足の先まで色から形まで、きちんとしたコーディネートされている姿をみると、うーんと唸ってしまう。 調布の仙川を仕事で、よく通るのだが、そこに建築家の安藤忠雄氏が設計された建物が、ある。コンクリートの打ちぱなっしで、外壁に色があるわけではないが、陽がさしこむと、その造形の意味が理解できる。 その形の中に、いろいろなカット加工されているのだが、そのカットが日差しで見事な造形美をみせる。 やはり、評価が高いひとの作られたモノは、モノが違うと、唸った。
2011.12.23
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今の時代は、モノが溢れている。その数多くのアイテムから、自分にあったもの、ほしいと思ったモノを、選択して手にする形が、ほとんどだ。 サイズとして、少し違うけど、品物に自分をあわせていくということになる。本来、人は条件的にそれぞれ違うから、それに合わせた品物がいい。 陶器にしても、衣料品にしても、家具にしても、オーダーはできるが、その価格に二の足を踏む人が多いのではないだろうか。それに、オーダーしたくても、案外その情報がないということも、あるのではないか。インターネット環境があって、その知識がある人は、検索していくことも可能だろう。 食品などは、ネットのショップを開くことで、かなりの売り上げを出している、人もいる。家具はどうだろう。これもやり方ひとつなのかもしれないが、私はネットから仕事になったことは、ただの一度もない。 それに比べて、クラフトフェアに参加すれば、実物を見ていただける。それが、大きいと思う。やはり、木の香りをかぎ、木肌に触ってみる、それが大事なんじゃあないかな。その意味で、フェアは私にとっては、大事な大事なスペースとなっている。
2011.12.19
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契約社員として、もう3年余りになるかな。それまで電車通勤なんてしたことがなかったが、3年前から京王相模原線で多摩センターから神田小川町まで通勤している。 そこで、車掌さんは、いくつかの駅間を担当していて、交代していくこと。年に1回は新人研修があって、初々しいアナウンスが聞ける。男性よりも女性の車掌さんのほうが、滑舌がよく聴きやすいことなどが、分かった。 また、駅のアナウンスも上り方向は女性、下り方向は男性の声で作られたものでされていることに、気がついた。これは、どちらも同じだと、分かりにくいという配慮からだろうと、理解した。 早朝の時間帯は、列に並ぶ人の顔ぶれは、ほぼ一定していて、顔をお見かけしないと、どうされたのかなと、気になる。なんだか、不思議な連帯感みたいなものが、漂う。
2011.12.17
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私が住んでいる多摩地域では、マンションや戸建て住宅売りますのポスターを見ることはあっても、ビル売りますというのは、ない。 今日、神田小川町で「ビル売ります」というポスターを見かけた。さすがに都心だね。2億だもん。プロ野球の選手の年棒が話題になる季節だけど、同じくらいするんだね。 ここで工房がやれているのは、私が勤務している会社の社長のご好意にあずかるところが、大である。賃貸料を払うことになれば、とてもやれない。ありがたいことだ。
2011.12.16
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私に工房の定番アイテムとして、小さな子ども用の椅子を、作っている。これは、3人いる私の子どもたちが小さい頃に座卓で食事するのに、作った椅子が元になっている。 せめて、自分の子どもには自家製がいいなと考えたからである。それで作った椅子に座った子どもが「ブラブラ椅子だ~あ!」と言ったのを、いただいてのネーミング。 今まで、作っていたデザインを変更した。主な改良点はセンターに向かって1度傾斜をつけた。ただの平面の椅子だと、長い時間座っていると、お尻が痛くなってくるというご指摘をいただいていたのに、対応したもの。できた椅子に座ってみたが、なかなか快適。 それと脚の部分は角材でも機能的には何の問題もないのだが、幕板を通しホゾにして、楔を打ち込むスタイルにし、脚そのものも上は大きく下にすぼまるように、傾斜をつけ、形に変化を加えた。それに加え、画像をご覧いただくと、わかるのだが、上から見た形も組むほうを狭くして、握りやすさを考慮した形になっている。 あとは、塗装をして完成となる。 来年の展示会や、クラフトフェアに出してみようと考えている。反応が、楽しみ!
2011.12.12
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足あと機能がなくなるらしいね。いいんじゃないかな、来てくれた人がどんな人かなという、関心もあるけど、それを利用して、ホームページの内容なんか、見る気もないのに、チェックしてくる出会い系サイトなんかには、うんざりだ。 前回、楽天をやめたのも、それがあまりにひどくて、やめたんだけど。それに以前の時は、ルール違反をしているようなサイトをチェックして回る人がいたようだが、今はいないみたいだね。 お互いの立場で、自分の場所を照らせるようなサイトがいいなあと、思う。とくに、今のような時代が閉塞しているような気分の時は、より大事だと、思う。 来年の年賀状はどうしようか、思案している。福島と関わりのある人間としては、新年おめでとう、という気分には、なれないね。 先に向かうこととしては、来年の12月に展示会をやることを、決めました。それまで念入りに準備したいと、思います。
2011.12.10
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昨日の山際淳司さんの本のからみで、孤独をたのしむというフレーズがある。私は、以前からモノ作りは孤独を楽しめる人でないとできないと、いう考え方をしている。何故なら、作り込むときは自らの頭と手を、使うことでしかできないと、考えているからだ。 ブレーンストーミングは、一人でない方がむしろいろんなアイデアが出るかもしれない。しかし、例えできたものが素晴らしくなくても、自分の力だと、認識できる。 それでいいではないかと、私は思う。その精神の自由さを求めて、一人でモノ作りをしているわけだから。 今は、だらだらモノ作りをしている。もう少ししたら、新しいブラブラ椅子をお目にかけることができると思う。
2011.12.04
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「江夏の21球」などすぐれたドキュメンタリー作家で、スポーツコメンテーターの作品で「山男たちの死に方」を読んでいる。もちろん、この作品は彼がまだこの世に生を受けているときに、書かれたものだ。 NHKの番組にでている頃の、痩せて痛々しいほどの姿が、今でも目に浮かぶ。その彼が、まだ元気な頃に、アルピニストの死にかたについて書いている。 まだ読み終えていないが、中に、今の時代は困難などなく、生きるのにむつかしい時代ではなくなったと、分析し、人は誰かとつるんでいないと、不安になるらしく、孤独を楽しむということが少なくなっていると、説く。 確かに彼が生きていたころから時代は下っているが、今もなお、そうであるかもしれない。 私の子どもが就活世代にはいった。ひとりは、役者の道に進むことを、選択した。いつになったら食えるようになるか、保証の限りではない。 でも、あえて、その道を選択した息子に、困難な道をあえて選んだことに、賛意を示し、背中を押した。果たして、息子はアルプスを登攀することが、できるだろうか。まあ、私が生きているうちに実現してくれると、いいのだが。
2011.12.03
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