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震災の結果発生した福島第一原発事故、どこまで被害が広がっていくのか、結果でしか分からない。 国は、何も分からないのではなく、それを発表することによるリスクを回避しているとしか思えない。何故なら、ひたすら拡大続ける被害の補償の先が見えないからだと考える。 東京電力が、このままいけば債務超過になることは、目に見えている。 どこが行き着く先なのか、分からない。 スーパーに行っても、例年なら野菜売り場に山積みされている福島産の桃などの果実が見当たらない。そのことは福島の農家の苦境を物語る。 何年、こんなことが、続くのだろう。脱原発、減原発といろんな論調のコメントが見られる。今の状況では原発はやめてしまえの口調のほうが、勝つかもしれない。しかし、それは結果論でしかない。これからの暮らしの質や産業構造をどう考えるのかという視点なしには、その話は説得力を持たないと思う。 で、私は思う。少なくとも、最低限必要な電力はどれくらいあれば、足りるのかを明らかにする。深夜にやっているようなコンビニは必要ないと思う。高速道路も、今の節電状況の中でも私は走行上困らないし、そうした点をひとつひとつ点検して検討することが、必要なのではないだろうか。 それにしても、先が見えない。
2011.07.31
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夏の甲子園、和歌山県予選、わが母校日高高校が智弁和歌山に惜しくも敗れた。一点差の勝負、惜しいなあ~ 前にも、準決勝で智弁に負けて、甲子園に出られなかった。 私が現役のころは、とても予選の1回戦に勝てる様なチームではなかった。その頃から考えれば、強くなったものだ。 中学や高校のころの部活は監督しだいのところがあるが、今はいい監督に恵まれているのかな。 春の選抜は何度か甲子園に出ているが、夏はたぶん出たことがないと思う。 小学生のころ、甲子園につれて行ってもらったことがある。法政二校が強いころで、柴田勲さんが、投げているのを、内野席の高いところから、見ていた。 とても大人びてみえた。日高高校の後輩諸君、がんばれ!智弁の壁を乗り越えて、甲子園にでたら、ぜひ応援にいくから。
2011.07.26
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このブログをやっていることで、つながる世界がある。私の生まれ故郷の長崎のイトコがみてくれていて、メールをくれたり、小学校のころに過ごした山深い里にいる級友からの書き込みがあったりと、予期せぬ反応があって、このブログもささやかだが、つながることがあるのだと、実感している。 その後、機会があって何十年ぶりかで長崎行きを果たした時、その交流のおかげで、いい再開を果たすことができた。 また、つい最近、和歌山の級友からの書き込みで、あの頃のことを思い返している。長崎で小学校1年を終えてから、母の実家のある和歌山へ引越しをした。今なら新幹線であっという間だろうが、昭和30年前後のころはまる一日でも着かなかったように記憶している。 和歌山で3度目の転校の時に、最近書き込みをくれたA君に出会った。長崎から転校した私は、訛りや、しゃべり方の違い、それに比較的街場で過ごした長崎とちがい、山深い里という環境のなかで、なかなか馴染めないでいた。 国語の時間に教科書を読んで読み方がおかしいと、笑われた記憶もある。新しい靴を履いていったとき、その上から靴を踏まれてどろどろに汚されたこともある。 母に、何度か長崎に帰りたいとせがんだようだ。 そんな時に、ただ一人、手を差し伸べてくれたのが、A君だったように思う。押し付けがましくなく、さりげなく接してくれて、私は居場所ができたと思えた。 彼は今、和歌山に戻って仕事をされているが、東京で仕事をしている時に、再開を果たすことができた。母から送ってくれる通信で、彼が今どんな境遇にいるかも知っている。 様々な障害をお持ちのかたのサポートをされていると知り、私も14年間精神障害をお持ちのかたのリハビリ施設で木工の講師をしていたので、彼の心情を共有できたように思う。
2011.07.23
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もう2~3年前になるだろうか、大学生の息子と多摩市の映画祭を観に行ったことがある。この映画祭は市民が自ら動いて開催しているもので、とても質の良い映画祭になっている。 そこで是枝監督の「歩いても歩いても」に原田さんが出ておられた。親子、夫婦、友人など様々な人との関係が、日常のなかで描かれていて、自分の存在がおとす家族への影を見事に演じられていた。 何というのだろうか、型にはまった人ではなく、本当にその人を演じきっていると思える役者だったと思う。 その映画祭で、原田さんはゲストトークに出られる予定であったが、ドタキャンになってしまわれたのだが、もうその頃から体調が思わしくなかったのだろう。 そんななかでも、自分のやるべきことをやりつづけた姿は、これからの私にとって、ひとつの鏡となる。 そして、役者への道をめざしている息子にとっても、大きな存在であり続けるだろうと思う。このブログを書いている時、TVでその原田さんのことを報じていた。合掌。
2011.07.20
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パンが好き。なかでもクリームパンが大好き。中身のカスタードクリームが好き。和歌山の山深い村で小さい頃を過ごした時期、店は少々歩いてある雑貨屋さんだけで、色のどぎついジュースなどがあったりしたが、こんなクリームパンなどは置いてはいなかった。 その頃、親父はなかなか働き口がなかったのだろうか、慣れない酪農をやっていた。養鶏と乳牛を2頭飼育していた。 そのとびきり新鮮な卵と、新鮮な牛乳を使って、カスタードクリームを作って、親父が私と弟に食べさせてくれた。 あの美味しさは、今でも忘れない。 だから、いろんなパンがあるなかで、クリームパンが大好き。
2011.07.16
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この営業所の色使いは、赤と緑。色彩計画から言えば補色の関係になる。色彩環の真向かい同士の色ということになり、色彩対比上、きわめて強い対比になる。 そして、補色同士の関係の色を混色すると、濃いグレーになる。面白いよねえ~。人間の視神経は青・赤・緑を感じる細胞があって、この組み合わせで目の前の色を識別しているといわれている。 何でも、300万色の色を感じ取ることができるそうだ。すごいよねえ~実際には30色ぐらいの識別ができれば、日常生活には困らないそうだから、ご安心を♪
2011.07.11
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道路にひかれている白いライン。このラインをみる度に思い出す人がいる。 この頃、美術大学を目指して浪人していた。浪人しているという負い目から、親に負担をかけたくないと、そのころ住み込みで新聞配達のアルバイトをしていた。大体、そういう境遇で、入ってくる人のなかに、A君がいた。 鹿児島出身で、なまりの強い話し方をする、彼が働き始めて、そんなに期間が経たない時期に新聞配達の仕事をやめるという。 「ええっ、これからどうすんの!!」という、みんなの問いに、新聞配達している時、「道路に白い線を引くところをみて、あの仕事に将来をかけたいと思ってね」 今は、もう普通になったこの風景も、今から40年以上前なら、まだベンチャー産業だったのかもしれない。そこにA君が強くひかれたのだろう。 今は、どうしているのかなあ~
2011.07.10
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朝、京王相模原線の多摩センター駅から、神田小川町の駅まで、会社員の仕事のために、59歳を過ぎてはじめて通勤している。 私がいつも乗る位置から見えるのが、この多摩都市モノレールだ。2本のレールがあり北向きが立川方面、南向きが多摩センター方面と、決まっている。同じレールをいったりきたりしているのかとも、思ったがそれだと乗る位置が車両ごとに違ってしまう。 そんなことは無いよなあ~と思っていた。すると、この場面だ。そうか電車と同じように切り替えのポイントがあるんだ。 車両が通る時に自動的に切り替わるのだろうが、見事なものだ。
2011.07.08
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これは京王線の駅に設置されている点字ブロック。視覚障害者のための設備である。黄色く着色されていて、非常によく目立つ色あいだ。全盲の方だと、見えないかもしれないが、弱視の方なら見えるのかな? 足裏で位置が分かるように、突起が出ている。自分は目で見て認識できるから、分かったような気になっているが、目の見えないかたはどうなんだろうか。 町の作りが、普通に5対満足の人用になっていて、とても目や耳などの障害をお持ちの方にはつらい構造になっているなあと、思う。 センサーかなんかで、立体的に風景が脳の中で構築されるようなシステムができればいいのに。
2011.07.06
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これは京王相模原線のコンクリート製枕木、今はどの鉄道もこの枕木が多い。でも、地方の鉄道などでは、栗の枕木が使われているのかな。私が田舎の和歌山で高校生の頃、紀勢本線で通っていたが、枕木は栗製だった。 栗はブナ科クリ属の落葉樹で、樹高は20mから40mにもなる高木である。硬くて耐久性があるために枕木に多数使用された。そのこともあるのだろうが、近年は供給量が激減している。 家具でも高級な家具部材である。ふき漆などで仕上げると、まるで蜂の体のように明確な木目が表れてきれいだ。 私も1枚ベンチにするといいかなという板を持っているが、今のところ、ご注文はないねえ~
2011.07.03
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