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「舟を編む」を見る。賞をとったこともあるが、私が27歳のころ、はじめての海外旅行でインドの舟を見る調査旅行をして、そこでまさしく舟を編むをみたことが、あったからだ。 辞書をつくる作業のスパンの長さ、そして人はいろんなものを体系化していく能力のすごさ、そして、その作業に向く人向かない人、どちらにしても、自分の人生をかけるに耐える知力・体力が必要だと、感じた。 主人公の松田龍平君もいいが、小林薫がいいね。歳を重ねていくことの重みと、どれを淡々とやりきる人の顔の素敵さがいい。学びたいことだ。
2014.05.01
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パソコンをxpから7に機種変更したので、そういえばほったらかしにしていたブログは?開こうと思ったらパスワードからidですっかり忘れて、しばし立ち往生。 まあ、あまりパソコンの前でいる時間がないので、どうしようかと、思いましたが、いずれ福島に工房と生活の拠点を移すつもりなので、老後の楽しみにとっておこうかなと、考え、そのままに。 ホームページを作ったのは、少しは木工のオーダーがくるかなと、思ったのだが、まったくありません。つくりが良くないのかな。 まあ、ぼちぼちとね。
2014.04.18
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メールで更新機能が使えません。お試しではできましたが、その後がありません。 カーペントリーさと森 2012/10/13 23:51、 のメッセージ:
2012.10.13
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今は師走に開催する戸津さんとのコラボでの展覧会用の作品作りに追われている。何とか頭の中にあるものを出し切りたい。カーペントリーさと森2012/10/13 23:51、 のメッセージ:
2012.10.13
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毎年、夏は家族で家内の実家の福島に行っていたが、今年は子供たちも大きくなり、それぞれ予定があり、私はオーダーいただいたドールハウスの製作のために東京で工房にこもっていた。 したがって、どこにも行かずじまい。留守番で、東京で一人ということもあって、NHKの教育テレビで日曜美術という番組で「松本竣介」を見る。番組案内で、戦時中に風景画を描き続けたというキャッチに惹かれたからだ。 周りが戦時一色の時に、耳が不自由ということがあったにせよ、街を歩いて風景を描き続けるということは、並大抵の覚悟ではできないことだと、思う。 絵をみていると、静かな怒りが満ちているように思えた。 今度、クラフトフェアで岩手に出かけるので、できたら岩手の美術館に行ってみたい。そして、絵の前に立ってみたい。
2012.08.20
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神田小川町の駅を出て、桜上水の駅に停車してから、アナウンスがあって、府中近辺で落雷があり、停電したので発車できないという。いつになったら発車できるか分からないという。 駅では電気がきていて冷房は効き過ぎるくらいで、寒くなって長袖を着込んだ。途中で止まっている電車がでないことには、自分が乗っている電車が出られない。まあ、いわば便秘状態やね。 結局動いたのは約2時間後、家にたどり着いたときは、10時を過ぎていた。こういう事態に遭遇したのは、はじめてのことだった。落雷は季節になれば、ありうること。その対処はやはり難しいのだろうか。 周りの人は、寝たり、本を読んだり、スマホで画面をにらめっこしたり、様々。文句を言っても仕方がないと、腹をくくっているのだろう。
2012.08.18
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私が、この楽天のブログを始めた理由のひとつに、生まれ故郷の長崎の人と、出会えるかもしれないというのが、あった。 かつては北松浦郡江迎町、今は町村合併で佐世保市になっているが、そこで小学校1年まで修了して、和歌山に越した。 越した先は、山奥の学校で、言葉も違うし、友達もいない。いつも、ここは自分のいる場所ではないという意識があった。 その意味では、私は故郷を失った。 かなわぬ思いかもしれないが。小さいころに、ともに同じ空気を吸った人と、再び巡りあえないかと、いう思いは絶ちがたく、今もある。
2012.07.29
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東京、神田にある会社に行くために、毎朝この道を通っていく。左手は公園になっていて、桜の咲くきせつになると、家族連れでにぎわう。朝は小鳥たちの鳴き声が耳に心地よい。 夜には狸と出会ったこともある。 ここを通り抜けると、人家が見えてくる。そこまでのささやかな森林浴が経験できる場所でもある。 59歳にして、はじめて契約社員という身分であるが、サラリーマンになって通勤を経験。毎日、この道を歩いている。 こどもたちが自立するま、あと4年ぐらいだろうか。あと、何年この道を通ることになるのかな。63にもなると、健康面も含めて、そんなことを思う。
2012.07.26
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都内に通勤するための始発駅は多摩センター。駅への道すがら、上を見上げると、モノレールがゆっくりと、多摩センターに向かっているのが、見られる。 5億人を超えたという看板をつけて走行している車両もある。何年か前には、なかった風景だ。京王線、中央線をつないでいる、立川が飛躍的に都市化したように思う。 これが必要だと、誰かが発想しないと、この風景はなかった。
2012.07.24
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昨年は、東日本大震災のことがあって心落ち着かず、一切のクラフトフェアに参加できなかったのだが、今年は少しでも、自分でできることをしようと、考えいくつかのフェアに応募していた。 4月に愛知の常滑のクラフトフェスタに参加してきたが、それから応募したフェアの選考に落選。この9月の岩手小岩井牧場の「どんぐりコロコロ」の森でのフェアに参加していいよという、通知がきた。 やっぱり嬉しいよね。9月16日(日)17日(月)の2日間。それまでに、できるだけ作っていきたいと、思う。それに頑強タープのデビューでもある。頑強なので、相当重い。でもまあしっかりしていて、安心かな。私は基本的にベースが土か芝生のところに出たいと思っている。下がコンクリとかアスファルトのところは、出ないことにしている。まあ、ささやかな楽しみなんだよね。
2012.07.17
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私のブログは書き込み率が30%を行ったりきたりしている状況で、訪れてくれる方も、平均21人、日によっては4人と、限りなく少ないのだが、自分があえて文章にする場として、書けるときは書いていこうと思っている。 今日は昨日、友人の戸津さんがご友人の方と陶芸の3人展を開催されているギャラリー「風画」にでかけてきた。そして、とっても楽しい時間を過ごすことができた。 それというのも、ギャラリーのオーナーの方は、井出さんという方で、武蔵野美術短期大学をでておられているという。私が卒業したあとで、入られていたようで、同じ時期には大学には居なかったようなのだが、近しい時期だったので、おおいに話がはずんだ。 ギャラリーを経営されながら、ご自分は造形作家として、縄文土器の正確な復元をされている方で、お話される内容に納得するばかり。今度、展示会を開催されるとのことで、是非伺いたいと思っている。 こうして、出かけることで新たな出会いがある。いいもんだね。
2012.07.16
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デジカメが壊れ、買い替え。FAXつき電話の調子がおかしいので、買い替え。クラフトフェア用のテントを16年目ぐらいにして、買い替え。そして、ナビの音声ナビがあればいいなと、考え携帯からアイホンに切り替え。 もう、憶えることが多い!! アイホンが極めつけで、ナビタイムをインストールして、さあ~これから都内での機械の修理出張が楽になるぞ!と思ったのだが、声がしない。何度もナビタイムに問い合わせをして、何とかしたいと、四苦八苦したのだが、何もやっても声が聞こえない。 でもある日、突然、声が出た!! 何のことはない。私がアイホンの操作に慣れず、マナーモードにしていたからだった。まあ~私がおっちょこちょいなのは、小さい時から言われていたから、しゃあないね。 ナビタイムの係の方に感謝感謝感謝感謝です。
2012.07.14
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私は学生時代に研究所設立に参加し、41歳までまるでジェットコースターのような人生だったが、木工の工房を開いてからは、もちろんお客様との交流はあるにせよ、工房では基本的に一人で黙々と作業を続けてきたと言える。 60歳をこえて、いろんな人と語りたくなった。それまでにも、一度お誘いをいただき、原稿をかいて「民具学会」に参加したのだが、毎月の会費が払うことができず、やむなく退会したことがある。これはひとえに工房運営の厳しさからだった。 お誘いいただいた方に、申し訳ないなという気持ちがまだ、片隅残っている。近年、ようやく工房運営もおだやかになってきたので、「道具学会」に参加することにして、なるべく時間がある時は、様々な活動に参加するようにしている。 その活動の一つで「家電研究会」に時々、参加していて、家電をとりまく様々なことをお知らせいただいている。新聞に上のような記事があった。やはり、こういう記事にも関心が深まる。 まだまだ工夫できるということですよと、研究会のoさんは話されていた。じつにいい刺激になっている。
2012.07.09
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今日も不安定な天気。朝方、アルバイトにでかける娘を送って行くときは、雨がシトシト降っていた。昼ごろ、実家の両親のサポートに戻る家内を立川に送っていく時は、日差しは明るく、夏っぽい天候。 こんな季節には紫陽花が風景になじむ。団地の花壇に紫陽花が植わっている。紫陽花は挿し木で割合育てやすいと、子どもの頃、教えてもらった気がする。それにしても色は一色ではない。今でこそ、それは土のペーハーで色が変わるのだと、知っているが、最初にそれを不思議に思って調べた人はえらいと、思う。 そうした不思議を考え続けながら人は、いろんなモノを紡いできたのだと、思う。そんなことを考えながら紫陽花を眺める。
2012.07.08
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先日、家電研究会の集まりが新宿であった。その時、少し早めに家をでて、新宿3丁目に向かう。目的は「馬酔木」の看板の様子を見ることだ。画像で何度か見る機会があったが、やはり自分の目で見ないことには、状態は分からない。 いやあ何年ぶりだろうか、18年ぶりかなあ。周囲がどんなだったか、よくは憶えていないが、歌声喫茶「どん底」が今でもあることは、気がついた。 上の画像は店のところ、この手すりも私が作ったものだ。 下は馬酔木の店の入口の路地入りぐち。 で、看板の状態だが、継手のところが、変形していることに気がついた。やはり、20年近くの時間の経過で、変化したものだろうと、思う。 近いうちにマスターにお会いしないといけないね。
2012.07.01
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今日、デジカメの2代目を手配する。1台目はもう10年以上になるかな、パソコンを購入したとき、一緒に買ったもので、ずいぶん使いこんだ。 いろんなところが壊れて、もういかんともしがたく、何とかしないとと、思いつつ先立つものがねえ~ なんでもそうだけど、新しくなると、いろんなところが改良されていて、格段に使いやすくなっている。これから、やっと画像がアップできるかな。それにしても、見事に10年くらいすると、壊れるんだね。
2012.06.16
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今、少しでも時間があると、藤沢周平を読んでいる。読んでいて、その文章から渡辺謙さんが語りかけてくるような気がしながら、読み進んでいる自分に気がつく。 絵でも彫刻でも、映画でもそして、小説でも感じることができるものが、私はいいモノだと考えている。絵なら部屋に飾りたいと思うかどうか、小説なら、もちろん読みたいと思うかどうかだね。 氏の小説で惹かれるのは、そのなかでの人の細やかな語り口だ。それはどれだけ人を観察しているか、人生というものを、どれだけ深く考察しているかだろうと、思う。 表現者は表現したものでしか、価値は問えない。いろんな人がいて、全ての人がいいというわけではないが、少なくとも持てる力を発揮して、それを問うしかない。私は藤沢周平に共感を覚えている。 同じ表現者として、共感をもっていただけるような、モノを作りたいとおもう。
2012.06.07
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昨日、開港祭でにぎわう横浜で高校のクラス会がひらかれた。関東圏に住んでいる人たちが多いのだが、近年は名古屋やそれこそ、田舎の和歌山からの参加される方もいる。 60歳をすぎて、時間のゆとりができたこともあるだろうが、人生の中で夢見るころを共有した人たちと、語り合いたいという思いもあるのかなと、思う。私は大学をでてから食えない研究生活を21年やっていたので、時間的にも経済的にもとても参加するどころではない期間が長かった。やっと最近になって余裕ができたので、参加している。 もともと、そう社交的ではないので、クラス会でも話がはずむほうではないかな。やはり生まれが長崎で幼なじみという人が、まずいないということ。それに高校生の時に、仲間といえる人をつくらなかったということもあると、思う。小さいときから、一人でモノを作ることが、一番好きという性格によるのかもしれない。 でも、そんな殻は捨てて、話してみると、人それぞれ、それぞれの人生を生き、様々な交流をされている。話してみないと、わからないということが、とても多い。親が老境にはいり、看取ることもあり、子供たちが自立し、自分ももう何があっても不思議ではない年齢になった。 たぶん、私が子どもたちの年齢が低いのだと、思う。まだ現役でやらなければいけない期間があることが、かえって励みになるかなと、思っている。
2012.06.03
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私は2010年から道具学会に参加している。60歳をすぎて、若い頃、やっていた研究活動の流れから、自分が経験したことや、見聞きしたことを、文章に表したいと思うようになったものでね。 幸い、道具学会は文章を書く気がある人には、その場を提供してくれる。ありがたいことだ。 特に道具学会への招待というコラムと画像つきの絵はがきを作ってくれる。その絵はがきで「治具の考察ー丸棒を安全に切るには」を書いたところ、学会の山口昌伴会長が、「治具研究会」を作ってみたらと声をかけていただいた。 そもそも治具,英語でjigの意味をもつ日本語はなく、いま辞書にのっている治具は、字を当てたものだという。 広辞苑によれば、工作物を固定して、切削工具を工作物に正しく当て、正確迅速に加工するために用いる道具と定義づけている。 その意味を理解するに、どちらかというと金属加工、それも大量生産する場面でのものと、思われる。 しかし、金属だけなく、木や樹脂加工の世界でも治具は使われている。現状でどんなものが治具として、あるのか、また、分野的にどれほどの広がりがあるのか、研究テーマはやまのようにありそうだ。 もしかしたら、政治の世界にも治具は必要なのかもとも、思う。
2012.05.28
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今、22歳の息子が2歳の時に、たまたま友人に連れていってもらったスタンドバーのママさんから依頼いただき、作ったのがこの「馬酔木」の看板。 もう、あれから20年か~ 依頼いただいたママさんは何年か前に亡くなられていて、ご主人が引き継がれている。私が、酒を飲まないので、一度お店に寄りたいと思いながら、今だに果たしていない。 息子が、ここの通りを通り合わせて画像を送ってくれた。 でも、やはり、今どんな状況なのか、見にいかないといけないと、思っている。外部でそれも無垢の木をつかう看板なので、それこそ気をつかった。
2012.05.20
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契約社員を仕事をしながらの木工運営なので、すっかり時間を使えないのが、この歳になっては厳しいものがあるが、子どもたちが自立するまではなんとか、このままで。 で、できることをしようと、日々考えやっております。今は新しいデザインのスツールと工房の売れ筋の「樹っ子ブロック」の箱を作っている。ブロックを入れるだけなら、ただの箱でいいのだが、箱そのものも自立したデザインで、面白いものをと、考えている。 箱にいろいろ手をいれると、当然コストに反映されるので、高いものになってしまうという懸念があるが、3段階ほどの選択肢を設けて、お客様が選ぶことができるようにしようと、考えている。 新しい箱は近じかアップしますよ。
2012.05.19
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夜、車のライトをつけずに走行している人を、結構見かける。一度、私は横に付いていたので、「ライトついてませんよ」と教えてあげたことがある。 今の車は、外が暗くなると、運転席のメーター類は明るくなるようになっている。そのためか、少々暗くなっても、支障がないのか、ライトをつけずに走っている。 古い車はそんなことはないので、必要があってライトをつける。 いいようで、技術の進歩はどうかなと、思う時がある。夕方のライト点灯は自分のためでもあるが、多くは他人のためにつけるのだということを、わからないと、いけないと思う。 ああ~また、つけてないや!困ったもんだ。
2012.05.17
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夕方の駅前は会社から帰る人や、学生で大勢の人が行き交う。そこに、たいてい若い人が、盛んにティッシュを配っている。彼らの職業は何ていうのかな。 配る人が男の場合は、渡す相手はほとんど女性になっている。コンタクトレンズのショップや旅行会社の案内などのチラシがはいったティッシュで男性でも女性でも構わないのだろうが、まず女性。 それも可愛い女の子。それが配りながらのささやかな楽しみなのかな。 私もチラシを配ったことがあるが、行き交う人にチラシを受け取ってもらうのは、むつかしいし度胸がいるもんだ。
2012.05.16
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朝、娘がアルバイトに行くので、バイト先まで、送っていき、帰宅してから1時間ほど仮眠をする。 そして、夢をみる。今、家内は実家の家の事情でサポートのために、行っている。夢は、家内と待ち合わせして、私は自転車で出かけ、会ったのだが、理由は分からないが、途中で別れてしまい、電話をするために立ち寄ったところの電話の文字盤が木でできていて、番号がすれて分からない状況。携帯で電話すればいいのだが、バッテリー切れでアウトの状態。 さあ~どうする!という時に、目覚ましがなった。かくも長き家内の不在がもたらした夢!なのだろう。
2012.05.12
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常滑クラフト実行委員会より,お礼状が届いていた。それによると、28・29日の2日間で3万2千人の方がご来場されたという。 私は出店者として参加したのだが、はじめての参加だったので、傾向などは分からないので、とりあえず今まで作りためたものと、新作とを持参したが、かねて考えていたものの半分も準備できなかった。 工房一本ではなく、教育資材卸会社の契約社員をしながらの制作であるため、特に年度末は会社の仕事が事のほか忙しく、仕事がはねた後の時間に工房に回る精神的な余裕がもてなかった。まあ~仕方がないことだが。 ご来場のなかに家族連れの皆さんが多く、その対応のアイテムを準備できなかったことが、心残りである。 来年も参加できるようなら、できるだけ準備をしていきたいし、テントもいいのにしたいなあと思う。何しろ15年ほどまえに買った旧式のテントなので、立て込みに時間がかかるから。
2012.05.08
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福島に3日から6日まで行ってきた。街のあちこちにがんばろうとか、負けないでとかいうキャッチコピーが氾濫している。 でも新聞報道を見たりすると、いたるところ除線しなければいけないということが、書かれている。山や川、道路。これで政府は収束宣言していたが、どこが収束したというのか。 たぶん、先が見えないことで、漠たる不安を感じている人は多いのではないか。がんばろう関係のイベントがあればあるほど、どこかよそよそしいものを感じるの私だけだろうか。 放射能がまだ出続けている現状、誰も原子炉の内部がどういう状況か分からない。そんな現状で、先の見通しが立てられるのだろうか。 帰村作業が進んでいるが大丈夫なのかな。本当に心配になる。
2012.05.06
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4月28・29日と愛知県常滑市の旧常滑高校、今の常滑モノづくりセンターで開催されたクラフトフェスタに初参加してきました。 搬入の仕方は、前日の27日と当日のどちらでもいいということだったので、時間に余裕があったほうがいいと思い。27日に会場に行き、準備をした。 このフェアの場合、事前に出店する場所が実行委員会であらかじめ決められていて、そこに店を出す形。先着順にすると、様々な問題が予想され、混乱を避けるためには、この方法でいいのではと、私は思う。店を出す側からすると、場所によっては「ええっ~ここ?」ということもあるかもしれない。 これは実行委員会としては悩ましい問題なのだ。 当初はグランドで開催されていたようだが、ご来場者も増え、参加者も増えということで、グランドに一部店は出るのだが、そのほかにも、教室内や校舎の周りに店がでる形になっている。私は、校舎の周りに店を出した。はずれの方で、人がここにくるんかねえと、思ったが、フェアが始まると、皆さん来てくれた。 フードコートは充実していて、しっかり食べることもできるし、小腹がすいたときも、いろんなものがあって、よかった.野球部も部費稼ぎに飲料水を売って歩いたり、緑の募金があったり、様々な活動が展開されていた。そのほかにも様々なワークショップが開催され、多くの人が楽しめる仕掛けがされていた。 実行委員のみなさん、お疲れ様でした。 また、来年も行こうかなと思う。
2012.04.30
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時々、バターピーが無性に食べたくなる。118円の1袋だと、600kcalぐらいある。だから、時間をおいて、日を改めて、食べればいいか~と、頭では思うのだが、食べ始めると止まらない。そこで、自己嫌悪におちいる。 なんて、意志薄弱なんだと。でも、あのコリコリ感と、塩加減がたまないんだ。子どもの前で食べたひにゃあ、避難の嵐「貴方はカロリーオーバーは駄目でしょ!!!」 そこで、私はうそぶく「加減しようがしまいが、たいして変わらんよ!!」私も分かっている。1日1600kcalでやらないといけないことは、でも私のような力仕事で、このカロリーじゃあもたんぞ、と私の体は言っている。でもまああ~我慢しましょう。昨日は金属造形作家の山田亜衣さんの展示会を、見てきた。今日が最終日。いやあ、行って良かった。とても質のいい作品ばかりで、心あらわれました。東京都中央区銀座4-5-1 教文館4fエインカレムで開催電話 03-5250-5052http://www.kvobunkwan.co.jp/もし、お時間のあるかた、17:00まで、是非おすすめです。
2012.04.22
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3人いる子どものうち、2人が浪人した関係で就活の時期にはいった。私は大学時代に参加していた研究活動を継続するため、会社を設立したために就活はしたことがない。 その意味で、就活の厳しさを経験していない。 していないが、63年生きてきて、過ぎてしまえば思うことは沢山ある。将来への不安を口にする息子に私は伝えた。 先の人生で自分の持つ力を発揮できる人生は、そのターニングポイントでは自分を信じて、正面突破するしかないと。不安は当然あると思う。しかし、そこで向き合わないと、あとで臍を噛むことになると、思う。 いろんな人生の達人をみていると、そこをやりきった人が、雲間に出ていると思うのである。 やりきったと思えない人生を生きてきた自分としては、次の時代を生きる子供に伝えられることはそこだと、思う。 宮大工の故西岡師は60歳過ぎると、鉋研ぎは上手くならないと、言われていた。だから私は上手くはならないだろうが、上手くなろうと、努力はしたいと、思う。 その後ろ姿が息子に伝えられることかな。
2012.04.21
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4月16日付の朝日新聞に知人の瀬戸山さんが記事に出ていて、椅子作りの名人の村上富朗さんが亡くなられたことを、知った。 私が木工を始めた頃、とにかくたくさんの本を読んだ中に椅子に特化して工房を主宰されていた村上さんのことを知った。箱モノも作らない訳ではないが、得意ではないと、率直に語っておられた。椅子の展示会を毎年開催されていて、とても素敵な生き方だなあと、思っていた。 私が椅子を作る上での目標の人でもあった。私はそのレベルにかすりもしないが、この先も高い目標にしたい。 それにしても、62歳でのご逝去はモノ作りとしては夭折といいだろうと、思う。合掌
2012.04.17
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今は文章を書く機会があれば、表現したいと、思っている。先に木槌のことを書いたが、2信目は木工加工で使う治具について書いた。 文章量の制約があるので、いかに要領よくまとめられるかが課題となる。 こうした加工では治具は欠かせないが、海外では本も出ているのだが、日本では工房ごとの秘匿事項になっていて、なかなか公開されることは、ないようだ。 これは車の車輪などを作るとき、丸い棒から切り出すわけだが、大型の電動工具では、切れたとたんにキックバックといって、作業者のほうへその材料が飛んでくることがある。それを防ぐために考えたのが、この治具。 これから、できるだけオリジナルで考えた治具は公開したいと、思っている。でもまあ、オリジナルと思っても、同じことを考えている方はいると、思いますけど。
2012.04.15
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決まった時間に電車に乗る。いつも決まった場所に、決まった人がいる。なかに立ちながら、必ず首を回したり,足踏みをしたり、膝の曲げ伸ばしをしている人がいる。 たぶん、それをしないと、気がすまないのだろうね。それに、その電車はその駅の始発なので、早くくれば必ず座れる。私はいつも一番前に立つ。そうすれば好きなところを選べるからだ。 で、ということは待ち時間がとても長い。だからルーティンなことをしていないと、時間をもてあますのだ。 たぶん、私もルーティンな人って見られているのかな。
2012.04.14
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近くの団地のスーパーが閉店した。私が多摩ニュータウンに住んで20年になるが、これでたしか4店舗目だと思う。久しく山崎パンが新しく展開していたスーパーが営業していたが、そこが撤退してから新規にはいるスーパーは短期間で撤退していく。 今回の場合は2年。やはり、街の作りに問題があるのだと思う。もう地元の団地の人が、そこで買い物をする時代ではない。安さを求めて車で出かけていく状況だから、とてもそれでは対抗できない。よほど戦略を練って、特徴をつくらないと人は来ないと思う。政党が私の党が、がんばってこのスーパーに来てもらいましたという党の宣伝材料になることが、多い。しかし、今度はどうだろう、同じ路線でやっても入るスーパーはないのではないかな。一度作りをを壊して、少し大きめのコンビニに作り替えたほうがいいように思うけどね。
2012.04.09
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私は今年63歳になった。どこが変わってきたか、これは人によって違うだろうが、私はやはり疲れのとれ具合が変わってきたと感じている。 工房の仕事の他に契約社員の仕事で、学校関係の工作機械を移設したり、搬入設置したりするす仕事をしている。重量が200kgから500kgぐらいある機械を社員さんと運び、設置するのだが、重い機械で結構ハードな作業。 以前なら、こういう作業のあとでも、すぐ隣にある工房で制作の作業ができたのだが、いまは体を休めたいと思うようになっている自分がいる。特に年度末は作業量がとててつもなく多い。 だから3月は土日も含めても4日しか工房生活をしていない。これが、その歳になって分かるということなのだろう。 まあ、でもこのメンタルとフィジカルを自分なりに管理しながら、やっていくようですなあ。今、3種類のスツールをのんびり作ってま~す。
2012.04.07
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今、時代小説にはまっている。池波正太郎、藤沢周平、佐伯泰秀、司馬遼太郎。 多くの歴史的な事実を確認しながら、書く作業は大変なものだろうと、推察する。特に今は、佐伯泰秀さんの「居眠り磐音 江戸双紙」を読んでいる。12月に陶芸家の友人とコラボで展示会を計画しているのだが、そこで人の暮らし方をテーマにしているのだが、例えば一人住まいと、考えたとき、「箱膳」はどうかなと思い、かつての暮らしではどんなスタイルだったのかと。 少年が丁稚奉公にはいると、箱膳と半纏などを渡されるという。そして、自分で管理することをしつけられる。 そこで、どういうサイズの器が使われたのか、考えると面白いよね~そのサイズを想定して、箱膳を作ることにしている。
2012.04.05
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昨日、乃木坂にある新国立美術館に「野田裕示展」を鑑賞しに行ってきた。全国紙の朝日新聞文化欄で紹介されていたので、ご存知の人もいるかな。 2日が最終日だったが、ようやく行くことができた。内容は抽象画だが、私には生命力や人の営みが聞こえてくるような内容のような感じを強く受けた。 その感じ方は人それぞれなので、他の人がどう感じるか分からないが。 実は彼は私の高校の後輩で弟の同級生でもある。私が武蔵野美術短期大学の学生のころ、(短期大学は今はないが、私が入った当時は、あって後に武蔵野美術大学短期大学部になったことがあったので、私は武蔵野美術大学としたのだが、ある人のコメントでそれは学歴詐称ではないかというご指摘があり、訂正をした。別に短期大学をでたことを恥じている訳でもないし、学歴を詐称する気もないので、事実を書きました。)その高校に教職実習で行ったとき、出会っている。彼が覚えているかどうか分からないが、私は強く印象深く記憶している。 油絵科のほうに進むと言っていたが、とても繊細なデッサンをしていた。今描かれている絵はその時の持っていた感覚を研ぎ澄まし広げた感のある、素晴らしいものだった。 気品あふれる色使いとミクロとマクロを使い分け、感性に訴えてくるものがある。彼は多摩美大の教授をされている。自分の作品作りにも大いに刺激を受けたし、見にいって良かった。
2012.04.02
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工房生活をはじめて満20年になる。その20年目で初期に作った家具、それも椅子の修理の依頼がでてきはじめた。椅子は人が荷重をかけていろんな動きをするので、ほぞの組み合わせや座面の接ぎきれなどに関係してくる。 ほぞなどはその木の年輪方向で木やせといって、時間の経過と共に、水分が抜け木がやせてくる。それに伴い組みが甘くなってくることで、ゆるゆるになるわけである。 こうした通常使用でトラブルが起きたときは、何年経とうと、私は無料で修理することにしている。それがクラフトマンとしての矜持だと考えているから。 そう考えれれば、電化製品より安いものだと、私は思う。うちのテレビなんて新品で買ってソニーの製品だったけど、9年目にいきなり画面がブツ!となってそれでおしまいの世界。修理を照会したら、買ったほうがいいよと量販店の人に言われた。 ねえ、確かに工房でつくる品物はお高い。ニ○トリのコストには対抗できないが、そこは20年保証なんてやらないだろうから。 だから、私の仕事は納品したら終ではないのだ。
2012.04.01
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今年はクラフトフェアに出たいと思い、新作も用意して4月5月6月と、開催される各地のフェアに応募した。 その結果4月は常滑に参加することができたが、松本、三条は落選をした。真に残念。 抽選とか先着順のところではなく、あえて選考方式のところに応募しての結果なので、真摯に受け止めるしかない。 選考は写真での選考なので、その画像の質が相当問題になる。聞いた話だが、選考に通るように高い金を出して、プロの写真家に依頼して撮影してもらってという人もいるそうな。 確かに実物での選考なら、また違った結果になるのかもしれない。 いろんな世代の方の選考委員を揃えて、幅広い支持のある方が選考に通るというやり方が多いようだ。 いずれにしても、数多く集まった作品を画像だけで選考するというのは、骨が折れるものだと思う。レベル的にそう差がないだろうから、やはりファーストコンタクトがポイントかな。私のは目立とう精神では作っていないので、その点、リスクがあるかも。 まあ、懲りずに応募しつづけましょ!
2012.03.31
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サラリーマンならもう定年を迎えて、その後の人生の自分。59歳になってはじめて契約社員というサラリーマンになり、工房運営と2足の草鞋をはいて、4年目になる。 新しい仕事で、憶えることも多く、ミスをして叱られることも度々ある。とても悠悠自適の気分ではない。まだその気分としては40代だ。 小さい頃からしたいと思っていたモノ作りの世界には身を置いている。が、それだけでは食えてはいない。やはり、モノつくりとしてはこれだけはというヒット商品を作り出したいよね。 多分、そう思いながら、この先も行くんだろうね。目立つことよりも、丁寧な仕事。派手な美しさより、控えめな美、そっと役に立つ。 これから先も、そういうことを考えていく。自分なりも雲を目にすることができるかな。子供たちが自立してくれれば、そこだけに身を置いていたいと思う。 相当回り道をした人生だったようにも思うが、すべては自分の心のうちにあることだ。
2012.03.24
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最近、朝出が早い時間帯で少し、時間の余裕があったので、御茶ノ水駅界隈を歩いてみた。神田小川町で契約社員の勤務をはじめて4年目になるので、行こうと思えばいつでも行けたのだが、なんか気恥しい気分があって、今日になった。 気恥ずかしい気分の大半は2浪しているときに通っていた予備校が御茶ノ水美術学院、通称おちゃび。当時、どばたとおちゃびは美大受験予備校として双璧だった。 これでおちたら、美大受験はあきらめるつもりで、親に頼んで上京し、目黒の学芸大学駅近くの新聞販売店に住み込んで予備校生をはじめた。 真面目に予備校に通わずに、新聞を配達したあと、学校に行くといって、映画をみていたことが多かったように思う。 実質、おちゃびにはどれくらい通ったのだろうか。たぶんたいして行っていないと思う。人のデッサンを見てたいてい、めげていた自分がいた。それに1年という時間をその受験のために費やす気分にどうしてもなれなかったのだと、思う。 40数年ぶりにおちゃびの前に立つ。正面のガラスの大きなウインドに美大に合格した諸君たちの名前が踊っていた。それもまるでその格を示すかのように、芸大は大きく、多摩美や武蔵美はその次の大きさにというように。学校はその成果で営業しているわけだから、そういう表現になるのだろうが、ここでの格ずけはその人の人生にはなんにも関係がない。 そう思わないとやってられないよね。 私はそんな名前がのる対象にもならなかったことに対する、気恥ずかしさがこの歳になってもあって、やっとその青春のしっぽをそっと踏んだように、思う。
2012.03.23
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昨年、道具学会に参加し、つたない文章でも、とにかく表現したいと考え、幸い道具学会で入会をお勧めするひとつの方策として、会員が画像付きの絵はがき作戦を実施している。 そのコラムを利用させていただき、少しでもまとめていきたいと、書くようにしている。以下の文章が第一弾として、書いたのがこれ。 20年目のなじむ木槌 見た目にはぼろぼろの様子の木槌。私は工房を開設した約20年前に、この木槌を自作した。市販されている木槌も手にとって振ってみたが、どことなく頼りない感じがした。たぶん、自分が使う時のバランスの位置が違ったのだと思う。 この木槌を使うのは鉋刃の出し入れの時だけ。もちろん、金属の頭部の玄翁でもできるのだが、それでは鉋の台の頭をいためてしまう。台をいためないで、使いやすい木槌が欲しかったのである。 頭部はカバ、柄はタモ。柄はそれほど固くなく、むしろタモにしては柔らかい質のところを使っている。そのおかげか、手に持ってあたりがソフトだ。頭部は鉋刃や台を叩くため、ある程度の強度がいるので、カバがいい。 こうした作業用の道具はグローバルスタンダードではなく、個人の好みにきわめて密接な方がいいと思う。
2012.03.19
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工房は神田小川町徒歩2分くらいのニコライ堂近くにある、約7坪のコンパクトな工房。以前の相模原にあった工房が22坪あったので、約3分の一のサイズ。 1月8・9日に日本工業大学で開催された道具学会の研究フォーラムで、私の工房の道具立てというテーマで発表したが、その梗概集が編纂されることになり、説明のために工房の平面スケッチを描いた。工房は何層にも色んな什器や道具が詰め込まれているのだが、それを描くと訳が分からなくなるので、シンプルに表現。 このスペースでモノが作れるのかと、思われるかもしれないが、たいていの機械は動くようにしてあるので品物によってスペースを設けている。さすがに以前の工房で作っていたような大型の本棚はできないが、椅子やローテーブルなどは問題なく作ることができる。 今はクラフトの品を作ることが、多いので、すぐ手に届くところにモノがあるのが、便利。ちょうど大海原をいくヨットのようなものかな。
2012.03.18
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4月28・29に開催される常滑クラフトフェスタ2012の審査に通ることができた。審査の仕方はそのフェアごとに違っていると考えられるし、応募される人の数やレベルによっても異なると思う。 だからこそ、面白いと思う。たとえば素晴らしく素敵な椅子があったとしても、万人がその椅子をほしがるとは限らない。それぞれの嗜好が違うからこそ、私たちクリエイターの腕のみせどころがあると、思う。 今年一発目のフェア参加。なるべく準備をして、できるだけ作っていきたいと思う。それと高校生のころの級友に会えるかもしれない。同じ美術系の大学にはいり、とてもいい仕事をされたA君とどんな話ができるか、楽しみである。 わたしのささやかなブログにコメントをくれた皆さん、ありがとう。お返事させていただきますので。常滑クラフトフェスタのホームページはここ。覗いてみてください。http://tokonamecraftfesta.jimdo.com/
2012.03.15
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本日、クラフトフェア松本2012の選考の結果が送られてきた。以前は選考に通った人はスタンプが押してあってすぐ分かるようになっていた。今はどうなんだろうか、封を開けてみると、選考報告が入っていて、「残念ながら不参加となりました」と、あった。 常連さんの高いレベルを超えるのはむつかしいということだろう。全体では1471通の応募があり、その中で木工は230通で、選考されたのは57人。約5倍の競争率ということになる。やはり数あるフェアの中でも、ハイクラスの競争率だね。今の私のレベルでは超せないということが、分かった。来年もチャレンジするぞ。
2012.03.12
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昨年は東日本大震災があり、家内の実家が福島市ということもあって、クラフトフェアには全く参加する意欲がわかず、どこにも出なかった。 まだ、1年がたったという気はしないのだが、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。少なくとも生きている人間が先へと思い、今年はフェアにはできるだけ出たいと思っている。 この画像が、最近作ったもの。この画像で4月・5月・6月のフェアに申し込みをした。いずれも審査があるものにした。 それで選ばれないなら、また努力するほかないと、思っている。どちらにしても満足しないで、努力、努力ですわ。
2012.03.10
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会社に行くのに、いつもは乗り換えなしの電車で行くのだが、水曜日は現場に早く行く用事があり、1本早く出て、笹塚駅で乗り換えることにした。 乗っているうちに寝込んでしまい、気がついたときには、笹塚駅についていた。あわてて降りて、手に傘を持っていないことに、気がついた。 そう、この日は雨が降っていたんだよね。目の前の手すりにかけていたのだが、頭が降りることに行ってしまい、傘が目に入らなかった。降りてから少し、まだその電車は停車していたから、すぐ気が付けば取り出せたのに。 「\(◎o◎)/!」と思ったときには、電車が目の前をす~っと走り去った。「ああああ・・・・」 傘が見えているのに、通り過ぎていく。切ないものだ。人と人の出会いと別れ、特に男女のそれと、なんとなく似ているなあ~と。
2012.02.25
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「群馬の森クラフトフェア」の抽選にもれ、4月のフェア参加予定の空きができたので、つう工房さんが運営されているフェアの情報サイトから「常滑クラフトフェスタ2012」に応募した。 応募した理由は、先着順ではないということ、抽選ではないこと。実行委員による審査にて参加者を決めるという点に、強く惹かれたからだ。 先にも書いたが、審査にはある苦痛を伴う。自分の価値観が問われるし、出した結果に対して、当然クレームも想像される。本当に、予想もしないようなことを、いう人がいるのだ。 そうした様々なステップを超えてこそ、はじめて質の高いフェアが実現できるのだと、思う。 その覚悟と志しにおおいに拍手をおくりたい。 さてさて、どうなりますかね。
2012.02.18
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今年のクラフトフェアの参加しはじめに、「群馬の森」を申し込んでいたが、残念ながら応募者多数により、抽選にはずれましたという、知らせ。 本当に残念だなあ。まあ参加できる人と、できない人がいる訳だから、仕方がないね。私もクラフトフェアの実行委員をやったことがあるので、一言。もちろん群馬の森のクラフトフェアのことに、異を唱えているわけではないし、非難しているわけでもないことを、申し上げてから、一言。 やはり、フェアの質を問題にするなら、選考委員を設けて、選考すべきだと思う。抽選というのは、ある意味では責任放棄だと思う。選考するということは、その人たちの価値観で行う訳だから、どんなやり方をしても、批判の対象になる。 それはもう覚悟してかかるしかないと思う。そうした経過を経てクラフトの質的展開が期待できるのだろう。 さて、違うフェアに応募しようかな。
2012.02.17
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以前、楽天のブログをやっていたとき、ブログを見て、新宿3丁目にある「馬酔木」の看板、まだ元気ですよ~と、メールをくれた方がおられて、確か、画像を送っていただいたと、思い探していたが、やっと見つかったのが、この画像。 工房を開いたばかりで、素人に毛の生えた程度の私に、看板の仕事を依頼してくれたママさん。外おきの木で、腐食をどう抑えるか、反りや狂いをどうするか、その思案で1年が過ぎてしまった。「そろそろ、どう?」と声をかけてくれた。 自分としては、そのとき出来ることを最大限、だして制作をした。 今でも、現役で使われていることに、感謝したい。
2012.02.13
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先週の土曜日、8チャンの「虹色ジニー」の番組で、ぐっさんと富士真奈美さんが、お気に入りのところに出かけるというシーンで、新宿3丁目へ。 「どん底」という歌声喫茶に訪れたところで、お2人の後ろに、スタンドバー「馬酔木」の看板が見えていた。 もう20年近く前に、たまたまあるきっかけで、依頼を受けて初めて作った看板が「馬酔木」だった。きっぷのいいママさんが1年も期間をくれて、作らせていただいたもの。 ママさんは残念ながら何年か前に亡くなられて、現在はご主人が店を引き継いでおられるとか。 今でも看板はちゃんとしているだろうかと、気になっていたが、ぐっさんの後ろに、しっかり見えたので、安心した。 今年は店に行けるかな。
2012.02.11
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