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現在、お客様よりご依頼いただいて、ドールハウスを2棟製作中である。本体はほぼできあがり、屋根に瓦を葺いているところ。 このスタイルのデザインはお客様より、こんな感じでと、いただいて設計し形を作ったもの。イメージとしては南フランスの海岸近くにある民家の感じかな。 家のタテバメは杉を、屋根の瓦はアメリカのダグラスファーを使い、いずれも厚み2mmに割いて使用している。 瓦をすべて葺き終え、棟をつけて、表にアクリル板をいれれば、完成。後は、お客様が自分でこさえたクレイアートの家具や照明器具が入ることになる。そのミニチュアワールドが待ち遠しい。
2011.06.27
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時間が少し、あくと本を読んでいる。今は小松左京作、「復活の日」を改めて読んでいる。猛毒性をもつMM菌のために死滅した地球が復活するプロセスを描いたものだが、現実の日本でそれも福島でおきた原発事故につながるものを、感じる。 現場の作業員は想像を絶する辛苦だと、思うが爆発するのではないかといういいしれぬ不安感を、ぬぐいさることはできない。 私の家内は福島市内に実家がある。子供たちが自立するだろう5年後ぐらいには、福島にささやかな工房を建てて、のんびりと木工三昧の日々を過ごすことを、夢にしている。 現状から、収束まで10年はかかるだろうといわれているが、それぐらいで収まるのかどうか。もっと施設に近いところの方々は本当に先がみえないことだろう。 電気は必要なものだが、必要だからと際限なく発電所をつくるのではなく、生活の質を考えながらシステム構築していく必要があるとおもう。 わたしは、どんなことがあっても健康でいられたら、福島での木工三昧は実現させたいと思っている。
2011.06.22
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今、いくつかの仕事を平行して作業している。この画像は、ドールハウス。もう何年になるだろうか、5~6年前に知り合いの方から、紹介を受け、クレイアートの作家さんからの依頼でドールハウスを年に何個か注文を受け、作っている。 このデザインは、先にモデルがあって、真似をしたわけではなく、こんな形のものがほしいというオーダーを受けて、私がオリジナルでデザインしたもの。 以前、古民家などの研究などをする研究所にいたことで家の構造が分かっているので、そうした構成を活かしたものにした。だから瓦も1枚1枚本物の家のように葺いている。 そうたくさんのオーダーがあるわけではないが、お客様と、交流しながら、信頼関係を築いてきた。大事にしないといけませんね。
2011.06.21
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たぶん、作る技術はそれこそ、小僧の手習いではないが、小さいころから始めたほうがいいと思う。 かの宮大工西岡常一さんは、鉋の研ぎは「60まででんなあ~、それ過ぎると、いくらやってもうまく研げまへんで~」と言っている。私はもうその年は過ぎている。 40を過ぎてから始めた木工生活なので、とても名人の域には達しない。 おそらく、それなりだろう。でも、それでいいと思っているわけではなく、常に仕事をする時は、自分にプレッシャーをかけて、少しでも難しいことが、できるようにと心がけている。 それと、同時に技術の守備範囲が広がることで、できる形がある。お互い補完関係にあるといってよい。 つい、最近までは他の木工作家さんのデザインや仕事ぶりに関心があったが、それは上手い人もいれば、そうでない人も。人それぞれ、たぶん、そこで考えないといけないのは、私と作品や品物をとおして、つながってくださる人だろうと、思う。 そこからおのずと、形が出てくる。それでそれを受け入れてくださるかどうかで、その品物の価値が決まるのだろう。 まあ、どちらにしてもIT長者のようになることはないことだけは、確かだからひとつひとつの仕事を自分なりに丁寧にこなしていくほかないと思う。
2011.06.19
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通勤の行き帰りに本を読んでいる。司馬遼太郎氏の「人切り以蔵」他の短編が収められている本を読むと、日本が江戸時代から明治に時代が変わる頃が描かれている。 佐幕派と尊王攘夷派に分かれて、時代が動いていた。 そこにあるのは、反対意見のものを、刀にモノをいわせて殺戮していた。今、イラクやアフガンなどで、タリバーンなどの反政府勢力とのあいだでテロが横行していて、多くの生命が奪われている。 それについていろんな批判があるが、実は日本もそういう時代があったのだ。人は、すべてが理屈でわかりあったり、話し合いで理解しあうことが、できない。それだけ価値観が多様だということだろう。 生き方にしても、どの生き方を選択するかということが、大事で、金がすべてではないと思う。 人を批判するのは誰でもできる。しかし、その対案を示して批判するのは難しい。幕末では武器の力、人の力、システムの力が尊王攘夷派のほうが上回ったということだと思う。 でも、もし時代の力のバランスが違っていたら、今、日本国はどうなっていたのだろうか。
2011.06.18
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これは、2009年、友人たち3人と浦和で共同展示会にあわせて作った、わたしにとっては、はじめてのオブジェ。 撮影がうまくないので、少しみづらいが、左はハーモニカハウス・真ん中はピエロハウス、そして、右はどんぐりハウス。いづれもデスクの上に飾るだけで、何の機能性もない。 私にとっては、相当な冒険だった。オブジェがクラフトフェアで支持されていることを、ふまえて作ったもの。ハーモニカハウスは屋根が開き、内部は芝生がしきつめられた大きなワンルームという設定。ピエロハウスは背中からビー球が入り、コロコロと音を立てて落ちていく。どんぐりハウスは形は大きなどんぐりでちゃんと丸い扉が開くようになっている。中は自分だけの図書館でゆっくり本が読めるという構成になっている。 この展示会で、ある一人の方が、この時、作ったハウスシリーズの大半を買ってくださった。この後、このシリーズを作る時間がなく、作っていないが、今後の方向を考える時、このシリーズは考えていきたいと思う。 何しろ、作るのは時間がかかるが、とにかく楽しい♪
2011.06.16
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私が和歌山で高校生の頃、英語を教えてくれた先生が、卒業記念の文集にあるある文をよせてくれた。 先生が20代のころ、日本が戦争に負けた直後の学校には、いろんなことがあり、日本が戦争に負けたことに憤慨したり、落胆したりして教え子が汽車に身を投げて自殺したりした。 その時、先生は授業で、「君たち、死んじゃいかん!!」と、大声で叫んだという。私たちの授業でもその話はしてくれたが、詳細は記憶していないが、そのときだけの感情で動くな、時がたてば、変わることもある。死んでしまえば何も始まらない。というようなことだったと思う。 福島の酪農家の方が、前途を悲観して自死された。放射能の沈静化の先も見えず、育てている牛の搾乳をして、それを捨てる毎日、本当のたまらないと思う。でも、死んではいけないよ!悲しすぎる。あてにならない国、あてにならない東電。でも、死んではいけない。
2011.06.14
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今後は新しいアイテムができるまでは、クラフトフェアに参加しないつもり。で、どういう方向でいこうか思索する日々。 たとえば、靴、足に履くものという機能は変わりがなくともデザインは、それこそ山ほどある。ひとつのデザインがすべての人にいきわたることはない。私はペンたてをアイテムとして、作っている。ペンをたてるという機能だけなら、ペンが入る穴が開いていればいい。しかし、そこに意匠がいると思う。シンプルなのか、もっと違う形がいいのか、どちらにしても、そこに提案がなければいけないと、思う。 人がほしいと、思って手にする時、そこには単なる機能だけではないものがある。心に何か響くものがあって、手元に置きたいと思うのだろうな。 それは料理を作るのに、似ている。同じ材料を使ってもできるものは、違ってくる。いい香り、見た目の素敵さ、そして美味しい。そんな品物を作りたいと思う。また、髪が薄くなるなあ~
2011.06.13
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3.11の大震災での、被災された方々を含めた日本人の有りようを、「武士道」にたとえて評論した海外の反応をみて、「武士道」という本を読んでみた。 明治32年に英訳でアメリカで出版されたものを、昭和13年矢内原忠雄が日本語訳したものを読んだ。 まだ一読だけなので、もっと読み込まないと内容の把握はしっかりとはできいていないが、少なくとも海外の反応のベースのひとつになっているのだと思う。 アメリカや欧州は宗教が背景になっている。とりわけキリスト教がその大きな影響力をしめしている。ひるがえって日本はどうかというと、孔子・老子の教えや神道の考え方、仏教の教えなどが渾然一体となって、封建社会のなかで「武士道」に結実し、それが広く日本人の精神的な骨格となったと、説いている。 面白かったのは、欧米は夫婦のあいだでも、信頼関係を築くためにやたらスキンシップをほしがるが、日本人は心の奥底で精神的につながっているので、そんなはしたないことはしないという表現。 明治のころはそうだったかもしれないが、今はどうかな。しかし、地域に神社があり、折に触れてお参りする日本の国、人が亡くなると、お寺でお見送りするひとたち。そこには、確かに「武士道」で新渡戸がかかげた日本人がいると、思う。
2011.06.10
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もうクラフトフェアに出はじめて、15年近くになる。そのなかでいろいろな経験もし、現状のフェアの様子も知っているが、今年はどこにも応募していない。 理由は、売れないモノだけをもっていくのはいやだなあと思うから。 どこのクラフトフェアに行っても、売れているのはオブジェ系が多い。例えば犬や猫、小鳥など、それからハウスの小さなモノ、どんぐりの実の木彫りなども受けている。 自分はどこへ向かおうとするのか、ということだろうと思う。オブジェはそのデザインの良さと、完成度が問われる。同じペットでも受け方は違う。それは車でもしかりである。 世の中に豊富にモノがあふれている時代、人は何を求めてフェアにくるのだろうか、生活の中で使うもの、それは安全性はもちろんのこと、機能性、美しさ、アイデアの素晴らしさ、まあ~考えることは多いわね。 自分は箱が大好きなので、このさきもそれにこだわっていこうかなと思う。思わず何かを入れたくなる箱、今年はどうかな無理?かな。
2011.06.04
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実際のところは、わかるわけもないが、小沢さんの覚悟のなさだけが、きわだった内閣不信任だったように思う。まあ、そのことは皆さんが山ほどああでもない、こうでもないと、お書きになるだろうから、私はゴミを吸うということを書きたいと思う。 私は工房のほかに、というか、今はこの仕事のほうがメインになっているが、機械の設置や修理を仕事にしている。そのなかで木工機械のゴミを吸うために大きな集塵機を扱う。 ユーザーの皆さんはホースを細くしたほうが、集塵能力が上がると思っておられる方もいる。 でも、実は逆でホースは太いほうが能力は高い。もちろん吸うゴミの大きさによるが、気管支炎でのどが腫れると、息をするのが苦しくなる。 それは気道が狭くなるからだ。それと同じでホースが太いほうが吸いはいい。 実はわたしは扁桃腺を手術除去していて、風邪をひいてのどにくると、つらいものがある。
2011.06.02
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