全9件 (9件中 1-9件目)
1
歳が同じで、同じ九州出身で気になる存在の武田君。彼が書いた本は何冊か持っていて、歳を重ねるなかで、同じように読んできた。 坂本竜馬が大好きで、高知の坂本竜馬の出身地に行ったとき、竜馬のことを忘れがちになっている地元の人の言葉「もう100年も前のひとだから・・・」 彼は言う。「たった100年しか経っていないのに!!」いいフレーズだよね。そんな感性が、好ましいと思う。 歳を重ねるということは、また老いるということだ。入院したということもでてくるだろう. 好漢のこれからの生き方とともに、私も素敵に歳をとりたい。
2011.10.28
コメント(0)
今、「田宮模型の仕事」を読んでいるところ。たくさん教えられるところが、多い。本を読み終えたら、また、読後感を書きたいと、思っているが、ここでは、田宮さんが、模型作りが好きになったのは、学校でグライダーを作ったことだという、文章をみて、自分がモノ作りの楽しさに目覚めたのが、いつごろか考えてみた。 小学校は4回転校したが、4回目の学校では、低学年ではグライダー、高学年になるとゴムでプロペラを回して飛ぶ飛行機を作らせていた。できあがった飛行機やグライダーをみんなで校庭で飛ばして競う。 運動が不得意でも、飛行機つくりがうまいと、それはそれで、みんなから認めてもらえる。人はいろんな形で、認めてもらえることを、感じるという意味で、いいことだったと、今思えば、そう感じる。 自分がどれくらいのレベルだったか、遠い昔のことなので、忘れたが、その面白さを、これで感じたと思う。これをきっかけに、何機も、買ってもらって飛行機をつくり、稲刈りをおえた田んぼで、飛行機を飛ばして、遊んでいた、 それからかな、家の納谷で船を作ったり、竹とんぼを作ったりする子ども時代だった。
2011.10.21
コメント(0)
来年になったら、クラフトフェアやら、展示会やら、参加したり、企画したりするため、いろいろ、考えている。 そして、目の前の霧がはれるように、やるべきことが、見えてきた。この歳まで、いろんな経験を重ねてきた。浪人していたとき、親に負担をかけたくなくて、2浪の時は、住み込みで新聞配達もした。その時、同じ配達仲間の先輩が、劇団に属していて「君があと10cm背が高ければ、俳優になれるのに」と、言われたことがある。わたしのどこをみて、そんなことを言われたのか、わからない。滑舌が悪い私が、そんなことが、できるはずもないと、思っていた。 でも、映画は大好きで、2浪の時はおそらく、映画を200本以上は見ていると思う。何しろ映画館のはしごをしていたから。 それは、受験勉強の困難さを忘れるためや、浪人という不安定な立場を忘れるためだったと、今にして思う。 大学にはいったら、はいったで1年の夏から、大学紛争に巻き込まれ、ほとんど、授業がない日々が続く。まあ~いろんなことが、あったね。 でも、それはいろんな経験をしたから、見えることだろうと、思う。その見えたものを、これから形にしていかねば!!
2011.10.18
コメント(0)

ささやかに書いているブログがもうすぐ、5000番になる。まあ~あまりそんなことにこだわりはないのだが、復活してから5000なので、5000番をタッチしていただいた方は、私あてメールでお名前、住所をお知らせいただければ、この画像のペントレーをプレゼントします。 モノ作りの活動で、人が一人で生活していくとき、必要な道具は何だろうかと、考えている。人の欲望には際限がないし、好みも人それぞれだ、だから、必要なモノといっても、それは私が考えるスタイルになると、思う。 そのスタイルを陶芸家の方とのコラボで、来年、やってみたいと、考えている。クラフトフェアは来年は群馬の森からかな。今から作り始めないとね。
2011.10.16
コメント(2)

いつも、多摩センターから京王相模原線で朝6時44分の始発の電車で神田まで、行っている。自分が座りたい位置に座るために、早くからホームに立っていると、四季の移ろいが見える。 空は天高く、正面に見えるニュータウン通りの銀杏は黄色く色づき始めた。むっとするような暑さがあった風も少し、ひんやりとしてきた。 新聞をみると、福島の苦境が気にかかる。心置きなく、風景を楽しむには、一体どれほどの時間がかかるのだろうか?
2011.10.15
コメント(0)
10月9日・10日はご当地多摩市で多摩くらふとフェアが開催されている。昨年は雨にふられて参加者やスタッフのみなさんはご苦労されたと、お聞きした。私も八ヶ岳に参加していて、雨にたたられ、いつもの人出ではなかった。 こういう時、自分は晴れ男だとか、私は雨女とかいう話が飛び交う。 まあ、これは血液型が何ということと同じで、なんの根拠もない話だ。言ってみれば、話の潤滑油みたいなものか。 はなからそんなことは、意味がないというのも、しらけた話になるのか。私は、まったくこういうことには、鈍感なのだが。
2011.10.10
コメント(2)
つれあいは、今福島に行っている。福島の両親が高齢になってきて、その世話に帰っている。それに、この震災。心配事はつきない。月の何日かは帰る日々が、これからも増えてくるだろう。 最近は今夜は何を作ろうか考える日々が、続く。こどもたちは自分のやりたいことに、向かっている。 自分たちも老いていく。順番に。そのとき、できることはしておきたいと、思う。悔いを残さないためにも。 友人と久しぶりに会って、人がなんと言おうと、信じた道を行くしかないよね、というのが共通のワードだった。先のことは、誰にもわからない。だから、突然道が断ち切られるかもしれないときに、精一杯やったよね、と思える生き方を、これからもしていきたい。 「大塚博堂」を聴きながら、そう、思う。
2011.10.04
コメント(0)
友人からのお誘いで、目黒の美術館に出かけてきた。久しぶりの電車での外出。風景を見ながら、居眠りしながらの小さな旅もいいものだ。 館内でいろいろな話をしているなかで、震災の話になった。 聞けば、松戸に住んでいた娘さんがお子さまを連れて、石垣島に疎開しているという。私の家内のいとこは福島から、山形に子どもさんを疎開させている。 放射能がやっかいなのは、目にみえないことだ。だから、政府がどう言おうが、御用学者がどう言おうが今までのこともあるから、信頼できない。 従って、大いにストレスが貯まる。そこはやはり、我慢するより、疎開して子どもの将来を考えるというのは、当然だよね。
2011.10.02
コメント(0)
本日、歯科診療の後、近くにあるブックオフに立ち寄る。CDコーナーに向かい、「大塚博堂」を今日も、探す。私は探し当てられなかったが、娘が探し出してくれた。 「おおっ!!」 もう、5年ほど前になるだろうか、私の家具を置いてくれていたショップ2軒が、不調になり、相次いで閉店してしまい、都の非常勤講師も都の方針でリストラされ、工房運営が厳しくなる。ホームセンターのパートに出たが、大学生とさほど変わらない給料では、家族5人養うのは厳しく、時として、その日の生活費にも困る日があった。 そういうとき、CDをコレクションしていた息子が、それを手放して生活費を工面してくれた。そんな時、わたしも「大塚博堂」を手放してしまった。 経済状況が、改善されれば、また買えると、思っていたが、この4年ほど、探して再会できないでいた。 たいした金額で売れないことが、わかったとき、やめれば良かったと、ずいぶん後悔をした。「カーペンターズ」も手放してしまったのだが、それは家内が私の誕生日に、買ってくれた。 今日、「大塚博堂」と再会したことで、失われた日々が、戻ってきたような、そんな気がする。
2011.10.01
コメント(0)
全9件 (9件中 1-9件目)
1


