全10件 (10件中 1-10件目)
1
ありもしないことの表現に風が使われて、しごく迷惑な話だね。インターネットとかツイッターとかかつてに比べればはるかに情報が手にしやすい状況と思えるが、実はそうでもないらしい。私が山奥の小学校から街場の中学校に転校したとき、いきなり「幸福の手紙」とやらに出くわした。受けとったら5人に葉書をださないと自分が不幸になるというものであったが、私は元来そんなものは信じないたちだったので、葉書は出しはしなかった。 誰が始めたか知らないが、今で言うチェーンメールだと思う。遊びだと思ってしまえば、そんなものだろうと思うが、それをまともに考えた人には迷惑なことだ。 しかし、例えば原発事故を受けての風評で言えば、きちんとした情報を、一括してそれも的確な速さと内容の信頼性を発信するという前提が危ういということだろう。 地震がくるかどうかは、そのときになってみないと本当のところは分からないが、原発は人が作ったものだ。それは作るときにどういうイメージをするか分からないでどうすると、同じ作り手として思う。
2011.04.30
コメント(0)

今、オーダーいただいているのは、このローテーブルとアームチェアーのセット。これを作り終えると今のところオーダーはありません。今回はお客様から私の好きなようにしてと言われていて、納得するまで時間をかけているところ。 もちろんオリジナルデザイン。木の持つ生命力、強さ、たおやかさ等を活かした形にしたつもり。画像はまだ生地の段階でこれから調整して塗装して完成になる。
2011.04.29
コメント(0)
リメークのほうではなく、オリジナルの小松左京原作「日本沈没」の映画では、日本という国がすさまじい地殻変動のせいで沈没してしまうという状況のなかで政府がとるべき道をみせている。 映画では今はなき丹波哲郎さんが、多くのことを思慮しながら的確な判断をしていく首相を演じていた。もちろん一人で判断していくことが多いのだが、その周りのチームも素晴らしい能力を発揮するという設定になっていた。 今現実に東日本大震災がおきて政府の対応、東京電力の対応、現場で必死にやっておられるのでしょうが、何か情報を小出しにしている感があって、本当にそうなのと思ってしまう。 菅さんがいいとは思えないが、当事者として対応している人を、まだ一段落していない時に引き摺り下ろそうとする動きもどうかと思う。その意味では政治家全員が持つべきことは当事者意識のような気がする。
2011.04.28
コメント(0)

もう1年も前からオーダーいただいている机と椅子のセットを製作中。自分が納得するまで時間をかけていいと言っていただいたので、自分ができるところをしっかり出せるように作っているところ。やっとローテーブルが完成まじか。脚はタモ、甲板はビャクシンという香木を使っている。鉋をかける度にいい香りが鼻をくすぐる。
2011.04.24
コメント(0)
毎年桜の季節になるとこんなに桜が多かったのかと思い、うす桃色の花びらを見ながら通り見る風景になんとなく心穏やかにまた華やぐ春を感じてきた。 それが今年はあの3月11日以來余震が多いこともあるのか、いつのまにか桜が散ってしまっていると、感じた。 今日の政府の発表で、私の知り合いの木工作家さんのAさんが計画避難しなければいけないということを知った。ある展示会で知り合い、工房が同じ相模原市内だっこともあり、何度かお邪魔させていただいたこともある。 元来手先の器用な方で私同様、結構年がいってから訓練校に行かれてから工房を主宰されたのだが、私なんかよりはるかに素晴らしいものを製作されていた。 いつか年賀状で福島の葛尾村に工房と自宅を新築し移転された由を、知った。しっかりと木工作家として、活躍されている姿を自分の励みともし、がんばらねがという気にさせていただいていたのだが。 このたびの震災で原発事故が発生し、そのとばっちりを受けてしまわれた。 何といっていいのか言葉が浮かばない。
2011.04.22
コメント(0)
たとえ1000年に一度の地震といっても、この震災にめぐり合わせたからには、復興するときに次に備えることを考えるしかない。想像もつかない、それこそ映画の一場面のような光景であったが、現実の光景。 住まいは高台に仕事先はその職場に近いところというのが、まず考えられることだが、そばに高台がないところもあると思う。 土木工学を駆使するしかないと思うが、津波をやりすごす大きなドームかとても強靭な支柱の上に構築された空中都市でしか生き延びる方法はないのかもしれない。
2011.04.15
コメント(0)
福島原発の事故について、政府関係者や東京電力の人たちがいろんなことを言っているが、実際に原子炉内部を見た人は誰もいないんだよね。ということは、いろんなことを言ってはいても、こうだろうと言っているに過ぎないわけだ。 本当に原子炉が壊れて爆発することはないのだろうか。それが一番気になる。こんな事態はあってはならないから、考えていなかった。そんな馬鹿な。よそで作った椅子の修理を頼まれることがるが、壊れる理由は使い方にあるのではなく、貧困なその設計にあることが多い。原子炉のとその周辺の設計に問題がなかったのだろうか。
2011.04.13
コメント(0)
3月11日を境にいろんなことが変わった方々いる。私の場合は、友人2人と開催していた木工展が中止になりました。ひとりの友人は福島の南会津にいて、震災で避難された方々のために炊き出しに追われ、とても品物を製作をするという状況にない。 また、ある友人はこの震災で住宅の新築や着工が遅れ、受注できるはずのもが、できないことで、とてものんびりとクラフト品を作っているような状況ではないという。 私は4月に参加を申し込んでいたクラフトフェアをキャンセルしました。理由は計画停電や節電でオーダー品でさえ遅れがちのところで、とてもクラフト品を作っている余裕が今のところもてないでいる。 震災にあわれた地域にもクラフトマンがいただろうと思う。その人たちは生命さえおぼつかない状況におられるかもしれない。まして製作などということだろう。 それを思えば、環境を自分で整え、しっかりモノ作りをしていくことが、私のなすべきことだと思っている。今年は今のところ、どこのクラフトフェアにも申し込めていないが、その準備だけは進めたいと思う。
2011.04.11
コメント(0)
トイレットペーパーの買占めが起きたオイルショックのころ、私は仲間と食えない研究所を立ち上げたばかりの頃で運送店でアルバイトをしていた。来る日も来る日もトイレットペーパーのはいったダンボール箱を運んだ記憶がある。 倉庫には山のようにあったが、すぐになくなる。今ではなぜそうなったのか原因はわかっているようだが、その経験は時代が過ぎると共有できなくなり、今回のような大震災が起きると、いつか自分たちにも必要なものが手に入らなくなるのではないかという恐怖心が起きたとしても不思議ではない。 先行きがみえない状況ではなおさらだ。私はいまだに乾電池が買えないでいる。
2011.04.10
コメント(2)
私の工房は都営新宿線の小川町から徒歩2分ほどのところにある。3月11日の東日本大震災の後から、地下鉄の駅の階段やコンコースのあちこちから水漏れしはじめていた。やっと最近水漏れが少なくなったが、やはりまだ出ていて、今日行ってみると、靖国通りと本郷通りの交わる小川町交差点で、大々的に水漏れ修復の工事がされていた。 私が講師をしている訓練校の教室もひびが入っていたり、近くのスーパーも震災の痕跡が見える。 私も、何か揺れに敏感になっていて、少しの揺れでも感じてしまっている。なんとなく落ち着かない。でも東北地方の方々のストレスからみれば、微々たるもの。皆さんの身におきた事を考えると、切ないものがある。
2011.04.09
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1


