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今週末は出張。前泊が認められたので、早めに現地入りしてちょっとだけ電車でひとり旅。同趣味の同僚とメールのやりとりをときどきしたりしつつ、気分的にリフレッシュ。知識としては知っていても、やはり現地に行ってみることで交わされる言葉のイントネーション、日頃は見ない景色などは行ってみないとわからないものだ。現地のおいしい食事をひとりで食べて(寂しいねえ)、明るいうちに宿泊場所へ。大浴場を利用すると、まだ時間が早く誰もいないのでこれまたゆったり。明日からの仕事に向けて早めに寝ることにしよう。電車でひとり旅についてはそのうちフリーページにでもアップしようかと思う。
Jul 31, 2009
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昨日のニュースでも、今朝のワイドショーでも数多く取り上げられていたが、成人とされる年齢を20歳から18歳に引き下げても良いだろうという話になった。これに関しては賛否両論合って、なかなか全体として合意に至ることは難しいかもしれないだろう。よく、今どきの18歳は見ていて大人だと言えるのか?という話が出てくる。この年代を相手に仕事をしている個人としての感覚からすると、1年生などは確かにここ数年でどんどん幼くなっているような気がする。最近思うのは、本来ならばマナーとしてダメだからやらないような問題であっても、本当にルールだと言われなければ平気でやってしまう人が多い。教室でもそういった注意をすれば「だって、そんなこと言ってなかったやん」(タメグチかい...)という人が増えていることも確かだ。ただ、20歳になったから18歳と違って大人か?と言えば、それも違うような気がする。20歳を超えたところでいい感じに変わる人も少なくないと思うのだが、依然として本当に子供っぽいままの人もいる。そこにはかなりの個人差があって、全体として実質どうなのかということを問うのはとても難しいことだと思う。世界の趨勢は成人は18歳ということで確かに妥当な線であるようには思うし、18歳に変更することで責任感を持たせる方向につなげることは可能だろう。逆に18歳でローンなどを自分で契約できるという点や。18歳で選挙への投票ができるようになったとしても、判断ができないだろうという点などが懸念されている。さて、どうすればいいのかという話だが、言えることは今のままで「とりあえず」やるということだけは避けなければならないと言うことだろう。やはり、ローンを借りることの意味やどうなるのかという知識を身につけることは必要だと思うし、選挙でちゃんと投票するべきだというなら政治に対する考え方を理解させるように持っていかなければならない。懸念材料に対して手当がなされることが決まってからでも遅くはないのではないかと思う。他に18歳で問題になるのはタバコや酒の扱いだろう。18歳でOKと言ったら、高校在学中にOKになっていくということになるわけで、このあたりが今後問題になりそうだろう。どのように法律を変えていくのか、興味深いところだ。
Jul 30, 2009
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昨日は留学に行かれる同僚の壮行会、よく食べてよく飲んだが、飲む方はやはり抑え気味で、ペースもゆっくり。どうやらこの方が自分には合うようになったようだ。そこでワインをいただいたのだが、ある先生が「胃腸が正直なのでワインは次の日お腹がしんどい」とおっしゃっていた。私の今日がまさにそんな感じだった。朝起きたら、疲れがたまっているのかだるい感じ。妻はお出かけ、子供たちは幼稚園主催のイベントのため、結局起きたときには誰もいなかった。午前中はひたすら採点地獄。昼食のために少し近所をブラブラして、帰宅後はまた採点地獄。ときどきしんどくなったらラジオを聴きながらゴロゴロする。夕方、子供たちを迎えに行き、近所で外食。その後は家のことをひたすらやって、子供たちを寝かしてからこまごまとした仕事と明後日からの出張のための準備。お出かけから帰ってきた3人は「楽しかった」と感想を語り合っていた。それはいいことだが、私はグダグダだったような。お出かけしたかったが...。
Jul 29, 2009
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最近いろいろな方面できかれる話だが、会社側からは「専門学力だけでなく、コミュニケーション能力など社会人に必要とされる力も教えるべき」という意見がある。一方、大学はキャリア教育ということでそういった科目を充実させようという方向になっており、会社に対してそのための講師派遣やインターンシップの受入拡大などを求めている。従来、大学と会社との間には大きな断絶があって、私が大学生の頃には「大学は専門のことなんて真面目に教えなくてもいい、クラブとかを一生懸命やって礼儀のちゃんとした、チームワークをわかっている学生さえ送ってくれればそれでいいんですよ、社会人としての教育は私たちでやるんですからと言われた」と当時の先生がおっしゃっていたものだ。 それを思い出すと、現在の状況というのは隔世の感がある。まず、専門についてもそこそこわかっておいて欲しいし、もし知識が足りなければ内定から卒業までの間に勉強させようという考え方がある。さらに、コミュニケーション能力も大学が教えるべきと言うようにもなった。しかし、本当にそんなことはできるのか?そもそもそうすることがいいのか?という点については考えなければならないように思う。今はそれが既定路線になりつつあり、やらないことは出遅れることを意味するということにそのうちなるのかもしれない。ところが、まずそもそもコミュニケーション能力を大学の先生が教えられるものなのかということが問題である。一口にコミュニケーションといっても、ここで想定されているのは「社会人として大人と仕事の場面で話ができる」というものだろう。これはやはり緊張感のある場面(例えば学生時代でできることなら、厳しいバイト先だったり、サークルで外部との交渉を自分でしなければならないといった場面だろう)を経験する機会に当たることがなければ難しいのではないかと思う。大学の中で、しかも授業中にそういう場面があるかと言えば、ないだろう。しかも、学生に対しては優しく親切に接することが求められていて、むやみに厳しくすると逆にお叱りを受けることにもなる。なかなか微妙な状況である。学生は友達、しかも限られた親しい友達とのコミュニケーションは問題なく行うことができる場合が多い。しかし、家庭でのコミュニケーションとなると、これがまた微妙だったりする(就活の時に親にまったく報告しない学生は結構いるようだ)。教員に対してはコミュニケーションをしないか、もしくは友達感覚でやってくるという学生が増えてきているようにも思う。私は自分に関わる学生(ゼミを中心に)に対してはそれではいけないということは言うし、間違えば注意もするし、時には叱ることもある。しかし、普通の授業でそれができるかといえば難しいだろう。また、インターンシップや講師派遣については、いいこともあるのだが、実は当たり外れがやはりある。インターンシップという名前でも実はちゃんとした仕事経験になっていないパターンもあるし、講師の場合も、1回講演に来ていただくのであれば素晴らしい話がきけることも多くあるのだが、半期10回以上となると、半分以上自慢話だったり、タイトルとまったく関係のない話がずっと続いたりということもある。講演される社会人の方と大学教員とでは、やはり役割が違うように思う。何でもいいからお任せするのがいいという方向は少し違うと思う。確かに人材育成についてはそれぞれ持論があって、それが経験に基づいているので説得力もあるが、それだけに何かを言うことについて垣根が低すぎる状態になっている点は難しい問題である。大学教員にできることはどれくらいあるのか、それは考えるべきことだ。全員に課した方がいいものもあれば、できないものもある。大学教員は研究と教育という2つの役割が期待されているわけで、教育はもちろん重要なことだ。そのために専門的知識を長期に蓄積してきているわけであるが、最近求められている役割はかなり変わってきているのかなと思う。しかし、大学教員には教員免許が必須でもなければ、カウンセラーの資格も必須ではない。どこまでができることなのか、逆にできなければ何を足せばいいのか、どこまでやらなければならないのか、しっかり考え、議論していかなければならないはずだ。時代の流れが早く、どんどん短期的なものの考え方が広がっていく中で、どう対応すべきか、本当にその流れに全面的に乗っていくか、そうでないのか、見極めることが必要だろう。ドリフトすることだけは避けたいものだ。
Jul 28, 2009
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現在、採点地獄中。大学の定期試験の答案にありがちなのが「お願い文」である。 体育会系クラブの学生ならば、自分の戦績や、いかにクラブを一生懸命やっているかをひたすら書きまくり、最後には「クラブに力を割きすぎたのでできませんでした。しかしこのままだと困るので単位をください」と書いている。 それに加えて、今年顕著なのが、「就職活動に必死で勉強まで手がまわりませんでした。内定をやっともらえたので(あるいはもう少しで内定が出そえなので)単位ください」という文面である。 これを読んでどう思うかについてはいろいろありうると思うが、「それを言い訳にしないでほしい」と思う。なぜならば、授業に来ることができなくても、現在ではコンタクトをとる手段がたくさんあるからである。 私の場合は、授業で使ったプリントをホームページに掲載しているし、メールアドレスを教えてあるので連絡はいつでもとれる。さらにオフィスアワーで研究室に来ることもできる。これらについては、授業でも注意を促している。 それを無視しておいて、最後のテストで一言書けば何とかなるというのは、やはり甘いと思う。いずれの場合も忙しくなるのはわかりきっているわけだから、それに相応しい対応をすべきだ。就職活動の面接ならすっぽかすことはないだろう。授業が人生の選択に重要な影響を及ぼすことはないとも言われそうだが、そうだとしても、仕事をしている人に対してそういうつもりをしているなら、それはやはりよくない。 忙しい中でもやれることはあるはずだ。何とかパーッと終わらせようという気持ちはあるのだろうが、それは言い訳にならない。それでも言いたければ直接言ってもらう方がまだマシだと思う。いつもこういう文面を見ると思う。 なんで今頃言うのか?なんでこうなってしまうまで放っておいたのか? 最近、経済界から大学にちゃんとした学生を送り込んでほしいという苦言があったそうだが、実はこういうところが一番問題なのではないかと思ったりする。
Jul 27, 2009
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仕事のために電車で移動中、途中からクロスシートの隣に女性が座ってきた。目に入った瞬間に「真っ黒!!」と思って思わず横目でちらっと見てしまった。とにかく頭からつま先に至るまでありとあらゆるところが黒いのである。肌が露出するのを極端に避けているような感じだ。曇り空だったが、時々薄日が差す感じで、そうなると少し日光が入る。その女性は黒い帽子に大きなサングラス、これらを外すことなく、さらには服も上下黒、さらには肘以上に隠れるような手袋(?)をして、もちろん靴もストッキングも黒だ。じっとそのままのかっこうで、しばらくすると前の列の人が日がかげったということでカーテンを開けたのだが、また日が差し込むと、私の目の前を黒い腕がニョキッと横切り、不機嫌そうにカーテンを締めた。電車が地下に入ってもサングラスはそのまま。これでストレートの長い黒髪だったら、2時間サスペンスドラマの定番のかっこうである(実際は茶髪だったが)。 ただ、そこまでしていても、肘の上数センチは腕が露出していた。日差しのきつい場所に行くと、野球選手のアンダーシャツ状態になってしまうから、そこまで気を遣っていたのかなとも思う。しかし、ここまで真っ黒だと、熱を吸収して暑いのではないかと素朴に思ってしまったが、それは違うのだろうかと思ってしまった。
Jul 26, 2009
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市民オケの練習での話。本番指揮者が今回繰り返して言っているのは「お客さん感覚で演奏するな」ということ。確か、これは別の指揮者からも言われたことで、ある意味進歩できていないということなのだが、確かにそれはそうだ。自分の好きな演奏スタイル(というかCD)をそのまま引きずっていて、自分の世界に入ってしまう人もいたりする。しかし、それならば他のメンバーも指揮者もカラオケ状態になってしまうわけで、みんなで演奏を作る楽しさは減ってしまう。これは非常にもったいないことだ。 今、ここでしかできない再現性のない演奏こそ、自分で参加する価値がある。そのためにしっかりベクトルを合わせる必要がある。感性はそれぞれ違っていてもできる演奏は一つしかない。そこで勝手なことをやりすぎると失敗するのだ。やるべきことは、スコアにある作曲家のメッセージをしっかり受け止めてお互いを尊重しながら演奏することだろう。 そして、どんなに盛り上がる場面であっても頭だけはクリアであること。感性のままにやっているようであっても、本当は違う。クラシック音楽は形を見せる要素が多くある以上、形が破綻してしまうと終わりである。 やはり、曲にもメンバーにも愛情をもって、大事に演奏するのが一番だと思う。
Jul 25, 2009
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今はプリウスなどのエコカーが売れに売れまくっているそうで、納車までに半年以上待たなければいけないだろうという話は少し前から言われていた。売れている原因はいわゆる「エコカー減税」というもので、これは政府が景気対策として今年度、つまり来年3月末まで限定で実施されている。そこで問題になっているのは「エコカー減税実施終了までに納車できるない」という事態が発生しかねないということである。私はエコカー減税があっても買い換える必要性を感じていない(まだまだ長く乗りたい)のでまったく興味を持っていなかったが、これは大変なことだなと思う。この問題は省エネ家電を対象とした「エコポイント制度」にも当てはまる。いずれも制度を延長するためには予算措置が必要なので、今から安易に延長すると約束するわけにはいかないというのが事情である。しかも、あくまでこれは一時的な景気対策として考えられたものであって、恒常化するわけにもいかないのだろう。これらについて現在の閣僚がいろいろと発言しているわけだが、選挙後はどうなるかわからないわけで、その発言の影響力も限定的、時期的にも悩ましい問題だ。しかし、ETCの時もメーカーの供給が追いつかなくて大変なことになったが、ここでもまた同じようなことになっている。こういう問題への対応は政策だけでどうにかなる問題ではなく、雇用をきっちりと考えて、生活できるだけの、そして正当な対価としての給料がきっちりと支払われるように企業も対応するということも他方で重要なことだ。それがうまくいっていないから、「お得」というものにみんなが強い反応を示すのだと思う。両方がうまくかみ合わなければ、お互いが責任をなすりあったり、相手のサイフをアテにするということが起きてしまう。「強い反応」はその制度の成功は示していても、それ以上の成功を保証するものではない。本当に大事なことはその先にあると思う。
Jul 24, 2009
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それは、定期試験中に各試験が終わった後のあちこちで見られる光景。「できた?」「どうかな。」「バッチリやろ。」いろいろな感想がきこえてくるわけだが、その後すぐに反省会が始まる。私の科目試験でももちろん同じことがあった。エレベーター待ちの間、大声でやっているので別に意識していなくてもきこえてきた。 「×番の答えって何?」と一人が言い始めると、そこにいた3人で論述問題の答え合わせが始まった。ところが、3人で答えが異なっていた。「俺のやつで合ってるやろ?」「いや、俺の方やで」「いや、俺の方が自信ある」と3人で譲らない。そこで私が心の中で言ったのは、「全員違う...」 自信を持っている根拠も言っていたが、それもまったく違う。残念な反省会だった。ちなみに、最近あったアンケート調査の話が新聞に載っていたが、「就職活動で希望の会社から内定をもらえるのは、対人能力が高くて、かつ勉学への意識も高い学生」という結果が出たそうだ。それは当然のことだろうと思う。答えのない問題に立ち向かわなければならないのが会社の世界、とくに大卒ホワイトカラーと言えば、そういう面での能力発揮が期待されているはずだ。答えのない世界に立ち向かうためには、答えがある程度出ている世界の話を理解できていなければならない。その話の構造を踏まえた上でさらに考える必要があるのだ(その答えに縛られるかどうかは別の問題だと思う)。世界が複雑になってきた現在では、やはり学習面が強調されていくのは自然な流れだと思う。ただし、そうは言っても、「覚えているだけ」とか「最初から最小限の労力で済ませることを考える」というのでは意味がない。本当の意味で「ものの考え方」をそれぞれの分野で習得していくということが大事なのだと思う。その入口をどうやって作れるのか、サポートできるのかというのが、われわれの課題ということになるだろう。授業に出てちゃんと聴いていた人の答案を読むと、そういう感覚をつかみかけていることがわかるし、そうでない人はほとんどそういうことを感じられないという、その違いがはっきりとわかる。後者をどうするか、そこを真剣に考えなければならないのではないかと思う。
Jul 23, 2009
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今日は滅多に見ることのできない天体ショー、皆既日食である。実際に皆既日食を見に行こうと思えばずっと南へと行かなければならないわけだが、部分日食は見られるだろうという期待はあった。朝からラジオでは屋久島へ行く飛行機待ちのパーソナリティが興奮気味に語っていた。娘の小学校は新型インフルエンザで休みになった分を取り戻す期間ということで学校ありだったのだが、娘の友達のお母さんから妻宛に「日食を見せる約束だから学校を休ませます」という連絡があって、母娘ともども「なんでやねん!!」と朝から怒っていた。ところが、当地方は今にも雨が降り出しそうな様子、いっこうに晴れる気配もない。そして何よりも、個人的には日食の時間帯がすべて試験監督、しかも教室の窓は太陽の見える無期ではないので、目にするチャンスはないといっていい状態だった。だからまあ、どうでもいいかなと思って監督の仕事に。外は確かに少し暗くなったような気もしたが、雷の前兆の時の方がよほど暗いぞと思われたので、暗くなった理由が日食なのか厚い雲なのかほとんどわからない状態だった。ちなみに、私以外、つまり妻、娘、息子は一瞬雲の切れ間があった瞬間に見たそうだ。といっても、望遠鏡で見るものでもない限り、ふ~んという感じだったそうだが。自分の科目の試験が終わってから次の試験まで4時間半も空き時間だったので、ひたすら採点。またまた採点地獄の始まりである。できはというと、部分日食といったところか。ちなみに、ラジオで話が出ていたが、皆既日食のある年には、記録の残っている平安時代から必ずといっていいほど時の権力者が権力を失うのだそうだ。だから日食のあるときには御所の建物にむしろを巻いて日食を見られないようにしたのだとか。今年もそうなるのか?しかし、むしろを巻くということは、日食のある日がわかっていたということで、それならば昔の人はそれをどうやって知っていたのだろうか、興味深い。
Jul 22, 2009
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今日、大学からの帰り道のこと、ある学生が道路の反対側にいた友人らしき学生を見つけてふざけて道路の中央に飛び出した。しかし、そこにはゆっくりと車が走ってきていた。あんな飛び出し方をしたら危険だろうからブレーキも踏むだろうしクラクションも鳴らすだろうが、何と車はノーブレーキで突っ込んできた。さすがに飛び出した学生は慌ててよけたが、車を運転していたのも学生で、何もなかったかのように携帯電話で通話しながら運転していた。危うく人身事故を目の前で目撃するところだったのだが、怖かったのはどちらも相手がまったく眼中になかったこと。ふざけて大けがする可能性、携帯通話中に人身事故を起こす可能性、どちらももしそうなっていたらえらいことだった。しかし、当人同士は不思議と動揺せず。動揺したのは目撃していた人たちで、特にふざけた学生に呼びかけられた友人数人はカンカンだった。そりゃ当然だろう。事故になっていたらどっともどっち状態だったことになる。何もなくて本当によかったと思うが、当事者がくれぐれも同じことを繰り返さないことを祈るだけだ。
Jul 21, 2009
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昨日の非常勤先での授業をもって、罰ゲーム的な休日補講の連続が終わった。最近ではすべての曜日について平等な回数授業をしなければならないというルールがあるので、月曜日は祝日を潰して授業というケースが増えている。振り替え休日の月曜日を休みにしないということは企業でもまあある話で、あまりハッピーマンデーだとは言えない状況だなと思ったりする。また、病欠だろうが、自分が原因でない一斉休講だろうが関係なく補講はその分やらなければならないのがルールだ。それは別に悪いことではないし契約通りに仕事をするのは当然だと思うが、問題はテトリス的に他の事務作業も増え続けて風呂敷残業状態になってしまうことだ(もとは事務がやっていた仕事が投げられてくる)。それに加えて成果を出せというお達し、そうなると「自分の方が忙しいからこの仕事はやって」という風船割りクイズ状態(爆発するまでたらい回し)である。何しろ、人間に唯一平等に与えられているのは時間なのだから。この手の話、日本企業の問題点を指摘する本によく出てくる記述と同じで、どの業界も同じような問題を抱えているのだなと思う。そう考えてみると、私が学生の頃の先生はのんびりしていて豪快な人もいたなあ。今ならクビだと言われそうだが。私自身はサボる気はないし、もらった仕事はしっかり、いかに楽しくやるかを考えつつ仕事をしているつもりだが、ルールの縛りがきつくなり、テトリス的に仕事も増えて、なんだか最初から基本的に信用されていない感じがするのでそれは気分のいいものではない。日本ではチームの他のメンバーに対する信頼度がどんどん低くなっているそうだし、他人を信頼できない社会になっているのだろう。自分もしっかりそういう中に組み込まれているといるんだろうなと思う。
Jul 21, 2009
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ある場所でバスに乗ることになったときのこと。そのバスは大学を必ず通る路線。ちょうど通学時間帯に重なったために多くの人がバスを待っていた。 バス乗り場にバスが着くと我先に殺到する学生。最初は列ができているのだが、途中から時刻表を見るふりをして先頭あたりに並ぶ者、大挙して周りを押し退けて進む者たち、バスに乗るときに前の人を突き飛ばす者と、これはマナー以前の問題である。ちなみに私は3番目のパターンでやられた。 後から聞けば、そこは地元でもかなり乗車マナーが悪いので有名のようで、苦情も寄せられるらしい。まあ、それは当然だろう。 突き飛ばされた瞬間、後を向いて本気で一発殴ってやろうかというほど露骨で悪質だったが、「腹が立ったらゆっくり10数えよう」という言葉を思い出して落ち着いた。 この言葉、最近よく思い出して使っている。一瞬の怒りは爆発させたところでいいことはあまりない。確かに数えていたら5あたりでまあいいかなと思えることが多い。 しかしあまりにもマナーの悪いこのバス路線、そのうちケンカになりそうな勢いである。苦情を寄せられる大学もさぞかし頭を悩ませているのではないかなと思う。大学で今さら注意することでもないだろうし、個人を特定できるわけでもないし。 ほとんど圧力釜のような社会、いつか大爆発を起こさないかと将来が心配である。自分でできることはとにかくやるが…。
Jul 20, 2009
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今日は雨の予報とは裏腹にいい天気。子供たちがどこかに行きたいというので、近くの繁華街へ。 妻は子供たちと行くポケモンの映画(妻が行こうと考えている日に私は仕事で行けない)のチケット予約に映画館へ。すさまじく並んでいるとのことだったので、私が子供たちを連れてまずは某大手CDショップへ。そこで3枚仕入れる。 次に子供たちが本が欲しいというので、某大型書店へ。娘は昆虫図鑑が欲しいというので選び、息子は絵本を探していた。私は自分の仕事関連の本を仕入れ、子供の本の横にあったラーメン本を見ていた。すると、妻がタカラヅカの雑誌を知らないうちに持ち、「パパは麺図鑑ですか?」と言ってやってきた。 それから昼食、雲行きが怪しくなってきたのを見た妻が「洗濯物があるから帰る」と言い出し、息子も一緒に。 私と娘は、近くでやっていた昆虫のイベントへ行くことに。そこのメインは「大きなカゴの中にカブトムシとクワガタの放し飼い」というやつでさわり放題だった。娘は平気でカブトムシやクワガタをつかんで遊んでいた。なかなかワイルドである。妻は虫嫌いなのでやはりこれは私が連れてくるしかなかったであろう。40分ほどカゴの中で粘っていた。さすがに満足したようで他の行きたい場所については何も言わなくなった。 駅から自宅までの帰り道にある公園では木に止まっているセミを探していた。娘の昆虫マイブームはいつまで続くのだろうか。 「明日は朝5時に起きて裏山にクワガタ採りや!」と意気込んでいるが、まだ起きて遊んでいる。まあ起きられないだろうなと思う。
Jul 19, 2009
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モーツァルトの音楽は美しいというのは常識としてあるし、音楽を実際に仕事とされている方々からも「モーツァルトは完璧だから」という話をきくことがある。確かにそうだなと思うのだが、自分はどちらかというとベートーヴェン以降の曲を好んで聴くこともあって、そういうことはしっかりわかっていないなという気がずっとしていた。せっかく市民オケで現在交響曲第40番を練習しているので、これではもったいないと思い、スコアを真剣に読み始めた。さらっと見て曲の流れなどはわかっているが、もっともっと深いところを知りたいと思って、通勤や移動などで電車に乗っている時間を使って、じっくりと読んでいる。今回読んで行くに当たっては、和音進行を読み取ることに重点を置いている。パート譜だけを見ていると、他の音と比べて どの音を強調すべきか、一つのフレーズでヤマはどこでおしまいはどこなのかというところまではわからなかったり、できていてもそれは感性で何となくという感じになってしまう。しかし、実際にはいろいろと考えた上で、それに合うように体の動きを持っていかなければそういう音は出せない。何となく音がごちゃごちゃと鳴っているなあという感じではもったいない。モーツァルトを「完璧に」弾くというわけにはいかないが、どうせやるなら適当に雰囲気だけというのではなく、わかっていていろいろと演奏で仕掛けることができたらと思うのだ。この1週間で第2楽章を一通り読んで、今は第3楽章。まずは見やすいところからと思って読み始めたが、実際には一筋縄ではいかない。モーツァルトも後期の作品になってくると複雑なことや新しいことをやっている。和音進行を見ても、よく調べていくと「おっ?!」と思うところがある。これを「おっ?!」と思わずにさらっと行ってしまうともったいないなということを感じる。残りの楽章でもきっとそういう発見はあるだろう。それをわかった上で演奏していくことができたら、もっと楽しみ方は広がっていくだろう。指揮者の金聖響氏が本の中で書かれていることのなかに、「楽譜があまり読めなくてもスコアを見てオタマジャクシの動きを見ていたら面白いのでおすすめ」という趣旨のことがあったが、まさに現在していることはその延長線上にあることだろう。わからなければ調べてみる、新しいことがわかれば自分の世界が広がってさらに楽しい、そういう楽しみって、子供の頃はたくさんあったが、大人でもそういうことは楽しいだろうと思う。私は高校生で楽器を始めるまで楽譜はまったく読めなかったが、でも曲をもっと知りたいと思っていろいろと学んできた結果、そういう楽しみ方ができるようになりつつある。モーツァルト交響曲第40番の旅はまだまだ続きそうだ。
Jul 18, 2009
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夕方のローカルニュースで取り上げられていた話。景気浮揚とエコ対策を両立させようということで導入されたエコポイント。特にエコに有効であるとされる家電製品を買うとポイントがついて結果として安く買ったことになるというものだ。しかし、これにテレビが入っているというのはちょっと疑問かなと導入時に思った。テレビは本当にエコにつながるのかというのは素朴に考えられることである。これに対するつっこみはいろいろある。導入時の省庁同士の駆け引きで、再来年のアナログ放送終了に対応してもらうために総務省が是非入れるようにといった経緯もあると聞いたこともある。確かに、アメリカでは同様のケースで混乱が生じたこともあるようだ。そして、今日のニュースでは実際にテレビを買い換えをしようとしているお宅に密着して、ブラウン管のテレビと薄型プラズマテレビと両方のテレビの消費電力を測定していた。結果は、プラズマテレビが倍近い電力を消費していた。なぜそんなことになるのか?といえば、それは買い換え時に大型のテレビを購入するケースが増えているからということだ。薄型で大画面できれいに見ようという上に、エコポイントで安く買えるという感覚も手伝ってこういうことになるのだという。さらに、商品のパンフレットにある消費電力の表示についても、実は問題があった。表示の元になっているのはJIS規格だが、そこでの消費電力は実際の番組のようなカラフルで動きのある映像で測定されていないのだ。もちろん、違反とかいうわけではないのだが、これでは消費電力が低めに表示されてしまうことになる。そこで、来年からは世界で標準的に使われている測定用の動画を使用するそうだ。今までなぜやってこなかったのだろうかと思ったりする。エコをうたっていながら、実際にはエコどころか電力消費を生み出すアンチ・エコ状態を作り出してしまっているという矛盾、悪気はなかったのだろうと思うが、問題はこの政策の効果が検証されるかどうかにある。経済的にも、そしてエコロジー的にも、本当に効果があったのか、どうも日本の場合はこういう検証作業を忙しいとかいう理由で本当にやらない傾向にあるように思う。そういう例は身近なところでも事欠かない。「とりあえずやった」だけでは何も前進できない。
Jul 17, 2009
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最近、ゼミの卒業生から「今の会社を退社することにしました」というメールをもらうことが時々ある。こういうことが積み重なっている事態をうけてか、文部科学省が動き出すことになったようだ。(以下、毎日新聞記事より)-------------------------------- 就職後すぐに離職する若者が増えるなど、学生の職業・勤労観形成が課題になっているとして、中央教育審議会大学分科会は、すべての大学や短大で「職業指導(キャリアガイダンス)」の授業を導入する方向で検討を始めた。科目として義務化するか、各大学に努力義務を課すにとどめるかなど、具体的な制度設計を急ぎ、早ければ来年度からの導入を目指す。 同分科会の作業部会が「社会人として必要な資質能力を高めるためにも、職業指導を教育課程に位置付けることが必要」と提案し、14日の会議で大筋了承された。 分科会の委員からは「大学には本来(職業について)何らかの意図を持って入るはず」との意見も出されたが、「将来が見通しにくい社会構造になっている」などとして、入学してから職業意識の形成を図ることや、自分の適性を考えることの必要性を認める意見が大勢を占めた。---------------------------------若者の離職という問題は以前から言われてきたことなのだが、それへの対応がキャリアガイダンスの授業の義務化という方向になるようだ。しかし、実際のところ、キャリアガイダンスに関連する授業は多くの大学で導入されていて、それがある意味ちゃんと面倒を見ているという売りになっているように思う。趣旨としてはわかるのだが、現場の状況を考えると、そこまで速いスピードで導入したとして実際うまくいくのかどうかという点については、どうも怪しいような気がしないでもない。社会人として必要な能力がたった一つの科目で身に付くのかというのは、多くの人にとって素朴な疑問としてあるだろう。具体的にどういうカリキュラム設定をするのか、半期15週とか、通年30週でどのような内容を教えるべきかについてまでちゃんと決めることができるのか、そして大学も人員を削減していこうという流れの中で教員の負担はどんどん重くなっていっている状況で、誰が担当することになるのかという点も非常に難しい。義務化したとして、さて現場が本当に機能するのかどうか、「させるのがアンタらの仕事でしょ」といわれればそうなのだろうが、「事件が会議室で起こっている」かのような状態になってしまうことは避けなければならないだろうと思う。職業意識が低いというのは確かにあるようだというのは、同業者からもよく聞く話で、例えば就職活動を早々にあきらめてしまうケースは少なくないようだ。その問題の原因はどこにあるのかということも話したりするのだが、「何度か落ちるという経験をすると気持ちが折れてあきらめてしまう」とか「親に相談も報告もなく、かといってしかられるのがいやでそのまま放置している」ということもあったりする。今時の学生は早い時期から就職のことを考えろとか、仕事をすることの意味について考えろということは結構いわれているのだが、意識のどこかに漠然とそうしなければいけないのかなという気持ちを持っている学生と、そんなことお構いなしで気楽にやりたいという学生と、けっこう二極分化しているような気がする。もっとも、どちらも動けないでいることが少なからずあるというのは共通しているのだが。また早期に退職する場合についても、我慢できなくて安易にやめているというケースがある一方で、他方では「仕事があまりにもきつすぎてこのままでは体をこわしてしまう」とか「仕事のきつさに給料が見合わない」というケースも少なからずある。これは私のゼミの卒業生でも両方のケースがあるが、実際に会ったり電話で話したりすると、後者のケースが多い感じだ。最近では若年労働に関するルポルタージュにも相当ひどい事例が載っていたりする。そのような事例をどこまで一般化できるかが別の問題として残るが、少なくともそういう事実はあり、それに近い事例が身近にあることは確かだ。若年の離職問題については、大学の授業だけでどうにかなる問題ではないだろう。もちろん、それに取り組むだけでも一歩を踏み出すことにはなるのだろうが、企業への就職というのは大学の中だけで完結しないことであり、また企業側の事情との絡み合いで実態は動いていく。そうなると、厚生労働省などとも問題を共有していかないと本当の意味での解決は難しいのではないかと思ったりする。最近では解雇に関する相談件数が増えすぎたために労働基準監督署が本来の仕事である職場において労働法規が遵守されているかどうかをチェックするということがほとんどできない状態だとも言われている。残業代なしで働くとか、労働時間がめちゃくちゃに多いとか、そういった職場レベルでの問題も共有しておかないと、大学生の意識だけを変えても、その後職場でちゃんと扱われなければ結果として無意味になってしまう。各方面でやるべきことは山のようにある。学生のめんどうをきっちり見ることも大切であることは間違いない。ただ、見ることのできる人数には限界があることは考えておかなければならないだろう。広く網をかけるほどどうしても目が粗くなってしまうことは避けられない。あと、企業内での厳しさが厳しくなっていく一方で、大学の中では学生に対してどうしても甘い対応になりがち(これは客商売だからというのもあるだろうが)で、そのギャップが就職活動や入社してからの段階でどうしても出てしまうというのもあるように思う。こうなってくると、家庭教育の段階、大学までの教育の段階、すべてが関わってくる。お互いがお互いのせいにしてしまっては何も生み出すことはできないので、そのあたりの連携もとれなければ対応は難しいのかもしれない。これまでのツケが一気に回ってきた感じもする。文部科学省の対応は一つの方法を試そうということなのだろうが、それだけで何とかなるという単純な問題ではないと思う。
Jul 16, 2009
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今日は午前中に授業、午後から会議、会議で出された話はこの短時間ではとてもさばききれないような話。議論をするには範囲が広いのと、さらに影響力が大きいのとで意見がたくさん出た。限られた時間の中でどうするか、難しい舵取りが必要となりそうである。といっても、私はこの件に関しては、意見は言えても最終決定に従うだけなのだが。その後は来年度の授業シフトに関する打ち合わせ。こちらもなかなか難しいところがあるが、とりあえず案を出して動いてみることに。非公式に集まったのだが、公式の会議よりも話が早く進む。下準備は何事にもやはりう必要であるということだろう。その後はしばらくレポートの採点などをして、久しぶりの宴会に。留学される同僚の壮行会と銘打ってということだが、実態はいつもの飲み会かな。その前にはプチラー研も開催。気心の知れた仲間と美味しい食事と面白い話、これはやはり元気の源になる。ケガの後アルコールはまったく口にしなかったのだが、今日はペースを落としてさらに量を減らして体と相談しながらちびちびとやることに。帰宅時はほぼ素面に戻っていて、とても楽な体調で帰ることができた。しばらくはちびちびやるという路線でいこうと思う。だんだんとこの業界は忙しさが増していて、かなり体力的にも、そして精神的にも大変になってきているように思う。しかし、文句ばかりも言っていられないし、倒れているわけにもいかないし、上手なガス抜きが必要だ。アホになりつつどこかで冷静でいること、演奏と同じで、これはきっとどういう時にも通じることなのだろうと思う。まだまだ忙しい日々は続く。
Jul 15, 2009
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今日はあまりの暑さに往路のウォーキングはさすがにやめた。熱中症になりそうな勢い、まだ体調に不安を残している部分があるので、無理をせずに大学の最寄り駅まで電車で行くことに。いつもならば、まあそこそこの人数が乗っている程度なのでいいかなと思っていたら、そう言えば今日は前期火曜日の授業最終日だった。電車が到着するなり、中心地の朝のラッシュアワー並みの混雑!!足を踏まれたり踏んでしまったり、電車の動きがガクンとするたびにどこかで「痛っ!」という声が上がっていた。駅を降りてからも恐ろしい人数。車は圧倒されて横切れず、大名行列かという感じだ。私は早々に裏道を選択したわけだが、裏道も人が多くもはや裏ではなくなっていた。売店や周囲のコンビニも恐ろしい行列。大学に関わる店は入学式と卒業式以外ならここが最もかき入れ時だと言えそうだ。最終週だけがすごい人であることはある意味風物詩ではあるのだが、ここだけ来てどうにかなると考えているのはいつの時代も同じかな。しかし、最後は自己責任でどうにかしてもらわないと。最近は親とともに試験の成績に対して文句を言いに来るということすらある。就活を理由に単位を要求してくる学生もいる。就活を理由にして何もしてこなかったこと自体に実は問題がある場合が多いのだが、当人は気づいていないように思う。本当に大変ならばメールもあることだから相談すればいいことだし、授業の時にはさんざんそう言っているのだが、そもそも来ないので伝わらない。これは困ったことだ。道を歩いていると「何でこんなに人多いねん!!」という声をあちこちできいたが、そう言っている本人もその一人。でも確かに、この一言はどこかで言っているような気がするな。
Jul 14, 2009
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少し前の新聞で見つけた記事(日本経済新聞6月20日)。「作曲の巨星-ヘンデル、ハイドン、メンデルスゾーン-なぜ不人気?」というものだ。ヘンデルは今年没後250年、ハイドン没後200年、メンデルスゾーン生誕200年を迎えているのだが、日本では客の入らない作曲科の代表であるそうだ。ちなみに欧米では、ヘンデルのオペラやオラトリオなどが復権しているということのようだ。日本ではなかなか上演されにくいのは、ハイドンの曲も以外とそうだ。交響曲でも弦楽四重奏曲でも主要なナンバーは比較的取り上げられるが、何しろ数が多いので有名どころ以外はなかなか難しいことのようだ。しかも、大きなオーケストラだと少数のメンバーだけが舞台に乗ることになるため、中心的な曲にはなりにくいという事情もある。メンデルスゾーンについては、ユダヤ系であったことが欧米でも受容が遅れている原因となっているらしい。そんなところにも影響があるのだなと思う。あと、メンデルスゾーンもオーケストラだとメインにはなりにくい感じ。特にアマチュアではそうなる傾向がある。理由は、トロンボーンが編成にないためだったりする。実はこれらの作曲家の曲、言われてみれば私も聴く頻度は低いような気がする。と言っても、いずれの作曲家の曲にも魅力的なものがある。ヘンデルもバッハとは違う趣があるし、ハイドンにも素晴らしい曲がたくさんある。トランペット協奏曲などは演奏していても感動する。交響曲もモーツァルトとはまた違う意味での面白さがある。メンデルスゾーンも「結婚行進曲」やヴァイオリン協奏曲だけが名作というわけではない。室内楽にもいい曲がある。今日、仕事に向かうときにセレクトしたのはメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。晴れた朝にはすがすがしくてとてもよい。その後に「真夏の夜の夢」序曲が入っていたのだが、この2曲は作品番号が近いこともあって、雰囲気が結構似ている。若いときの作品でありながら音のつくりは非常に完成度が高いと感じる。あまり複雑なことを考えたくないときにはすーっと体に入ってくる曲であると思う。いろいろな事情があって意外と聴くことができない作曲家だが、それぞれの作品には魅力がたくさん。いろいろな曲を聴いてみるのは探検のようで楽しいように思う。
Jul 13, 2009
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今日は梅雨の晴れ間。暑いが風もあって苦痛とはさほど感じない。休みなのでグータラと行きたいところだが、仕事も少し片づけておく。昼食前にアウトドア派の娘と公園に行き少し遊ぶ。私と行くときにはサッカーと野球をやりたがるのでお付き合いすることに。久しぶりに外で少し遊んでいい汗をかいた。午後は、最近雑草を大量に抜いてさらに木の枝を切ってスッキリした庭にゴムのプールを出して子供たちが遊んでいた。蚊よけに蚊取り線香を焚き、おやつにはかき氷。まさに我が家に夏が来たという感じがする。そして夕方の今はWii Sports Resort中。私はオケの練習にとりあえず復帰予定。でもたぶん全力で弾くのは難しいだろうから、体を慣らすことからスタートとなりそうだ。
Jul 12, 2009
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最近、我が家ではWiiが使われている時間がとても長いような気がする。一番のヘビーユーザーは子供たちで、マリオカートにすっかりはまっている。ところが、最近よく使っているのは妻だ。私が帰るのが夜遅くになると、たいてい帰宅した時にはWii-Fitの画面がついている。最近はボクササイズにはまっているそうな。ダイエットに励もうということらしい。ただ、一心不乱にコントローラーを振り回す後ろ姿はけっこう怖いものがあったりするのだが。そこへ今日、新しいラインアップが加わった。Wii-Sports Resortである。コントローラーにセンサーがさらに高度化したもの付加して遊ぶものだ。息子の誕生祝いとして購入したが、帰宅したらみんなではまっている状態。任天堂がWiiを作ろうとしたときのコンセプトは「家庭でお母さんがじゃまだと思わないゲームを作りたい」というものだったそうだが(だからとてもコンパクトでなおかつ音が静かに設計されたのだとか)、我が家はまさに戦略に心地よくはまっている感じである。何しろ、ゲームなんてじゃまだと言い切っていたお母さんが使っているわけだから。私も子供たちと一緒にやってみたが、これはなかなかよくできているなと思わず感心してしまった。よくこれだけのゲームを、この道具で可能にしたものだと。しかも単純にできていて遊びやすい。昔懐かしいバッティングマシーンからゲーム&ウォッチを経てずーっとお世話になっている任天堂だが、ここまで続けられるというのはすごいものだと思う。明日は休み、朝からたぶんWii祭りになりそうである。
Jul 11, 2009
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それはとても難しいことである。だからこそ、いろいろな場所でもめるわけだ。しかも、それで給料が決まるような場合だと、評価のあり方は働く人のやる気にも影響してくる。昨日、ある場所でたまたま同業者の知り合いにばったりと会った。そこでしばらく話すことになったのだが、その際に話題になったのが、学生による授業評価アンケートの問題である。その人の勤務校では、学生による授業評価アンケートがボーナスのうちそこそこのウェイトを占めているのだそうだ。その人は熱心に授業をされていてちゃんと聴く学生からの評価も高いことは他の人から聞いて知っていた。ところが、最近は授業中にふざける学生を注意したら評価をボロクソに書かれてしまって、評価が下がってしまったのだそうだ。一人ならまだいいのだが、周りの友人と思しき学生も同調してそういう評価をつけたそうだ。問題は、叱られた腹いせにそういう評価をつけている学生にもあるが、さらに問題なのは大学側が評価点をそのまま反映させているということで、しかも教員が悪い点数をつけた用紙を抜き取らないように実施前と実施後の枚数をチェックしているとのこと。そこまで信用されていないのかと思ったら、そのことが空しくなってきたとおっしゃっていた。無難に何も注意しない方が評価が下がらないわけで、叱らないから余計に態度のひどい学生が増えるという悪循環になってきているとのことだ(といってもあくまで片方の当事者から聞いた話に過ぎないのではあるのだが)。企業ならば、評価を行う人には必ず評価者訓練を行っている場合が多い。それだけ評価が微妙な問題を含んでいるからだろう。しかし、学生は評価をするに当たってどういうことが大事か、してはいけないことは何なのかということについて訓練どころかまともなレクチャーすら受けていないのだ。また、授業評価アンケートの場合、その評価結果をどう扱うのかについても明らかにされていないケースがあったりもする。こうなってくると、何のための評価かわからなくなってくる。評価に関わる主体がそれに向けてそれぞれの役割をわかって実施しなければ、きわめてバランスの悪いものになってしまう。以前、この話の関連で同僚が言っていたことで確かにそうだと思ったのは、「本当の意見を知りたかったら、自分で自由記述式のアンケートをとるべき」ということだ。やらされているのではなく、自分でやるのだから改善する意識も高まるだろうし、学生も数値以外の情報がまるでないような評価は本当に役立っているのかと思っている。自分の言葉が早くちゃんと教員に伝わっていて、本気で取り組んでいることを見る方が学生たちのやる気も高まっていくだろう。今こそ本当の意味でキャッチボールをすべきなのだと思う。ただやることが大事なのではない、そこから何をどう改善していくか、みんなで考えなければ時間と紙ゴミを増やすだけになってしまうのではないだろうか。
Jul 10, 2009
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昨日は授業の後で会議が2つ。どちらもグダグダだった。最初の会議はとりあえず議長による委員会関連で決まったことの報告。必要なことなのだろうが、その後どうするのかという話がないためにグダグダ。「とりあえずアイデアを出してください」って言われても、その場で考えられることは限られている。前向きな意見は出されたが、さてこれが実行に移されるのかどうかはかなり微妙である。ほぼ議題なしでとりあえず集まったという感じ。いつものことながら、このやり方だけはどうにかならないものかと思う。次の会議もまたひどかった。大事な議題に関係する人が欠席。しかも理由が「???」。それなのに何とか話を進めようとする議長。しかし、進むはずもない。先月とほとんど同じ書類が登場して、話がまったく前に進まず。「こんなことをずっとやってても仕方がない」「また次回も同じ話をするのか」といった意見が続出、ごもっともである。「回数をもっとやらないといけない」とおっしゃるのだが、回数を増やしてリピートでは意味がない。会議を何のためにするのかということが、そもそも欠けている会議だった。企業では会議を短くするために立ったまま会議をするというところもあるそうだが、それは「疲れるから短くなるし、準備もちゃんとする」という理由であろう。しかし、時間がある程度決まっていて長引くことがないのに議題がちゃんとしていないというのはいかがなものかと思う。本当に大事なことだけを抜き出せば、実質的に3分の1の時間で終わる話だ。気合いと根性とポーズだけで会議をするという状況は再考すべきだろう。それでなくても事務作業的な仕事が増えまくって忙しいのに...。
Jul 9, 2009
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昨日はゼミの日。いつものように3年ゼミの教室に近づくと、いつもは騒がしいほどに話で盛り上がっているはずの教室が真っ暗。幹事が立っていて「まだ来ないでください」という。「は?」と思っていて、教室に近づくと扉に「先生は入室禁止!!」との貼り紙まで。いよいよ何なのかと思っていたら、幹事が教室に入れてくれた。すると、灯りはローソクだけ。テーブルにケーキがおかれていた。いきなりハッピーバースデーだ。私は自分の誕生日を3年のゼミ生に教えたことはないはずなのに(覚えていないだけなのか?)と思って、非常に驚いた。さらに、おそらく発案してくれたであろうメンバーが特大の花束まで渡してくれた。誕生日に花束をもらったのは初めてだな。ケガをしていたことは知っていたから、やっときたみたいな感じでくれたのかもしれない。しかし、とにかくうれしかった。ケーキをみんなで食べて、その後はいつものようにゼミ。そのあたりの切り替えはちゃんとしてくれているようで、そういうところが代々のゼミ生たちのいいところ。ものをもらったからというのではなく、本当にゼミ生には恵まれていると思う。知識や考え方などではたくさん働きかけて、学ぶきっかけを作って、さらにやらせていくのが私の仕事ではあるのだが、逆に教師として学んでいくきっかけは彼らからもらっているように思う。そういう意味で言えば、ゼミは「共育」の場なのだろうなと思ったりする。こうやって、お互いがうれしいと思えるキャッチボールをたくさんできるというのはすばらしいことだ。この仕事をしていて幸せだなと思える瞬間だ。もちろん、ゼミ生が卒業するときにそれを最も強く感じるわけなのだが、日常のちょっと喜びが積み重なっていくのもとても大事なことだと思う。その後の4年ゼミも、いよいよやりとりがそれらしくなってきた。3年生の時にはそこまで目立たなかったゼミ生でも、しっかりとコメントや質問をしている。成長していることの証だろう。終了後は恒例となりつつある夕食会。私は体力的な自信がまだ持てないので途中で帰ってしまったが、それでも楽しく話はできたし、その後もいろいろと盛り上がっていたようだ。それぞれの学年には違ったカラーがあるのだが、どちらも一緒にやっていて楽しいので好きである。どうやっていけばいいかというのはそれぞれに違うわけだが、それを考えるのもまた楽しい。ケガはしたが、またいつものようにゼミ生と会うことができる、それは本当にありがたいことだと思う。
Jul 8, 2009
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昨日は、非常勤の仕事が終わった後、そのまま病院をはしごすることに。途中、ケガをした現場をどうしても通らなければならず、気持ちは落ち込んでいくばかりだった。テンションが下がったままとりあえず病院へ向かう。はしごとはいっても、自宅からそう遠くないところにいい病院がわりとあるので、移動も苦ではない(それでもぐるぐる回ってはいるのだが)。段階的に治療をしているわけだが、最後にかかることになった科の検査も終了。やっと自分の中でも治療の見通しがたってひと安心となった。とりあえずもっとも不便だったところも応急処置のおかげで当面は大丈夫、よかった。ケガがそれだけで済んでいると言うことは、不幸中の幸いといえる。この状態にあることは感謝しなければ。音楽を受け付けない状態からも少しずつ立ち直ってきた。昨日はブラームスの4番を聴いてみた。第2楽章はしみる音楽。現場を通り過ぎた後の心を癒してくれる。病院をはしごした帰りはすっきりした気分だったので、ドヴォルザークの8番第4楽章。オッペケペーな感じがすると渋好みの方はおっしゃるわけだが、難しいことは考えたくないときにはやっぱりこれだ。あとは、マーラーの9番をいつ聴けるようになるか、というところかな。音楽を聴く気持ちもリハビリ必要なようだ。物理的には楽器を弾くことに関して問題はなくなりつつある(痛みが取れてきたので)ので、あとは気持ちとのバランスだろう。
Jul 7, 2009
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ケガをしてからかなり思うようになったのは、体調の変化に敏感になったということだ。痛い場所の微妙な変化を意識するようになったし、朝起きた時の体調の微妙な違いも意識するようになった。今までは何となくしんどいかなという感覚で来たのだが、今はそれだと怖い。常に無理をしない方向で考えるようになった。 しばらく仕事でペースを落とす余裕は基本的にないので、効率よくできるだけ疲れない方法を考えていかなければならない。最近のビジネス書などでは仕事は8割のできでいいとも書いてあったりすることだし、最終的にはそこを納得するための指標にしておこうかなと思う。 今日は非常勤なのだが、早速補講の要請。スケジュールはこうして確実に埋め尽くされていく。午後からも頑張って仕事しよう。
Jul 6, 2009
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今日は久々にゆっくりした一日。ところが、朝から子供たちが近所の友達と裏山に虫取りに行くとかで5時半に起き出し、一緒に目が覚めてしまう。その後は、何度かうつらうつらという感じで寝るも、体の痛みで目が覚めてしまう。諦めて起きてみたモノの、やはりしんどくて朝食後はゴロゴロ。この一週間、あまりに落ち込みすぎて音楽をまったく受け付けない精神状態だったのだが、ちょっとだけ聴いてみる。聴いたのはどういうわけかチャイコフスキーの「悲愴」。久しぶりにちゃんと聴いたが、やはり名曲だなと感じる。音がカラカラになった体に水が入っていくかのように、耳から入ってくる。そういえば、自分はこういうことに感動していたんだなとか、こういうことが大好きだったんだなとか、今さらながら思って聴いていた。目を閉じると、スコアが浮かんでくる。「そういえばここ、こういうことが書いてあったな」とか思いつつ、40分以上じっくりと楽しんだ。まだ楽器を弾くのはしんどいので無理だが、頭と気持ちは少しリハビリできたかなという感じ。あとは、今取り組んでいる曲を聴く気になるかどうかだな。午後からは妻が近所へお出かけだったので、子供たちとゆっくり遊んだり、明日の授業の準備をしてみたり、読みかけの論文をちょっと読んでみたり、どれもペースをゆっくりにしてやってみた。本当ならば今日は3つの場所からお誘いをうけていて1つに絞っていたのだが、それもキャンセル。これまでいかに無茶をして走り回っていたのかなと思う。スケジュールの掛け持ちや朝から晩までとか、けっこうひどかった。それが通用しない年齢になってきたことがわかっただけでもいいのだろうか。体のメンテナンスはこれからの自分の義務だとしなけれなならないな。
Jul 5, 2009
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今日もまた補講で大学へ。非常勤も補講があって、週末もほとんど仕事。体の痛みでたびたび夜中に起きてしまう身にはこたえる。睡眠時間はかなりとっているので、帰宅するまでの体力は持つのだが、疲れはかなりひどい。どんなことがあっても、容赦なく仕事は追いかけてくる。これは今時の日本だったらどんな職業であっても同じなんだろうけれど...。今回の場合、自分の都合で休講したものはほとんどないのだが、そんなことはお構いなしで、約束した回数はやってもらうよという感じだ。補講となれば、出席する学生は当然のように減るので、内容も工夫しなければ話をする側にとっても面白くない。いつもの授業ではあまりできないことをやってしまえということで、今後のための実験をいろいろとやらせてもらうことにした。学生にとってもまあまあ面白かったようで、それは何よりだ。今後の参考にしよう。さてさて、ケガのことは言及されない限りほとんど黙ってきたのだが、どうやらいろいろな場所で広がっているらしく、メールが頻繁にやってくる。学生もゼミ生などからきいたようで「大丈夫ですか?」と言ってくる。心配してもらえるのはありがたいことなのだが、説明をするのがだんだんしんどくなってきた。特に経緯については、情けない気持ちになってしまうのであまり言いたくないなと。ありがたいやら、しんどいやらで、落ち着いたら説明しようかなという感じ。今日も疲れたのでそろそろ寝よう。明日はやっと体を休められる。子供たちは近所の友達と裏山へクワガタ取りに行くそうな。この状況下では、ありがたいことだ。
Jul 4, 2009
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今日は、やはり体力的に不安なので朝ゆっくりすることに。体の痛みがなかなか取れず、睡眠も浅いような気がするので、何とか横になっている時間を長く取ることにした。人の多い場所をまだ通りたくないという気持ちがあって、 大学へは車で。AMラジオを聴きながら気持ちはリラックスして運転。昼前に到着して簡単に昼食をとり、その後3コマ連続。休み時間ほとんどなしで突っ切らなければならないこの日がとても不安だった。とりあえず、1年ゼミは個人面談とした。前期のフォローである。入学して初めての試験に不安を覚えているような感じだった。その後は1年生対象の授業2コマ。こちらは試験を繰り上げて行うために今日で最終回。予定の場所までとにかく終わらせることに。やはり2コマ目の最後は疲れてきてしまって辛かった。講義を2コマ連続はまだしんどいのかな。終わって部屋に戻ると休講した分の補講の日程を決めろという催促書類が入っていた。ちょっとこの精神状態にこういう書類が投げ込まれているというのはツライかも。まあ、約束した日程をこなすべきというルールは理屈としては理解できるのだが...。仕事の締切もある。こちらもどうにかしなければ迷惑がかかってしまうものだから、できませんでしたというわけにはいかない。これからしばらくは時間と体力と日程との闘いだ。と思っていて凹んだ状態で帰ることに。帰りはナイター中継を聴きながら帰る。阪神タイガースが勝っているのを聴くと少々元気に。帰宅してから子供たちと少し話し、娘のピアノの練習に少し付き合って、それからちょっとゆっくりした。といいつつ、出張の予約をしていただけたったりするのだが。明日も休講分の補講。午後からなので少しゆっくりできるが、休めない。日曜日にやっと本当の意味で休める感じだ。まだまだスローペースだが、最低限の仕事は追いかけてくるのだ。もう寝よう。
Jul 3, 2009
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昨日は夜まで授業、フラフラになって帰宅したら、ダイニングテーブルの上にたくさんのものが置いてある。さて何事なのかと思ったら、すべてままごとの道具だった。よく見ると、皿の上におもちゃの果物や野菜、ハンバーグなどがのっていて、さらに段ボールで作ったらしい食べ物がたくさん置いてあり、横に子供たちからの手紙が置いてあった。「パパはケガしてごはんをほとんどたべられないから、ふたりでつくりました。ぜんぶたべてね。」私は皿にのっていたものをおもちゃ箱に片付けてテーブルの上を皿だけにして、「おいしかったので、ぜんぶいただきました。ありがとう。」と手紙を置き、妻に朝までテーブルの上を片付けないように言っておいた。疲れてしまって子供が出かける時間までに起きることはできなかったが、妻によると子供たちは喜んでいたそうだ。よかった。しばらくずっと情けない気持ちばかりを引きずって泣けてきたが、昨日はうれしくて泣けてきた。どうしたら他人に喜んで喜んでもらえるかをちゃんと考えながら行動できるように育っているというのがわかったことがうれしかった(友達にもちゃんとそういうふうにしているそうだ)。やっぱり生きていてよかったという誕生日だった。
Jul 3, 2009
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生きてこれてよかったと思う、それが誕生日である今日一番思ったこと。でも、その直前に親からもらった体を傷つけてしまう結果になってしまったことを情けなく思う。小さい頃は体が弱かったのだが、それを除けば成長過程で病院の世話になることはほとんどなかった。骨折もなく、数年前の親知らずを除いて虫歯も全くなく過ごしてこれたし、大きな病気もしてこなかった。それなのに、あっけなくケガをしてしまうとは。本当に申し訳ないと思う。今日も夜まで授業。さっきの授業ではゼミ生や他の学生も「大丈夫ですか?」と来てくれた。情けないところではあるのだが、そういう気持ちはうれしいものだ。今は空き時間で、いつもなら仕事をしているところだが、今日ばかりは休憩時間にさせてもらおう。夜遅くまでの仕事で、帰りが不安だから。外は曇っているが、西の空はうっすらと夕焼けのような色。スッキリしないこの景色は今の自分の気持ちを映しているかのようだ。今朝、子供たちがバースデーカードをくれた。折り紙で作った凝ったものだ。そういうことができるようになったことを喜ばしいと思うと同時に、やはりそういう気持ちがうれしい。そう言えば、昨日息子に手に持っているものを見せてと言ったら「絶対パパには見せないよ~ん」と言っていたのは、これのことだったのだなと思う。自分はみんなに支えられてここまでやってきた。ヨレヨレだが、まだこれからも歩き続けていく。もっと一歩一歩を大事にしたい。そして支えてくれているみんなに少しずつでもお返しをしていきたい。それだけでも、自分がこれからもこの世の中に生きていく価値はあると思う。
Jul 2, 2009
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今日から休講すると補講ノルマが発生するのと、体調も悪くないので大学へ行くことにした。ここで何日も休むと1日4コマを連日とかいう、学期末が死にそうな予定になってしまう。省エネ状態で走っている方がまだマシなのだ。 体力的に未知数ということを考え、まず自宅から駅までいつもなら乗らないバスに乗る。電車ではひたすら座り込んで、あとは駅から大学までタクシーで。とにかく90分話ができるかどうかが不安で仕方がないので贅沢な省エネコースを選択。 さて、まずは1コマ目。ケガをしていることを断って、時折椅子に座ったりして説明した。思っていた以上にしんどさは感じず。昼食を挟んで2コマ目。こちらは補講、少し楽なプログラムにさせてもらう。何とか180分の授業を乗り切る。 空き時間には同僚が来室、このページを読んで大丈夫なのかと様子を見に来てくれた。心配してくれる人がたくさんいてくれることをありがたく思いつつ申し訳なく思う。 遠目に見るとケガをしたことは大してわからないのだが、近くに話に来た同僚は皆さん「どうしたの!?」とおっしゃる。説明するのも自分としては情けないので、「髭そりに失敗したわけじゃないですけどね~」とくだらないことを言った。冗談っぽく言ってはいるものの本当はかなりひどいのだが。 まあ、初日としてはこんなところかな。明日は夜まで授業。これが心配である。しかし、最近数日のいくらでも寝られる状態から、やはり相当疲れていたのだと感じる。また、ケガのあとは毎晩9時間ほど寝ているが、今日は体が軽かった。睡眠は本当に重要だ。睡眠時間というのは、やはり人それぞれに合った長さがあるのだと思った。長く時間を使うのではなく、短くても密度濃く使うことが大事なのだと実感した。何となく長くやっていないとサボっているんじゃないかと思ってしまう自分がいるのだが、そのモードは切り替えるべきなのだろうなと思う。倒れてしまったら、仕事にならないし、人生としてもダメダメだな。時間と体力との折り合いをつけるのに、頭を使わなければならないな。
Jul 1, 2009
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