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第 三百三十 回 目 以前から私・草加の爺のブログを御愛読下さっていらっしゃる御奇特なお方は、きっと御記憶して下さっておられると思いますが、私は無謀にも「古事記」の現代語訳に挑戦したことがありました。その際に始めの部分に関して省略して、その儘で残していた神々のお名前の由来について、音読やセリフ劇の台本の素材として書いてみたいという思いに、突然に駆られたのであります。 その理由については、後々折が有れば触れる時があるかも知れませんが、是非とも敲き台だけでも残して置くのが、私に残された 使命 であると霊感の如くに閃くものが、有ったからでありますよ。 言い伝えの「古事記・ふることぶみ」現代語訳( 案 ) むかしむかし、そのまたむかし、 太古の昔に、私達の現在住んでいる大地がまだ姿形を現してはいない、遠く遥かなる昔のことです。始め、天と大地とはまだ分かれてはいませんでした。その天と地とが最初に別々の姿を取り始めた頃に神々の御国の高天の原に出現なされた神のお名前は、天の中心になられた御方・アメノミナカヌシ様でした。次には様々なものを生み出される力をお備えになられた御方・タカミムスヒ様、次いではカミムスヒ様のお三方がいらっしゃる。 以上の御三方の神様方は、皆さんパートナーを持たれずに独身のままで御姿を、隠してしまわれました。そして次には人間の住む国土が十分に形成されていない、大空の一隅に液体の脂(あぶら)が広がっている様な状態の所に、葦の芽の如く下から萌えあがるように生成なされた神様・ウマシアシカビヒコジ様、次には高天が原に永久にとどまっていらっしゃり、その世界を永久に存続させる神様・アメノトコタチ様がいらっしゃいます。 この御二方の神様も独身のままで身を隠されてしまった。以上の独身の神たちは、天の神の中でも 特別な神様 たちでいらっしゃいます。 その次に出現なさったのは、国土の根源の柱・クニノトコタチ様、その次には広大な国土の広がりを支える神のトヨクモノ様。この神様たちも独身のままで、身を御隠しになられた。 次に出現なされたのは、男性の泥の神様・ウヒヂニ様、その後に女性の砂の神様・スヒヂニ様。この御二方の神々は互いにパートナーとして御協力なさいました。 次には生命力の伸長に尽力なされたペアの神、男神はツノグヒ様で、女神はイクグヒ様がいらっしゃいます。 そして更に、結婚に際してお互いを称賛しあった一組の神達がいらっしゃいます。先ず男の神様が「何て素晴らしい女性としての完全な魅力をお持ちの御方なのだろうか!」と声を掛け、女性の神様がそれにお答えして、「何とまあ、素晴らしいチャーミングな男性の素晴らしさを、お持ちなのでしょうか、貴男様は!」と驚嘆なされた。男神はオホトノヂ様、女神はオホトノベ様です。 さて、次は容貌が殊の外に整って内面的な魅力が充満していらっしゃる男性の神・オモダル様と、この男神から素晴らしいお嬢様でいらっしゃいますね、と声を掛けられた時に「まあ、その様に褒めて頂くと恐縮してしまいますわ」とおしとやかに謙遜された女神・アヤカシコネ様がカップルとしていらっしゃいます。 そして又、さあ、私の所にいらっしゃい。私は素敵な貴女と結婚したいのですよ、と女神を誘った男性の神様・イザナキ様、その呼び掛けにお応えなされて「わたしも勿論、結婚の場に参りますが、あなた様も進んでこちらにいらっしゃって下さいませな」と返答なされた女神のイザナミ様が出現なさいました。 このペアの神様方が後の「国生み説話」の主人公になって、日本の国土の骨格を御作りになられるのですが、クニノトコタチ様からイザナミ様までの時代を、神の世の七代と呼びます。 ―― 以上で、通常我が国の始まりの物語とされる「古事記」の説き起こしの部分の、一応の現代語訳を終えましたが、私達が青森県の野辺地の地で開始する読み聞かせの会からスタートして革新的なコンセプトに拠るセリフ劇へと発展させる一大ムーブメントの台本候補の中に、このささやかではあるが十分に素晴らしい古事記冒頭の一節を加えることの出来る幸福を、大和の国の八百万の神々に衷心からの感謝の誠を、捧げたいと思うのであります。 現時点では、以上のコメントに止めて措きたいと存じます。 扨て、婆ものジャンルとは別に、爺もののレパートリーを開拓しておきたいと以前から密かに念願しても居りましたので、早速にトライしてみます。 痛快喜劇の寸劇「何てまあ、弄(いじ)り甲斐のある相手なのでしょう」 時代:現代 場所:人間の居る何処か 人物:女、そくら爺さん、その他 女「あたしは自分で言うのも何だけれど、史上で最悪、このあたしの視力が及ぶ範囲では少なくとも最も根性のひん曲がった性悪な女だよ。別に鼻に掛けてなどいないさ、腹黒で意地悪で、根性曲がりのあたしだけれど知性や判断力までが狂っちゃいないさ。普通の判断力は当然ながら、持ち合わせているよ。それなのに何故、人の嫌がる事ばかりするかって。当たり前じゃないか、面白いからさ、愉快だからなんだよ、他人が困ったり苦しんだり、四苦八苦する姿がさ。人が嬉しそうだったり、倖せそうに見えたりするだけで、気分が悪くなるのだよ、訳もなくね。だから相手を困らせたり、弱らせたりして遣るのさ、あたしの気分がよくなるように…」 いつの間にか善良その物と言った雰囲気のそくら爺さんが登場して、喋っている女の前を行ったり来たりし始めている。女はそれを黙殺して話続ける。 女「とにかく、誰でもいいからギャフンという目に遇わせてやりたいのさ、あたしの性分としてわさ。他人が暗い顔をしていたり、浮かない暗い表情をしていると、もうそれだけでこちらの気分は浮き浮きとなって、軽く鼻歌でも歌いたくなる。(爺さんの何とも楽し気な、能天気な様子にイラついたのか)おい、こら。そこの惚(ぼ)けナス。お前だよ、爺さん、お、ま、え」 そくら「(自分を指さして)吾、ですか?」 女「このおたんこナスが、他には誰も居ないのだから、直ぐに解りそうなものじゃないか」 そくら「今日は、本日はよいお日和(より)で、結構で御座います」 女「(ひどく機嫌を損ねている)何が、良い日和だい」 そくら「吾が何か気に障るような事を致しましたでしょうか?」 女「お前さんの存在自体が、目障りなんだよ。どっかに消えてしまっておくれ」 そくら「あのーォ、さっきから伺いたいと思って遠慮していたのですが…」 女「(ぷいっと横を向いてしまう)」 そくら「(独り言を言う様に)やっぱり吾が最初から思った通りだ。こんなにチャーミングで素敵な女の人は世間には滅多に居るものじゃあないものな。でも、吾はこの人からひどく嫌われてしまったようだからな」と、一旦はその場を去りかけるが、直ぐに又戻って来た。女は依然として爺を無視したポーズを続けるが、内心では少し気になっている。 そくら「あのーう…、やっぱり止めにしておこうかな」とその場で回れ右をしたり、もじもじと身をくねらせたりして、大いに迷っている態。 女「(とうとう我慢し切れなくなって)言ってみなよ、爺さんが伺いたいとか言ってた事をさ」 そくら「えっ、お尋ねしても宜しいのですか、本当に」 女「(イライラして)このあたしがいいって言ってるのだから、試しに言ってみなよ」 そくら「そうですか、それじゃあ遠慮せずに大胆に、率直に申し上げましょう。貴女はもしかして御先祖様は京都のさる御公家様で、とってもやんごとない御血筋ではないでしょうか?」 女「さる、お公家…、やんごとない、お血筋…」 そくら「ええ、ええ、吾は或るしっかりとした権威ある学者から聞いたと言う、或る人から又聞きしたので絶対とは言えないのですが……」 女「その先を言ってみなよ、その先をよっ」そくら「はいっ、何でもただの普通の人ではないから、あんなにも知的で優雅な雰囲気を常に周囲に漂わせているのだって、その偉い学者から伺った或る人が力説するものですから」 女「力説するので何だって言うのよ、早く結論を言いなさいよ、結論を」 そくら「ズバリ申し上げますよ。あの女の腹黒さは今に始まった事では無い、悪い、ねじ曲がった血筋が災いしているに相違ないって、これもある人が言うのです。断って置きますが、私が言うのではありませんよ」 女「(頭から湯気を出さんばかりにして怒っている)」 と、そこに数人の子供達が通りかかって爺に声を掛けて来た。 子供達「お爺さん今日は。僕たち今日はいい子にしてました。何も悪い事はしませんでした」 そくら「ああ、それは良かった。気をつけて帰るんだよ」と手を挙げて子供達を見送った。それから急に女の方を見返り、「失礼しました。あの子達、吾の弟子でしてな、空手の」 女「(不審げに)カ ラ 手…」 そくら「そうです、吾はこう見えても空手の名人でしてな。子供たちに稽古をつけているのですわ」 女「そうかい。人は見かけによらないって言うけど…」 そくら「空手の達人は身体全体が鋭利な刀のような存在でしてな。ですから、暴力は自分で封印して、滅多な事では使いません。ああそうそう、貴女の筋金入りの悪人振りは、やはり先祖の高貴な血統に由来しているのかな、御自分ではどう思って居られるのかな?」 女「そんな事は自分の口からは言えないよ、自慢しているように聞こえるかも知れないから」 そくら「バカな事を言ってはいけないよ。吾はあんたさんを糞みそにこき下ろしているので、自慢できる様なことじゃありませんよ」 女「この糞爺が(と、思わず拳を握りしめて爺を打とうとしたが、はっと気がついて)、あたしの我慢に限度というものがあるから、気を付けた方が身の為だよ」 そくら「(手刀で瓦を割る様な仕草をしながら)瓦の二三十枚を割るのは朝飯前の簡単な仕事さ、吾にとっては」 女「瓦の、ニ三十枚が、朝飯前だって」と、ゾッとしたように爺を横目で見る。 そくら「他人の不幸や災難を見て喜ぶだなんて、相当頭が行かれた、人間の屑だよ、あんたさんは」 女「畜生め、言わしておけば図に乗って…」と、思わず爺に詰め寄ろうと身構えたが、首を何度も横に振りながら持ち堪える。爺は涼しい顔をして女の顔を穴のあくほどに見詰めながら、尚悪態を続ける。 そくら「へん、この弱虫の根性無しが。悪党だったら悪党らしく最後まで振舞ったらどうだい。こんな吾の様な風が吹けば吹き飛ぶような耄碌爺が恐ろしくて、手も足も出せないのかい。この悪魔の出来損こないめが!」 女は地団太踏んで悔しがっているが、爺の空手の腕前が恐ろしくて、手出しが出来ないのだ。そこに突如いつもの婆が登場した。 婆「あら、そくらさん、よくこの性悪女を打ちのめさないで我慢が出来ましたね。吾はまた例によっててっきり重症を負わせて、病院送りにしてしまったかと思っていたのに」 女「(ババに対して)あんたは一体何者なのよ」 婆「吾はこのそくらさんの憧れのマドンナですよ」 女「ま、ど、ん、な」 そくら「そうだよ、吾の永遠の女神様。お前のような根っからの魔女とは正反対の、素晴らしい美人だよ。悔しかったらこの人の爪の垢でも煎じて飲むがいい」 呆気に取られて固まっている女を尻目に、二人の老いたカップルは実に楽し気に腕を組んで、スキップを踏んでその場を去って行く。 ( ジ エンド ) ―― 現実にはあり得ない設定であり、あり得ない展開ですが、ストレス解消のフィクションの一例として御参考に供したものであります。
2018年08月28日
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第 三百二十九 回 目 寸劇「世界一の鼻つまみ者を懲らしめる」 時代と場所は不定だが、取り敢えずは現代(として置きましょうか) 人物:男 と 婆、その他 男「俺は世界で一番嫌われている男だ。何故だって、当たり前じゃないか、人が嫌がる事ばかりやるからさ。何故って、すごーく面白いからさ、決まっているじゃないか。それもなるべく弱そうな、しかも弱点の多い奴を選び出して、とことんいたぶってやるのさ、虐めて虐め抜いてやる。痛快だぜ、痺れるような快感が身体中を駆け抜けて、一度この味を覚えてしまったら、もう二度とは止められないね、実際の話が」と、実に憎々しげな奴なのだ。 と、いつの間にか登場したのか、我等が婆が飄然として何処からともなく姿を現した。男は婆を無視して話を続ける。 男「俺は世界中で一番、意地悪だと言われた男。相手は出来るだけ弱くて意気地なしがいい。つまり、それだけ簡単に快感が得られるからだ」 婆は最初のうちは遠くから男の様子を窺うようにしていたが、次第に大胆に近寄り、男の顔を穴の開くほどに凝視し出した。男は遂に無視できない気持ちになったのか、 男「おい、おい、婆さん。俺は見世物なんかじゃないのだ、目障りだから何処か俺の目の届かない、遠くの方に行っちゃって呉れないかな、あーあっ」 婆「(尚も男の顔をしげしげと眺めながら、独り言のように呟く)まあ、何て男らしくて素敵なお人なのだろうか…」 男「何か言ったかな、余りよくは聞こえなかったので、もう一遍、はっきりと言って呉れないかな」 婆「ええ、何度でも言いますよ、吾は。あんたさん、とびっきりに男らしくて、超素敵だって言ったんですよ。このババがあと四十歳若かったら、只じゃほっとかないのだけれど」 男「(急にデレデレとした表情になって)ほんとかね、その言葉」 婆「ええ、ええ、本当もホント、吾は生まれてからこの方、嘘とお世辞は言ったことがありませんよ」 男「(尚もデレデレとなって)やっぱり本当の事を言って呉れているのだ。嬉しいね、感激だね。俺自慢じゃないけど世界一の鼻つまみ者で通っているから、そんな褒め言葉を聞いたことがなかったから、ほんとに嬉しくて、嬉しくて、涙が出てきそうだ」と、本当に涙まで流しそうな男である。 婆「あのーぅ、こんなことをお願いするのはとても憚られる事なのですが…、あーあ、やっぱり吾にはこれ以上は言えないわ」 男「何ですか、その御願いというのは? お婆さんになら、俺どんな無理難題でも聞いてあげるよ。試しに言ってみなよ」 婆「吾こう見えても気が小さくて、意気地なしなものですから、こんな厚かましいお願いは普通ならとても口に出せないのですが、清水の舞台から飛び降りたつもりになって、お願いしましょうかね…、あーあ、やっぱり吾には無理ですよ、とても、とても…」 男「(ケラケラと笑いながら)俺は意地悪でゲジゲジの様にみんなから嫌われているけれど、お婆さんのようにチャーミングな人には生まれて初めて会ったよ。気に入った、たとえ火の中水の中、お婆さんの言う事なら何でも聞いてあげるから、遠慮しないで言ってみなよ。自慢じゃないけど俺がこんなに優しい気持ちになったのは生まれて初めてだし、自分でも信じられない事だ。お婆さん勇気を出して言ってみなよ、その御願いとかいうやつをさ」 婆「そうですか、では言いますが本当に怒らないで下さいよ。吾はあんたさんに会って、益々分からなくなってしまったの。あなたのようなお人が弱い者虐めの限りを尽くしているという、悪い噂が。それで、どの様な気持ちであんたさんが意地悪と言う酷い弱い者虐めをするのか、その心境が知れるものなら、知りたいと思ったのですよ」 男「何だ、そんな事か。ようし分かった、お婆さんに体験して貰えば話は早いのだ。体験しない事は誰だって理解出来ないだろうからな。よし、そうと話が分かったら今から実地に体験して貰おうか」 婆「何ですって、我が弱い者虐めを体験するですって、ぶるぶるぶる、あーあ、桑原くわばら」 男「(愉快気に笑いながら)簡単だよ、この俺が実験台になって分からして上げるから、見ていなよ」と、男は脇に置いてあった大きな風呂敷包みを取り出すと、中からロープやその他の道具を一式手に持って取り出した。 そして口で説明しながら自分自身を自由が利かないように、雁字搦めに縛り始めた。 男「えーと、自分で自分のことを縛るのは初めての経験だけど、そんなに難しい仕事じゃない。先ず両足を縛って、次は首の回りを三回巻いて、それから両手の自由が利かないように縛りつけて、あのお婆さん一寸だけ手伝ってくれませんかね、その余っているもう一本のロープで俺を後ろの木にぐるぐる巻きにして貰いたいのだけど。あーあ、それが終わったら、アイマスクを目隠し替りにして両目を塞いで、ああ、そうそう。有難う」 婆「(大いに驚いたような素っ頓狂な声を出して)こんな事をして、どうしようと言うのですか、一体全体」 男「お婆さん、最後に袋の中にムチが、よくしなる奴が入っているから、それを手に持って呉れないかな」婆「持ちましたけど、ムチを」 男「OK、それで準備完了」 婆「これから吾は、どうしたらよいのですか?」 男「そのムチで俺を打って呉れ、殴ってくれ!」 婆「(密かにニヤリとしてしてやったりとばかりの表情をしながら、言葉だけはさも吃驚したと言わぬばかりに)えっ、何ですって、ムチで貴男さんを打つ、殴る、のですか…」 男「その通り、やってみれば俺の気持ちがすごくよく分かるから、兎に角、やってみなよ」 婆「(尚も表情だけはとても嬉し気に、しかし言葉はそれとは裏腹な感じで)吾にはそんな酷い事は金輪際できませんよ。身動きも出来ない相手を、ムチで叩くなどとは、とてもとても出来ません」 男「(とてもご満悦の態で)やってみれば解るからさ、とにかくやってみなよ、びしゃっとそのムチをしならせてさ。俺が、殴られる側の俺が、こうしていいって言ってのだから遠慮なんかしないでさ」 婆「そうですか、それではまあ、お言葉に甘えさせて頂いて」と男の体に一鞭当てた。 男「駄目だよ、そんなんじゃ蚊に喰われた程にも感じやしない。もっと思いっきり力を入れてさ、やって御覧よ!」 婆「それでは、お言葉に甘えさせて頂いて」と、二度三度とかなり手酷く男を鞭打つ。男はさすがに痛いとみえて苦悶の表情を見せ始めたが、婆は何かに憑かれたように激しく男の体をムチで打ちだした。 男「(痛さに耐えきれずに)ちょっと待った、待って呉れ。お婆さん、もう十分に快感を味わっただろう。もう、それくらいで十分だと思うけど…」 婆「(しれっとして)吾は快感など少しも感じませんよ、ほんの少しも」 男「(内心では困り切っているが、精一杯の強がりを見せて)そうかい、それじゃあ、仕方がないからもう少し続けてみなよ、構わないからさ」 婆「そうですか、それじゃあお言葉に甘えて、もう少しだけ」と婆はいとも楽し気に男を手にしたムチで痛打し続ける。男はこらえきれずにひーひーと悲痛な悲鳴を発している。 男「待って呉れ、もうよして呉れよ。いくら何でももう痛くて我慢できないよ」 婆「(涼し気な顔をして)あら、そうですか。吾の方はやっとあんたさんの言う 快感 というのが、ほんの少しだけ解るような気がしてきたところですから、ここで止めるわけにはいきませんよ」と、一層烈しくムチを男の体に打ち付ける。その度毎に男の口からは悲鳴に似た叫び声が漏れている。 男「止めてくれ、後生お願いだからもう勘弁してくれ!」 婆「(横の方を向いてあかんべーをしてから、客席の方に向かって)どうしますか皆さん、もうこれくらいにして許して遣っても宜しいですか。吾は好き好んでこんな乱暴を働いているわけではありませんから、皆さま方の言いなり次第に致しますが……」と観客たちに振った。ここからはアドリブを入れて、観客がやれと言えば続け、止せと言えば止めるなどする。 男「助けてくれ。このままだと俺は死んでしまうよ。優しいお婆さん、チャーミングなお婆さん、初めの優しかった気持ちを思い出して、俺を許して下さい。お願いしますよ」と男泣きに泣き始めた。 婆「そうですか、じゃまあ、この御遊びはこのくらいにして置きましょうかね」 男は全身でほっとした安堵の気持ちを表現している。 婆「所であんたさん、ちょっと質問したい事があるのですが、正直に答えて貰えますか?」 男「はい、はい、優しい、優しいお婆さん、何なりと質問して下さい。俺はどんなことを訊かれても正直に答えますよ」 婆「そうですか。それではお尋ねしますが、あんたさん見かけによらずに気が小さいと言いますが、それは本当ですか?」 男「(一瞬、厭な顔になるが無理に笑顔を作りながら)気が小さいと言うほどでもないと思うけど、極端に嫌いな物は確かにあります」 婆「それを正直に言って下さいな、嘘偽り無しで」 男「言いにくいな、自分の口からは。これを言うと必ず人から笑われてしまうから」 婆「じゃあ、吾の方から言いましょうか。カエルでしょ、それも生きているガマ蛙が死ぬほど嫌いなのでしょうが」 男「げっ、知ってたんですか、俺の最大の弱点を。本当に隅に置けないお婆さんですね」 婆「実は、吾は此処にガマ蛙を持って来ているの。あんたさんにプレゼントしようと思ってね」 男は婆のその言葉を聞いただけで身体が固まってしまった。婆はムチを捨てて、背中に背負ったカバンから何かを取り出すと、男につかつかと近寄り、男の胸にその物を押し込んだ。 婆「はい、あんたさんの大好きな、生きたガマのプレゼントですよ」 見ると、男は声も挙げずに立ったままで悶絶している。 婆「馬鹿だね、子供の玩具なのに」 そして、客席に向かって語り掛ける。 婆「因果応報ってね、悪い事ばかりしていると、それがいつの間にか巡り廻って、自分の所に還って来るってね。昔の人はうまい事を言っていますよ。はい、それじゃあ、今日はこれくらいで失礼致しましょう」と、舞台の下手に姿を消す。 大爆笑を誘う純粋な喜劇は非常に難しいのですが、実例を示さない事には理解がされ難いので、恥を忍んで兎に角でっち上げてみたものです。弁解がましくあれこれ言うのではありませんが、日頃の不特定多数の人の心の憂さを晴らす為の工夫を中心に、まとめたもので、後味が悪くならないように演出的にも細かな神経を、随所に行届かせるべきでありましょう。 現実では到底あり得ない、フィクションであればこそ許されるギリギリの所を、辛うじて狙って、まあまあの成果を出したと作者としては思っていますが、実演や演技者のキャラクターなどによって、改良を加える必要があろうかと、考えて居ります。
2018年08月17日
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第 三百二十八 回 目 今回は「死」について考察を深めてみたいと考えました。人によっては死などとは思っただけでもぞっとする、忌まわしいものの最たるものと毛嫌いされていらっしゃる人も、きっと大勢いらっしゃるとことと存じます。しかしながら、生まれたからにはいつの日にか必ず死を迎えるのは、いわば当然の事。誰でも真剣に自己の死を見つめるのは、無意味であるとは思えません。 不肖私・草加の爺にとって年齢を重ねる毎に、身近な近親者との永の別れを幾度となく体験して来た為か、考えただけでも怖気をふるう、と言った衝動的な嫌悪感は全くと言ってよい程になく、無条件に嫌な、嫌悪すべき対象ではなくなりました。 私の意識に残っている近親者の死は、母親の姉・伯母の突然死でした。物心ついて以来ずっと日常的に可愛がられていた伯母さんですから、その脳溢血による急死は六七歳頃だった幼心にも大変なショックでした。寝床に横たわっている伯母の死体に接した際、あたかもハンマーで殴られたような強烈な衝撃を受けたのを、今でも鮮明に覚えていますね。次は実父の死です。既に私は父親とは別々に生活をしていましたから、その死に目には会って居りませんが、心臓発作による突然死でした。苦悶の表情もなくまるで自分の死を自覚していないような、安らかな自然死の如くでした。ただ、只管に悲しかった事を記憶に留めて居ります。 次は、三歳下の妹の死です。聖路加病院のホスピス病棟の特別室での臨終で、私は昏睡状態に陥る瞬間から息を引き取るまで病床に附き添いました。この際は、悲しみの感情よりも「或る、荘厳な何物かが訪れた」ような、強い感銘に似た印象がありました。息を引き取って医師が「御臨終です」と告げた数秒後に、金粉にまがう細かな粒が妹の顔の周辺を蔽うかのように、ほんの数秒間ですが出現していた。私は思わず、「分かったよ、君は奇麗だよ!」と口走っていました。何だか妹が自分の事を美人だったことを印象付ける為に意図して 演出 した如くに思えたものですから、咄嗟に口から出てしまったもの。 そして次は母親の死ですが、母親の場合には最後の数年間は私達のマンションに引き取り、生活を共にし、介護の経験もし、自身もお迎えを待つ心境になった96歳での臨終でしたから、悲しみというよりは安堵感の様な思いが先に立ちましたよ。 最後は、妻の悦子の死です。結婚以来四十二三年間、一緒に過ごした楽しかった時間は本当に「あっという間」に過ぎ去っていました。治ると信じての闘病生活から解放された最後の半年余りは、むしろ悦子は殆ど何処か楽し気な風情をさえ、少なくとも私の前では漂わせて居りました。ですから、ホスピスとして自ら選択した三郷の病院に通院する際には、あたかも夫婦でピクニックを楽しむが如き趣きがあった様に感じました。少なくとも、悦子の言動からはそうした「演出」が無意識に出て居た、と思います。別れが悲しくないわけがないのです。別れが寂しくないわけがないのです。言葉に出して言えば、自分も「かついくさん」も一層辛くなるだけ。一層暗く切なくなるだけ。だから、せめて最後の時間を、共に過ごす時間を大切に噛み締めよう。そう言っているのも同然の振舞でした。我が女房ながらも「凄いぞ、悦ちゃん」と今なら言って上げられますが、当時はとても、とてもその様な心境にはなれませんでした。遂に行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは 思わざりしが ― とでも表現するのが精一杯のこと。 さて、死に関しての私の現在の進境を開陳致しましょう。私には、哲人ソクラテスの真似はとても及びも尽きません。しかしながら、心の底から敬愛する真の賢人ですから、やがてはソクラテスの臨終を前にした見事な心持に近づきたいと、心底から念願は致して居ります。 私にとって少なくとも妻の悦子は人々が言うような意味では、まだ「死んではいない」のであります。妻は私と共に居るのであります。確かに肉体としては滅んだのでありますが、魂と言うか、霊的な存在として確実に存在しているのであります。存在しているだけではなく、私に現に働きかけをしつつあるのでありますよ、はい、しっかりと。そんな莫迦な事を言うお前はどうかしている、そうおっしゃっられても現実に働き掛けを受け、強い影響を受けている私としては、私自身の実感を正直に吐露するしか手がないわけでありまして……。 それは兎も角と致しまして、私は死とか死後の事を次の如くに考えて居ります。あの世が有るのか無いのか存じませんが、そして魂・遊離霊があるのかないのか知りませんが、冥界とは私たちにとってこの大宇宙そのものだと感じています。冥界は宇宙の彼方に在ると考えるより、今の私にはぴったりと来ます。そして、亡き人の魂が有るとすれば銀河の太陽系の周辺に、小さな星の如くに漂っていると見るのが「合理的な」気がします。また同時に、魂の速度は光速などとは比較にならない程迅速ですから、仮に冥土が三千億途の彼方にあろうとも、瞬時にして瞬間移動可能ですから、魂にとっては距離などはあって無きが如し。つまり、一か所にとどまると考えるよりは宇宙に遍在すると解釈する方が、ずっと理解し易いのですね、はい。 そして、このように解釈して参りますと、悦子があの世の人達と楽しく暮らしながら、私の側にぴったりと寄り添いアドバイスをしてくれている現状も、無理なく理解できるのでありますが、これは飽くまでも私・草加の爺めの勝手で恣意的な解釈にしか過ぎません。御参考までに申し述べたのであります。 斯くの如くに、同じ死とは言ってもその受け止め方は各人各様の受け止め方が有るのは、同じ生と言っても各人各様で、様々な人生があるのと全く同じことでありましょう。また、生が喜びを基調としながらも、常に苦を伴う如くに、死は悲しみを基調として人様々な受け取りを可能としているようであります。 しかし、ソクラテスが説いた「死はあらゆる善いものの中での最善のものである」という見解には、ごく一部の人々しか到達出来ない。その一部の人とは、哲学者たる真の愛知者であることが要件として根柢にあるため、誰もが容易には到達出来ない境地でありましょう。が、天与の無垢なる魂は哲学や愛知の苦難のプロセスを経なくとも、一瞬にして獲得できる 易行 でもあった。この辺が、人生の意義深い所でありまして、滋味掬すべき勘所かとも思われます。どうぞ、其処の所を熟慮勘考の上、対処なさる事を切に願っておきます、切に。 此処で、一休禅師が「釈迦と言う いたずら者 が世に出でて、人の心を惑わし云々」と言った事を想い出しました。一休は堕落の極にあった仏教者を痛烈に批判しているのであって、お釈迦様本人を貶めているわけではないのですよ、実際の話が。盲目の森侍者との一見は不可解な交友にしても、純粋無垢な魂には直接に響いて来る大切なメッセージが籠められていた。心して生きたいものです、心して。 ごく最近に、次のようなご意見を頂戴いたしました。草加の爺の説くセリフ劇が素晴らしい未来を切り開く、世にも素晴らしいプロジェクトだと仮に全面的に認めるとして、その場合に理窟からすれば日本の何処の場所であっても、土地の人達の賛同と協力が得られるならば、何処であってもよいのではないだろうか? 話を聞いていると、何だかスタートを切るのに手間取って、徒に月日だけが経過しているような印象を強く受けてしまうのだが。そういった趣旨の御意見でした。 私が構想し提案しているセリフ劇は純粋な可能性だけを問題にする場合には、仰る通り何処ででも可能でありましょう。しかし、現実に実施し実現を果たそうとする場合には、厳密な諸条件が具備されている必要があるために、他の場所ではなくてやはり青森県の野辺地である必然性が、絶対にこの地でないといけないのでありますよ、絶対に。ここから波及して、地球上の各地に伝播し広がる事はあり得ても、スタート地点は「此処・野辺地」である必要があるのです、実は。 これも追々、現地での活動を展開する過程で、身を以って私自身がお示ししなければならない使命が、私・草加の爺には課されておりますので、少しずつ納得して頂くつもりで居ります。 此処では、そのほんの一端だけを述べるにとどまりますが、申し述べることに致しましょうか。 私は、極論を言うならば私たちのセリフ劇には特別な舞台や設備を必要としない旨の発言を、前にして居りますが、大局的な見地からする野辺地の地政学的な意味合いからすれば、カタルシスを中心とする諸ストレスの解消を目指す治療場としては、陸奥湾を挟んで霊場の恐山と隣接する港町・野辺地である必要がどうしてもある。つまり、大きな意味で野辺地の町全体が一つの舞台を形成する必要があるのですね、どうしても。更には、将来の町全体の充実を図るためには 陸奥湾の海洋牧場化 が、当然に計画されなければなりませんが、その遠大な構想の中心にある町も、野辺地である必然性がある。 この程度で今は止めて置くことに致しましょう。セリフ劇の完全な実現は、必然的に野辺地の飛躍的な大発展を将来する事に直結するのでありますが、今の段階でこれを強調するのは大風呂敷の広げ過ぎの批判を容易に招くことが予想できますので。 それと、現段階ではセリフ劇を啓蒙、指導、実践出来るのは私・草加の爺一人でありますから、私の事情だけから申しても、野辺地以外には考えられもしない。これが、理由の全てでありますね。
2018年08月13日
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第 三百二十七 回 目 反戦映画に「ディアハンター」がありました。この映画を引合に出したのは、鹿狩りといった行為が一種のスポーツの様に楽しまれている文化が、特に欧米に有ることを枕にしたかったからに過ぎません。テーマは「殺人の愉しみ」という前回からの続きです。 プロデューサー時代に或る人気スターから聞いた話でありますが、外国に行くと野生の鹿をライフル銃で射殺するゲームが、高額な料金を支払えば手軽にエンジョイ出来る。遠くから狙った弾が命中する手ごたえは確かにハンターに伝わって、無上の喜びを、最高の快感を味わうことが出来る。そして、これは人の話なので自分はまだ体験していないが、中国では軍人にまとまった金額を支払えば、銃殺刑に処せられる死刑囚を射殺することが、旅行者にも可能だと言う。鹿撃ちの体験から類推すると、死刑囚とは言え、生きている人間を殺す行為は「相当の快楽」を与えてくれるに相違ないので、いずれはその様な好機に浴したいものだ。そのスターは無邪気に語ったものです。 しかし今にして思えば、その人にしても他には誰もいない私と二人きりの状況だったから打ち明けた秘密の内緒事だったに相違なく、誰にでも、何処ででも出来る世間話の一つだったわけではないでしょうから、ある種の後ろめたさを感じていたことは事実でありましょう。そう感じる半面で、他聞を憚る様子の下から、衣の下の鎧ではありませんが、自分のような有名人にだけ特別に許された「秘密の愉悦」に小鼻をうごめかさんばかりに、一種得意げだったそぶりも印象的でした、何故か。 こうした私自身の限られた経験を含めて、毎日のようにジャーナリズムにより報道されている凶悪極まりない犯罪の数々を勘案してみると、私たちの潜在的な意識の中に、殺人を嗜好する忌まわしい傾向が伏在している恐れが、多分にあると認めざるを得ないのです、残念ながら。 一般論として、絶対的な悪も無ければ、反対に絶対的な善も聖もないとすれば、殺人には何某かの取り得があるのかも知れません。少なくとも、「神」の視点からすれば。しかし、しかし、愚かな人間の一人として殺人のメリットなどは断じて認めたくはない。まして況や殺人の愉しみにいたっては、であります。 はてさて、このような暗く忌まわしい情念の数々は、ドラマというフィクションの中で存分に爆発させ、放出し、解消してしまうに如くはないのです。不発弾のように不気味なエネルギーを溜め込まない様に、出来ればこまめに非現実の場で処理してしまう。そういう機能を虚構の世界、取分けドラマという分野は本来機能として担っているのでありますから。その有用な機能を意図して、意識的に有効利用しない手も無いのですね、我々としては。 反対に、現実では到底望んでも得られない高い理想や願望も、フィクションの場を借りればごく手軽に実現出来るので、そうした疑似体験を通して現実の壁によって歪められ、歪曲化されて出口を失っているエネルギーも適度に昇華され、健全な消費を果たすことになる。フィクションとしてのドラマが持つ様々な効用は、私たちの工夫と努力次第で具現の可能性を秘めていると、言っても過言ではありません。 次にちょっとした寸劇をご紹介してみたい。題して「処刑の日」であります。 時:二千四百年以上前 場所:古代ギリシャ 人物:ソクラテス、その他 牢獄の中。獄吏によって戒めを解かれたソクラテスが居る。いつも面会に来るソクラテスの友人たち数人が最後の別れを告げにやって来る。ソクラテスの傍らにいた妻のクサンティッペが小さな子供を抱きながら、 クサンティッペ「ねえ、あなた。このお友達とお話をされるのも、これが最後なのですね」 ソクラテスは親友のクリトンの方を見て言った。 ソクラテス「クリトン、誰か妻を家に連れて行ってくれないか」 クリトンの召使たちが泣き叫び、胸をかきむしる彼女をその場から連れて行った。やがてソクラテスはベッドの上に身体を起こし、膝を曲げて手で足をさすりながら、 ソクラテス「ねえ、君達、快適だというのは正反対の苦痛と、何と奇妙な関係にあるのだろうか。快と苦は同時に揃って人間に体験されないけれど、一方を追いかけて捕まえると、必ずもう一方も捕まえてしまう。まるで二つでありながら頭は一つみたいではないかね。イソップがこの事に気付いていたら、きっと物語を作っていただろう。神様が快と苦の喧嘩を仲直りさせようとなさったが、お出来にならなかったので、両方の頭を一つにしてしまわれた。その為、一方が誰かの所に来ると、もう一方も必ず後からついて来る、というような物語をね。私も足枷の為に足が痛かったが、今度は快さが後からやって来たようだ」と、平静である上に、更に快活そうでさえある。少なくとも、如何にも倖せそうである。 ケベス「獄中でイソップの物語を詩になさったり、アポロンへの讃歌をおつくりになったりなさっるのは、何故でしょうか? 今までは決して詩など、お作りにならなかったのに」 ソクラテス「私は、これまでの生涯に度々同じ夢を見た。その時々で姿形こそ違え、言葉はいつも同じだった。ソクラテスよ、ムゥシケーを作り、ムゥシケーに精進せよ! とね。私は哲学こそ最大のムゥシケーであると思っていたので、この夢は現にしていることを励ましてくれている。そう解していた。所が今度の裁判が終わり、この神・アポロンの祭りが私の死刑執行を延期させている今となってみて、ふと思いついたのだ。もしかしたら、夢が度々私に命じていたのは、あの普通の意味でのムゥシケーの制作かも知れない。だから、責めを果たしてからこの世を去った方がよいのではないかと、とね」 ナレーション:ムゥシケーとは、今日の英語のミュージック、ドイツ語のムジークの語源をなすが、そもそもは女神ムゥサイ(単数形はムゥサ)が司る領域を指す。ムゥサイはゼウスの九人の娘達で、文芸、音楽、舞踊、哲学、天文などの知的活動の女神である。それで、ソクラテスは以前にはムゥシケーを哲学活動の意味と解し、それに専念していた。だが、牢屋に閉じ込められても、尚お告げがある。刑の執行が一か月も延びたのはアポロンの祭りのためだ。アポロンは哲学の保護者であるが、広くあらゆる知性と文化の代表者でもある。とすると、ムゥシケーは文芸の一部をなす詩作のことと解すべきではないか。それで、アポロンの祭りの最中にアポロンへの讃歌を先ず手掛けた、というわけである。 ケベス「平然と死んでいこうとするのは、奇妙なことだ。哲学者は思慮有る人なのだから、死を嫌い、嘆くのが当然であり、嫌わず嘆かないのは、不合理だ」 ソクラテス「(若者ケベスの言葉を微笑みながら聞き)ケベスはいつでも、なんだかんだと議論の種を見つけるね」 シミアス「でも、ソクラテス、この点は私もケベスの言う事に一理があると思いますよ」 ソクラテス「そうか。それでは君たちに対して、私が法廷でしたように、いやもっと得心が行くように弁明を試みようとしよう」と、クリトンを見ると彼が何か言いたそうにしている。ソクラテス「何かね?」 クリトン「大したことではないのだが、君に毒を渡す役の者が、さっきから私に、なるべく話をしない様に君に注意をしてくれと言っているのだ。あまり話をすると熱が上がって、毒薬の効きが悪くなるというのだ。二度も三度も毒を飲まなければならなくなる人が居るそうだよ」 ソクラテス「放っておきたまえ。二度でも三度でも毒を渡せるように、彼らに用意させたらいい」 クリトン「そう言うだろうと思っていたよ」 ソクラテス「さあ、それでは裁判官である君たちに向かって、まさしく生涯を哲学(愛知)の中に送った者は、死に臨んで恐れず、死後にはあの世で最高の幸福を受ける 希望 に燃えているのが当然だという、私の確信の根拠を、示すことにしよう」 ナレーション:こうして、話は「あの世、ハーデスの世界」のこと、その世界に魂が転生すること、魂が不死であることへと進んでいく。 ソクラテス「裁判における弁明の時、私は 死を恐れるのは誤りだ という理由を次のように述べた。死を知っている者は誰もいない。ひょっとすると死は、人間にとって一切の善いもののうちの最大のものかも知れない。それなのに、死は悪いもののうち最大のものであることを熟知しているかのように、知りもしないのに知っていると錯覚して恐れ、忌み嫌うのは誤りだ、と。これが私の基本的な考え方だ。ただし、言い伝えが本当だと仮にしても、来世への転生は論理的な根拠はなく、期待であり希望であるだけだ、とも述べた。私には一生涯、善き人、正しき人であることを心掛けて来たと言う自負心、自らを恃む心がある。だから、死が悪かろう筈はなく、死を嫌う謂(いわ)れはない。また、あの世はこの世の神々とは別の、やはり賢明で善良な神々がみそなわせ、統治なされて居られる。自分は、其処に住む善き人々のもとへ行ける。死後には何かがある。善き人にとって善い何かがあると言う希望は持っている。もっともこの希望は必ず実現するとは言い切れないがね。少なくとも今の私は、楽しい希望に燃えて、死の旅に出掛けるのだ」 ナレーション:一貫して愛知者として生きて来たことは、魂の浄化に努め、死に備えてその準備に励んできたこと。真の哲学・愛知とは死の練習である筈。準備、練習がいよいよ実現する段になって平常心を欠くなど、まことにおかしなこと、なのだ。しかし、彼の親愛なる仲間達は悲しみにくれ、動揺している。 ソクラテス「魂が輪廻転生する事は、確かなことだと思う。この説に同意するのは、決して騙されてのことではない。私が自分の言うことを真実だと思わせようと努力しているのは、ここにいる君たちに対してではなく、まあ、君達が真実だと思ってくれのなら別だけれども、実は、この私自身に対してなのだ。というのは、ねえ、君達、私はこんな計算をしているのだよ。なんて私に分(ぶ)のよいことか、見てくれたまえ。もし私の言うことが真実だとしたら、私がそれを信じるのは、結構なわけだ。また、もし 真実 でなくて人間は死んでしまえば無になるものなら、ともかく死ぬまでのこの残り時間は私が嘆き悲しんで、この場の諸君に不愉快な思いをさせることだけは、なく済むわけだ。しかも、私の愚かな信念は直(じき)に無となる筈だ、と言った計算をね。だから諸君は、私の弁舌に対して大いに批判的になりたまえ。私は熱心の余りに、私自身も君達も欺き通して蜂のように、針を残して立ち去ってしまうかも、知れないからね」 ナレーション:こうして、人類の偉大なる教師・ソクラテスは従容として自ら毒杯を仰ぎ、この世を去って行ったのである。 さて、「死は人間にとって、善きものの中の最大のもの」であるかも知れないとする、賢人の言葉は、最小限に見積もっても、ある種の特別な人に限っては、永遠の真実と言い得る。そうした可能性だけは、少なくとも認めざるを得ないでありましょうね。
2018年08月05日
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