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第 三十七 回 目 私は、これまでに五匹のペットを飼った経験が有ります。最初は猫、そして次にシェパード、三番目はスピッツ、次いで雑種の黒ネコ・カンナ、そしてニューヨークからはるばる海を渡って来たトビー(スムースという犬種のチワワ)。あっ、そうそう、アンゴラ兎の事を忘れていましたが、「キィー」と断末魔の叫び声を残して、この世を去っていった純白の、小さな、そして実に儚い生き物。しかしながら、それぞれに短期間での付き合いでありましたが、私の心の襞に、確かな忘れがたい 想い出 を残していった、そう、同じ「生命・いのち」を共に生きたという強い共鳴・共感の手触りのようなもの。儚くて、繊細で、壊れやすくて、それでいて確固として、鋼鉄製のバネのように強靭で、しなやかで、懐かしく、温かい…、何よりも 優しい のでありますね、実に。彼等、ペット達は「本能」という神の演出に飽くまでも忠実に生きた、本当に。そして見事な「生き方」であった、人間と違って、余計な自己主張などは一切しないので。彼らは皆一様に、「謙虚」でありました、また、健気なほどに「素直」でもありましたね、実際のところ。付け加えるに、実に清潔でありました、その精神性が。普通には、動物には精神性を認めず、本能の赴くままに行動するのは 野獣 のように汚らわしい、と形容されたりするのですが、私はそれらの通念を否定したいと思います、きっぱりと。本能は本来 清潔 そのものであり、動物たちの「精神性」は気高く、高貴とさえ呼んでいい。それに引き換え、人間の本能は「薄汚れて」、偉大なはずの精神性は地に落ち、薄汚く、不潔にさえ堕してしまっている。だれが一体悪いのか。誰でもない、人間が悪いので、自業自得なのですよ、何もかも。人間どもの 奢り昂ぶり があらゆる禍事を将来しているのに過ぎないのですね、そう。― こう書いてきて、私は自分で可笑しくなってしまいましたね。だって、D.H.ローレンスの口真似をしているようではありませんか、語彙も、表現も、そっくりに。影響を受けるということはこの様な事を指していうのでありましょう。 人間(じんかむ)の禍福(くわふく)は愚(おろ)かにして料(はか)りがたし 世上(せしよう)の風波(ふうは)は老(お)いても禁(きん)ぜず ― この世での、人間世界における禍いや幸福がどの様な理由によって生じてくるのか、私は愚かにしてよく分からない。また、これまでは辛うじて世渡りの荒い波風を凌いで来ることができているが、この波風は、年老いたからといって手心を加えてなど呉れない、非情なものである。 事々(ことごと)に成(な)すことなくして身(み)また老(お)いんたり 酔郷(すいきよう)知らず何(いづ)ちかゆかんとす ― あれこれと色々な事をやってみたが、これといって手柄にするようなことは、何もできなかった我が人生であるよ。酒を飲んだ時の忘我の快楽も体験せずに、何事を楽しみとして身過ぎ・世過ぎをして行ったら良いのか、馬鹿な上にも、愚かすぎる己であることよ、実に 何(なに)をして 身(み)のいたづらに 老(お)いぬらん 年(とし)のおもはむ こともやさしく ― 一体全体、この私はこの年齢になるまで何をしてきたというのであろうか…、そう反省すると、長年付き合ってきた 年 が自分のことをどの様に思うかと、顔から汗が噴き出すほどに恥ずかしい。
2016年01月30日
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第 三十六 回 目 (突然ですが、連載の途中で吃驚するような事がありましたので、皆様方に申し上げます。ある日突然にこのブログのアクセス数が普段の十倍ほどに、跳ね上がるという珍現象が発生しました。特別に、魅力的な記事を掲載した覚えはないのですが今後の参考にしたいので、読者の方に質問致します。この要因、と言いますか、理由が解かれば、大いに参考にさせて頂く積もりなのですが、どいう事が考えられるでしょうか。どなたか教えて頂けないものでしょうか?御親切をお待ちいたしております、どうぞ宜しくお願いいたします) 奥床しい女性の魅力には、男たるもの抗する手立てが見つかりません、実際の話が。 私の幼少期のお話を少しばかりさせてください。父親は「三船敏郎」、姉は「美空ひばり」、近所のお百姓さんは「志村 喬」だったと言えば皆さん方の失笑を買うでしょうか―。とにかく新しい物が大好きだった父親に連れられて連日のように映画館に通った一時期があって、物心付いた時分には薄暗い座席に座って、銀幕に釘付けになっている自分を思い出すのです。フランケンシュタインの幽霊を見て、その不気味さに圧倒されながらも、一旦引っ込めた頭を再び、持ち上げて恐ろしさに涙を流しながらも、白黒の大スクリーンに見入っていた幼児の私。 もう一つ、D.H.ローレンスの作品ですが、私は彼の著作の殆ど全部を所有しているくらいに、一時期熱中して読みふけったもの。 「我々の時代は本質的に、悲劇的なものである。それで、我々は今の時代を 悲劇的 と受け止めるのを拒否する。大変動は既に起こってしまっている。我々は破壊されたものに慣れ、新たに環境を作り直し、少しばかりの希望を繋ぎ止める作業を始めた。どんな事があっても、この建設的な行動は完遂しなければならない。何度、天が崩れ落ちようとも、生き延びなければならない、石にしがみついてでも。 これがコンスタンス・チャタレイの置かれた立場だった。戦争が彼女を非常に困難な立場に立たせたのだ。しかし彼女は臍を固めて、生きて、学ぶ道を行かなければならない」(古屋 拙訳) そして、作者が言う、「本質的に悲劇的」とは、一体どのような意味合いなのでしょう。 「現代人は、巨大な、冷酷で、命のない蛆虫の様に、地球にしがみついていて、生命(いのち)あるものを根絶させている存在だ。その元凶は 意志 である。命の無い物の意志が、あらゆるものを死へ追いやっている。何であれ、自由な状態、生まれたままの野生の在り方、生き生きとしていることを妨げられている。人間達がそれを妨害しているから。腐肉と化した無数の人々が、男や女が、全ての命あるもの達の息の根を止めているのだ。それでいて彼らは、自分たちをこの上もなく理想的であると見做し、残酷な意志と、自分勝手な善意と、親切であろうとの決意を誇っている。また、人々は、社会は、国は自己をより大きな、偉大な存在に見せようとして、金銭を血眼になって追い求めている。それはもう 狂気 としか形容の言葉がない」(古屋 意訳) これに対する作者の処方箋は 肉体 の復権である。人間が本来備えている自然としての「肉体」から、自然ににじみ出てくる 優しさ・tenderness に期待する外はないと、今日の絶望的な状況に、懸命の 特効薬 を提示する為の、意義深い傑作を生み出したのである。 D.H.ローレンスの作品については、これからも折に触れて話題にするつもりで居りますが、今はこれくらいにして…。命あるもの と機械のように、そうでないもの との違いに就いてお話致しましょうか。私は、これまでに五匹のペットを飼った経験が有ります。最初は猫、そして次にシェパード、三番目はスピッツ、次いで雑種の黒ネコ・カンナ、そしてニューヨークからはるばる海を渡って来たトビー(スムースという犬種のチワワ)。あっ、そうそう、アンゴラ兎の事を忘れていましたが、「キィー」と断末魔の叫び声を残して、この世を去っていった純白の、小さな、そして実に儚い生き物。
2016年01月25日
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第 三十六 回 目 (突然ですが、連載の途中で吃驚するような事がありましたので、皆様方に申し上げます。ある日突然にこのブログのアクセス数が普段の十倍ほどに、跳ね上がるという珍現象が発生しました。特別に、魅力的な記事を掲載した覚えはないのですが今後の参考にしたいので、読者の方に質問致します。この要因、と言いますか、理由が解かれば、大いに参考にさせて頂く積もりなのですが、どいう事が考えられるでしょうか。どなたか教えて頂けないものでしょうか?御親切をお待ちいたしております、どうぞ宜しくお願いいたします) 奥床しい女性の魅力には、男たるもの抗する手立てが見つかりません、実際の話が。 私の幼少期のお話を少しばかりさせてください。父親は「三船敏郎」、姉は「美空ひばり」、近所のお百姓さんは「志村 喬」だったと言えば皆さん方の失笑を買うでしょうか―。とにかく新しい物が大好きだった父親に連れられて連日のように映画館に通った一時期があって、物心付いた時分には薄暗い座席に座って、銀幕に釘付けになっている自分を思い出すのです。フランケンシュタインの幽霊を見て、その不気味さに圧倒されながらも、一旦引っ込めた頭を再び、持ち上げて恐ろしさに涙を流しながらも、白黒の大スクリーンに見入っていた幼児の私。 もう一つ、D.H.ローレンスの作品ですが、私は彼の著作の殆ど全部を所有しているくらいに、一時期熱中して読みふけったもの。 「我々の時代は本質的に、悲劇的なものである。それで、我々は今の時代を 悲劇的 と受け止めるのを拒否する。大変動は既に起こってしまっている。我々は破壊されたものに慣れ、新たに環境を作り直し、少しばかりの希望を繋ぎ止める作業を始めた。どんな事があっても、この建設的な行動は完遂しなければならない。何度、天が崩れ落ちようとも、生き延びなければならない、石にしがみついてでも。 これがコンスタンス・チャタレイの置かれた立場だった。戦争が彼女を非常に困難な立場に立たせたのだ。しかし彼女は臍を固めて、生きて、学ぶ道を行かなければならない」(古屋 拙訳) そして、作者が言う、「本質的に悲劇的」とは、一体どのような意味合いなのでしょう。 「現代人は、巨大な、冷酷で、命のない蛆虫の様に、地球にしがみついていて、生命(いのち)あるものを根絶させている存在だ。その元凶は 意志 である。命の無い物の意志が、あらゆるものを死へ追いやっている。何であれ、自由な状態、生まれたままの野生の在り方、生き生きとしていることを妨げられている。人間達がそれを妨害しているから。腐肉と化した無数の人々が、男や女が、全ての命あるもの達の息の根を止めているのだ。それでいて彼らは、自分たちをこの上もなく理想的であると見做し、残酷な意志と、自分勝手な善意と、親切であろうとの決意を誇っている。また、人々は、社会は、国は自己をより大きな、偉大な存在に見せようとして、金銭を血眼になって追い求めている。それはもう 狂気 としか形容の言葉がない」(古屋 意訳) これに対する作者の処方箋は 肉体 の復権である。人間が本来備えている自然としての「肉体」から、自然ににじみ出てくる 優しさ・tenderness に期待する外はないと、今日の絶望的な状況に、懸命の 特効薬 を提示する為の、意義深い傑作を生み出したのである。 D.H.ローレンスの作品については、これからも折に触れて話題にするつもりで居りますが、今はこれくらいにして…。命あるもの と機械のように、そうでないもの との違いに就いてお話致しましょうか。私は、これまでに五匹のペットを飼った経験が有ります。最初は猫、そして次にシェパード、三番目はスピッツ、次いで雑種の黒ネコ・カンナ、そしてニューヨークからはるばる海を渡って来たトビー(スムースという犬種のチワワ)。あっ、そうそう、アンゴラ兎の事を忘れていましたが、「キィー」と断末魔の叫び声を残して、この世を去っていった純白の、小さな、そして実に儚い生き物。
2016年01月25日
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第 三十五 回 目 私は平成27年の夏を泉鏡花の諸作品とD .H .ローレンスの「チャタレイ婦人の恋人」の原書での熟読三昧で過ごしております。勿論、お世話になっている学習塾での夏期講習をそれなりにカバーしながらの作業でありますが。それと申しますのが、諸事情で昨年までのスケジュールの半分以下の分量で、塾での仕事が事足りるように成ったお蔭なのでして…。この自然の流れも、例によって例の如くに、偉大なる演出者がその様に「取り計らって下さった」からでありますよ、全く、実際。― 私自身は現在では、かなり慣れてきておりますので、不思議とも殊更らしく感じないのでありますが、不思議といえばこれ程の「不思議」も無いので、唯唯、只管、襟を正して「指示」に従い、己のベストを盡すのみと自身に言い聞かせている昨今でありまして…。 それは扠措きまして、泉鏡花の魅力でありますが、日本女性の限りない魅力が彼の全作品に、見事に定着されていること。その信仰心にも似た、女性崇拝と余すところないその表現の才の卓抜さ。残念ながら、現代の女性には、その殆どが受け継がれてはいない、ように私・草加の爺には思われてならない。尤も、鏡花が描くところの女性たちは例外なく和服を見事に着こなして居る。伝統の和服でしか表現不可能な所作や情感その他。なにも現代的な、西洋伝来のファッションがダメだなどと、駄々を捏ねるつもりは毛頭ないのですが、外見とそれに見合った感情や微妙な心の張り、そして得も言われぬ色気…。またまた、此処で非常に恐縮な「惚気話」をお許し下さい。大分以前のことでありますが、私の家内が都内の高級料亭の仲居を勤めていた頃のこと。夜もだいぶ更けた頃に、仕事を終える時刻を見計らって料亭の近くの寿司店で待機している私のところに、和服姿のままで家内が 恥じらいを見せながら やって来たのでした。聞けば、同僚から「とても素敵だから」旦那さんに見せてお上げなさい、と唆されての事だとか。「男勝り」の家内が、その時ばかりは上品で優雅な 溢れるばかりの色気と女らしさ を、巧まずして演出していたことが今だに瞼に強く灼きついています、はい。 ここで鏡花の戯曲「天守物語」の一節を引用致します― 圖書・ずしよ、猶予 (ためら)はず夫人に近づき、手をつく。夫人 (先んじて声を掛く。穏・おだやか に)又・また見えたか。圖書 はつ、夜陰と申し、再度左右・さう を騒がせ、まことに恐入りました。夫人 何しに来ました。圖書 御天守の三階中壇・ちゅうだん まで戻りますと、鳶ばかり大きさの、野衾・のぶすま かと存じます、大蝙蝠の黒い翼に、燈・ともしび を煽・あふ ぎ消されまして、いかにとも、進退度・ど を失ひましたにより、灯・ひ を頂きに参りました。夫人 ただそれだけの事に。……二度とおいででないと申した、私の言葉を忘れましたか。圖書 針ばかり片割月・かたわれづき の影もささず、下に向かへば眞の暗黒・やみ。男が、足を踏みはづし、壇を轉・ころ がり落ちまして、不具・かたは になどなりましては、生効・いきがひ もないと存じます。上を見れば五重の此処より、幽・かすか にお燈・あかり がさしました。お咎めを以つて生命・いのち をめされうとも、男といたし、階段・はしご から落ちて怪我をするよりはと存じ、御戒・おんいましめ をも憚らず推参・すいさん いたしてございます。夫人 (莞爾・につこり と笑・ゑ む)ああ、爽やかなお心、そして、貴方・あなた はお勇ましい。燈・あかり を點・つ けて上げませうね。(座を寄す。)圖書 いや、お手づからは恐れ多い。私・わたくし が。夫人 否々・いえいえ、此の燈は、明星、北斗星、龍の燈、玉の光もおなじこと、お前の手では、蝋燭・ろふそく には點・つ きません。圖書 はゝッ。(瞳を凝らす。) 夫人、世話めかしく、雪洞・ぼんぼり の蠟・らふ を抜き、短檠・たんけい の灯を移す。燭・しょく をとつて、熟・じつ と圖書の面・おもて を視る、恍惚・うつとり とす。夫人 (蝋燭を手にしたるまま)歸・かへ したくなく成つた。もう歸へすまいと私は思ふ。 魔界の女王様とでも称すべき富姫が人間の若き鷹匠・姫川圖書之助に愛を告白する件ですね。これ程に堂々として、しかも女性らしさの極限を示している描写には、ただただ感嘆の一語でありますよ、実に。これは現代の設定では表現不可能でありましょう。 西洋流の 露出 するマリリンモンロー的なお色気にも悩殺されますが、その対極を行く、純和風の 包み隠す 奥床しい女性の魅力には、男たるもの抗する手立てが見つかりません、実際の話が。
2016年01月17日
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第 三十四 回 目 よしや君 昔の玉の 床(とこ)とても かからんのちは 何にかはせん(― 以前、立派な御座に居られたとしても、君よ、無差別の死にあった今は、それが何となろうか。ただ、成仏を祈るだけではありませんか) 刹利(せつり、古代インドの四階級の第二。王族軍人の階級)も須陀(しゅだ、第四の田夫野人)もかはらぬものを ― と、心あまりて(感情の昂ぶりの余りに)高らかに吟(うたひ)ける。 余計な解説は省くことにしましょう。興味を唆られた方は、各自で古典のテキストを心行く迄ご鑑賞ください。ただ、太平記も近松の浄瑠璃も活字で、目で読まれたものではなく、人間の音声を通じて 心地よく 読誦、つまり、読み上げられた。秋成の名文にしても人の声で読み上げられることを 前提にして 書かれているものでありますね。お経の文句でさえ、意味内容がよく分からないながらも、美声で、巧みな節回しで、唱えられる時、それを耳にする者達は心の底から感動共鳴して、心が清められる。そういう仕組みになっているのが、特に日本古来からの文芸類のユニークな特徴なのでありますよ。 私はズバリ、方言の有効活用を真剣に考えているのです、そう、土の匂いが濃厚な地方語・方言ですね。野辺地町の方言は、南部弁と言われる一群に属し、風土に特有の「土臭さ」を残しながら、奥ゆかしさや独特の優しさなどを感じさせるユニークな言葉であります。海の潮の香りや爽涼な山の空気感を濃厚に包み込んだ、この「野辺地 弁」を最大の売りにする、正に画期的なエンターテインメント(例えば、ニューヨークのブロードウェイや、関西の宝塚歌劇の様な)を最終的には目指すのでありますが、千里の道も一歩から、先ずは同好の有志による 朗読の会 を立ち上げ、根付かせる事から始めようというのが、私の目論見のスタート地点と考えております、はい。 所で、年齢のことでの私的な感慨でありますが、50歳前には自分自身の事と殆どイメージできず、漠然と「余生・老後」と言ったマイナス的な、また、消極的な思考や展望しか浮かばなかったのですが、実際には、還暦の「再生」を経て、今度また、60歳から12年を経過して想像だにしなかった、積極的にして大いにポジィティヴな未知の世界に 開眼 した、或いは、ウロコが落ちるようにして視界が開けた、様な 一種奇妙な 体験を「させられて」いる現状でありますよ、全く。明確な目標がある、生きる確かな道筋が自然に、極めて合理的に確認できる ― 何と素晴らしい、幸運な事ではありませんか…、実際、我が身に起こっていることでなかったなら、先ずは信じられないような 不思議が (普通なら、何の前触れもなくと書くところなのでしょうが)十年前ほどから頻繁に、予兆のような先触れが屡々我が身に降りかかってきて居り、流石に 鈍い 私も、これはただ事ではないぞ!と、身構えざるを得ない仕儀に立ち至って、この文章の執筆を始め、諸々の前向きな、意図的な行動に駆り立てられている様な次第なのでありますよ、実に。 不思議といえば、これ程不思議な事もないのですが、他人様の為にと真剣に考えて行動を開始すると、その瞬間から、何よりも先ず自分自身が 得 をしている。つまり、当の「他人」よりも先ず自分自身の為になっている、ことに気づかされるのであります、実際。 私は現在、学習塾の講師をしておりますが、生徒のためを思って考え、ベストと思われる事柄を発言する。すると、その言葉はまるで ブーメラン のように空中を滑空して、直ちに投げかけた私自身に向かって帰ってくるのですよ、そう、それをはっきりと実感させられる。その言葉を本当に必要としているのは、実は私自身だったことに思い当たり、はっとさせられる。真剣に発した言葉は、当面の相手にではなく、発した本人に向けられているのだ、という事実に、心底から震撼させられる。― そう言った、意外な、そして同時に正に正鵠を射た、真実に触れて吃驚すると同時に、心の底から「有難い事だ」と感謝の念が自然に湧いて参るのでありました。 その傳で行けば、野辺地町の振興のサポート行動も、正に、私自身にこそ 最大の恩恵 を齎さずにはおかない筈であり、現にその効用は覿面でして、毎日が ハリ のある充実した生活が送れております、お蔭さまで!
2016年01月13日
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第 三十三 回 目 この様に引用して参りましたが、次に上田秋成の「雨月物語」の一節を取り上げてみたくなりました。巻之一 白峰(しらみね)― あふ坂(山城・京都府と近江・滋賀県の境、京より東国へ行く第一の関所があった。歌枕=古来、和歌の題材になっている、諸国の名所。以下の文章は撰集抄「せんじゅうしょう、説話集で、西行作と信じられていた」によるもの)の関守(せきもり)に許されてより、秋こし山の黄葉(もみじ、秋が来て色づく紅葉)見過しがたく、濱千鳥の跡ふみつくる鳴海潟(なるみがた、千鳥の名所で聞こえた尾張・愛知県の歌枕。千鳥が降り立って砂浜に足跡をつける意)、不盡(ふじ、富士)の高嶺(たかね)の煙(けふり)浮嶋がはら、清見が関、大磯小磯の浦々、むらさき艶(にほ)ふ武蔵野の原(紫草の美しく咲く武蔵野)、塩竃(しほがま、陸奥・宮城県の歌枕)の和(なぎ)たる朝げしき、象潟(きさがた、出羽・新潟の歌枕)の蜑(あま)が苫(とま)屋、佐野(上野、又は下野。群馬県か信濃・長野県の歌枕)の舟梁(ふなばし)、木曾の桟橋(かけはし)、心のとどまらぬかたぞなきに(以上、東国の歌枕に心の残らぬ所もないが)、猶(なお)西の國の歌枕見まほしとて、仁安三年(1168年、高倉天皇の代。保元物語などに仁安三年冬、西行白峰に参ることが見える)の秋、葭(あし)がちる(難波・大阪市の枕詞。秋の季感を出す)難波を經て、須磨明石(摂津・播磨、ともに兵庫県の歌枕)の浦ふく風を身にしめつも(しみじみと感じつつ)、行く行く讃岐の眞尾坂(みをざか、香川県坂出市王越町。今も西行庵の跡がある)の林といふにしばらく笻(つえ)を植(とど)む。 この里ちかき白峰という所にこそ、新院の陵(みささぎ)ありと聞きて、拝(おが)みたてまつらばやと、十月(かんなづき)はじめつかたかの山に登る。(略) 松山の 浪のけしきは かはらじを かたなく君は なりまさりけり(― 松山といえば、古歌の末の松山の浪の如く、変わるまいと思われたのに、形 「かた、潟にかける、浪の縁語」 も無く、君はお亡くなりになられた。 西行) (略) 松山の 浪にながれて こし船の やがてむなしく なりにけるかな(― この松山に流れ来たうつろ船の如く、自分・崇徳院も此処で亡くなった) (略) 濱千鳥 跡はみやこに かよへども 身は松山に 音をのみぞ鳴く(― 鳥の跡、即ち文字で書いた自分の経典のみは送れば都に届くけれど、私はこの松山でひたすらに泣く) (略) 西行いふ。「君かくまで魔界の悪業(あくごう)につながれて、佛土(ぶつど)に億万里を隔て給へば、ふたたびいはじ」とて、只黙(もだ)してむかい居たりける。 時に峯谷(みねたに)ゆすり動きて、風叢林(はやし)を僵(たを)すがごとく、沙石(まさご)を空に巻上(まきあぐ)る。見る見る一段の陰火(ゐんくは、一固まりの妖しい火)君が膝の下(もと)より燃上(もえが)りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつら御氣色(みけしき)を見たてまつるに、朱(あけ)をそそぎたる龍顔(みおもて)に、荊(おどろ)の髪(かみ)膝にかかるまで乱れ、白眼(しろきまなこ)を吊りあげ、熱き嘘(いき)をくるしげにつがせ給ふ。御衣は柿色(かきいろ、修験者の衣)のいたうすすびたるに、手足の爪は獣(けもの)のごとく生(おひ)のびて、さながら魔王の形(かたち)あさましくもおそろし。空(そら)にむかいて「相模さがみ」と叫ぶ(よば)せ給う。「あ」と答えて、鳶(とび)のごときの化鳥(けてふ)翔(かけ)來り、前に伏して詔(みことのり)を待つ。 (略)
2016年01月09日
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第 三十二 回 目 由良(ゆら)の湊(みなと)を見渡せば、澳漕(おきこ)ぐ舟の梶をたえ(船が何処へ行くか知れず漕いでいる)、浦の濱ゆう(海辺に生ずる浜木綿、ハマオモトの異称。葉も花も幾重にも重なっているので、幾重の序詞となる)幾重(いくえ)とも、しらぬ浪路(なみぢ)に鳴く千鳥、紀伊(き)の路(ぢ)の遠山渺々(とおやまはるばる)と、藤代(ふじしろ)の松に掛かれる磯(いそ)の浪、和歌(わか)・吹上(ふきあげ)を外(よそ)に見て、月に磨ける玉津島(月光の下に照らし出されている美しい玉津島)、光も今はさらでだに(光も今は昔ほどでなく、と、そうでなくても長い旅路に辛苦する、とを懸けて続く)、長汀曲浦(じょうていきょくほ、長い汀と曲がりくねった浦)の旅の路(みち)心を砕(くだ)く習いなるに、雨を含める孤村(こそん)の樹(き)、夕(ゆうべ)を送る遠寺(えんじ)の鐘、哀れを催(もよお)す時しもあれ、切目(きれめ)の王子(おうじ、和歌山県日高郡切目川村にある五体王子神社。熊野神社の末社の第一)に着き給う。 更に参考の為に付け加えましょうか。日本の沙翁と絶讃されている近松門左衛門の世話物浄瑠璃から、「曽根崎心中 徳兵衛・お初 道行」の出だしの部分をご紹介致します。 ― この世のなごり。夜もなごり。死(しに)に行(ゆ)く身をたとふれば、あだしが原(そういう特定の原があるわけではなく、無常の原の意)の道の霜。一足づつに消えて行く。夢の夢(現世は夢の如くはかないものであるのに、死にに行く身のはかなさは、その夢の中にまた夢を見る如くである)こそ、哀れなれ。あれ數(かぞ)ふれば曉(あかつき)の。七つの時(とき)が六つ鳴りて殘る一つが今生(こんじょう)の。鐘のひびきの聞きをさめ。寂滅為楽(じゃくめつゐらく、煩悩の境を脱して、始めて真の楽境があるとの意)とひびくなり。鐘ばかりかは。草も木も空もなごりと見上ぐれば。雲(くも)心なき水のおも(雲は無心に水面に影を落としているの意)北斗(ほくと)はさえて影(かげ)うつる星の妹背(いもせ)の天(あま)の河(がは)。梅田(むめだ)の橋を鵲(かささぎ)の橋と契りて(北斗星から七夕の牽牛・織女二星の契を連想し、それにあやかって我々も、今渡る梅田の橋を鵲の橋と見立て、何時までも添い遂げようの意)いつまでも。我(われ)とそなたは女夫星(めをとぼし)。必ず添ふとすがり寄り。二人が中に降る涙、川の水嵩(みかさ)もまさるべし。
2016年01月03日
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