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第 三百八十四 回 目 芝居台本 『 リア王 』 その四 10 〔 第三幕 第一場 〕 荒野 雷、稲妻の中をケントと紳士が出て来て相遭う。 ケント 誰だ、この凄(すさま)じい空の下を? 紳士 その空模様と同じく、心息(やす)まらぬ男。 ケント その顔なら覚えている。王はどこにおいでかな? 紳士 荒れ狂う風雨と揉合い、風に向かって叫んでおいでです。 ケント しかし、誰かお供は? 紳士 阿保がひとり附いているだけ。 ケント ところで、お顔は覚えている、その面識を頼りに、敢えて大事な事をお頼みしたいのだ。例の不和の事、いや、まだ表面には現れていないが、アルバニー、コーンウォール両公爵は互いに相手を陥れようとたくらんでいる。所が家中の者で、見せ掛けは如何にも忠実だが、実はフランス王の間者というのがいて、それが我がブリテンの情勢を一々彼の地に密告しているという有様。いずれにせよ、確かな事はフランス軍がこの乱れた王国に乗込みつつある事だ。そこで頼みがある、直ちににドーヴァ―の港にお急ぎ頂きたい。そこには喜んで迎えて下さる方がおいでの筈。その方に王のお苦しみが唯事ではない事をお伝え願いたいのです。 紳士 なお色々お話をお伺いしたいのですが。 ケント いや、その余裕はない、ただ、この財布をお預けしよう、コーディリア姫にお会いの節は、大丈夫、そうなる、この指輪を差上げて頂きたい、それを呉れた男が誰か、姫が教えて下さろう。 紳士 他には何か? ケント 王を見掛けたら、御苦労だが、そちらを頼む、わはこちらを探す、最初に見付けた方が大声で相手に知らせる事にしよう。(ケントと紳士別れる) 11 〔 第三幕 第二場 〕 荒野、別の個所 ますます募る嵐の中を、被り物の無いリアが道化と共に出て来る。 リア 風よ、吹け、うぬが頬を吹き敗れ! 幾らでも猛り狂うがいい! 雨よ、降れ、滝となって落ち掛れ、塔も櫓も溺れ漂う程に! 胸を掠(かす)める思いの如く速やかなる硫黄の火よ、槲(かしわ)を突裂く雷(かみなり)の先触れとなり、この白髪頭を焼焦がしてしまえ! おお、天地を揺るがす激しい雷(いかずち)、この丸い大地の球を叩き潰し、板のように平たくしてしまってくれ、生命の根源たる自然の鋳型を毀(こぼ)ち、恩知らずの人間共を造出す種を一粒残らず打砕いてしまうのだ! 道化 おお、おっさん、幾ら潤いが無くても家は家だ、なあ、家の中に這入ろうよ。 リア そうして轟轟(ごうごう)と腹を鳴らしていろ! 火を吐け! 水を落せ! 雨、風、雷、稲妻、いずれも俺にとっては娘ではない。お前ら自然を情知らずと恨みはせぬ、お前らに国を与えた事もなし、我が子と呼んだ覚えもない、お前たちには俺の指示を受けねばならぬ謂れはないのだ。幾らでも恐ろしい悪戯をしたらよい、この通り、俺はお前らの奴隷だ、哀れな、他愛の無い、誰からも蔑まれている、弱い年寄りに過ぎぬ、だが、やはり俺には、お前らが敵の卑劣な廻し者に見えて来るのだ、あの非道な二人の娘と示合して、天の戦を、これ、このような老いたる白髪頭に仕掛けて来るのだからな。ああ、ええい! 卑怯な! 道化 頭を突込む家を持つためには、まずその前に頭を持つことだ。 ケント登場。 リア いや、俺は見事、こらえて見せる、何も口には出さぬ。 ケント 誰かいるのか、其処に? 道化 いるよ、利口と(リアを指差し)阿保とさ。 ケント おお、ここに? リア 天空を荒れすさぶ神々が、一刻も早くその敵を見出されん事を。この身は罪を犯されこそすれ、犯した覚えのない者だ。 ケント おお、被り物もお召しにならず? お聴き下さいまし、この近くに掘立小屋が御座います、どうやら嵐を凌ぐだけの役にはたちましょう、そこでお休みくださいまし。 リア 気が狂いそうだ。さあ、その掘立小屋に行くのだ。 道化 (歌う)智恵の無い奴は、狂わぬうちに ― やれ また風か 雨降りか ― 運と諦め 呑気に暮らせ リア お前の言う通りだ、小僧。さ、掘立小屋へ連れて行ってくれ。(三人退場) 12 〔 第三幕 第三場 〕 グロスターの居城の一室 グロスターとエドマンドが燈(あか)りを持って登場。 グロスター 何という事だ、エドマンド、こういう人情の自然に悖(もと)る仕打ちは俺の性に合わぬ。俺が王を今の御境涯から何とかしてお救いしようと思うて、お二人の御承認を願出たところ、逆にこの城を召上げられてしもうた。 エドマンド 乱暴にも程がある。人情も何もあったものではない! グロスター まあ、よい、もう何も言うな。両公爵の間には溝がある、いや、事態はそれより険悪だ。実は今夜さる所から書面を受取った、王の今のお苦しみが完膚無きまでに復讐される日が来ようぞ。一軍は既に上陸している、我等は王にお味方せねばならぬ。俺はこれから御在所を尋ね、陰ながらお助けする積りだ、もし何か訊ねられたら、俺は病気で寝ている事にな。(退場) エドマンド そんな忠義立ては、お前さんには禁ぜられている筈、直ぐにも公爵に知らせてやろう、そうだ手紙の事も。(退場) 13 〔 第三幕 第四場 〕 荒野、掘立小屋の前 嵐が続いている。リア、ケント、道化が登場。 ケント ここでございます。 リア 放っておいてくれ。お前には大事(おおごと)のように思えるらしいな、大病に襲われ、不治と極まれる身には、小病はさして苦にならぬものだ。(道化に)小僧、先に這入るがよい、俺は祈りたいのだ(道化中に入る)― 着る物もない、惨めな貧乏人共、どこにいようと構わぬ、今この無慈悲な嵐に叩きのめされ、じっと堪えているお前達に俺は訊ねたいのだ、その蔽う物無き頭、満たされぬ腹を抱え、綴り合わせて穴だらけのぼろを纏うて、このような日々をどうして凌いでゆくのか? ああ、俺は今日までこういう事に殆ど心附かなかったぞ! エドガー (奥で)わあ、難破だ、浅瀬だ、こちらは哀れなトムでござい!(道化が小屋から飛び出して来る) 道化 お化けがいる、助けてくれ、助けて! ケント 誰だ、そこに居るのは? 道化 お化けだ、お化けだよ! ケント 何者だ、藁(わら)の中でぶつくさ言っているのは? ここへ出て来い! 気違いを装ったエドガーが小屋の中から出て来る。 エドガー あっちへ行け! 悪い鬼めが俺を掴まえて離さないのだよ! リア 貴様も娘に何も彼もくれてしまったのか? その成れの果てがこの様か? エドガー 誰だね、この哀れなトムに何か呉れると言うのは? リア そうか、娘共がこのような目に遭わせたのか? エドガー 悪い鬼には気を付けるのだよ。 リア 前は何をしていたのだ。 エドガー 騎士さ! リア 墓の中にいたほうがまだしも楽であろう、そうして裸の生身をこの寒空に曝して居るよりは。人間は唯これだけのものなのか、外から附けた物を剥がしてしまえば、皆、貴様と同じ哀れな二足獣に過ぎぬ。脱げ、脱いでしまえ、お前の着ている借物を! おい、このボタンをはずして呉れ!(着ている物を脱捨てようと藻掻く) グロスターが松明(たいまつ)を手に近づいて来る。 リア あれは何者か? グロスター 何たることか。さ、御一緒に城へ、臣下の一人として、お子様方の酷いお指図に従うのは、もう堪え難うなりました。 リア その前にこの学者と話があるのだ。 ケント もう一度お勧め下さいますよう、どうやらお心の乱れが。 グロスター どうしてそれをお責めできよう?(嵐はなお止まない)ああ、ケントの言った通りだ!必ずこうなると…。実はわこそ気が狂いそうなのだ。わにも倅が居ったが勘当してしもうた、全く何という夜か!さ、お願いにございます―― リア おお、待って呉れ、学者殿、お供をさせてもらおう。 エドガー トムは寒いとさ。 リア さあ、皆、中へ這入ろう。 ケント いえ、あちらへ、どうぞ。 リア この男の側がよい! ケント この上は、お言葉に逆いませぬよう、この男を御一緒にお供させましょう。 グロスター では、連れて来るがよい。 ケント さあ、来い、一緒に行こう。 リア さ、行こう、アテネの学者殿。 グロスター 声を出すな、よいか、静かに! エドガー 騎士ローランド、小暗き塔に 辿り着き 辺り怪しみ大音声(だいおんじょう)…(一同退場) 14 〔 第三幕 第五場 〕 グロスターの居城の一室 コーンウォールとエドマンドが登場。 コーンウォール この城を去る前に必ず復讐してやる。 エドマンド どれほど謗られます事か、親子の自然の情に背いてまで忠義立てせねばならぬのかと、それを考えると、いささか空恐ろしくなります。 コーンウォール 今になってみると、んがのあんちゃがあやの命を狙ったのも、あながち悪人だったからのみとも言えなくなる、むしろあの男の直観が、本来は許し難い悪の形を取って働いたと見るべきであろうか。 エドマンド 返す返すも悪運を引当てましたのはこの私、正しく振舞いながら、それを悔やまねばならぬとは! これが父の話して居りました手紙にござります、これにより、父が間者としてフランス方に通じていた事は明白と存じます。ああ、辛い! 同じ裏切りにしてもこのような ― しかも、その告発を自分が! コーンウォール 行こう、妻に会って呉れ。 エドマンド もしこの書面の通りでしたら、お急ぎにならねばならぬ事が山程控えております。 コーンウォール 真偽はともあれ、これでお前がグロスター伯になれる。父親の在りかを突留めておけ。 エドマンド (小声で)これで親父が王の世話でもしていれば、嫌疑はいよいよ深まるというものだ。(コーンウォールに)私と致しましては、どこまでも忠の道を歩みたく、たとえそれと血肉の情との間にこの身が引裂かれましょうとも、決して厭いは致しませぬ。(二人退場) 15 〔 第三幕 第六場 〕 グロスターの居城近く、百姓家の一室 グロスターとケントが登場。 グロスター これでも外よりはましだ、有難く思うてくれ。直ぐ戻ってくるからな。 ケント 御親切には必ず神々のお報いを!(グロスター退場) 入れ違いにリア、エドガー、道化が登場。 エドガー 鬼のフラットレット―が俺を呼んでいる。 道化 なあ、おっさん、教えて呉れよ、気違いは士族か地主か、どっちだね? リア 王だ、王だ! ケント さ、どうぞここへ横になって暫くお息み下さいまし。 リア 騒ぐな、垂幕をひけ。そうだ、それでよい、夜が明けたら、夕食を摂ろう。 道化 それなら俺は、日が昇りきったら、寝かせて貰おう。 グロスターが戻って来る。 グロスター 一寸ここへ。国王はどこにおいでか? ケント そこに、だが、お起しにならぬように、すっかり正気を失っておいでです。 グロスター では、お前に頼む、王をお抱きして、早くここを。お命を狙う陰謀の噂を耳にしたのだ。担架の用意がしてある、それにお載せしてドーヴァーまで落ち延びてくれ、其処には歓待と庇護とが待っている。 ケント (道化に)おい、手を貸してくれ。 グロスター さあ、早く逃げるのだ!(グロスター、ケント、道化が王を運去る) エドガー 身分は遥かに上でありながら、我等と同じ苦痛を背負わされている、それを見ていると、自分の不幸もさほど辛いものとは思わなくなる。さあ、隠れた、隠れた。(退場) 16 〔 第三幕 第七場 〕 グロスターの居城の一室 コーンウォール、リーガン、ゴネリル、エドマンド、及び召使達が登場。 コーンウォール (ゴネリルに)御主人の所へ急ぎお戻り頂きたい、この書面をお見せになるように、フランス軍が上陸したのです。裏切者のグロスターを早く見附け出すのだ。 リーガン 見附次第、直ちに絞首刑に処するがよい。 ゴネリル あの男の眼を抉り出しておやり。 コーンウォール 処罰は私に任せて貰う。エドマンド、あねちゃのお供を。アルバニー公にお目に掛かったら、一刻も早く開戦の御用意をと申し上げてくれ。 オズワルド登場。 オズワルド やはりグロスター伯爵がここよりお連れ出しになったので御座います。 コーンウォール 奥方に直ちに馬の用意をしろ。 ゴネリル では、お大事に、お二人共。(ゴネリル、エドマンド、オズワルドが退場) コーンウォール グロスターを早く見附け出すのだ。盗賊同様、縛り上げ、我等の前に連れて来い。(召使が数名退場)死刑の宣告を下す以上、一応裁きの手続きを踏まねばならぬのだが、力ずくでしたい放題の事でもせねば、この憤りは納まらぬ。 召使達がグロスターを引立てて、再び登場。 コーンウォール 何者だ、裏切者を連れて来たのか? リーガン 恩知らずの狐が! あの男です。 コーンウォール その萎(しな)びたけな(腕)を縛り上げろ。 グロスター どういうお積りか? ここではいわば客のお立場、度外れのお振舞はお慎み願いとう存じます。 コーンウォール 縛れと言うに。(召使達がグロスターを縛る) リーガン きつく、身動き出来ないように。穢(けがら)わしい裏切り者! グロスター 無慈悲なお方だ、わはそのような者ではございませぬ。 コーンウォール この椅子に縛附けろ。(召使達その命に随う)悪党め、思知らせてやる、いずれ―(リーガンが鬚を毟・むしり 取る) グロスター 慈悲深き神々にはその恥知らずの所行に、さぞかし驚いておいでだろう。 リーガン この白さ、それがこの裏切りを? グロスター 残酷な女だ、一体、どうしようと言われるのか? コーンウォール 最近フランスから受取った書面の中身は? グロスター 私が受取りました書面は、敵方からではありませぬ。 コーンウォール 王を何処へ送った? グロスター ドーヴァーへ。その訳は、見るに忍びなかったからだ。 コーンウォール 貴様のその目を踏躙(ふみにじ)ってくれる。 グロスター おお、酷(むご)い事を! リーガン 残る片目が隣の窪みを嘲っている。ついでにそれも! コーンウォール 思い知れ! 第一の召使 お留まりを! リーガン 一体、何を、犬の分際で? コーンウォール 下郎が何を?(剣を抜く) 第一の召使 (短剣を抜き)この怒りの刃を受けるがいい。 リーガン (別の召使に)その剣をお貸し。(剣を取り、駆け寄りざま、背後から突刺す) 第一の召使 おお、よくも! もし、お目はまだ一つ残っている筈、敵の上に与えた手傷は御覧になれましょう。おお!(死に絶える) コーンウォール もう二度と見えぬように、こうしてやる。ええい、胸糞の悪い、まるで腐った生牡蠣のようだ! グロスター 息子のエドマンドはどこにいる? エドマンド、この悪逆無道の行いに懲らしめを加えて呉れ。 リーガン ふん、お前はお前を憎んでいる者に助けを求めている。誰でもない、あの男がお前の反逆を知らせてくれたのだよ。 グロスター ああ、何と言う愚かな事を!それならエドガーは濡衣を着せられたのだ。 リーガン その男を城門の外に抛り出しておやり。(グロスターは連去られる)如何なさいました? コーンウォール 手傷のためだ。一緒に来てくれ。腕を貸してくれ。(リーガンに支えられて退場) 17 〔 第四幕 第一場 〕 荒野 エドガー登場。 エドガー こうしているほうがまだましだ、人間、どん底まで落ちてしまえば、在るのは希望だけ、不安の種は何も無い。 グロスターが老人に手を引かれて登場。 エドガー だが、誰だ、あれは? 父上ではないか、目をどうかなさったらしい! 老人 旦那様、手前はずっと旦那様にお仕えして参りました。それも、ご先代の時からの事、もう八十年にもなります。 グロスター もう行け、行ってくれ! 老人 そのお目では道がお解りになりませぬ。 グロスター この俺に行くべき道などあるものか、それならまなぐ(目)は要らぬ、俺は目が見えた時には、よく躓いたものだ。人間、有るものに頼れば隙が生じる、失えば、却ってそれが強みになるものだ。ああ、エドガー、お前は欺かれた愚かな父の怒りの生贄に! 老人 おい、これ? 誰だ、そこにいるには? エドガー (傍白) ああ、こんな恐ろしい事が! 誰に言えるというのか、俺も今がどん底だ、などと? 確かに、今日までは、ますますひどくなるばかりだった。 老人 気違い乞食のトムだな。 エドガー (傍白)だが、あすからは、もっとひどくなるなるかもしれぬ、どん底などと言うものではない、自分から今がどん底だと言っていられる間は。 老人 おい、どこへ行くのだ? グロスター その男は乞食か? 老人 はい、気違いで、その上乞食という訳で。 グロスター 多少の正気は残っていよう、さもなければ物乞いすら出来まい。ゆうべも、嵐の中で同じ様な男に出遭うたが、俺はそれを見て、人間が虫けらの様に思われて来た。いわば気紛れないたずらっ子の眼に止まった夏の虫、それこそ、神々の目に映じた我等の姿であろう、神々ただ天上の退屈凌ぎに、人を殺してみるだけの事だ。 エドガー 御機嫌よろしゅう、旦那様! グロスター そいつは裸の男か? 老人 はい、左様で。 グロスター それなら、お前は帰ってくれ。そしてこの裸虫に何か引掛ける物を持って来てやってくれ、俺はこれに手を引いて貰おうと思ってい居るのだ。 老人 とんでもございません、こいつは気違いにございます! グロスター 今は末世だ、気違いが目くらの手を引く。命じた通りにしてくれ。 老人 手前の持っております一番良いのを持って参りましょう。(退場) グロスター こら、裸虫! エドガー 哀れなトムは寒いのだよ。(傍白)これ以上ごまかし切れない。 グロスター ここへ来てくれ。 エドガー (傍白)だが、続けなければならぬ。あ、目が、血が流れている! グロスター お前はドーヴァーへ行く道を知っているか? エドガー 木戸に門、馬道小道、どっちも知っている。 グロスター さ、この財布を遣る、お前は感心な奴だ、天がくだし給うた禍を一度に身にうけながら、じっと我慢している。お前はドーヴァーを知っているか? エドガー 知っているとも、旦那。 グロスター そこには絶壁が如何にも恐ろし気にそそりたち、高々と擡げたうなじを前に差延べ、眼下に海を抑え付けている。その縁の所まで俺を連れて行ってくれ。そしたら、俺はお前の担っている苦患(くげん)を取除いてやろう。多少の金目の物は今でもこの身に附けているからな。そこから先はもう案内は要らぬ。 エドガー 腕を貸しな、哀れなトムの道案内だ。(二人退場)
2018年10月29日
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第 三百八十三 回 目 芝居台本 『 リア王 』 その三 5 〔 第一幕 第五場 〕 前場と同じ、内庭 リア、ケント、道化が登場。 リア 一足先に行ってコーンウォールにこの手紙を届けてくれ。懸命に急がぬと、俺の方が先になるぞ。 ケント この手紙をお届けするまでは、一睡も致さぬ積りです。(退場) 道化 もしお前さんが俺の阿保だったら、おっさん、年寄り早く年寄りになり過ぎた懲らしめに、ぶん殴ってやるところだよ。 リア どうしてだ? 道化 年寄になるのは、智慧を貯めてから後の事にして貰いたいものだね。 リア おお、俺を気違いにしてくれるな、気違いにだけは! 一紳士登場。 リア おお! 馬の準備は支度は出来たか? 紳士 は、出来ましてございます。 リア 来い、小僧。 道化 何も知らない生娘(きむすめ)が、引込む俺の尻眺め、けらけら笑っているうちに、何でも彼でも知り尽くし、一目、倅に逢わん思召し。(一同退場) 6 〔 第二幕 第一場 〕 グロスター伯の居城の中庭 エドマンドとカランが両端から出て来て出遭う。 エドマンド 元気で何よりだな、カラン。 カラン 御同様に。唯今、おどさま(お父上様)にお目に係り、御報告申上げておきましたが、コーンウォールの公爵並びに奥方リーガン様には今宵こちらに御厄介になりたいとの事。 エドマンド どうしてそういう事に? カラン いや、それは存じませぬ。お聞き及びでしょうな、例の取沙汰(とりざた)、それ、あの内証話というか、まだほんの耳こすり程度の噂に過ぎませぬが? エドマンド いや、まだだ。聞かせてくれ、どういう事なのだ。 カラン 戦がはじまりそうだという話を、お聞きになりませぬか、それもコーンウォール、アルバニー両公爵の間に? エドマンド いや、全く。 カラン いずれお耳に入りましょう。では、これで失礼を。(退場) エドマンド 公爵が今夜この城に? ますます結構! 至極結構! 俺としては是が非でもやってのけねばならぬ事がある。早い所、巧く片付きますようにだ! エドガー、一寸話がある! 降りて来て下さい! エドガー! エドガー登場。 エドマンド おどさまがお身柄を狙っている、さあ、一刻も早くこの場を! 幸い夜で人目につかぬ。あんちゃ(兄上)は何かコーンウォール公の陰口をおききになったのでは? 公はここに御渡りです。奥方のリーガン様も御一緒だ。それとも公の肩を持って、アルバニー公爵を非難するような事をおっしゃったのではありませんか? よく考えて下さい。 エドガー 決してそのような事は言わぬ、一言も。 エドマンド 父上がお出でらしい。失礼だがこれも計略です、剣を抜いて兄上と切結んで見せねばならない。あんちゃ(兄上)も抜いて下さい。守る振りをして頂くのです、立廻りを巧く ― 剣を棄てろ!おどさまの前に出るのだ。明かりを持って来い! ここだ! ―― 逃げて下さい、あんちゃ ― 松明だ、松明を! (エドガー慌てて逃げる)そう、お元気で。幾らか血が流れていたほうが、激しく戦ったように見えるだろうな。(自分の腕に傷を附ける)― おどさま、おど様! ここだ、ここだ!誰も助けてくれぬのか? グロスターが松明を持った召使たちと共に登場。 グロスター どうした、エドマンド、悪党はどこにいる? エドマンド それ、そこに、その闇の中に立ちはだかり、鋭い抜身を振回しておりました。 グロスター だが、今は何処に居るのだ、そいつは? エドマンド これを、おどさま、血が。 グロスター その悪党は何処にいるのだ。 エドマンド こちらの方へ逃げて行きました、結局、わがー― グロスター 後を追え、さあ!追い掛けるのだ。(数人の召使が命令に随う)結局、わがどうしたと言うのだ? エドマンド おどさまを殺すのに同意しそうもないと見たからでしょう。それどころか、わが逆に説得するの挙にでたものですから、それこそ猛烈な一撃をもって、この腕に傷を負わせたのです。しかし、わが渾身の勇気を振絞り立向かったため、相手は急に逃げ出してしまいました。 グロスター 逃げられるものなら逃げてみろ、この領内で捕らえずにおくものか。我が公爵殿が今宵この城にお成りになる。公の権威を借りて直ぐにも触れを出そう、その極悪卑劣な犯人を見つけた者は必ず褒美を取らせる。 エドマンド 一応、心を翻させようと説得したのですが、駄目でした。さすがに腹が立って、今度は何も彼もばらしてしまうぞと嚇してやりましたが、その答えがこうです、「この妾腹の乞食野郎、もしこの俺が貴様の言う事を打消したら、誰が貴様の言葉を真(ま)に受けたりするものか、たとえ俺の自筆の手紙を引張り出そうと平気だ、何であろうと片端からそれもこれもおんじ(弟)の唆しで、貴様の書いた筋書通り、恐ろしい悪だくみに載せられたのだと言いくるめてやる。誰の目にも、俺が死んで得をするのは貴様だからな」と。 グロスター それでも人の子か、底知れぬ悪党めが!(奥でタケット調のトランペットの響き)おお、あれを、公爵のラッパだ! 御枉駕(おうが)の理由は解らぬ。ともあれ、港の入口は悉く鎖してしまうに限る。公にもいずれ御諒解頂けよう。更に奴の人相書きを四方に配れ、それからわの領地は、人情を弁えた親思いのうがに預け、その手で自由に采領(さいりょう)できるよう取計うことにしよう。 コーンウォール、リーガン、侍者達が登場。 コーンウォール 一体、どうしたのだ? 到着早々、といっても今しがた着いたばかりだが、妙な話を聞かされたぞ。 リーガン もし本当の事でしたら、如何なる罰を下そうとも、さほどの罪人には軽過ぎましょう。どうしましたか、伯爵? グロスター おお、奥方、この老いたる胸は張裂けて、ついに張裂けてしまいました。 リーガン 何という事が!あのエドガーが? エドガーは父に仕えるあの無頼の騎士共とぐるになっていたのでは? グロスター それは存じませぬ。余りと言えば、余りにも! エドマンド 実は、左様で、奥方。 リーガン それなら不思議はない。あねちゃ(姉)から一行の様子を知らせて参り、もしあの連中がコーンウォールの館に転げ込むような事があったなら、わ(私)は館におらぬようにと注意書が添えてありました。 コーンウォール 私とて居たくはない、リーガン。エドマンド、話によると、うがはおどちゃに対して子としての勤めを立派に果たしたそうだな。 エドマンド 当然の事を行ったまでに御座います。 グロスター これはあんちゃ(兄)のたくらみを暴いてくれました、お蔭でこの傷を、それ、この通り兄を捕らえようと致しましたので。 コーンウォール 追手は出したのか? グロスター はい、勿論にございます。 コーンウォール 捉えたが最後、二度と悪事が働けぬようにしてやろう。所で、エドマンド、お前の孝心には感服した。この場で直ちに家中の一人に加える。 エドマンド 喜んでお役に立ちましょう。 コーンウォール 時に、まだ知らぬであろうな、我等が何故こちらへ参ったのかは? リーガン それも選りに選って、暗い夜道を辿って。グロスター伯、その事であなたのお智慧を借りねばなりませぬ。 グロスター 喜んでお役に立ちましょう。(トランペットの吹奏、一同退場) 7 〔 第二幕 第二場 〕 グロスター伯の居城の前 ケントとオズワルドが左右から出て来て遭う。 オズワルド お早う。この邸の人かい? ケント ああ。 オズワルド 馬はどこに繋ぐのだ? ケント そこの溝だ。 オズワルド まあ、お互い、同じ人間様だ、教えてくれよ。( ケント 俺はお前さんと同じ人間ではない。 オズワルド 何故そう突っかかるのだ? ケント 面の皮の厚い奴だ、あれは二日前の事だ、王様の御前で俺が貴様の足を掬い、一殴りくれてやった筈だ。さ、抜け、やくざ野郎、夜でも幸い月は照っている、剣を抜け!(自分の剣を抜く) オズワルド どけ!うがに用はない。 ケント 抜けというのに、この無頼漢め! オズワルド 助けてくれ! おおい! 人殺しだ、助けてくれ! エドマンドが抜剣して登場。 エドマンド どうした? 二人共離れろ! そもそも事の起こりは? ケント お前さんさ、鉄面皮、よかったら相手になってやる! コーンウォール、リーガン、グロスター、及び召使達が登場。 グロスター その得物は? 何故(なにゆえ)の刃物三昧(ざんまい)か? 何が因(もと)でこのような騒ぎに? コーンウォール 鎮(しずま)れ、命が惜しいなら! 先に手を出せば死刑だ。事の起こりは何か? リーガン あねちゃと王からの使者に違いない! コーンウォール 争いの因は何か? 答えろ。 オズワルド この老いぼれのならず者が、はい、その胡麻塩の髯(ひげ)に免じて、命だけは勘弁してやりましたが ―― ケント 公爵、もしお許しが頂けますなら、この篩(ふるい)の目を通らないがらくた悪党、粉々に踏み潰して漆喰(しっくい)にして、便所の壁にでも塗りたいところで御座います。 コーンウォール 何に腹を立てているのか? ケント どんな敵(かたき)同士にしても、わとこのごろつき程、肌の合わない間柄はまずありますまい。 コーンウォール なぜこの男をごろつき呼ばわりするのだ? おまえはこの男に何をしたのだ? オズワルド 何もしは致しませぬ。たまたまこの男の王様が、ごく最近、ふとした誤解からわを御打擲(ごちょうちゃく)になりまして、その折、この男が王様と示合し、その御機嫌を取ろうとして、後ろからわの足を掬いましたので。 ケント 如何にやくざな臆病者でも、あきめくらの豪傑アイアースが相手なら、どんな阿保扱いも易々(いい)たるものだ。 コーンウォール 足枷(あしかせ)を持って来い! いい年をしてどこまで大口を叩く気か、よし、教えてやろう! ケント わざわざ足枷に及びませぬ。わは王の御命令にて遣わされた者、いささか不敬の誹(そしり)りを免れますまい。 コーンウォール 足枷を持って来い! 誰が何と言おうと、明日の昼までこいつを台に曝しておくのだ。 リーガン 昼まで? 夜までも、ついでにそこで一晩夜明かしさせておやり。 ケント 何と仰せになります。たとえわが犬でも、お父君が飼っておいでとあれば、そのように酷くはお扱いになりますまい。 リーガン いいえ、おどさまの手下なればこそ。 コーンウォール まさしくあねちゃの手紙にあった手合いと一つ穴の貉(むじな)だ。さ、早くここへ足枷を。(足枷が運び入れられる) グロスター 差出がましゅうはございまするが、公爵、どうぞお留まり下さいまし。お考えのお仕置きは、最も下賤陋劣な輩が、こそ泥、その他の極ありふれた罪を犯した場合の恥ずべきものにございます。王も必ず御気色を損なわせられましょう。 コーンウォール その責めは身が負う。 リーガン それよりあねちゃの御機嫌を損ないましょう、己が召使頭が、ほかでもない、御自分の用を果たそうとして、辱められ、なぶりものにされたとお聞きになったら。その男の脚を。(ケントは足枷台に掛けられる。それを見てコーンウォールに)さあ、参りましょう。(グロスターとケントを残して一同退場) ケント 早く昇れ、下界を照らす燈火、その光を借りてこの手紙を読むのだ。ほかでもないコーディリア様から頂いたものだ、この身の仮の姿をどこからか聞き及んでおいでらしい。それなら、やがて……乱れた秩序を建直し、損なわれた箇所に手当てを施して下さろう。いや、すっかり疲れた寝も足りぬ。重い目にはもっけの幸いだ。(眠りに入る) 8 〔 第二幕 第三場 〕 野原 エドガー登場。 エドガー 俺を捕らえる触書が廻っているという、が、木の洞のお蔭で幸い追手は免れた。とにかく逃げられるだけ逃げ延びよう! エドガーの俺はもう居ないのだ。(退場) 9 〔 第二幕 第四場 〕 グロスター伯の居城の前 ケントが足枷を掛けられたまま。リア、道化、紳士が登場。 リア おかしな話だな、急に館を留守にし、しかも使者を返して寄こさぬというのは。 紳士 わ(私)の承りました限り、前夜まではこちらへお越しのお積りは無かったように御座います。 ケント ようこそ、ここへ! リア うがはその辱めを慰みにして済ませる気か? ケント まさか、そのような事も。 道化 は、は、は! 生き物を繋ぐには急所があって、馬は頭、犬や熊は首、猿は腰、人間ならば脚と相場が決まっている。 リア 誰だ、お前の身分を知らず、このような目に遭わせたのは? ケント 例のお二人にございます、お姫様とお婿様の。 リア 嘘をいうな。 ケント 真(まこと)にございます。 リア 嘘を言うなと申すに。 ケント 真の事と申上げております。 リア 嘘だ、嘘だ、これが二人の仕業であるものか。人殺しに過ぐる大罪だぞ、ほかでもない、わが遣わした使者だというのに。委細を速やかに話して聴かせろ。 ケント 申上げます。公爵のお館に着き、王の御書面をお二方のお手もとにお渡し致した時、汗にまみれた使者が一人、湯気を立てて駆込んでまいり、主人ゴネリル様よりと、即座の口上、お二人にはすぐさまそれにお目をお通しになりました。読み終わる否や、直ちに召使共をお呼集めになり、そのまま馬にてこちらへ。その際、私には、後から附いて来い、手が空いたら返事を考えようからと、大層冷たい一瞥をお与えになりました。ところが、またここで別の使者に出遭い、向こうから挨拶をされましたが、そいつは例の、数日前、王の御前で生意気な態度を示した男でした。で、つい剣を抜いてしまったのです。奴は怯えて大声挙げて邸中の者を呼び起こしました。そこでお二方は、非は私にあり、この位の辱めは当然だとお考えになった次第にございます。 リア おお、腹が煮え返り、熱いものがこの胸元まで! 娘は何処にいる? ケント グロスター伯の所に、奥においでの筈。 リア 附いて来るな、ここにおれ。(奥に入る) 紳士 お話のほかは何もなさらなかったのか? ケント 何も。だが、一体どういう訳でこればかりのお供を連れてお出歩きになる? 道化 足枷を嵌められたのも、そんな事を訊いたためとあれば、至極当然の報いと言うほか無いな。 ケント なぜだ、阿保? 道化 欲得ずくの 御家来衆は 上辺つくろい 附いては来るが 嵐が来れば 見えもへちまも あるものかはと お前を棄てる… リアが再び登場、その後にグロスターが続く。 リア 会いたくない? 病気だ、疲れている、只の口実だ。 グロスター 仰せでは御座いますが、公爵は御存知の通り火の様に激しい御気性の持主、一旦こうとおぼし立たれたからには、梃子(てこ)でもお動きになりませぬ。 リア 疫病に取憑かれるがよい! 俺はどうしてもコーンウォール公夫婦に会って話がしたいのだ。 グロスター はい、その通りお二人にお伝え申上げたのですが。 リア 国王がコーンウォール公に会いたい、おどちゃ(父)が娘と会って話がしたい、その礼を尽くせと言っているのだ、ええい、我慢がならぬ! いや待て、本当に具合が悪いのかも知れぬ…(ケントを見て)、これでも王と言えるのか! 二人に言え、この従者を引渡せと、直ぐにだ、ここへ来るように言え! グロスター 何とか丸く納まりますように。(退場) リア ああ、この胸の内! 熱いものが胸元まで! ええい、下れ! 道化 たんと怒鳴るがいいや、おっさん! グロスターが再び登場、続いてコーンウォールとリーガンが召使達と現れる。 リア 早起きだな、二人共。 コーンウォール ようこそ! (ケントを自由にするように指図する) リーガン 久しぶりにお目に掛かれて嬉しゅうございます。 リア リーガン、それが本心であろう。(ケントに)おお、やっと自由になったか?この事は、また改めて聞かせて貰おう ― それよりもリーガン、んがの姉は悪者だぞ、とても信じては貰えまい、あいつが如何に酷い心の持主か! リーガン お願い、落着いて下さいまし。あねちゃの方にいささかでも手落ちがあったとは考えられませぬ。どうぞ、あねちゃの所へお戻り下さいますよう、一言、悪かったと仰って下さいまし。 リア あれに許しを乞えと? 戻るものか、リーガン。あいつは わ を睨付け、蝮の舌をもってこの心臓を突刺したのだ。光れ稲妻、一瞬にして人を盲(めしい)と化すその閃光を、あいつの目の中に射込んでくれ! リーガン 恐ろしい事を! 同じ呪いをわにもお浴びせになりましょう、もしお憤りが ― リア 何を言う、リーガン、うがが俺の呪いを受けるような事はない。(奥でタケット調のトランペット) コーンウォール あのラッパは? リーガン どうやら ― あねちゃらしい、手紙にもあった、直ぐ行くからと。 オズワルド登場。 リーガン んがの御主人が見えたのだろう? リア 退れ! 俺の目に触れるな! コーンウォール なぜそのような事を仰せに? リア 誰だ、俺の抱えている男を足枷に掛けたのは? ゴネリル登場。 リア 誰だ、あれは?(ゴネリルに)この髯を見て恥じぬのか? おお、リーガン、んがはその女の手を取ろうと? ゴネリル なぜ手を取ってはなりませぬ? わが何か罪を犯したとでも? リア おお、この胸、まだ持ちこたえる積りか? どうして俺の従者は足枷を嵌められたのだ? コーンウォール わがやった事です、が、この男の働いた乱暴は、更に厳しい処分に値しましょう。 リア 公がみずからやったと? リーガン お願いです、おどさま、お附きも半分に暇を出し、一旦あねちゃの所にお戻り下さいまし。 リア この女のもとに戻れと? 頼むから娘、俺を気違いにしないで呉れ! お前は俺の娘だ ― おれは堪える、リーガンの所にとどまる事にしよう、供の騎士百人もそうさせる。 リーガン そうお望みの通りにはまいりませぬ。 リア それを本気で言うのか? リーガン 言うまでもございませぬ。 ゴネリル なぜお気に入らないのでしょう、この人が使っている召使なり、わの館の者なりが用を足したのでは? リーガン お附きは二十五人にして下さい、それ以上はお断わり致します。 リア 俺はお前に何もかも遣った。 リーガン それも、良い時に下さいました。 リア (ゴネリルに)んがの所に行こう。んがの五十はそれでも二倍だ。 ゴネリル 一寸お待ちを。何人にもせよ同じ館に住むのに、お附きが必要でしょうか? リア おお、必要を言うな! 如何に賤しい乞食でも、その取るに足りない持物の中に、何か余計な物を持っている。自然が必要とする以外の物を禁じてみるがよい、人間の暮らしは畜生同然の惨めなものとなろう。この情知らずの鬼共、必ず復讐してやる。(雷鳴が近づいて来る)おお、阿保、俺は気が狂いそうだ!(そとへ飛び出して行く、道化、グロスター、ケントが後を追う) グロスター、再び戻って来る。 グロスター 王には大層お憤りで。 コーンウォール どこへ行かれた? グロスター 馬をお命じになりましたが、どちらにお出での積りかわかりませぬ。 コーンウォール 門は閉めておいた方がよい。さ、嵐が来ぬうちに。(一同入る)
2018年10月23日
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第 三百八十二 回 目 芝居台本 『 リ ア 王 』 その二 2 〔 第一幕 第二場 〕 グロスター伯の居城の一室 エドマンドが手紙を持って登場。 エドマンド 自然、うが(貴様)だけが俺の崇(あが)める女神。何のため、何故おとなしくしていなければならぬ、俗物輩(ばら)の差出口に自分の権利を奪われて、それも俺の方が十二か月かそこら兄貴に遅れて生れて来たからという、ただそれだけの事なのに!何が庶子だ、妾腹だ? ようし、嫡子のエドガー殿、お前さんの土地は頂戴しておこう。あんちゃ殿、もしこの手紙が役に立って、俺の計画が功を奏すれば妾腹のエドマンドが嫡子を追抜く、俺は世に出る、時めき栄えるという寸法さ。 グロスター登場 グロスター ケントはああして追放? フランス王は機嫌を損じたまま御帰国? 王も夜のうちにお立ち? 王権はみずから御制限? そして、あてがい扶持(ぶち)のお暮し? しかも、それが一度に降って湧いたように? ―― エドマンドではないか、どうした? 何かあったのか? エドマンド いえ、別に何も。(手紙を隠しに入れる) グロスター 何だ、今読んでいたのは? エドマンド いえ、何も。 グロスター 何も? それなら、何で慌てふためいて隠しに押込んだりする? 見せろ、さ、さ。 エドマンド 何とぞお許しを。これはあんちゃ(兄上)からの手紙で、まだ全部読んではおりません、それに、まなぐ(目)を通した限りでは、御読みにならなぬほうがよろしいかと存じます。 グロスター その手紙をよこせ。 エドマンド お見せしてもしなくてもお怒りに触れそうです。 グロスター 見せろ、見せてくれ。 エドマンド これは恐らく、一言、あんちゃの為に弁護しておきたいのですが、わの心を試みるために書いたものと思われます。 グロスター (手紙を読む)「旧来の陋習(ろうしゅう)とも言うべき敬老の美徳は我々人生の最盛期にある者にとって苦痛の種であり、その為、若者はいたずらに財産より遠ざけられ、やがてそれを譲り受ける時が来ても、老いてそれを楽しむことができない。老人の横暴に服従するのは無意味、かつ愚劣だ!是非、お出で願いたい、この件につき、なお話したいので。エドガーより」 ふむ! 陰謀か? 「俺の起こすまで目を醒まさずにいれば、その収入の半ばは永久にお前のものとなり」我が子のエドガーが!あれにこんな手紙を書く手があったのか? これを何時受け取った、誰が持って来たのだ? エドマンド わの部屋の窓の所に投げ込んであったのです。 グロスター これは兄の字と解るか? エドモンド よいことでしたら、憚(はばか)る所なくそうだと断言いたしますが……。 グロスター あれの字だ。 エドマンド 確かに、しかし、あんちゃ(兄上)の心はこの中にはございますまい。 グロスター 今まで、この件についてうがの肚(はら)を探るような様子は? エドマンド いえ、一度も。が、あんちゃは口癖のように、息子が成年に達し、おどちゃ(父親)が老衰している場合、親は子の世話になり、子が代わって親の収入を管理すべきだと言っておりました。 グロスター おお、悪党め! 奴は何処にいる? エドマンド よく存じません。この手紙はおどさま(父上)に対するわの愛情を試すために書いたもので、他には大それた考えなど微塵も含まれておりせん。 グロスター これ程に深くあれの為を思うておる父親に対して…、エドマンド、どうでもあれを探し出せ、事態をはっきり見究めたいのだ。 エドマンド 直ぐにもお探しして参りましょう。 グロスター このところ打続いての日蝕月蝕は我等にとってのよからぬ前兆。愛は冷却し、友情は地に墜(お)ち、兄弟は離反する。そして親子の道は廃(すた)れて信なし。非道の我が子もその例外ではない、またかの王も人情の自然に悖(もと)る。良き時代は既に去ったらしい。あの悪党を見付け出せ、エドマンド、うがを困らせはせぬ、慎重にやるのだぞ。(退場) エドマンド ここまで来れば人間の馬鹿さ加減もきわまれりと言うものだ。エドガーだ―― エドガー登場。 エドマンド 正に注文通り! ― おお、このところ打続く日蝕月蝕はまさしく不和の前兆だ。ファ・ソ・ラ・ミ。 エドガー どうした、エドマンド? エドマンド 実なこの間読んだ不吉な預言の事で。 エドガー そんな事に興味があるのか? エドマンド そこに書いてあった不幸が次々に起こっているものですから。 エドガー うがは何時から占星術に熱を入れ始めたのだ? エドマンド 最後におどさま(父上)にお会いになったのは? エドガー つい昨夜のことだ。 エドマンド おどさまの言葉や素振に、どこか気まずそうな感じはありませんでしたか? エドガー いや、全く。 エドマンド なにはともあれ、わ(私)からお願いしますが、当分、お会いにならずにおいて頂きたい、いずれ時が経(た)てば、お怒りも冷めるでしょうが、今のところ、それがあまりにも激し過ぎるのです。 エドガー どこかの悪党があらぬ事を告げ口したのだな。 エドマンド それを心配するのです。とにかく、お怒りの激しさが緩むまで、努めてお会いにならぬように、更に願えれば、私の所に隠れていて頂きたい、そうすれば、適当な折を見計って、おど様(父上)の話が聞ける場所にもお連れ出来るというものです。お願いです、そうして下さい、これが私の鍵です、外出の際には必ず得物(えもの)を。 エドガー 得物を? エドマンド そうです、それもお為を思えばこそ。私の申し上げた事は、全て直に見聞きした事、それも大分薄めて、事実その儘の恐ろしさは、とてもこの程度ではありません。さ、さ、早くお出でを! エドガー 後の事は直ぐ聞かせて貰えるだろうな? エドマンド この一件については是非ともお力になりたいと思っています。(エドガー退場)あや(父親)はお人好し! おまけに、あんちゃも気がよくて馬鹿正直者! この一件、およそ目鼻は附いた。素性で入らぬ土地なら、頭で奪って見せる。(退場) 3 〔 第一幕 第三場 〕 アルバニー公の館の一室 ゴネリルとその執事オズワルドが登場。 ゴネリル おどさま(お父様)が私の家来に手をお挙げになったというのだね、お附きの道化に小言を言っただけで? オズワルド はい、左様で。 ゴネリル 夜昼無しに迷惑ばかりお掛けになる。もう沢山。もう私は口をききません、お前もこれまでのようにお世話しなくて構いません。(奥から角笛の音) オズワルド 王の御帰館に御座います。 ゴネリル なんでもいいから大ぴらに厭々(いやいや)の態度をして見せておあげ、お前ばかりでなく皆で、わ(私)はそれを切掛けにしたいのだから。わの言った事を忘れないように。 オズワルド はい、決して。 ゴネリル お附きの騎士達にも今までより冷たく扱っておやり。妹にも直ぐ手紙を書いて、同じ手立てを採るように言ってやりましょう。さあ、食事の支度をしておくれ。(二人退場) 4 〔 第一幕 第四場 〕 前場と同じ、玄関広間 ケントが変装して登場。 ケント この上、声音(こわね)まで借着すれば、俺の意図も完全に実現し、お慕いする御主人様に十分忠勤を認めて頂ける日も来るというものだ。 角笛の音が聞え、リアが狩りから戻って来る。騎士、侍者が随う。 リア 直ぐに食事にする、待たせるな、早く支度をしろ。(侍者一人出て行く)おい! お前は誰だ? ケント 男にございます。 リア 何をしている? どうして貰いたいのだ? ケント 見かけ通りにしております。 リア 一体何者だ? ケント 内に誠を持てる者、但し、この国の王同様貧しく暮らしております。 リア で、どうして貰いたいのだ? ケント お役に立たせて頂ければと。 リア 年は幾つになる? ケント 若くは御座いませぬ、この肩に四十八年の歳月が降り積もっております。 リア 附いて来るがよい、抱えてやる。食事にしろ! ええい! 食事だ! 小僧は何処にいる?道化は? 行って、俺の道化を探して来い。(侍者一人去る) オズワルド登場。 リア おい! お前だ! 娘はどこにいる? オズワルド (留まらずに広間を横切りながら)只今ちょっと ― (退場) リア あいつ、今、何と言ったのだ? あの間抜けを呼返せ! (騎士が一人出て行く) 道化は何処にいる? ええい! 世界中がまるで眠ってでもいるようだ。(騎士が戻って来る)どうした?あの野良犬め、どこにいる? 騎士 奥方には御不快の由、そう申して居ります。 リア あの下郎め、俺が呼んだのになぜ戻って来ぬ? 騎士 それが、かつて無いぞんざいな口のきき様に、ただわがね(厭だ)と申して居ります。 リア わがね(厭)と? 騎士 は、実は、委細存じませぬが、王に対するおもてなしに、従前通りの格式も情愛も見受けられぬように思われます。甚だしく誠意が失われ、それが公爵御自身、更には奥方にまで感ぜられます。 リア はっ!その言葉に間違いないか? お前の言葉は、この身も秘かに感づいておった事を、ただ思い出させてくれたに過ぎぬ。まさか冷酷な下心があろうとは露考えなかった、なおよく気を付けて様子を見てみることにしよう。それにしても、道化は何処に居る? 騎士 末の姫君がフランスにお立ちになって以来、あの道化め、すっかり元気がなくなってしまいました。 リア それは言うな、俺も気づいている。娘の所へ行って、話があると伝えてくれ。(侍者の一人が去る)お前は道化を探して来い。(他の侍者が去る) オズワルドが戻って来る。 リア おお、んが(お前)か、うがだ、ここへ来い。んがはこの身を何と思っている。 オズワルド 奥方様のおどさま(お父上)と。 リア (睨んで)「奥方様のおどさま」だと、御前様の小僧めが? このむく犬め、下司(げす)、下郎(げろう)! オズワルド (睨み返し)手前は左様な者ではござりませぬ。 リア 睨み返すのか、こいつ?(相手を打つ) オズワルド 殴れ放しで黙ってはおられませぬ。 ケント その上、足を払われ放しでは黙ってもおられまい、この蹴鞠野郎。(その足を掬う) リア 忝(かたじけな)い。忠義な奴だ、大事にしてやるぞ。 ケント さ、起きろ、行ってしまえ! (オズワルド出て行く)それでよし。 リア お前の主思いには心から礼を言う。これは今後遣わす扶持(ふち)の手付けだ。(金を与える) 道化が登場。 道化 俺もそいつを傭(やと)ってやろう。この鶏冠(とさか)帽を呉れてやる。(自分の帽子を与える) リア おい、どうした、小僧? 今までどうしていたのだ? 道化 さあ、帽子を受取った。 ケント なぜだ、阿呆? 道化 なぜ? 落ち目の人間に肩を入れるからさ。何と、この爺さんは二人の娘を追出し、三番目に祝福を与えたというお方だ。そういうお方のお伴を仕(つかまつ)ろうというからには、この帽子を被らなければどうにも務まらない。 リア 何故だ? 道化 よしんば財産全部を娘どもにくれてしまっても、俺ならせめて帽子だけはしっかり握っているね。 リア こいつ、鞭だぞ。 道化 真実は犬の如し、小屋に無理やり押し込められて、時には鞭まで喰らう。奥方の猟犬に炉端で屁(へ)をひられて、やっと逃出して来たというのに。 リア 厄病神だ、あいつは! 道化 (ケントに)お前さんから言って貰おうか、只の土地からたんと年貢が這入って来るとな。 リア 阿保め、苦い事を! 道化 おい小僧、お前さん解っているのかい、苦い道化と甘い道化とどう違うか? リア 知らぬ、言ってみろ。 道化 領地ゆずれと そそのかし お前をその気に させた奴 その面(つら)見たい 連れて来な そうだお前が 身代わりだ 即席ながら この通り 甘辛道化の 見本とござい 甘いはこちら まだら服(自分を指差す) 苦いはあちら それ そこに(リアを指差す) リア 俺を阿保呼ばわりする気か、小僧? 道化 お前さん、ほかの肩書は皆捨ててしまったもの、持って生まれたのしか残ってはいないよ。 ゴネリル登場。 リア おお、娘か? その額の八の字飾りは何のためだ? お前はこの頃、顰面(しかめつら)ばかりしているな。 道化 お前さんももう少しかわゆげがあったよ、娘の顰面など気にせずに済んでいた頃はな。(ゴネリルに)はい、全くその通り、もう何も申しません。(リアを指差して)これなるは中身は空の莢豌豆(さやえんどう)とござい。 ゴネリル 天下御免のこの道化だけではございませぬ。そのほかのお附きの面々まで大層な思い上がり様です。 道化 それはそうに決まっているよ、おっさん。 リア お前はこの俺の娘か? ゴネリル お願いです、どうぞ智慧をお働かせになってくださいまし。 リア 誰でもよい、俺を知っているものはいないのか?誰か教えてくれぬか、この俺が誰かを? 道化 リアの影法師さ! リア それが知りたい、見せかけの権威のみか、知覚も理性も俺を裏切り、自分には娘があると、ただそう思込んでいただけの事かも知れぬのだ。お名前は何とおっしゃる? ゴネリル そいうわざとらしい空とぼけや、皮肉な悪ふざけ。この上は、わの考えをしっかりお心にお留めおきくださいまし。とにかく御自身の手でお附きの数を減らして頂きとうございます、そうして、なおお供として残ります者は、みずからの弁(わきま)えも知り主人の立場もよく心得た者だけにして下さいまし。 リア この世は闇か、畜生! 俺の馬に鞍を置け、供の者を呼集めろ! 出来損ないの父無(ててな)し子め、お前の世話にはならぬ、俺にはまだ一人、娘がある。 ゴネリル 館の者を御打擲(ごちょうちゃく)なさる、それを見て、御家来の暴れ者達は身分の上の者まで召使扱いにするのです。 アルバニー登場。 リア 今更、臍(ほぞ)を噛む身の、この愚かさ! おお、見えたか? これは公の意思か、はっきり言って貰おう! アルバニー 何とぞお鎮(しずま)りを。 リア (ゴネリルに)憎い鳶(とび)め、嘘も程々にしろ! 供の者は選抜(えりぬ)きの優れた人物ばかりだ、何事につけ臣下たる者の本分を弁え、いささかでも己の名を穢すまいと努めている。ああ、それこそ取るに足らぬ疵であったが、それをコーディリアのうちに認めた時、俺のまなぐ(目)にはそれが何とも醜い姿に映じたのだ、御蔭で父親たる俺の自然の構えは、土台から引きずり降ろされ、胸中の愛情は根こそぎにされ、その後に苦い憎しみの情が食入って来おった。おお、リア、リア、リア! この扉を打て、(自分の頭を叩きつつ)己が愚かさを引入れ、己が分別を引入れたこの扉を! さ、行け、皆。(騎士とケント退場) アルバニー お待ちを、わ(私)に責めはございませぬ、お憤りの事柄についても全く聞及んでおりませぬ。 リア 大いにそうかも知れぬ、大自然も耳を傾けるがいい、おお、聴け、聴いてくれ! 何を企もうと勝手だが、この雌を孕(はら)ませる事だけはとどまって貰いたい。どうしても生まねばならぬのなら、心の拗(ねじ)けたわらしを授けてやってくれ、そしてこの女に思い知らせてやるのだ、蝮(まむし)の歯に噛まれるよりも恩知らずの子を育てるほうが何層倍も苦しい事を! ええい、退(の)け!(走り去る) アルバニー 正直、訳が解らぬ、何からこういう事になったのだ? ゴネリル わざわざ訳を知ろうとなさる程のことではござりませぬ、耄碌(もうろく)して何を仕出かすか、思いのままにして置きましょう。 リア、狂乱の態(てい)で登場。 リア おお、供の者をいきなり五十人も? 二週間も経たぬのに? アルバニー 一体、何事が? リア 起こったか、言って聴かせよう。(ゴネリルに)ええい、憎い奴! 何より俺は恥ずかしい、大の男が貴様のような奴にしてやられたかと思うと! はっ!どうともなれ、俺には娘がもう一人いる、あれは優しい女だ。今に見ろ、俺は再び昔の俺に立直って見せてやるぞ。(退場) ゴネリル 御聞きになりまして? アルバニー しかし、身びいきはしたくない、ゴネリル、妻を愛する気持ちに変わりはないが ― ゴネリル まあ、わに任せておおきになって、一寸、オズワルド、ここへ!(道化に)阿保には勿体無い悪党のお前、さ、早く主人の後に附いて行くがよい! 道化 リアのおっさん、リアのおっさん!一寸待ちな、阿保も一緒に連れてっておくれ。(駆け去る) ゴネリル あの人には随分為になる事を聴かせてあげたのに! 騎士が百人も要るのですって? あの人はその武力を恃み、私達の命を脅す事ができるのです。オズワルド、早く! オズワルド登場。 ゴネリル あ、どう、オズワルド?あれは、妹宛ての手紙はもう用意出来ているだろうね? オズワルド はい、出来ております。 ゴネリル 供を連れてお行き、さ、直ぐ馬で!早くお出掛け、帰りも急いで。(オズワルド退場)いいえ、何もおっしゃらないで。 アルバニー そのまなこ(目)がどこまで先を見透せるのか、わには解らぬ、万事、良かれかしと努めて、その結果、良い事まで打毀してしまうことがよくあるものだ。 ゴネリル 大丈夫、そうなったら ― アルバニー よい、よい、結果を見てからだ。(二人退場)
2018年10月17日
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第 三百八十一 回 目 試作品として ― 野辺地方言を取り入れた 芝居台本 第一弾 『 リ ア 王 』 ( 第一稿 ) 原作:シェークスピア 構成:野 辺 爺 場所 ブリテン 人物 リア王 ブリテンの王 フランス王 バーガンディ公爵 コーンウォール公爵 リーガンの夫 アルバニー公爵 ゴネリルの夫 ケント伯爵 グロスター伯爵 エドガー グロスターの息子 エドマンド グロスターの庶子 カラン 廷臣 オズワルド ゴネリルの執事 老人 グロスター伯爵の家来 侍医 道化 ゴネリル リア王の娘 リーガン リア王の娘 コーディリア リア王の娘 他に、紳士、伝令、隊長、リア王麾下の使者、侍者、召使 1 〔 第一幕 第一場 〕 リア王の宮殿、玉座の間 ケント伯爵、グロスター伯爵、エドマンド登場。 ケント 王にはコーンウォール公よりアルバニー公の方がお気に入りかと。 グロスター 事実、誰のまなぐ(眼)にもそう見えるが。 ケント あれは御子息では? グロスター 育てたのは如何にもこの手。問われて我が子と答えるのに赤面し、この頃ではすっかり面(つら)の皮が厚くなってしまいました。 ケント はて、何の謎か、さっぱり呑み込めませんが。 グロスター ところが、このわらしのあちゃ(母親)は実に見事に呑み込んでくれましたよ。お蔭で次第に腹が突き出て来る、結局は寝室でわ(吾)に愛されるより先に、揺籃(ゆりかご)でびっき(赤子)をかもる(あやす)はめに。なんともいかがわしい事だとお思いでしょう? ケント しかし、あれ程立派な結果が得られたのですから。 グロスター 息子はもう一人。その方は嫡子で、これより一つばかり上になるが、殊更に可愛いとも思いません。これのあちゃ(母親)は優しい女で、わ(吾)にさんざん楽しい想いをさせてくれました。で、妾腹とは言え、認知しないわけには…。うが(お前)はこの方を存知上げているか、エドマンド? エドマンド いいえ、まだ。 グロスター ケントの伯爵、わの尊敬する友だ。今後のお附き合いをお願いしておくがよい。 エドマンド お見知りおきくださいますよう。 ケント 精一杯お力になりたい、宜しく。 エドマンド は、努めて御期待に添うよう心掛けます。 グロスター これは九年間外国に居りました、又すぐ出掛けるが。(原作ではトランペットの吹奏)王のお出ましだ。 宝冠を捧持する男を先頭に、リア王、コーンウォール公爵、アルバニー公爵、ゴネリル、リーガン、コーディリア、侍者達が登場。 リア フランス王、バーガンディ公爵の案内を恃む、グロスター伯。 グロスター は、仰せの通りに。(退場、エドマンドが随・したが う) リア その間に、日頃胸中に潜むわだかまりをはらしておきたい。地図をくれ。よいか、わ(私)は治下の領土を三つに分けた。わの切なる願いは国事の煩いや務めを、次の若き力に委ね、身軽になって死の旅路をたどることにある。婿のコーンウォール、それに劣らず大切に思って来た姉婿のアルバニー、今ここで娘共それぞれに遣・つかわ す化粧料を公に明示する。それに、例の二人の客、フランス王とバーガンディ公だが、末娘の心を得たいと互いに競い合っている。今日はその二人にも答える積りでいる。さあ、銘々言ってみるがよい、お前たちのうち誰が一番このあや(父)の事を思っているか、それが知りたい。ゴネリル、長女のお前から答えてもらおう。 ゴネリル おどさま(お父様)、わがおどさまをお慕いする気持ちは、とても言葉では尽くせませぬ。どのような高価な宝物も物の数ではございませんもの。貧しい息に託して表現できるものでは、何にたとえて これ程に と申したところで全てもどかしゅう覚えます。 コーディリア (傍白)コーディリアは何と言ったらよいのか? ただ心に思うだけ、後は黙っていればよい。 リア (地図を示し)これらの地方をひとまとめにして、今からな(お前)が、そしてアルバニーの子孫が永久にそれを領有するがよい。ところで、んばこ(二番目)娘はどんな返事を聴かせてくれるかな、わの大事なリーガン、コーンウォールの嫁御は? リーガン 何から何まで姉上と同じ心のわ。あねちゃのお言葉は全部わの思いを描き出してくれました。 コーディリア (傍白)とうとうコーディリアの番だわ、どうしよう! いいえ、気遣うことはない、わの愛情は言葉以上だもの。 リア うが(お前)の手に、この豊かな王国の三分の一を委ねる。ゴネリルに与えたものに較べて露劣りはせぬ。さて、今度はうがだ、末娘とはいえ、わの秘蔵子、その初々(ういうい)しい心を得たいとフランスの葡萄とバーガンディの乳牛とが互いに競っている程だ、さあ、聞かせてくれ。 コーディリア 申し上げる事は何も。 リア 何も無い? コーディリア はい、何も。 リア 無から生ずる物は無だけだぞ、もう一度言ってみろ。 コーディリア 不仕合せな生まれつきなのでございましょう。わには心の内を口に出す事が出来ませぬ。確かにおどさまをお慕い申上げております、それこそ、わらし(子)としての務めですから。 リア もう少し言葉の端を繕(つくろ)うてへれ(言え)。 コーディリア おどさま、おどさまはわを生み、育て、慈(いつくし)んで下さいました。その御恩返しは当然の事。わはおどさまのお言附けを守り、おどさまをお慕いし、おどさまを心底敬っております。 リア で、心の内もその言葉通りと? コーディリア はい、おどさま。 リア 勝手にせよ。さらばな(貴様)の真実をんが(お前)の持参金にするがよい! 今こそわ(俺)は何もかも投棄てる、あや(父親)としての心遣い、親子の縁も、血の繋がりもことごとく捨て去り、今より後、永久に貴様を赤の他人と見なす。 ケント 何と仰せられます ― リア 黙れ、ケント! 竜の怒りに触れるな。俺はこのわらしを誰よりも可愛がり、挙げて余生をその手に委ね、優しゅう世話して貰おうと思っていたのだ。(コーディリアに)失せろ、俺の目に触れるな!―― わし(私)とて、いずれ安らかな眠りにつきたい、その日のためにも、この女から父親の情愛を取上げておかねばならぬのだ。フランス王を呼べ! 誰も動かぬのか? バーガンディ公を呼べ!(廷臣の一人が急ぎ退去)コーンウォール、アルバニー、姉娘二人の取分に妹のそれを併せ収めるがよい、この女には高慢こそ、いや、己の言う誠とやらが似合いの結納(ゆいのう)だ。二人には更にこの身の権力、至上の位を譲り与える、王位に伴う限りなき大権をことごとくな。 ケント お待ちを、今日までわが王と敬い、わが父とも慕い、わが主(あるじ)として仕え、わが大いなる庇護者として祈りのうちにその名を唱え奉って参りましたリア王ならば―― リア 弓は引き絞られた、矢面に立つな! ケント 何でそれを怖れましょう。直言こそは臣下の名誉、己が一命に掛けて申し上げます。一番末の姫君が情においても一番欠けているとは申せませぬ。 リア ケント、命が惜しくば、もう何も言うな! ケント 命とあらば、王の敵前に投出すものとのみ考えて参りました私、今更、惜しみ恐れは致しませぬ、お身の上の安全こそ何より大事。 リア 退(さが)れ、目障(めざわ)りだ! ケント いえ、更にお目に留めて頂きましょう。 リア おお、無礼な! この下郎!(剣に手をかける) アルバニー・コーンウォール(同時に) お腹立ちでもございましょうが、ここは! ケント 御自分の医者をお殺しになるがよい、そして厄病神(やくびょうがみ)に礼金をお出しになる事だ。先のお約束をお取消しにならぬ以上、この咽喉(のど)から声の出る限り、愚かなる御所行とお諫め申し上げるほかはございませぬ。 リア 黙れ、不忠者、これが最後の忠節と思って、よく聴け! 貴様は俺に誓いを破らせようとした―― かつてそのためしを知らぬこの俺にだ。今日より五日の猶予を与える。が、六日目にはこの国を立去るのだぞ。その後は見つけ次第、直ちに死刑に処する。この一言、断じて取り消さぬぞ。 ケント では、これでおいとまを。(コーディリアに)神々のお導きにより、その聖なる避難所にお着きになれますよう、御思慮の深さ、お心籠れるお言葉に感じ入りました。(ゴネリルとリーガンに)お二人には、先程の立派な御声明が実際の振舞に現れ、愛の言葉より良き実が生じますように。さて、御一同、ここでケントより慎んでお別れの御挨拶を、この男、今日まで歩きなれた古い道を、やがて慣れぬ他国に切り開いて行くほかはありますまい。(退場) トランペットの華やかな吹奏。グロスター伯がフランス王、バーガンディ公爵を伴って登場。侍臣達が随う。 グロスター フランス王、並びにバーガンディ公爵のお入りにございます。 リア バーガンディ公、まず公にお訊ねしよう、このフランス王と娘を争う御身から先に。最小限度、当座の持参金として何程の物を求めておいでか、いや、何が得られねば、申し込みを取消す御積りか? バーガンディ ブリテン王、既にお申出の物より多くを望みは致しませぬ ― 又、王にもよもやそれより少なくとは? リア バーガンディ公、あれがまだ大事な娘であった頃は、成程自分もその気でおったらしい、が、今はあれの値も下った。公爵、それそこにいる小娘だが、但し父親の勘気という添物附きの後は無一物、それが御意に適(かの)うたとあらば、そのまま御身の物だ。 バーガンディ それではお答えに窮します。 リア どうするお積りかな、この疵だらけの女を、友はなく、今また親の憎しみを買い、その呪いを持参金に与えられ、その誓いによって勘当を申渡される始末、さあ、採るか棄てるか?バーガンディ 畏れながら申上げます。そのような条件では、お話に乗りかねます。 リア それなら、お棄てになるがよい、公爵。(フランス王に)さて、今度はフランス王の番だが、日頃の誼(よしみ)を思えば、われから憎む女を貰って頂きたいとは、さすがに申上げられぬ。それ故、気を変えて、自然も恥じて顔を背けかねぬ不心得者を棄て、いささかでもましな女をお探し頂きたい。 フランス王 おかしな事を仰せになる。この姫君は今が今迄ご寵愛を一心に浴び、御自慢の種、御老境の慰めとして、こよなきものといとおしんでおいでだった。それが俄かに大それた罪を犯して、幾重にも纏うた御庇護の衣を剥ぎ取られるにいたるとは。定めし、その罪たるや鬼畜も恐れる大それたものに相違なく、さもなくば、かねて御吹聴(ごふいちょう)の御情愛が衰えたからにございましょう。 コーディリア それについて、わ(私)からおどさまにお願いがございまする。確かにわは、心にない事につきよく滑(なめら)かに言い廻す術(すべ)を知りませぬ、こうしようと思った事は口に出すより先に、まず行いにと考えるからに御座いますが、それがわの到らぬ所と致しましても ― ただ一言、おどさまのお口からおっしゃって頂きとうございます、何か後暗い汚点や、穢(けがら)わしい罪の沁み跡が残っているとか、淫らな行いや恥知らずな振舞いをしたとか、決してそういう事でおどさまの御機嫌を損じ、お心を失ったのではないという事を。 リア 貴様など生まれて来ぬほうがましだったのだ。俺の気に入る入らぬはどうでもよい。 フランス王 それはただこういう事に過ぎますまい ― 詰り、口重なたちで、こうしようと思った事でも、人にそれと伝えずに済ませてしまうのでは? バーガンディ公、姫にはどうお答えするお積りか? バーガンディ 申し上げます、かねて王よりお申出の御座いました分さえ頂戴できますなら、コーディリア姫を直ちにバーガンディ公爵夫人に申受けとう存じます。 リア 何も差し上げられぬ。わの心は動かぬ。 バーガンディ 致し方はない、父上を失ったあなたは夫をも失わねばなりますまい。 コーディリア 御心配には及びませぬ、バーガンディ様! 身分や財産を目当ての愛情でしたら、どなたにもせよ、嫁(とつ)ぎとうはございませぬ。 フランス王 コーディリア、あなたは富を失ってこよなく豊かに、棄てられてこよなく貴く、蔑(ないがし)ろにされてこよなくいとおしきものになったのだ、あなたとその優れたお心とをこの場でわが頂戴する。さあ、皆に別れの挨拶を、たとえ情けを知らぬ人達にも。 リア あれはあなたのものだ、フランス王、御自由になさるがよい。さ、行け、恵みも愛も祝福もくれてやらぬぞ。さあ、バーガンディ公。(トランペットの吹奏。リア、バーガンディ、コーンウォール、アルバニー、グロスター、及び侍臣達が退場) フランス王 あねちゃ達に御挨拶を。 コーディリア おどさまには大事な宝のお二人に、わは泣きながらお別れ致します。あねちゃ方のお気性はよく存じております。ただ、妹の身として、その御欠点をあれこれとあからさまに口にすることは、何よりも辛うございますので、どうぞおどさまをいたわって差上げて下さいまし。では、お二人共、御機嫌よう。 リーガン 私達の事まで指図することはない。 ゴネリル それより精々御主人が満足なさるように努めなさい。なには従順な所が少しもないのだから。 コーディリア やがて時が来て、どんな手の混んだ悪だくみも、きっと明るみに引き出されましょう。くれぐれもお大事に。 フランス王 さあ、コーディリア。(コーディリアを連れて退場) ゴネリル いっとごま(一寸)、何かと話しておきたいことがあるの。私達二人に直接関係のある事なのだけれど。きっとおどさまは今夜にもお立ちになるでしょう。 リーガン まずそうなるでしょうね。お泊りはあねちゃ(お姉様)の所、そして来月はわの所。 ゴネリル この頃はお年のせいで大層斑気(むらき)におなりね。これまで妹をあんなに可愛がっておいでだった、それをあんな風に抛(ほう)り出してしまうなどと、それこそ分別の無くなって来た何よりの証拠。 リーガン やはり年には勝てないもの。もっとも昔から御自分のことというと殆ど何もお見えにならないたちだった。 ゴネリル 一番お元気な分別盛りの時でも、結構激しかったもの、その上、お年なのだから、私達も覚悟しておかなくては駄目。 リーガン 私達にしても、あのケント伯爵を追放したような気まぐれな発作に、いつ見舞われるか知れたものではない。 ゴネリル よくて、お互い手を握り合って行きましょう。いくら隠居して頂いても、色々と困ることが出て来るに違いないもの。 リーガン そのことについては、もっと十分に案を練っておきましょう。 ゴネリル とにかく何とか手を打っておかなければ、それも鉄は熱いうちね。(二人退場)
2018年10月12日
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第 三百八十 回 目 劇映画 『 ビッグチャレンジ! 』 ―― その七 (92) 某大学の教室(夜) 一太郎が他の学生たちに混じって、熱心に講義を聴いている。十数人の学生の大半が社会人である。 一太郎のモノローグ「 I 社の中堅で、幹部候補生の一人である課長代理の日高和記氏は地味で、目立たない存在であるが、人知れず努力を積み重ねて来た苦労人である」 一太郎の隣席で、一心にメモを取る日高。 モノローグの続き「私は二流の高校を、辛うじて卒業だけはしていたが、身についた専門の知識は無に等しい、何もない状態だった」 講師「ここ迄で何か、質問はありますか?」 日高「仕事と職業の違いが、少しずつ解ってきましたが、職業の本質について大事な点を、御説明頂きたいのですが」 一太郎のモノローグ「専門の、生きた知識を身につけたいと意欲を燃やす日高の、強い情熱に引きずられるような形で、社会学を一から学ぼうと、この大学の通信制に入学し、こうして一週間のスクーリングに出席しているのだ」 (93) 同・廊下 授業が終了して、教室から出て来る一太郎と日高達の学生・ 日高「疲れましたか?」 一太郎「いえ、疲れは感じません。逆に、時間が速く過ぎ去ったようで、久しぶりに充実して、楽しい気分です」 日高「それはよかった。共に学ぶお仲間が出来て、私も嬉しいです」 (94) 大学近くの道 一太郎と日高が話しながら歩く。 日高「ただ惰性で学習すると言うのですか、例えば、親とか教師から強制されて勉強するのではなく、こうして自分の意志で何かを学ぼうとするのは、実にたのしいものですね」 一太郎「本当にそうですね」 日高「なかなか理解してもらえないのですがね、今の話…」 一太郎「実際に体験してみないと、分からないかもしれませんね」 若々しい雰囲気の二人のシルエットが、夜の世界に弾んでいる様である。 (95) J M C のオフィス(数か月後) 出勤して来た一太郎に、課長が声を掛けた。 課長「日本君、ちょっと…」 一太郎「はい、また部長がお呼びですか?」 課長「いや、その部長とも相談して決めたのだが、今回の新人研修会の講師を、君に任せようと思うのだが」 一太郎「私で宜しいのですか」 課長「何を言うのだ。今や君は我が社のエースだよ。過去半年間の実績は、文句なく歴代の記録を塗り替えるダントツのナンバーワン。自信を持ちたまえ、自信を!」 一太郎「有難うございます。講師の件は謹んでお受け致します」 課長「うん、頑張り給え」 その時、周囲の同僚達の間から拍手が起こった。心の底から嬉しい一太郎である。 (96) フラッシュで ―― 新人研修の講習会で講師役を務める一太郎。 年間 NO. 1の売り上げ実績で、社長から表彰される晴れがましい一太郎。 (97) 田園地帯を行く列車 その列車の座席に並んで腰を掛けている一太郎と桜子の姿がある。 (98) ローカル線の駅前 バスに乗り込む一太郎と桜子。 (99) × × 旅館・玄関ロビー 一太郎と桜子を出迎える従業員たち。 従業員「日本様、お待ち申し上げて居りました」と、二人を奥の方に案内する。 (100) 同・特別室 従業員に案内されて来た二人であるが、 一太郎「あの、私共はごく普通のお部屋を予約した筈ですが」 桜子「何かの手違いでは…」 従業員「女将から日本様ご夫妻をこちらに御案内致すようにと、申し付かって居ります」 顔を見合わせて、怪訝な面持ちの二人である。 従業員「後程には女将が御挨拶に参りますので、どうぞお召し替えなさって、お風呂で汗などお流しの上で、ごゆるりとお寛ぎ下さいませ」 ―― 時間経過。風呂を済ませて寛いでいる二人。部屋の外で、 声「ごめん下さいませ」 入って来た女将がにこやかに挨拶する。 女将「本日は当旅館にお越し頂き、誠に有難う存じます。私は当旅館の女将・梅澤智恵で御座います」 一太郎と桜子「お世話になります」 女将「間もなく別室でお食事の用意が整いますので、係の者に御案内致させます。それまでの間、もうしばらくお待ちくださるように、お願い申し上げます」 一太郎「おのーォ、付かぬ事を申し上げるのですが、私共は通常の料金で宿泊をお願いしている筈なのですが」 女将「はい、左様に心得て居ります」 桜子「この様に立派なお部屋は、料金の事は別に致しましても、私達夫婦には似附かわしくはないと、先程から二人で話していたのです」 女将「御心配をお掛け致しまして、相済みません。後程、その理由も含めまして詳しく御説明させて頂きます」 その時、係の人が来て女将に何か耳打ちした。 女将「お食事の用意が出来ましたので、御案内致します」 (101) 同・宴会場 女将に案内されて、一太郎と桜子の夫婦が入って来て、上座に着席した。すると、続いて入室して来たのは一太郎の先輩の、例の老社長である。慌てて居住まいを正す二人に、 先輩社長「やあやあ、そのままで結構です(と、いつもとは打って変わって愛想のよい社長である)。日本御夫妻のご結婚二十五周年を祝して、乾杯と行きましょうか。それでは女将」 女将「畏まりました」 (102) × × 旅館のある村へ向かう山道(同じ頃) 日本美雪の運転する車が走る。助手席には二男の正次、そして後部座席には長男・健太が居る。 美雪「もう直ぐよ、十分程で旅館に着きます」 正次「お父さんとお母さん、きっと驚くね。そして、喜んでくれるよ」と、後ろの座席を振り返った。健太も嬉しそうな表情である。 (103)元の旅館・宴会場 先輩社長の音頭で乾杯が行われる。 一太郎「先輩、いや、社長さん、どうして御存知だったのでしょうか、私達のプライベートな事を」 先輩社長「いや何、先週お宅の社長と偶然或るパーティーで同席してね。その時、君が目出度く社長賞を獲得した事。その賞金で夫婦で初めての旅行に行くらしい事を、耳にしたのだ」 桜子「御挨拶が遅くなりました。日本の家内で御座います。夫が日頃から一方ならぬお世話に預かりまして、本当に有難う存じます」 先輩社長「いやいや、お世話などとはとんでもない。日本君とは偶々同郷でして、子供の時分からの附き合いという事もあって、心安立てに迷惑ばかり掛けています」 一太郎「(隣の桜子に)僕が曲がりなりにも頑張って来られたのは、みんなこの先輩の愛のムチのお蔭なのだ」 先輩社長「愛のムチか、最近では流行らなくなった言葉だな」と頭を掻いている。 女将「先ほど御質問の御座いましたお部屋の件ですが、(と、頃合いを見計らっていた女将が、笑みを湛えながら言葉を継いだ)私共の旅館は菱田様(と社長の方をこなして)に長年の間御贔屓・御愛顧頂いて居ります。昨日、御来館の際に係の者が 歓迎・日本様御夫妻 の看板を用意しているのに目を留められまして。全く奇遇と申しますか、御縁が御座いましたのでしょう。菱田様と日本様が旧知の間柄と分かりました」 一太郎・桜子「そうだったのですか」と互いに顔を見合わせた。 女将「はい。菱田様からお申し出が御座いまして、費用は全額当方が負担するので、あのお部屋を御二人に提供するように、という事で御座いました」 (104) 同・玄関前の道 美雪の運転する車が到着した。待ち受けていた従業員が、三人を横の従業員専用口の方へ案内する。 (105) 同・元の宴会場 一太郎・桜子「有難うございます」、口々に礼を言い、深々と頭を下げる夫婦。その時、新たに入って来た係の者が、 係「失礼いたします。女将さん、一寸」と、部屋の外に女将を呼んだ。直ぐに戻って来た女将、 女将「嬉しいお知らせがあります。ただ今、お子様方が御到着です」 一太郎・桜子「家の子供達がですか?」 俄かには信じ難い表情の二人。女将が隣の部屋との仕切りの襖を開けると、美雪達三人の姿があった。 桜子「まあ、あなた達……」、本当に嬉しいのである。一太郎も感動している。 先輩社長「これは誠に結構! 我々はこれまでと言うことに」と、事情を察して席を立ちかける。女将も、 女将「後は、御家族水入らずで」と退席しようとする。 一太郎「ちょっとお待ち下さい。先輩、そして女将さん」と二人を呼び止めた。続けて、 一太郎「君達も一緒に話を聞いてもらいたい」、隣室の美雪達に言った。席に直った女将、菱田、そして桜子にも語り掛ける一太郎の沁みじみとした声。一太郎「大分昔の出来事なので、今では誰も知る人はない。いや、その当時にしても同じことだった。一人の青年と、笑顔が神々しいほどに美しい、若女将との間の、小さなエピソードです」 女将は今、漠然と何かを思い出し掛けている。 一太郎「これに見覚えはありませんでしょうか、女将」 一太郎は、さっきから掌に握り締めていた小さな守り袋を、差し出して見せた。 女将「……(手に取ってみて)思い出しました。それではお客様は、あの時の――」 一太郎「そうです。自殺騒ぎを起こして、その上に無銭宿泊という客とは言えない、惨めなこの私に…」 (106) 回想(二十数年前) × × 旅館近くの丘の上に首うな垂れて立つ一太郎に、背後から静かに歩み寄る女将。 一太郎「(気配に気づいて振り返り)本当に、ご迷惑を――」、後は言葉にならない。 女将「お客様はお若いのですから、まだまだ明日という大きな未来があります」 自信無げに立つ一太郎に、 女将「これ、母の形見なのですが、中にあすなろの木の種がはいっているだけの、唯のお守りです。宜しかったら役に立てて下さい」 一太郎「僕にですか……、あすなろ の種なのですね」 一太郎は唯々嬉しくて、自然に頭が下がるのだった。 (107) × × 旅館・元の宴会場 女将「そうですか、役立てて頂けたのですか。私も嬉しいです」 女将は懐かしそうに、今では古ぼけているお守りを手にしている。 一太郎「苦しい時、挫けそうになった時、何度この大切なお守りに勇気づけられた事か。明日こそは、あす(明日)なろう……、もう一度、チャレンジしよう。いや、何度でも挑戦し続けよう。そして必ず 明日(あす)なろう、と」 その場に居合わせた誰もが、桜子も、子供三人も、そして菱田社長も感動している。 菱田「いやァ、実によいお話を耳にしました。まさに現代の美談ですナ」 女将も、心を打たれていたが、 女将「素晴らしいお話を御披露頂き、有難う存じました。私共はこれにて退席致します。後は御家族水入らずで」と、目顔で菱田を促して席を立った。その後ろ姿に、 桜子「色々と、温かなお志、お心配り、有難う御座います」、まるで拝む様に言った。それまでお給仕をしていた仲居たちも、「何か御用が御座いましたら、お声を掛けて下さいまし」と部屋を出た。 そして、隣室に控えていた美雪が、正次が、最後に健太が両親の周りに集まるのだった。 ―― 時間経過。食事を終えた親子五人が、笑顔を交えながら歓談している。 桜子「それにしても健太は、よく頑張ってここまで来てくれたわネ」 照れながら、美雪を見る健太。 美雪「少し強引かなとも思ったけれど、丁度そういうタイミングだったのかも」 一太郎「美雪こそ、良く来てくれたね。少なくとも三年は家に戻らないって、電話で母さんに言ったそうだから」 美雪「自信がなかったのよ。決心が挫けるのが不安だった。でも、もう大丈夫。それに、電話を聞いていた果樹園のオーナーが、うちの車を貸すから弟さん達も誘って、行ってきなさいって、言って呉れたの。だから、来れたの」 正次「あのォー、僕だって少しは頑張ったのですけど…」、ちょっぴりおどけた調子で、言った。 美雪「ああ、そうそう。あなたも確かに頑張りました。お兄ちゃんを励ましたり、方向音痴のお姉ちゃんの助手として、道を訊いたり、地図を調べたりしてくれました」 更に和やかな雰囲気に包まれる家族五人であった。 (108) × × 旅館近くの観光名所(翌日) 日本家の五人が、仲睦まじく散策している。 一太郎のモノローグ「この旅行を契機に、我が家のメンバーは益々結束と絆とを強めることとなった。取分け私の仕事運は、完全に上昇気流に乗ったようであった」 (108) 高層ビルの谷間 一太郎が颯爽と歩いている。冒頭とは違い車道側を、胸を張って、その顔は自信に満ち満ちている。 《 終わり 》 エンド・ロールの背景として― ◎ 次々と営業拒否に遇う一太郎の困惑と、意気消沈振りのフラッシュ。場面色々。 ◎ キャリア学習サポート21の公開研究会で、日本(ひのもと)式セールス術について発表する一 太郎。 ◎ 大学の教壇に立ち、講義する一太郎。 ◎ 桜子と町で買物をする一太郎。 ◎ 郊外の緑豊かな景色の中を、家族五人が仲良く、ハイキングしている。etc. ( 以 上 )
2018年10月08日
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第 三百七十九 回 目 映画シナリオ 『 ビッグチャレンジ! 』 ―― その六 (82) 或るオフィスビルの入口付近(数日後) 人待ち顔で誰かを待ち設けている一太郎の姿がある。すると、帰り支度を済ませた顔馴染みの受付嬢が、足早に横の出入口から出て来た。 一太郎「あの、日本です。お疲れ様です」 受付嬢「(ニッコリとして)あら、お疲れさまです」 一太郎「ちょっとお話を伺いたいのですが。お疲れの所を恐縮ですが…」 受付嬢「はい、どうぞ。どうせ家へ帰るだけですから」と、フランクで打ち解けた態度である。 (83) 洒落た感じのカフェ 窓際の席に向き合って話す一太郎と受付嬢。 受付嬢「日本さん、よくいらっしゃるのですか、この種のお店。とても素敵」 一太郎「よかった、気に入って頂けて。実は初めてなのです」 受付嬢「初めてなんですか…」 一太郎「貴女をお誘いするのに何処がよいか、色々と研究したのです。立ち話もなんですから」 受付嬢「嬉しいわ。で、どんなお話でしょうか、私に訊きたい事って」と、すこし改まった態度である。 一太郎「私に貴女と同じ年頃の娘がいるのですが、その娘が真剣に悩んでいたことを、私も妻も気づかなかった」 受付嬢「そうですか」 一太郎「貴女はいつも笑顔を湛えて来客に応対されています。でも、もしかしたら心の中には人には言えない様な、悩みの種を抱えているのかも知れない。ふと、そんな風に思ったものですから……」 何を質問されるのかと緊張していた相手の様子が楽になった。 受付嬢「私も多感な年頃の娘ですから、色々と気になる事、将来への不安などあります。私、いま親元を離れて一人で暮らしていますから。女性のルームメイトはいますがお家賃を折半にするのが目的で、お互いの私生活には干渉しない関係です。寂しかったり、孤独を感じたり、時には素敵な恋人が欲しいなと願う。でも――」 一太郎「でも……」 受付嬢「でも、そんな悩み事が全部なくなってしまったら」 一太郎「そしたら?」 受付嬢「私が 生きている っていう意味が、無くなってしまう。(ホッホと笑い声を発しながら)可笑しいかしら、こんな言い方は」 一太郎「(首を横に振って)いいえ、決して……」 受付嬢「私、以前に座禅を体験した時に、そう感じたのです」 一太郎「座禅ですか」 受付嬢「本式のではないのです。会社の研修の一環として、ほんの略式で三日ほどでした、鎌倉の禅寺で」 一太郎は感心して頷いている。 受付嬢「お給料、もう少し上がらないかな。そんな小さな、けれど切実な悩みを悩んでいる。それが私という人間の本質なので、それ以外に私と言う存在は何処にもないのだ。それが私流の悟りです…、お恥ずかしい限りですが」 一太郎「いえ、そんな」 一太郎は深い感銘を受けて、言葉が出ないのであった。 一太郎のモノローグ「自分の若い頃と比べて、何と今の若い人は堅実で、しっかりした考え方を持ち、生きていることか――」 (84) ×× 山の山頂付近 一太郎が得意先の一つである E 社の新人と、祝日にハイキングに来ている。 一太郎「素晴らしい眺めですね」 新人「埼玉県内や東京からも日帰り出来るハイキングコースの N O .1 です」、普段とは打って変わった清々しい表情である。 一太郎「お陰様で生命の洗濯が出来ます。有難う、本当に有難う」 新人「いえ、そんな。お礼を言わなければならないのは、私の方です。貴重な休みの日を犠牲にして、私の詰まらない愚痴を聞いて下さるなんて、日本さんでなくては出来ない事です」 一太郎「この辺りでお昼にしませんか、ちょっと早いのですが」 新人「そうですね。今朝は早起きしましたからお腹がペコペコです」 一太郎「家内が作った粗末な弁当なのですが、独身で一人暮らしの方なら、コンビニなどの出来合いの物より喜ばれるかも知れないって…」 新人「実を言いますと、昨日からこれが一番の愉しみだったのです。何しろ家庭料理の味に飢えてますから」 一太郎がリュックサックから取り出し、広げた手料理に早速手を付けた。 新人「美味しいです。愛情が一杯に詰まっているって感じです」と、心の底から堪能している。一太郎も海苔を巻いたお握りなどを、美味しそうにパクついている。 (85) 林道 楽し気に語らいながら、一太郎と新人の若者の二人が行く。 一太郎のモノローグ「入社して三年目になり、会社を辞めようかと迷っている青年は、傍目には何の屈託もないように見える、明るい性格の持主」 (86) 坂道 ハイキングコースの終わり近くの道を降りて来る一太郎と新人。 一太郎「時間があっという間に過ぎて行くようです」 新人「本当にそうですね」 一太郎「貴重な体験をさせて頂きました。有難う」 立ち止まってお辞儀をする。 新人「とんでもありません。私の方こそ、何と言ってお礼の気持ちを表現したらよいのか……。兎に角不思議なのですが、世界が昨日までとはまるで違って見えるような、そんな新鮮な気持ちなのです」 一太郎のモノローグ「山歩きを一緒にしたこの日は、我々二人に、目には見えないけれども、何か確かな何物かを齎したのでした」 (87) 或る絵画教室 元の小学校の教室を利用した室内で、アートセラピーを応用した絵画教室の実習が行われている。講師と生徒四人が居る。外資系の F 社の重役秘書に誘われて、一太郎も初めての出席で、幾分緊張気味である。 一太郎「クレヨンを手にするのは何十年振りでしょうか」と、一太郎を気遣って席を立って来た秘書に小声で話し掛けた。 秘書「何だか小学生に戻ったような気分になりますでしょ、場所が場所だけに」 一太郎「そうですね」と改めて室内を見廻す。机も椅子も黒板も、古い小学校の物がそのまま利用されている。 講師「それでは本日のメインの作品の制作にはいりましょうか」 講師の指示に従って、机の前に前以って準備されていた画材類を使って、作品の制作を始める生徒達四人。それぞれが真剣に目の前の画用紙に意識を集中させている。教室の中には、静寂と、くつろぎの楽しい時間が流れる――。 一太郎のモノローグ「出来上がるのは、我ながらも稚拙な絵……。色も形も、思った物とはまるで違ってしまう。しかし、何もかも、憂き世の事を一切忘れ去って、絵の世界に没頭するこの忘我の時間は、全く想像以上に素晴らしかった。また、何物にも代えがたいとも感じた」 (88) ネオンが瞬く街(宵の口) 教室帰りの秘書と一太郎が並んで歩く。その表情は普段の日には絶えて見られない、すがすがしさで輝いている。 秘書「何だか、この儘ではお別れし難い気分です」 一太郎「私もです」 二人が同時に、「軽くいきますか」と顔を見合わせた。 秘書「奥様に叱られませんか?」と、イタズラっぽい表情。 一太郎「大丈夫です。今日のお礼に、私が御馳走します」 秘書「ヤッタぁ」と子供の如く喜んでいる。 (89) 渓流釣りの穴場 G 物産の守衛さんの一人と一緒に、生まれて初めての沢釣りに興じる一太郎。 守衛の中村「どうです、当たりは来ませんか?」 一太郎「ビギナーズラックと言うのは、釣りの場合には無いようです」と答えたが、何やら楽し気な表情である。 中村「そうですね。試しに、竿を替えてみましょうか…」 愛用の竿の中から選んだ別のを、一太郎に手渡し、餌をつけるなど甲斐甲斐しく一太郎の世話を焼く。根っからの釣好きであるらしい。 ―― 時間経過 一向に手応えの無い一太郎に対して、中村の方は次々と山女魚(やまめ)を釣り上げ、上々の釣果なのである。 一太郎「さすがは名人と呼ばれるだけのことはありますね」と、感心すること頻りであるが、一太郎自身も満足げなのだ。 中村「いや、今日は特別です。きっと日本さんがツキを呼んでくれたのです」一太郎「これは参りました。殺し文句のセールストークまで、まるっきり、私のお株まで奪われてしまっては形無しです」と、頭を掻いて見せたが、気分爽快の晴れ晴れした表情である。 一太郎のモノローグ「子供の頃から釣が好きで、趣味の釣に生き甲斐を見出している、釣り名人こと守衛の中村さんは、いま子供のように無邪気で、穢れのない表情で渓流に向かっている。中村さんは言う。僕のは、魚を釣ることが目的ではない。自然と対話する為に山に来るのだ、と。その精神だけでも、私は見習いたいと、この日は強く心に刻んだ。とにかく愉快で、疲れが心地よい記念すべき日となった」 (90) 旧日光街道沿いの民家 重役付のお抱え運転士・佐藤が蕎麦打ちの手ほどきを、一太郎に対して行っている。道具類一式は本職の蕎麦職人が使用する本格的なものばかり。また、そば粉も国産の極めて上質な品である。 師匠役の佐藤は、普段の顔つきとはガラリと変わり、態度も貫禄十分。一方の一太郎は、顔のあちこちに打ち粉の白と、噴き出す汗とで先ほどからの奮闘ぶりを如実に、示している。彼の目の表情は真剣そのものだ。 一太郎「仰る通りに奥が深いです」 佐藤「食べるのはいとも簡単ですが、作るのは、上等なソバに仕上げるのには、年季が要ります」 一太郎「済みません。一息吐いても宜しいでしょうか?」 佐藤「あっ、これは気が付きませんでした。どうぞどうぞ」 いつもの物腰の柔らかな佐藤に戻っている。 一太郎「(フ~っと大きな息を吐いて)体力には多少自信があったのですが…」 佐藤「体力だけではなく、胆力・気力と言うのでしょうか、本物の精神力も必要なのですよ。正直の所は…」 一太郎「精神力ですね、大切なのは」佐藤「たかがソバ、されどソバ。関心の無い人には全く理解できない境地が、実は存在するのです。その辺がソバ打ちの、真の醍醐味とでも、いうのでしょうか。面白くて嵌る所です」 頷いてから立ち上がった一太郎。先程より更に真剣な表情になった。佐藤の指導で蕎麦打ちの実習が続く。 ―― 時間経過 出来上がった蕎麦を試食する二人。 一太郎「格別の味です、これは」 佐藤「お世辞抜きで、最初にしては上出来です。きっと筋がよいのでしょう」と褒められて、満更でもない一太郎である。 (91) 郊外の畑地 H 社の窓際族の課長・山田の日曜菜園に来て、一緒に畑仕事を手伝ったり、周囲の景色に見惚れたりしてのんびりとした時間を過ごしている一太郎。 一太郎「空気と土の匂いが、何とも新鮮そのものですね」 そう、山田課長にしみじみとした口調で、語り掛けた。 山田「今では、此処での畑仕事だけが、僕の生き甲斐になっているのです」 一太郎「そうですか……」 傍らの雑草を抜いたりしながら、 山田「畑仕事と言っても、プロではありませんから、手抜きばかりの、遊び半分の作業です」 一太郎「息ぬきでしょうから」 山田「いわば、来る事自体に意義があるのですが、それでも土を耕して種を蒔いて、肥料をやったりしていると、可愛らしく感じたりもするのです、野菜たちが」 一太郎「手塩にかける訳ですからね」 山田「ええ、ですから途中から段々、本気になって来るのです」 一太郎「遊び半分ではなくなる」 山田「そうなのです。手間暇掛ければ掛ける程、相手はそれに応えてくれる。いや、応えてくれるような気がするのです」 一太郎「成程、そうですか…」 山田「僕は御存知の通りに世渡りが下手と言うか、世間からスポイルされて、会社でも 窓際の山ちゃん などと陰で蔑まれている男です。でも、変な話ですが、畑の土や野菜を相手にしていると、心が自然に和んで自信が湧くような、自由な心境になれるのです。妙な劣等感からも、解放されている…」 一太郎「そうですか」 山田「実はですね……、日本さんだから今日は洗い浚い本心を申し上げますが、此処はいわば僕だけの秘密の聖なる土地でして、家族さえ連れて来たことはなかった。そういう特別な場所だったのです、僕にはですね。ここでの時間は、この僕が生きて行く上でギリギリの、最後の拠所なのです」 一太郎は、山田のどこか照れたような表情を、じっと見詰め続けるのであった。 山田「日本さん、御自分ではお気付きになっていらっしゃらないようですが、うちの会社だけでなく、あちこちで隠れたファンが大勢いるのです。評判がとてもよいのです。いえ、決して嘘やお世辞ではありません」 一太郎は黙って、深々と一礼した。
2018年10月05日
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第 三百七十八 回 目 劇 映 画 『 ビッグチャレンジ! 』 その 五 (77) 南亜モーター販売・研修室 三十歳を少し過ぎたばかりと思われる年若い女性・新谷春子と一太郎が二人きりで、少し広めの研修室に居る。 春子「最初にも申し上げましたように、営業には極意とか、奥の手とか言った、何か特別な物、秘密めかしたものなどは一切ないと、私は思って居ります」 一太郎「でも、私のように何時まで経っても一向に上達しない者と、貴女様の様にお若いのに、他人から 名人 と評される人が出て来る。それは一体どのような理由に依るのでしょうか? 是非とも、そこの所をお教え頂きたいのですが…」 春子「(優しい笑みを浮かべながら)商売には必ず人と人との交流が介在します。商品やサービスを提供する側と、それを受ける側とです。(傍らのホワイトボードに、随時板書しながら)売り手である私達セールスマンは、徹頭徹尾、御客様と真正面から向き合う努力が求められています。誠心誠意、顧客の意向・心を汲み取り、受け取り、全面的に受け入れる。セールスに秘訣のようなものがあるとすれば、以上のことに尽きるのだと、私は思って居ります」 一太郎「しかし、商品を売らなければなりませんね」 春子「勿論です」 一太郎「商品を売ってなんぼの世界ですね」 春子「仰る通りです。私も最初の頃は、つまり商品を売ることしか頭にはありませんでした」 一太郎「はい……」 春子「商品を首尾よく売ると言う事は、飽くまでも結果です。商品を売ろう、売ろうと焦りますとその事だけに意識が集中してしまいます。売り手の努力が謂わば空回りして、お客様の心が離れてしまう――」 一太郎「(思い当たる節が大いにある)はい、その通りだと思います」 春子「一般論で考えてみましても、目標というものは――、目標というものを、そうですね、抽象化して 夢 とか 理想 と言う風に置き換えて、考えてみるのも良いかもしれませんね。目標とか夢とか、或いはまた理想などと呼ばれるものは、現在ただ今の行動を、よりよくスムースに押し進め、また自分の意欲やモチベーションを高める為の、言ってみれば梃子(てこ)の支点の役割を果たすものです。その支点の為に現在の行動が邪魔されたり、或いは意欲が疎外されるとしたら、そのような目標や夢、理想は無い方がずっとよい事になります」 一太郎、大きく頷いている。 一太郎「お客の心を掴むことだけに意識を集中させる事が、一番大切なのですね」 春子「(ニッコリとして)その通りです」 ――― 時間経過 新谷春子の指導で、営業販売のロールプレイの演習が実施されている。少し離れた場所から、メモなどを取りながら熱心にオブザーブしている一太郎。 ―― 時間経過 。 演習終了後のフィードバックの意見交換が、春子を中心に行われている。一太郎の順番が来た。 一太郎「皆さんの実に熱心な講習振りに、感動致して居ります。これからも学ばなければならない事柄、また反省しなければならない点、様々あると気付きました。本当に、本日は貴重な体験をさせて頂きました」、深々と頭を下げる一太郎である。 (78) スナック(夜) 講師の春子を囲んでの、今日行われた講習会の反省を兼ねた親睦の会が行われている。と、言っても無礼講で、フリートークの宴会なのであるが……。春子の隣には、まだ緊張した面持ちの一太郎も居る。 春子「営業の神髄は、物やサービスを売るのではない。自分という人間を売るのだ。これが、私自身が師と仰ぐ方から教えられた事です。その為には、自分を磨くしかない。それも各自が、銘々の流儀で、であります」 一太郎「自分を、磨く……、ですか?」 春子「ええ、日本さんの場合は、特に御自分に対して自信を持つことが、必要なのではないでしょうか、結局の所は」 一太郎「自分に自信が持てる要素が、何もないのです。今までに何をやっても、失敗と挫折の連続でしたから」 春子「私も同じです。今でも、失敗やミスばかり重ねています。いえ、決して謙遜などではありません」 一太郎「営業の神様と呼ばれているお人が、ですか?」 一太郎には全く解せないのであった。 春子「人様はお世辞半分に、私を褒めて下さいますが。自分では満足出来たことなどこれまでに、只の一度もないのです。どのように説明したらよいのか、いつも説明に窮してしまうのですが…。要するに、よい意味での開き直りなのです、必要なのは。自分には目下の所ではこれまでしかできませんので、どうかお許し下さいと心の中で両手を合わせる。その上で、最大限の誠意を尽くしてみる。すると、不思議なのですが、自然と道が開けたりするのです。ですから、決して私の手柄などではないわけです」 少し酔いが回り始めているが、一心に耳を傾けている一太郎。 一太郎「自然と道が開けてくる。謂わば、人事を尽くし切ったからですね」 春子は少し照れたように、 春子「人事を尽くそうと努力し、精進している、修行半ばの身ですわ」 一太郎「素晴らしい。一つ一つのお言葉が身に染みて、感銘を受けます」 春子「それこそ 殺し文句 ですワ。その調子です、日本さん」 顔を見合わせて、心の底から愉快そうに笑う二人である。やがて、春子が目顔で一太郎に、カウンターの中のバーテンダーの存在に注意を促した。彼は客とはカウンターを挟んだ向こう側に居て、終始無言に近いままで接客している。カクテルを作り、レモンの薄切りを入れただけの冷水を差し出して、客たちに接しているだけのようだが、そのさりげない仕草の全てが、見る者が見れば、いわば「名人芸」なのだと知れる。 ―― 時間経過 マイクを手にカラオケで歌う者もあり、スナックの中全体が一つに融和して、盛り上がりを見せている。と、止まり木の傍らで一人黙々と飲んでいた一人の客が、一太郎に語り掛けて来た。 客「あなたは、カラオケ謡わないのですか」 一太郎「僕は音痴ですから…」 見ると、相手は派手に女装した男である。 おかま「カラオケって音痴とか、歌が上手だとかは関係ないみたい」 一太郎「そうですか?」 おかま「私なんか声が良すぎるし、プロ並みの歌唱力だって、逆にギャラリーから嫌われるみたい」 一太郎「是非、一曲お願いします」 相手は上機嫌で、哀しい女心を吐露する曲(例えば「雨に咲く花」とか「恋人よ」など)を歌い始めるが、ド下手である。しかし、本人は陶酔し切っている。始め妙に白けたような雰囲気が広がった後、 俄然、客たちの心が一つになり、和やかな空気が漂っている。時々、拍手なども起こる。じっとその様子を見守っていた一太郎の心の中で、何かが突然弾けた――。 (79) 前の辻待ち易者の所(同じ夜) 一太郎が来ている。 易者「他人の事や未来が、そんなに解るなら、自分の事を占って幸せになったら。人はよくそんな風に言うのです。しかし、そう上手くは行かないのです」 一太郎「何故ですか? 自分の事は自分が一番よく理解している筈じゃ、ありませんか…」 易者「一面の真理ですな、それは」 一太郎「一面ですか」 易者「左様です。貴男、ご自分の顔を見ることが出来ますか?」 一太郎「鏡を使えば、簡単に見られると思いますが」 易者「それが落とし穴なのです」 一太郎「落とし穴。どんな意味ですか」 易者「小学生でも知っている原理です。即ち、鏡に写っているのは左右が逆の虚像。しかも、己惚れ鏡には美人やハンサムに、安物には冴えない表情や、醜い面相が浮かんだりします。そうでしょう」 一太郎「確かに、その通りかも知れません」 易者「当たるも八卦、当たらぬも八卦と言います。易学は古代中国の知識の集大成です。それは、要するにシルクロードなどを通して古代オリエントの学問も取り込んだ、いわば人類の叡智の結晶と言える物である。しかしながら、解釈学である以上は、どうしても人間の感情や気分などの、不純物が介在する事になってしまう」 一太郎「成程、そうですか…」 易者「俗にも、岡目八目と言いますな。当事者よりも第三者の方が、冷静で正しい判断が出来る道理を、簡明に表現したものです。それに、もう一つ――」 一太郎「もう一つ、ですか?」 易者「左様です。人には元来がプレイヤー型とアドバイザー型と二種類のタイプがあるのです。さしずめ貴君などはプレイヤー型の代表のようなお人です。ただ、あなたの場合は」一太郎「(相手の言葉を遮って)私の場合…」 易者「迷いに迷っていましたな」 一太郎「はい、仰る通りです。今でも迷いの中に居ることに、変わりはありません。どうしたら宜しいのでしょうか?」 易者「迷いの雲は、払うしかありません。ご自分の人生です。自分自身の意志で決断し、それを実行するだけです。断固として実行する。それのみです。結果を恐れてはなりません」 一太郎「はい、良く分かりました」、深く頷いている。 (80) 近くの一杯飲み屋(夜・同じ頃) 鬼田幸三と倒産した中小企業の経営者が、隣り合わせで飲んでいる。 鬼田「あなた、大分ピッチが速いですな」 元経営者「ヤケ糞です。いくら飲んでも酔わないのですヨ」 鬼田「さっきから呂律がよく回りませんから、大分酔っていると思いますヨ」 元経営者「世の中は不合理ですな。私のような従業員の誰からも尊敬され、愛されもした良心的な経営者が、倒産の憂き目に遭い、何処かの阿漕な社長の会社は T O B とかで、大企業にのしあがっていくのですから……」 この人は泣き上戸であるらしく、途中からは泣き声になっている。 鬼田「全く、理窟に合いませんよ。俺みたいにハンサムで頭脳明晰な男が、女性運が悪くて未だに独身。その上に、良く働くのに今だに梲(うだつ)が上がらない。その一方では、ドジで間抜けでブス男が身分不相応に、超(ちょう)付きの美人と結婚している。全く納得できません、この現実……」 こちらも涙声になっている。 元経営者「こう見えても私の家系は名門中の名門でして、天才や秀才が数えきれない程に輩出しているのです」 鬼田「実家は、地方の農家なのです。大都会に憧れて、両親には無断で家を出て、苦労の連続でした。自業自得とは言いながらです…」 元経営者「若い頃は人望がありまして、勿論、人並み外れた才覚もあったので、二十代の半ばで小さいとは言え一国一城の主(あるじ)に納まり……」 お互いに相槌は打つものの、自分の言い分だけを口にしている。 鬼田「コネもなければ学歴もない。これと言った技術を持っているわけでもない。ないない尽くしの裸一貫。自分でも過去を振り返ってみると、思わず涙が出て来るくらいの、奮闘努力の毎日でした。実際の話が……」 (81) 元の易者の所 その辺を行きつ戻りつしていた一人のサラリーマンが、意を決したように一太郎の背後から声を掛けて来た。 サラリーマン「あのーッ、誠に申し訳ないのですが、そろそろこの僕に順番を譲って貰えませんでしょうか…」 一太郎「あっ、これはどうも。どうぞ」 と直ちに席を譲る。そして所定の見料を支払おうとする一太郎を、手で制して、 易者「いや、結構です。近い将来の出世を祝して、拙者からの御祝儀としておきましょう」 一太郎は恐縮して、何となくその場を去りがたい気持である。 サラリーマン「転職すべきなのか、それとも今の職場で我慢すべきなのか ― 」 易者「大いに迷っている」 サラリーマン「そうなんです」 易者「転職先の当はあるのですか?」 サラリーマン「一応は、あります」 易者「現在の会社に、何か問題でもありますかな…」 サラリーマン「特に、これと言って問題という程の問題はありません」 易者「ほう、でも悩んでいる」 サラリーマン「実は、これなのです(と右の掌を易者の目の前に差し出した)。誰かに聞いたのか、それとも易学関係の雑誌の記事だったのか、その辺は不確かなのですが、天下を盗ると言う珍しい手相があるもので…」 易者「成程、珍しい手相です」と、それまで近くに佇んで二人の遣り取りを聴くともなく聞いていた一太郎を、手振りで近くに寄るように合図した。 一太郎が近くに寄って覗くと、サラリーマンの右手の中指から手首の中央にかけて、一筋の線が刻まれている。 易者「易や手相と言うものは、時代や国によって、当然ですが読み方や解釈に相違が出るのです。成程、強運の相ですが、人に依って意味合いが異なるのですナ」 サラリーマン「そんな物なのですか。で、僕の場合にはどうしたら宜しいのですか?」 易者「貴君がここへ来られる前に相談した、その方面の専門家。えーと、何とか言いましたな」 サラリーマン「キャリアカウンセラーのことですか?」 易者「そう。そのお方もこう言われた筈じゃ。即ち、最後は本人が自分の意思で、決めるべきだと」 サラリーマン「その通りです」と、感心すること頻りである。 この二人の様子を凝っと見守っている一太郎である。
2018年10月03日
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