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私たちの思想や感情は、言葉によって表現されます。そんな事は改めて言われなくても、当然の事ではないか、と軽く受け流されてしまいそうですが……。本当に、あなたはその事を自覚されておられるのでしょうか?日本に近代批評の分野を確立した小林秀雄の畢生の作「本居宣長」を、今年の三が日に三度目の熟読玩味をいたしましたが、言葉にならない「妄念・妄想」の類がいかほど胸中に渦巻いていても、それは自己表現にはならない。勿論自己理解にも繋がらない―、そのような記述がありました。本居宣長の言葉を借りて、小林は自分自身を明瞭に語っているのであります。本居宣長の思想界における孤絶と誤解。それは取りも直さず、批評家・小林のそれでありました。 ロシアの文豪・ドストエフスキーの研究に代表される「外国かぶれ」の小林が晩年に突然のように「日本回帰」を遂げ、遺作として「古事記伝」の大著で知られる国文学者・本居宣長をして、自己の一生を、その批評家・思想家としての本質的なあり方を、仔細に、また懇切丁寧に解説しているのであります。私は小林の「くどいようだが」と何度も念を押し、噛んで含めるように、煩を厭わずに分かり易く本居宣長、否、小林秀雄本人の足跡を、思想のあり方の実際を説明している。その優しさと、愛情を身に沁みて噛み締めながら、思わず知らず涙がこぼれそうになりました、何度も。本居宣長ほど著名でありながら、そしてその偉大さを世に認められていながら、根本的な誤解と無理解とに囲繞され続けている偉人も極めて稀な存在。小林は本能的に自己と酷似した姿を宣長に見たのでありましょう。 小林は本居宣長は世の誤解を百も承知で、思想界の主役を勤めたのだと書いている。宣長は単に、自分はこう思うと発言したに過ぎないのだが、本来、他人の意見などに何の関心も持たないの世間という厄介な代物が、自分勝手の鵜呑みの偏見で、あれこれと揚げ足を取りにかかる。―本当に、実際、理解などという面倒な事柄は、とかくに偏見と誤解しか生み出すことが無いかのように、世間を混乱と空騒ぎの坩堝に陥れる。実に、実に、本来の自己理解など、誰も本気では取り組もうとしない。何故か?一体何故でしょうか?一度、いや何度でも、篤とお考え下さい、皆さん。
2014年01月30日
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今年に入ってから最初のコメントになりますが皆さん方におかれましては、お元気で、また有意義な毎日を過ごされておられることと拝察いたします。私も頗る元気でまるで十歳前の私自身の「黄金期」を再び体験しているような楽しく、ハリのある生活を有難い事に享受致しております。これも有難い事に、昨年の師走から正月のつい最近まで、受験生を中心に多くの担当生徒を相手に、充実した時間を持つ事ができてとてもハッピーな気持ちですよ。そんな中で、今回の正月の三が日は小林秀雄の「本居宣長」の大作に、私としては三度目のチャレンジを試みて、非常に嬉しく、また小林秀雄という評論家の懇切丁寧な「肉声」を改めて聴く思いが致し、思わず知らず嬉しさと感謝の入り混じった実に心地よい感動に浸り切ることが出来ました。学習塾で生徒に対していっぱしの先生面をして、教えてはおりますが、何しろ浅学菲才の身でありますからこの歳になりましても、理解が浅く、考えが行き届かない点が多々ありまして恥ずかしかったり、悲しかったりの思いを毎日のように繰り返しているような次第であります。凡才は凡才なりに、納得の行く勉強を重ねて、先人の尊い教えに導かれて少しでも「世のため、他人のため」に役立ちたい。恩返しを万分の一でもしておきたいと念じている。それにつけても、大人のがわの不当なと言ってよい「驕り」昂ぶりようは、あまりにも目に余る。全く本人にはその自覚が皆無なので、何とも手の施しようがないので、始末に困るのですが……。私が今何を問題にしているか、殆どのお人が見当もつかないことと想像がつく分、余計にこちらとしてはじれったく、もどかしさが募ってばかりで冷静さをついつい失ってしまう。せっかちついでに結論から先に述べてしまえば、大人は、親は子供達から謙虚に、学ぶべきことを、学ぶ「勇気」を持たなくてはいけない。この一言に尽きる。子供は何も知らないようでいて実は、何もかも知っている。ただし、子供の「知り方」は大人たちの知り方とは違っているだけなのだ。こんな風に言っても、何のことやらさっぱり理解できない。価値観の問題といえばその通りですし、人生についての本質的な姿勢という捉え方をすれば、それもまた然りなのであります。子供は天与の宝物。この単純にして率直な表現に託された深い意味合いを、よくよく熟考して頂きたい。銘々が自分なりの回答を、真摯な名答をそこから引き出していただけば済む話です。出来合いの模範解答などは、どうでも宜しいので、拙くとも幼稚でも、自分自身の頭で、或いは身体全体で答えを出すことが大切なのですね。先ず虚心坦懐にご自分の幼い頃を心の中に思い描くことから始めて下さい。誰だって始めから大人だった人はいないわけですので。これは真の意味での「信心」の勧めであり、具体的な宗教団体に加入することを推奨する低次元のそれではありませんので、念のために書き添えておきます、はい。
2014年01月21日
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