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あなたは、「携帯派?」「スマホ派?」どちらですか?(良かったら、理由も聞かせて下さい。) 私は今のところ、携帯+iPod touch+ポケットWiFiです。理由は、色々ありますが、経済的なのと通話とメールは携帯の方がしやすいと思うからです。あと、iPhoneにテザリング機能がついていないからです。しかし、にも関わらず、スマホも捨てがたいです。約2年後には絶対スマホを持ちたいですね。 ところで、私の数人の友人は、「ワタシは絶対スマホにはしない!」と言ってたのに、「昨日スマホに変えました^^」なんていう感じだったりしますね。 バイブルには、「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ人への手紙13:8)に書かれていますが、私たちは神ではありませんので、いくらでも変わりますし、変わって当然です。 昨日のワタシと今日の私は違います。そして、明日の私はまた成長し、一歩前進していると思います。 毎日変化し続けている私たちですが、土台までもが変化するとしたら浮草のようになります。しっかりとした土台の上に自分自身を据えることが大切ですね。 バイブルには、「岩の上に家を建てた人」と「砂の上に家を建てた人」のたとえ話が出て来ます。 「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7:24~27) 岩の上に家を建てるように、バイブルを土台に生きる人は、どんな状況の中にあっても揺れ動かない、確かな生き方ができることでしょう。あなたは変わっても、変わらない土台を持っていますか? 今日も素敵な一日でありますように。いつもありがとうございます。
2012年02月29日
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おはようございます。早朝ごみ捨てのために外を覗くと、雪が降り積もった街の景色に感動を覚えました。一面ユキイロの白銀のゲレンデとは一味違う素晴らしい眺めに、子供の頃、長靴を買ってもらって、それをはいて学校に通う時と似た喜びを感じました。 しかし、出かけるためにはいた靴は長靴ではなく革靴で、スーツにネクタイをしめ、ロングコートに身を固め、足元に気をつけながら車に乗り混みました。行った先は、新宿のとあるホテル、地方から東京に来られた友人の牧師と朝食を共にしました。 帰宅後は、いくつかの駅前で街頭伝道をしようと思っていましたが、こんな雪の日に傘をさしながら、聖書を語るのも意味があるかも知れませんが、予定を変更して帰宅しました。そう言えば、いくつかの講演を頼まれていたことを思い出して、その準備をしながら一日を過ごすことにしました。 ふと、一つのバイブルの言葉が思い浮かびました。『ヒソプをもって私の罪を除いてきよめてください。そうすれば、私はきよくなりましょう。私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。』(詩篇51編7節) どんなに汚い街並みでも、雪が降り積もるならば、一面真っ白になります。それと同じように、神の前に罪深い私の心が、先ほど見た雪よりも白くきよめられることを思ったら、とてもうれしくなりました。 今多くの人が、うつ病や統合失調などの精神的な病になっていますが、ある著名な医学博士は、その一番の治療方は笑うことだ、と言いました。そうすると、交感神経と副交感神経のバランスが取れるようになり、自律神経が正常になって心は正常になるそうです。 今日、精神的な病気を持っている人は思い出すごとに笑ったらいいということですね。 しかし、どんな時にも笑って生きられたらいいと思いますが、現実はそう甘くはありません。すぐに重く暗い気持ちになってしまいます。でもそれは、現実の厳しさとそれに適応できない自分自身を見てしまうからでしょう。でも、自分自身の心が雪よりも白くきよめられるとしたらどうでしょうか。きっと、喜びが湧き上がり、笑いが込み上げて来るのではないでしょうか。そして気がついたら、心は健康になってしまうものだと思います。 お笑い番組を見たり、落語の寄席を見に行って笑うこともいいと思います。しかし、心の一番深い部分から湧き上がる喜びがあったならば、無味乾燥な状況の中でも、その喜びが無くなることがないばかりか、周りにいる人や環境にも笑いを伝染させてしまうでしょう。そして、そんな『笑う門には福来る』のでしょう。 ご一緒に、そんな喜びを経験したいですね。素晴らしい一日でありますように。そして、みなさんの地域は雪ではないかも知れませんが、関東・甲信越は雪が降り積もっています。どうぞ、足元に気を付けて下さい。いつもありがとうございます。
2012年02月29日
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おはようございます。お元気ですか? 一週間出前牧師の働きのために出かけていました。昨日、久しぶりに帰宅して、自宅はいいなー、地元はホッとするなー、と感じました。帰る場所があるのは本当に幸せなことですね。 私たちの人生は、バイブルによれば「旅」にたとえられ、死は、旅の終着点である天国という「ふるさと」に帰ることだと教えてくれます。 前回「負けないで」の歌を取り上げましたが、ZARDの坂井泉水さんは先に亡くなりました。さらに、本田美奈子さんも、美空ひばりさんも、マイケル・ジャクソン氏も、スティーブ・ジョブス氏も、カダフィ大佐も、キム・ジョンイル総書記長も、ホイットニー・ヒューストン氏も先に亡くなりました。若い時は、自分の死についてあまり考えないものですが、未来には、私たちの名前も故人のリスト入ることになります。 死は一体何でしょうか? 経験したことがないので「怖い」と感じますが、無になってしまうことでしょうか? それとも、今よりもっといいところに行くことでしょうか? 私は、天国という「ふるさと」に帰ることだと信じています。 「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1:21) 天国に入る条件はただ一つ。イエス・キリストを救い主と信じること。そこには、人間の業、修行、善行は含まれません。だから、「福音」「グッド・ニュース」「ゴスペル」と言われます。「信じるだけで救われるなんて甘っちょろい」という言葉を聞いたことがありますが、逆に考えるならば、人間の修行や善行で救われるほど甘っちょろいものではないとも言えます。 たとえるなら、人は、死という底なし沼に落ちてしまって、徐々に沈んで行き、最後は飲み込まれてしまうような存在ではないかと思います。そんな私たちを救ってくれるのは、人間を超えた存在である神。人を創造し、その一人子イエス・キリストをクリスマスに誕生させて下さり、このキリストは、人類の罪と死を十字架で背負い、死んで墓に葬られ、三日目によみがえって、死を滅ぼして救いの道を完成してくれました。これは、宗教ではなく救いの道です。そんな道を一緒に歩み、「ふるさと」である「天国」に一緒に行けたらいいですね。 イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネによる福音書14章6節) 今日は、「ふるさと」に思いを馳せて、『ふるさと』という曲を載せます。 『ふ る さ と』 作 詞 高野辰之 作 曲 岡野貞一 1.うさぎ追いし かの山 こぶな釣りし かの川 夢はいまもめぐりて 忘れがたき ふるさと 2.いかにいます 父母 つつがなしや 友がき 雨に風につけても 思いいずる ふるさと 3.志を果たして いつの日にか 帰らん 山は青きふるさと 水は清き ふるさと ここから下は、一部転写しました。 http://www.geocities.jp/mani359/meikyokuhurusato.html http://www.d-score.com/ar/Axxx-xxx-xxxxx.html 「ふるさと」。唱歌の傑作。卒業式のスタンダード・ナンバーでもある。 「兎(うさぎ)を追う」とは、単に野山でこの小動物と遊ぶことではない。ウサギを狩るのである。つまり表向きは肉食を禁じていた日本人が、実はそうではなかったことが、この甘酸っぱい追憶のフレーズに表わされている。 二番目の「友がき」(友垣)とは、友だちのこと。垣をしっかりと結ぶように、人と人とのまじわりを、かつてはこうたとえた。 「つつがなしやともがき」にしても、「うさぎおいしかのやま」にしても、もはや理解されることなく岡野貞一のメロディに乗せてうたわれることが多い現代となった。 1914(大正3)年、『尋常小学唱歌 第六学年用』に登場。 作曲者:岡野貞一 1878年(明治11)~1941(昭和16) 鳥取県生まれの岡野は、15歳頃岡山へ移り、クリスチャン系の中学へ進学しました。そこで、米人宣教師アダムズに楽才を認められます。のちに、東京音楽学校(現東京芸術大学)で学び、卒業後は教授にまで昇進し、文部省唱歌の作曲、編集委員として多くの唱歌を作りました。 岡野は熱心なクリスチャンで、40年間以上、毎日曜日には本郷中央教会で礼拝や聖歌隊の指導等を続けました。「ふるさと」は、賛美歌のメロディからヒントを得たそうです。(明治43年の芸大助教授時代に作曲) 作詞者:高野辰之 1876年(明治9)~1947(昭和22) 高野は、明治9年に長野県の寒村、豊田村で生まれた国文学者です。苦学の上、東京音楽学校で学び、卒業後は教授として講義しました。「ふるさと」は、高野の故郷・信州の風景を描いたものだといわれています。 ◆岡野と高野が産んだ唱歌は、他にもよく知られた名曲がそろってます。二人の主な作品:「ふるさと」「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」「もみじ」「桃太郎」「日の丸の旗」・・etc. 最後に、教会の日曜日の集会の生放送をご案内します。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor ユーストリーム(ustream.TV) http://www.ustream.tv/channel/david-kanno 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年02月25日
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おはようございます。おげんきですか? 最近、街頭に立って伝道をしていると、スマートフォンを片手に歩いているC世代(ジェネレーションC)の人たちに目が留まります。C世代とは、ここ最近アメリカで使われている言葉だそうで、Computer(パソコン)、Connected(接続)、Community(共同体)、Change(変化)、Create(創造)、Communication(コミュニケーション)、Content(コンテンツ)、Collaboration(協力)などの頭文字の「C」です。 Y世代、X世代などは、年代で区分されていましたが、C世代は年代を超えて増えて来ています。マクドナルドやスターバックスで、スマートフォン、タブレット端末、ノートパソコンを使って勉強をしたり、それを活用してコミュニケーションをしている姿をたくさん見ます。私自身は、勉強したり、ネットでコミュ二ケーションをするなら、自宅で一人でやった方が集中力も高まり、効率がいいと思いますが、同時に、別に友だちになるわけではないのに、同じ空間を共有し、同じような飲食をし、同じような端末を使い、共に同じ時間を過ごし、繋がっているという意識を感じたいという気持ちはわかります。 私もC世代の一人なのかも知れません。だから、このようにSNSを通しての交流をしているのだと思いますし、みなさんと心を通わすことに大きな喜びを感じています。これからも、この繋がりを通して良いものを分かち合い、共有し、貢献したいと思っています。大切なあなたに、今日もメッセージを贈りたいと思います。ありがとう。 〈1〉朝10時半~昼12時(生放送) 〈2〉夕4時半~6時(生放送) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor ユーストリーム(ustream.TV) http://www.ustream.tv/channel/david-kanno 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/ 「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない」(ヘブル13:5)「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」(マタイ11:28)
2012年02月19日
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昔からある『笑う門には福来る』(わらうかどにはふくきたる)ということわざは、「いつも笑っている家には幸運がやってくる」という意味がありますが、「門」とは一家・一族のことで、家族全員がニコニコ楽しく笑って暮らしていると、福が舞い込んでくるということですね。これは本当だなーと痛感します。試しに、夫婦や親子や兄弟で諍いが起こると、途端に家族から笑いがなくなり、福も逃げて行ってしまうようです。 バイブルには、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケ5:16~18)と書かれています。「このように生きれたらどんなにかいいだろう」と誰もが思うことでしょう。 しかし、特に、311以来、街頭で人の顔を見て、笑顔が消えてしまったように感じます。それは、東北の人たちが苦しんでいるのに、笑って何かいられないという謹慎の心と配慮もあると思いますが、その根底には、震災の被害と原発問題、政治や経済の混沌とした状況の中からは、なかなか希望を持つことができないからだと思います。 『いつも喜んでいなさい。』と『すべての事について、感謝しなさい。』の言葉の間には、『絶えず祈りなさい。』という言葉が挟まれています。いつも喜び、すべての事について感謝するためには、絶えず祈ることが大切です。 祈る対象は色々考えられますが、天地万物を創造し、一人子をクリスマスに地上に送って下さり、人間の全ての喜怒哀楽と負の遺産である罪を背負って十字架で死んで、復活して下さった方に祈る時に、どんなに最悪・最低な絶対絶望の状況の中でも希望を持つことができるはずです。 今、こんな時代だからこそ、確かな希望を見出し、その希望を土台とした笑顔と笑いを持てたら、家庭も地域も日本も明るくなり、そこに幸せがやって来るのではないでしょうか? 私が務める教会の名前は、『新宿福興教会』と言います。元々は、「福音(グッドニュース・ゴスペル)」と「復興(リバイバル)」を縮めた名前ですが、社会の中に「福が興る」「福を興す」働きをして行きたいと願い、祈っています。みなさんと共に、この日本に、真の福と復興をもたらせて行けたらなーと思っています。これからもよろしくお願いします。
2012年02月17日
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おはようございます。日曜日をどのようにお過ごしですか?お休みの方も、お仕事の方も、色々いらっしゃると思います。良い一日でありますように。 クリスチャンが日曜日に教会に集まって神を礼拝するのは、キリストが全人類の身代わりとして十字架にかかって死に、墓に葬られ、足掛け3日目の日曜日の朝に復活しました。その出来事を記念して神を礼拝します。人類最大の敵である死が打ち破られ、復活と永遠の命の道が開かれました。そうであるならば、それ以下の問題はなおさら解決されるはずです。一週間に一度、リセットし、自分を造られた神に思いを向けてみませんか? 一週間お疲れさまでした。そして、新しい週も豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年02月12日
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私たち人間には、必ず長所があれば短所というものがあります。確かに相性がいい悪いという現実があります。ですから、相性がいいというのは、お互いに長所ばかりを見ているのであり。また、相性が悪いのは、お互いに短所ばかりを見ているのです。しかし、実際には、紙に裏と表があるように、必ずすべての人に、長所と短所とがあるのです。 ある人が、日帰りで飛行に乗って旅行に出かけました。朝、日本を発ったのに、到着した国も朝でした。そして、午後になって帰国しました。そして土産話として言ったのは、「私が行って来た国には、夜がなかったよ。いつも太陽が出ていて明るかったよ。」これは本当のことでしょうか? この人は明るい時間しか見ていなかったのです。 私たちほとんどすべての人は、人の前にはいい部分だけを見せようとしています。また、ある場合には、仮面をかぶってでも長所だけを人に見せようとします。しかし、どんなに相性がいい2人も、結婚をしてみれば人間には長所だけがあるのではないことがわかるはずです。 すべての人には、紙に表と裏があるように、長所と短所があるのです。ですから、どんな英雄も、アイドルも、聖職者でも、短所があります。そして、どんな極悪人も、犯罪者も、卑劣な人間にも、長所があるのです。私たちは、よいと思う人には長所だけがあってほしいと願いますし、悪いと思う人には、短所だけがあると思いたいものです。 しかし人間には、長所と短所、崇高な部分と卑劣な部分、美しい部分と汚れた部分を持っています。イエス・キリストは、私たちに、「よい部分だけを伸ばして、悪い部分を削ってから、私のもとに来なさい。」とは言われませんでした。「そのままの姿で、ありのままで、私のもとに来なさい。」と言われました。『健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。』と言われ、むしろ、「誰にも見せられない短所、汚い卑劣な部分、闇の部分を持って来なさい。」と言われました。 私たちが、丸ごとイエス・キリストに赦され、愛され、受け入れられ、包まれていることを経験した人は、自分のすべてを愛し、受け入れられるようになり、キリストが言われた愛を実践して生きる人になります。そして人は、愛せるようになれた分だけ幸福になります。 人の長所か短所しか見れない人は、まだ、丸ごと受け入れて下さるキリストの愛を知りません。しかし、事実、その愛があります。その愛をあなたが認めても、認めなくても、空気のように、そっとすぐそばに、心臓が動いているように、確実にあなたの中で、優しく、強く、鼓動しています。あなたは愛されています。そして、すでにその愛の中にいます。その愛に気付くことができますように。God bless you.
2012年02月09日
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『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。 その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現われました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます。その後、キリストはヤコブに現われ、それから使徒たち全部に現われました。』 ... (バイブル・コリント人への手紙第一15章3節~) バイブルが、最も大切なこととして伝えるのは、「キリストは私達の罪のために死んだこと」「死んだ後墓に葬られたこと」「三日目に復活したこと」「復活後多くの弟子たちに姿を現したこと」の4つです。清く正しく生きるとか、互いに愛し合う以上に、このことを信じるだけで3重の救いが約束されています。罪が赦され 神の子とされ 永遠の命が与えられます。この言葉の前に、人は「はい」か「いいえ」しか言えないのではないでしょうか? みなさんはいかがですか?
2012年02月07日
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「愛されている実感」 「レ・ミゼラブル」を書いたフランスの詩人であり、小説家であるヴィクトール=マリー・ユゴー(Victor-Marie Hugo)は、『人生 最上の幸福は 自分自身の いかんにかかわらず 愛されているという 確信である』と言いました。 人が最上の幸福感を感じる時は、「愛されている」という実感がある時です。私たちは、この「愛されていると」いう実感が必要な存在です。 人は、生まれてから3歳くらいまで、通常、親からの無条件の愛を受けるものです。その時、そういう愛が必要だからこそ、赤ちゃんはかわいらしくあるのではないかと思います。私の友人は、自分の赤ちゃんを「食べちゃいたいくらいかわいい」と言いました。 しかし、3歳を過ぎたくらいから、無条件の愛は条件付の愛に移行し、教育がはじまります。もちろん、教育は必要です。しかし、この教育が教育となるためには、3歳くらいまで無条件の愛を受けるという土台が必要です。教育とは、「そのままではダメですよ」というメッセージです。 今、多くの若者が子供の頃から適切な教育を受けなかったことによって、わがままになり、人の話が聞けなくなり、社会に適応できなくてニートになったり、精神病をわずらったり、引きこもりになってしまっています。親御さんに会って見ますと、非常に優しい方々なのでびっくりすることがあります。もしかしたら、わがままな姿に対して教育をしないで、「いいよ、いいよ」と言って、言われるままに物を買って上げたりしたのかも知れません。あるいは、無条件の愛が足りなくて、教育が教育として受け止められなかったのかも知れません。 そうしたら、今からやり直すことは出来ないのでしょうか? まず、無条件の愛はもう不可能です。人は実際、それを求めて恋愛をしたり、結婚をしますが、そこに無条件の愛はありません。お互い、愛されたい人だからです。それを友人に求めたり、物質や名誉に求めても、求める愛は得られません。 しかし、一つだけ無条件の愛を受けられる方法があります。それは、イエス・キリストの十字架を通して与えられる神の愛です。神の愛は、今、この瞬間にも、あなたが信じるなら与えられる愛です。3歳までに受けそこなった無条件の親の愛をはるかに超えるものです。だから神にあっては、人生をどこからでもやり直すことが出来るのです。 私は、18歳の時に神を信じてクリスチャンになりました。それから、紆余曲折はありましたが、一つだけ失わなかったものがあります。それは、神から愛されているという実感です。しかも、図々しいくらいに、神は誰よりもこの私を愛して下さっているとさえ感じています。そうしたら、どんな状況の中にあっても、どんな試練が押し寄せたとしても、最上の幸福を感じることが出来ます。 あなたは、もしかしたら、親の愛をあまり受けて来なかったかも知れません。あるいは、何らかの事情により、親の愛を知らないかも知れません。しかし神は、孤児の父です。「たとい親があなたを捨てたとしても、私はあなたを捨てない」と語られます。神は、キリストの十字架を通してあなたを誰よりも愛しておられます。この事実を信じ、受け入れませんか。無条件の愛こそ、あなたに絶対不可欠な人生の土台なのです。この愛があなたに注がれ、実感されているならば、どんな教育も素直に受けられますし、どんな逆境をも乗り越えて行くことが出来るはずです。 無条件の愛、それは、あなたの行い、あなたの過去、あなたの現在の生き方に左右されない愛です。どうぞ、そのままの姿で、あなたを造られた神の前に出て来てください。キリストは、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』とあなたを招いています。この愛を実感して下さい。祝福がありますように。 God bless you!
2012年02月03日
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