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こんにちは。今日も元気で過ごしていらっしゃいますね。前回、洗礼式は信仰生活という学校の入学式ということと、その学校に入学するための入学試験とその模範解答についてお話ししました。 聖書には、マタイの福音書7章13節で、「狭い門から入りなさい。」と語ります。洗礼を受けて、信仰生活という学校に入学し、その校門をくぐるのは簡単なことではありません。狭い門だからです。 しかし、入学試験は、イエス・キリストが私の罪の身代りに十字架にかかり、死んだ後に墓に葬られ、三日目に復活されたと信じるだけですが、その門はとても狭い門です。 この世の中の価値観は、何かを得るためには何かの報酬や代価を払わなければいけません。それがお金であったり、何らかの善行であったり、犠牲の伴う代償が必要です。この世の中にうまい話は存在しないと断言してもいいかも知れません。 でも、聖書が教えるこの門は、信じるだけでくぐれるのです。しかし、それがかえって難しいのです。信じるだけで救われ、信じるだけで天国に行けるのです。それは、私たちには、その代価を支払うことができないので、代わりに、神が一人子であるイエス・キリストの命という代価を支払ってくれましたので、それを『ありがとうございます』と受け取ることだからです。謙遜にならなければ受け取れないのです。 しかし、すでに受け取る準備がすでにできている人もいらっしゃると思います。ぜひその方はメッセージを下さい。
2012年04月30日
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おはようございます。みなさんの元気な顔を思い浮かべながら書き込みをしています。 日曜日は、私たちの罪のために十字架にかかり、死んで墓に葬られ、三日目に甦ったイエス・キリストを記念して礼拝を捧げます。 今日も、恒例のジョークから始めます。日曜日に教会で牧師さんが説教でこのようにお話しました。「天国ではお金は大事ではないんですよ。なぜならあの世にはお金がないのだから」と言いました。 すると、誰かがこうささやくのが聞こえてきました。「今の聞いた、ママ? 僕たちもう天国にいるんだよ。」 天国に行ったらお金は必要ありません。しかし、この世の中では大切なものです。でも、重要なことは、「かね」と「かみ」は字としては似ていますが、大きく違います。「かみ」に仕える必要がありますが、「かね」には使えてはいけません。「かね」は使うためにあるものです。 次に、「人」と「金」の関係においても、「金」は使うためにあるのであって、愛するべきものではありません。世の中、「人」を使い、「金」を愛する人がいますが、逆でなければいけません。「人」を愛し、「金」は使うものです。それが間違えると、殺人も金次第ということになりかねません。 殺し屋は、1000万円位で殺人を引き受けるという話を聞いたことがあります。とんでもないことです。悪魔に魂を売り渡しています。人の命は、この地球よりも、全宇宙よりも遥かに高価で尊いものです。その価値は、イエス・キリストの命と同等の価値があります。なぜならば、人類の救いのために、いや、あなたの救いのために、イエス・キリストの命が代価として支払われたのですから。イエス・キリストがあなたの身代わりとして死なれたので、信じるだけで救われます。 この方は、あなたの身代わりで十字架で死なれましたが、2000年前の日曜日の朝、キリストは、死者の中から復活しました。私たちの人生は、死で終わりではないのです。永遠に生きて行くことができます。そのことを感謝し、一緒に、イエス・キリストを礼拝しませんか? 神の祝福がありますように。 今日も、生中継と録画放送で、日曜日の礼拝をみなさんにお届けいたします。良かったらご覧下さい。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年04月28日
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こんにちは。週末をどのように過ごしておられますか? 私は、今日と明日、出前牧師出張旅行に来ています。最近、マンガ・アニメ聖書展の準備のため、究極に忙しい毎日を過ごしていますが、昨晩遅く帰宅し、今朝早く家を出て集会を行う目的地に来ました。しかし、集会の時間が変更され、いきなり自由時間が出来てしまい、近くのとあるスキー場に行ってみると、まだまだ雪があるので、外国人スキーヤーたちと話していると、「余ってるリフト券があるんだけど、あげるから滑って来ないか?」と陽気に声をかけられ、久しぶりのスキーを満喫しました。忙しくて気分転換が必要だったので、最高にリフレッシュしました。 ゲレンデを20本ほど滑ってから、心地よい疲れが残りますが、今インターネットが使えるフリースポットに来ました。インターネットを開いてすぐに目に飛び込んできたのが、また車が子供の列に突っ込んで死傷者が出たというニュースでした。毎日、ギターや何千枚ものチラシを持参している私の移動手段はほとんどが車です。そんな私の心は引き裂かれそうです。加害者のドライバーに対して、「なぜ慎重に運転しなかったのか?」という怒りと、私も、そのような加害者になる可能性がないとは言えませんし、私の家族や親しい人が被害に合う可能性がないとは言えません。神様に、守られていることを感謝し、「これからも守って下さい」と切実な思いで祈っています。 今日と明日は、みなさんの前で聖書を語ります。聖書は、その語られた当時、何を意味していたか?ということと同時に、神は聖書を通して、今の私たちに何を語られているか?の二つが大切です。しかし、それをわかりやすく、身近なものとして伝えるために例話を話します。例話は、私の毎日の生活の中でのこと全てが例話になり得ます。みなさんとのネット上でのやり取りも例話になることもあります。いつも貴重な交流を感謝しています。この交流が大きな喜びと支えを頂いています。神様の祝福をお祈りします。神様の祝福がありますように。
2012年04月27日
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アメリカのフォード自動車の創立者であるヘンリー・フォードはこのように言いました。『できると考えても、できないと考えても、どちらも正しい。』と。 私たちの人生の質、行動、成果等は、すべて自分の心構えで決まると言っても過言ではありません。バイブル(聖書)には、イエス・キリストが、『あなたの信じた通り、あなたになれ。』と言われた言葉があります。しかし、これは、本当に心強い言葉であると同時に、厳しい言葉でもあります。だけど、人生を長く生きれば生きるほど、これが本当のことであると理解できるはずです。 サーカスの舞台裏に行ってみますと、素晴らしい光景が見られます。ライオンやトラ、キリンなどのサーカスの動物が間近で見ることができます。しかし、象の前を通ると何かがおかしいと感じます。それは、あんなに大きな動物が、前足にロープが結んであるだけなのです。鎖でつないでるわけでもなければ、檻にも入れられていません。その気になればすぐにでも逃げれるはずなのに、ただずっと突っ立っています。理由は、この象が子供の時には、ロープで前足を結んでおけばそれで十分でした、しかし、大きくなった今でも、その同じロープで結ばれていれば逃げられないと思い込んでいるのです。これは、小さい頃からの習慣なのです。 私たち人間も、この像と同じではないでしょうか? 昔失敗しただけで、絶対に出来ないと思い込み、その場でじっとしていないでしょうか? 今ならできるかもしれないのに、尻込みしていないでしょうか? できないという思い込みで、新しいことに挑戦することを避けていないでしょうか? また、他の人の思い込みの言葉によって、できないという気になっていないでしょうか? できると考えれば、できないと考えるよりはるかに大きなことができるはずです。どうぞ、あなたは神によって造られた作品です。できると考えて、まず一歩踏み出してやってみませんか? あなたにはできます。もし、あなたがそう考えることができるなら。
2012年04月26日
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おはようございます。いつも楽しい交流をありがとうございます。今日から3回、洗礼とはどういうものなのかを分かち合いたいと思います。 聖書が教える洗礼を受けるとはどういうことでしょうか? 信仰生活を学校に例えるならば入学式です。ある人は洗礼を卒業と考えて、洗礼式の日が卒業式で、教会を卒業して行ってしまう人がいます。しかし、正しくは入学式です。 学校に入学するためには、入学試験を受けて、試験に合格しなければいけません。裏口入学は出来ません。 入学試験と模範解答をお知らせします。 1、イエス・キリストが私の罪の身代りに十字架にかかって死なれた。 2、イエス・キリストは、死んだ後墓に葬られた。 3、イエス・キリストは、足掛け3日後に死者の中から復活された。 この3問に対して、『はい』『アーメン』『信じます』などの答えを出せる人は全員合格です。 世界の約20億の人たちは、このテストに合格して、入学式である洗礼を受けてクリスチャンになりました。まだこのテストを受けていない人も、チャンスがあります。いつか受けてみないですか? 近々、あるいは、今日受けることもできますよ。 テストに合格できそうな人は次のお祈りを神に向けて捧げて下さい。『愛する神様、私は罪人です。しかし、私の罪のために、イエス・キリストが十字架にかかり、死んで墓に葬られ、黄泉に下り、三日目に甦られたと信じます。イエス・キリストを罪からの救い主、人生の主として心の中心にお迎えいたします。イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。』
2012年04月23日
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私が一番大好きな日は日曜日です。一番緊張し、一番忙しい日ですが、一緒にゴスペルや賛美歌を歌い、神に祈り、聖書を語り、全てのストレスが解消され、肩の重荷は消え去り、心が喜びで一杯になります。神様が人類に週一日礼拝するように命じられたのは、人には週一日は神様と共に安息することが必要だからだと思います。素晴らしいですよ。 今日も日曜日恒例のジョークから始めます。ある日曜日、牧師先生が深刻な顔をしながら説教を語り始めました。「今日、この会衆の中に人を殺した人がいます。確かにその人は、今週人を殺し、何食わぬ顔で席に座っています。」次に、おもむろに聖書を朗読しはじめました。「第一ヨハネ3:15には、『兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがどどまっていることはないのです。』と書かれています。」 これを語ったのは実は私です。ジョークというよりも辛辣なジョークであり、本当のことです。人を憎むと、その心の中には殺人の種が芽生えます。次に、その思いは自分の心を通過して自分の外にオーラとして流れます。そのオーラは、憎んでいる相手に伝わり、敏感な人なら、「私は嫌われているな。拒絶されている。」と感じて傷つきます。ある場合は、心の病になってしまったり、自殺したいほど辛い思いになる人もいます。憎しみは、そのまま放っておくと、言葉として現れ、さらに、行動として現れ、それが成長すると実際に人を殺してしまうこともあります。殺人とは、心の中に憎しみの種が芽生え、それが成長して実際に行なってしまうまでに発展してしまいます。 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(エペソ4:26~27)と聖書は語ります。怒ることは罪ではありません。それを日が暮れるまで持ち続けてはいけません、ということです。怒っていい、怒っていい、憎んでもいい、しかし、その賞味期限はその日限りです。その日のうちに必ず解決し、許し、和解するか、神に復讐を委ねてから寝床に入ることが大切です。そのまま放置しておいたら、心の中に苦い憎しみの根が生えてしまいます。その心のままに寝て、起きても、気持ちのいい朝を迎えられるはずがありません。 そんな心を完全にリセットし、修復し、喜びに変えるのが日曜礼拝です。ぜひ今日も、自分を造られた神を礼拝し、感謝を捧げ、祈り、聖書に耳を傾けられたら素晴らしいと思います。もし教会に行ったことがなくて、まだ教会に行く勇気がない人、教会に行きたいけど体調が悪かったり、精神的に辛かったり、何らかの事情がある人もいると思います。そんな人のために、私たちの教会はインターネットを通して礼拝を生中継し、夜までには、録画放送を見れるように準備します。もし良かったらご利用下さい。良い日曜日となりますように。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年04月21日
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今日は、大切な仕事が詰まった一日になりそうです。(1)お昼ころから、3名のビジネスマンの方が信仰を持ちましたので洗礼式を行います。感動と涙と笑いに満ち溢れる時となることを祈っています。(2)午後は、マンガ・アニメ聖書展in東京のゲストのマンガ家3名と最終打ち合わせをします。マンガ家はアーティストです。個性的でとても楽しい方々ですので、とんでもなく素晴らしい時となると思います。(3)夜は、賛美集会があり、奉仕をします。東京の真ん中で心が乾いていても、永遠なる神を賛美し、ゴスペルを歌う時に、心の中にオアシスが作られ、自分の心を潤し、他者を潤して行く喜びの泉が湧き上がることを祈ります。 私は見た目で得をしている部分があると思います。若くて、きゃしゃな牧師だったら、子供扱いされてしまって難しいんですよ、と相談を受けたことがあります。でも、お人好しを見抜かれて、あちらこちらから「かんちゃん来てくれませんか?」と、牧師の便利屋のように重宝されることがあります。私の心はうれしいですが、それで二年前に寝る時間も減ってしまって、過労から入院してしまったことがあります。 その時から、嫌われてもいい、出来ないことは「出来ない!」と言える強さを持ち、あれもこれもではなく、神に祈って、神が導かれ、私が居なければいけない働きに専念しよう!と決断しました。それ以来、とても忙しいはずなのに心が忙しくなったことがありません。 私にとって敵なのは、「人から嫌われたくない!」という心です。でも、人の思い通りに動いて、結果として私が倒れても誰も責任は取ってくれませんし、誰の責任ではありません。私自身が、私自身の人生の主人とならないといけないということに、段々と気が付きました。私自身のオーナー(所有者)は神ですが、私自身の管理者は私です。神から預かった命、人生、時間を良く管理し、自分を最高に生きることが、自分の幸せになりますし、他者の祝福となり、神が喜んで下さる生き方なんだと思う、今日この頃です。 今日もどうもありがとうございます。すばらしい一日でありますように心からお祈りいたします。
2012年04月18日
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あなたは今、自分の生活、仕事、人間関係、家庭環境等について幸せであると感じているでしょうか? もし不幸を感じているとしても大丈夫、幸せになりたいと思っているなら、必ず幸せになれます。 私たちが今置かれている状況は、ほとんどの場合、偶然ではありません。私たちは、自尊心やセルフイメージに応じて、それにふさわしい人間関係や状況を引き寄せています。(これは、無意識の領域なので、意識していることとはかけ離れている場合もあります。) 健全な自尊心やセルフイメージを持っている人は、他人からの敬意や協力、友情を期待し、おおむねそういうものが得られるものですが、自尊心が乏しくセルフイメージの低い人は、居心地の悪い不快な状況にしばしば巻き込まれ、けなし合う人間関係に巻き込まれることも少なくありません。 ジーザスは、「あなたの信じた通り、あなたになる。」と語られましたが、健全な自尊心とは、神の目に映る自分と同じように、自分を信じ、尊敬し、愛することです。また、セルフイメージとは、「自分に対してどう思うか?」ということですが、神が私たちを好きであるように、自分を好きになることです。 ですから、幸せな人生を生きるためには、神の目に映る健全な自尊心と高いセルフイメージを持つことに意識を集中することが大切です。そうしたら、「私は幸せになっていい」「幸せになるに値する」「幸せになれる」と心から確信できるようになり、そうなったらもう簡単です。自然に幸せを引き寄せるようになります。 運命とは決して変えられないものではありません。運命とは、ジーザスが語られた通り、「あなたが信じた通りになる」ものです。それは、神があなたに願っておられることであり、あなたのために持っている計画でなのです。それは、あなたは幸せになるためにこの世に生まれて来たという事実です。 さあ、「私は幸せになるに値しない」という考えを捨て去って、幸せな毎日を一緒に歩んで参りましょう。あなたは幸せになるために、この世に誕生した人なのですから。
2012年04月18日
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私に取っての人生とは、試練の連続でした。神を知らない時に会う試練は、何とか回避したり、お酒などでごまかすしかありませんでした。そして、「何で俺ばっかりこんな苦しい目に会わなければならないのか。」とつぶやいたものです。 しかし、神を信じた後の試練は、例えば、神をズボンと譬えるとするならば、そのズボンと私をベルトが固定してくれるように、試練とは、神と私を結ぶベルトのようなものになりました。それは、もしベルトがなければ、ゆるゆるのズボンは簡単に脱げてしまうように、人生が平穏無事であり、すべて順風満帆に進むならば、簡単に神を忘れ、神を必要としないだろうと思います。 しかし、私を含めて私たちの人生で試練がないことなんてあり得ないだろうと思います。ある人は、身から出た錆びのゆえに苦しむことがあります。お金や異性や名誉に動かされて不正を行なったことのゆえにその報いを受けることがあります。しかし、人に迷惑をかけないようにと気を使い、正しく誠実に生きていたとしても試練はあり得ます。交通規則を守って安全運転をしていたのに、後ろから追突されて体に障害を負わされた人、貧血で輸血したらエイズに感染してしまった人、田舎で静かに暮らしていたのに、強盗に入られて家族が殺されてしまった人もいます。また、些細な試練であるならば、日常茶飯事だろうと思います。家庭や職場、学校や地域での人間関係や、経済的な問題もあるでしょう。 今日お話ししたいのは、どんな種類の試練であったとしても、試練とは、神様と私たちを結ぶベルトのようなものだと思います。自分の不甲斐なさのゆえの苦しみであったとしても、神は赦しの神ですから、悔い改めをしたら消して外れないベルトで神とあなたは結ばれます。また、予期せぬ大きな試練も、「神がいるのになぜ?」と疑問が湧いて来るかも知れませんが、祈るならば、すぐに神とあなたはベルト結ばれます。小さな日常にある試練も、神とあなたを結ぶベルトなのです。 そう考えて行きますと、試練は悪いもので、忌み嫌うというのが普通の考えですが、もし神抜きに考えたならば、マイナスのほか何もありません。しかし、神を信じる人の会う試練は感謝に変ります。作家の三浦綾子さんは、病を背負いながら夫婦で二人三脚で歩んで来ました。そして、「病は私に取って宝である。」と語りました。星野富弘さんは、神様がもう一度生まれ変わらせて下さって、健康な体を下さるとしても、「私はお断り致します。今のままで十分に幸せです。」と語りました。 試練はあなたを不幸にし、神とあなたを引き裂くものではありません。試練に合って初めて自分の弱さを知り、神が必要であるとわかるので、神に信頼し、神を求めるようになります。そうしたら、神はあなたをご自分とベルトで固く結んでくださり、助けて下さいます。神はあなたを愛しています。
2012年04月16日
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おはようございます。すばらしい日曜日にうれしい気持ちです。昔、田中星児さんが歌った『ビューティフル・サンデー』という曲がありますが、最近、そういうワクワクするような心で生きていらっしゃいますでしょうか? ぜひ、そんな子供のような心を忘れないで日曜日をお過ごしください。ビューティフル・サンデーでありますようにお祈りいたします。 今日も恒例のジョークから始めます。ある人が教会に来て質問しました。「なんで教会に来たら静かにしなければならないんですか?」それに対して長いこと教会に通っている長老が答えました。「それは、みなさんが静かに眠っておられるから、起こしてしまったらかわいそうでしょ。」と言ったそうです。 教会に来て、賛美歌を歌う時間は元気なのに、説教の時間になった途端に眠くなる人がいるそうです。私はそういう人が会衆にいらっしゃったら、「この人は愛されている人だなー、安息して心の底からリフレッシュできるといいなー」と思います。聖書には、『神は愛する者に眠りを与えられる。』と書かれています。みなさんの中で、「今日は疲れていて眠いから教会に行くのをやめようかな?」と考えている人がいましたら、「今日は疲れているから教会に行こう!」と考え方を変えて下さい。人は、本当に疲れていて、緊張していたらぐっすり眠ることも出来きないものです。 昼寝は15分~20分位がいいとされていますが、その理由は、30分以上寝てしまうと深い眠りに入ってしまって、目覚めた後不快な気持ちになります。だから、最近の教会の説教は30分以内の教会が多くなりましたが、私のところも例にもれず、生放送をしているために30分以内の説教ですので、心の深い領域、潜在意識、霊の部分で神の言葉を聴き、心のいやしとリフレッシュを体験できますので、ぜひ、教会に来られたことがない方でも、あんまり心配しないで気楽にいらして下さい。ただ、眠ってしまうと怒ってしまう聖職者もいますので、あくまでどの教会でも通用する話ではありませんが、でも、最高のビューティフル・サンデーは教会で過ごす日曜日だと思います。家から出れない方は、インターネッ トや他のメディアを通して、映像や音声で教会を体験できますので、ぜひお薦めしたいと思います。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLをお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年04月14日
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おはようございます。週末になりました。一週間の疲れが溜まっている人もいらっしゃる人もいるかも知れません。そんな時、ふっと立ち止まって、目を閉じて、見える世界から目に見えない永遠の世界に目を転じて祈る心のゆとりを持って下さい。今目の前にある問題に対して、すぐに決断を下さなければならない時もありますが、無理に決断するよりは、とりあえず棚上げして、祈り、ニュートラルにした方がいい時もあるなーと思います。 目の前に起きていることの対して、すぐに「良いか? 悪いか?」と考えることに対しても、ちょっと立ち止まってみませんか? 中国にこんなお話があります。 中国の片田舎にある一人の男性が住んでいました。ある日、彼は名馬を手にします。それを見た隣の人は、やって来て「おめでとう、素晴らしくいい馬だね。君はラッキーな男だね」とお祝いをしてくれました。すると彼は、「このことが良いことだって、あなたはどうしてわかるんですか?」と言いました。彼は、目の前の出来事に「良い・悪い」の判断をすぐにしない人だからです。お祝いをしき来た隣の人は、彼のことを「変なヤツだ」と思いました。 しばらくして、その国の王様が近くを通り、その馬に目を留めます。あまりにすばらしい馬なので「この馬を手に入れたい。お金はいくらでも払おう」と男に申し入れました。それを聞いた隣の人は「良かったね、これで君も大金持ちだ」と言いました。ところが彼は、「私にとってこの馬は家族同然、手放すわけにはいきません。お金に交換できるものではありません」と、いとも簡単に断ってしまったのです。「バカだなぁ、こんなにいい話を断ってしまって・・・、大金が入るはずだったのに台無しだ」と隣の人はまた「良い・悪い」の判定をしました。すると彼は、「どうしてこれがバカなことだってわかるのかい、ねえ君」って答えました。 そしたら翌日、その馬が逃げてしまって、いなくなりました。そこで、隣の人が「ほら見ろ。だから言ったじゃないか、売っていれば大金持ちになれたのに、馬もいなくなった。お金も手に入れ損なった。かわいそうなヤツだ」って言いました。彼は、「どうしてこれが、かわいそうなことだって、君にわかるんだい」って言い返しました。 確かに、昨日までいた馬が今日はいない。これが「あるがままの状態」であり事実です。事実は単に、昨日までいた馬が、今日はいないということだけです。それをあなたは、この事実をあなたの判断で「良い・悪い」と判定して観ているだけです。 そして半年後、その馬が子馬を連れて戻ってきました。隣の人は「ツイてるね、君は!」とまた判断しました。彼は、「一頭だった馬が二頭になった。これは事実だけど、それがいいかどうかはわからない。どうしてあなたはこのことがツイていると判断できるのですか?」と言いました。 しばらくして、彼の息子がその子馬に乗って遊んでいたら、落っこちて足が不自由になってしま いました。それを見て隣の人が「気の毒に、息子さん、かわいそうなことをしたな」って同情しました。すると彼は、「骨折して足が不自由になったことが、どうしてかわいそうなことだって、あなたにわかるんですか?」と言いました しばらくして、戦争になりました。隣の家の息子さんは徴兵されて、戦死して帰らぬ人になりました。隣の人が「君はラッキーだね、君の息子さんは落馬して足を折ったおかげで徴兵を免れて、今も元気に生きているけど、私の息子はいなくなってしまった。私はなんて不幸なんだろう・・・」 そしてまた、彼が言いました。「どうして、それが不幸なことだってわかるんですか? 君・・・」。 ある出来事に対して、それが良いことか悪いことかはわかりません。特に、性急に「良い・悪い」の判断を下すことはあまり意味がないものだと思います。しかし、まわりには、いつも「良い・悪い」の判断をしてくれる人がいるかも知れません。そんな時、目を閉じて、心の目を開いて、限りあるこの地上から永遠に目を向けて、あなたを造り、あなたを導いておられる全能の神に聴いてみて下さい。物事の「良い・悪い」は、一部分しかわからない自分自身で下さないで、神に下して頂いたらどうでしょうか? 聖書は、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」(ローマ人への手紙8:28)と語ります。つまり 、神はマイナスをプラスに変えて下さるお方です。マイナスであっても、それが共に働いてプラスに変えて下さるのが神様です。その神に信頼し、神に聴くならば、全てのことを感謝するのが一番です。なぜならば、プラスのことはプラスですが、マイナスもプラスに変わるからです。ピンチはチャンスに変わるからです。 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ5:16~18) 心のスイッチを切り替え、喜び、感謝し、祈りながら、楽しい週末をすごして下さい。いつもありがとうございます。
2012年04月12日
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相手の得だけを考える。これが私の仕事に関する基本的な考え方です。しかし、結果として自分の得にもなり、自分にやりがいを与え、自分を支えるものとなります。 牧師の仕事の一つは、人から色々な問題解決の相談を受けることです。その時、「相手にとって一番いいことは何だろう?」「どうしたら一番相手が得するだろう?」と考えます。しかし、「どうしたらこの人をうまく利用して自分に取って利益になるだろう?」と考えていたら、相手に取ってありがたくない答えになります。結果、「この人に相談をしても役に立たない」と思って離れて行きます。しかし、相手に取って一番いいことを一緒に考えてあげたら、その人はとても助かりますし、うれしくなります。その時私は損をするでしょうか?そうではありません。得するのです。どんな得でしょうか? 相手に役に立てたという充実感を感じられます。相手の問題解決を考える中で、その解決法が自分にも適用できるので、気がついたら自分の問題も解決してしまいます。相手は喜んでくれて、感謝してくれるので、良いお友達を得ることになり、自分を慕ってくれる仲間を得たことになり、ある場合は、感謝の献金をしてくれたり、すばらしいお土産を持って来てくれることもあります。相手が教会の信者となり、教会を支えてくれることもあります。私は妻帯者ですが、独身で結婚相手を探している人なら、その相手が異性であったら将来のパートナーになることもあります。相手の得を考えて生きることはいいことずくめです。 相手の得だけを考えたならば、第一に相手がうれしくなり、同時に、相手の喜んでいる姿を見て自分もうれしくなります。これだけで、人生は幸せになるものです。 しかし、相手の得は考えないで、自分の得ばかりを考えたらどうでしょうか?多くの人の本年は、自分のことにしか興味がないものかも知れません。しかし、そういう考えはきっと相手に伝わるものです。そして、相手が喜ばないので自分はうれしい気持ちにはなれないし、むしろ、「こんなに時間を割いてやってやってるのに、何だあいつは!」となり、その苛立ちがさらなる苛立ちを呼び、悪循環のサークルに入ってしまいます。 「相手の得になることだけを考える」のは、どんな仕事にも適用・応用ができ、即役に立ちます。 サラリーマンなら、上司・同僚・部下の利益だけを考えて仕事をしてみて下さい。きっと最短で出世して行くか、そうでなくてもかけがえのない存在として愛され、かわいがられるでしょう。必ず良いものが帰って来ます。上司から信頼され、同僚に好かれ、部下から慕われたら、その職場は天国のように感じられるのではないでしょうか? セールスマンならどうでしょうか?相手のニーズを知り、相手がいかに得をするかを考えてセールしたら、相手はとてもうれしい気持ちになると思います。そして、あなたを信頼するようになり、好意を持ち、感謝をして、最後には、あなたが売っている商品を買ってくれることも稀なことではありません。 政治家はどうでしょうか?区議・市議・町議・村議というような身近な議員の働きはよく見えますが、都議・県議・道議・府議などになると、どんな仕事をしているのかあまり見えて来ません。知事、市長、区長、町長、村長などの首長はそれなりにわかりますが、国会議員も、激務のはずですが、閣僚や与党議員でないと、あまりTVにも映りませんので、あまり見えません。そんな仕事ですから、自分の実績を自分で語らないとわかってもらえない部分がありますが、もし政治家が、人々が良い生活ができることだけを考えて体を張って働いていたとしたら、その思いが必ず伝わり、応援し、支援する人が段々増えて行くものだと思います。しかし、そういう思いを持たない人が、ある日総理大臣になったら、真の 姿が国民の前にさらされてしまうことがあります。 私は、ネットで文章を投稿する理由は、相手に取って何が有益で、何が助けになり、どんなことを書いたら気持ちが軽くなり、救われるか?だけを考えるようにします。牧師の仕事全般も同じです。もちろんその思いは完璧ではありません。自己中心的な思いに傾いてしまうこともあります。しかし、方向だけは、相手の益だけを考えています。その時私は、何とも言えない幸福感を感じます。相手への肯定的な思いは、まず私の心を通過して行きますので、通過している段階から幸せです。そして、その思いは相手に流れて行った時に、幸せを感じてもらえるるとしたら、その人が幸せになって、幸せな顔をしていたら、その顔を見た私は幸せになり、幸せを感じた人と一緒にいる私は、さらに幸せになります。幸 せな人は、何もしなくても周りを幸せにしてしまうものです。 最後に、どうしたら、人の得、人の益ばかりを考える生き方ができるのでしょうか? それは、あなた自身の得や駅だけを考えてくれる人との出会いが鍵です。その人の出会ってもらうために私は毎日生きています。その人はイエス・キリストです。こんな方は世界中どこを探してもいません。しかし、そんな愛と善意と優しさに満ちた方が十字架にかけられて殺されました。それは、私やあなたの罪、全世界の罪がキリストを十字架にかけたのです。傷ついた人は、他の誰かを傷つけることで自分の傷をいやそうとします。それがいじめの一つのカラクリです。いじめっ子はかつていじめられっ子だった場合が多いそうです。私の傷、怨念、怒り、悲しみ、どうすることもできない悶々とした感情は、キリストが引 き受けて下さいます。「重荷を負って苦労している人は私のところに来なさい。私があなたがたを休ませてあげよう」と、キリストはあなたを招いています。今日、あなたの心の重荷、孤独、傷の全てをキリストに引き受けて頂きませんか? あなたが愛された経験を持ったら、別に無理をしなくても、気がついたら愛の人になって行くものです。人は、いつも一緒にいる人に影響され、似て行くものです。似た者夫婦は良い例です。目に見えませんが、イエス・キリストを信じ、イエス・キリストと共に歩んだら、きっと、気がついたら、あなたは人の得や益だけを考える人になり、その生き方はあなたに好循環と幸せと祝福をもたらせ、毎日の生活が天国のようになり、豊かな毎日を生きる人になることと思います。 私は、まず聖書のゴールデンルールである「自分がしてもらってうれしいことを他の人にもしてあげなさい」という教えを実行しようとする前に、あなたを愛して下さるイエス・キリストと出会い、その交わりを深め、いつも共に歩んでもらいたいと思います。そうしたら、生き方は、気がついたら変わって来るものです。一緒に、幸せな毎日を生き、この世界に幸せをまき散らし、幸せな地球、日本、町、家庭を作って行きたいですね。いつもみなさんに心から感謝をしています。ありがとうございます。
2012年04月09日
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おはようございます。今日は、キリストの復活を記念するイースターです。東京は桜も満開となり、枯れていたように見えた桜も、復活したようにきれいな花を咲かせています。私たちの人生も、長い冬が過ぎ、春が来ますようにお祈りします。今日も、日曜日恒例のジョークから始めます。 ある政治家が不治の病にかかりました。絶対に死んだ後に天国に行きたいので、キリスト教の牧師と仏教の僧侶とユダヤ教のラビにそれぞれ100億円ずつ払ってお祈りをしてもらいました。しかしあの世に行った後、袖の下が使えないと困ると思い、牧師と僧侶とラビに、葬式の時に棺の中に1億円ずつ入れるように頼みました。葬式の当日、キリスト教の牧師が棺に1億円の札束を入れました。次に仏教の僧侶が棺に1億円の札束を入れました。最後にユダヤ教のラビが3億円と書かれた小切手を棺の中に入れて、「おつりをいただきます」と言って、中から2億円の札束を抜き取ったそうです。 これはユダヤ人の性質、賢さを現したジョークですが、イエス・キリストは、約2000年前にクリスマスの日に人の姿を取ってこの地上に生まれて下さいました。ある大学生にTVのインタビューアーが質問しました。「イエス・キリストは何人だと思いますか?」それに対して、「アメリカ人です」と答えた人がいたそうです。正解はアメリカ人ではなくユダヤ人です。ハリウッドの映画に出て来るキリストは、金髪で西洋人の顔をしていますが、実際は、私たちに近い黄色人種のユダヤ人として生まれました。少しキリストの存在が近くなりましたでしょうか? そしてキリストは、100%神ですが、同時に、100%人です。キリストは私たちと同じ人間です。だから、私たちの弱さや苦しみ、喜怒哀楽の全てを理解して下 さる方です。そして同時に、完全な神様ですので、私たちを信じるだけで、完全に救って下さいます。何を信じたら救われるのでしょうか? 1、キリストが私の罪のために十字架にかかって死なれた。 2、死んだ後、墓に葬られた。 3、足掛け三日後に死者の中から復活された。 この3つの項目、要素を信じるなら、100%、永遠に救われます。これを、ゴスペル、グッド・ニュース、福音といいます。しかし、一番簡単なようで一番難しいことです。何もしなくていいよ。信じるだけでいいんだよ。という価値観はこの世の中にないからです。しかし、神様はなぜ、信じる以外に救いの道を造られなかったのでしょうか? 簡単にいえば、信じる以外に救いはないからです。人間の修行や善行くらいで罪が帳消しになるほど罪は甘いものではありません。罪の刑罰は、キリストが十字架で身代わりに引き受けて下さったのです。もし私たちがその刑罰を受けるならば、死んで、滅ぼされて終わりです。神は正義の方なので、罪を水に流すことは絶対に出来ません。しかし神は愛の神なので、人を殺して、滅ぼすのではなく、一人子であるイエス・キリストを人間の姿で地上に生まれさせて、罪の罰をキリストに全て負わせました。だから救いは完成しました。そして今、私たちの前に提供されています。信じるとは、「ありがとうございます」と言ってそれを受け取ることです。信じないことは、「結構です」ということです。せっかく与 えられた救いをスルーしてしまうのではなく、クリスチャンでない人も、今日、この復活を記念するイースターの日に、「ありがとうございます」とキリストの救いを受け入れませんか?そうしたら、今日、この時に救われ、罪が赦され、神の子供となり、天国に行くことが出来ます。すばらしい日曜日となりますように。 今日も、教会では日曜日の礼拝の集会が行われます。興味がありましたら、インターネットで生放送と録画放送を行います。良かったらどうぞご覧になって下さい。 第一礼拝 朝10:30~昼12:00 第二礼拝 夕4:30~夜6:00 YouTube 朝礼拝 http://www.youtube.com/watch?v=ch9lhhIWetk YouTube 夕礼拝 http://www.youtube.com/watch?v=MZo-v3laB5M ニコニコ動画 朝礼拝 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17424483 ニコニコ動画 夕礼拝 http://www.nicovideo.jp/watch/sm17427089 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年04月07日
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旧ソビエトの反体制作家であり、ノーベル文学賞も受賞したソルジェニーツィン(1918~)は、『楽観主義者とは どこも かしこも ひどい ことだらけだが ここは まだいい わたしたちは 運がよかった と 言う人のことだ 現状に満足し いたずらに 嘆かぬ人のことだ』と言いました。 私たちが住んでいる今の世界は、昔よりももっと悪くなっていますし、昔よりも科学が発達したはずなのに、もっと住みにくくなっています。人々の心は荒み、病み、自己中心になっています。こんな世の中を生き抜くためには、楽観的な人生観を持っていなければとてもじゃないですがやっていけません。 『・・・どこも かしこも ひどい ことだらけだが ここは まだいい わたしたちは 運がよかった と 言う人・・・』こそ楽観的な人生観を持っています。それは、単にノー天気とは違います。現実を直視しつつも、人生の明るい面、人生の良かった面を数えて感謝できる人のことです。こんな人生観を持った人がいるならばとても素敵だと思います。 古いゴスペルソングに、♪数えよ主(神)の恵み 数えよ主(神)の恵み 数えよ一つずつ 数えてみよ主(神)の恵み♪という曲があります。 私たちはともすると、よかったことをすぐに忘れてしまって、嫌なことばかりよく記憶していることはないでしょうか? 今までの人生の中で、あなたに与えられたよいこと、今日一緒に数えてみたら素敵だと思いませんか? きっと、5分も経たないうちにうれしくてたまらなくなるのではないかと思います。 そして、楽観的な人生観は、未来を楽観し、未来はよくなって行くと期待する心を持つことです。私は、友人たちとのビデオ鑑賞会をする一日前に、そのビデオを観てしまったことがあります。それは、ハッピーエンドの映画でしたが、途中とてもつらいシーンが続きました。私は一人、「やがてよくなって行く」と知っていましたから、ドキドキしながらも安心して見ていました。 私たちの人生とは、ハッピーエンドの映画みたいなものです。途中には色々な辛く苦しいこともありますが、最後には、ハッピーエンドで終わりを迎えるのです。聖書(バイブル)は、そのことをあなたに約束しています。聖書には、あなたの人生脚本が記されています。初めて映画を観た人のように、悲観的に人生をとらえることも出来ますが、ストーリーを知っている人のように、人生を前向き肯定的にとらえ、楽観し、期待して歩んで行けたら素敵ですね。 祝福を祈ります。 God bless you!
2012年04月03日
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おはようございます。新しい年度、新しい週がスタートしました。最高にすばらしい時でありますように。今日は、祈りの確かさについて分かち合いたいと思います。 2009年2月に大阪教区の宮本勝美神父は病気で天に召されました。85歳でした。アウシュビッツ収容所において妻子ある囚人の身代わりとなってガス室で殉教の死を遂げたマキシアノ・コルベ神父と同じフランシスコ会でした。奇しくも同じ時期、宮本さんは日本で同じような身代わりの犠牲者になる体験をしたのです。 宮本さんは神学校で8年間の学びを終えて、神父として活動を始める直前に徴兵されました。海軍に召集され鹿児島で兵役について間もなく、上官の命令で彼の小隊から七名がフィリピンの激戦地へ送られることになりました。七名の選抜はくじ引きで行われました。 選ばれた中に大阪豊中のお寺の住職がいました。彼には奥さんと三人の子供がいました。任命を受けたその夜、同じ部屋で隣に寝ていた住職は非常に苦しんでいる様子でした。「宮本、オマエも選ばれた七人の中に入っているのか」。「いや、オレは入ってなかったよ」。「そうか、よかったな。オレは選ばれてしまったんだ。もしオレが戦地から帰ってこれなかったら、妻や子供たちはどうなるんだろうか。お寺はどうなってしまうんだろうか」。死を目前にして不安と恐れで、彼は肩を落としてうずくまってしまいました。 宮本さんはそれを聞いて住職に大変同情しました。しばらく神に祈ると、「あなたが身代わりになって行きなさい」という導きを受けました。すぐに決心して、住職に言いました。「じゃ、オレが代わってやろう」。「オマエには妻と子供がいる。オレにはいないからオマエに代わって船に乗るよ」。 翌日、宮本さんは小隊長に自分の決心を告げました。「宮本、バカなことを言うな!生きて帰れる保証はないんだぞ。お前、自分の言っていることが分っているのか!」。小隊長にガンガン怒鳴られましたが、宮本さんの決心は変わりませんでした。やむなく、小隊長はしぶしぶ認めてくれました。それを住職に伝えると、「済まないなぁ!」と、涙を流して喜んでくれました。 しかし、宮本さんはその夜から神に必死の祈りを捧げました。「主よ、ようやく神父として福音の伝道を始めようとした矢先の出陣です。どうか生きて帰れますように守ってください!」。それこそ扉をバンバン叩くように激しく祈りました。 宮本さんの乗せられた船は八千トンの貨物船です。船の中でも必死の祈りは続きました。船は戦地フィリピンへ向け出航しました。航海の途中で敵の戦艦が待ち伏せしているとの報せが入り、急遽、針路を台湾に向けて進んでいきました。しかし、貨物船は図体が大きく船足は遅いため、すぐに敵艦に見つかってしまい、猛攻撃を受けました。潜水艦の魚雷攻撃と飛行機の空爆で船は爆破し、数分でアッと間に撃沈。 ところが、船の爆破で気絶した宮本さんは爆風によって海上に吹き飛ばされました。気絶した人間は海底に沈みません。なんと彼は気絶したまま波間に浮かんで丸一日漂流しているところを米軍に発見されて、救助されました。捕虜として台湾に送られ、二年間の収容生活を終えて、終戦とともに日本に送還されたのです。 主は宮本神父の必死の祈りを聞いてくださいました。爆風で気絶させて海上に吹き飛ばし、気絶したまま海上を漂わせて敵軍に救助させる。神にはどんなことでもお出来になるのです! 帰還後、宮本神父はブラジルに渡り、大いに福音宣教の働きに従事したのでした。 みなさんの祈りにも神は必ず答えて下さいます。祈りつつ毎日を過ごして行きたいですね。
2012年04月01日
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