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最近、日本国内で米よりもパンが多く食される傾向にあるそうです。そんな中で、「ごはんを食べよう」という国民運動が行われています。私はパンも大好きですが、やはり、ごはんは食卓になくてはならない食べ物ですよね。ごはんを食べると、お腹が満たされ、力が与えられ、元気になり、よく働くことができます。 体にごはんが必要なように、心にもごはんが必要です。聖書は、「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある。」(マタイの福音書4:4)と語ります。 ある人はこれを聞いて、「パンだけではなく、ジャムもバターも必要だし、おかずも必要だ!」と言いました。しかし、これはそういう意味ではありません。パンというのは、食事全般を表しています。人は、食べるパンだけで生きるのではなく、心のパンが必要である、という内容です。 日本でうつ病やその傾向にある人は、8人に1人くらいだと言われています。一般的にうつ病かどうかは、社会生活が出来るかどうか?で区分されるのではないかと思いますが、普通に仕事をしていても、うつ病やその傾向にある人はたくさんいます。 うつ病になると死にたくなります。日本の自殺者は、ここのところ、毎年3万人を超えています。これは、交通事故による死者数の約6.5倍です。大変な数です。もしかしたら、同級生や知り合いの中に自殺をした人がいるかも知れません。自殺には、色々な原因があると思いますが、自死を選択してしまうほど苦しい状態にあったことを思うと、心が破裂してしまうくらいに痛みを感じます。どうしてそんなことが起きてしまうのでしょうか? さらに、自殺未遂者は、自殺者の10倍以上はいると言われています。また、自殺予備軍は600万人はいると言われています。日本の中に、表面ではわからなくても、苦しんでいる人がとてもたくさんいるのです。 まさに、聖書が語るように、『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』という言葉に耳を傾ける必要があるのではないでしょうか。 神は、天地万物の創造者であり、私たち人類の創造者です。聖書は、その神の言葉です。神の言葉を心のごはんとしてたべなくてはいけません。心には、お金があっても、権力があっても、名声があっても満たすことができないすき間があります。その空間は、神の言葉である心の食事として食べる以外に満たすことはできないのです。 クリスチャンの人でも、毎日聖書を読んで、神の言葉を心の食事として食べていない人もたくさんいると思います。また、聖書を読んだことがない人もたくさんいると思います。 心が苦しく、心が餓えて飢餓状態にあるならば、聖書の中にその答えがあります。今朝、改めて聖書を読んでみませんか? 聖書は、どこの書店にも売っています。また、図書館にもあります。多くのホテルにも置かれています。また、国際ギデオン協会を通して無料で聖書を手に入れることができます。 心の健康と心の元気と心の復活のために、『・・・神の口から出る一つ一つのことば・・・』をお薦めします。良い週末をお過ごしください。
2012年08月31日
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おはようございます。お元気でお過ごしでしょうか? 今日も良い一日でありますようにお祈りを致します。 私は、時々自分の人生を振り返ることがあります。思い付くのは、悲しい、苦しい、つらい経験です。なぜか、そういう時の方がなつかしく感じます。そして、案外、思い通りに行った時のことは印象に残っていなかったりします。みなさんはどうですか? 私は、人生に行き詰まった時、当時、宗教としてのキリスト教を嫌っていましたが、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」と語られたイエス・キリストと出会うことができて、どん底から救われました。 その後も、試練を何度も経験して来ましたが、苦しみの経験を通して、神に近づけられ、神と親しくなり、その苦しみや涙が喜びと笑いに変えられて来ました。さらに、苦しい経験は、私をへりくだらせてくれましたし、一番大切なものが何かを教えられましたし、苦しみを経験することで、人の心の痛みを少しづつ理解できるようになりました。 思い返すと、私に取っての苦しみは、いつの間にか、輝く宝のような祝福に変わっていました。 聖書には、「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」(詩篇119:71)と書かれています。 「苦しみに会ったことが幸せだった」とは、嘘では言えません。しかし、詩篇の記者が語った言葉は、そのまま私の人生の中でも起こりました。 苦しみは、苦しいから苦しみです。その時、まず出て来る感情は、拒絶や否定されることによる打撃で、ハンマーで叩かれたような痛みです。そこから逃げ出したり、何とか回避したい、現実逃避したいという気持ちになります。しかし、逃げ出すのではなく、弱く小さい自分自身と向き合うと、そこにイエス・キリストが待っていて下さり、両手を広げるようにして私を抱きとめて下さいました。神は、苦しみの中に共に居て下さる方なのです。その時、苦しみが宝に、マイナスがプラスに、ピンチがチャンスに変わりました。 私たちに取って、うれしいこと、順調にもの事が進むこと、成功すること、良いことが起こることは感謝です。しかし、つらく悲しいこと、思ったようにもの事が進まず、失敗し、挫折し、行き詰まることがあっても、そのただ中で神と出会ったら、全て良いことに変えられますので、そのことも感謝できます。つまり、どんな時にも、どんな状況の中にあっても感謝して生きて行けるのです。私は、そんな素晴らしい人生を発見しました。 今日、苦しい状況の中にあり、行き詰まり、挫折して、「死にたい!」と思っている人はいるでしょうか? そこまで行かなくても、苦しくて、引きこもってしまっている人はいるでしょうか? あなたは一人ではありません。その苦しみの中で、あなたを待っていて下さる方がいます。イエス・キリストです。どうぞ、自分自身を責めたり、現実から逃避するのではなく、自分と向き合って下さい。そこにキリストがあなたを助けるためにそっと待っていて下さいます。その出会いは、きっと、あなたの苦しみ、悲しみ、挫折、行き詰まりを喜びと宝に変えてしまいます。 週の後半になりました。人生は楽しいことばかりではないはずです。朝が来たらまた夜が来るように、つらいこともたくさんあるだろうと思います。しかし、朝も夜も、いつも神が一緒にいて下さいます。良い一日でありますようにお祈りしています。
2012年08月29日
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こんばんは。少し前に投稿した、キリストの肖像画「Ecce Homo(この人を見よ)」の修復画のモノマネさんが登場しました。個人的には、肖像画のインパクトがあまりんも強すぎて、この軍配は、画家のセシリア・ヒメネスにありと思います。 ところで、イギリスで、独身の普通のおばちゃん(スーザン・マグダレイン・ボイルさん【Susan Magdalane Boyle】)が、スター歌手になったというニュースは、まだ記憶に新しいと思いますが、この方は、個性を磨き、オンリー1を極めた結果、大きく花を咲かせたと言えると思います。 セシリア・ヒメネスさんも、自分の感性を信じて、大胆にキリストの肖像画「Ecce Homo(この人を見よ)」に手を加えたことで、苦情や反発もたくさんありますが、教会にたくさんの人を呼ぶことが出来て、まさに天才ですね。後には、ピカソを超える画家として評価されることは絶対ないと誰も言い切れないはずです。 神様は、70億人の世界の総人口の中に、私と同じ顔の人も性格の人も造られませんでした。これはすごいことだと思います。もしあなたが、1000人の顔を紙に描いたとしたら、同じような顔をいくつも描いてしまうのではないかと思います。神様は、70億人違う顔を造られました。人真似をしたり、誰かのようになろうとするよりも、自分自身に成りきって、自分の個性を磨き、オンリー1を極めて生きて行きたい!と改めて思わされました。みなさんも、そんな生き方を目指しませんか? おやすみなさい。また明日。☆GOODNIGHT☆(;д;)
2012年08月28日
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おはようございます。今日も素晴らしい一日になりますようにお祈りいたします。 聖書は、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」(ローマ人への手紙12:15)と語ります。 喜ぶも人と喜ぶことと、泣く人と泣くこと、きっと、どちらも簡単なことではありません。難しいことです。 しかし、確かなことは、イエスさまは、あなたが喜ぶ時に一緒に喜んで下さり、あなたが泣く時に一緒に泣いて下さっています。このことを知ったら、喜びは100倍、悲しみは喜びに変わるはずです。 また、お互いに分かち合うことで、喜びは倍増し、悲しみは半減するだけではなく、笑いに変わるはずです。今日も、心を通わすことが出来て感謝を致します。素晴らしい一日でありますように。
2012年08月27日
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おはようございます。新しい週がはじまりました。ワクワクドキドキしているでしょうか?気が重く、ブルー・マンデーでしょうか?今週、何かすばらしいことが起こると信じてお祈りをしています。 先週、戦場ジャーナリストの山本美香氏が、シリア内戦の取材中に、北部のアレッポで政府軍(シャッビーハ)の砲撃を受けて命を落としました。戦争の恐ろしさ、悲惨さを命をかけて伝えて下さったことに対して、心から感謝をし、同時にお悔やみ申し上げます。 「神がいるなら、なぜ戦争があるのか?」と素朴な疑問を投げかけられたことがあります。戦争は、決して神が意図しているものではありません。人間が神に背を向けて、悪魔に従った罪がそのような結果をもたらしています。 悪魔は、人を責めたって、訴える存在です。訴える根拠は罪です。その罪は、イエス・キリストが十字架で身代わりに死に、復活されたので、信じる者に赦しが与えられました。しかし、悪魔は、依然として人を責め続けています。悪魔に責められた人は、自分を責め、他者を責めるようになります。これが、戦争の原因です。 尖閣諸島、竹島、北方四島の領土問題を見ても、お互いに仲良くすることがいかに難しいを見ることができると思います。本当は、お互いに領有権を主張しないで、共同統治が出来たら、問題は解決できますが、政治的にこれは不可能なことでしょう。また、東京都が尖閣諸島を買い上げようとしていますが、現実的な問題解決作ですが、不透明な部分があります。 戦争をなくす根本的な方法は、罪を悔い改め、悪魔から離れて、神に立ち返ることです。人は、心に罪責感なく、ゆとりがあると、人に対しても寛容で優しくなれます。根本的に罪責感をなくす方法は、神と和解し、悪魔を追い出すほかにありません。 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」(ヨハネの手紙第一1:9) 悪魔は、人に罪責感を与えます。しかし、神は、人に愛と赦しを与えられます。神の愛を受けた人は、神の愛で自分を受け入れ、愛し、同時に、人を愛するようになります。 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネの福音書15:12) 神の愛を全ての人が知り、受け入れ、味わい、その愛で互いに愛し合うことができるように。与えられている平和に感謝をすると同時に、世界の平和を祈りたいと思います。
2012年08月26日
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1910年に描かれたキリストの肖像画「Ecce Homo(この人を見よ)」が老朽化に伴い、セシリア・ヒメネス(Cecilia Gimenez)さんが修復したところ、まるでサルの顔のようになってしまいました。そのことで、苦情が殺到し、静かなボルハの町が、一転世界に注目されています。 この絵を見て、Mr.Beanの映画で『ホイッスラーの母の肖像画』がパリの美術館からロサンゼルスの美術館に運ばれ、そこにビーン博士として美術の権威として派遣された映画を思い出しました。空港で騒動を起こし、トイレで股間を水で濡らし、運ばれた『ホイッスラーの母の肖像画』にくしゃみをして鼻水をつけてしまい、それを拭いたら絵がはげてしまって、修復し、最後は、名スピーチをして終わるという笑いと感動に満ちた内容です。 ところで、笑いは健康に良いのだそうです。笑うことで、がん細胞を死滅させるようですし、若返りやストレス解消を始め、数々のいいことずくめです。聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ5:16~18)と書かれていますが、笑いは、喜び、祈り、感謝の仲間ではないかと思います。 教会が笑いに満ち溢れ、家庭が笑いに満ち溢れ、職場、学校、地域などの人間関係に笑いが満ち溢れ、人生に笑いが満ち溢れたらいいですね。私は、史上最悪と言われるキリストの肖像画の修復は、笑いをさそったという意味ですばらしいと思います。セシリア・ヒメネスさんは、決して小馬鹿にしている訳ではなく、至って真面目であると思います。みなさんはどう思われますか? 私は、思わず笑ってしまって、リラックスした日曜日の夜を過ごしています。
2012年08月26日
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おはようございます。残暑お見舞申し上げます。みなさんの健康が守られますようにお祈り致します。今日も日曜日恒例のジョークから始めます。 一人の人が、全身が痛くて耐えられないので病院に行きました。「お医者さま、大変ですっ。身体のあらゆる場所が痛いんです。指でほっぺたを押すと、イタタッ! 腕を押すと、イタッ! お腹を押しても、イタタッ! 膝を押しても、イタイッ! どうなっているんでしょう?!」 「どれどれ、ちょっと見せて下さい。あー、分かりました。指の骨が折れてますね(´Д` )」 「灯台下暗し」ということわざがありますが、人は遠くのことはわかっても、自分の身近なことは案外わからないものです。 イエスさまは、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」(マタイの福音書7:1~5)と語られました。 上記の言葉は、「人の目のちりをを取ろうとする前に、自分の目の中にある梁を取り除きなさい」と、イエスさまが教えられた内容です。 ここで、相手の目の中にある「ちり」は、せいぜい「目やに」くらいです。しかし、自分の目の中にある「梁」は、家の柱をつなぐ「太い柱」くらいです。人は、自分の目の中にある太い梁には気づかないのに、人の目の中にある小さなちりには気づき、おせっかいにも指摘し、批判して、相手を変えようとします。 まず、自分の目の中にある梁を取り除いたら、人の目の中のちりを取り除いてあげることができます。自分の目の中の梁とは、自分の罪を象徴しています。罪とはギリシャ語で「ハマルティア」=「的外れ」のことを言います。人は、神という的を外し、自己中心に生きています。しかし、その罪からの救いのために、イエス・キリストが十字架で死なれ、復活されました。罪の赦しを体験した人は、神の愛を受けていますので、少なくても、「自分は正しい!」と思って、人を見下し、断罪することは出来なくなります。人を裁いても、「自分も同じ罪人である」ということを認めていますので、優しくなります。そして、そのような人の言葉はきっと相手の心を開くのではないかと思います。 次に、イエスさまによって自分の罪が赦され、問題の解決をしてもらった人は、自分の体験がありますので、人の目のちりを取り除く道をガイドすることが出来ます。そうやって、人の目のちりを取り除いてあげることが出来るのです。 今日も、私たちを救い出すために命をかけて下さったイエスさまを信じて、神を共に礼拝しませんか?神は私たちの創造者であり、全知全能であり、愛のお方です。みなさんの新しい一週間に祝福がありますように。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年08月25日
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こんばんは。少し前に出張から帰宅しました。出先でも暑い日が続き体は沸騰寸前でしたが、働きの収穫も与えられ、さわやかで爽快です。お祈り下さりありがとうございました。おやすみなさい。
2012年08月24日
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おはようございます。伝道活動のための出張2日目を迎えています。すがすがしい朝です。今日もよろしくお願いします。 私は、伝道活動を通して、色々な人と関わり、向き合って来ました。その中で、自分に対して自信を持てず、否定的なセルフ・イメージ(自我像)を持っている人が意外に多いことに気付きました。一見、強がっていても、心の奥底では、「自分には価値がない」と感じ、未来への希望やワクワクするような夢を持っていません。すばらしい人なのに残念だなーと感じます。 どうしてそうなってしまったのでしょうか? 原因は色々あると思いますが、第一に考えられるのは、両親から語られた言葉の影響です。次に、学校の先生や友達から語られた言葉の影響です。そして、大人になって、会社や組織、地域や配偶者などとの人間関係の中で語られた言葉の影響を受けています。 セルフ・イメージが低い人は、自分のセルフ・イメージを証明するかのような行動をし、生き方をします。そして、ギャンブルをしたり、快楽を求めたり、不倫をしたり、アルコールや麻薬などの中毒になったり、暴力や性犯罪に手を染めたり、問題を起こしたり、人が嫌がるような生き方をしてしまいます。自分には、そう言う生き方がふさわしいと考え、結果として、そういう行動を取るようになります。 低いセルフ・イメージを持っている人は、実は、間違った情報によって、マインド・コントロールされています。マインド・コントロールは、カルト宗教だけではなく、多くの人がいつの間にか受けているのです。何とかして、低いセルイメージをもたらせる否定的で間違った情報から脱出し、正しいセルフ・イメージを持たなければなりません。 誰でもできる初歩的な方法は、聖書の言葉によって、自分を励まし、ほめることです。「私は、神に愛されている!」「私には、価値がある!」「私には、無限の可能性がある!」「私は、勝利者だ!」・・・と繰り返し、自分に語りかけてみるのです。気が付いたら、新しい正しい情報が古い間違った情報を追い出して、セルフ・イメージが変わっているはずです。しかし、これは繰り返し繰り返しやり続ける必要があります。 私の友人は、鏡を見て、鏡の向こう側にいる自分自身に向かって、「素敵だよ。」「最高だよ。」「美しいよ。」と微笑みながら声をかけるそうです。洗面所の鏡、トイレの鏡、お風呂の鏡、どんな鏡の前でもいつもそうしていると、自分がすばらしい存在と思えて来て、大好きになるそうです。これも、やり続ける必要があります。飽きっぽい人にはなかなか至難の業です。 しかし、セルフ・イメージを根本から変える方法があります。それは、あなたを愛しておられる神と出会うことです。神と和解し、神の愛を受ける時に、自分が価値ある存在であり、すばらしい存在であると気付き、気が付いたら、自然に自分を好きになっています。気が付いたら、健全なセルフ・イメージが自分のものとなっています。そうしたら、本当の自分自身となり、生まれ変わり、人生をやり直すことが出来ます。 伝道をし、人が神と出会い、救われて天国のパスポートを手にして喜び、自分自身を好きになり、幸せで、すばらしい人生を生き始める姿を見る時に、全ての苦労を忘れてしまうほどうれしくなります。 最後に、私はみなさんのことが大好きです。神様がすばらしい出会いを与えて下さり、毎日楽しい交流が出来ることを感謝しています。すばらしい一日でありますようにお祈りをしています。感謝を込めて。
2012年08月22日
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昨日、中学一年生の長女の英語のスピーチ発表会があり、見に行って来ました。あんなに恥ずかしがり屋の子が、堂々と数百人の前で英語を話す姿を見て、驚きと共に、感動してしまいました。 親は、子供のことをいつも気にかけています。悪いことをした時には怒りますが、いつも変わらず愛しています。そして、子供の姿を見ると、どんな嫌なことも吹っ飛んしまうくらいうれしい気持ちになります。 聖書は、「神様が私たちの天のお父さんである」と教えてくれます。私たちの肉親は、とても愛してくれただろうと思いますが、天のお父さんの愛はそれを遥かに超えています。天のお父さんは、あなたを救い出すために、一人子であるイエス・キリストを与えてくれました。そして、十字架と復活を通して、信じる人を神の子として下さいました。私たちは神の子です。 「しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1章12節) 神様は、天のお父さんです。いつも私たちのことを気にかけ、愛し、守っていてくれます。そして神様は、子供である私たちの姿を見てとても喜んで下さっているんですよ。 神様は目に見えません。でも、だから存在しないのではなく、私たちを造られた方であり、いつも私たちと一緒にいて下さいます。 あなたは一人ではありません。いつも見守り、共にいて下さる天のお父さんが一緒なので寂しくありません。一人の時も一人ぼっちではありません。怖い時も大丈夫です。神様が守って下さっているからです。 「見よ。わたしは、 世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28:20) 今日から数日間、伝道活動のために出かけます。神様と一緒です。だから心強いです。また、みなさんとインターネットを通し、また、祈りを通して心がつながっていますのでとてもうれしいです。 行って来ます。お祈り下されば幸いです。みなさんのためにも祈ってます。素晴らしい一日でありますように。
2012年08月21日
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おはようございます。暑い日が続きます。水分補給を忘れずに。今日もよろしくお願いします。 心が乾いたら、 「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい」(ヨハネ7:37)と言われるイエスさまのもとにどうぞ。
2012年08月20日
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今の世界、今の社会は、特急列車や新幹線に乗っているように目まぐるしく全速力で走り続けています。 全体がハイペースなので、それに乗り遅れまいと一緒に走っていると、無理して疲れていることにも気づかないで、ある日突然燃え尽きてしまったり、倒れてしまうことがあります。 そうなる前に、勇気を持って特急列車や新幹線から途中下車して、しばし立ち止まる時間を持つことが自分を守ります。 立ち止まることとスピードダウンは違います。道を歩いていたとしたら、立ち止まるのは、ゆっくり歩きながら景色を見るのではなく、完全に立ち止まって、道の脇に咲く花を見たり、空を見たりする時間を持つことです。 車ならば、エンジンを停止させる状態です。 立ち止まった時、見失っていた自分に気付き、自分を取り戻し、自分を回復させ、再び歩き始め、走り続けることができる力を蓄えることができます。 自分をストップさせることは、意識してやらないとなかなかできるものではありませんが、ほんの数分でもいいし、場合によっては数時間、数日、完全に立ち止まる時間を持つことが、今まで考えたこともないようなすばらしい何かを発見したり、体験したり、感動したり、最高の時を過ごすことができるはずです。 聖書には、「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」(詩篇46:10)と書かれてあります。 立ち止まって、最終的にすることは、自分を造られた神に目を向け、神と対峙し、神の前に立ち、神と一体一で交わる時間を持つことです。 忙しいからこそ、そんな立ち止まる時を持って下さい。そして、そこできっと何か新しい発見があり、新しい自分に生まれ変わって、新しいあゆみがスタートするはずです。 新しい一週間に、神の祝福を祈っています。
2012年08月18日
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スイスの哲学者であり、「幸福論」を書いたヒルティ(【Carl Hilty】1833~1909)は、『寝床につくとき、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である。』と言いました。 人が生きて行くために必要なものは希望です。希望がなくなると明日が見えなくなり、生きて行くのがつらくなります。しかし、希望があれば大丈夫です。 希望を持つためにはどうしたらいいでしょうか。希望を持つためには、まず、希望の対極にある絶望を知る必要があります。絶望は、人類の先祖であるアダムとエバが悪魔に誘惑されて、神様から禁じられた木の実を食べる罪を犯した瞬間からはじまりました。 罪が人類に不幸をもたらし、絶望を与えました。人は絶望的な存在になってしまいました。夫婦や隣人との関係に、ねたみや憎しみ、争い、怒り、悪意が入り、互いに愛し合い、励まし合い、支え合いたいのに、ハリネズミのジレンマのような状態に陥ってしまいます。ハリネズミのジレンマとは、ハリネズミが互いに温め合おうとするのに、互いのハリが相手の体に刺さるので、近づきたいのに近づけないジレンマのことです。 また、人生には様々な苦しみが満ちています。体や心の病気。借金地獄。人間関係の不和。そして、人の最後は死です。人間は、とことん絶望的な存在です。しかし、絶望がわかってそれがどう希望につながって行くのでしょうか? そして、そんな私たちを救ってくれる人はいるのでしょうか? 多くの宗教があり、宗教は人間の努力やがんばりによって救いに到達しようとつとめます。あるいは、運命を受け入れ、あきらめることを教えます。それは、さながら底なし沼に落ちた人がいたとしたら、何とか自力でそこから抜け出す努力をするか、あるいは、底なし沼に落ちることを運命として受け入れてあきらめるかのどちらかの選択のようです。 しかし、底なし沼はたとえですが、底なし沼の中にまで入って来て下さり、救い上げて下さる方がいます。イエス・キリストが2012年前のクリスマスにこの地上に来て下さったのは、ちょうど、底なし沼にはまっている絶望的な私たちのところにまで神が人の姿を取って来て下さって、命をかけて救い出しに来て下さったのです。 キリストは、私たち人類の罪と不幸と死を十字架で全て背負って下さり、死んで墓に葬られ、三日目に復活されました。ここに完全な救いがあります。ここに、絶望を希望に変える力があります。ここに希望があるのです。 私たちが、希望を持って生きて行くならば、どのような状況にあったとしても幸福です。夜寝る時にも、明日の朝起きることが楽しみで仕方がありません。ですから、希望こそ人を生かす力です。 人がうらやむような人生を生きている人が、実は生きることが苦しくて、「死にたい!」と毎日思っていることもあり得ます。 「あんなに優しくて、礼儀正しくて、感じのいい人だったのに・・・」と、人殺しをした人のことを知る人のインタビューを聞いたことがありますが、うわべはいい人のように人の目に映っても、その心には希望がなく、幸福な人生を生きていなかったのだと思います。 キリストの十字架と復活は、人類最大の敵である死を滅ぼしましたので、それ以下の敵、それ以下の試練、それ以下の患難がやって来ても、希望は決して失望に終わることがありません。なぜならば、希望はハッピーエンドを約束してくれるからです。 『わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。--主の御告げーー それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。』(エレミヤ書29章11節)と聖書に書かれています。 そんな力強い希望をあなたも持ちたいと思いませんか? 希望は、今あなたの目の前に差し出されています。希望は、キリストの十字架と復活を信じる心によって今あなたのものとすることができます。希望を持って毎日を幸福に生きて行きませんか? 素敵な週末をお過ごし下さい。
2012年08月16日
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この夏は、暑い日が続き、多くの人が海水浴や川遊びに行き、楽しまれたことと思います。しかし、その中で、例年より多くの水難事故が起こっているような気がします。とにかく、水の事故には気をつけてもらいたいと思います。そして、注意深くあってほしいと願いします。 私は十代の時に、海で沖まで流された経験があります。後で考えたら、とても無謀なことをしました。海が荒れはじめていたのに、浮き輪も持たずに、泳いでいました。気が付いたら、岸から遠いところまで流されていました。私の心の中は、黄色信号を通り越して、一気に赤信号になりました。ただ無心になって、ひたすら泳ぎ続けました。 当時の私は、泳ぎはうまくなかったですが、大好きでした。「好きこそ物の上手なれ!?」 そして、少し変わっていたと思いますが、速く泳ぐより、ゆっくり長く泳ぐことに関心がありました。色々と工夫をして、次第に長時間泳ぐ方法を体得しました。それは、顔を水面に付けない平泳ぎですが、体の力を抜くことで浮力を稼ぎ、無駄な力を使わないことで、長時間泳いでも疲れません。また、顔を上げているので苦しくなることがありません。 話は戻りますが、私は、焦らず、あきらめず、「必ず助かる!」と信じて、2時間位泳ぎ続けたと思います。やっとのことで岸にたどり着いた時には、生きた心地がしませんでした。当然かも知れませんが、海恐怖症になってしまいました。当時は、サーフィンとウィンドサーフィンの練習をしていましたが、それっきりマリンスポーツをやめてしまいました。20歳を過ぎて、小型船舶一級の免許を取得しましたが、クルーザーヨットみたいなものには乗りたいと思うことがありますが、未だに海は気が進みません。一種のトラウマのようです。 それ以来、海から遠ざかり、山に行くようになりました。実際、山も危険がたくさんありますが、安全第一で、春と秋は山の尾根をハイキングし、夏は登山をし、冬はスキーをするようになりました。 話は変わりますが、私の経験から、川や海で溺れてしまった時には、焦らず、あきらめず、必ず助かると信じて安心して下さい。また、体の力を抜いて下さい。そうすると、浮力が自然に出て来て、案外浮くことができるものです。仮に、ライフセイバーの人が救助に来てくれたとしても、焦ってもがくと、共に溺れてしまうものです。賢明なライフセイバーは、水に溺れた人が、気を失うことを待ってから救助するということを聞いたことがありますが、水難事故で亡くなってしまう人は、きっと焦って、もがいていて溺れてしまったのではないかと思います。もちろん、他に色々な理由があると思いますが、焦ることが、助かるもののも助からなくしてしまう可能性があります。 また、泳ぎに自信のない人が海や川で泳ごうと考えることは避けるべきだと思います。まずは、プールで練習し、特訓することが先です。水は怖いものです。注意深くあってほしいです。 ところで、信仰生活において、神さまに祈り、神さまに委ねることは、この水泳で体の余分な力を抜いて、水に身を任せる感覚と少し似ています。問題が起こって、焦って、「大変だ、大変だ、どうしよう!」と、慌てて問題の解決をしようとしてもたいていうまく行かないものです。事態はかえって悪い方向に進みます。そんな時、神の言葉である聖書の言葉を頼り、「どんな時にも大丈夫だよ!」と言われる神を信じ、もがくことをやめて、穏やかにすることです。そうすると、神さまが助けて下さり、やがて問題が解決するものです。 『「神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」』(イザヤ30:15) まだ夏休みは半月ほどあります。どうぞ、ご自身もそうですが、お子さんや家族、友人が泳ぐという時には、無理をしなように気を使って上げて下さいね。せっかくの楽しい海水浴、川遊びが、悲しい惨事になってしまいますので。水難事故から守られますように心からお祈りしています。
2012年08月15日
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おはようございます。67年目の終戦記念日を迎え、心が痛みます。そして、改めて、戦争を繰り返すことがないように、神様の導きと助けをお祈りします。 Good morning. I meet war memorial day in the 67th and feel a pang. I'll wish for God's lead and help as there are no cases that I reform and repeat a war. 「平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5:9) 「Blessed are the peacemakers, for they will be called sons of God.」(Matthew5:9-10) 「アッシジの聖フランシスコ(1181-1226)の平和を願う祈り」 主よ、私をあなたの平和の道具としてください。 憎しみのあるところに、愛を 痛みのあるところに、赦しを 疑いのあるところに、信仰を 絶望のあるところに、希望を 闇に光を 悲しみのあるところに、喜びを もたらすことのできるものとしてください。 聖なる主よ、 慰められることよりも、慰めることを 理解されることよりも、理解することを 愛されることよりも、愛することを 求めることができるようにしてください。 私たちは、与えることによって、受け 赦すことによって、赦され 死ぬことによって、永遠の命に生まれるのですから。 「The prayer I ask for Francesco's peace in Assisi.」 Lord, make me an instrument of Thy peace: Where there is hatred, let me sow love; Where there is injury, pardon; Where there is doubt, faith; Where there is despair, hope; Where there is darkness, light; Where there is sadness, joy. O Divine Master, grant that I may not so much seek To be consoled as to console, To be understood as to understand, To be loved as to love; For it is in giving that we receive; It is in pardoning that we are pardoned; It is in dying that we are born to eternal life!
2012年08月14日
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今日は朝から、子供の夏休みの宿題の手伝いをしました。どこの家庭でも、夏休み終了間際になると一苦労するイベントではないでしょうか? しかし、このことを通して、親子でのコミュニケーションができるので、素晴らしい時間を過ごせて感謝をしています。妻は創作部門、私は国語や作文などを担当しています。 「参鶏湯でスタミナをつけよう!」 ご存知でしたか?韓国では、 参鶏湯は冬の料理のイメー ジがよりも夏の料理です。 韓国の伝統的な 料理に参鶏湯とい うものがあります。 参鶏湯は、日本で、 夏にうなぎを食べ てスタミナをつけ て、夏バテを防止 するように、韓国 でも夏にスタミナ をつけて、夏バテ 防止のために食べ られます。参鶏湯 は、そのような理 由で、夏の間だけ 提供するお店も多 いですが、参鶏湯 専門店も多く、日 本のうなぎ専門店 のように、一年を 通じておいしく食 べられる店もたく さんあります。 参鶏湯は、鳥を 丸ごとスープで煮 込んだ料理で、素 材の味がスープに とけ込んでいて、 辛くないので日本 人の口によく合い ます。材料さえ入 手できれば、家庭 でも簡単に作るこ とができます。最 近では、韓国の食 品店でレトルトパ ックに入ったもの や、参鶏湯の料理 をそのまま冷凍に パックにして売っ ていますので、み なさんも一度食べ てみられたらいか がでしょうか? 今年の夏は暑い 日が続き、クーラ ーなしには考えら れない毎日だった と思います。私の 夏バテ防止は参鶏 湯でした。今年は、 うなぎの値段が高 騰して、うなぎ料 理が高かったので、 なかなか手が届き ませんでしたが、 参鶏湯は、案外家 計に優しく、味も マイルドだし、お 腹にも優しくおす すめしたい料理で す。 「日本と韓国の食卓のマナーの違い」 参鶏湯には、白 いご飯がセットで 付いてきます。韓 国のご飯は、鉄製 でフタが付いた器 に入れられていま す。手で触ると熱 いので、机の上に 置いたままで食べ ます。日本人は、 ご飯の茶碗を片方 の手で持ちながら 食べますが、韓国 人は、ご飯の器を 手で持って食べる ことはありません。 そのことから、日 本と韓国の食卓の マナーは正反対で す。韓国で、日本 のように茶碗を持 ってご飯を食べる と、マナーが悪い とされます。日本 で、韓国のように 茶碗を持たないで ご飯を食べると、 マナーが悪いと見 えるだろうと思い ます。 他に、韓国料理 の多くは、鍋や大 皿盛りで出されま す。それぞれが自 分のお箸で突っ突 いて食べます。し かし日本では、家 族や親しい人たち との食事でない限 り、取り分ける専 用のお箸やお玉な どで小皿に取り分 けて食べます。そ の点も正反対です。 食文化は、長い年 月の生活の中で一 番いいと考えられ て来た習慣です。 互いに尊重し合い、 「郷に入れば郷に 従え」の精神が大 切だと思います。 「編集後記」 今回、参 鶏湯につい て、色々な 人にインタ ビューした り、インターネッ トで検索したり、 図書館で本を借り て読んだり、色々 調べました。結果、 たくさんの情報が 集まり、その情報 を全て紙面に書く ことが出来ません ので、自分なりに まとめて新聞にす ることが出来まし た。普段、何気な く見ていた学校で 配布されるニュー スレターやお茶の 間にある新聞など に対して、すごい 苦労があるんだろ うなーと見方が変 わりました。
2012年08月14日
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人生は、一瞬一瞬の選択の積み重ねです。ですから、過去の選択が今の私なのです。 車を運転する人が、目的地に着くまでに、一瞬一瞬の選択の積み重ねを繰り返します。多少道を間違えても、その次の選択によってその間違いを修正することも出来ます。 最近の車にはカーナビがついています。安いカーナビはあまり信頼出来ませんが、通常、カーナビに従って運転することが、最短ルートで目的地に着く最良の方法です。 カーナビが便利な状況は、初めて行く場所に対してです。知り尽くしている場所に行く時にはカーナビは必要ありません。カーナビ以上にいい道を知っているものです。 車の運転を人生に例えたら、人生とは知り尽くした道のドライブでしょうか? あるいは、初めて行く道のドライブでしょうか? たぶん、過去の経験は多少頼りになるかも知れませんが、いつも新しい道をドライブするようなものです。 そんな時に重宝するのがナビゲーションです。しかし、人生のナビゲーションは車屋さんでは売っていません。それは本屋さんに売っています。世界のベストセラーである「聖書」です。 人生のドライブのナビゲーターは神様です。その神様について書かれているのが聖書です。神様のナビゲーションの最新情報を更新する場所が教会です。 人生のナビゲーターである神様を信じ、神様に祈り、神様の導きに従って生きて行くことが、人生最良の生き方です。私たちに取っての人生は、いつも新しいドライブですから、初めて運転する道です。ナビゲーションシステムが、人工衛星と正確な地図を元に運転手を誘導してくれるように、神様は、全てを知っておられ、全てを知った上で一番いい道に私たちを導いて下さいます。 もう話がここまで来たら、今すぐにでも人生のナビゲーションシステムがほしくなった人がいることでしょう。あるいは、人生のナビゲーションシステムをあまり使わなくてほこりがかぶっている人は、もう一度使ってみようと思うのではないでしょうか。 あなたという車には、もう神様というナビゲーションシステムを搭載していますか?ちゃんとナビゲーションを使えるようにセットアップしていますか? そのナビゲーションがあなたのこれからの人生を決めます。 聖書は人間の罪を教えます。聖書が教える罪とは、全てを知っておられる神様をないがしろにして、自分の考えや経験を頼りに生きていることを指します。それは、盲人が盲人を手引きするようなものであやふやなものです。しかし、今日から、そして今すぐそのナビゲーションを搭載することが出来ます。 「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2) 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネの福音書14:6) 「あなたの神、主が、私たちの歩むべき道と、なずべきことを私たちに告げてくださいますように。」(エレミヤ42:3) 「主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福されます。」(創世記12:1~3)
2012年08月12日
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8/12朝礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/28it1n3-wOo 8/12朝礼拝(説教~最後) http://youtu.be/kBx-6xhpS4Y 8/12夕礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/6XhhI2djzGg 8/12夕礼拝(説教~最後) http://youtu.be/JGbm1wZlJXw
2012年08月12日
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おはようございます。今日は、お盆などで帰省している方が多いと思います。こんな時、都会は天国です。嘘のように道が空いていて、私はたまらなく好きです。町を歩いても、車に乗っていても、電車に乗っても、ゆったり過ごせます。 クリスチャンは、毎週日曜日に教会に集まって礼拝します。私は、人生の中で、日曜日に礼拝をし続けて来たことが、最高の祝福だったと感じます。 多くの人が仕事などで忙しいので、ある家族は、日曜日しか家族が一緒に過ごすことができなかったり、日曜日に仕事があったり、子供の部活などがあると、一年を通じて、年末年始やお盆くらいしか、なかなか家族で一緒に過ごせなくなっています。日曜日は、国全体で休みの日のはずですが、実際はそうではないように思います。残念です。 忙しい時代の中で、家族で教会に通い、家族が共に過ごし、一週間一度の安息の時を過ごすことは、精神的にも肉体的にも、健康のために大切なことです。 教会で日曜日に礼拝することは、天国に行く予行練習にもなっています。教会に行くためには、今やっていることを中断しなくてはいけません。私たちが天に召される日も、全てをやめなくてはいけません。 子供の頃、遠足の行った先で、昼食後に夢中になって遊んだことを思い出します。時間を忘れ、最高に楽しい時間でした。しかし、突然笛がなって、「集まれ!」と先生が号令をかけますと、まだ遊びたくても、帰らなければいけません。 全ての人に平等に与えられるできごとは死です。早いか遅いかの違いはありますが、ある日突然その日がやって来ます。その日に備えて、天国に行き、神の前に立つ備えはできていますか? 「あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」(アモス書4:12) 備えは、イエス・キリストを救い主と受け入れることです。そして、イエス・キリストと共に歩むことです。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年08月11日
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昨日10日、衆議院に続いて、参議院本会議で、消費税増税を柱とする社会保障と税の一体改革法案が可決・成立しました。次の話題は、衆議院解散総選挙の日程です。 2012年は、世界の多くのリーダーが変わる年でもあります。誰がリーダーになるかで日本の情勢、世界の情勢は大きく変わります。神様が、御心に適うリーダーを立てて下さるようにお祈りをして行きましょう。 「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。それは私たちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、また、みこころにかなうことである」。テモテ第一の手紙2:1~3
2012年08月11日
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先日、日本一、日照時間が長いと言われる明野(山梨県北杜市明野町)に行って来ました。 涼しいことを期待していましたが、暑くて暑くてどうしようもないほどでした。立ち寄っただけですが、車を降りて、明野のひまわり畑のひまわりを眺めました。その数は60万本だそうです。圧倒されました。 ひまわりは、成長期に太陽に向かって向きを変えます。私は、この姿を見る時に、ひまわりが太陽に向かって成長し、花を咲かせるように、私も、神に向かって成長し、花を咲かせないといけないなーと思います。 話は変わりますが、コペルニクス(Nicolaus Copernicus 1473-1543)以前は、地球が宇宙の中心で、太陽は、東から登り、西に沈むと考えられていました。当時の常識は「天動説」でしたが、コペルニクスは、それに対して「地動説」という異論を唱えました。実際、それが正しかったのです。地球が宇宙の中心ではなく、地球は、太陽の周りを回っている惑星です。 同じように、私たち人間は、自分を中心に世界が回っているのではありません。地球が太陽の周りを回っているように、人は、神を中心に回っているのです。そんなコペルニクス的転回を人生の中で経験し、180度心の向きを変えて生きる人は、限りある自分から、限りない永遠の世界に目を向け、そこから来られたイエス・キリストを通して、神と直結する人です。 「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」(ローマ書11:36) 人はどこから来て、どのように行き、どこに向かって生きて行ったらいいのでしょうか? 人は、神のもとから来たのです。そして、この地上で神と出会い、また、神のもとに帰って行くのです。 私は、ひまわりの花を見るたびに、いつも心の目と顔を神に向け、神に向かって歩んで行くべきことを思い出します。 この世の中は相対的です。福沢諭吉が、「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ(天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている)」と言った有名な言葉は、「学問のすゝめ」を説いた言葉で、不平等な世界を前提に語っています。向上心は必要です。しかし、人間の価値には優劣はありません。他の人より上に立とうとナンバー1を目指すのではなく、オンリー1の自分を最高に生きることを目指すべきです。しかし、この相対の世界の中で、どうやったらオンリー1の自分を知り、その自分を最高に生きることができるのでしょうか? それは、神という絶対の世界を知ることなしには不可能です。 明野のひまわりが、太陽に向かって咲くように、私たちも、神を知り、神に向かって成長し、咲いて行けたら、一回だけの人生を、きっと悔いのない、完全燃焼して生きて行けるのではないかと思います。
2012年08月09日
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これは、「幸せなら手をたたこう」(作詞:きむら・りひと)の一節です。 子供を見ていると、幸せを態度で現します。それを見ている人も、不思議と幸せを感じて、幸せになるものです。 心にある感情を、素直に表現すると、心と心が通い合い、その感情が伝わります。そのようにして、気持ちを共有することができます。 私は、自分の気持ちをできるだけ素直に、そして、ストレートに伝えたいと思っています。それは、この幸せを共有してもらいたいからです。 私が行っている活動は、宗教の布教ではなく、神が私にして与えて下さった良いことと喜びを伝えることです。 宗教は、ほとんどの場合、禁欲的な側面を持ち、面白くない部分があります。自分が面白くなくて、無理をしているものをいくら伝えようとしても、そこには無理があります。 もちろん、宗教によって悟りを開いた人は、そこに見出した幸せや喜びがありますので、それを伝えるなら、わかる人には伝わって行きます。 私が伝えている神から頂いた恵みは、私の根本的な部分の幸せと喜びです。インスタントで、表面的なものではなく、静かで、深く、永遠に変わらないものです。忙しく、手軽さを求める時代の中で、なかなかダイレクトに伝わらないと感じますが、私は伝え続けたいと思っています。 イエスは、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」と語りました。 病気であっても、病気を自覚しない人には医者を必要とは感じません。しかし、必要です。同じように、罪人であっても、罪の自覚がない人にキリストの救いを必要とは感じません。しかし、必要です。 私が体験してうれしかったこと、良かったことは、私が救われたこと。天国に行けることです。私の人生最大の問題はすでに解決しています。もちろん、人生に悩みや葛藤は付き物ですが、最大の問題が解決しているのならば、それ以下の問題もおのずと解決するはずです。例えば、200kgのバーベルを持ち上げる力のある人には、それより軽いものを持ち上げることは難しくないことと同じことです。 毎日、色々な問題やつらく悲しいこともありますが、その状況の中にあっても、喜びがあります。私は、日常の些細な幸せ、うれしかったことも表現し、伝えたいと思っています。あなたの幸せもぜひ伝えて下さい。聞かせて下さい。 『幸せなら 手をたたこう 幸せなら 手をたたこう 幸せなら 態度でしめそうよ ほら みんなで 手をたたこう』
2012年08月07日
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この言葉は、武田鉄矢さんが歌った「贈る言葉」(武田鉄矢 作詞 千葉和臣 作曲)のサビの一部分です。 「悲しみこらえて 微笑む」人は、一見強そうです。しかし、「心で泣いて、顔で笑う」という生き方は、案外もろく、ある時に、「ボキッ」と折れてしまうことがあります。まじめで、責任感が強い人にこういうタイプが多いのかも知れません。 しかし、「悲しみこらえて 微笑む」という、我力で生きる人生よりも、「涙枯れるまで 泣く」ことで、悲しみを吐き出す生き方の方が、心がしなやかになり、結果、強くなります。しかし、ただ一人で泣き、泣いたまま寝入ってしまう「泣き寝入り」ではなく、友達に心を打ち明け、その涙をしっかりと受け止めてもらうことです。 酒飲み友達、親友、恋人、専門のカウンセラー、牧師などの宗教家などに話すことも解決の助けです。しかし、一番は、「いつくしみ深き 友なるイエス」(賛美歌312番)に相談し、泣いて祈り、悲しみという心の重荷を委ねることです。 「贈る言葉」は、「人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできるのだから」と続きます。悲しみはマイナスではなく、プラスに変えられます。なぜならば、悲しみを「悲しい」と感じたら、その傷みが誰よりもわかります。そして、悲しみを受け止めてもらって、慰めてもらった経験は、大きな喜びのエネルギーに変わりますので、悲しんでいる人に優しくできる人になれるのです。「優しい」という漢字は、「憂いの人」と書きますが、悲しい憂いは、優しさの源泉のようです。 今日悲しんでいる人がいますか?「悲しみこらえて 微笑むよりも 涙枯れるまで 泣く方がいい」 のです。どうぞ、人生の中で、悲しみを受け止めてもらえる親友を見つけて下さい。できたら、私がその親友の一人になれたらと願います。あなたと私は、一生続く友達です。そうでしょ? これからもよろしくお願いします。 しかし、私は二番目の友達で、一番の親友は、友なるイエスです。一人で悩まないで、その方に、心の悲しみを打ち明け、祈り、溜めないで、悲しみを喜びに変えてもらって下さい。そのエネルギーはどんな力よりも強く、人の悲しみも喜びに変えることができます。そして、世界中にいる悲しんでいる人の友達となり、幸せを広げて行くHappy maker(ハッピーメイカー)になれたら素晴らしいですね。 「夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。(Weeping may endure for a night, But joy comes in the morning.)」[聖書]
2012年08月05日
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私が一番大好きな日は日曜日です。一番緊張し、一番忙しい日ですが、一緒にゴスペルや賛美歌を歌い、神に祈り、聖書を語り、全てのストレスが解消され、肩の重荷は消え去り、心が喜びで一杯になります。神様が人類に週一日礼拝するように命じられたのは、人には週一日は神様と共に安息することが必要だからだと思います。素晴らしいですよ。 今日も日曜日恒例のジョークから始めます。ある日曜日、牧師先生が深刻な顔をしながら説教を語り始めました。「今日、この会衆の中に人を殺した人がいます。確かにその人は、今週人を殺し、何食わぬ顔で席に座っています。」次に、おもむろに聖書を朗読しはじめました。「第一ヨハネ3:15には、『兄弟を憎む者はみな、人殺しです。いうまでもなく、だれでも人を殺す者のうちに、永遠のいのちがどどまっていることはないのです。』と書かれています。」 これを語ったのは実は私です。ジョークというよりも辛辣なジョークであり、本当のことです。人を憎むと、その心の中には殺人の種が芽生えます。次に、その思いは自分の心を通過して自分の外にオーラとして流れます。そのオーラは、憎んでいる相手に伝わり、敏感な人なら、「私は嫌われているな。拒絶されている。」と感じて傷つきます。ある場合は、心の病になってしまったり、自殺したいほど辛い思いになる人もいます。憎しみは、そのまま放っておくと、言葉として現れ、さらに、行動として現れ、それが成長すると実際に人を殺してしまうこともあります。殺人とは、心の中に憎しみの種が芽生え、それが成長して実際に行なってしまうまでに発展してしまいます。 「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」(エペソ4:26~27)と聖書は語ります。怒ることは罪ではありません。それを日が暮れるまで持ち続けてはいけません、ということです。怒っていい、怒っていい、憎んでもいい、しかし、その賞味期限はその日限りです。その日のうちに必ず解決し、許し、和解するか、神に復讐を委ねてから寝床に入ることが大切です。そのまま放置しておいたら、心の中に苦い憎しみの根が生えてしまいます。その心のままに寝て、起きても、気持ちのいい朝を迎えられるはずがありません。 そんな心を完全にリセットし、修復し、喜びに変えるのが日曜礼拝です。ぜひ今日も、自分を造られた神を礼拝し、感謝を捧げ、祈り、聖書に耳を傾けられたら素晴らしいと思います。もし教会に行ったことがなくて、まだ教会に行く勇気がない人、教会に行きたいけど体調が悪かったり、精神的に辛かったり、何らかの事情がある人もいると思います。そんな人のために、私たちの教会はインターネットを通して礼拝を生中継し、夜までには、録画放送を見れるように準備します。もし良かったらご利用下さい。良い日曜日となりますように。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年08月04日
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「家族とは 私の身近な 応援団」これは、家族に関する川柳ですが、家族が応援団になってくれている人は幸いですね。 「結婚は、しても後悔、しなくても後悔。どうせなら、して後悔しよう」という言葉を聞いたことがあります。おそらく、結婚した人は、一度は後悔するかも知れません。結婚は、愛の無い、本当の自分の姿を見せてくれる人間関係だからです。 ラインハルト・ニーバーの祈りに、『変えられるものは変える勇気を 変えられぬものは受け入れる謙虚さを そして、それを見分ける知恵を授けたまえ』というものがあります。過去と人は変えられないものです。しかし、自分の心は変えることができます。もちろん簡単なことではありませんが、もし自分を変えることができるなら、過去や人も変わる事もあり得ます。過去の傷は宝に変えられ、人もこちらが変わることで、変わることがあります。 私は、15年前に韓国人の女性と国際結婚をしました。韓流ブームの影響で、韓国人を身近に感じる日本人が増えていますが、ある一定の距離があれば楽しいものです。しかし、結婚をしてわかったのは、日本と韓国は、「似て非なる国」ということです。日本人の価値観を持ったまま、韓国人を受け入れることは不可能だと感じました。その時、神様から導きがありました。日本人としての価値観や、自分の価値観を外して、相手をそのまま受け入れるということでした。そうしたら、世界が全て変わり、その時から、夫婦が応援団になり、幸福な家庭への第一歩を踏み出しました。 これは、イエス・キリストの姿から教えられた生き方です。イエス・キリストは、神であられたのに、神としてのあり方を捨てて、人間の姿となってこの地上に来られ、人類の救いの道を開いて下さいました。キリストと自分を比べることは、あまりにもおこがましいことですが、そこに、夫婦が愛し合う秘訣がありました。大きな傷みがありましたし、自分に死ぬような経験でしたが、それが家庭を生かし、相手を生かし、しいては、自分をも生かすことになりました。 今日、妻や子供たちという家族という応援団に感謝しています。私も同時に、家族の応援団の一員です。 また、教会に集う教会員、世界中の20億のクリスチャンは神の家族ですから、私の応援団です。そして、私もその応援団の一員です。 そして、世界中のインターネットでつながっているみなさんが応援団となって下さっていることに感謝をしています。 大昔の話になりますが、中学生の時、運動会で応援団長をやりました。その時から、私は誰かを応援することが好きになりました。私はみなさんの応援団長という心意気でいます。凄まじい暑さが続きますが、応援しています。そして、互いに応援し合って、素晴らしい毎日を過ごして行けたらいいですね。
2012年08月02日
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「ゴールデン・ルールに生きる人は何をしても栄える」 世界中の人々に知られ、愛されているゴールデン・ルール(黄金律)は「聖書」の中にあります。それは、『何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。』(マタイの福音書7章2節)です。人生を成功させ、幸せにする秘訣です。 多くの人は、自分の利益を追求する利己主義こそ成功と幸福の法則だと考えます。しかし、それは一時的にはうまく行くかも知れませんが、長続きしません。長続きする成功と幸福の法則はゴールデン・ルールの中にあります。 試しに、あなたの願っていることを満たそうとしてくれる人と、あなたの願いに無関心で自分の願いだけを満たそうとする人の2人をイメージしてみて下さい。どちらの人を好きになるでしょうか? もちろん、完璧な人はいませんが、少なくてもあなたの必要としていることをしようとしてくれる人を好きになるだろうと思います。そして、そういう人には、何か恩返しをしたくなるだろうと思います。 ゴールデン・ルールに生きようとする人は好かれますし、感謝され恩返しを受けるでしょうし、多くの人の好意を得て、押し上げられて成功出来るのではないでしょうか。その上、ゴールデン・ルールに生きる人は、幸福です。 ゴールデン・ルールに生きるためには、一つの分岐点があります。それは、自分がしてもらってうれしいことを自分にするのか?他人にするのか?の分岐点です。それは、一方は太平洋側に流れ込み、もう一方は日本海側に流れ込む分水嶺に似ています。 自分にしてほしいことを他人にして生きて行くならば、自分に自分でしなくても、他者から帰って来るものです。もちろん、見返りを期待してやものではありませんが、少なくても、自分だけに執着して生きている人よりは、好かれ、愛され、何かお返しをしてあげたいと思わせるものです。 ゴールデン・ルールに生きる世界中の人は、間違いなく成功し、幸せに生きています。私たちも、自分の人生観や価値観の中に取り入れて生きて行きたいと思わないでしょうか。そんなあなたを、神も世界も祝福して下さるはずです。ゴールデン・ルールに生きる人は何をしても栄える人です。God bless you!
2012年08月01日
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