全30件 (30件中 1-30件目)
1
おはようございます。今朝の東京は、台風一過で昨晩の暴風雨を考えると嘘のような穏やかな朝が迎えられてホッとしています。新しい一週間が素晴らしい時となりますようにお祈りいたします。 また、非常に強い台風17号の上陸により、多大な被害を受けた沖縄や本土の各地域の方々の復旧、回復、いやしをお祈りましす。 トラックを横転させてしまったり、街路樹をなぎ倒したり、屋根を吹き飛ばしてしまったりという台風は、どれだけの強い風が吹き荒れたのでしょう。自然の力強さを改めて思わせられます。 聖書によれば、地球は、神ご自身が言葉で命じて造られました。最初の状態が一番素晴らしかったのです。地球の中にエデンの園という楽園があり、そこに人類の先祖アダムとエバが住んでいました。そこで永遠に生きることができるはずでした。しかし、アダムとエバは、蛇の姿を取った悪魔に誘惑されて、たった一つだけ禁じられた「善悪を知る知識の木の実」を食べてしまいました。罪を犯した人間はエデンの園から追い出され、永遠に生きる「命の木の実」を食べられなくなり、人間の寿命は1000歳以下になりました。その後、決定的に寿命が縮んだのは、ノアの箱舟の洪水によって、この地球の環境は致命的に破壊されました。神様は、未だに地球をきれいに装って下さっていますが、地球は一度、壊滅的な 破壊を経験しているのです。人間の寿命は120歳以下になりました。 ところで、車を新車で買った経験があるでしょうか? あるいは、新しい家や新しいものなら何でもいいですが、物によっては、使い込むほどに味が出て来る物もありますが、普通は、新品の状態が一番いいはずです。ちなみに、古いほどイイとされるのは、「女房(旦那)とワイン」だと言われますが、人によって色々な意見があると思いますが、例外的に古いほど良いものもありますね。しかし、地球も、古くなって味が出た部分もあると思いますが、地球は、最近特に老朽化が進み、地震、津波、火山爆発、温暖化、竜巻や台風などによって、環境が破壊され、寿命が近づいているように思います。 私は、聖書が記述している「創造論」に基づいてお話をしていますが、この世の中の世界観にはもう一つ「進化論」というものがあります。進化論は、簡単に言えば、全ては偶然に存在していて、段々良くなって行くと考えます。創造論は、最初が一番良く、段々衰えて行くと考えます。ある人は、進化論を科学だと考えますが、正確には、進化論は科学的な仮説です。進化論を証明する証拠は何一つありません。そして、45~46億年前から生きていて、その進化の過程を見た人は一人もいません。私は、進化論は科学的仮説であり、神の存在を否定する宗教であると思います。だったら創造論も宗教じゃないですか? と言う意見が出るだろうと思います。その通りです。私も、天地が創造された6000年前から生きていませんので、それを証明することはできません。しかし、そのことを信じています。ただ私が思うのは、例えば、iPhone5のようなスマートフォンでさえも、偶然にでき上がったものではないのです。今から数億年しても、偶然が重なって「iPhone1億」何ていうものができ上がることはないと誰もが思うと思います。しかし、そんなスマートフォンよりも遥かに精巧で精密な人間が、偶然に進化してできた何て考え難いです。iPhone5を誰かが設計し、その設計図に従って組立てたように、人間を創造された存在がいると考えるのが自然だと思います。 私たちは、人間の力で、台風17号の被害からの復旧は可能だと思います。いずれ、東日本大震災からの復旧・復興は行われて行くと思います。しかし、地球はいつか寿命が来て、いつかこの世界が終わる日が来ると思います。しかし、その日を恐れる必要はありません。愛の神がやがて新しい天と新しい地とを造って下さり、永遠の命を下さり天国に入ることができるからです。そのためにはたった一つの条件があります。それは、自分が神から離れた罪人であることを認め 自分の罪のためにイエス・キリストが十字架で死に、葬られ、よみがえられたと信じることが必要です。それは、真心から、「神様、私は罪人です。私の罪のために死んで、葬られ、よみがえられたイエス・キリストを救い主として心に信じて受け入れます。」と祈られたらそれだけでOKです。 私は、東京生まれ、東京育ちです。特に、東京を他の地域と比較して考えることはありませんが、やはり、ここが私の古里です。今日10月1日は、「東京都民の日」です。否でも応でも、自分が都民であることを意識させられます。東京が好きです。そして、東京に生まれて良かったと思います。外国で生活をしたこともありますが、やはり、東京が私にとっては一番です。それは、誰でも、自分の生まれ故郷が一番と思うのが普通だと思います。そんな中で、東日本大震災で古里を失った人がたくさんいることを覚えて心が痛みます。 しかし、古里はもう一つあります。これは本当の古里です。それは天国です。私たちは、天国から来て、この地上に裸で生まれ、やがて裸でこの世を去って行きます。その行き先は天国です。天国に行く条件は、先ほど話しましたが、それ以上でも以下でもありません。信じるだけで、恵みによってそこに行くことができます。それが定められた人の人生は「ハッピーエンド」です。途中が少々つらく、悲しく、厳しくても、終わり良ければすべて良しです。やがて天国でまた再会できることを楽しみに生きて行きたいですね。私たちは天国人です。天国にふさわしい生き方を今週もさせて頂きたいですね。良い一週間でありますように。
2012年09月30日
コメント(0)
おはようございます。私に取って日曜日は一番うれしい日です。同時に、説教をしなければならないので緊張しますが、全ての日常生活をやめて神を礼拝する時に、本当の意味で自分を取り戻すことができます。日曜日は、私に取って安息の日です。 今日はジョークではなく実話ですが、ある夫婦が、ささいなことで喧嘩となり、ご主人が奥さんに「お前出て行け!これが電車賃だ!」とお金を投げつけると、奥さんはそれを拾って財布に入れ、もじもじしていました。すごい剣幕で「早く出て行け!」と怒り出すと、奥さんは「だって、戻ってくる電車賃がないんですもの」と答えました。 また、違うある夫婦も、ささいなことから喧嘩となり、「お前の物は一つ残らず持って出て行け!」と言われました。奥さんは意地になって荷物をまとめ、今、出かけようとした時、ご主人が「おい、俺もお前のものだから、持って行け!」と言いました。どちらの夫婦も仲直りして、その夜はハネムーンのようだったそうです。イイお話ですね。 最近は、ささいな人間関係のこじれから殺人にまで発展してしまう事件をニュースで見聞きします。前述の二組のカップルにあって、殺人に発展してしまう人たちにないものは何でしょう? 心のゆとりです。心のゆとりはどうやったら手に入れることができるのでしょうか? 一番イイのは、週一度、自分をリセットして、自分を回復する時間を持つ習慣が決定的に心のゆとりをもたらせます。 パソコンのゴミ箱やブラウザの掃除や、デフラグなどを定期的に行うと、パソコンは快適に作動し、長持ちします。同じように、私たちも、少なくても週一度は自分の心を掃除し、心のデフラグとリセットをして、回復する時を持ちたいものです。 日曜日は、ほとんどのクリスチャンが教会に集まって、創造者である神と一人子イエス・キリストを礼拝します。世界の人口のおおよそ3人に1人がクリスチャンですから、地球上に時差があるとは言え、同じ日にかなりの人が動きます。ちなみに、イスラム教は金曜日が安息日、ユダヤ教は土曜日が安息日ですが、世界の多くの人が、週に一度、安息の日を持っています。 日本のカレンダーは、日曜日が赤字になっています。建前では日曜日は休みですが、実際は、日曜日に仕事が入ったり、接待ゴルフがあったり、色々な公共の行事が入ることがあります。少なくても日曜日一日は、日本の社会全体を完全に休みとし、何の行事も入れない日にしてもらいたいものです。そうじゃないと、休むことができないですし、まして、教会に毎週通うこともできません。 しかし、日本の昔の軍歌に「月月火水木金金」と、土日返上で働け!というように軍人さんを鼓舞する歌がありましたが、勇ましいようですが、人は間違いなく潰れてしまいます。 話を戻しますが、クリスチャンが日曜日に神を礼拝する理由は、キリストの復活を記念しています。創造者である神が、罪を犯した人間を救うために、神の一人子イエス・キリストをクリスマスに誕生させ、罪を贖うためにキリストは十字架に掛かり、死んで墓に葬られ、三日目に死人の中から復活しました。その復活した日が日曜日です。キリストは、人類最大の敵である死を滅ぼし、不可能の壁を破って、死と黄泉の世界から帰って来られました。ですから、日曜日、キリストの復活を覚えて、キリストから一週間をスタートし、先週までの一週間をリセットします。 「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(コリント人への手紙 第二 5:17) 聖書を読んだり、お祈りをしたことがない人も、今、あなたを造られた神に、「神様!」と祈ってみませんか? また、最近教会にあんまり行っていなかった人は、久しぶりに教会に行きませんか? 私の働いている新宿福興教会(http://www.geocities.jp/sgr_ch/)は、はじめて教会に来られる方を歓迎いたします。よかったらいらして下さい。また、東京近郊に住んでいない方には、大まかな住所を教えて頂けたら、お近くの教会を紹介させて頂きます。 また、インターネットで教会の集会の生中継と録画放送をしています。もしよかったらご利用下さり、ご視聴下さい。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/ 今週も、素晴らしい一週間でありますようにお祈りいたします。
2012年09月29日
コメント(0)
おはようございます。土曜日になりました。みなさんはお元気ですか? 今日も一日、楽しく、元気に、ゆったりと過ごして行きましょう。神様の守りと導きを祈ります。 先日は、「イギリスのことわざ」から、「一生続く幸せは正直さだ」とお話をしましたが、今日は、少しそれに似ている「中国のことわざ」からお話をしたいと思います。 一日幸せになりたければ酒を飲みなさい。 三日幸せになりたければ結婚しなさい。 七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。 一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい。 まず、酒を飲むことで、一日は幸せでいられます。これは、それ以上でもそれ以下でもないでしょう。 次に、結婚をしたら三日間は幸せでいられます。結婚の幸せが三日とは若干短い気がしますが、「美人は三日で飽き、ブスは三日で慣れる」と言われますが、相手に幸せにしてもらおうと考えて結婚をしてもせいぜい三日間で、その幸せは長持ちしないのでしょうね。 次に、ブタを殺したら七日間は幸せでいられます。一匹のブタを殺したら、一週間は豚の肉をお腹いっぱい食べられるので、十分幸せでいられるんですね。 しかし、これら三つの幸せは、受動的なもので、人や飲食によって幸せにしてもらう人生です。しかし、その幸せはやがて終わる日が来ますので、そうなったら、残念ながら幸せではなくなってしまいます。しかし、釣りを覚えたらどうでしょうか? お腹が空くたびに釣りをしたら、お腹を満たす魚を釣ることができますので、その都度幸せを感じることができます。魚釣りをおぼえた人は、幸せを得るために人や状況に頼らなくていいので、一生幸せでいられます。 この「魚を釣る」というのは、ただお魚釣りをして、毎日魚を食べることだけでを言っているのではなく、人生を、人や環境に頼るのではなく、自分ひとりで生きて行く方法を学ぶことも含まれるだろうと思います。これは、今の時代の人に取ってとても大切なメッセージだと思います。自立していて、自分ひとりで生きて行く生き方を身につけると、人や状況に頼らないで生きて行けますので、どのような時にも幸せな人生を生きれます。親は子供たちを育てる時に、自分ひとりで生きて行けるように育てることが大切だと思います。 そしてこれは、経済的なことだけではなく、自分の幸せを人や環境に頼らない生き方も含まれます。どんな時にも感謝し、肯定的に生きること。そして、自分の幸せは自分で責任を持つ生き方です。 私たちが、誰かが自分を幸せにしてくれると考えたり、環境が幸せを与えてくれると考え、期待していたら、きっと、永遠に幸せはやって来ないか、一時の、つかの間の幸せしか感じることができないのではないかと思います。人は一人ぼっちであり、孤独な存在です。他人は、自分のことだけで精一杯ですから、あなたに関心を持ち、あなたを幸せにする心のゆとりは持っていないのです。仮に、お人好しの人がいたとしても、あなたをいつも満足させられる人はおそらく皆無です。それを知っただけでも、ほとんどの不満から解放されると思います。 人は、自分の幸せは自分でつかみ取って行くしかないのです。 しかし、それが前提で、最後に、「一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい」にもうひとつを加えたいと思います。「永遠に幸せになりたければ神を信じなさい」です。 人は結局一人ぼっちで、この世に、一人裸で生まれ、一人裸でこの世を去って行きます。ここで終わってもいいのですが、ここで終わることはできません。目に見えないけれど、一人ぼっちの私やあなたと共におられる方がいます。それが神です。 本来、神と人は一体でした。人類の祖先アダムとエバは、エデンの園という楽園に神と共に暮らしていました。そこに悪魔がやって来て、神を捨てて悪魔に従うように誘惑しました。それは、悪い不良の友達が、「家出して自由に遊ぼう」と誘っているようなものです。不良の友達の誘いに乗って、親元を離れて、自由で、好き勝手に過ごしはじめたとします。しかし、しばらくは楽しいことばかりでも、やがて彼らはボロボロになり、後悔する日が来ます。しかし、今さら、誘った友達の手前もありますし、親に謝って家に帰るのも格好悪くて、なかなか家に戻れない状態になります。 中学生・高校生時代、私のまわりにそういう友達が何人かいました。その中の何人かは、暴走族を経由して、最後はやくざの道に入りました。しかし、人生は遅過ぎることはありません。その時点で心悔い後悔して、やくざの世界に入ってしまったとしたら、そう簡単にやくざの世界から足を洗うことはできません。しかし、しっかりとした決意さえあれば必ず道は開かれるものです。そして、家出して来た親元に帰ったとしたら、どんな親でも迎えてくれるはずです。しかし、そのまま突き進んでしまうこともありますし、あるいは、挫折と絶望感とプライドのゆえになかなか足を洗う気になりません。 アダムとエバの子孫である私たちは、この若者に似ています。罪を犯して神から離れ、悪魔は罪に誘惑しますが、罪を犯した後には、罪責感を持って人を脅かし、苦しめ、罪の奴隷に私たちを縛り付けています。そして、一人ぼっちでこの世界をさまよっていないでしょうか。自分はどこから来たのか、どう行きたら良いのか、これからどこに向かって生きるのかわからないまま迷い、虚しい人生を生きていないでしょうか? 神から離れた人はみんな悪魔に嚇され、一人ぼっちです。そして、この世界は厳しく、誰も自分を幸せにしてる人はいません。 しかし、その私たちを神の方から探しに来て下さいました。それが、2012年前のクリスマスに来られたイエス・キリストです。私たちが、この方に、「ごめんなさい。あなたを信じます。私を救って下さい。」と祈るならば、ただちに救って下さり、神の子として迎え入れて下さり、神に背を向けていた罪と悪い行いを赦して下さり、永遠の命を与え、天国に入れて下さいます。 もしあなたが、一日幸せになりたければ酒を飲みなさい。 もしあなたが、三日幸せになりたければ結婚しなさい。 もしあなたが、七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。 もしあなたが、一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい。 もしあなたが、永遠に幸せになりたければ神を信じなさい。 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ」(伝道者の書12:1) 最後に、有名な「放蕩息子」の聖句で終わりたいと思います。 「ある人に息子がふたりあった。弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここ で、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そ して肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』」(ルカの福音書15:11~24) どうぞ、この放蕩息子のように、我に返り、お父さんである神様の元に帰りませんか? すばらしい週末をお過ごし下さい。
2012年09月28日
コメント(1)
おはようございます。過ごしやすい季節になりましたね。今朝は少しひんやりとした曇り空で気持ちがいいです。あのうだるような暑さが続いた夏を思い出すと、日中外での仕事をするのが快適で、ホッとしています。 日本には、春・夏・秋・冬の四季があり、時間の経過とともに必ず季節が変わります。これは、地球が23.43度傾斜しているからですが、この四季の変化は、私たちの人生にもあります。 勢いよく成長する春、絶頂期の夏、収穫の秋、そして、実りのない冬が来ますが、冬は次に来る春に備える季節であり、他の季節とバランスを取る意味でも大切です。 いつもイイ季節だけだといいと考えることがありますが、そうするためには、地球の傾斜をなくしたらいいワケです。もちろん、そういうことができたらの仮の話ですが、暑いか寒いかだけの星になり、きっとそうなったら退屈になると思います。 私たちの人生にも四季が交互にやって来ます。いつも絶好調で何をしてもうまく行っているように見える人がいるかも知れませんが、その人にもちゃーんと四季があって、実りのない時季を過ごしているはずです。それをしっかりと受け止めなて、収穫の季節に備えて心も体も準備をしています。好循環の人は、いつも大切な時として受け止めて、感謝し、全力でその時その時を生きているのだと思います。 反対に、いつも貧乏くじを引いてばかりで、何をしてもうまく行かないように見える人がいるかも知れません。しかし、その人にも同じように四季はやって来ているはずです。いつもその時を感謝しないで、「こうなったらいいのに!?」と無い物ねだりをし、うまく行かないことを人や状況のせいにして何もしようとしません。そのように生きていると、せっかくチャンスがやって来ても、チャンスをチャンスと思わないので、チャンスは素通りして去ってしまいます。 人生には四季があります。あんなに暑かった夏が終わり、秋が深まりつつあるように、人生はいつもツライことばかりではありません。ただ、秋の収穫を迎えるためには、冬の時期にしっかりと準備をし、春に種をまき、夏にまいたものを成長させることが大切です。そして、冬が来たら、次の春の種まきの時期に向けて準備をすることです。そして、すべての四季を楽しむことが大切です。 「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙 第一 5:16~18) どの季節にも良さがあります。そして、どの季節も必要です。同じように、私たちの人生のどの季節も素晴らしいものであり、必要なのですよね。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書 3:11)
2012年09月27日
コメント(0)
おはようございます。とても気持ちのいい朝ですね。今日も元気に素晴らしい一日でありますように。 イギリスのことわざに、 一日の間、幸せでいたいならば、床屋に行きなさい。 一週間、幸せでいたいなら、車を買いなさい。 一ヶ月間、幸せでいたいなら、結婚をしなさい。 一年間、幸せでいたいなら、家を買いなさい。 一生の間、幸せでいたいなら、正直に生きなさい。 このことわざは、正直に生きることの大切さとすばらしさを私たちに教えてくれます。 みなさんは経験ないですか? 些細なことで見栄を張ったりするために嘘をついてしまって、その嘘がバレそうになり、その嘘を隠すためにさらに嘘をつき、嘘をつき続けて、終いにはどういう嘘をついたかもわからなくなってしまって、ある日、嘘がバレてしまったということを。 子供の頃であるならば愛嬌で終わっても、嘘をついて、その嘘を隠すために嘘をつき続け、バレた時には気まずいものです。場合によっては信頼を失ってしまうことがあります。嘘は、一次的に得をしたようでも、長い目で見たら大損です。 このことざわは、「正直に生きなさい」と言うことを伝えたいがために、一日の幸せ、一週間の幸せ、一か月の幸せ、一年間の幸せを引き合いに出して、「確かにそうしたら幸せだろうなー」と説得した後に、これよりももっと幸せがあるよ、しかも、一生の幸せだよ、その秘訣は正直さだよ、と締めくくっています。 ところで、私は18歳の時にクリスチャンになりました。20歳の時に神様に自分自身を捧げて、牧師になる決断をしました。それ以前の人生は、自分の好きなように生きていて、楽しく幸せなはずですが、そうではありませんでした。自分の弱さとか、自分の間違いを認めたら負けだと思っていました。だから、人に馬鹿にされないように弱みを隠し、強がって生きていたと思います。ある時は、見栄のために、持ってもいないのに、「俺は○○○を持っているよ!」言ってしまいました。その相手は、「それなら見せてよ。ぜひ見たい。今から行こう!」と言うのです。「まずいことになった!?」と内心思いました。その嘘を隠すために、色々な言い訳や嘘をつかざるを得なくなりました。私はその人を避け続 け、嘘はバレませんでしたが、嘘をついたことを後悔し、自分が悪人になったような気分になり、いい事は何もありませんでした。 しかし、クリスチャンになった後の人生は、イエス・キリストが十字架と復活によって私を救って下さったと信じた後には、ありのままの自分を受け入れることができ、神が私を愛して下さっているならば、見栄を張ったり、格好つける必要がなくなり、とても楽になりました。 だからと言って、全く嘘を絶対ついていないか?と言われたら、「私は嘘をつきません」と言い切れる人が一番嘘つきなんじゃないかと思うほど、嘘をつかないで生きて行くことはできません。ただ、自分の見栄のために嘘をつく必要がなくなったというだけ、ほとんど嘘をつくこともなくなりました。嘘をつく可能性がある時には、「それは言いたくありません」「それは言えません」と言ったり、黙秘権を使ったりします(*^_^*) この嘘をつく必要のない人生を歩めるだけでも、クリスチャンとしての歩み幸せです。それだけ多くの人が嘘を塗り固めたような人生を生き、そのことのせいで信頼を失ったり、後ろめたい思いを持ち続けたりしています。少し前に逮捕された、オウム真理教の特別手配犯たちは、何百回嘘をつき続けたのか? あるいは、いつも嘘ばっかりなので、何が正しいのか? がわからなくなってしまったのではないかと思うほどです。 正直な人生は、損をするように感じたり、格好よくないと感じることもあるかも知れません。正直者はバカを見るでしょうか? 事実、短期的に見たらそういうこともあると思います。ただ、長期的に見たらそうではありません。一生幸せです。バカを見て損をするのではなく、嘘をついて一時的に得をしたけれど、長期的に見たら痛い思いをしている人(バカ)を見ることになります。 正直者は一生幸せですが、さらにクリスチャンになりますと、永遠に幸せです。私は今日のことわざに一つつけ加えたいです。「永遠に幸せになりたいなら、イエスを信じなさい。」 どのくらいの間幸せに生きるかは、一人一人が決めることですが、共に幸せな人生を歩み、この日本に幸せな人を増やして行けたらいいですね。そして、ブータンを超える、「世界一幸せな国」と言われるような国になれたらいいですね。日本が幸せになったら、その幸せのおすそ分けを世界にすることが出来ます。私が好きな歌に ♪幸せ運べるように♪ という曲がありますが、「幸せを運ぶ日本」になれたらいいですね。いつもありがとうございます。
2012年09月26日
コメント(0)
おはようございます。今日も素晴らしい一日が始まりました。私は、大切なあなたのことを考えると、心踊るような気持ちになります。 「大切なあなた」というと、松田聖子さんが作曲・作詞をして、歌った歌を思い出すのではないかと思います。 「めぐり逢えたね 待っていた 運命の人に 広い世界で ひとりだけ 大切なあなた」 これは恋を美しく歌い上げた歌です。恋は美しいものですし、その恋があるから、素敵なカップルが誕生します。しかし、恋には賞味期限のようなものがあって、いつか期限が切れてしまう日が来ます。 その日が来た時、二つの選択肢があります。一つは、別れることです。もう一つは、恋を愛に変えて関係を深めて行くことです。 恋は、「アバタもエクボ」に見せます。しかし、恋の賞味期限が切れる頃には、「アバタはアバタ」であったことがわかります。そのまま放って置きますと、「エクボまでがアバタ」に見えるようになります。その時、前者の選択をする人は、その関係にピリオドを打って、未練もあるかも知れませんが、次の恋に心を向けます。しかし、後者を選択する人は、「アバタをアバタ」として、そのままで受け入れ、イイ悪いを言わないで、付き合いはじめた時よりも深い愛情で相手を大切にします。前者を「恋」と呼び、後者を「愛」と呼びます。 結婚をしたことがある人ならこのことがわかると思いますが、恋の賞味期限が切れる日は必ず来ます。恋はいつまでも続くものではありません。しかし、愛はいつまでも続きます。愛は、人を結婚に向かわせ、結婚の関係を深め、永続させます。 「いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」(コリント人への手紙第一13:13) 人が結婚をする動機は、「愛されたい」からだと思います。しかし、実際は、愛を相手に求めることはあっても、こちら相手を愛するということはとても難しいことです。 聖書が教える罪は、神から離れた人の状態を指します。神は愛ですから、愛である神から離れた人間には愛がありません。罪を自覚することはそんなに難しくありません。悪い行いをするとか以前に、自分の心に愛がないことでわかります。創造者から離れた人は愛が空っぽです。 しかし、神は、2012年前のクリスマスに、一人子イエス・キリストを地上に送って下さり、十字架の死と復活を通して、愛のない私たちをあるがままで包み、愛し、受け入れて下さって、愛の神と直結させて、愛のある人にしようと、聖書を通して招いて下さっています。 神はあなたを愛しています。神から見たあなたは「大切なあなた」です。一人子イエス・キリストを十字架にかけるほどあなたを愛し、あなたを大切にして下さっています。 その愛を受け入れたら、神の愛にどっぷり漬かることになります。漬物が漬けたものの性質に変わって行くように、あなたは愛のある人に変わって行きます。その愛で自分を愛して大切にするようになります。そして、自分を大切にできるようになると、自分のパートナーを自分と同じように大切にできるようになります。そして、その愛はお互いに時間が経てば経つほど深まって行き、幸せを感じられるようになります。お互いが「大切なあなた」になります。しかし、愛はここで終わりません。愛は、他の家族や身近な人に向けられて行きます。そして、他人にも向けられて行きます。そして、その愛は世界中にまで向けられるようになります。 そうなるためには、イエス・キリストを通して愛の神と直結されるところからはじまります。それは、この世の中で一番大きい奇跡です。愛が奇跡だと言えるのは、芸能人たちを見たらわかります。松田聖子さんも3回結婚をしていますが、2回は離婚をしています。また、アメリカの離婚率は60%です。つまり、二組のうち一組以上が離婚をします。日本の離婚率は38%です。三組のうち一組以上が離婚をします。 さらに、離婚をしないカップルの中には、経済的な理由、宗教的な理由、世間体などを気にしているからで、実際は、家庭内別居をしていたり、実際に別居をしていたり、不倫をしていたり、愛が冷め切っている仮面夫婦、表面上だけのカップルも多く含まれているはずです。それは、愛することがいかに難しいかを如実に見せてくれています。 あなたはどうですか? 大切な人を愛していますか? 心から大切にしていますか? 私は、もし夫婦が愛し合うことができるならば、人生はそれだけで、とても幸せになれるのではないかと感じます。聖書は、世離れした崇高な生き方を教えているのではありません。今のあなたの環境の中で、神があなたを愛しておられるように、自分自身を大切にし、あなたのパートナーや家族を大切にし、さらに、その同じ愛で、出会う人すべてを大切にして行くことです。 しかし、その愛は難しく、神だけが持っています。そうであるならば、神から愛を頂いて、あなた自身からはまりますが、やがて、この日本と世界が、お互いに「大切なあなた」と思い合えれば、共生し、共存し、平和で幸福に生きて行くことができます。本当は、お互い「大切なあなた」なのに、悪魔は、お互いに憎み合い、仲違いし合って生きるように騙しています。でも、私たちからはじめて行きましょう。お互いに「大切なあなた」なのですから。今日も、素敵なみなさんに取って最高の一日となりますように祈ります。
2012年09月25日
コメント(0)
2012年09月24日
コメント(0)
2012年09月23日
コメント(0)
朝礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/E0xhQkpk0Pw 朝礼拝(説教~最後) http://youtu.be/H3p5oepw4mg 夕礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/7Q9IrLnvZl4 夕礼拝(説教~最後) http://youtu.be/Gn5pcoALM_o
2012年09月23日
コメント(2)
今日は、私の働いている「新宿福興教会」の「創立11周年」を記念する日です。今日は、少し教会の歴史についてお話をしたいと思います。 新宿福興教会は、2001年9月23日にJR中央総武線の大久保駅北口駅前のカラオケ喫茶の「パラダイス」と、西新宿の「ストーク・マンションの一室」の二ヶ所でスタートしました。それぞれの場所に20名くらいの人が集まり、順調なスタートをしました。 カラオケ喫茶を「第一チャペル」、西新宿の「マンション」の一室を「第二チャペル」と名づけて、二ヶ所で教会はスタートしました。しかし、「第二チャペル」は、しばらくして、場所を提供して下さった方の都合で閉鎖になり、さらに「第一チャペル」は、4ヶ月後に場所を提供してくれたカラオケ喫茶のママさんが大家さんから追い出されることになって、教会の活動を行う場所がなくなってしまいました。カラオケ喫茶のママさんが大家さんから追い出された理由は、定休日の日曜日に、教会に場所をお金を取って又貸ししているということが理由でした。もし、無料で教会に貸していたならば問題は起こりませんでしたが、一回の日曜日ごとに、光熱費やトイレットペーパーなどの消耗品代の500円を支払って いました。一ヶ月2000円程度でしたしたので、タダ同然ですが、もし私が、「一銭もお金を支払っていません」と言えばおとがめはなかったのかも知れませんが、正直に話しましたので、お店ごと追い出されることになりました。 私は、とても申し訳ないと思って心を痛めました。当時、カラオケ喫茶のママさんはクリスチャンではなく、教会の働きに賛同し、私の情熱に惚れ込んで教会に場所を提供してくれていただけでしたので、「こんなひどい目に会って、神も仏もあるもんか!」と言う思いになってしまってもおかしくなかったと思いますが、後日ママさんは、現在の教会の場所を訪ねて来られ、「私を信仰に導いて下さい。洗礼を授けて頂きたいです。」と言って来られました。当時の私の対応を見て、神様が間違いなくおられると感じられたそうです。私も神様が生きておられることを感じました。 カラオケ喫茶と共に、教会も場所を失いましたので、一週間、毎日歩き回って場所を探しました。土曜日の夜になり、ヘトヘトになって友人の教会を訪ねたら、こころよく「夕方に、この教会で集会をしたらどうですか?」と言ってくれました。ギリギリで教会の場所が見つかり、とても感謝でした。しかし、お借りしている教会よりも、私たちの教会の方がたくさん人が集まっていましたので、きっとやりにくかったからだと思いますが、3ヶ月後に、「もうそろそろ、新しい教会の場所を見つけて下さい!」と言われました。また、教会の場所を失うことになりました。その日、教会員が心を合わせて、ひたらすら、「神様、教会の場所を与えて下さい!」と祈りました。 翌日、教会員の一人から電話が入りました。職場に行ったら、物件募集のチラシがFAXで送られて来たので、手に取って見たら、これだ!と思ったそうです。はずんだ声で、「菅野牧師、早速いい場所が見つかりましたよ。ここなら教会と新しい住居が同時に叶うんじゃないですか!」と、すぐに電話を切り、FAXを送ってくれました。 住居というのは、当時私は、妻と生まれたばかりの赤ちゃんと3人で狭いアパートに暮らしていました。そのアパートで不思議なことが起こっていました。床から汚い水がにじみ出て、部屋の床一面がびしょびしょになっていました。応急処置として、お風呂に敷くバスマットを敷いて、ジメジメした不快な生活を続けていました。ある日大家さんに相談すると、「ひとり暮らしをするアパートに夫婦と赤ちゃんひとりが一緒に生活しているからそんな問題が起こるんです。部屋が壊れてしまうので一ヶ月後に出て行ってもらえませんか?」と言われていました。何と、教会の場所を失ったと同時期に、住居も失うことになり、アルバイトをしながらわずかな収入で生活をしていた私は、ただ呆然としていました。しか し、「神様、助けて下さい!」と、毎日叫んで祈っていました。そんな時に、教会と住居を兼用できるビルの物件のチラシが私の手元に届きましたので、涙が止まらず、深い感動を覚えました。その用紙には大家さんの電話番号が書かれていましたので、早速電話をしたら、「すぐにお会いしましょう!」と言われ、その日のうちに契約することに決まりました。 教会は、それから約10年半が経ち、今日が教会創立11周年記念日です。振り返って見ると、数数え切れないほど多くの人が教会に足を運んでくれました。教会のある新宿という町は、何でもあるところです。しかも、国際的です。どんな人が来てもおかしくない場所です。ホームレスの人もたくさん来ました。やくざや人を殺して刑務所から出てきたばかりの人も来ました。ホストや売春婦、ビザのない外国人、主婦、サラリーマン、弁護士、医者、議員、教師、芸能人、子供たち、他の教会で傷ついて、教会に行ってなかった人たち、精神病、生活保護を受けている人、障害者、全盲の人、赤ちゃんから年寄りまで、ありとあらゆる階層の人たちが教会に来て、信仰を持ち、いやされ、救われ、天国への道を歩きはじ めました。 一度教会に来られた人が、ずっと通い続けていれば、すでに何千人もの教会になっていると思いますが、一回だけしか来られない人もいます。でも、その一回の出会いで信仰を持ち、次にお会いした時には冷たくなっていた人もいました。また、数回だけ教会に来られる人もいました。その人は、短期の東京出張やこれから通うべき教会を探すために一時的に来られたり、病気のいやしや問題の解決を求めて来られた方もいます。その方々には、待合室のベンチのような教会だったかも知れません。もちろん、ずっと教会に通い続け、信者として牧師や教会を支えてくれている人たちもいます。 平日は、出前牧師として、毎日のように、牧師を必要としている人のところに出かけて行ってお祈りをしたり、聖書を教えたり、カウンセリングをしたり、便利屋さんのように色々なお世話やお手伝いをしたり、結婚式やお葬式の司式をしたり、講演会にお話に行ったり、ゴスペルの音楽の指導や演奏に行ったり、出前牧師として一人一人のニーズに答える働きをしています。 しかし、教会や牧師の働きには決まった会費や料金がありません。全て自由な献金だけで運営されています。それは自発的なもので、通常、教会の集会に来られると一回1000円くらい献金する人がほとんどですが、中には、毎月収入の1/10以上を喜んで献金して下さる方もいますし、お賽銭のように、5円や10円を献金する人もいますし、献金はしないのに、言いたいことを言って、食事をして帰る人もいます。それが献金ですので、額の多い少ないで対応が変わるということはありません。しかし、教会の献金だけでは、教会の維持に加えて、牧師の家族が生活をしなければいけませんので、生活費までを考えると、とうていまかなうことができません。しかし、11年間不思議なことが毎月起こりました。教会に通ってい ない外部の方々が支援献金を捧げて下さったのです。中には、インターネットで私たちの教会の働きを知って、現金書留でお金を郵送してくれたり、教会の口座に送金して下さる方もいました。その中には、面識がなく、一度も会ったことがない人もたくさんいます。まさに神様が働いて下さり、色々な方を通して教会の必要経費を与え続けて下さったのです。この一点だけでも、神様が生きておられると感じざるを得ません。 インターネットのこの文章を読んで下さる方の中には、毎週教会に来られる方もいますし、一度も教会に来られたことがないし、私とお会いしたことがない人もたくさんいます。しかし、このようにして文章を通じてみなさんと心を通わせ、交流することができることを感謝しています。私は、毎日交流しているあなたのその好意とお祈りによって支えられ、今日の私がいると思っています。いつもありがとうございます。私はこれからも、みなさんをはじめ、地域の方々、出会う方々と共に働き牧師として働き続けたいと思っています。東日本大震災で被災した方々、色々な悩みを持ち、生活に困っている方々のために仕え、全世界に向かってキリストの福音を宣教し、やがて、多くの宣教師を送り出し、世界的な 規模で神の愛を実践し、その教えを広めて行きたいと思っています。どうぞ、これからもよろしくお願いします。 今日も、教会での集会を生放送し、後で、録画配信もいたします。よかったらご利用ください。また、お近くに来られたら、教会にお立ち寄り下さい。神様の祝福がありますようにお祈りをいたします。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年09月22日
コメント(1)
おはようございます。雨が上がり、秋らしい気持ちの良い朝ですね。良い週末をお過ごし下さい。 私たちは、心が疲れてしまう時があります。その原因は様々ですが、ある女性は、ご主人の死をきっかけに心が疲れて外に出れなくなってしまいました。また、ある男性は、大学受験をきっかけに引きこもりになってしまいました。今多くの人の心が疲れているように思います。 そして、そのことが表面に現れた時に、まわりの人の対応も様々です。 (1)腫れ物に触れるように接する人がいます。その人は、どう扱ったらいいのかわからないので、おだてたりなだめたりします。 (2)同情する人もいます。「かわいそうだね」「つらいんだね」等の言葉を連発し、相手に同情して、相手を弱い人と扱って対応します。しかし、その人自身はいいことをしていると感じるでしょうが、心が疲れた人を弱者として扱うために、自分で回復する力を削いでしまう場合があります。相手の可能性を信じてあげることも必要です。 (3)励ましたり、無理な指示をする人もいます。「こうすればいいんだよ」とか、「がんばらなくちゃ」と励ましたり、相手が間違っていると決め込んで、そこから抜け出させてあげようと無理な指示をします。そうすると、その人は「私は人に迷惑をかけているのではないか?」「周囲の期待に答えられない私はダメな存在だ。」とますます疲れを増長させてしまいます。ゆっくりと自分自身を見直す時として見守ってあげることが大切だと思います。 そして、ここでしてはいけないのが犯人探しです。「自分のせいではないか?」とか、「あの人のせいではないか?」とか、「その人自身が弱いからいけないのではないか?」と、責任の所在を明らかにし、犯人を探そうとします。しかし、そんなことをしても全然相手の助けにはなりません。 そんな時、しっかりと受け止めてあげること、そして、相手のあるがままを受け入れてあげることが大切です。「あなたはあなたでいいんだよ。」と、相手の行為や目に見える部分ではなく、存在そのものを受け止めてあげることが必要です。そうすることで、その人自身が自分の足で立ち上がって行くことが出来るようになります。 そして、あなた自身の心が疲れてしまった時には、自分に対して前述したように接して行くことと、もう一つの奥の手を紹介したいと思います。それは、2012年前のクリスマスに生まれたイエス様が、『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。』と言われました。みなさん、イエス様のもとこそ、永遠の安らぎといやしがあります。 私は18歳の時に、人生に息詰まって「死んでしまいたい」と本気で思いました。そんな時、私の本棚にあった一冊の聖書に目が留まりました。そして、無我夢中で聖書を読んでみました。その時、この『わたしのところに来なさい。』という言葉に出会いました。自分の居場所を失い、消えてしまいたいと思っていた私に取って、自分の居場所を発見した思いで我を忘れて祈りました。「私を救って下さい。」と。その瞬間、いいようもない安らぎを感じて、涙が止まりませんでした。そして今日、その救われた喜びがあまりにも大きいので、神様に自分の生涯を献身して牧師になりました。 今でもその感動は消えていないどころか、ますます大きくなっています。私たちの心が疲れる時、それは、自分自身の黄色信号が出ている時です。ですから、ゆっくり自分の人生を見つめ直したり、立ち止まって見る時間とされたらどうでしょうか? そして何より、神と出会う時となったら素晴らしいと思います。 今日心が疲れていませんか? それは、最もすばらしい恵みの時かも知れません。きっとその疲れた心に優しい声が聞こえてくると思います。良い一日でありますように。
2012年09月21日
コメント(0)
おはようございます。今朝も元気でお目覚めでしょうか? 最近私は、朝起きると、まず「とうもろこしのひげ茶(Corn silk tea)」を飲みます。そうすると、体のスイッチが入ります。これは、韓国で数年前からはやっているお茶です。効能は、利尿、止血、血圧降下、血糖値降下作用、むくみ、膀胱炎、腎臓病、高血圧、糖尿病などに効くそうで、香りとまろやかさがあり、さっぱりした後味がたまらないです。 私は、韓国人の妻と結婚をしていますので、家庭では半分韓国、半分日本という感じです。食事は、完全に入り混じっていて、さらに、他の国の料理も混ざって出て来ますので、多国籍料理という感じがします。早いもので結婚して15年が経ち、その料理にもいつの間にか慣れてしまいました。 韓国料理は、簡単にいえば、「辛いか? 辛くないか?」のどちらかです。辛い料理も多いですが、辛くない料理もたくさんあります。前述の「とうもろこしのひげ茶」は、辛くないですし、おそらく日本人の口にとても合うお茶だと思います。新宿の新大久保まで来たら、どこでも買えると思います。お薦めです。 しかし、子供たちの間では賛否両論があります。4人中2人は「おいしい!」と言いますが、2人は嫌らってます。「ピーナッツの匂いがする」とか、「誰かのひげが入ってるお茶だから飲みたくない!」などと言います。食べ物の好き嫌いを決める要素の中には、味のほかに、香りや見た目なども含まれますね。それと、名前も重要です。 「ひげ茶」という名前が、口のまわりに生える「ひげ」を連想してしまうというのは、感受性がするどい子ということもありますが、確かにそうだなーと思います。 食べ物は、味だけで決まるのではなく、香りや見た目、名称などで人に与える印象が変わります。これは食べ物に限らず、どんなことでも言えるのではないかと思います。例えば、私たちが使う言葉です。 話す言葉が人に与える印象は、話す時の表情やジェスチャー、また、どんな気持ちで話をするか、確信を持っているのか? 嘘をついているのか? 相手に感謝を持っているのか? 相手を貶めようとしているのか? そして、否定的や肯定的というような言葉の表現や方向性など、総合的なものだと思います。 私は、説教を含め、パブリック・スピーキングに関心があります。そこには、トータルな人間性が出ますし、非常に奥深いものがあると思います。ある言語学者は、「牧師は、教会で毎週人々に説教するので、最も人に影響を与え得る職業だ」と言いました。しかし、それはいい影響だけではなく、マイナスの影響も含めてです。だからこそ、説教(講演)前は、祈りに集中し、神の御霊に満たされ、喜びと確信を持って語るために心の備えをします。仮に、同じ原稿を読むだけでも、いらだっている状態とうれしくてたまらない状態では、全く違うものとして聴衆に伝わるものだからです。 しかし、これはパブリック・スピーキングに限らず、夫婦や親子の会話から、知人とのあいさつ、友人との会話、電話での会話、仕事の打ち合わせ、恋人同士の語らいなど、些細なものであっても、会話は、相手や周囲の人に大きな影響力を与えていますし、会話以前に、楽しい雰囲気の場所に、1人のいらだった人が来ただけでその雰囲気が汚染されるように感じることがあるでしょうし、トゲトゲしい雰囲気の場所に、1人の友好と愛に満ちた笑顔の人が入って来ただけで、その場の雰囲気がよくなったりするものですよね。 私は、1日のはじめに聖書を読み、、静まってお祈りの時間を持ちます。そこで神と対話をし、1日の計画を立て、静かな充電の時間を持ちます。朝の30分や1時間が、1日の全てを変えてしまうほどすばらしい時間です。ぜひみなさんにもお奨めしたいです。 「主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。」(詩編37:7) もし、朝早く起きれないとしたら、夜早く寝たらいいのです。しかし、夜遅く寝て、朝早く起きると睡眠時間が少なってしまうと1日が台無しになり、本末転倒です。今の時代は、社会全体が夜型ですよね。夜型を無理に朝方にすることも難しいので、寝る前のパソコン、読書など、興奮させることは極力控え、祈りながらさっと寝て、朝起きたら、とびきりの自分だけの時間をたっぷり持って、1日をはじめられると、その1日は、2日分にも3日分にもなるものです。そこで心整え、喜びと平安と力を得て、1日の計画を立て終わってから1日をスタートしたら、きっと、その日に話す言葉、相手に与える印象は、何も時間を持たない時と比べて全く違って、好印象を与え、仕事も大きく飛躍し、祝福されるのではないかと 思います。 今日も最高にすばらしい1日でありますように、心からお祈りいたします。
2012年09月19日
コメント(0)
おはようございます。雨が降ってだいぶ秋らしい朝になって来ましたね。みなさんはいかがお過ごしですか? 世の中、ダイエットが息の長いブームになっていますよね。私は、健康でさえあれば、あんまりダイエットには興味がないんですが、実は、何度か挑戦したことがあります。 体重計ダイエット、バナナ・ダイエット(他にも、食べ物の名前+ダイエット)、野菜から食べるダイエット、炭水化物を減らすダイエットなど、あとは、食事を減らして、毎日適度な運動をするなどもしました。でも、どれも急激にやっても長続きしないものです。一つの理由は、楽しくないからです。きっと楽しいダイエットがあったら長く続くのでしょうね。今は、長ーい目で考えたダイエットを心がけています。毎日の適度な運動+ほんの気持ち減量をしていますが、何かよいダイエット法があったら教えて下さい。 時々、ダイエットの話題をあちこちで耳にすることがありますが、自分より遥かにやせていると思える人が、「ダイエットしないと!」っていう言葉を聞くと、私は、その人から見たら、もっともっとダイエットが必要な人に見えるんだろうなーと、ふと感じてしまいます。でも、北朝鮮のような国に行くと、太っている人の方が好感度が高く、モテるようです。「太っている≒お金持ち≒この人と結婚をしたら豊かな生活ができる」というような連想だと思いますが、日本の若い女の子たちは、モデルさんのように細いのに、まだ「やせたい!」っていう話を聞くと、見た目はすっきりしても、健康のことが心配になったりします。医学的な見地から一番健康で長寿な体型は、小太りだそうです。そして、ダイエッ トの意味は、「健康的な体型になるための食事療法、または食事そのもの」ですので、やせ過ぎた人のダイエットは太ることでもあるのです。ダイエットは、健康という見地から見ていくことが大切じゃないかと思います。 ところで、小文字の「diet」は減量の意味で使われますが、それが大文字になると(the Diet)「国会」という意味になります。この時期、民主党の代表選挙と自民党の総裁選挙で街は賑やかですが、これは、次期首相を選ぶ選挙であり、また、次の衆議院解散総選挙の党の顔を選ぶ選挙でもあるので、重要な選挙だと思います。最善の人が選出されるようにお祈りして行きましょう。 「diet」 は、「一日の仕事」というラテン語から来ていますので、国会は、「一日かけて審議する場」ということになると思います。日本の国会は、「一日かけてじっくり審議すること」に重点が置かれているからなのでしょうか、TVの「国会中継」などで、長時間のお疲れの余り居眠りする議員の姿が時々映ったりしていますよね。時間をかけることは悪くありませんが、本当の意味で国民のことを第一に考えた話し合いが持たれることを願いします。本当は、国の問題は、国民全員で話し合わなければなりませんが、一緒に集まることも難しいですし、また、たくさんの意見が出て収拾がつかないので、国民の代表を選んで、その代表が国会の場で議論をして、ものごとを決めているはずですが、どうも民意が反映されず 、国民不在で話が進められているように感じることがあります。私は、それに対して、ただ批判をしたり、中傷し合うのではなく、祈ることが大切だと思います。 「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい。それは私たちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、また、みこころにかなうことである。」(テモテ第一の手紙2:1~3) 天皇皇后両陛下と皇室のため。政府と為政者のため。日本のリーダーたちのために。世界中の政府と首脳たちのために、毎日お祈りをして行きましょう。 体の健康のためのお祈りも大切ですが、指導者、リーダーたちのための祈りは、正しい判断を神様が導いて下さることで、安らかで静かな一生を過ごし、真に信心深くまた謹厳に過ごすためですので、それは、私たちの幸せのための祈りでもあります。 最近は、世界中で地震、津波、台風や集中豪雨、火山爆発などの自然災害が起こったり、戦争や内戦やテロや過激なデモが世界各地で聞かれます。祈る課題はたくさんあります。 祈る対象の神は、愛そのもののお方です。全人類・全被造物を創造された「天の父なる神様」です。この方は、イスラエルだけの神ではありません。欧米諸国、キリスト教国だけの神ではありません。すべての国、すべての民族、すべての宗教、すべての肌の色、すべてのイデオロギー、すべての言語、すべての文化を超越し、命をかけて愛して下さっているお方です。私たちは、その天の父なる神様の子供たちですから、兄弟姉妹であり、家族なんですよね。私たち兄弟姉妹、家族のために祈り合って行きたいですね。いつもありがとうございます。素敵な一日でありますように。
2012年09月18日
コメント(1)
おはようございます。連休明けで、体が思ったように動かなくて、仕事をする気になれない人もいるかも知れませんが、どうぞ無理しないで新しい週をスタートして下さい。 昨日は、一日ゆっくりと過ごす予定でしたが、充実した一日になりました。土曜日に鍼治療に来てくれた友人から「その後の腰の症状を見たいので行っていいですか?」とメールが入りました。この表現は、私に精神的な負担をかけない配慮だと思いますが、感謝を込めて「ありがとうございます」と返事をさせてもらい、お昼過ぎに再び訪問して頂きました。 その予定が決まった途端、心にスイッチが入って、急にのんびりしてられない気持ちになり、日曜日の説教の準備をし始めました。何時間かで順調に準備が完了し、シャワーを浴びているうちに友人が到着しました。 ぎっくり腰になったことはある意味不幸ですが、そのことで、友人の温かい愛の心にふれることができましたので、同時に感謝です。友情の素晴らしさを感じさせてもらえて幸せです。 鍼治療は、「これでもか!」とばかりに入念にやって頂きました。何度も痛点に入り、「うわーっ!」という声を思わず上げてしまいました。体をよじりたくなるような痛みですが、腰の症状が段々よくなって行くのです。友人が言うには、鍼をさすことで、鍼でさされた部分の痛みを緩和させるために、頭からモルヒネのような成分が抽出されて、痛みがやわらいでいきます。また、鍼でさすことで、ぎっくり腰によってできた凝りや張りがほぐされたり、自然治癒力が高まって腰の捻挫で傷んだ場所が治療されるようです。 鍼治療は、昔、中国から伝わって来たそうです。こんな治療法を考えた中国人の知恵はすごいなーと感じます。ところで、中国といえば、最近、反日デモが過激化して、このままでは戦争に発展してしまうのではないかと危惧してしまうような勢いです。「神様、どうぞ争いを止めさせて下さい」と、ただ祈るばかりです。本来仲良くしなければならない隣国同士がこのようになるのは、背後で悪魔が同士討ちするようにけしかけているなーと感じます。ぜひ、平和が与えられるようにお祈り下さい。 鍼治療は、「チクっ」と鍼をさすことで、痛みを緩和させたり、治療をします。これを知った時に、神様が私たちに与えられる試練も似ているなーと思いました。試練は痛いものです。試練の痛みは悲しみを感じさせ、深く傷つくこともあります。しかし、神様は、試練という鍼を私たちにさして、私たちを治療しておられるのだと思います。 人は、痛い思いをすることで目を覚まし、真剣になりますし、謙遜になります。試練に会って痛むことで人に優しくなったり、自我が砕かれます。神様は、試練を通して確実に治療されていると思います。さらに試練は、自分の小ささを知らせ、自分を超える存在、すなわち神を認められるようなやわらかな心にしてくれます。聖書は、神が救い主であり、癒やし主であると語ります。試練は痛いですが、人を神に向かわせ、神と出会うようにさせ、結果、神による治療、救いといやしが与えられます。 みなさんは、試練という神様の鍼治療を受けておられますか? 痛みはありますが、その痛みは、あなたを完全にいやし、完全に問題解決させ、完全に救うための神様の愛なのです。ですから、試練を感謝し、試練の中で神様に近づいて行って下さい。 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。」(ヘブル人への手紙12:11) 昨日は、のんびり過ごす予定でしたが、結果的に忙しい一日になってしまいました。しかし、一日を有効に使うことができました。一週間のうちで一番重要な説教の準備が終わりましたし、ぎっくり腰の二回目の治療をして頂きましたし、その後、友人とラーメンを食べに行って、楽しい時間を過ごしました。そして夜は、集会の賛美指導(リード)をする予定で、その準備だけは終わっていましたが、何と、「説教(講演)者が急に来れなくなりました」と電話が突然かかって来て、準備する時間もないのに、「菅野牧師にお話もして頂けませんか?」と頼まれました。普通は、いきなり「お話をお願いします」と頼まれても、困ってしまうものですが、朝から丁度説教の準備をしていましたので、準備万端です。 神様は、私がぎっくり腰になることを許されましたが、同時に、鍼灸師の友人を通してぎっくり腰の治療をしてもらえるようにして下さいましたし、ぎっくり腰によって、他者の腰が痛いという痛みを理解できるようにして下さいましたし、ぎっくり腰になって、心が弱くなりましたが、その分神様を信頼し、頼ることをさらに学ばせて頂きました。ぎっくり腰になることによって、いつもよりゆっくり過ごさざるを得ないので、強制的に私の体を休ませることができました。ぎっくり腰になって、丸一日がかりの大イベントに行けなくなり、その時間に説教準備をすることができて、その説教は日曜日に語る予定のものですが、昨晩、突然説教の依頼を受けましたが、そのための準備はすでに終わっていました。こ の他に、一つ一つ丁寧に書いて行ったら書ききれないくらいの神様の完全な計画、そして、神様の備えに、ただ驚きと共に、感謝で一杯です。 神様の試練は、神様の愛による鍼治療です。その治療は、根本的ないやしであり、解決です。その上、試練で私たちが潰されてしまうようなことはありません。試練と同時に、脱出の道が与えらているからです。 下記に引用する聖句は、1994年に、死者8名、重軽傷さは660名を出したオウム真理教による「松本サリン事件」で、第一通報者であった河野義行さんが、警察のずさんな捜査や、一方的な取調べ、さらに警察の発表を踏まえた偏見を含んだ報道により、無実の河野さんが、半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件が起こりました。この時の河野さんの心中を思うと心が張り裂けそうです。その試練は測り知ることができませんが、その時、河野さんを支えた聖書の言葉です。河野さんは、「ゆるす」ことを選択しました。 「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(コリント人への手紙第一10:13) 今日もすばらしい一日でありますようにお祈りいたします。
2012年09月17日
コメント(0)
おはようございます。新しい一週間が素晴らしい日々となりますようにお祈りいたします。今日は3連休の最後の日、そして、敬老の日ですね。みなさんはどのようにお過ごしですか? 私の場合、特にいつもと変わらないです。 ぎっくり腰になって3日が経ちます。通常、ぎっくり腰になったら2日~10日くらいは安静にするのがいいそうです。私の場合、二回ぎっくり腰の鈍痛が来ましたので、もう数日安静にしたいと思います。本当は、今日はキリスト教の大きなイベントがあって、家族で出かける予定にしていましたので、残念ですが、こういう休日を過ごすのも悪くないなーと最近は思います。 以前、牧師になる前に、フルタイムで仕事をしていた頃、休日は土・日・祝日でしたので、日曜日は教会、そして、土曜日は教会に備える日でしたので、家族で旅行をしたりするのは祝日でした。しかし、せっかくの休みの日なのに、どこに行っても混んでるし、車の行きも帰りも大渋滞にですし、イライラして、かえって疲れてしまっていたことを思い出します。そんな訳で、今日はゆっくり過ごして、深夜に一つ仕事がありますが、読書でもしながら贅沢な一日を過ごしたいと思います。もちろん、これは自分で選んだ過ごし方ではなく、ぎっくり腰さんによってほぼ強制的に与えられた贅沢ですけどね。 それから、ふと、2年ちょっと前に喘息の大発作による半月の入院の時を思い出しました。体がつらくてイライラするので病院に行ったら、即入院を言い渡され、そのまま入院しました。手元にあったのは携帯と聖書のみ。これも強制的に与えらた贅沢な時間でした。病院では、三食の食事を用意してくれますし、ベッドの上で読書したり、携帯をいじったり、昼寝をしたり、人生の中でこんなにゆったりと過ごすことはまずないだろうと思いました。もし今日、入院中の人とか、精神的な病いで仕事ができなかったり、引きこもっていたりして、何もしなくてもいい時間を過ごしている人がいたら、どうぞ、あせらないで、また、罪責感を感じたり、自責の念を持たないで、感謝して、今の時を楽しみながら過ごして 下さい。そこで、人生を振り返ってみたり、これからの計画を立てたり、夢を見たり、本を読んだり、日記を書いたり、何か創作をしたりしながら、かけがえのない時間を優雅に過ごして下さい。私は、今回のぎっくり腰や入院による強制的な休暇の時を感謝しています。私は、そうでもなければ、すぐに仕事を見つけて動いてしまいますので、神からのプレゼントと思っています。 今日は敬老の日です。一般に敬老の日に該当する年齢はいくつなのでしょう? 15歳未満が幼年、15~64歳が生産年齢、65歳以上が老年と分類されるそうですが、私のイメージでは寿命も伸びていますので、70歳以上の人を敬老の日のお祝いの対象にしたらいいのではないかと感じます。そうすると、私の両親はそれに該当しています。でも、親にとっての子供はいつまで経っても子供であるように、子供にとって親はいつまで経っても親です。そういえば、まだ両親に対してプレゼントをしたり、お礼の言葉を言ってなかったなーと思い返しています。やっぱり、心からの感謝の気持ちを何らかの手段で伝えることが必要だと感じますので、後ほどそうしたいと思いますが、もう一方では、敬老の日だけ両親や祖父母などの高齢者を大切にするのではなく、毎日毎瞬、いつも大切にし、感謝を伝え るようにしなくてはいけないなーと思います。「親孝行したいときには親はなし」という言葉がありますが、この言葉が「身にしみる」と言われるのを何度も聞いたことがあります。後で、「あー、あの時にもっと親孝行しておけば良かった(´・ω・`)」と心痛めても、時すでに遅しですからね。 聖書は、「あなたの父母を敬え。そうすればあなたは、あなたの神、主が与えられる土地に長く生きることができる」(出エジプト記20:12)と語ります。父母は、生きている今、この時に大切にし、感謝を伝えることが大切なんですよね。しかし、敬老の日のような時にも、改めて、お祝いしたら完璧です。さらに聖書は、父と母を敬う生き方に長寿を約束しています。本当にそうだなーと感じます。それは、私が関わった人の中で、私に敵意をむき出しにしてきたり、気難しくて付き合いにくいと感じる人のほとんど全てが、お父さんかお母さんとの関係が悪いということを後で知りました。親子関係とは、その人にとって一番最初の人間関係であり、一生続く人間関係です。この関係でつまずいてしまうと、他の 人間関係もうまく行きません。しかし、人間関係をよく持てる人は、ほとんど例外なく親子関係が良いことも知りました。聖書が、父母を敬う人に長寿を約束しているのは、そこに大切な人生の土台があり、そこが崩れると、すべてが崩れてしまいますが、そこを修復したり、良い関係を持てたら、全てが良くなって行くので、結果として幸せになり、ストレスがなくなり、長生きできるようになるので、神様は、私たちにそれを命じるのですね。 親が亡くなってから、高い葬式を出したり、高い戒名を付けたり、高いお墓を準備しても、絶対に心残りだと思います。 私は、敬老の日に想うことは、この日を、ただこの日だけにしないで、親を認め、大切にし、さらに、敬う生き方を決断する日にして行きたいなーと思います。みなさんはいかがですか? 両親、祖父母を大切にしていますか? これはもしかしたら、神様の助けがなければ難しい人もたくさんいると思います。あるいは、生まれた時から、ずっと麗しい親子関係を持っている人もいると思いますので、個人差がありますが、今まで親子関係が犬猿の中であった人もあきらめないで、死んだ後ではなく、今日、今、親を大切にする生き方を決断し、その決断を祝福して下さるように神様に祈れたら素晴らしいのではないでしょうか? みなさんに、そして、みなさんのご両親、祖父母の方々などに豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。
2012年09月16日
コメント(1)
朝礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/FaoUm8K9_a0 朝礼拝(説教~最後) http://youtu.be/HHF0t6wEE2Q 夕礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/tdp08TGFZxE 夕礼拝(説教~最後) http://youtu.be/NzLCkUg6euo
2012年09月16日
コメント(0)
おはようございます。素晴らしい日曜日を迎えられて感謝で一杯です。新しい一週間に神様の祝福が豊かにありますようにお祈りいたします。 昨日は、ぎっくり腰になったことを通して、自分の弱さを感じ、その弱さの中で自分の小ささを知り、神に頼る心が与えられて、神の助けを頂くことで、弱さが強さに変わるというお話をしました。 昨日の私の文章を読み、私がぎっくり腰になったことを知った鍼灸師の友人が、早速昨日のお昼に私の教会を訪問して下さり、念入りに鍼治療をして頂きました。「肩の荷が降りる」という言葉がありますが、「腰の荷が下りた」という感じです。当初は、内出血があり、「張り」と「腫れ」がありましたが、ぎっくり腰の当初の症状を100と考えたら、60~70くらいが治りました。本当にありがたい思いで一杯です。 弱さを覚え、痛みで動けず、日曜日の教会での説教(講演)のことを考えたら少し気が重くなりましたが、鍼灸師の友人の愛の奉仕は、私を励まし、支えてくれました。神様が友人を送って下さったと思っています。 謙遜とは、「等身大の自分を知り、その自分を受け入れ、その自分を生きること」と定義することができると思います。傲慢とは、「等身大の自分より自分を大きく見て、巨像の自分を生きること」です。しかし、反対に、「自分を過小評価して、自己卑下をして、卑屈に生きること」も謙遜ではなく、傲慢になるのだと思います。 弱さを感じる時、人は等身大の自分を知らされます。その時、自分を受け入れないで、自分を責めたり、嫌ったり、憎んだりすると、謙遜な生き方から離れてしまいます。だから、等身大の自分をそのまま受け入れることが大切です。なぜそうするのがいいのでしょうか? 神が等身大の私やあなたを愛して下さっているからです。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(Very Important Person in God's eyes.)」(イザヤ書43:4) 神が愛して下さっているならば、神が愛するものを愛することは自然なことであり、これが神に従う謙遜な生き方です。しかし、神が「あるがままのあなたを愛している」と言われても、「う~んううーん。私なんてダメな人です。」という反応が自然に出て来がちですが、これは、神に従わない傲慢な生き方です。なぜならば、神が愛するものを愛し、神が嫌うものを嫌い、神が悲しむものを悲しみ、神が喜ぶものを喜ぶことが謙遜な生き方だからです。 ですから、謙遜とは、自分を受け入れる生き方です。しかし、それができるのは、神の愛の力であり、神の愛は、ひとり子イエス・キリストの十字架を通して現され、与えられたのです。本当の等身大の私とあなたは、神から離れた罪人です。聖書は、「罪の支払う報酬は死である。」と書かれていますので、人は死と地獄の裁きを受けなければなりませんでした。しかし、その刑罰を、キリストが十字架で身代わりに引き受けて死んで下さいました。ですから、信じる人は誰でも、罪が赦され、神の子供として受け入れられ、復活と永遠の命が与えられます。 ということは、十字架による罪の赦しがわからないと、等身大の自分は汚く、嘘つきで、自分の利益しか求めない自己中心な存在ですから、とうてい自分を受け入れることはできません。神を知らない人に取っては、自分を受け入れられず、自分が嫌いで、自分を拒絶し、自分を憎み、死にたい!と思うことは、むしろ素直な自然な感情です。 しかし、しかしです。イエス・キリストが十字架であなたの罪の身代わりに死んで、復活して下さったので、信じるだけで救われます。そして、神の愛は人を造り変えて、自分を受け入れ、自分を好きになり、自分をいつくしみ、生きたい!と思うように変わります。 神は、罪を憎まれますが、人を愛しておられます。神が憎むものを憎み、神が愛するものを愛して行きましょう。これが謙遜です。 話を戻しますが、人が弱さを感じる時、等身大の自分と向き合わされます。その時、その自分を神が愛しておられることを知り、受け入れ、自分を生きて行く時に、神様の愛を感じますので、感謝が湧き上がります。さらに、私が経験しているように、弱さの中で、たくさんの人に助けて頂くことができたり、自分の足りなさを知り、にもかかわらず寛容であってくれた人々を思うと、ただただ感謝が湧き上がってくるのではないでしょうか? 弱さを知ることは、感謝につながります。そして、感謝をする人が不幸なわけがありません。感謝をしている人は間違いなく幸せです。弱さは、決してマイナスではありません。今日弱さの中にいる人は、神の招きを受けているのかも知れません。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28) 教会を通して神様は私たちを招き、私たちと出会って下さり、私たちを救って下さいます。どうぞ、初めての方も、久しぶりの方も、教会にいらっしゃいませんか? 教会では、毎週日曜日に神様を礼拝する集会が行われます。どなたでも歓迎です。 JR総武線大久保駅北口下車4分。東京都新宿区北新宿3-8-4 新宿福興教会 http://www.geocities.jp/sgr_ch/ お待ちしています。また、教会は日本中、世界中にあります。住んでる地域を教えて頂けたら、お近くの教会を紹介させて頂きます。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年09月15日
コメント(1)
おはようございます。今日も素晴らしい朝を迎えられて感謝ですね。素敵な一日、そして、週末をお過ごし下さい。神様の祝福をお祈りいたします。 「iPhone5」がアメリカで先行発売となり、日本でもまもなく発売されることになって、ドキドキしているのは私一人ではないと思います。 約一年前、期待していた「iPhone5」が出ませんでしたが、代わりに、「iPhone4s」が出て、スティーブ・ジョブス(Steven Paul Jobs 1955-2011)の遺作のような気がして、悩みました。当時、「iPhone4S」の「4S」は、「フォー・スティーブ(スティーブのために)」という意味じゃないかとささやかれ、買いたいと思い、多くのみなさんのご意見を頂いて、楽しい夢を見させてもらいましたが、結局買ったのは、「iPod touch 【32GB】」+「イー・モバイルのPocket WiFi【GP02】」 で、携帯は今までの携帯を使い、3台で「iPhone」と同じ機能を使えると思いましたが、実際はとても不便で、「しまった!」と思った時には後の祭りでした。 一年前、「iPhone4s」を買い控えたのは、「iPhone4s」に「テザリング(tethering)」機能が付いていなかったのが決め手でした。しかし、何と、au版ですが、新しい「iPhone5」には「テザリング」機能が付いているようです。新しい楽しい悩みが始まっています。 元来私は、物を大切にする人間です。それは悪いことではないと思いますが、私に取って一番大切にし愛するのは神様であり、家族や隣人です。しかし、物を大切にし過ぎると、いつの間にか、神や人よりも物を大切にしてしまうことがあります。聖書は、「このむさぼりが、そのまま偶像礼拝なのです。」(コロサイ人への手紙 3章5節)と書かれていますが、物やお金を一番大切にすることは偶像崇拝であると聖書は教えます。 大切なポイントは、物やお金を大切にしてはいけないというのではなく、神を一番にし、人を愛して、物やお金は人のために使うという優先順位が間違ってはいけないということです。 ここのところ、私が話題にしている「愛大国」ですが、戦後日本は、「軍事大国」から「経済大国」を目指し、焼け野原だった日本は復活しました。しかし今、「経済大国」になり、新しい方向転換が必要な時期に来ています。平成維新の向かう方向は「愛大国」ではないかと信じています。つまり、物やお金よりも、人が大切にされる国作りです。 国政政党化を宣言した「大阪維新の会」の「維新八策」の中に、「ベーシック・インカム(最低生活保障)」的な内容が含まれています。これは色々な批判がありますが、しかし、「愛大国」として、人に優しい国作りをして行く上では避けて通れないテーマだと思います。現在は、生活保護というシステムがありますが、生活保護を受けるためには、恥を忍ばなくてはいけませんし、一度もらうようになると、そこからなかなか抜けられません。また、働ける世代の人が次々に生活保護をもらうようになると国の財政は枯渇してしまいます。 経済大国は、経済至上主義を生みました。しかし、愛大国は、「人を愛して、物を使う国」を目指し、愛至上主義を生み出して行くことでしょう。なぜ、世界三位の経済大国である日本の中に、自殺者が多いのでしょうか? うつ病などの精神病や引きこもりの人が多いのでしょうか? いじめが多く行われているのでしょうか? それは、人よりも物やお金が大切にされる経済至上主義の結果です。もちろん、経済が大切なのは言うまでもありません。しかし、経済よりも大切なものがあります。人であり、命です。今こそ、ここに気づかなくてはいけません。 私は、自分の持ち物を大切にするところがありますので、それ以上に人を大切にし、物やお金は愛するものではなく、人のために使うということを徹底して行きたいと思います。 日本人が、真の意味で人を大切にするようになるためには、人間と天地万物の創造者である神を知り、神と出会い、神を信じて、神と共に歩むことです。 日本は教科書で進化論が公然と教えられていますが、進化論は科学的な仮説です。進化論は、科学の世界ではパラダイムですが、実は、決定的な根拠はありません。つまり、進化論は一種の宗教です。確かに、神が人を造られたという創造論を証明することはできません。なぜならば、神が創造されている現場に私は居合わせていないからです。しかし、進化論も証明出来ないはずです。46億年前から生きている人は誰もいないからです。 進化論から出てくる人間観は、人は偶然の産物です。創造論から出てくる人間観は、人は神によって造られた神の作品です。 なぜ人を殺してはいけないのでしょうか? それは、神が造られた命だからです。人が大切にされるためには、人間の創造者であり、人間を愛しておられる神と出会うことです。そこから、互いに愛し合い、人が大切にされ、住みやすく、幸せで平和な国が建てられて行くと信じます。 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。」(伝道者の書 12章1節) 「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(エペソ人への手紙 4章32節) 良い週末をお過ごし下さい。みなさんが、大切にされ、愛され、毎日幸せを味わえるようにお祈りしています。
2012年09月13日
コメント(0)
今年、内閣府が行なった「国民生活に関する世論調査」で、今後の生活で「物の豊かさ」と「心の豊かさ」のどちらに重きを置くかを尋ねたところ、60%以上の人が「心」と答えたそうです。 一昨日は、戦後の日本は、「軍事大国」から「経済大国」に方向転換しましたが、これからの日本は、逆戻りするのではなく、「経済大国」から「愛大国」に方向転換して、前進して行く必要があるのではないでしょうか?と、一つの提言をさせて頂きました。「愛大国」は、前述の国民の世論調査の結果と一致したものであり、多くの人が今、物の豊かさよりも心の豊かさを求めています。 心が豊かだと、心にゆとりが生まれますので、どのような状況や環境の中にあっても、それに振り回されないで生きて行くことができます。もちろん、順境の時が一番うれしいはずですが、逆境の時にも心折れることなく生きていくことができます。心にゆとりがある人とない人とでは、逆境の時に大きな違いが現れます。 先週の土曜日のことですが、アメリカのアラスカ州のシトカ沖で、漁船が沈没しました。そこに漁師として乗っていた19歳のライアン・ハリスさんは、魚を入れる箱に乗り移って26時間海を漂流しました。救出された後にわかったことは、海を漂流しながら、「こげ、こげ、ボート」や「赤鼻のトナカイ」などを歌ったり、「僕はライアン・ハンター・ハリス。ここでは死なない」と、何度も唱えて自分を励まし続けたそうです。これが心を豊かにさせ、ゆとりを与え、強くして、26時間もの間、あきらめることなく自分を支え続けることができました。 心の豊かさはお金で買えるものではありません。心の世界は、物質の世界を超えたところにあるからです。その心の世界で、人格的な出会いをして、心を一新することに秘密があるようです。ライアン・ハリスさんは、自分がもう一人の自分を励ました。ここに、人格的な出会いがありました。また、自分がもう一人の自分に繰り返し語りかけることで、心を一新させました。 3.11以来、「結婚して家庭を持ちたい!」と願う人が急増したと聞いたことがあります。平穏無事な時には、パートナーがいなくてもお金さえあれば一人でも生きて行くことができました。また、一人の方が気楽で、責任がなく、自由に好きなことをして生きて行けるので良いと思っていたのだと思います。しかし、下からは地震、横からは津波、上からは放射能汚染が東日本を襲い、「物やお金だけがあっても生きて行けない。心と心の出会いと絆が必要だ」と、多くの人が心の豊かさの必要性に気づいたのではないでしょうか? しかし、人格的な出会いと心の一新はそんなに簡単に得られるものではありません。人は、人格的な出会いを求めて恋をし、結婚をしようとします。しかし、理想と現実のギャップはとても大きなものがあります。日本の離婚率は、3組に1組です。しかし、離婚をしない3組に2組の中には、世間体を気にしたり、宗教的な理由などによって我慢していたり、家庭内別居をしていたり、仮面夫婦を演じたり、あるいは、不倫をしていたりして、関係が冷え切っていたり、関係が壊れている夫婦も含まれます。人格的な出会いは簡単ではありません。 また、心の一新も簡単にできるようで簡単ではありません。一時期、成功哲学や自己啓発が流行りました。もちろん、こういうプログラムの学びをして成功した人も数多くいると思いますが、その裏で、たくさんのお金をつぎ込んだ挙句、「何の効果もなかった!」という人にたくさん会いました。繰り返し本を読んだり、テープやCDを聴いても、人の考え方は簡単には変わらないものです。みなさんはどうですか? 自分を変えようと努力したり、がんばった経験はないでしょうか? おそらく、ここには、人格的な出会いが欠けていたり、何かが欠けていて心の一新ができなかったのだろうと思います。 しかしながら、心の豊かさは、人格的な出会いと心の一新が秘密です、とお話しましたが、一体どうしたらいいでしょうか? 私は一つの答えを持っています。それは、人間の姿を取って来られたイエス・キリストとの出会いです。聖書と祈りを通して、この出会いが心の豊かさを与え、さらに、この出会いが心の一新も与えてくれます。 日本のことわざに、「朱に交われば赤くなる」というものがあります。誰と出会い、誰と交わるかがその人を変えます。そして、人は交わる人に似るのです。さらに、「似た者夫婦」という言葉があります。もしかしたら、元々似ている二人が結婚をしたのかも知れませんが、私は、いつも近くにいて交わっていることで、お互いに影響を受け合って似た者夫婦になったのだと思います。もしあなたが、人間の姿を取って来られたイエス・キリストといつも交わったら、イエス・キリストに似た人になって行きます。そして、イエス・キリストに似た人は、心が豊かな人です。 さらに、心の一新は、ライアン・ハリスさんがもう一人の自分と出会い、その出会いの関係の中で、繰り返し歌を歌ったり、繰り返し語り続けているうちに、段々心が一新されて行き、「大丈夫だ!」「必ず助かる!」と希望が湧いて来て、あきらめないで、救出を信じて穏やかな心で漂流したことで、無駄なエネルギーを浪費せず、無事救出されることができたのだと思います。 あなたも、イエス・キリストと出会い、そのお方の声を聞き、そのお方に祈り、そのお方を賛美する時に、気が付いたら心が一新され、心豊かな人に変えられて行きます。 今日も、今週も、来週も、これからもずっと、心の豊かな人として、豊かな人生、量より質の「クオリティー・オブ・ライフ(Quality of Life)」を共に歩んでまいりましょう。日本は後戻りできません。「高度成長期」や「バブルの時代」や「9.11前」や「リーマンショック前」や「民主党の政権交代前」や「3.11前」には戻れません。前進して行かなくてはいけません。これからの時代は、心の豊かさを求めて行く分岐点に今立っているのではないかと思います。日本の未来を信じて祈ります。
2012年09月12日
コメント(0)
おはようございます。今日も気持ちのいい朝ですね。素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。 今日は、試練の時の素晴らしさについて少し考えてみたいと思います。 人は、ある時、自分の本当の姿をさらすようになります。それは、力を握った時です。 みなさんは、状況が変わることで、態度を変貌させる人を見たことがあるでしょうか? 普段おとなしいのに、車のハンドルを握ると性格が変わって、乱暴な運転をする人。 選挙の前には腰が低いのに、当選してしばらくすると威張る政治家。 人気が出る前と売れるようになった後で態度が激変する芸能人、歌手、俳優、著名人。 まじめで品行方正だった人が、力を握った後に汚職に手を染めたり、贈収賄で逮捕されたり、スキャンダルまみれになる人。 人は、お金、権力、成功、名声、力、実績などを得た時に、隠れていた本当の姿を現します。なまじ苦労しないで成功したり、親の七光りによって苦労知らずのおぼっちゃま、あるいは、若い時に才能が認められて有名になった天才少年など、人格が整えられる機会を通らないで力を得たり、有名になって、スポットライトが当てられた時に醜態をさらしてしまう人がいたりするものです。 しかし反対に、なかなか日の目を見ず、うだつが上がらず、試練続きの人がいたとしても悲観しないで下さい。試練の時に、人格が磨かれ、整えられ、鍛えられるからです。ですから、人生が思い通りにならなくても感謝し、喜んで下さい。今が、人生の中で最も重要なプロセスを通っているからです。 そして、人格と器が整えられてから、力を得たら、鬼に金棒のように力強く、かつ、何をしても栄え、素晴らしい働きをする人になります。 昨日は、久しぶりに上野に行って来ました。そこで、大きな東京スカイツリータワーを見ました。感動しました。あのスカイツリータワーは、上に出ている部分だけではなく、上に建てる前に、深く深く地下を堀り、そこに土台を据えたはずです。私の家から、新宿のビル街が見えますが、あのビルも、巨大な穴を掘って、しっかりとした土台を据えてから、上にビルを建て上げて行ったはずです。 試練の時は、人生で大きな働きをする前の土台作りの時です。多くの人は、このプロセスをバイパスして、苦労をしないで成功したいと思うものです。しかし、それは、土台がなくて高い建物を建てることと似ていて、危険です。高い建物を建てる時こそ、地面を深く掘り、しっかりと土台を築かなければなりません。 人は、思い通りに行かない時、傲慢な自我が砕かれます。また、忍耐が身に付きます。そして、本当の自分を知り、その自分を受け入れ、謙遜になります。そして、人格が整えられるのです。 聖書のヨブ記8章7節には、「あなたの始めは小さくても、その終わりは、はなはだ大きくなる。」と書かれています。聖書のマタイの福音書13章31節~32節には、「イエスは、・・・たとえを彼らに示して言われた。天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」 はじめは小さくても、後や終わりに大きくなり、栄えるならば素晴らしいことです。日本のことわざにも、「終わり良ければすべて良し」と言われますが、本当ですよね。 最初うまく行っても、後で取り返しのつかない失敗をしたり、全てがなし崩しになってしまったり、壊れてしまったとしたらとても残念ですし、悲しいことです。 としたら、長いこと試練を経験したとしても、そこで人格が磨かれ、整えられ、鍛えられて、その後に素晴らしい働きをすることが理想ですね。どうぞ、自分の先を越して行った同僚、後輩、うまく出世したように見える人を見て、自分と比較して妬んだり、あせったりする必要はありません。人は人、自分は自分です。与えられた自分の道を一歩一歩、真っ直ぐに進んで行って下さい。 聖書のダニエル書12章9節と12節「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。・・・終りまであなたの道を行きなさい。」とあります。神様はあなたにも、「あなたの道を行きなさい。・・・終りまであなたの道を行きなさい。」と語っておられることと思います。 一歩一歩です。千里の道も一歩からです。あなたの人生が豊かに祝福されますように。はじまりは小さくても、終わりは大きくなり、豊かになり、成功しますように、心からお祈りします。今日も良い一日でありますように。
2012年09月11日
コメント(0)
うつ病の原因はいくつもありますが、根本的には、疲れやストレスやプレッシャーなどの蓄積が原因です。 「鈍感力」という言葉がありますが、通常、鈍感という言葉は、ネガティブで、マイナスなイメージがあります。反対に、敏感の方が、ポジティブで、プラスのイメージがあります。ところが、どんな時にも敏感が良くて、鈍感が悪いのではありません。例えば、人のちょっとした言葉に対して敏感だと、その一言に振り回され、傷つき、ストレスになって、それが原因でうつ病になってしまう可能性もあります。反対に、鈍感だと気にしないので、傷つかず、ストレスにもならないので心が健康でいられます。 小泉元首相は、「目の前のことに鈍感であれ!」と言いました。一刻の総理大臣にでもなれば、小事にいちいち傷つき、振り回されていたらやっていけませんので、鈍感力は必要ですね。ただ、この鈍感が、人の気持ちや大切なことに対して発揮されたとしたら困ってしまいます。そういう意味では、敏感力も大切ですし、人間はバランスが大切です。しかし、あえて言うならば、目の前のことにもっと鈍感であった方がいいなーと思います。 日本の精神構造の中に、「出る杭は打たれる」というものがあります。出る杭というのは、目立つ人のことですが、その中には、尊大な態度、傲慢な態度、行き過ぎた自己顕示欲、身の程知らずな思い上がった態度で打たれる場合があります。しかし、それが個性であったり、愛と正義に基づいたものであったり、変えることができない部分を出る杭と判断されて、打たれることがあったとしたら、それは明らかにいじめです。うつ病の人やうつ病の予備軍の人は、出る杭として打たれる経験が原因で発病してしまうことがあるのではないかと思います。前者の、傲慢や自己顕示欲が強くて打たれる場合は、謙遜で等身大の自分を生きるように変えることができたらいいですが、後者の、個性、良い動機で行うこと、 変えることができない部分で出る杭として打たれるとしたら、鈍感力を身につけて打たれ強くなるか、それを跳ね返す強さを持つことができたら心は健康が保たれます。 そのように生きるにはどうしたらいいでしょうか? 答えと解決策は、全て聖書の中にあります。人は、「認められたい!」と思う存在です。神様は、人が求める、「認められたい!」という欲求を全て満たして下さいます。そして、神様との関係の中で、心が満たされたら、傲慢や自己顕示欲の強さは自然になくなって行きます。人の高ぶり、自己顕示欲は、「自分を認めてほしい!」「自分を見てほしい!」という心の叫びだからです。神様の愛は、人を謙遜な人に変えてしまう力があります。 さらに、神様に祈り、神様が共にいて下さることによって、打たれ強くなり、「出る杭を打つ」人からのアタックにもびくともしない人になり、さらには、あなたを打たざるを得ない人の悲しみや弱さ、怨念などを理解し、それに負けないばかりか、それを受け止め、その人を引き上げ、WIN-WINの生き方ができる人になります。 うつ病の原因の、疲れ、ストレス、プレッシャーなどの蓄積も、イエス・キリストは、一つ一つ取り去って下さるお方です。あなたの重荷、疲れ、ストレス、プレッシャー、悲しみ、傷、怨念は、やがてキリストの肩に全て移されてしまいます。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11:28) しかし、実際、うつ病の治療は簡単ではありません。なかなか治らない人もいます。しかし、ネバー・ギブアップです。まず、教会なくてはなりません。次に、心療内科・精神科・神経内科などによる治療も必要です。そして、必要に応じて、行政の福祉、生活保護などの助けを受けながら、二人三脚で治療を続けて行くことです。 さらに、うつ病とうつ病じゃない人の境界線をとっぱらうことです。一般には、社会的な生活ができるか?できないか?で線引きがされます。しかし、病気の人、病気じゃない人の線を取り外して、ありのままで受け入れ、愛し、許し、接することがうつ病のいやしを早めます。「大丈夫だよ」というメッセージをいつも伝えてあげることです。 日本には、うつ病や備軍の人を入れると、数人に一人がうつ病です。ということは、うつ病の人を探すことは難しくありません。しかし、たくさんいるうつ病の人のうつを治すのは簡単なことではありません。おまけに困ったことは、うつ病になると「死にたい!」と思うようになります。 しかし、困った時はお互い様です。誰でも、心が病んでしまう可能性があります。お互いに助け合い、少しでも症状が軽くなるように、そして、自殺しないように、守って行きましょう。その愛の力によって、うつ病は治ります。そして、そんな温かい社会になったら、うつ病は発症しなくなるどころか、日本は世界一幸せな国になって行くに違いありません。これからの日本が目指すべき方向は、愛の大国ではないでしょうか? 戦後、軍事大国から経済大国に方向転換し、移行しました。これからの時代、経済大国から愛大国に方向転換をし、移行するべき時が来ていると信じます。日本維新の会が国政政党化されて、政治も大きく変わろうとしています。もう逆戻りはできません。 「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネの福音書13:34) 一緒に、素晴らしい国、日本を共に立て直して行きましょう。今日も良い一日でありますようにお祈りいたします。
2012年09月10日
コメント(0)
おはようございます。今日も素晴らしい一日でありますようにお祈りいたします。 より素晴らしい一日を生きるために、人は、自分の立場に立って生きているということを前提に、今日は、相手の立場に立って生きることについて考えてみたいと思います。 と言いましたても、多くの人が、「人からどう見られているだろうか?」「あの人からどう評価されているだろうか?」と、人の目を気にしながら生きているものだと思います。しかしこれは、自分の立場で、「自分がどう見られているのか?」を気にしている有様です。 喧嘩が起こる理由は、だいたい、相手の立場を考えず、こちらの立場から見て、「自分は正しい!相手は間違っている!」と評価し、断定するから起こります。そう評価された人は、「そう評価するあなたの方がおかしい!私の方が正しい!」と考えますので、争いになります。 聖書は、「さばいてはいけません。さばかれないためです。あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。」(マタイの福音書7:1~2)と語ります。つまり、人に対して、「間違っている!」と断定すると、断定した相手からも、「間違っている!」と断定され返されるということです。 もちろん、法律に触れるような間違いがある場合は、間違いを指摘したり、警察に通報したり、法律のもとで起訴することが必要になります。しかし、聖書が「さばいてはいけません。」と語るのは、黒白つけがたいグレーゾーンに関しての内容です。みなさん、グレーゾーンに関してのことは、お互いに違いを尊重し合い、学び合うことが大切です。これは、相手の立場に立たないとできないことだろうと思います。 相手の立場に立つのは、どうやったらできるでしょうか? まず、自分自身の心を開いて、そこから飛び出して行って、相手の懐に飛び込み、相手の立場に立ち、感じ、考えながら、今度は、そちらの立場から回れ右をして、自分の方を見ながら考え、語り、行動することです。 人を愛せない、人を理解できない、人の間違いを指摘し、人を説き伏せたい、人に間違いを認めさせたい、などと考えるのは、だいたい、しっかりと自分の立場からだけ相手を見ているだろうと思います。しかし、自分の立場を一歩離れ、相手の立場からも共に考えてみると、「なるほど~、こういう考え方もあるんだ!」となるものです。 確かに、あなたが正しいかも知れません。しかし、相手にも正しい部分があるかも知れません。ことわざに、「盗人にも三分の理」という言葉があるようにです。反対に、相手が間違っているかも知れませんが、あなたの方にも間違っている部分があるかも知れません。そのように、正義の味方・月光仮面のように相手を非難するのではなく、穏やかに、ゆとりを持って接するならば、そこで対話が持てるようになり、理解し合えるようになり、友情が芽生え、愛し合えるようになるものです。 相手の立場に立つことの一番のモデルはイエス・キリストです。神であることに固執しないで、人間を救うために、クリスマスに人間の姿を取ってこの地上に生まれて下さり、罪人の罪を責めるのではなく、「あるがままの姿で私のもとに来なさい」と招き、受け入れ、赦し、救って下さいました。この方との出会いが、きっと相手の立場に立って生きられるターニングポイントになると思います。相手の立場に立てない私たちかも知れませんが、キリストは、私たちの立場に立って下さっていることを信じて下さい。 新しい一週間がスタートします。世の中は、ものすごいスピードで動いています。また、とても生きにくい時代です。疲れた、休みたい、苦しい、泣きたい、死にたい、逃げ出したい、と苦しみを持っている人もいるかも知れません。しかし、「大丈夫! 恐るな! 私があなたと共にいる!」と言われるキリストと一緒に歩めたらいいですね。素晴らしい一週間でありますように。
2012年09月09日
コメント(1)
朝礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/fzhKVQI6fTU 朝礼拝(説教~最後) http://youtu.be/ZErwh9JRfDQ 夕礼拝(最初~賛美) http://youtu.be/YkW7EYKDJoI 夕礼拝(説教~最後) http://youtu.be/CUx_zRSWPG8
2012年09月09日
コメント(1)
おはようございます。良い週末をお過ごし下さい。今日は少し重い話になりますが大切なことです。小さな命についてです。 ある調査によれば、日本で中絶は、年間30万件以上行われているそうです。しかし、闇医者による中絶は含まれていませんので、実際は、想像を絶するような数字になると思います。 中絶をしてしまった経験のある人はとてもたくさんいることになります。その人の心には、とても深い心の傷と罪責感が残ると思います。その深い傷はどうしたらいやされるでしょうか? 聖書には、イエス・キリストが十字架にかかって、人類の罪と傷と重荷を背負って死なれたと書かれています。ここに赦しと心のいやしがあります。 「その打たれた傷によって、われわれはいやされた。」(イザヤ53:5) 私は中絶に対して、最も心を痛めている人間の一人です。以前、私の妻が妊娠していることを知った上で、私に中絶を薦めてくれた人が数人いました。それは、善意からだとわかっていますが、どうしようもないくらい深く心が傷つきました。バイト先の社長、友人、医者などです。世の中には、そのように考える人がいるんだなーと、とても衝撃を受けました。私は、そのようなことを考えたことがなかったからです。 世の中には、仕方なく人工中絶をする人がたくさんいると思います。経済的な理由や、育てられないなど。中には、近親相姦やレイプされて妊娠してしまった人がいると思います。その人はどう判断すればいいのでしょうか? しかし、色々な理由があると思いますが、仮に自分で育てられないとしても、ぜひ産んでほしいと思います。世の中には、子供がほしくても子供が生まれない家庭で養子縁組を願っている人がたくさんいます。また、そのような家庭を紹介する団体もあります。 中絶の数が、この国で少なくても年間30万件以上行われているというのは、本当に驚きだと思います。確かに、妊娠初期ならば、大きさは指の先くらいですが、それは小さいですが間違いなく命です。その小さい命をどうぞ守ってもらいたいと思います。前述のように、養子縁組を願っている家庭もたくさんあります。また、そのような家庭を紹介する団体があります。自分で育てられなくても、ぜひ、中絶という選択はしないでもらいたいです。 しかし、仕方なしに、中絶という選択をせざるを得なかった方がたくさんいます。教会では、そのような経験を通して心を痛めている人のいやしをお祈りします。心の痛みや重荷、罪責感を一人で背負わないで下さい。賛美歌312番に、「いつくしみ深き 友なるイェスは 罪・咎・憂いを 取り去り給う 心の嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を」という歌詞の歌があります。友であるイエスさまは、痛みと重荷を背負い、共に泣き、共に痛み、その傷がいえるまで共にいて下さる方です。 「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。」(イザヤ53:3~5)彼=イエス・キリスト
2012年09月07日
コメント(0)

おはようございます。今日も神様が一緒です。素晴らしい一日となりますようにお祈りします。 一昨日、北海道の札幌市で、中学一年生の男子生徒が自宅マンションより飛び降り自殺ををしました。所持していた生徒手帳には、「死んだらどうなるか知りたい」と書き残されていたそうです。 私にも中学一年生の子供がいますが、体は大きくなってもまだまだ心は子供です。そんな子が自ら死を選ぶということに心が張り裂けそうに痛みます。 学校でいじめについてのアンケートを行なった結果、いじめがあったという記述はなかったそうです。もしかしたら、陰湿な、他の生徒の目につかないところでいじめが行われていた可能性もありますし、周囲の人がいじめと認識しないようなことでも、本人は深刻に受け止めてしまったのかも知れません。 聖書には、死後の世界に関して書かれています。「・・・人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている・・・」(ヘブル人への手紙9:27)と書かれています。これは恐ろしい言葉に聞こえるかも知れません。 死は、誰でも平等に訪れます。早いか遅いかの違いがあるだけです。その後の、さばきというのは、罪に対するさばきです。そのさばきは、神が義なるお方なので水に流すことはできません。しかし神は、同時に、愛のお方です。罪人を赦したいので、その二つの矛盾を解決するために、2012年前のクリスマスに、御子イエス・キリストをこの地上に送り、人類の罪のさばきを身代わりに十字架で受け、死んで墓に葬られ、三日目に甦えられました。信じる人には、さばきはすでに終わっているのです。 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネの福音書3:16~17) 私は、もしこの中学生に会えたとしたら、「イエスさまによってさばきが終わったから、死んだら天国だよ。その日を楽しみに生きて行こうね。辛いこともあるかも知れないけど神様が一緒だから大丈夫だよ。」と話したと思います。 日本に、自殺予備軍が600万人以上いるそうです。もしかしたら、あなたの知っている人やあなたのお子さん、身近な人が「死にたい!」と思いながら過ごしているかも知れません。いじめに会って苦しんでいる子がいるかも知れません。どうぞ、このことを伝えてあげて下さい。そして、助けてあげて下さい。 自殺は解決ではありません。苦しんでいる人の友達になり、味方になってあげるだけでも大きな力になり、死ぬことを思いとどまる可能性がたくさんあります。明日は我が身です。今は元気でも、苦しくなることがあります。どうぞ、互いに支え合って行きましょう。 それと、すでに自殺をしてしまった人の家族の方や友人知人の方には、話を聞いてあげて、その痛みを共有し、神様の慰めを祈ってあげて下さい。 私は、小中学生時代に、いじめられた経験といじめた経験があります。いじめられている子は、親に相談したり、助けを求めることが極めて困難です。もしそれができるならばいじめは起こりません。また、いじめている方に、いじめている相手の痛みはわかりません。停学処分だけでは根本的な解決になりません。 国任せ、学校任せ、PTA任せではなく、できることは限られているかも知れませんが、しかし、一人ひとりができることからやって行かなくてはいけないと思います。 私が知っている限り、学校だけではなく、職場やあらゆる組織の中にいじめがあります。それを見つけたら、声を上げて、「それはよくないよ!」と言う勇気が必要です。 問題は、いじめるている人だけではなく、もしかしたら、いじめられている人にもあるかも知れません。それを、表立ったいじめや陰湿な陰口や無視、排除というようないじめで解決してしまうのではなく、率直に話し合い、そして、互いに笑って解決することができるはずです。絶対にできます。イエスさまを信じたら天国に入れます。みんなで天国に入りましょう。そして、その日までいじめのない楽しい社会を築き上げて行きましょう。
2012年09月06日
コメント(0)
おはようございます。今日も元気でお過ごしでしょうか? 今日は雨が降るようで、確実に秋を肌で感じられるようになっていますね。素晴らしい一日となりますようにお祈りいたします。 昨日の続きですが、一昨日、小型船舶の免許更新に行って来ました。講習の会場は新橋で、私の住んでいる大久保駅周辺からから新橋駅まで、路線バスを使うと一本で行くことが出来ることを知り、片道1時間をかけて行って来ました。 普段私は、近場は自転車、中距離以上はケース・バイ・ケースでバイクと車を使い分けています。視界に路線バスが入った途端、速やかに追い越したくなる衝動に駆られます。しかし、久しぶりにバスに乗って、200円だけ払って、町を優雅にドライブさせてもらえて、とても楽しませてもらいました。 ふと、人は自己中心な存在だなーと感じました。この場合、「人は・・・、」と一般化するより、「私は・・・、」と言った方がいいと思いますが、バイクに乗ると車を邪魔に感じ、車に乗るとバイクが邪魔に感じます。また、歩いていると自転車を煩わしく感じ、自転車に乗っていると歩行者を邪魔に感じます。そして、図体ばかりでかくて、ぐずでノロマな路線バスを快く思っていなかったことを思い返しました。 しかし、路線バスに乗って感じたのは、バスの優雅さです。公共の公共の交通機関として、周囲に気を配りながら、安全で穏やかに運行する姿を見て、道路をみんなで譲り合い、共有し、共存することのの大切さを考えさせられました。一人一人のドライバーや歩行者などが、交通規則を守り、お互いに譲り合い、安全第一に走ること出来たら、交通事故はゼロに近づくと思います。 最近、自転車の立場が弱くなって、かわいそうだなーと思いますが、同時に、自転車のマナーの悪さが目について仕方がありません。歩道を走ると歩行者から嫌な目で見られ、車道を走ると車やバイクから邪魔者扱いされて大変ですが、自転車が、信号を守らず、縦横無尽かつ、超法規的に走っている姿を見ると、これはいけないことだなーと感じます。 立場を変えて見ることで、色々なことが見えて来るものです。私は、歩くこともあれば、自転車に乗ることもあれば、車やバイクに乗ることもあれば、路線バスに乗ることもありますので、色々な立場を味わうことが出来ますが、人間関係においては、立場を変えて見ることが出来るでしょうか? それは、相手の立場に立って考え、相手のわらじを履いて歩くように相手の世界に身を置くということです。そうすると、自分の足りないところが見えて来ますし、相手に優しくなれますので、人間関係が良好になり、共存につながって行くと思います。 日韓、日中、日露関係の領土問題。世界の内戦や国と国の戦争。国内の訴訟、争い、喧嘩、いがみ合いなどは、必要な場合もあると思いますが、きっと、相手の立場に立って考え、相手の世界に身を置くことで対応の仕方が大きく変わり、結果として、良好な関係を築くことが出来ると思います。そうすると、ほとんどの問題は解決してしまうはずです。しかし、それが難しいのです。簡単に出来るものなら、とっくにやられているはずです。 聖書は、人類の祖先であるアダムとエバの罪によって、全人類は罪に汚染されていると教えます。罪とは、ギリシャ語で「ハマルティア(αμαρτια)」。意味は「的外れ」のことです。犯罪者や極悪人のこととは違います。人は的外れとなり、神に背を向けて、悪魔に従い、罪の奴隷となり、自己中心で生きています。この状態から救われるためには、イエス・キリストの十字架と復活以外にありません。あなたはその救いをもう受け取られましたか? 路線バスの片道1時間、往復2時間のドライブは、とても有意義でした。色々な町を通り、赤坂見附や国会議事堂前を通り、途中雨に降られながらも、ゆっくりゆっくり走るバスに揺られながら、つかの間の楽しくゆったりとした時間を過ごしました。この経験を通して、人生も、路線バスのように、安全でゆっくりと確実に、目的地を目指して歩んで行きたいと感じました。バスに行き先が表示されているように、人生も、目標を持ち、そこに向かって一歩一歩、今日も歩んで行きたいと思います。素敵な一日でありますようにお祈りいたします。
2012年09月05日
コメント(0)
おはようございます。今日も良い一日でありますようにお祈りします。 昨晩は、小型船舶の免許の更新と講習を受けに行って来ました。昔は海が大好きで、ウィンドサーフィンで沖まで行って、ゆったりとした時間をすごすことが好きでした。また、知人がクルーザーヨットを所有していたので、お借りして、海で優雅な時間を過ごしたいと思って小型船舶一級免許をだいぶ昔に取得しました。当時は、酒を飲みながら船の操縦をしても暗黙の了解でOKしたが、2003年に明文化されて禁止になりました。当たり前なことですが、陸上と違って、海の上は広いですし、アバウトな感じだなーと思ったものです。いつか、エンジン付きのヨットで世界一周をしたいという夢も持っていました。それが、海で溺れかけた経験や、311の東日本大震災直後の津波を見て、海は怖いなーと感じるようにな って、しばらく遠ざかっていますが、免許の更新を機会に、また海の沖に出たいなーという気持ちが湧き上がってきました。 今、私は山派ですが、みなさんは、山派ですか?海派ですか? また、都会派ですか?田舎派ですか? 私はこんな景色の場所が大好きです。みなさんは、とっておきのいやしの場所、大好きな場所を持っていますか? 私は、友だちと登山をしたり、家族でハイキングをしたり、一人で山を歩くこともあります。冬の雪山でスキーをすることもあります。そんな時間が大好きですし、地図を広げて計画をしている段階から楽しいです。 ある人は、大好きな場所が、自分の家庭であったり、職場であったり、学校であったり、教会であったり、日常の場所である人はラッキーですね。しかし、日常を楽しくするためにも、非日常の、自分だけのいやしの場所、大好きな場所を持つことはとても素晴らしいことだと思います。 一年のうちに何度も行けるわけではないですが、写真を見たり、地図を開きながら計画を立てたり、想像しているだけでも結構楽しいものです。気分転換になりますね。 インターネットでみなさんと交流するのもとても楽しいです。コンピュータを介して、心を通わせ、励まし合い、祈り合い、分かち合い、楽しい時間を持てることを感謝しています。どうぞ、これからも、いつまでもよろしくお願いします。心からの感謝を込めて。
2012年09月04日
コメント(0)
おはようございます。ここ数日、ゲリラ的にどしゃ降りの雨が降りますね。東京では、しばらく雨が降らなかったので、油断をして、傘を持たずに出かけてしまって、とんでもない目に会った人もいるのではないかと思います。 雨が降って、一歩一歩秋らしい気候に変わっていますので、暑さが和らいでホッとしますが、どうぞ、風邪などひかれないように気をつけてください。 昨日は、夕方から夫婦で「明治座創業140周年記念 坂本冬美 藤あや子 特別公演」に行ってきました。若い人向けのものではありませんが、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしました。公演は、一人1万円以上するものですが、消防団の団員に、毎年観劇券を2枚頂けるので感謝して行って来ました。 前半は、坂本冬美と藤あや子の座長の劇。内容はシリアスで友情を描いたもので、心が揺さぶられました。後半は、坂本冬美と藤あや子のトークを交えながらのコンサートでした。楽しい時間でした。休憩時間も含まれますが、実に4時間半くらい座席に座っていましたが、退屈することはありませんでした。プロの公演はさすがだなーと感心させられました。 ところで、あなたの人生はステージで、あなたは座長として最高の公演をする俳優のようなものだと思います。人生というステージで脇役を演じるのも悪くありませんが、みんな座長として主役を演じるように、神様という監督から配役されています。その公演を通して聴衆が感動するように、あなたの人生を通して、まわりの人々は慰めれ、励まされ、感動して、「あなたのような人になりたい!」と憧れられる人になるのではないでしょうか。 今の日本に、「この人のようになりたい!」と憧れる人がいるでしょうか? 今、若い多くの人たちが夢や希望を失っています。世の中が急激に変化しているので、その流れについて行けない人もいます。また、元気がなく、目がうつろで、疲れています。また、パソコンやゲーム、スマホやipadなどに向かって、貴重な時間を費やしています。また、うつになったり、引きこもったり、「死にたい!」ともがいている人もたくさんいます。 それは、もしかしたら、私たち大人が、若い人たちに夢や希望を与えるような生き方ができていないのかも知れません。もう一度、自分の人生というステージで座長として最高の演技をする俳優のように、自分に与えられた使命に命をかけて、輝いて生きて行けたら幸いです。そのために、神様という舞台監督と出会い、監督の指導を受けながら生きて行くことが必要です。今日も最高の一日でありますように。 「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(ヘブル人への手紙12:2)
2012年09月03日
コメント(0)
おはようございます。新しい一週間をスタートできることを感謝したいと思います。世界は急激に変化しています。そんな中でアップアップしている人が多くいます。しかし、何が変わっても変わらないものがあります。 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じです。」(ヘブル13:8) 統一教会の創始者である文鮮明氏が今朝死去したとニュースが伝えています。彼は、偉大な宗教家であり、卓越した教祖でしたが、自身を再臨のメシヤ(キリスト)と称していましたが、メシヤではありません。メシヤはただ一人イエス・キリストだけです。 (「メシヤ」とは、ヘブル語で救い主。ギリシャ語では「キリスト」) 「この方(イエス)以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」(使徒の働き4:12) イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14:6) これは排他的な教えではなく、イエスが天の父なる神と人類をつなぐ唯一の道であることを教えます。この道は、時代が急激に変化しても変わらない道です。ここに希望があります。ここに永遠の命と救いがあります。 この救いを修行をしても、全財産を支払っても手に入れることはできません。手に入れる唯一の方法は、「イエスが私の罪のために十字架で死なれ、葬られ、甦った」と信じて受け入れることです。 救いを受けるために時間はかかりません。 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。(第二コリント6:2) 救いの日、救いの時は今です。この救いを受け取って、一日をスタートしてください。すばらしい一日でありますように。
2012年09月02日
コメント(0)
おはようございます。昨日から9月になりました。学生時代だったら新学期が始まる時期です。思い出すと、夏休みは夢のような特別な時期だったと思います。そして、9月になって現実に引き戻されるような気がしていました。ところで、私の住んでいる地域では、夏休みが一週間繰り上げで、8月27日から学校の新学期が始まりますので、もう新学期が始まって一週間経ちますが、学生時代は季節というものを痛烈に感じていました。 社会人になり、教会の牧師として働きながら、夏休みの時期は、子供が日中家にいるというだけで、「暑いなー!」という以外は特別な時期ではなくなりました。いつもと同じです。夏休みではないからです(^-^) また、春夏秋冬の四季の違いは肌で感じますが、クリスマスは忙しいというだけで、特別な時期ではなくなりました。ただ、年末年始は節目を感じますね。 私に取っての最大の節目は、毎週やって来る日曜日です。特別な日であり、大切な時です。日曜日が赤で書かれているのは、金曜日に十字架で死なれたキリストが、週の初めの日曜日の朝に復活されたことを記念するためです。しかし、そうしていない人が多いのはとてももったいないことだと感じます。 復活とは、死を打ち破り、不可能の壁を打ち破った出来事です。竹に節目があるように、人には節目が必要だと思います。その節目を、クリスチャンは日曜日に持っています。神の前に出て、イエス・キリストにあってリセットし、イエス・キリストから一週間をスタートします。それは、先週を引きずらない創造的な生き方です。一週間の疲れもストレスも悩みもリセットし、新しい気持ちで、新しい可能性に満ちた新しい一週間をスタートすることは、人をマンネリから救い、創造的にさせます。 どうぞ、日曜日には教会に行き、神を礼拝して一週間をスタートしませんか? 最近教会に行っていなかったクリスチャンの方も、久しぶりに教会に行きませんか? また、教会に行ったことがない人も、お近くの教会に足を運んでみませんか? まだそこまで決断ができない人は、インターネットを通して礼拝してみられたらどうでしょうか。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年09月01日
コメント(1)
全30件 (30件中 1-30件目)
1
![]()

