全29件 (29件中 1-29件目)
1
私たちは、無意識の中で、ある特定の人を「すごい!」と思っていることはないでしょうか? その人は、著名であったり、地位があったり、学歴があったり、財産を持っていたり、名声を得ていることが理由かも知れません。 こういう人たちは、他の人たちが持っていないものを持っていることは確かです。しかし、それだから優れていると言えるでしょうか? それは、うわべだけの違いで優劣を付けていることにすぎず、その人を特別視するにはあやふやな価値基準です。 『人はうわべを見るが、主は心を見る。』(第一サムエル16:7) 人のうわべだけで、人に優劣を付けるのは、口や鼻や耳が目が大きいということで、立派な人だと決め付けているようなものです。 人の価値は、人を造られた創造者だけが決めることができます。人を造られた神は、人の価値をどう見ておられるでしょうか? 『わたしの目にはあなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。』(イザヤ書43:4) 創造者である神の目には、人は高価で尊く映っています。それは、あなたに対しても同じです。神の目に高価で尊く映ってることを知ったら、自分に対して、神の目を通して見るようになり、もう自分の価値を人と比較して低いと感じる必要はなくなります。 そして、他の人に対しても、神の目に高価で尊く映ってる人として見るようになり、他者が素晴らしく見えてくるはずです。そうなったら、人をうわべだけで判断することがなくなります。 人は、みんな違いますが、みんな違った素晴らしさがあるのです。どうぞ、人に優劣を付ける偏見から解放されて、人を高価で尊い存在として関わって行けたらいいですね。それが人を愛することにつながって行くはずです。 多くの人は、自分と人を比較して、劣等感か優越感を持っています。それは正しい尺度ではありません。顔を例に取るならば、口も鼻も耳も目もみんな違うけれど、みんな素晴らしいのです。人も同じです。 自分が持っていないものを持っている人を見たら、そこで劣等感やねたみを感じる必要はないのです。素直に素晴らしさを認めて、賞賛したらいいのです。そして同時に、その人が持っていないものを自分が持っていることを認めて、感謝したらいいのです。 人と人の違いは、比較するためのものではなく、互いに調和して助け合い、補い合い、さらには、学び合うためにあります。互いに成長し合い、互いに高め合って行けたらとても素晴らしいと思いませんか。 私もあなたも、共に素晴らしい存在です。素晴らしい者同士、力を合わせて、素晴らしい社会、素晴らしい世の中、素晴らしい世界を作って行きたいですね。いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。
2012年07月29日
コメント(0)
おはようございます。夏真っ只中、クーラーなしには考えられない日々を過ごしていることと思います。教会は程よくクーラーが効いています。なぜなら、暑がりの人と寒がりの人が半々ぐらいいるからです(*^▽^*) 私の勤める新宿福興教会は、朝10時30分からと夕方4時30分から礼拝の集会があります。いつでも大歓迎です。また、インターネットでの礼拝の中継を行なっています。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年07月28日
コメント(1)
おはようございます。ここのところ、光化学スモッグ注意報が発令されています。カラッとした気持ちのいい風が吹く日になってほしいですね。みなさんは、週末をどのようにすごしておられますか?今日も素晴らしい一日でありますように。 私が子供の頃、土曜日は午前中まで学校の授業がありました。それは、公立学校だけでなく、官公庁も午前中は業務があり。半ドンと呼ばれたりしていました。現在は、週休二日ですね。 日曜日がお休みなのは、イエス・キリストが復活したことが起源で、それが全世界に広がったのだろうと思いますが、土曜日は、ユダヤ教の安息日です。正確には、金曜日の日没から土曜日の日没までです。 ユダヤ人は、安息日を厳格に守っています。しかし、ユダヤ人が安息日を守ったことも事実ですが、それ以上に、安息日がユダヤ人を守ったと言えると思います。2000年近く国を追われ、流浪の民であったユダヤ人が、国民性を失わず、ヘブル語を語り続け、1948年に独立国家となれたことは、安息日がユダヤ人を守ったと言えると思います。 この安息日は、ユダヤ人だけのものではなく、全人類が必要なものだと信じます。 日本では、大日本帝国海軍で用いられた、「月月火水木金金」という、土日返上で働くという意味合いの表現がありますが、本気で、週一日も休まないで働いたとしたら、人は必ず壊れてしまいます。 ユダヤ人の安息日は、基本的に何の仕事もしません。私は、こういう一日を毎週持つことが、ストレスや疲れをいやし、心身をリフレッシュさせ、人間性を回復させて、一週間を全力投球できるように充電することになると思います。 通常充電は、家庭用コンセントを通じて、発電所と直結させます。私たちは、教会を通して、創造者であり、力の根源である神と直結することが充電になるのではないでしょうか? 私は、宗教を超えて、週一日の安息日をぜひお勧めしたいですし、願わくは、日曜日に教会で神を礼拝することをお勧めしたいです。ある人は、一日、何の仕事もしない日を過ごしたことがなくて、落ち着かないかも知れませんが、論より証拠、試してみて下さい。また、安息日は、週一日です。週何日も休んでしまうと、かえって調子が悪くなるということも付け加えたいと思います。 良い週末をお過ごし下さい(*^▽^*)
2012年07月27日
コメント(0)
おはようございます。「早起きは三文の徳」と言われますが、朝早く起きて、ひと仕事をすることは気持ちがいいですね。最近、夜型の人が増えています。私も気が付けば夜型傾向にあります。仕事から帰って来る時間が午前様になることがありますし、私は寝床に本棚があって、たくさんの興味深い本がありますので、つい・・・。しかし、最近の心がけは、早く寝て、早く起きて本を読むようにしています。朝のお祈り、朝の勉強、朝の仕事、朝のネットサーフィン、朝メシ前に色々終わらせると、何倍も得した気持ちになります。今日も楽しく、素晴らしい一日になりますように(*^▽^*)
2012年07月26日
コメント(0)
人間は誰もが数々の失敗を犯します。しかし、その失敗を学ぶ機会とした人は幸いです。 なまじっか失敗をしないで大人になった人は、かえってかわいそうだと思うことがあります。偉くなったり、大きくなってからの失敗は、取り返しが付かないことになることもあり得るからです。 だから若いうちに、失敗を恐れないで、思いっきり色々なことに挑戦して下さい。失敗を恐ると、緊張して、かえって失敗をしてしまうことがあります。しかし、失敗を恐れないで伸び伸びとやった方が失敗しにくかったりするものですから。 そして、失敗してしまった時には、素直に失敗を認め、その失敗を失敗で終わらせるのではなく、そこで何かを学ぶ機会として下さい。その秘訣を発明王のトーマス・エジソン「Thomas Edison」の中に見ることが出来ます。 エジソンは、生涯で1300もの発明を行いましたが、同時に、数数え切れないほどの失敗をしました。よく知られている最初の失敗は、小学校を退学になったことでしょう。授業で教師から、「1+1=2」と教えられたエジソンは、それに納得しないで「1+1=1だと思います」と言い張りました。教師はあきれはて、エジソンを退学させました。エジソンはその時、深い傷を負ったはずですが、母親の愛に支えられました。その母親の愛がなかったら、エジソンはおそらく自暴自棄になり、投げやりになり、荒れ果てたことでしょう。そう考えると母親の愛は偉大です。 ところで、エジソンが退学になった理由をよく考えてみると、本当に妥当だったのでしょうか? 算数では、「1+1=2」ですから、エジソンの間違いです。しかし、理科ではどうでしょう?「1+1=1」になることもあります。例えば、1つの粘土のかたまりと、もう1つの粘土のかたまりを合わせたら、1つの粘土かたまりになります。教師は、算数の授業だったので、「1+1=1 以外はない」と思い込んで、「この子は頭がおかしい!」と決めつけましたが、エジソンが、先生の意見をそのまま受け入れていたら、のちの発明王エジソンはいなかったでしょう。世の中には、こういうことで、自分の類まれなる才能を失敗と思い込み、自信を失って挫折する人も多くいるのです。残念です。この世には、失敗を失敗と認めない限り、失敗はないのです。 しかし、そういう強さを持つためにはどうしたらいいでしょうか? それは、愛によってです。愛された体験は、どんな逆境の中にあっても倒れず、倒れないばかりか、前進する力が与えてくれるからです。ある人は、「私にはエジソンのような母がいませんでした。親は私を愛してくれません。どうしたらいいでしょうか?」と言う人もいるでしょう。世の中不公平かも知れません。しかしそうではありません。誰でも平等に愛される体験を持つことができます。誰でもです。 多くの人は、その愛を恋人の中に探し求め、結婚をしますが、夫や妻の中にそのような愛はなかなか見い出せません。1つだけ方法があります。それは、神の愛を通して愛される体験を得ることが出来ます。神はあなたを、失敗を責めるのではなく、あるがままで包み、愛し、許し、受け入れて下さいます。その愛が具体的に現されたのがイエス・キリストの十字架です。 エジソンは、電球を発明するまで一万回失敗したと言われています。しかし、そのことをエジソンは失敗とは言いませんでした。そう言わせたのが愛の力です。インタビュアーに、「エジソンさん、あなたは一万回も失敗したそうですが、苦労しましたね」と質問された時に、「私は失敗していません。うまく行かない方法を一万通り発見しただけです」と言いました。 ドリームス・カム・トゥルーの「何度でも」という歌の詩に、「10000回だめで へとへとになっても 10001回目は 何か 変わるかもしれない」という一節がありますが、これはまさにエジソンのことを歌ってると思います。 主演浅野温子と武田鉄矢のドラマで、「101回目のプロポーズ」というものがありましたが、100回プロポーズして断られて失敗しても、101回目に成功したならば、失敗ではなく成功です。「結婚相手としてふさわしくなかった人100人がプロポーズを断ってくれたので、一番ふさわしい1人に会えたので良かった!」ということになるのです。有名なセリフですが、「僕は死にましぇん。」「僕は死にましぇん。」「あなたがすきだからー!」「僕が幸せにしますからー!!」感動的ですね。 私自身、恥ずかしながら、今に至るまで何度も何度も失敗を繰り返して来ました。今でも失敗することがあります。しかし、私は、失敗を通してたくさんのことを学ばせて頂きましたので、失敗は決して失敗ではありません。 失敗したからこそ、思い通りに行かなくて悩んでいる人の相談に乗ることが出来ます。その思いを受け止め、どうやったらその悪循環から立ち上がることが出来るのかを実体験として丁寧に語ることが出来ます。 小さな失敗をたくさんして来ましたので、致命的な失敗をしないで済んだなー、と感謝しています。 失敗を通して、何が一番大切で、何がそれほど大切じゃないかを知ることが出来ました。これらは、私に取って大きな財産であり、この失敗が私に取っての成功につながっています。しかしながら、成功らしい成功はまだしていませんので、これからですね。私は、失敗こそ、成功の母であると確信しています。 どうぞみなさん、失敗を恐れないで下さい。そして、失敗しても落ち込まない、倒れないためにも、神の愛であるイエス・キリストと出会って神の愛を心行くまで味わって下さい。そして、失敗から学び、失敗を成功の母として前進して行って下さい。人生には失敗は付きものですし、失敗の可能性はいくらでもあります。ということは、人生には成功の可能性がたくさん隠されているです。そうであるならば、失敗にも感謝し、共に前進し続けてまいりましょう。
2012年07月25日
コメント(3)
2012年07月23日
コメント(0)
こんばんは\(^▽^)/! 今日は、多忙な一日を過ごしていました。2年位前に、自分のキャパを超えるハードワークを毎日自分に課していて、いつしか自分の限界を忘れてしまっていたのか、入院することになりました。1年前には、懲りずに忙しい毎日を送っていたら突然ぎっくり腰になり、3日間身動き出来ない状態でした。人にはそれぞれ、ちょうどいい忙しさがあるようです。私はそれを超えないように心がけています。そうしたら、とても楽で、ゆったりした毎日を送っています。イメージは、コマが全力で回っているけど、ぶれていないような様です。また明日お会いしましょう。おやすみなさい。☆GOODNIGHT☆(;д;)
2012年07月23日
コメント(0)

おはようございます。涼しくて過ごしやすいですね。天然クーラーが効いているようで幸せな朝の時間を過ごしています。風邪をひかないように気をつけてくださいね。 ある日曜日の礼拝の時間。牧師のメッセージも終わり祈りの時間となった。ある青年が当番だったが、真赤で悲壮な顔で、「主よ、今の私の苦難を救いたまえ、アーメン」と祈るなり、走って会堂から抜け出した。あたりは感動に包まれていた。急いで帰らなければならないほどの苦難と戦っている青年、頑張れと。その頃、走り去った青年はトイレでほっと一息付いていた。 目に見えるような光景ですが、間に合って良かった!と思います。 私たちの教会は、礼拝中にトイレに行きたくなったら、いつでも気楽に行って下さい。携帯は、マナーモードにして頂きたいですが、緊急の電話の場合は、どうぞ、外に出て電話を取って下さい。 牧師にとって、礼拝は一番大切な時間です。何よりも優先します。しかし、次のような場合には、礼拝を一時ストップしたり、中断します。それは、人の命に関わるような時です。心筋梗塞、脳梗塞になってしまった場合、妊婦の方の陣痛がはじまってしまった場合などです。 礼拝は、造り主である神をほめたたえ、神に心を向ける時間です。携帯電話に例えるならば、充電器に繋ぐことのようです。礼拝をしないで日曜日にレジャーに行くことは、同じく携帯に例えるならば、電源をオフにして休ませることです。しかし、電源をオフにしたら、それ以上充電は減りませんが、増えもしません。充電がなくなったら、充電が必要なように、一週間に一回は、神を礼拝することが人には必要です。 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイの福音書11章28節) 毎週日曜日に、教会では礼拝の集会を行なっています。また、インターネットで礼拝の集会の中継をしています。良かったらどうぞ。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年07月21日
コメント(3)
権利を声高に主張にする人を見たことがあるでしょうか?それは必要な場合もありますので一概に言えませんが、概してみにくい姿をさらすことになります。 あるスーパーで、店の入口に近い駐車場が車椅子マーク付いています。そこに一人の体の不自由な人が自分で車で運転をして買い物に来ました。いつものように、車椅子マークの付いた駐車場に駐車しようと思ったら先客がいました。見るとその車には車には車椅子マークのシールが貼られていないので、健常者の車と思い込み立腹したようです。 レジで怒鳴る声が聞こえるの様子を見ていると、その体の不自由な方が店員に激怒しながら、「あそこに健常者が車を停めている。あなたたちはなぜそれを見過ごしにするのか?何をやっているのだ!私は車椅子に乗っているんだぞ、なぜ見て見ぬ振りをするんだ!買ったものを車まで運んでくれ!」と、権利の主張をしていました。ほとんどの人があきれ顔で一部始終を見ていました。 通常、権利は自分で主張するものではなく、他の人から認めてもらうものです。この方が苦労しながら車椅子を操作して買い物をしていたら、「良かったらお手伝いしましょうか?」と、店員でなくても誰かが声をかけてくれるものだと思います。 最近、喫煙できる場所が減っていますので、喫煙者は肩身がせまい思いをしていると思います。だいぶ前から使われた言葉にホタル族というものがあります。お父さんが、奥さんや子供たちに遠慮して、タバコを一人でベランダで吸ってる人のことです。夜の暗闇の中で、タバコの火が付いたり消えたりするのがホタルの光のように見えるからでしょう。このお父さんは、「自分にはタバコを自由に吸う権利がある!」と自分の権利を主張したのではなく、「他の家族に受動喫煙喫煙させてはいけない!」と、家族の権利を守るという自分の義務を果たしていました。 しかし、条例で灰皿のないところでタバコを吸ってはいけないという決められているにもかかわらず、平気で吸っている人を時々見かけます。しかも、それを注意した人に対して逆ギレして、怒鳴り散らしている人を何度か見たことがあります。この人は、「タバコを吸う自由と権利がある!」という主張をする前に、条例で決められているように、「灰皿のないところでタバコを吸うのは良くないなー。今は吸いたけれど我慢しなければならないなー。」と義務を果たすなら、タバコの煙で嫌な思いをする人がいないですし、人から注意されて腹を立てることもありませんし、灰皿のあるところに来た時の一服がまたたまらないことでしょう。 家庭の中で争いが起こるのは、おそらく権利を主張し合うからではないでしょうか? 聖書には、「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。・・・妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。・・・夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」と書かれています。 この言葉は、権利を主張する勧めではなく、義務を果たす勧めです。神は夫に対して、「妻を愛せよ。たとえ従わない妻であっても愛しなさい。」と教えます。そのように、夫が妻を愛したら夫婦喧嘩は夫婦円満に変わります。 神は妻に対して、「夫に従いなさい。」と教えます。そのように、妻が夫に従ったら夫は妻を自然に愛するようになります。そんな夫に妻は、従いたくなり、夫婦関係は毎日がハネムーンになるでしょう。 しかし多くの場合は、妻は夫に愛を求め、夫は妻に従うことを要求します。権利の主張からは平和は生まれません。 私は平和運動に反対している訳ではありませんが、平和運動は、平和という大義名分を掲げ、平和の名のもとに権利を声高に主張し、平和を壊している可能性もあります。 最近の原発反対デモは、国民の安全と生活を第一に考えるべき政府が、福島第一原発の事故も収束していないのに、国民の声を聞いていないかのように原発を推進しているので、これは必要なことだと思います。そして、今日のこのテーマの話の中で論じるのは難しいですが、反対運動のデモは、敵意を持って行うのではなく、その心の痛みや苦しみを訴えて行くことが大切だと思います。また、総理大臣は、直接選挙で選べるように改革して行かないといけないなーと感じますね。 話が広がりましたが、どうぞ私たちは、自分に与えられた義務を果たすことに思いを集中し、自分の権利を主張することを極力減らして行けたら幸いだと思います。そして、愛に近づき、他社からも、愛される生き方につながって行くのではないでしょうか? 最後に、権利の主張を減らして、感謝する心と言葉を増やして行ったらどうでしょうか? また、義務を果たすことを増やし、そこに愛を込めて行なって行けたら素晴らしいですね。今日は、道徳的な話をしましたが、その話を聞いたからと言って人が変われるのではありません。人が変わるのは、権利の主張を下ろし、義務を果たして下さったイエス・キリストとの出会いによってです。キリストは、神ですから、人を裁く権利があります。しかし、人を裁くのではなく、その裁きを自ら身代わりに十字架で引き受けて、死んで甦って救いの道を与えてくださいました。この方との出会いが人を新しくし、新しい人生をスタートすることができます。共に人生を再出発しませんか?
2012年07月21日
コメント(0)
人には、誰かに打ち明けたいけれど、言えない悩みがあるものです。そうじゃないでしょうか? 「誰かが聞いてあげられたらこんなことにならなかったかも知れないのに・・・、」と後で言われることがあります。 話して理解してもらえるなら、とっくに話していることでしょう。話しても、理解されないばかりか、批判されたり、馬鹿にされたりして、かえってストレス溜まったり、言ったばかりに余計につらい状況になってしまうことがあります。 言えない悩みを解消する一つの方法は、小出しにして、多数の人に打ち明け、相談することです。この場合、話す相手がどこまでならば許容してくれるか、理解できるかを見極める必要があります。 言えない悩みを解消する二つ目の方法は、自助グループなど、共通の悩みを持ち、クローズドで、秘密が守られるような集まりの場で話を聞いてもらったり、互いに受け止め合うことです。これは前の方法よりももう少し深い話ができますが、どこまで話すことができるかは微妙な部分があります。 言えない悩みを解消する三つ目の方法は、カウンセラーや私のような牧師や各専門家に相談することです。これは、その道のエキスパートですから、色々な経験もありますので、適切なアドバイスをしてもらえる可能性があります。しかし、完全に解決するかどうかは微妙な部分があります。 最後に、言えない悩みを解決するもうひとつの方法は、神に全てを打ち明けることです。神は、あらかじめ私たちの全てを知っておられ、全てを受け止め、全てを許し、全てを愛して下さる方です。神に祈ることは、完全な解決への第一歩です。もちろん、神に祈るだけではなく、前述の3つの方法を併用することをおすすめしますが、それらの方法は、完全に解決できる保証はありませんし、かえって悩みが増える可能性もあります。しかし、神に祈ることで、神は生きておられますので、祈りに答えて下さり、完全な解決を得ることができます。 「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:6~7) 「いつくしみ深き 友なるイエスは 罪・咎・憂いを 取り去りたもう 心のなげきを 包まず述べて などかはおろさぬ 負える重荷を」 (賛美歌312「いつくしみ深き」)
2012年07月20日
コメント(1)
中国のことざわに 「一日幸せになりたければ酒を飲みなさい。 三日幸せになりたければ結婚しなさい。 七日幸せになりたければ豚を殺して食べなさい。 一生幸せになりたければ釣りをおぼえなさい。」というものがあります。 イギリスのことわざの、 「一日だけ幸せでいたいならば、床屋に行け。 一週間だけ幸せでいたいなら、車を買え。 一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しろ。 一年だけ幸せでいたいなら、家を買え。 一生幸せでいたいなら、正直でいることだ。」というものは有名ですよね。 イギリスのことわざでは、「結婚をしたら一ヶ月幸せである」というのに対して、中国のことわざでは、「結婚の幸せが三日である」というのは、ちょっと短いですね。 本来の結婚は、日を重ねれば重ねるほど幸せを感じることが出来るはずですし、一生幸せなものです。 なぜ幸せが継続しないのでしょうか? そこには何か間違いがあると思います。 結婚する二人は、今まで全く違う環境に育ち、赤の他人でした。さらに、男女の違いもあります。お互いが違って当たり前ですし、性格が不一致で当たり前です。 それを強引に一致させようとするから問題が出て来るのです。まずは、あるがままで相手を受け入れ、あるがままを許し、あるがままを愛することが大切です。 次に、絶対貞操を守ることです。浮気、不倫をしたとしたら、家庭が壊れても仕方がありません。パートナーを愛していれば、それは絶対に受け入れられないものです。不倫が文化であるというのはあり得ない考え方です。 あと、結婚生活を続けて行くためには、親しき仲にも礼儀が大切です。こんな話を聞いたことがあります。 「結婚前は、両目を開いて相手を観察しなさい。結婚後は、片目を閉じて、相手に不満を言うのはやめなさい。」 相手を自分の考え通りにコントロールしようとしたり、相手の悪口を言ったり、非難することは失礼なことです。開いた片目は、相手のいい部分だけを見て、それをほめること。何かしてもらったら「ありがとう」、何か間違いがあったら「ごめんね」を言うことは大切です。 まとめとして、互いの違いを認め、あるがままを受け入れ、許し、愛すること。貞操を絶対に守ること。親しき仲にも礼儀ありで、結婚前には、「この人は自分が一生涯生きて行くのにふさわしい人なのか」を見定めて、結婚後は、片目を閉じて、悪い部分には目をつぶり、いい部分だけに目を向けて行くことです。 多くの場合は、これが逆になっています。結婚前は、ぽーっとなって、片目はおろか、両目をつぶってしまったまま結婚をし、結婚後に我に返って、「しまった!」ということになり、相手を変えようとし、変わらなければさらに変えようとして関係が壊れたり、浮気や快楽、酒やギャンブルや道楽に走って関係が悪化したり、最後には離婚をします。 イギリス人は、結婚の幸せが一ヶ月間、中国では、結婚の幸せは三日間ということですが、日本はどれくらいでしょうか? しかし、何人でも結婚の幸せが終わりそうになる日は必ず来ます。しかし、これは恋が終わるのであって、幸せが終わるのではありません。恋は終わるものです。 恋は二つの形に変えて終わります。一つは、別れるという形で終わり、もう一つは、愛という形に変えて終わります。そして、後者の形で恋を終わらせ、一生幸せな結婚生活を送れるようにして行けたらいいですよね。家庭が幸せだったら、人生のほとんどが幸せになるものです。どうぞ、結婚関係を見直し、考え直して行きましょう。私たちは幸せになるために生まれて来たのですから。
2012年07月19日
コメント(0)
祖母は、19年間入所していたキリスト教の老人ホームである「キングスガーデン」をとても愛していたようです。晩年をお世話になり、充実した時間を過ごせて幸せだったと感じます。 天に召される1週間前まで、病院に入院していました。そして、「退院は無理ですね」と主治医から言われていましたが、「どうしても病院で最期を迎えたくない。キングスガーデンで最期を迎えたい。」と希望しましたので、退院し、施設に戻りました。 施設に戻った後、ほとんど自力で食事ができない状態でしたので、職員が食べさせてくれたようですが、「点滴などの医療行為、延命処置は一切しないで下さい。」というのが本人の希望でしたので、1週間、毎日数十グラムくらいの食べ物を口に入れるだけで、「いつ亡くなってもおかしくない状況です」と聞いていましたが、火曜日の朝、施設長や職員の方々に囲まれて、賛美歌312番の「いつくしみ深き」を讃美しながら、抱きかかえられながら息を引き取ったとそうです。 施設長やヘルパーの方が、「こんなに美しくて最期はまずありません。菅野(祖母)さんは、本当に祈り深い人でした。」と、何度も繰り返し言ってくれました。祖母は、最期を何人もの方に愛され、見守られ、看取ってもらえて幸せだったなーと想います。 その話を聞いて思い出したのが、マザーテレサのお話です。マザーテレサは、最も貧しいと思われる地で、道端で1人最期を迎えようとしている人に、愛を伝えながら、抱きかかえながら最期を看取る働きをしました。そのような死を迎える人に取っては、もしかしたら、人生の中ではじめて愛され、大切に扱われた人もいたことと思います。 人の命の尊さを思い起こされます。そしてその命は、肉体の命だけではなく、永遠に生き続ける霊と魂の命の尊さを思います。 「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」「たとい全世界をもうけても、命を損するならば、その人は何を得するのだろう。」(聖書)
2012年07月18日
コメント(0)
祖母のお葬式は無事に終わりました。納棺式とお別れ会(告別式)の司式を行いました。お葬式では、普段はあまり話すことのない、死と生の神秘について考え、必然的に人間、神、聖書の本質を自然に触れることが出来ます。疲れましたが、とても有意義な時を過ごすことが出来ました。最後は、棺桶の中に花を一杯飾って終わりました。みなさんのお祈りありがとうございました。 祖母は、延命処置をしないで老衰により享年100歳で天に召されました。昨日亡くなって、今日葬儀というのは異例の早さでした。故人の希望により、筑波大学病院に体を献体することが決まっていましたので、葬儀後の会場にお迎えに来たのは、霊柩車ではなく病院の車でした。医学発展のために解剖などをして、1~2年後に返却されて、病院側で火葬し、遺骨を届けてくれる予定です。 祖母は、軽費老人ホームに16年、特別養護老人ホームに3年間入所しましたが、特別養護老人ホームに移った時には、緑内障により視力をほとんど失っていましたので、それ以前に、自分の死の準備を完全に終わらせていました。その準備は完璧でした。最後に着ていた着物も自分で着付けをするという念の入れようで、子供や孫やひ孫をはじめ、施設の関係者、友人に宛てた手紙なども書いて、亡くなった後に投函し、開封してもらうようになっていました。 ところで、ある著名な医師は、人間の一番いい死に方はガンによる死だと言います。それは、余命を聞かされ、死と対峙し葛藤しながら、やがて死を受け入れて、死を見据えながら一日一日を大切に過ごす中で、家族や友人とのお別れをし、やり残したことを一つ一つやり終えてから亡くなるので、悔いのない死に方ができますし、家族や親族も慌てないし、いい死に方なのだそうです。 こんなこともあるそうです。ある人が、ガンで、「余命半年」と宣告されてから、今まで念願だった世界旅行に出かけたそうです。しかし、その旅行があまりにも楽しくて、おいしいものを食べ、飲み、笑って、楽しんでいるうちにガンが消えてなくなってしまったそうです。笑いや楽しい心の状態は、ガンを死滅させる物質が体からたくさん出ているそうです。聖書には、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」と書かれていますが、喜び、笑い、感謝は長寿につながるようです。 しかし、一つ言えることは、私たちはいつか必ず天に召される日が来るということです。その日を見据えた上で、今を大切に生きることが、いい生き方につながると思います。おそらく、ほとんどの人は、自分が死ぬ存在ということも意識しないで生きているのではないかと想います。しかし、終りのある、一回だけの人生です。仮に今晩がその日でも、悔いのない、「私の人生はとてもいい人生だった!」と言える生き方をして行きたいですね。 お祈りをして下さったみなさんに心から感謝を致します。
2012年07月18日
コメント(0)
今朝7時頃、私の祖母が天に召されました。祖母は、私の父の信仰を通してクリスチャンになり、晩年は、キリスト教の老人施設「キングス・ガーデン」に入所しました。享年100歳の幸せな長寿を全うしました。お葬式の司式は私が致しますので、明日(18日)の早朝に家を出て、筑波のキングス・ガーデンに向かいます。 昨年のクリスマスに、家族で祖母を訪問した時には、元気に私の子供たちであるひ孫と会って喜んでいました。また、クリスマスの賛美歌を共に歌い、お祈りをして帰って来ました。その祖母がもうこの世にはいないと想うと寂しくなります。 牧師をしていますと、冠婚葬祭に立ち会う機会が多くあります。その中でお葬式は特に心に深く感じるものがあります。謙遜にさせれ、悲しみという同じ感情を共有しながら、命の大切さを想います。 人の死には大きく分けて三種類あります。 一つ目は、三人称で呼ぶ人(人々)の死です。これは、もちろん悲しみを感じますが、第三者的な部分があります。 二つ目は、二人称で呼ぶ人(あなた)の死です。これは、家族の死です。小さな頃から一緒に生活をしていた人の死というものを、私は今まで、一緒に生活をした人の死を経験したことがありませんでした。心震え、存在の深いところから悲しみを感じます。ところで、人間が一番ストレスを感じる出来事は、配偶者との死別だそうです。二人称で呼ぶ人の死に対して、神様からの特別な慰めと人々を通しての慰めが必要だと感じます。前夜式(通夜)であり、告別式(葬儀)などは、故人の遺族や近親者に取って慰めを受ける場になっているのだと想います。 三つ目は、一人称で呼ぶ人(私)の死です。これは自分の死です。今生きている人は一度も経験したことがありませんが、いつかその日が来ます。お葬式の司式をさせていただくときに、いつも「いつか私もこのようにして送ってもらう立場になるんだなー」ということを想います。その日をいつも心に留めながら、謙遜に、そして、大切に一日一日を歩ませて頂きたいです。 「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』」 (ヨハネの福音書11:25~26)
2012年07月17日
コメント(0)
旧ソ連の詩人であり小説家のポリス・パステルナークは、「人は生きるために生まれる。生きる準備をするために生まれるのではない。」と語りました。確かにそうだなーと思います。 人生は丸々本番です。だから、「こうなったら~」という生き方は終わりにしましょう。小さな子供は、「大きくなったら~」と、今を生きないとしたらどうでしょうか?その子が大きくなっても、大きくなったことが現在になった途端に、今度は、「お金を沢山もらえるようになったら~」「もっと偉くなったら~」「結婚したら~」となり、これは、終わりのない堂々巡りのようです。 結婚をしたら、今度は、「子供が生まれたら~」「この子が大きくなったら~」「この子が働くようになったら~」「この子が結婚をしたら~」「この子を通して孫が生まれたら~」「孫が大きくなったら~」と、果てしなく今を生きない生き方をしたら、いつ人生の本番が来るのでしょうか? 人生は、いつも今が本番です。 しかし、人生を完全燃焼し、いつも今が最高!と感謝しながら生きている人は少ないかも知れません。人は生きるために生まれてきたのに、生物学的には生きていても、生き生きと充実していな人生は、生きていていても死んでいるようなものです。 この世界にただ一人、死ぬために生まれて来た人がいます。クリスマスに生まれたイエス・キリストです。この方は、十字架で死ぬために生まれました。自分が死んで、死んでいる人を生かすためにです。キリストは、あなたの身代わりで死にました。自分を作られた神から離れた状態の人を罪人と聖書は語ります。切られた植物がやがて枯れるように、神から離れた人もやがて死にます。人が死ぬ原因は、神から離れた罪です。その罪の刑罰を身代わりに引受けられたキリストを信じ、キリストと出会い、キリストと直結されるならば、神の命が流れ込み、神の命によって生きるようになります。 キリストを信じ、キリストと出会い、キリストと直結される人生を生きませんか?そして、生き続けませんか?そうしたら、人生が輝き始め、本当の自分の人生を行き始めるようになります。素晴らしい一週間をお過ごしください。
2012年07月16日
コメント(0)
おはようございます。新しい週が始まりました。今週も期待して行きましょうね。ところで今日は「海の日」。そう言えば、最近海に行ってないなー。子供たちは祝祭日なのでお休みです。昨晩、家族ぐるみでお付き合いをしているの友人のお子さんから、うちの子に、「今日一緒にプールに行きませんか?」という誘いのメールが入りました。それは、私を含めたお誘いなので、一瞬「どうしよう?」と考えました。子供たちはお休み。でも、私は休みではないからです。プールに行くとしたら、「じゃー、行っておいで(#^.^#)」と、子供たちだけで行かせるわけにはいかないので、私も行くことになります。今日の昼間には、日曜日の説教(講演)と、今晩行われる超教派の徹夜祈祷会の説教(講演)の準備をしな くてはいけないし、「プールで疲れたら夜バテないかな?」と考え、迷い、自己防衛本能と戦いながら、子供たちの笑顔に負けました。今朝は、早朝から目を覚まして、昼に準備する予定だった説教準備をしていました。そして終わりました。爽快です。ただし眠いです。みなさんは、今日の「海の日」どのように過ごされますか?良い休日を過ごして下さい。今日一日、水難事故、交通事故、熱中症、食中毒などから守られるようにお祈りをしています。 「神よ、守ってください。なぜなら、わたしは、あなたを避けどころとするからです。」(詩編16:1)
2012年07月15日
コメント(0)
おはようございます。気持ちの良い朝を迎えられてうれしいです。みなさんはどんな朝を迎えておられますか?ネットでは、地球の真裏の人ともつながっていますし、「こっちはまだ夜だよ」って言う方もいるはずです。地球は陸続きでなくても一つの惑星です。一つの村、一つの町と考えてもいいんですよね。 先週は、九州の熊本県、大分県などで集中豪雨があり、約20人の命が失われるという自然災害がありました。一刻も早く、救出を待つ人がいたら救出されますように。また、避難場所で疲れ切っている方々にいやしがありますように。愛する家族、大切な人を亡くされた方に神様の慰めがありますようにお祈りを致します。 ここ最近、地球上で自然災害が増えているような気がします。集中豪雨をはじめ、竜巻、台風、地震、津波、火山の噴火、雪崩、土砂崩れ、土石流などが起こり、尊い命が失われたり、大惨事になることもあります。 聖書を歴史的に読むと、神様によって地球が創造されてから約6000年が経過しました。地球は一番最初が一番いい状態のようでした。エデンの園があり、人は1000年くらい生きていました。しかし、大きく変化したのは、車の名前にもなりましたが、ノアの方舟の時代に地球全体規模の洪水が起こった時に、天の窓が開かれて、大量の水が雨となって地上に降り注がれました。山の頂上を含む全地が水浸しになりました。 それまで、空には水の層があったと考えられます。その水の層が太陽や宇宙から来る有害物質を跳ね除け、吸収させていたのでしょう。この水の層がなくなってから、人の寿命が長くても120歳になっています。今日も、どんなに長寿でも120歳くらいまでです。 みなさんは、新しい乗り物に初めて乗った時の感動を覚えていますか?子供の頃新しく三輪車、自転車などを買ってもらって、それにはじめて乗った時、ピカピカと輝き、スムーズで軽い乗り味を。新車のバイクの調子良さ、時間を忘れて乗り回したことを思い出します。新車の車を買った時、あの新車の香りと全てが新しい車を運転した時の感動は思い出すだけでわくわくします。 同じように、最初の地球はそのように、新品で、何もかもが最高の状態でした。しかし、6000年が経過し、それまで一日24時間で一回自転し、一年で一回太陽の周りを公転し、人間が住み続け、色々な自然破壊がされる中で、よくその長い年月の間、人が快適に生きられるように保たれて来たと思います。車は、もっと長持ちすることもありますが、だいたい10年10万Kmで買い換える必要があります。それだけでもすごいですが、神様が造られた地球は、6000年もの間、このように動き続けているのは、どれだけすばらしいかということを思います。ただ、最近は段々と老朽化して来ています。3.11の地震が起こったことも、最近の集中豪雨、台風、竜巻、火山噴火なども、その兆候ではないかと思います。 この世界はいつまでも続くわけではありません。いつか終わりの日が来ます。カルト宗教は、日時を指定して、「世の終わりが来る!」と、偽の予言をしますが、聖書は、「世の終わりは必ず来るけれど、いつ来るのかは誰にも知らされないんですよ」と教えます。私たちは、仮に、明日世の終わりの日が来たとしても、りんごの木を植える必要があります。つまり、日常生活を続けることが大切です。今日は、クリスチャンでない人には少し高度なお話ですが、聖書に書かれていることです。やがて世の終わりが来るのです。まず、神を信じる者が携挙されて、7年の大患難時代が到来し、メシヤ(イエス・キリスト)の地上再臨があって、1000年王国があり、この世界の終わりの日が来ます。その日に向けた備えは 必要です。聖書は、「あなたの神に会う備えをせよ」と語ります。 その備えは、神と和解することです。私たちの罪のために十字架に掛かり、葬られ、三日目に甦ったイエス・キリストを信じることです。私たちがすることの全ては、イエスを救い主と信じることです。信じたら、その救いの道を他の人に知らせることです。イエス・キリストの救いは宗教と違います。救われるために、お布施、善行、修行は必要ありません。全て神の側で行なって下さいました。信じるだけです。人間の業によって救われるほど生易しいものではないからです。クリスマスにキリストが来られて、神の側から救いの手を差し伸べて下さっているのです。 この世界は、一つの惑星、一つの村、一つの町です。しかし、戦争が絶えません。悲しいです。この平和な日本でさえも、尖閣諸島をめぐって中国と争っていますし、竹島をめぐって韓国と争っていますし、北方領土をめぐってロシアと争っています。みなさん、政治で解決できると思いますか?それは不可能です。お互いの国益が絡んでいますので、「100%我が国固有の領土である!」と言い合っても解決はあり得るでしょうか?東京都や国が尖閣諸島を買い取るという交渉もされていますが、どうなるでしょうか?見守っていますが、根本的な解決は、ただ一人の救い主イエスを通して一つになること以外に真の世界平和の道はないと信じます。宗教となってしまったキリスト教でも無理でしょう。イエス・キリ ストを通して、世界は一つであることを受け入れる時に、尖閣諸島、竹島、北方領土を共同統治して行けないでしょうか?私は政治家ではなく、牧師なので、こういう話ができることを感謝したいと思っています。もちろん、政治はとても大切です。でも、この世界を一つにするのは、全世界の救い主だけだと確信しています。 天地万物を創造し、私たち人間の創造者である神を信じ、神を共に礼拝しませんか?神は愛です。そして、私たちを愛しています。私たちと共におられます。 〈1〉朝10時半~昼12時 〈2〉夕4時半~6時「教会の集会を生放送」します。 (後ほど、録画放送のURLもお知らせいたします) ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 説教要約(Sermon summary)blog http://pastor.ti-da.net/
2012年07月14日
コメント(2)
いじめは、今になってはじまったのではなく、昔からあったものです。しかし、ここ最近のいじめの実態を見ると陰湿化されているのではないかと感じます。 大津市のいじめは、今メディアで取り上げられていますが、深刻な問題です。身内に甘い体質、隠ぺい体質、見て見ぬ振りをする体質、事なかれ主義的体質など。根本的な体質改善が必要なのではないでしょうか? 最近、身近な友人の子供がいじめられているという悩みを聞きました。この人はいじめている本人やその保護者、学校関係者と話をしても、煙に巻かれた感じでらちがあかないのだそうです。また、学校では校内暴力などもあって、教師が生徒を指導し切れていないようです。 話しあいの中で決まった方向性は、具体的ないじめの証拠、いつ、誰が、どこでいじめをしたか?目撃者のアンケートや証言などをまとめて文章にして、学校長、教育委員会の委員長、区長に渡して、根本的な解決のために動いてもらうことです。それでもダメなら、その文章を毎日新聞にでも送ったら、今の世論と相まって、必ず解決の方向に向かうはずです。 ちょっとくらいなら、そんなに大事にしなくてもいいんじゃないの?という事なかれ主義にメスを入れて、いじめを許さない体質を作って行くことが大切なのではないかと思います。これは、学校だけに留まらず、地域の組織、職場などにもいじめがあります。いじめるのではなく、話し合い、コミュニケーションによって共生して行く国を築き上げて行きたいですね。 いじめる側にもいじめをしている理由があると思います。その理由、原因を話し合って共生を目指したいものです。みなさんの周囲にいじめがあったとしたら、いじめのない社会を共に作って行きたいですね。
2012年07月13日
コメント(0)
今晩も、総理官邸前で「原発反対デモ」がありました。 具体的なデータが示されないままで「原発が必要」と言われても、国民は納得できない!ということが、毎週参加者が増えるデモという形で現れています。国民を代表する国会議員がその議論をしていますが、野田総理は、「さまざまな声を聞く」「多くの声をしっかり受けとめたい」と言われますが、大飯原発3、4号機の再稼働に対して再考する気はないというのは、その「聞く」と言うのはどういうことでしょうか。日本の未来を、国民全体で議論し、考えて行かなければならない時が来ていると感じます。 「この国を神様、導いて下さい。野田総理が、神様の御心を決断できるように助けて下さい。」と切に祈ります。
2012年07月13日
コメント(0)
今日は朝からお茶の水です。昼は、TPC(東京プレヤーセンター)で説教し、その後、山の上ホテルでTPCの代表の人とランチをし、それから、〇治大学の学食でノートパソコンで説教準備中。大学生の若い空気に囲まれて、なかなかはかどらないですが、楽しいです。7時からは、お茶の水クリスチャンセンターでの集会の奉仕ですので、間もなく移動です。それにしても大学の学食の食事の量の多さにビックリです。すごいです。630円で3束入ったラーメン(写真)もあります。今日は、グラタン定食食べました。お腹一杯で幸せな気持ちです。
2012年07月12日
コメント(0)
植物は、自分がいるところで花を咲かせます。同じように、今置かれているところ、与えられた環境の中で花を咲かせて行けたら素晴らしいですね。それはまさに、ナンバーワンを目指す人生ではなく、オンリーワンを目指す人生です。 オンリーワンの人生、今いるところで花を咲かせる人生を良く歌っているのが、作詞・作曲・編曲:槇原敬之で、SMAPが歌った「世界に一つだけの花」です。私はこの曲が世に出る前からこのメッセージを語っていましたし、聖書から出て来るメッセージですので、びっくりしました。そして、紅白歌合戦の時には、賛美歌が紅白で歌われているように感じて感動しました。 花屋の店先に並んだ いろんな花をみていた ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる? 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる? そうさ 僕らは 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい 今いるところで花を咲かせる人生は、 (1)与えられた今この時、この場所、この自分を感謝する生き方です。 (2)ありのままの自分をそのままで受け入れて、自分じゃない自分になろうとしない生き方です。 (3)自分と人を比較しないで、自分に与えられた使命と可能性という名の花を咲かせることに一生懸命な生き方です。 (4)自分と誰かを比較したいなら、昨日の自分と比較して、昨日より今日、今日より明日にもっと成長することを目指す生き方です。 (5)神と直結して、神の命によって成長する生き方です。 「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネの福音書15章5節)
2012年07月10日
コメント(0)
おはようございます。今朝は、子供たちの通ってる学校のPTA活動に行って来ます。学校の校門の近くで黄色い旗を持って立ちます。さながら、みどりのおじさんです。 「PTA」は、「parent-teacher association(父母と先生の会)」の略です。PTAは各学校で組織されていますが、色々な学校のPTA活動を覗いてみてわかったのは、学校によってPTA活動の温度差や雰囲気は千差万別ですね。何年か前にPTAの役員をやっていた頃、しょっちゅう学校に行かなければいけないので、子供たちの様子を見れるのはいいのですが、時間のある人じゃないと大変だなーと感じました。 ところで、昨晩は子供たちを連れてプールに行って来ました。子供たちの学校では、水泳に力を入れていて、体育の授業の中で水泳の授業が多いようです。それなのに、学校では泳ぎ方をほとんど教えてもらえないらしく、水泳教室に行っていない子供たちは、なかなか泳げるようにならないようです。私が子供の頃は、気が付いたら泳げるようになっていたことを思い出しますが・・・、「いっちょ特訓でもしてあげよう!」と思って、三人の子供を連れてプールに行きますと、何と、子供たちの友だちとそのお父さんが来ていました。驚くべきことに、そのお父さんが水泳の指導員をしているというので、ついでにうちの子も教えてもらってしまいました。とてもラッキーでした。もう一つ驚いたことは、消防団 で一緒に活動をしている人が、プールのライフガードをしていました。お互いに、「見覚えのある人だなー、似ているなー」と思い合って、ついに確信を持って声をかけ合いました。世界は狭いものですね。 間もなく私は、みどりのおじさんに変身して、子供たちの登校を見守りに行って来ます。子供たちの笑顔と、「おはようございます!」の声が楽しみです。この子達は、次の次の世代を担う尊い存在です。宝ものです。最近、集団登校の列に車が突っ込んだり、父兄の車に引かれたり、尊い命が失われることがあり、とても心が痛く、許せない気持ちになります。車を運転するドライバーのみなさんには、命の尊さを改めて認識し、慎重にハンドルを握ってもらいたいものですし、子供たちも、車の動きに気をつけながら登下校してもらいです。私たちも、交通事故に会って、被害者や加害者になることがないように、また、素晴らしい一日でありますように心からお祈りをいたします。 「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。」(詩篇121編1節8節)
2012年07月09日
コメント(0)
http://www.youtube.com/watch?v=dlSsUNtTA_I
2012年07月09日
コメント(0)
夕方4~5時位から、牧師会の牧師たちと聖書メッセージの生放送がスタートします。 ニコニコ動画 http://nico.ms/l/co114841 ステッカム(stickam)TV http://www.stickam.jp/profile/pastor 教会(Church)HP http://www.geocities.jp/sgr_ch/ 新しい週に、神様の祝福が豊かでありますように祈ります。 今日は、二ヶ月に一度の「ハレルヤ牧師会」があります。この会は、牧師だけの集会です。最初は、韓国料理屋で一緒にランチを食べて、会場である私の務める「新宿福興教会」に移動し、賛美歌を歌い、お祈りをし、お互いの近況報告をします。そこで同じ働きをしている者同士、互いの立場や苦労が良く理解できるので、心通わす時間です。 牧師同士はどんな関係でしょうか? きっと同業者だから、互いにライバル関係にあると思われる人もいるでしょうか?もちろん、そういうふうに考える牧師もいるかも知れません。しかし、基本的にお互いを、お互いを「同業者」と考えるのではなく、「同労者」と考えます。つまり、「ライバル」ではなく、「仲間」です。互いに助け合い、励まし合い、祈り合って、支え合う関係です。 ところで、カトリックの教会の組織はバチカンのローマ法皇を頂点とするピラミッド型のヒエラルキーです。プロテスタントの教会は烏合の衆の集まりです。カトリック教会は、どこにある教会の任ズッが増えても減っても、一つのピラミッドですから、そこに競争という概念はありません。しかし、私が属するプロテスタント教会は、烏合の衆の集まりですから、Aという教会の信者が、隣のB教会に移動したとしたら、A教会の信者数が1人減り、B教会の信者数が1人増えます。 目に見えるところだけを見ていたら、プロテスタントの牧師同士はライバル関係になり得ることになります。しかし、教会は、各地域名の看板のついた「地域教会」という概念と、全ての教会は1つのキリストの体である教会であるという考えの「普遍的教会」という概念があります。この後者の普遍的教会ということをしっかり見据えていたら、A教会からB教会に信徒が移動しても、一喜一憂しないで済みます。 「セブンイレブン」と「ファミリーマート」と「ローソン」、「吉野家」と「松屋」と「すき家」、「トヨタ」と「日産」と「ホンダ」などは、ライバル関係にある企業だと思われますが、互いに蹴り落としたり、足を引っ張り合うよりも、自分の会社をより良くする方向に磨いて、協力できるところを協力し合い、助け合うことでさらに顧客を獲得する方法もあるんじゃないかと思います。教会は、日々前進し、より良くして行こうと切磋琢磨し、互いに励まし合い、神の愛を一人でも多くの人に伝えて行こうとしています。 世界に目を向けると、現在、国同士の戦争をしたり、内戦をしている国々はたくさんあります。戦争は国益が絡んでいますが、国民にとっては「百害あって一利なし」です。何もいいことはありません。それは、他の外国に対して、利害が一致するかしないかで、「ライバル」と見たり、「仲間」と見ることから始まっているのでしょう。しかし、宇宙から見た地球に国境線は引かれていませんし、地球は一つの惑星であり、一つの世界であり、もっと言えば一つの村です。国同士、互いに切磋琢磨し、互いに励まし合い、互いに助け合って行ったら世界は幸せに近づいていくのではないかと思います。そのために、牧師会があるように、国家元首の集まる「元首会」を定期的に行なって、一緒に食事をし、それぞれ の近況報告をし合い、祈り合い、心を通わせたらいいのになーと思います。牧師会から話が膨らみましたが、牧師会は大切なひと時だと感じます。
2012年07月08日
コメント(0)
2012年07月07日
コメント(0)
おはようございます。昨日の誕生日にはお祝いのメッセージなどを下さったみなさんに心からありがとうございます。返信をするだけでアップアップする状況の中で、うれしい悲鳴でした。また、その方の誕生日の時にはメッセージを書けなかったのに、一方的に頂いてしまって、心を痛めつつ感謝をしました。どうぞ良い週末を過ごして下さい。 昨日私は、誕生日のほかに、結婚記念日でもあり、家族で東京ドームに巨人×阪神戦を見に行き、子供たちは疲れてまだぐっすり眠っています。良い週末、ゆっくりした時間を過ごして下さい。God bless you(#^.^#)
2012年07月06日
コメント(0)
今日私は、41歳になりました。人生の節目にいつも交流いただいているみなさんに感謝を致します。神さまが与えて下さった出会いに感謝をいたします。これからもどうぞ、よろしくお願いします。お祝いメッセージをありがとうございます。 今日、7月6日に誕生日を迎える著名な人は、 アメリカの俳優 シルベスター=スタローン(Sylvester Stallone) アメリカの第43代大統領 ジョージ=ブッシュ Jr. (George Walker Bush,Jr.) チベットの宗教家 ダライ・ラマ14世 (Dalai Lama XIV) 歌手の瀬川 瑛子 (せがわ・えいこ) タレントの大西 結花 (おおにし・ゆか) 女優のとよた 真帆 (とよた・まほ)
2012年07月05日
コメント(0)
スマホ・ケータイで最後まで見れない人は→http://9001.teacup.com/sfk/bbs 「性」は、神が人類に与えられた祝福です。神がアダムとエバに、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」と語られました。これは、「子供をどんどん産んで、地上に満ちるように」とういう言葉だけではなく、結婚という関係の中での性が肯定され、祝福されている言葉です。 最近、セックスレスの夫婦が増えているそうです。セックスレスの一般的な定義は、「病気などの特別の事情がないのに、一ヶ月以上性交渉がない夫婦」です。しかし、そのような中で、浮気をしたり、風俗に行って夫婦関係を超えて性関係を持つ人がいます。 聖書は、結婚関係以外の性関係を禁じています。それは、神が私たちから楽しみを奪ってしまうのではなく、愛する人(私たち)が、傷つき、不幸になることから守りたいから語られたラブレターの内容です。 不倫が家庭を壊すことは言うまでもありません。性病になることもあります。社会的な信頼を失い、今まで築き上げて来た地位を失うこともあります。結婚外の性関係は、一時の快楽はあっても、誰も幸せにしないどころか、みんな傷つきます。 「なぜ愛し合ってるのにいけないんですか?」と質問されたことがあります。私は、「本当に愛していて、大切に思うならば、そんなに軽々しく性関係を結ぶことは出来ないんじゃないんですか?愛しているのは、相手の人格ではなく、自分の欲望なのではないですか?」と語りました。「そうですね」と認めてくれましたが、そのまま二度と姿を現しませんでした。 婚前交渉は、うつ病の原因の一つである、という話を聞いたことがあります。目に見えない部分で、自分を傷つけ、相手を傷つけて、傷付け合っているのかも知れません。 性関係は、二人を一つにのりづけし、二度とその関係がなかった状態に戻れなくさせます。のりづけした二枚の紙をはがすと、破れてしまうように、結ばれた二人が離れるときに、大きなダメージを負います。最大のストレスは、「配偶者との死別である」と言われますが、性関係は、二人を一つにして、二度と取り消せない関係にしてしまいます。 聖書は「男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」(創世記2 :24)と語ります。 性関係は、二人を一体にします。これは、全人格的にです。まず(1)肉体的に一体になり、(2)精神的に一体になり、(3)霊的に一体になります。ある時、離婚をしたばかりの人が、「半分になっちゃった感じで寂しいです」と相談に来られました。一体になった相方と別れてしまったら、半分になってしまったという感覚は、そのままの現実です。 しかし、結婚の関係の中での性関係はどうでしょうか?それは、二人をさらに親密にさせ、二人をさらに一つにさせ、幸せな夫婦となり、子供を授かり、家族が増えて行きます。 性関係が二人を一つにするということから、童貞と処女の二人が結婚したのでない限り、それ以前に性関係を持った人数分の人と一体になっています。そうするとどういうことになるかというと、結婚後も、その昔の相手が忘れられず、昔の思い出は美化されますので、その相手と今の相手を比較し、不満を抱き、後悔することもあるはずです。 幸せな結婚関係を結ぶためには、もし結婚相手以外の人と性関係を持ったことがあるならば、神の前に悔い改め、キリストの血で聖めて頂いたらいいのです。「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(ヨハネ1:7) どうぞ、結婚をしている人は、夫婦での性関係を大切にし、その大切な領域に他人を土足で入れないようにして下さい。神は、そこに祝福と喜びを豊かに与えてくれます。 結婚をしていない人は、結婚をするまでその関係を踏みとどまって下さい。本当に相手を大切に思い、愛するならば、軽々しく性関係を持つことは出来ないはずです。 今、日本の家庭は壊れています。日本の夫婦の1/3が離婚をします。アメリカに至っては、半分以上が離婚をするそうです。アメリカよりマシ、と考えないで、家庭が回復されなければなりません。家庭が壊れていたら、そこから生まれ育って行く子供たちは、傷を負い、壊れた状態で大人になってしまいます。その壊れた人が、次の世代の日本を形成して行くのです。 聖書が命じる言葉は、あなたを愛する神のラブレターです。傷つく生き方からあなたとあなたの家庭を守り、祝福し、幸せの道に導いて下さいます。
2012年07月03日
コメント(0)
自分の良い部分を伸ばすことに集中するか?悪い部分を削ることに集中するのか? これは非常に難しいテーマです。両方重要なことだからです。 しかし、削れる悪い部分を削るのは良いことですが、簡単に削れない性質が人間の中にはあります。ことわざに、「無くて七癖」とありますが、癖がないように見える人にも必ず癖はあるものです。癖を悪いものとして削ろうとしても、そう簡単には行きません。削ることができる悪い部分を削ったら、あとはそのエネルギーを良い部分を伸ばすことに活用することが賢明です。 「芸は身を助く」ということわざにありますが、仮に、多くの欠点があっても、一芸に秀でていたら、それだけで欠点がカバーされ、良い評価をされながら生きて行くことができます。 TVに出て来るような有名なタレント、政治家、専門家は、一芸に秀でて、何か他の人に勝る容姿、能力、技術があります。しかし、その人の全てがすばらしいわけではありません。アイドル歌手が結婚をしたら、家事をまともにできないし、わがままで、子育てを放棄して夫に押し付けてしまう人の話を聞いたことがあります。 人は、良い部分もあるけれど、悪い足りない部分も同時に持っています。両方あって人間です。 有名な人を、一つ二つの秀でた部分で良い評価をするように、自分に対して、他人に対して、良い部分に目を向け、評価し、そこを伸ばすことに集中したらどうでしょうか? そうしたら、悪い足りない部分が目立たなくなり、良い部分が伸ばされて行くはずです。 おそらく、悪い足りない部分を削ることに神経を集中していたら、「まだダメ!」「まだダメ!」とらっきょの皮むきのように、最後は何も残らなくなってしまいます。 自分の良い部分を見つけたら、自分で自分の良い部分をほめ、その部分に自信を持ち、伸ばして行ったら、悪い部分を削るより、はるかに人生は楽しくなります。さらに、自分が得意な部分は、他の人に比べても優位にありますので、そこを伸ばすことで、「芸は身を助く」と言われるように、その良い部分一つで人生が豊かになるかも知れません。 次に、人に対して、良い部分を見つけて、良い部分をほめ、評価したら、それを聞いた人はうれしくなり、人間関係が良好になり、人生が楽しくなります。しかしこの場合、見えすいた嘘でゴマをするのは逆効果になることがありますので注意が必要です。でも、率直に「すごい!」と思える部分があったら、そこを評価し、ほめてあげられたらすばらしいと思います。 聖書は、「互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」と語ります。みんな自分に持っていない優れたものを持っているのです。それは、逆に言えば、みんなが持っていない優れたものを自分は持っているのです。自分と他人を比較して、劣等感を持って妬んだり、優越感を持って見下すのではなく、オンリー1のすばらしさを認め合い、ほめ合い、伸ばし合い、豊かな人間関係を築けたら、きっとそこに幸せがあるはずです。いつもありがとうございます。素敵なみなさんに心から感謝を致します。素敵な一週間でありますように。
2012年07月01日
コメント(0)
全29件 (29件中 1-29件目)
1
![]()
![]()
