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2013年09月13日
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カテゴリ: なんだこりゃ
自分はどうも早飲み込みのクチなのかな。


例えばバスタオル。
かなり遅くまでBus towelだと思ってましたよ。だって普通のタオルが乗用車のサイズだとするとバスみたいに大きいし。形もバスみたいでしょ。

↑じゃあさ、バスのない時代はどう呼んでいたと思ってたんだよ、オレ。

でね。数年前まで哲学堂公園近くの水道塔( 旧・野方配水塔 )が哲学堂の本体だと思っていたんです。


この建物ですよ。
  • これが哲学堂じゃなかったのかweb.JPG

御茶ノ水に ニコライ堂 ってありますでしょ。あれもドーム型。お堂ですよ。


つい数年前、冬の晴れた日に車を運転しながら「青空に哲学堂がきれいだね~」と同乗者に話しかけたら
「・・・あれ、哲学堂じゃないよ」

ええっ、そうなの! 
このお堂が哲学堂の本体、道を挟んで哲学堂公園が広がっている、、、わけじゃないんだ。

確かに自分でも不思議には思っていたんですよ。
「何で哲学堂はお堂の本体を公開しないんだろう!?公園だけを開放する特別な理由があるのかな~」って。

理由も何も哲学堂とこのお堂(水道塔)とは何の関係もないじゃんかよ。

子供の頃からずっと勘違いしたまま、大勢の人に「(水道塔を見て)哲学堂かっこいいね!」と話し続けておりました。
皆さんは( ̄ー ̄?).....ハァ??みたいに思っていたんでしょうか。

かなーーーーり、恥ずかしいっす(〃゚д゚〃)

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最終更新日  2013年09月17日 12時09分37秒
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これが哲学堂じゃなかったの?その1  
曹達一平デス。 さん


哲学堂に程近い、この丸でモスクか見張り台のようなドームを持つこの塔を、自分も中野に亡父の親しい友人宅があったことから小学生の低学年の頃から良く知っていましたよ。中野駅方面から望むと、春、中野通りが桜で満開の時には、丸で西方浄土の寺院の様に、夏は緑の中に星嘉波のサルタンモスクの如く佇み、秋には仲秋の名月を観測する天文博士の星見台のようなシルエットで、そして時にはあの恐ろしい怪人二十面相一味か、ショッカーのアジトかと見紛う重圧感を携えて…文字通りランドマーク、圧倒的な存在感を持った座標建築ですね。

さて、ボクの高校はご承知のとおり板橋区東新町にあり、あの頃(昭和50年代後半)あの唄の歌詞の通り「授業をサボって~屋上で~タバコの煙とても蒼くて~」(違うのは男子校で教科書広げている彼女はいませんでした。)とショートホープの紫煙を親友Kと燻らしながら、ふと金網越しに東南の方向を見遣ると、右手新宿より手前に白い中野サンプラザ、その前に見慣れた野方配水塔が、そして左に手が届きそうな近くに瓜二つの形状をしたもう1つの配水塔が見えたのでした。

友人も高円寺が自宅だったので野方の塔は良く知っていたので、二人してもう1つの配水塔の存在に大いに驚き、早速その日の帰り道、一緒に自転車で探しに行きました。近くに見えても実際は20分程かかり、川越街道を東に、環七を越えてから更に東東南に走って到着。

夕暮れ時、板橋区大谷口にその塔は佇んでいました。見れば見る程、野方の配水塔にそっくりで双子の兄弟のようでした。

それから二人で、この二つの配水塔に俄然興味が湧き、色々調べてみると、この塔の設計者は

「近代上水道建築の祖
中島鋭治帝国大学博士」にであることが判りました。

竣工は昭和初期3年に野方、1年遅れて大谷口。

ドームが二つあるロマネスク調のこのタイプの前にも、中島博士の手により大正末期に今の世田谷区駒沢?弦巻にも一対の配水塔が建築されていて、もう一人の友人Aと部活の無い土曜の午後に、チャリで環七を南下して見に行きました。

こちらは野方タイプのモノよりも装飾がバロック建築?大時代的で、王冠の上にエッシャーの「物見の塔」の屋根が載っているみたいで、魔都「伯林」とか「上海」のイメージで我等を大いに悦ばせました。

双子のクラウンはトラスというパイプ橋で繋がれ、要塞の如く圧巻でした。この辺りで俄「配水塔偏執狂」にかぶれて、またも調べて見ると、実は双子では無く、幻の「三つ子(三連配水塔)計画」があったことを知りました。続く~ (2013年10月06日 16時38分32秒)

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