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俺を抱きしめてくれよ!俺の身体が真っ二つに割れないように俺を抱きしめておくれよ!!(バイクをぶっ飛ばしすぎて)俺の身体が解けちまうよ!!(絶叫)by たっちんあたしの負けさあたしを抱きなby 大沼ユミ最近同居人とヤヌスの鏡を見ることにはまっている日曜日の11時にテレビの前に並びケーブルテレビのチャンネルをセットして今か今かと待ち遠しい。なぜって面白いのである。ものすごく真剣なドラマであるにかかわらず二人で腹を抱えて笑うのである。変な芸人よりよっぽど笑わせてくれる。抱腹絶倒。20年くらいさかのぼらないのに当時の視聴者はどんな気持ちで見ていたのだろうか。僕もリアルタイムで見ていた1人だったけれど子供だったので真剣にのめりこんで見ていた事しか覚えていない。なぜこんな事が起こるのだろう服や髪型でも昔のものは十分おもしろいけどセリフや設定や感動値にまで流行りがあるなんて。当時のドラマの中に今のドラマは通用するのだろうか。僕らの信じる価値観や正しいという信念はどんなに柔らかく儚いものだろうと思わずにはいられないですよね
2005.08.29
辞めて以来初めて前の会社の人達と飲み会があった。初めは「合コン」をきっかけに集まることになってたはずだったが(ちなみに本当に合コンだったら生まれて初めてだったのに)知らぬ間にふくらんで蓋を開けてみたら上司まで勢ぞろいしていた。ギャー辞めて以来初めて赤坂に行った。青山霊園を抜けて乃木坂トンネルに入るとなんだかゾワゾワとした。赤坂通りは妙に気分が高揚した。どっちかといえば胸クソ悪いほうに。ずっと自分ががんばってきた場所だった。息継ぎもせずにもぐったままだった場所。同時に「懐かしくない」事に驚いた。またこのままカドを曲がって会社に行ってしまいそうなくらいいつもの光景に見えた。考えてみれば辞めてからまだ3ヶ月もたっていないのだ。精神的には随分遠くまで来てしまった気がしていたのに。自分が移動すると周りの景色も変わったそれでも前の会社の連中はてんで変わりなくそれが楽しかった同期は柄でもないのに別れ際がんばれとも言ってくれた。ヤツは永遠の同期だ上司も相変わらずに接してくれた合コンの名残もあり別業種の人々もやってきた。生まれて初めてその場で携帯の番号の交換という(僕にとって)はなれ技もやってのけた。僕の周りは一変したそして僕自身もどうして昔はあんなだったろうと思い出す事も最近はよくある。今は前より少し優しくなれた気もする兄は仕事をやめて丸くなった僕に「昔の僕に戻ってよかった」といったけど「でもどんなお前もやっぱりお前なんだろうけど」と付け加えてくれた僕はまた過酷な日々になる事を知っている過酷でなければつまらないからただ飛び込むその過酷の場所を僕はじっくり吟味しようと思ってる。とりあえず「がむしゃら」という第一関門は突破したのだ次はどこだ
2005.08.28
言葉はその人より先にその人について語るけれどその言葉がその人をその通りにあらわすのかというと決してそうではない。僕がであった中でそのタイプをわかりやすく分けてみるとa 口が達者(ここでは口数が多い兼口がうまいとする) だけど中身が鍛えられてない人b 口が達者でなくて中身も鍛えられてない人c 口は達者でないけど中身が鍛えられてる人d 口は達者で中身も鍛えられてる人e 口のうまさと中身がほぼイコールの人 (あるいは±1割くらいの標準の人)大半の人がeにあると思う。そして少ない方から言えばcの人は限りなく少ない。ていうか数えるほどしかあったことがない。そして尊敬に値する。dの人ももちろん文句ない。この人間の種類に神のごとき視点で優劣をつけるとしたらこうである。1 c 口<実体 2 d 口=実体 (高いレベルで)3 e 口=実体 (普通レベルで)4 b 口=実体 (低いレベルで) 5 a 口>実体 やっかいなのがaとbである。なぜbがやっかいなのか。それは口数が少ないというだけでお得な面がある。何を考えてるか分からないからなんとなくやさしいという人柄さえ持っていれば、そこから「ああ、立派な感じ」をかもしだす事可能。つまり口数が少ないだけでなんとなくすごいかもしれない可能性の方に期待してしまう感覚がある。だからその人がやっと口を開くと注目される。ここでがっかりしたことが何度かある。「そんな事しか考えてなかったのか。」と同時にそれまで感謝に値していた「うなづき」が「自分の意見言えよ」というイラツキに変わる。そう、軽く裏切られた気持ちになるのだ。「本当にわかってうなづいてくれていたのだろうか」とそれでもそれが小さなことに思えるくらい厄介なのがaである。これの究極の形に出会うと本当に実体が見えるまでに時間がかかるのだ。そしてこのおめでたい人に僕は会ってしまった。ちょっとの間なら口でうまい事言っててもすぐに中身の伴っていないことに気づくものだ。しかし多少人生を生きてきてしかも仕事上いろんな人を見てきたってのに本当に口ばっかり人間国宝なみの人間がいるのである。あれ、おかしいんじゃないかと気づくまでに半年くらい要してしまった。(たぶん一緒に「仕事」をすればすぐにバレる事だったろうけど)おそらくその人間の口にだまされるのは本人がその言葉を口にするとき世界中の誰よりも本人が思い込むことができているからだろう。本人が自分のことばにだまされてるのだ。スゴイ。でもいるのである。彼はたぶん詐欺師にもなれるだろう。でも僕はいえる。どれにしても理解するのにある程度の時間を費やせばどんな人も結局ことばはいつか実体に追いいつかれそして越されていくものである。そうなったらもうどんな言葉もその人以上を演出することができなくなる。ある意味、もう飾らなくていい、楽な関係かもしれない。「分かってもらえてる」という夢も描けるのだ。言葉で飾ってきた方もある程度この切ない瞬間を待っているのだ。で、こんな僕いかかがですか?と。さっき、ことばとからだがイコールだという人がほとんどだと言ったけどそれは自分の演出したい自分とイコールという意味。本当の自分の気持ちを言い得てくれる言葉なんて本当はなかなかなくていつもみんな探しているものなのだ。だからうたってあげませう、なんてポピュラーな人達の商売が成り立つんだけど(結構露骨なやつの方が多いですね)でもそれはいつも思いがけないところにあったりする。一番思いがけないのは自分の中で見つけるときである。でもこれが一番多いんだけど。
2005.08.25
必ずもう一度会えるのだと僕は思っている。ありえない偶然からそうなる経験から。だからたとえ心のこりがあったとしても前に進む途中であえないならばそれはこれからの僕には必要のないものなのだ。第一、皆が生きているなら本当に望んでいて二度と会えないものなんてこの地球にはないのだ。
2005.08.24
わるいことは僕の目の前でいいことは僕のいないところで語って欲しい。ねがわくば
2005.08.22
盆は名古屋ですごしました。長年完全沈没していたはずの父が50を過ぎて復活していて安堵。あんなに腐っていたのに、以前の説得力も吹き返してエライもんだ。楽しかったので兄と二人、つい朝の5時まで話し込んでしまった。その夜、僕は転向する夢を見た。「転向」の夢は圧力をかけていたイヤな人から開放される兆し。ん~あながち間違ってないかも。後は僕が無職なのを理由に5歳と2歳の甥と姪の子守を任命された。子供ってひとときも目が離せない。母は偉大だ。育児ノイローゼも分かるそうかと言って自分の子じゃないから厳しく怒れない5時まで話していたけどその1時間後の6時には甥っ子にふとんダイブされていた。でも怒れない。ところで名古屋でブンブンと車を運転してる時FMを聞いていた。フト思い出したのは高校生活の朝、ラジオが僕を助けてくれてたこと。ハイテンションなガイジンジェームズが送ってくれるラジオ番組。下らない声だけの独りコント(エコー多用)そうかといえば各国のがんばってる団体(保護とか教育系とか)と英語で、自ら日本語訳を入れながら話す様子はかなりイケてた。今彼はどこへ行ってしまったのかなあ。とにかく腐って勉強ばっかりしてた高校生活を朝のひと時が潤してくれた。仕事に入った時週間モーニングが助けてくれた。プライベートな時間が24時間で10分も取れない状況が続いてもモーニングを見てホロリとやればだいぶ助けられた。特に「柴王」で泣いていたそういえば、大学の時や、中学の時はなかったな。そういう、遠隔操作で助けてくれるもの。生活自体が潤ってたからだろうな。いきずまってる僕を知り合いよりも親戚よりも助けてくれるモノが在った。そういうものはいきずまってる人にこそ届くのかもしれない。僕はそういうものが作りたいと思っている。
2005.08.18
その千円札はあの夜の千円札大事な千円札。写真たての裏にはさんでおいた千円札。でももう使わなきゃ。気づいたら僕のお財布は新札ばかりになっている。でも今日も使えなかった。
2005.08.18
少女の夢を全て実現したような結婚式だった。そして参加者皆が感動して泣いていい気分に浸っていた。画的にも美しかった。花嫁は女優のように美しかった。僕はそこで当たり前に余興演出を命じられ期待通りウケてもらってよかった。ごく幸せな結婚式になった。それとは別に底なしに汚れた毛虫のような自分がいて感動の涙を流す純粋な友人の隣でもうしわけない気持ちでいっぱいだった。僕の本音は結婚式にいちいちつっこみたかった。それは僕は彼女をよく知っていたから。たぶんあの会場にいる誰よりも彼女の事を知っている人間だと思う。そうだ、たぶん、花婿よりも知っていると思う。僕の目には何もかもがウソに見えていた。その教会もその父親も友人の手紙も花嫁からの手紙もそこにいる自分もウソの自分なのだ。それでも皆が信じたものが真実になるのだ。日常のヘドを沈殿させて限りなく透き通った上澄み。それも真実の一つなのだ。知っているのは僕だけでたくさんだ。僕は本当は行くべきでなかったのかも知れない。でもウソの自分がそこにいたことで君が安心しているのならそれが君への償いだと思っている。君は幸せなのが似合っている。こんな自分でごめんな。
2005.08.08
いやあ最近いろいろ時間があるからさ昔の事とかたくさん思い出しちゃってそして何の能力かリアルに再現できるもんだから何度も同じところで悲しいんだよねうれしいことってさ結構その場で消費しちゃうんですよね。少なくとも何日かのうちはそのシーンを何度も巻き戻してはその気分を味わう事ができる。でも賞味期限が短いというかフレッシュなうちに食わないとまずいというか。「当時はあんなことでも幸せだった」になってしまう。これに対して悲しみっていうのは保存食なみの寿命でして同じように「あんなことで悲しかった」となるのは乳飲み子時代に限定された話で物心ついてからの悲しみというのはいつまでたっても新鮮だったりする。で、最近思い出す話に戻ると僕はその当時ちゃんと「悲しむ」というタスクを完結できてなかったのではないかと、ふと思ったんです。その時の自分で背負いきれないものはとりあえずのテンポラリーにいく。それはshift+deleteはもちろんごみ箱にも捨てられなくていつかは処理しなきゃいけないものとして残っているのだ。だから今こうして思い出しているのかもしれない。悲しいことはずっと後からやってきたりする。子供が抱えきれない悲しみの記憶を飛ばすのはよく聞きます。そう思うと僕も後から処理しなければならない悲しみはまだ残ってる。僕は祖母の最期に立ち会えなかった。祖母にとって僕は癒し空間だったのに僕はそれを知ってて東京で就職活動を理由に逃げていた。田舎に戻ればおそらくもう戻って来れないと思った。戻っていいよと言われても戻る自分も許せないだろうと。そう思うと戻れなかった。そもそも大学を理由に田舎を離れたこと自体が祖母に対して後ろめたさがあった。僕がいなくなったら彼女がすぐに弱ってしまうと僕は知っていた。祖母は一緒に同居していたが「家族」なんてよくある話と同じようにとうの昔に崩壊していたのだから。祖父も10年前に亡くなって僕がいなくなったら独りになってしまう。それでも僕は田舎を出た。結果僕が田舎を離れてから3年と少しで彼女は亡くなってしまった。もう10年以上も前のガンが再発したのだ。10年たてば大丈夫だと思っていたのに。きっとものすごく寂しかったからだと思う。その間に祖母からもらった手紙は膨大で僕の事を恋しがっているのもよくわかってた。「あなたはタンポポのような子だから」などと書いてあるのを見ると今でも泣けてくる。僕はそんな子ではなかったのだから。だからあまり今でも読めない。容態が悪いのは知っていたけれど危篤の知らせは突然だった僕があったのは亡くなった後だった葬式も終わって一息つく頃同居していた実家の祖母の部屋を兄と一緒に覗いてみた。もう6月だったが病院や他の親戚の所をたらいまわしにされたせいでカレンダーは1月のままになっていた。祖母と最後に会おうとしていたのも1月だった。ただその正月は祖母が長女の方に出かけていて僕らは1日の差で会えなかったのだ。そしてすぐに兄が祖母の部屋で発見した。そのまっさらなカレンダーの予定の欄に一マスだけ書き込んであったのだ。1月4日「〇〇(僕の名前)帰る」たったの5文字。その5文字で僕は裁かれました。祖母は僕が帰った後に部屋に戻って寂しくて前日の欄に書き込んだのでした。僕が帰る日を告げたの当日だったからその前に書き込めるものではなかったはずでした。それを見ると祖母がどれだけ寂しかったのかどれだけ僕を必要としていたのかよくわかったのです。1月4日に帰ると電話で話した時、電話口で祖母は泣いていたんです。さばかれた僕はもう足がなくなったとか手がなくなったとか目が見えなくなったとか耳がきこえなくなったとかいったレベルの初めて想像を絶する悲しみに会ってしまいました。二度と取り戻せない過ちで一生もう立ち直れないと思いました。足がなくなるのはこういうことかと思いました。人を殺めてしまうとはこういうことかと思いました。体が欠落したままどうやって生きていくのかと考えていました。卒倒して絶叫してそんな僕を見て祖母と仲の悪かった母は気味悪がってました。でも次の朝不思議な事が起こりました。心が不気味なほど晴れやかだったのです。まるで誰かが持っていってくれたかのように夢だったのだよといってくれたかのようにたったの失恋ごときで3年も4年もひきずる僕がですよそれでわかったんです。あれはたぶん今の僕ではかかえきれないと分かって寝てる間に何かが働いてくれたのだと思いました。でもあの痛みがなくなったわけでないと今でもわかっています。僕が耐えうる時がきたらまたいつか「久しぶり」と苦笑いでやってきて立ち向かわなくてはならない時がくるのでしょう。でもそのときからどんな大きい悲しみにも今の僕に処理できるから悲しいんだろうと思うようになりました。僕はその時まで強くなる必要がある。悲しみの感情をいつまでも独りにしておける事もないだろう。いつまでもさびしい思いをさせておくわけにはいかないから。
2005.08.04
何度も期待しては裏切られてるのに今度こそは万が一もしかしするとなんてどうして思っちゃうんでしょうかね。「運命でない人」みたいな題名を見て(中身を知らないけど)僕らの人生で出会う人って99.9%以上ていうか限りなく100%に近く「運命でない人」達であって喜びの瞬間なんて人生の中でいつもたったこれっぽちでつらいくるしい泣きたいさびしい僕らの人生ほとんどこんなことばっかりが支配してじゃあ生きてる本質って何なのかしらって思うね。いつも心に抱いているのはほんのわずかの望みそれを背負いつつ迷いや苦痛とともに歩むのが人生というものなんですか喜びに満ちて愛の賛歌が響き続ける世界なんて本当はどこにもないんでしょ幸せはたったの感じるだけの実態のないものだというのにどうして神様はもっと簡単に幸せを感じるように作らなかったかなこれが答えですか?これが「進化」の形なんですか
2005.08.01
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