2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()
今年2度目のセブ入りをしている。先日、前立腺癌の疑いがあるというので、生検を受けた。因みに、父はその病で2年前に他界している。生検の後、極度の貧血で翌日入院。癌ではなかったと火曜に結果が出て、水曜にセブ入り。めまぐるしい日々だ。ちなみに、癌の原因は、ストレスと喰い過ぎだとか。ノー天気な性格だからストレスは分からないが、喰い過ぎならすぐ手が挙がる。昨年、フィリピンのリタイヤメントビザを申請しようとしていてなかなかできず、今回やっと申請ができた。その為のセブ入りだ。無犯罪証明書とかで手間取った。いろいろ調べられたようだ。叩けば埃の出る人生。老後はフィリピンか、という選択肢も出てきたように見える今日この頃だが、私の人生オランダ系の連れ合いがあってのことなのだから、難しいとは思える。昨年の12月の帰国の際、成田イクスプレスの車窓にもたれかかっていたら、急に「死ぬならやっぱり日本だろうか。」という言葉が聞こえてきた。人生、自分の死に場所を探して歩いているようなものなのだから、日本、オーストラリア、フィリピンといろいろ出てきて分骨になるのだろうか、などと訳の分からないことを考えながらやっている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年02月22日
コメント(52)

満天の星を仰ぎながら露に湿った干草の匂いをかいで歩く。豪華で大きなログハウスのキャンプ場から、ボランティアのスタッフ男性4人が寝泊りする古い小屋まで歩く。気をつけないと道を外してしまう。アメリカのワシントン州のシアトルから、車で3時間東に走った所にあるクリスチャンのキャンプ場で2週間働いていた。1974年8月のことだった。私は大学3年になっていた。「タコ、明日の晩、ボーリングに行かないか。」16歳のビルが言う。身長は私と変わらない185センチだが、足が何と32センチとデカイ。丸メガネを掛けて髪はジョンデンバーカット。因みに私は今は183センチに縮まっている。キャンプの仕事が終わってから、ビルと私と、18歳のシンディーともう1人の女の子の4人で近くのボーリング場に遊びに行った。もう1人の女の子の名前と顔がどうしても思い出せない。ハンバーガー屋で腹ごしらえ。厚さ20センチくらいあるハンバーガーにどうやって食いつくのかと訝しがっていたら、ビルが思いっきり私のハンバーガーを押しつぶしてくれた。こうやって食べるのか。因みに、私が今住んでいるオーストラリアではナイフとフォークを使ってハンバーガーを切り刻んで食べる。素直な黒髪を腰まで伸ばしたシンディーは、アイダホの農家の出身だった。ちょっと舌足らずに話す英語が分かり難いときがあった。熱心なクリスチャンで、キャンプ場ではいつも子どもたちに神様の話をしていた。黒い大きな目で見つめられるともう駄目だった。もしかしたら、アメリカインディアンの血が混じっているのだろう。ボーリング場からの帰り道に私はビルに話しかけた。「ビル、ちょっと車を止めてくれないか。シンディーとここから歩いて帰るよ。」何でこんなに大胆に言えるのかと自分で自分を褒めてやりたくなった。ビルが無免許で運転する車はキャンプ場の敷地に入っていて道は分かる。ありがたいことに、シンディーは断らなかった。断られていたら、話はここで終わっていた。その夜も星が輝いていた。干草の匂いに甘い香水の匂いが漂ってくる。「東京のなんていう所に住んでいるの?」「ひがしむらやま、っていう所」「随分長いのね。」こんな所で東村山の話になるとは思いもよらなかったが、どんな話題でも楽しく響いた。シンディーをログハウスにゆっくり送ってから、小屋に戻った。ビルは起きていて聖書を読んでいた。挨拶はしたが、私に何も訊かない。アメリカ人は若いときからプライバシーのルールをしっかり心得ている。私は、何があったのか話したくて仕方なかったが、黙って眠りについた。22歳の自分が子どもに思えてしまった。ハンバーガーを食い過ぎたのかどうか知らないが、その夜はなかなか寝付けなかった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年02月18日
コメント(3)
![]()
よくビックマックが世界中でいくらか、などという物価比較が行われることがある。失われた20年、日本は物価はデフレで安定していて、実家に一時帰国するときの西武池袋線、池袋から秋津駅まで290円がずっと続いている。そういえば、よく比較の対象になる(?)包茎手術もここ30年ほど5万円前後で推移していて嬉しい環境が続いている。因みに包茎といえば、ユダヤ教では幼児割礼が行われているので成人で手術する人はいないのか、という疑問も沸いてくる。さらにには、私の育った東京の練馬区には、豊渓小学校という学校があったことも蘇ってくる。メルボルンが5位になった。包茎の多い国順とかの話ではない。イギリスのある機関の調査で、物価高都市の5位ということだ。上から、東京、大阪、シドニー、オスローそしてメルボルンの順だという。ということは、私は物価高の都市を行ったり来たりしているということのようだ。物好きの範疇に入ってしまいそうだ。しかし、デフレの日本がなぜトップの1、2位を占めているのだろうか。世界中に不況の波をかぶせ続けている元凶のアメリカはどうなのだろう。6京円とかいうほどの天文学的負債を抱えているこの国は、世界一の軍事力とその武器商人国際金融資本の思惑で世界の警察を自負して大活躍している。オスプレイの配置実現だけが目立った実績という前野田内閣は完全な対米従属内閣だった。私の住んでいるオーストラリアも対米従属が進んでいる。この二カ国の物価が高いということは、どういうことなのだろうか。アメリカの物価が高いなら分かる。なんだか、アメリカ従属の優等生2カ国の国民、即ち我々が搾取されているのではないかと疑いたくなる。少なくとも、包茎の手術は今後も5万円前後で推移していただけるように願うばかりだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年02月12日
コメント(65)
![]()
「同伴喫茶には行ったことがない。」と言ったら嘘になるだろうか。なるだろうな。若い方々には、1人とか3人とかで行っちゃいけない「同伴喫茶」、というもの自体を知らない方も多いだろう。それはちょうど私が「テレクラ」とか「キャバクラ」といったものの実態を知らないことの裏返しかも知れないが。知らないことを自慢している訳ではないので誤解のないように。私は昔から、自慢と我慢は苦手な方だ。最初に「同伴喫茶」に行ったのは、というより行きかけたのは高校1年のとき。ませていたと言えばそう言えなくもない。大きく生んでもらった親に感謝しながら階段を上っていった。だいたい「同伴席」は喫茶店の最上階にあった。ところが、ドキドキの下心を見破られて、一緒に行った栃木出身で3つ年上のお針子さんに引き戻されてしまった。後に、この女性から肉食をしていると獰猛になるのでと「菜食主義者」の本が送られてきた。それ以来、会っていない。因みに、今は菜食主義に近くなっているが手遅れであった。二度目に行ったのは、大学入学直後の19歳の春。一つ年上の松田早苗さんといったが、結婚も考えたほどの相手だった。2ヶ月後に彼女は蒸発してしまった。そんな訳で、「同伴喫茶」には淡い思い出は一つもない。因みに、いつごろこの喫茶店の形態はなくなったのだろうか。時間ができたら研究課題してみたいもんだ。「カフェがなければ恋は生まれない。」ボーヴォワールは言ったそうだ。私が、こういうキザなことを言っても歯が浮いてしまいそうになるが、ボーヴォワールが言うと、実存主義的に響いてくるので羨ましい。「同伴喫茶」では恋は語れないだろうが、カフェという言葉に後押しされて、そこでは恋が雨後の竹の子状態で発生し続けるのだろう。確かに、喫茶店は私にとっても、泣いたり吠えたりも含めて、恋ごっこの場の大様だった。大学時代、惚れた弱みで、池袋のガーネットの2階で2時間もある女性を待っていたことがある。交際していたが、あるときから袖にされ始めていた。「あら、まだいたの?」約束の時間に2時間遅れて、この言葉。「ぶってぶって」のマゾ度全開、女王様!メルボルンには本当に素敵なカフェが多い。しかし、還暦過ぎてくると、カフェに何時間いても恋が生まれるような状況にはならい。大河の流れのような、本当に静かな時代に入ってきているのだろうか。今日は、在宅勤務として、血液検査、風邪の治療、そして、前立腺のウルトラサウンドにいってきた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年02月08日
コメント(5)
全4件 (4件中 1-4件目)
1