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とにかく早い。私は昔は手が早かった、などという話ではない。メルボルンの人が歩く速さのことだ。フィリピンのセブで3か月過ごしている内に、歩く速さがだんだんと遅くなってきた。メルボルンに戻ると、セブでは絶対にあり得なかったことだが、私をどんどんと追い抜いて歩く人が多い。男女を問わずだ。この感覚は、ある意味では小気味よく、抜かれる喜びを思い出させてくれる。日本でも、人は結構早く歩く。特に朝の通勤。ところが人が多過ぎるのでぶつかることがある。でも、ほとんどの人は何も言わない。オーストラリアだったらえらいことだ。言ったとしても、蚊の鳴くような声で、「失礼。」とか言われる「失礼じゃないだろう。済みませんだろう!」と言い返したくなる。ゆっくり歩くフィリピン人は、更に歩くのが嫌いなようだ。短い距離でも、トライスクルという自転車かオートバイの後ろや横に客席のある乗り物に乗る。せいぜい、日本円で20円くらい。私はいつも歩くから、私をこのトライスクルに乗ったフィリピン人が追い越していく。この日本人は貧乏人なのか?みたいに思われているのかと思うと、なんだかちょっと嬉しくなるから不思議だ。これからも歩くことにする。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月30日
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14歳まで、東京は練馬大根が匂ってくるような豊島園の近くにあった警察官住宅に住んでいた。ここは大工なんかが住んでいたら怒られそうな住宅で、住人はほぼ警察官に若干消防士といった具合だった。別に大工に恨みなどは全くないが。間取りは、四畳半と六畳の二間で本当に小さい。これが隣と二軒長屋になっていて、この二軒が6つあってワンブロックを成していた。即ち、ワンブロックが12軒。そして、このブロックが8つあって一集団。この集団が更に3つあった。近づく泥棒がいたら褒めてやりたいくらいの環境だった。どの家も実に貧しかった。ある家は家族8人で住んでいた。給料の額が押し並べてわかってしまう同業者だから、一体どうやって生活していたのかと思う。裏の石井さんの家に行ったら昼ごはんだったのだろうか、ご飯にお醤油だけをかけて食べていた。私の好物は、母が作る少し大きめの塩おにぎりと味噌おにぎり。中には何も入っていなかったが、塩や味噌が暖かいご飯によく混ざって本当に美味しかった。母と一緒によく西武線の中村橋という駅そばの肉屋さんに行った。その肉屋さんの横の狭い路地で、買ってもらったばかりの湯気の出ている5円のコロッケをホーホー言いながら食べる。こんなに美味しいものは世の中に二つとない、そう言える味だった。今、縁あってフィリピンのセブで英語学校を経営している。業後や週末に、ゴム草履を履いて妖しい路地裏を歩くのが好きだ。草履は思い切り音を立てて歩く。現地の人のようにゆっくり歩く。時々Tシャツをまくって腹を出して歩く。現地の人たちがやっているようにこんな風にして歩いている。子供の頃に戻ったような感覚に晒される。不思議な感覚だ。そのままどこまでも行ってみたくなる衝動に駆られる。練馬のこの警察官住宅には、いろいろな人がいろいろな物を売りに来た。豆腐、納豆、おでん、焼き芋、アイスキャンディー、爆弾(米を出すと爆発させてお菓子にしてくれる)。そして、御用聞きさんでは、乾物屋、八百屋、米屋(ヤミ米屋と呼ばれていた)、クリーニング屋、漬物の行商、呉服屋、などなど。ゴムひもなどの押し売りもあった。「豆腐屋のおにいちゃんったら本当に失礼しちゃうわ。隣の若い広瀬さんの奥さんには『奥さん』っていうくせに私には『おばさん』だってさ。もう買わないわ。」まだ、30代だった母が怒っていた。でも、それからも同じおにいちゃんから買ってはいた。ある冬の午後、おでん屋さんに言われた。「坊や、体の中で『お』のつく所を5つ言ってごらん。できたら、何でも好きなおでんを5つ食べていいよ。でも、『お』を抜かしても言えるのは駄目だ。たとえば、「お尻」とかね。いいかい?」私は、それからず~とそのおでん屋さんについて行って夕暮れになってしまったが5つ出なかった。気が長いのだろうか、今も時々数えたりしている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月26日
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子どものとき、「子どもが行ってもトシマエン」と今はオヤジギャクを飛ばす豊島園の近くに住んでいた。毎月「1の日」に練馬駅前通りに「縁日」が出る。バナナの叩き売り、金魚すくい、駄菓子屋、オモチャ屋なんかが私の好きな定番だった。「お兄ちゃんが小学校の遠足のとき、バナナを1本買って持たせたのよ。でも、タコには絶対に内緒にしてね。皮はちゃんと捨ててくるんだよっていってね。あの頃、バナナが高くて家も貧乏だったから1本しか買えなくて、お前には買えなかったのよ。」帰国時に母が話してくれた。私には3学年上に兄がいる。縁日では、大きな房のバナナが新聞紙にくるまれて売れていく。私は、ただそれを見ていた。どんな大尽の家が買うのだろうかと口を開けていた。「坊や、メスだよ、メス!」ひよ子を売っている店のおじさんが、私の弱みに付け込んだような言い方で言う。だから、買ってしまう。父親に怒られる。二羽買えば、どちらかはメスだと思うから二羽買う。でも、実際は100%オス。そして、母親に怒られる。だいたいは、数日で死ぬ。湯たんぽを入れたりして一生懸命面倒みるが死ぬ。ところが、あるとき、二羽買った内の一羽が産毛も抜けて大きくなった。狭い家の中を駆け回る。父が、にわか作りの小屋を作ってくれた。この鶏、一日中時間にかまわず「コケコッコー」。ぎっしりと詰まる長屋で、いつ苦情が出てもおかしくない。因みに、今多くの時間を過ごしているフィリピンでは鶏がそこら中にいる。食用と、闘鶏の為に育てている鶏だが、一日中鳴いている。こちらに来る方には耳栓を持って来られるように言っている。ある日、この大きくなった鶏が逃げて父が追いかけまわし、薄くなった頭から湯気を出していた。父を初め、家族中がこの鶏を持て余すようになっていた。父は三日に一度泊まりがある警察官。翌日は朝帰って来て寝る非番の日。そんなある非番の日、学校から帰ると鶏の小屋が無くなっていた。「今日は久しぶりに鶏鍋だよ。」母が、いつになく明るくそう言った。ひよ子の時は本当に可愛かったが、大きくなってそれが無くなり、目つきも怖くなっていたし、うるさくて正直のところ私もこの鶏から気持ちが離れていっていた。その夕方、四人の食卓は鶏鍋だった。私は、箸が進まない。一口食べた。すごくまずかった。いつもの鶏の美味しさはなかった。私は、ほとんど食べずに夕食を終えた。そんな時には父にちゃんと食べないと駄目だと叱られる。でもその夕方は誰からも何も言われなかった。その晩ずっと口の中がまずかった。それからは、縁日に行ってもひよ子は絶対に買わないことにした。生きものは金魚とか、食べなくてもいいものにすることにした。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月22日
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「もしもし、マーラをお願いします。」大学3年の時アメリカのシアトルで2ヶ月過ごした。お世話になったピターソンさんの姪のマーラに性懲りもなくデートを申し込もうとして、1時間くらい受話器のそばを行ったりきたり。思い切って掛けた。お母さんが出た。こういう時に本人以外、それもお母さんが出る確率が高いように思える。お母さんがマーラを呼んでいる。彼女が受話器にゆっくり近づいてくる足音まで聞こえてきた。どうやらこうやら、彼女が夏休み中にバイトをしているファーストフードの店の仕事の後会う約束ができた。私は、22歳でマーラは18歳だった。 「店長が、いやらしい人で、話すときに肩や腰に手を回してきたりするの。」私は、基本的にはこういう店長みたいな方々はあまり好ましいとは思わない。しかし、当時はそんな悠長な気持ちでは収まらなく、とんでもない男だと激昂してしまった。年を重ねてくると、男女間の営みにやや寛容になってくる。「でもね、時給は安いけどチップがいいから我慢してやってるの。」やさしい英語でゆっくりとマーラ話してくれた。私は、輝くばかりの笑顔を時々見せながら、腰まで素直に伸びた金髪の長い髪を揺らすマーラに魅せられて、思わず手を伸ばそうとして店長の話しを思い出し躊躇した。「日本じゃどうか知らないけど、アメリカでは最初のデートはたいした意味がないの。だって、好きかどうかなんて、付き合ってみないと分かんないじゃない?だからデートするのよ。」デートしただけで、結婚なんかがストレートに想像されてしまうような当時の私には、いかにも新鮮な考え方で、大きな感動さえおぼえた。と同時に、今会っていることは、彼女の側からするとそんなに大したことではないのだとやや興ざめした。そうだったんだ。じゃあんなに緊張して電話しなくてもよかったんだ。アメリカ人とは、なんと合理的な考え方をする人種なんだろう。何も考えずにやたらめったら異性をデートに誘う私の習慣の原点は、どうやら前の大戦で敗れたこのアメリカにあったようだ。「タコ、もう一つ言っておくわ。ヤンキー娘はみんなワイルドと思っているかもしれないけどそれは絶対に誤解よ。気をつけてね。」私は、この言葉のあと体全体が金縛りにあってしまった。幸いにして、次回のデートがあった。マーラの通っている高校のキャンパスツアーだった。「タコ、私ね、高校のチアリーダーやってるのよ。見てみたい?」私は間髪を入れずに素直に言った「はい。」。ところがどうだ、マーラはブルーマとかいった格好ではなかったが、普段着でいきなり芝生の上で大きくチアリーダーの振り付けをやりだした。あっけに取られながらも,笑顔で見ていた私だが、それがいつまでたってもまったく終わりそうにないのだ。その内、自分の顔がこわばってくるのがわかった。笑顔じゃなくなってきている。マーラ一人をそこに置いて、立ち去りたくなった。マーラとのデートはこれ以降はなかったが、異文化交流の勉強にはなったと思うし、変な度胸も少しはついたとは思う。アメリカ人というのは、本当に臆面がない方々の総体的名称なのだということは肝に銘じさせてもらえた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月19日
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「甲状腺ホルモンが出過ぎですね。」メルボルンに戻り、いろいろな検査をしたが、バクテリアとか胃腸の問題はないようだったが、今まで言われてことのない甲状腺の話がでてきた。再検査をすることになった。実は、健康診断をする度に必ず何か一つ言われるようになってから久しい。加齢だろうか。コレステロール値が上がったり、血糖値があがったり、前立腺の検査が異常だったり。その都度、改善はされてきてはいるのだが。無鉛ガソリンではないセブの排気ガスの問題は結構大きい。粉じんとまざって、空気があまりよくなく、ハンカチで口を押えている女性を結構みる。私は、日本の放射能汚染よりはずっとましだとは思ってはいるが、喉を傷め風邪など引かないようにうがいはよくする。日本の食料品店で、うがい薬の「イソジン」を手にいれて、朝起きたら、昼も、そして夜寝るときもうがいをしつこくやっていた。外出して部屋に戻るときも必ずやっていた。おかげ様で風邪は引かなかった。「イソジンにはヨウ素が含まれているので、甲状腺機能を乱す可能性がある。」ネットでいろいろ調べていたら出会って驚いた。今回、急に甲状腺ホルモン分泌が多くなったことに、このイソジンが関わっているのだろうか。私は、しつこい性格だ。昼、同じものを何か月も食べることがある。振られた女性への未練は30年くらいは続く。イソジン、確かにやり過ぎた。今は止めている。次の健康診断では、今度は別の何を言われるのだろうかと今から楽しみだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月18日
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「オーストラリアにもエンコがあるんですよね。」フィリピンセブでTARGET Global English Academyという英語学校をやっていて、そこにいらしたオーストラリアに興味のあるという学生さんに訊かれた。「縁故ですか?」いや、オーストラリアの仕事も縁故で決まることも結構あると思うのだが。しかし、どうも初めて会う人にいきなり訊くことでもないだろう。話がかみ合わない。実は、塩湖のことだった。車のエンコとかの話に振らないでよかった。「君、縁故?」昭和51年7月1日、3か月の研修後、私は建設機械メーカーの運輸部船積み二課に配属となった。文系同期28人の中で本社配属になったのは私だけだった。船積み二課長の江口課長とトイレが一緒になった際、隣の私をのぞき込むように課長が訊いたのだ。そんなことを訊く場所じゃないだろう、などと思ったりもしたが。エンコじゃないよ、チ○コだよ、なんて冗談も言えるほどサラリーマンずれもしていなかった頃の話だ。「うちさ、女子社員はほとんど縁故だし、君、たいして仕事もできそうもないのでさ、、、」こういうことを、新入社員の部下にいつもトイレで訊いているのだろうか、この江口課長。年が結構いっていて、萬年課長のような人だったが、こんなことで憂さ晴らしをしてもらってもこちらの身が縮むだけだ。二年後、私は海外営業第三部インド大洋州課に転属になった。「こいつ、あんまり仕事できないけどよろしくお願いします。」営業第三部副部長に一緒に行って江口課長、そう挨拶した。シツコイ課長だ。それから数か月して、江口課長、どこかの会社に出向になったと知った。気が付いたらいなくなっていたという感じだった。だから、もうトイレで会うこともなくなって安心してりようできるようになった。そして6年半後、私もこの会社を自主退社してオーストラリア移住を目指して日本語教師になる勉強を始めた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月16日
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「カフェがなければ恋は生まれない。」私が言っているわけではない。フランスのあのボーボワールが言ったとか。そういえば、水着喫茶、テニスウエアー喫茶、同伴喫茶などすべて含めて、喫茶店がなければ恋は始まらないと言えなくもない。私の若かりし頃の話ではあるが。今は、喫茶店という言葉は廃れてきているのだろうか。ちょっと寂しい。「お客さん、寝ないでください。」池袋発最終電車を逃して、深夜喫茶で夜を明かすことになり、コックリしていたらボーイに注意された。寝てはいけないのだ、深夜喫茶では。しかし、3時を過ぎたころには、むさくるしい男客たちほとんどが寝始めていた。ボーイも何も言わなくなっていた。こういう状況では、コイコイとかはあっても恋は芽生えないだろう。男同士だし。恋が始まるのも喫茶店なら、終わるのも喫茶店だった。大学時代付き合っていた女性を、これまた池袋の喫茶店で2時間待った。「まだ、いたの?」この年になると、日本に帰って、若い女性、若くない女性と二人っきりで、例えば吉祥寺あたりの喫茶店、カフェに入ったとしても、何も始まらないし、そして何も終わらない。なかなか、落ち着いた座りのいい人生になってきている。このまま、収束してしまうのだろうか。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月15日
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東京は池袋の西口の、落語で有名な池袋演芸場をもう少し行くと何とも妖しげな店が立ち並ぶ路地がある。大人になりかけのある青年が、好奇心に燃え尽きそうになりながらそこに立っていたとしよう。そこで、「1000円」という文字のある看板にしっかり惹き付けられ、ストリップ小屋に入ってしまったとしてみる。昭和50年代前半とかにしてみよう。出てきた小太りな中年女性は、ほんの5分くらいクルクルしたりして厚手の上着を脱いだだけで、「はい、これ以上は別料金よ。どうする?」とくる。安い香水の匂いが充満する部屋でのできごと。全く、何も見せてはいない。想像にしても、私はこういうことがどうも嫌いで苦手だ。看板に偽りあり。どうしてこれを称してストリップなのだ。辞書の説明と違う。子供の頃、千葉辺りの潮干狩りに来ていたシュミーズのオバサン達の方が、よっぽど色っぽかった、なんて思ったりする。「お兄ちゃんね、こういう所に来るときにはもっとお金持って来なね。」女性が服をつけながらそんなことを言ったりする。なかなか入れないで店の前を行ったり来たりして、勇気を奮ってやっとの思いで入ったところ、なんていう設定である筈だ。未来ある青年に対してあまりに酷い。東北辺りから集団就職で出てきた無垢な青年なんて設定ではないが、まだ人を疑わない気持ちの方が強いころのことで、これはないだろうと憤ってしまう。こういうのが大人の裏の世界というのなら、これから一生185センチ82キロの子供でいたい、などと思ってもしまう。たとえば、この青年の父親が警察官だったりしたら、官憲に言いつけてやりたい衝動にも駆られたりするかも知れない。「お兄ちゃんね、出るときにちゃんと見てね。看板に『1000円から』って書いてあるからね。私に文句言ってもダメよ。」もう、そういう親切心も通じない。あれだけエネルギーを使って入ってきて、このザマはなんだ。相手に不戦勝の至福を大いに与えてただ帰るなんて。そういう憤りが襲ってくるに違いない。仕方なく出るときにその看板とやら確認すると、老眼になったら絶対に書いていないと言い張って再び中に戻れるくらい小さな字で、「から」が書かれていたりする。人間は、こういう経験を積みながら、だんだんと大人になっていくのだろうか。とはいえ、この方々も仕事、商売である。ギリギリのところでルールを守りつつ、高い利益率をキープしながらしっかりと利益を上げる。フーテンの寅さんも言っている。「見上げたもんだよ 屋根家のフンドシ。田へしたもんだよ カエルのションベン」そう叫びたくなってしまうような経験になるのではないだろうか。恐らく、こういう経験をした小屋にはもう二度と行かないことだろう。そういう意味では、こういう店はリピーターを作れない訳で、商売としての本当のウマミを完全に逃している。もし、私がこの小屋のタコオヤジだったら、こういうウブなお客さんにはもう少しだけ見せて恩を着せ、リピーターにならせるように社員教育を徹底するだろう。こんな話で威張ってみても始まらないが、架空の一期一会の話からも学ぶことはあるもんだと感心してしまう。いろんな一期一会があるもんだ。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月14日
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母は、私が物心ついたときからずっといろいろな内職をしていた。その姿を見て、私はすくすくと平均を大きく上回って育ってしまった。父は警察官だったが、自慢したいくらいの安月給で、母が内職をして働かないと大食いの私と兄を食わせられなかったのだろう。そんな苦労をよそに、弁当のおかずに文句を言ったりして、今本当に母と父に申し訳ないと思っている。因みに父は、あの震災の一月後に88歳で他界している。母は、私が大学生のときその内職を辞めて、近くのプラスチック成型会社に「パートのオバサン」として働きに出た。この3年後に高血圧で倒れるまで、母はここで働いていた。当時、母は身長が154センチ、73キロという体格で、「肝っ玉かあさん」とか言われていたようだ。その後、何回か病気をしたので、今は55キロ位になっている。「八ちゃんがね、オバサンとこの息子、すごく仕事するよって言ってたよ。一番だってさ。」私は大学の1年生のとき母が働いてるこのプラスチック成型会社で夏休み中バイトをしていた。そこに、やや知恵遅れの17歳の八ちゃんという子が働いていて、その子が母にそういったという。1972年、7月から8月にかけて約一ヶ月間半、生まれて初めて母と一緒の職場で仕事ができた。後にも先にもこれ一回だったが、今思うと私にとっては掛け替えのない毎日だった。私は、母の手前もあり一生懸命真面目に働いた。でも、昼は一緒に食べなかった。そんなある日、8月16日のことだった。その年の6月8日に忽然と私の前から消えた、ジーンズの似合う早苗から電話があった。昨日の日付とかは忘れるのに、こんなことだけは鮮明に覚えている。この日、父は泊まりでいなく、兄は留守で母と二人だった。「電話だよ。」母が夕食のときにかっかってきた電話を取り次いだ。「私、早苗。」私は一瞬、呼吸が止まるほど驚いた。6月13日の私の誕生日に、一生の思い出を作ろうといっていた早苗が、その5日前に忽然と姿を消した。僅か一ヶ月半の交際だったが、一つ年上で、その時婚約者もいて、それでいながらすべてから逃げていた彼女と知り合った。私は、結婚まで考えた最初の人だった。「ごめんね、あんな形でいなくなって。」「今、どこにいるの。」「金沢の友達のところにいるわ。探さないでね。」母は彼女のことをほとんど知らない。というよりも、誰も彼女のことは知らない。誰にも会わす機会さえなかった。そんな関係だった。食卓に母を一人にしているのが気になったが、私は早苗と電話を続けた。「家出の翌日にお兄さんに会ったよ。早苗の机の中から僕の住所を見つけたらしい。」「そう。」彼女は低くそう言ったっきり何も言わなかった。気まずい沈黙が続いた。「元気でね。じゃ、切るわ。さようなら。探さないでね。」しばらくして彼女がそういった。初めて、死ぬほど好きになった女性、早苗と私の最後の会話は「探さないでね。」という言葉で切れた。食卓に戻り、母には電話のことをほとんど話さずに食事を終えた。母も、何も聞かなかった。翌日も会社で何もなかったように母と一緒に仕事をした。19歳の夏休み、私は小さな心が切りもまれるような日々だったが、笑顔で毎日プラスチックの加工の仕事をして過ごした。母とは、それ以降も一切早苗の話をしたことはない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月11日
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「綺麗ですね。」というと、はい、私綺麗ですよね、と答える人が多いフィリピン。実に分かり易い。腹にもないことは言わない国なのだろう。そして、言われたら素直に受ける。「綺麗ですね。」というと、いえいえ、とんでもありません、と答える人が多い日本。実際はそう思っている人も多いだろうが。腹芸の国、ニッポン。謙譲の美徳、とかはあまりない代わりに、素直に思っていることが言えるストレートな物言いができる国フィリピン。そして、見た目を大いに気にし、自意識の強い人が結構いる。確かに、言葉の差は大きいが、そういうことより、人の考え方、物言い、立ち居振る舞いの差などをしっかりと理解しないと、心地よく過ごすことができない。プライドが高いことは、両国民とも同じだがそれを如実に表わすかどうかといくことも問題になることがある。私たちはフィリピンでビジネスをしているのだから、この国の流れを理解して私たちから踏み込んでいかないと壁にぶち当たる。「タコさんは、ポギーですね。但し、ロロポギーさん。」訊くと、ポギーとはハンサムということ。思わず頬が緩む。ロロは、というとお爺さんとのこと。ハンサム爺さん、ということらしい。嬉しいやら嬉しくないやら。「はい、私ロロポギーです。」とフィリピンでは答えることがいいのだろう。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月10日
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その少女はラビンといった。少なくとも私にはそう聞こえた。もしかしたらロビンだったのかも知れない。東京は大根で有名だった練馬区にグラントハイツという、バカでかい米軍の家族が住む住宅地があった。周りのウサギ小屋と違い、大きい緑色やピンク、そして黄色などのカラフルな家が広い敷地の中にポツンポツンと建っている。野球ができるくらいに広がる芝生は、春の風に鼻をくすぐられるように陽炎を立てる。二間の長屋から滑り出てきた私には、その芝生のにおいを嗅ぐだけで外国をしっかり味わうことができた。小学校3年の時、私はそのロビンに恋をした。初恋だった。言葉は通じない。2つ年下だと一緒に行った中学生の重ちゃんが教えてくれた。私達はそのラビンの弟ポールとよくキャッチボールをした。ある夏の日、ポールの母親がキャッチボールをしている私たちに家の中に入るように言った。外国人の家の中に入るのは生まれた初めてだった。今までに、嗅いだことのないような上品な甘い匂いがする。びっくりしたのは、外からはガラス越しにも中が全く見えないのに、家の中から映画の画面を見るように外がはっきりと見えることだ。自分が住んでいた家は外から中が恥ずかしいくらい丸見えだった。これがアメリカの家なのか。お母さんがアイスキャンディーを出してくれた。英語が書いてある原色の派手な色紙に包まれている。紙を破ると溶けかけたアイスキャンディーが濃い赤い糸を引いて垂れた。ラビンが自分の写真を持ってきて見せてくれた。正装していて思いっきり笑顔の同じような写真が何枚もある。いつも窓越しにしか見ることのなかったラビンが目の前にいて写真を広げている。そして、何か話かけてくる。英語だ。恥かしそうに首を傾けて話すその言葉が全然分からない。英語が勉強したい、、、、。お父さんが帰ってきた。太く低い声が台所の方からする。姿は見えない。もう帰らねば。傾いたラビンの首が横から前に倒れて目が隠れた。お父さんは最後まで姿を現さなかった。砂埃の中を自転車で急いで帰った。私の胸のポケットには、ラビンが微笑みながら私にくれた一枚の写真が入っていた。しばらく行けずに夏休みなって浮いた気持ちで遊びにいったらラビンの家族はいなくなっていた。他の家族が住んでいた。一人で行って、一人でずっと芝生に座って遠くからラビンが住んでいた家をただ見つめていた。グラントハイツは、今は光ヶ丘団地という大きな団地に変わっていて、米軍住宅地は跡形もなくなっている。そして、私が育った六畳と四畳半二間の警察官住宅の家は、今は砂利がひかれた小さな駐車場になっている。変わっていないものがあるとしたら、それは私の金髪好きくらいのものだろうか。自慢にはならないが。そして、海外志向だろうか。オーストラリア移住、メルボルンに27年住、そして今はメルボルンとフィリピンのセブを行ったり来たりしている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月09日
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張りのある体、中学時代の話だ。73キロだった。慎重は中学2年で180センチを超えて、いつになったら止まるのかと心配したこともあった。身体検査が待ち遠しかった頃の話ではあるが。「あの、新しい教師は誰ですかって先生に聞いたらタコ君だったんですよ。」母は、父母会で同じクラスのあるお母さんから言われたといって馬鹿デカイ私を見ながら笑っていた。77キロだった。今日、フィリピンのセブからメルボルンに戻って体重計に乗ってみた。3か月で5キロ痩せたようだ。高校生いらいの重さ。胃腸を病んでいるようなので、早速近所の医者に行って看てもらった。張りのない77キロはやや寂しい。因みに10年前は95キロ近かった。「タンパク質と乳製品、それとお酒はダメです。」インド系のちょっと魅力的な先生に言われた。吸わないタバコとか言われたらいいのだが、三度の飯より好きな赤ワインが、、、、。次は、あの病みつきになりそうな大腸内視鏡だろうか。使い古したゴム手袋を裏返しにして洗うように、私の体の内側をきれいにしてまたすぐセブに戻れるなるように願っている。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月07日
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「私、シングルマザーです。息子はね、ケンジっていうの。」セブでよく行くインダインの露店BBQ屋で、細身でわりとすっきりした顔立ちのジュリーが言った。26歳だという。彼女は露出度の高い白と黄色の縞模様の普段着のワンピース姿で笑みを作った。「韓国人、日本人の友達がけっこういたんだけど、今は子供もできて遊びには行けないわ。彼がやきもち焼きだし、第一お金もないしね。」ケンジという2歳の男の子があたりを走り回る。この名前はどうもひっかかる。「結婚しないのはね、旦那が浮気性かどうかみないといけないから。未婚で子供を産む子は沢山いるわ。」「ニュージェネレーションっていうんだねこういう子は。」インダインが口をはさんだ。「昔は、結婚してから子供を作ったんだけど、今はね。」「彼は、ショッピングセンターで夜の11時まで仕事。それから帰ってくる。ケンジはそれまで寝ないで待ってるわ。でも、稼ぎのいいマニラに移ろうと思っているのよ。」「あの子はね、昔ビキニバーで働いていたの。お腹には二人目もいるのよ。」ジュリーがちょっと席を外したときインダインがそう言い捨てた。ビキニバーとは、説明しなくても分かる場所。因みに、私が学生時代、東京には水着喫茶というのがあった。ここは、鑑賞だけの喫茶店。普通の喫茶店が120円くらいのとき、500円だった。と、聞いたことがある。同じビキニでも違いは大きい。「明日は彼が休みの日だから、きっと会えないわ。タコ、またねー。」そう流し目で言って、ジュリーはケンジを抱えてゆっくり揺れながら暗い路地を帰っていった。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月06日
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高校は、昭和55年に都立高校としては史上初の甲子園出場を果たした都立国立高校だった。近くい、後に憧れた同年代の天地真理が卒業して国立音楽高校がある。「吸いなよ!」国立南口のロータリーを越えて右側の狭い路地を入った所にあった「邪宗門」という喫茶店で、Mがショートホープを私に勧めた。高校3年の春、前年の学園紛争の結果、制服が廃止になり、Mは細長く白い足がしっかり見えるミニスカート姿だった。私は、勧められたままタバコに火をつけた。皆で「ジャモン」と読んでいたこの喫茶店は、中が狭く入り組んでいてアンバー色の光が鈍く漂う隠れ屋のような空間を与えてくれていた。因みに、このジャモン、マスターが亡くなって閉店した数年前まで営業していたという。因みついでに、私は19歳でタバコを止めた。これは、いい判断だったと今も思っている。Mは、1年の学園祭でそれまでの腰まで届くほどのおさげ髪を思いっきりボーイッシュにカットしてギターを抱え、「いいじゃないの幸せならば」を歌っていた。私も幸せにあやかりたくなった。2年のクラス替えの発表があり、同じクラスの中にMの名前があったときは、思わず一人で微笑んでしまった。国立の並木道は有名だ。春は桜並木が見事だ。駅から高校に向かって右側はカップルが、そして左側は団体で歩くように自然になっていた。私は左側が専門だった。2年の2学期頃からMは右側を歩くようになっていた。相手は反体制活動を始めていた前田という同学年の学生だった。長髪でやや猫背気味に歩く、翳のあるニキビ顔の男だった。そして、Mが学園紛争を引っ張るような集団の一人になっていった。私は細いガラスの花瓶のような彼女が、その内脆く壊れてしまうのではないかと心配した。「私ね、昔は東大に行きたかったのよ。」「それで?」「馬鹿ね、ヘルメットかぶって昼間からこんな所でタバコ吸ってたりして行ける訳ないじゃん。」Mと二人っきりになったのは、この邪宗門の時が初めてだった。彼氏とは続いていた。「タコ君、高橋和巳、読んでる?」「えっ、巨人の高橋和巳、本書いたの?」「相変わらず馬鹿言ってるね。『悲の器』『わがこころは石にあらず』いいよ。読んでみて。」私はおどけて見せたが、高橋の作品を読んでみようと思った。「どんどん、逃げて逃げて、逃げまくってね、そこできっと何か見つかるんだよ。きっと。」Mは、私の目を見ずに自分に言い聞かすように言って鼻からタバコの煙を吐いた。結局私は、強烈に彼女に2年間片思いをしいているだけで彼女との関係は終わった。学生運動にのめり込んでいったMは、それでも現役で学芸大に入り大学生活を初めていた。私は、予備校生活の中でもMのことが心から離れなかった。これじゃいけないと、7月のある日、思い切って会えないかとMを誘って会うことになった。国分寺の薄汚いそば屋で会った。私は、うどんのカレー南蛮を食べながら、久しぶりに彼女を見つめていた。ところが、学生運動は続けていると言っていたが、紺の半袖のTシャツを着て底抜けに明るく話続けるMを見て、それまで募っていた思いがスーッと霧散していった。あの薄暗い邪宗門で、涙を見せながら独り言を言っていたMは、私の心の中にしか残っていないのを知った。大学で新しい彼氏ができたとも言っていた。Mは大学卒業後、都内の小学校の教師になった。その後、三多摩地区の小学校の校長になったと聞いた。今、日本に一時帰国するたびにクラス会をやるが、彼女はこの30年近く出てきていない。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月05日
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1.ゆっくり、本当にゆっくり歩く人が非常に多い。速さを二倍にすると、国の医療費負担に大いに貢献するのではと期待したい。2.町内会などでどぶ掃除をする習慣がないようだ。3.生きているのか死んでいるのか、休んでいるのか寝ているのかわからない犬がいる。4.男も女も子供もつばを吐く。5.貧しい家では、15、6歳で母親になる子供が多い。そして、未婚の母が増えているという。6.乳の比較的大きな人が多い。私見として、この嬉しい原因にバナナがあげられる。バナナには乳を大きくするサポニンが多く含まれている。台湾、中南米、フィリピンなどがバナナの産地。ただし、何歳頃食べれば一番効果があるのかは定かではないので、ある程度年がいった人は無駄な努力になるのではと思われる。7.立ちションのご仁を一日に3人は見る8.足のふくらはぎが日本人のように太い人が多い。9.人前で鼻くそをほじくることに躊躇がない人がいる10.デパートなどで買い物をするとき。売り子さん同士で話をしていることが多い、というよりほとんど。しかし、客が行っても話を続ける律義さがあり、買う人の顔も見ないで品物を渡す売り子さんもいたりする。11.こちらから知らない人に挨拶したり笑ったりすると必ず返してくれる。無視されることはほとんどない。陽気で明るい人が多い。苦虫を食いつぶしたような顔をしている人が多い日本の都会などでやったら変人扱いされる。12.歌いながら歩いたり、仕事をしている人が多い。13.大笑いするときの音量と態度が非常に派手。14.セブも24時間寝ない街。15.一番人気のスポーツはバスケットボール。至る所に簡易リンクがあり、ゴム草履をはいてプレーしている人が多い。16.恋愛に関しては、年齢の差がほとんど問題にならないようだ。年の差を論うと、なんで年の差なんか気にするの、と言われたりして危ない世界に入り込んでしまいたくなるような錯覚を覚えることがある。17.自殺が非常に少ない国。先進国の日本に自殺者が多いことが分からないと言い切るフィリピン人がいる。幸せ度を比較したら今の日本より間違いなくフィリピンの方が上。18.日本人男性の細い小さな目が好きと発言するフィリピン人女性を複数人知っている。フィリピン人男性は皆目がクリクリ大きいのでと。隣の芝生現象か?毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月03日
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東京は山手の手線の池袋の隣、大塚駅にあった「武蔵予備校」で浪人時代の1年を過ごした。自慢じゃないが、受験したすべての大学をすべった。文系の午後のクラスは無試験で入れたが、午前の2クラスは試験に受からないと入れない。これにも1度落ちて2度目にやっとのことで入れていただいた。予備校の試験に落ちることほどマゾッけをそそられるものもない。因みに、2年前の大震災際、私はこの大塚駅にいた。母に頼まれて、年寄の原宿、巣鴨地蔵通りでイナゴの佃煮と塩大福を勝っての帰りのことだった、、、、。カフカを愛読し、ショートホープに手を出し、ついでに予備校同級の女子学生にも出そうと試みた。紀子さんといった。予備校の三人掛けベンチはお尻に冷たく硬かい。座高が高かったので後ろの人たちに迷惑をかけながらも、毎日前の方に座っていた。カフカの「城」を、西武池袋線の車内で毎日立って読みながら、自分をいつまでも城に辿り着けない測量士に見立てて納得していた。私は一生浪人から抜け出せないかも知れないと。都立白鳳高校卒の紀子さんと、東京中央区にある隅田川に架かる勝鬨橋を歩きながら、私の熱しやすく冷めやすい恋心が勝手に一人歩きをしているのを体が感じた。佃煮の匂いが恋を助長してくれている。「男と女、好きとか嫌いとかとは別な世界で、きれいな花を見たら『きれいね』とへらへらと笑っているような仲でもいいのでは?私はそんな関係が好き。」と別れの手紙に紀子さんは書いて寄越した。受験が間近に迫った正月明けのことだ。これ以上、悪い時期はない。人をその気にさせておきながら、こんな訳のわからない手紙をもらっても持って生き場がない。まして、栃木県出身の警察官の父に相談なんかするわけにいかない。はっきりと、「あなたは、顔が大きいし、私の趣味じゃありません。」とか言われた方がどんなに嬉しかったことか。今は、物事をはっきりとストレートに言い過ぎる人たちの世界、オーストラリアに身を置いていて、ときどき、日本人の曖昧な物言い、思わせ振りな態度、察する文化が懐かしいと思わないでもないが。10年ほど前にこの予備校を探して大塚駅で電車を降りたことがあった。一杯60円のコーヒーを出す喫茶店もあった界隈を歩いてみたが、この小さな予備校は姿を消していた。毎回、果敢にこの緑の箱をクリックよろしくお願いいたします。タコ社長の本業・オーストラリア留学タコのツイッター Twitterブログパーツ
2013年08月01日
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