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昨日の晩、斜め向かいのご夫婦にお招き頂いた。旦那は勉強に追われて泣く泣く辞退。招かれたのは私、我が家の隣夫婦、向かいのご夫婦、そしてホスト宅のお隣夫婦の計7人。お茶と手作りのパイをお供に午後7時から10時半まで、家族構成、趣味、大学時代の専攻、政治、旅行などなど、とりとめもない話で盛り上がった。このお宅は20年あまりに渡り、自分達の子供達を含むテナントに貸し出されていたらしいが、最終的に自分達で住もうという事になって、数年前にリフォームを行ったとのこと。ずっと借家だったとは信じられないほど、このリフォームは素晴らしい出来栄えだ。家の外見は、この辺りに多く見られる古い赤レンガ作りの平屋なのだが、リビング・ダイニングとキッチンの間の壁を取っ払ったとみえ開放的。ベースメントもあるとの事で、中は意外と広々としている。おまけに、我が家と大違いで物が無い。全くと言ってよいほど。つい最近、キッチン横のクローゼットをパントリーに改造したそうで、pine材(かな?)系の明るい木材と真っ白の広い壁が更に部屋を広くすっきり見せていた。そして、風物詩の色とりどりのパンプキンや案山子の飾りたちも明るい部屋によく映えていた。あ、でもここから先が書けない。私の座った場所が悪く、あとはずっとダイニングの壁しか見てなかったから。お手洗いも借りなかったし・・・。失敗、失敗。さて、手ぶらで行くのも気が引けたので、ハロウィーンという事もあって南瓜の煮つけを持参した。”食後のお茶”という趣旨だからどうかなぁ、とも思ったのだが、日本通のご夫婦だし、甘い一品だから良かろうという事で。が、切り分けられたビーチパイ(アイスクリーム、ラズベリー、ホイップクリーム添え)が乗った皿にこの南瓜が取り分けられるのを実際に見るのは、ちょっと眩暈を覚えた。会話の内容は多岐に及んだので全部書けないが、驚いたことを二つだけ。このご夫婦は60歳を超えているのだが、この夏は(も?!)アフリカ旅行へ行き、サファリでキャンプをしてきたらしい。サファリ内のキャンプという事なので、夜間の外出は危険、即ちお手洗いも危ないという事で、ソーラーシステムのシャワーとトイレが、テント内のファスナーで分かれた部屋に設置されているらしい。奥さんの「シマウマ達の凛とした立ち姿の美しいこと!それに比べてライオン達ときたら髪はクシャクシャで何時もダラーっと寝てばかりで。」という表現が面白かった。私が60歳になった時に、果たしてアフリカでキャンプ出来る気力と体力を持ち合わせているだろうか?今だって危ういのに・・・。(それともお金に余裕があればそれなりに安全な旅行なのだろうか?)もう一つ驚いたのは、この奥さんが今、大学に通っているという事。専攻は『映画に於ける女性』で、「最近サイレントムービーについて若者達と議論をしたのが興味深かった。」「やる気の無い若者ばかりかと思ったら、皆熱心で専心的で感心する。」と。どうやら、ちょっとだけ履修するつもりが、すっかり本気になってしまったらしく、選択科目か何かで『宗教哲学』まで履修し、「私、一体何やってるんだろう!どうしよ~!!」と、授業中に頭を抱えてるらしい。でも、そう言いつつとても楽しそう。昔、母だったか誰だったかが、「楽しいうちは勉強じゃない。」と言っていたが、ある程度の年をとってからは、楽しい勉強もあって良いと思う。そんな後姿を子供達が見れば、少しは勉強する気になってくれるかもしれないしね。*************************************今日はハロウィーン当日。午後6時前からtrick or treatの子供達が稼動し、ハロウィーン5度目にて初参加の我が家のtreat籠は開始から半時間もしない間に底を突いてしまった。甘く見ていたなー。そうそう、危うくある男の子にかわいそうな思いをさせるところだった。もう終わりにしようと思い、一応窓の外の様子を伺ってから外灯を消した。が、その途端に人の気配を感じたので慌てて点けると、ドアの前のたたきに2歳くらいの男の子がこちらに背を向けて座っているのが見えた。彼が去る前に慌ててドアを開けて事なきを得た。気付いて良かった~。だって、目の前で電気が消えたらショックだもんね。今回初めて参加してみて色々な発見があった。・夕飯が咽喉に通らない。準備中も食事中もお構いなしに子供達がやってくる。・treatは子供達に取らせるより、こちらで分け与える方が公平みたい。・treatは多分、$20分くらい用意しないと(この界隈の子達の人数に)足りない。・他人の子供達に$20もジャンク菓子で費やすくらいなら、街に繰り出して仮装を 眺める方が楽しいかな。でも、寒いな。・treatが無くなったから外灯と部屋の電気を消してヒッソリコッソリするのも 楽じゃない。本も読めないし。・ヒッソリコッソリしてても菓子を求めてやってくる子供も居る。・小さい子供達の方が遠慮がちで可愛気がある。・子供達はお菓子に必死なあまり、衣装をよく見せてくれない。・お菓子集めには枕カバーが良い大きさみたい。(アメリカの枕カバーは長く口も大きい。)・中高生くらいは仮装もせずにやって来るし無愛想。こっちの方が怖いっちゅうねん。・普段、こんなに子供達を見かけないのに、一体何処から沸いて出てきたのか?等など。やっぱり♪同じアホなら踊らにゃ損、損♪って事でしょうかね。来年に向けて、夫婦の衣装、考えてみようかな。アイディアください。
Oct 31, 2006
起きたらまた一面銀世界。10月に入って初雪が降り、今日で既に3度目。今日の雪は前回までと異なり、ちょっとベチョベチョしている。日が差す様子が無いので、2度目はサボれた歩道の雪掻きも今日は必須かも。昨晩、電気会社のおっちゃんが懐中電灯を片手に立ち寄ってくれ、前回の雪でダメージを受けた電線をチェックして、「大丈夫、問題ないよ。」と太鼓判を押して帰ってくれたところだったので、今日は安心していられる。と言っても、ある枯れかけた枝が危ない状況なので、時々チェックせねばならない。それは庭の上を斜めに走っている我が家の電気の源に当たっており、雪の重みでよりかかって電線に負担をかけてしまうかもしれないのだ。ひょっとして折れた拍子に悪さをしでかすかもしれない。こうなる前に大家に誰かをよこして欲しかったな・・・。ま、今言ってもしょうがないので、責任を持って様子を見ることとしよう。こっちで知り合ったブラジル人とマレーシア人の女の子達は”降ってくる”雪を見るのは人生で初めてだと言って、大はしゃぎしていたが、きっと今回あたりからうんざりし始めていることだろう。歌にもあるように、雪ではしゃぎ続けられるのは犬だけかもしれない。だから今日のタンゴはハッピー、ホッピー、スキッピー!あ~、散歩、どうしよっかなぁ・・・。あ、停電だ!(この日記を失う前に復活してくれますように。)
Oct 26, 2006
昨日、数ヶ月前に友人宅のBBQで知り合った韓国人女性がランチに誘ってくれ、ダウンタウンで会う事にした。人と時間を決めて会うと言うのはここ数ヶ月の間、殆ど無かったので、多少なりとも緊張はしていたつもり。だが、全くダメだった。いつもの感覚で、ダウンタウンまでの時間を計ってしまい、『平日のランチタイム時であること、ダウンタウンの路上駐車は混む事、ダウンタウンの地理に疎いこと、待ち合わせのレストランの場所を探さねばならぬ事』をすべてしっかり考慮に入れてなかったのだ。普段の私が車で出かけるところと言えば、買い物と図書館程度。だから、すっかり目的地=駐車場という感覚に陥っていた。と言うより、計画性、先を読む目という、ただでさえ少ししか持ち合わせていなかった社会的能力を失っていたのだ。それに気がつくのが遅すぎた事は事実だが、せめて約束の時間になる前に彼女に「遅れます」という電話が出来たことだけは、未だましだったかな。(不要なところでオプティミストな一面が頭をもたげてしまう。悪い癖だ。)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~世間は狭いのであまり詳しくは書けないのだが、他人を見てわが身を振り返る場面にも出くわす事がある。それは会話における社会能力。小さい子供を抱える女性が、事ある毎に、「この子の世話で忙しい。ほぼ24時間つきっきりだから、自分の事は何も出来ない。でも、今はとても大事な時期だから仕事をしないで一緒に居ることに決めたのだ。」と言うのを聞く。たまに自己紹介としてこれを聞く事もある。先日は、ある女性が彼女自身に関する質問では全く無いにも関わらず、その答えとしてこの台詞を述べたのだ。(質問自体はとても簡単で、彼女には充分理解能力があるのに。)そして、質問者の繰り返しも遮って同じことを繰り返し、更に「この子が・・・・・・で、・・・・・・なのにこの子が・・・・・だから、質問に答えられない。」と続けた。この場面は、彼女が知的な事を知っている私にとってショックであった。(勿論、私を含む他の人達は微笑ましく相槌や合の手を入れて本来の質問からその子供へと話題を変えたのだが。)私は子供を生んだことも育てたことも無いので、自分と比較出来ないし、逆にとても客観的に捕らえてしまう。・小さい子供の育児は大変だし忙しいことは誰でも経験したり聞いて知っている。・子育て経験者を前にしても、彼女達は同じ台詞を大発見の様に説く。・抱えられた子供達は親の言っている事をほぼ理解できる年齢の時もある。・事ある毎にその台詞が最初に出てきてしまうほど、彼女達にとって”24時間育児”は 大変な事になってしまっている。(精神面において。)・極端な見方かもしれないが、先日の彼女は特に、自分を見えない箱に入れてしまい、 そこから出ない、 又は誰も何も入れないし、聞こえない様に見えて仕方が無かった。等などと先日の彼女を見ながらつい分析しまい、彼女も彼女の子供もとても幸せそうに見えるのにも関わらず、なんだか辛くなってしまった。もしかしたら、忙しい人が「忙しい」と言うのが、暇な私には羨ましく聞こえたり、自分を僻んでいるからつい引っかかってしまうのかもしれない。だからその気持ちをカモフラージュしようとして、「スマートじゃないよな。」なんて批判してしまうのかもしれない。そして私も子供を持ったりスケジュール帳が予定で真っ黒になったりすれば、今日のこの気持ちなんか忘れてしまい、彼女達と同じ台詞を堂々と吐くかもしれない。いや、それやっぱりスマートじゃないよ。一方、育児も仕事も夢も同時進行で突っ走ってる友人も居るし仕事に殺されそうな友人達も居て彼女達からは滅多に「忙しい」という言葉を聞かないし、(飲んで忘れちまってるだけかも知れないけどネ。)隙を捻出してそこから脱出したり羽を伸ばしたりもしている。(私の友人達が、初対面の人に真剣に「忙しいんです、私。」と自己紹介してる図も想像できないし。)きっとこの友人達は例え自由な時間が皆無に等しくても、やってる事を楽しむ余裕もあるし、忙="心"に"亡"、とある様に心は亡くしてないのだろう。その突っ走ってる友人が言っていた様な気がするが、家庭にしろ仕事にしろ、一つの社会に居ることが多いと、コミュニケーションスキルが低下する、と私も思う。伝えたいことが理論立てて言えない、何を伝えたいのかも見失う、相手の言ってることが聞こえない、など。だから、今、家に篭りがちな私は恐怖に怯えているのだ。明日はわが身どころか、もう(昔から?)なってる事に気付いてしまったのだ。(気付いてなければそれはそれで幸せ。)また今日もまとまらない日記になってしまったが、「私は○○です。△xな人です。暇も楽しんでいますが脱出も試みています。」と簡潔に述べられるように、今は色んな人と会って自己分析とともに改善を図らねばと思う。
Oct 25, 2006

(アメリカの)郵便局はアルコールの空き箱を利用した小包は受け付けない、という事を知った。空き箱は利用しても良いのだが、包装紙でそれを包まねばいけないそうだ。今後の為に覚えておこうと思う。****************************昨日、いつもはあまり通らない住宅街をドライブ中、車道の隅に細長い物と絵の額らしき物が置かれているのが目に入った。瞬時に"FREE"のサインを探す私。少々スピードを緩めつつ通り過ぎると、ハッキリと"FREE"のサインが読みとれたと同時に、その細長い物の正体も掴めた。それは私の大好きなツール(電動工具)だったのだ。高さが1.5m程あるそれは、確かmilと呼ばれる穴あけ機で、日本では卓上ボール盤と呼ばれているらしい。因みにコレ→が現物。何故ガレージの中にゴミ箱と並んで写っているのかって?それはね、私がせしめたから。私が路肩へ車を寄せると同時に後ろにも車が寄せられたのを感じ、反射的にそのmilの元へ急ぎ、手をかけて、文字通り「ツバ付けたっ!」とアピールしていると、後ろから白人の若い男性が「どうやら同じもが目当てらしいね。」と言いながら近づいてきた。どう見ても鉄の塊の様なmilは私一人では車に乗せるどころか1mmたりとも動かせそうに無い。旦那の応援を呼ぼうにも彼は学校だし・・・。使いこなせるか分らないしデカ過ぎるし・・・。と、思ってることをこのお兄さんに伝えると、ナント、このお兄さんは「君が使える事、間違いないよ。僕なら絶対もらってくね。一人じゃ無理なら僕が手を貸してあげるよ。」と言ってくれたのだ。あまりウジウジ悩んでいても失礼なので、「じゃ、悪いけど私がもらうね。」と言って図々しくも彼に手伝わせてしまった。しかし、思っていた以上にこれが重く、私は殆ど役立たずで、彼が居なかったら私は後ろ髪を引かれつつmilを後にトボトボと家路に帰っていたと思う。彼の親切はそれに留まらず、車を傷つけたり中を汚したりしないように気を使ってもくれたし"FREE"のサインも絵の額の前に置き直してもくれた。あまりにも親切だった彼に悪い気がしたのと、本当に私に使いこなせるか、又、未来の引越しで泣く泣く処分する破目になるかもしれないという不安から、念のため彼の電話番号を聞くことにした。彼に淡い期待を抱かせるのも悪い気がしたが、(多分、彼は期待してないと思うけど。)私の良心が痛んだので。明るい声で名前と電話番号を教えてくれた彼は、私が再度礼を言おうと思った瞬間、掛けていた真っ黒のサングラスをパッと外し、私の目の前に右手を差し出した。久々に見るさわやかなアメリカ青春ドラマの一コマの様なこの一連の動作に一瞬我を忘れてしまいそうになった。いや、しっかり我を忘れた私は自分の名前も告げずにその場を去ってしまった。きっと「とんでもないものを拾ってしまったゾ!」という気持ちと、重いものを持った後の興奮で、アドレナリンが分泌されまくっていたのだろう。結局、旦那の帰りが遅く、その日のうちにmilを車から降ろすことが出来なかった。翌朝、それまで話だけ聞いていた旦那は車の後部座席を開けると同時に、こう発した。「あ~~~ん???何ぃこれぇ~~~!!!一体、何を拾ってきたん?」2人してやっとの思いでmilを降ろしたが、今度はガレージの中までの1mの距離をどうやって移動させようか・・・と私が悩んでいると、何を血迷ったのか、旦那が一人でmilを持ち上げてウンウン言いながら運んでしまったのだ!箸どころか鉛筆より重いものを持たない彼が!!!瓶の蓋が開けられずいつも私に「開けて」と頼むその彼が!!!彼の意外な行動には驚かされたが、感謝の言葉を述べている間に、その行動の裏に隠された彼の心理が読めてしまった。私が旦那に、快く手伝ってくれた白人男性が力持ちだった事と、行動が爽やかだった事を褒めちぎり、挙句の果てに「あれはモテる秘訣だ、絶対!」と断言したことにライバル心を燃やしたに違いない。私のこの読みは当たっていたが、少しは自分の年齢を考えて行動して欲しいよ。こんなことで腰でもやられた日にゃ、私は申し訳が立たない。この様にして一台の鉄の塊=milが我が家にやってきたのだが、私に使ってもらえる日は訪れるのであろうか?「それやったら、なんでそんなん拾って来てん!」って、一斉に突っ込まれそうだな。
Oct 24, 2006

日本を発つ直前に古本屋でハードカバーを買った。その本のタイトルは「ペルセポリス」その背表紙は私の目を惹き付けて離さなかった。手にとってみてその表紙と装丁が更に気に入り、中を開くと漫画だった。私は漫画は全くと言ってよいほど読まないのだが、荒削りで重々しいのに無駄の無いその画風は何故か私が抱いている漫画のイメージとは一線を画した貫禄を醸し出していた。 (それもそのはず、それは1969年生まれのイラン人女性マルジが自身の体験を元に 政治・宗教・戦争・死・反抗・逃避・堕落などを淡々と綴ったものだったのだ。 この本は「ニューヨークタイムズ」が選ぶ注目すべき本に選ばれたほか 栄誉ある賞も受賞している。アメリカを始め12カ国で翻訳されてベストセラーに なっているらしい。)その直感を信じてvol.IとIIの二冊を購入したものの、ずっと気になりつつつい先日まで手に取れないでいた。ようやく腰をすえて読む気持ちになり、2冊を読み上げてみて、やはりこの本に対する勘が当たっていた事を知った。以前、フランスの空港に住むイラン人男性(本人はイラン人だと認めたくない様だが)についての「ターミナルマン」という本を読んで、どんな環境で育てば彼の様な人格が培われるのか少々興味を持っていた。ターミナルマンとイランの少女マルジはきっと親子ほどの年齢差があると思われるが、「ペルセポリス」を読んだ事によって少しはターミナルマンを理解出来た様な気がした。今から数年前、母国で校長先生をしていたがアメリカに来て長いと言うイラン人のお婆さんがSeattleに居たのだが、彼女の、慎重に選んだ一言一言をかみ締める様な口調と笑顔の皺には私の計り知れない苦労や苦しみ、怒り、絶望が隠されていたのだろうと思う。イランだけに限らず、家族や友人を残して母国を離れる(捨てる)のは並大抵の勇気と努力では成し遂げられないはずだ。このお婆さんはイラン人である事を決して捨てたわけでは無く、むしろ誇りに思っている様であったから、今もなお葛藤し続けているのかもしれない。ここBoulderにもイラン人は少なからず居ると思われる。図書館で開かれるカンバセーションのクラスにもイラン人女性が居るが、彼女からは「ペルセポリス」のマルジを想像できないほど朗らかだ。だが、政治の話になるとシビアな表情をのぞかせる一面もある。図書館のカンバセーションクラスでは政治や宗教について(インストラクターが自ら)意見を述べたりしてはならないというルールがあるそうだが、生徒達に英語を使わせるor意見を述べさせる目的として政治や宗教の話題が挙がる事が少なくない。私は日本の温室育ちで、親子の間でも政治の話はタブーなところがあったためか、ただでさえ政治の会話は苦手なのに、異国の政治に関して発言するなんてのは賛成反対に関わらず勇気が必要なのだ。それによって人が私をどう判断するかが怖いからだ。が、他の国の人達は日本人と比べると(周りに日本人があまり居ないので断言できないが)誰に気兼ねするとも無く堂々と意見を述べている。例えそれが今お世話になっているアメリカ合衆国を批判する内容であっても。そして皆、よその国で起こっている事をよく知っている。更にその国出身の人の意見を聞こうとする。こちらは尋ねられて気がつくのだが、普段からそういう内容を口にしていないと、いざ、意見を述べようとすると上手く纏まらない。つまり、ニュースを知識として頭に入れているだけで、それより先を考えていないというか消化していない事に気づくのだ。この日記自体も上手く纏められないが、つまり、相手の国で何が起こったか、起きているかを知らずして(想像できずして)会話をするという事が、最近、私にとってとても怖いこと、危ないことに思えているのだ。初対面の人に年齢や宗教、家族構成などの質問をするのはタブーであるが故に、相手に興味を持って会話のキャッチボールを行うと言うのは骨が折れる。何かの共通点を持って集まっているならともかく、共通点を探りつつ、且つ相手を無意識のうちに傷つけたりせずにフツーの話を繋げて行かないといけないのだ。世の中、我々夫婦の様に能天気なお気楽者ばかりでは無いのだよね。そいういう場面に何度も出くわすたびに、色んな国の「ペルセポリス」があれば良いのになぁ、と思う。そのシンプルな画と簡潔すぎるほどの文章は私に多くを語ってくれるのである。
Oct 23, 2006

木・金の一泊でNew MexicoのTaosへ行ってきた。数年前にSanta Feを訪れて以来のNMだ。旦那の計画では4時間のドライブで着く筈だったのだが、途中何度か休憩をしたものの7時間もかかってしまい、着いたらすぐ日が暮れてしまった。少しPlazaを歩いてからホテルへチェックイン。泊まったのはこのPlazaから2マイルほど南にあるSAGEBRUSH INNという古いadobe建築のホテル。Taos(市内だけかな?)にはほぼ全くと言って良いほど、adobe建築以外の建物は無いのだが、やはり新しい物は何となく嘘っぽくて物足りない。(このInnの外観の写真はアナログカメラに収まっているので、ここに載せられないのが残念!)ホテルの部屋に荷物を置いて夕飯へ。ガイドブックに載っていたOrlando'sというSouthwestern+Mexicanレストランはホテルの人にも薦められ期待を胸に直行。お薦めというだけあって、そこはやはり繁盛しており、待ち時間は20分と言われた。しかし急ぐ必要もないので、寒空の下ではあるが待つことにした。空腹は格別のスパイスになるのだし。外で待っている間、趣のあるストーブを囲んで旦那とメニューをじっくり研究する事に。20分後、テーブルに着くと、赤い壁と紫の窓のサッシが私を未だ見ぬメキシコへワープさせた。店の中はメキシコの香りで埋め尽くされていた。さて、私が選んだのは、10cm強の赤ピーマンにチーズを詰めパン粉をまぶして揚げた料理(rellenoだったかな?)。これはiMuy delicioso!であった。ピーマンの甘みと苦味、チーズのコクが絶妙で、チレソースがかかっているにも関わらずパン粉のパリッとした食感が残っており、これまた絶妙なタイミングでサーブされているのが嬉しかった。(こう書いている間にもヨダレが出てくる~!)旦那が注文した料理は・・・忘れてしまったが、ビーフのenchiladaだったかな。これは脂っこくなく、パサパサしている割には肉の旨みがあった。デザートは怖いもの見たさでfrozen avocado cakeを注文。運ばれてきたのは、グラハムクラストのチーズケーキだった。が、薄緑色。味は、苦味の利いたとてもアメリカンなキーライムチーズケーキって感じであった。翌日はホテルで朝食をとり、美術館2軒を巡った後、Puebloと呼ばれるインディアンリザベーションへ。ここはadobeのマンションで有名な場所。駐車料、入場料に加えてカメラ料金($5/1個)を支払い、一歩中に入ると、迎えてくれたのは犬達。最初は、観光客が犬と一緒に入場しているのだと思ったのだが、どうやら野良だと判明。リーシュどころか首輪もつけていないのだ。それに近づいてみるとちょっと汚れてて無愛想。でもこれがまた可愛いのだ。人には慣れているが人懐っこさは全く無く、買い食いをしている観光客について回っている。きっとこの村の中で飼われるとも無く育ってきたのだろう。このPuebloは広場を中心とするadobeの低い壁で覆われた村で、今も人が住んでいるとは聞くものの、生活しているのは観光客が訪れる時間帯だけの様な気配がしていた。きっとここは彼らにとって職場になっているのだろう。その証拠に広場を囲んだ数十件の家の殆どがネイティブアメリカン(又はインディアン)アートの店なのだ。これらの店には大して惹かれなかったのだが、入り口付近にあるジェロニモ教会は興味深かった。曲がりなりにも(日本の)カソリックスクールへ通い、イタリアの大教会へも訪れたことのある身としてはジェロニモ教会の祭壇に惹き込まれずにはいられなかった。何もかもが素朴でいて色使いが鮮やかなのだ。聖母マリア像を挟む様に壁に描かれているのは背の高いトウモロコシの茎と葉。その両脇にはスイカやカボチャが盛られた籠が、鮮やかな緑、オレンジ、黄色などで描かれている。はっきりとは覚えていないのだが、燭台やキリスト像なども南米(メキシコ)色が豊かだった気がする。ステンドグラスも素朴で、水色一色の中に一羽の白い鳩があしらわれただけ。イタリアの大教会も素晴らしいが、このジェロニモ教会は温かく落ち着ける場所だ。ホワイトボードにサインペンで書かれた聖書の箇所と賛美歌の番号が、この教会だけは観光客ではなくこの村の人々のために今も昔も存在していることを伝えていた。村を後にして、遅めの昼食へ向かったのはBent美術館向かいのBent Street Cafe & Deli。気温は低かったのだが、日差しが暖かかったのでタンゴと一緒に外のテラスで食事。原則として犬は店に入れないという事なので、我々はテラスを囲んでいるベンチの横のテーブルに着席。タンゴはそのベンチに繋がれ、ベンチ越しに我々の食事が終わるのを待った。この間、外行く人々に次々と撫でられたので、人見知りのタンゴには良い訓練となった。また、何処かの犬がフラッと現れた時も、ディストラクションの訓練になった。タンゴは背中の毛こそ立てたが(それに我々が命令したsitもしなかったが・・・)何とか呻らずにこらえていた。が、同じ犬が2度目にやって来てしつこく彼のお尻を臭い続けた時には流石にタンゴも「BOW!」っと一声放ってしまった。まあ、相手の犬も「あ、こりゃまた失礼しました。」って感じでヒョコヒョコと退散して行ったので喧嘩にならず一安心。 *タンゴにとってTaosは、新しい訓練を開始してから初めての”散歩以外の場所”であり、 長時間のドライブ後という事もあってかなり興奮していたはず。だが、ダウンタウンでの ウィンドウショッピング中はかなり聞き分けよく歩いたし、私が店から出てくるまでの間も ディストラクションに負けずにちゃんと座って(旦那と一緒に)待っていた。 でも、一回だけ驚いた事があった。それは、ある店の前に座っていた1m大の熊の ぬいぐるみの前を通りかかった際、タンゴがその脚にガブッと噛り付いたのだ。 一瞬の出来事だったので、タンゴが噛んだのかどうか分らなかったのだが、 後ろから来た女性が目撃者として教えてくれた。 「あなた達を守ったのね。私もきっと噛み付いたわ。」と・・・。遅めの昼食を終えると午後3時になっていた。そろそろ家路に向かおうという事で途中の土産物屋に現を抜かしつつ出発。Adios,Taos.日の入りが近づくにつれ7変化する山と空の壮大な景色を楽しみながら重たい雲の方向へ北上。コロラド州へ入って暫くすると雨が降り出し、油と埃まみれのウィンドウに視界を阻まれながら夜の高速をひた走りに走り、やっとの思いで家路に着いた。一息入れていると雨は雪に変わり、ふと気付くと真夜中にはいぶし銀の銀世界に変わっていた。雪に遇わずに無事に帰れた事を祖先や神に感謝しつつ就寝。Buenas noches.
Oct 22, 2006

昨朝から初雪の小雪がちらつき始め、午後には既に街の景色が一変。その後も一晩中しんしんと降り続けた。一夜明けた今朝は、街中が静まり返り、全てが生まれ変わった様だった。パウダースノーの銀世界。数日前までは20℃まで気温が上がることも多く、半袖で過ごせたのにこの変わり身の早さは何なんだろう。(今朝の気温、-2℃。)この初雪は15cmくらい積もったのだが、ここの人々が口を揃えて言っていたとおり、強い日差しがあっという間に雪を溶かし始め、除雪車の来なかった我々の通りも午後3時頃にはすっかり乾いてしまっていた。そういえば、朝一番に車で旦那を大学まで送った時に私の肌を突き刺していた朝日は雪の反射もあって夏のそれの様だった。家の中から眺めるだけだと全く美しい景色なのだが、家の前の歩道の雪掻きや折れた枝の掃除など、今日は体を温めてくれる作業が目白押し。どうやら昨晩我々が外食に出た間に裏庭の木が折れて屋根を直撃した様で、その際に危うく電線がやられてしまうところだった。という事で、最大で直径10cmくらいの幹をノコギリで切り刻む作業と梯子で屋根の上のダメージを点検する作業が加わった。幸運にも、屋根は無傷だったようだが、これも雪が完全に溶けてくれないとなんとも言えない。庭のこの作業は骨の折れる作業だったが、その間タンゴは我々が切った枝をかじり、幹の皮を剥ぎ・・・と大はしゃぎだった。時々枝の雪がバサッと落ちては動物の出現と勘違いして雪の上を大疾走。(最後には動物ではないと学習したようだ。)指先と足先が徐々に突き刺すような痛みに変わり始めた頃にやっと庭掃除が終わり、こういうときはやっぱりアレだと思い、ホットチョコレート(ホットココア)を飲んでやっと初雪を祝った次第。そうそう、旦那の中間試験も今日で終わったので、それも一緒にホットチョコレートで乾杯。明日はやっと訪れた彼の夏休みを満喫すべくNew MexicoのTaosへ向かう予定。道中、雪に遇いませんように・・・。
Oct 18, 2006
昨日、とうとうフードプロセッサーを買ってしまった。料理が得意では無いので、分不相応かなとも思ったのだが、逆にこれのお陰で少しは料理に興味を持つかな・・・という淡い(甘い)期待を信じることにした。フードプロセッサーのご利用者から色々とご意見とアドバイスを頂き、この数週間、悩みに悩んだ&調べに調べた結果、9カップ+4カップのセットを購入。替え刃も色々と付いているが、果たして使いこなせるかな?今日は手始めに玉ねぎ大2個と人参数本を微塵切りにしてキーマカリーを作ったが、きっと慣れるまでの間、我が家の食卓には離乳食の様なメニューが並ぶことであろう。それにしても、新しいマシーンを使うのは楽しいものだ。**************************今日の昼は、先日知り合った日系3世を含むブラジル人3人と、アメリカ人1人の女性ばかり5人でランチをする事になった。このブラジル人の女の子達は顔立ちが全く異なっていて、2人は日系人。黙ってると日本人だと思って話しかけてしまいそうなほどだが、日本語は殆ど喋られない様だ。でも、2人とも自分達のルーツを重んじていて、それぞれ日本で1~数年を過ごした事があるとの事。彼女達いわく、日本にも(岐阜と言っていたが)ブラジル人のコミュニティーがあるらしい。残念ながら、私は日本でブラジル人にも日系ブラジル人にも会った事が無かったのでこれは驚きだった。また、この日系人の1人はイギリス人と婚約中。余計なお世話だが、もし彼女に子供が生まれたら、その子のアイデンティティは複雑だな、と同情してしまう。”お父さんはイギリス人、お母さんは日系3世のブラジル人、でも私(僕)にはブラジル人の血は入っていない。”という事になって、もしイギリスで暮らすことになれば、(両親の共通語は英語なので)その子からはブラジルの香りが殆ど感じられない、って事になるんだろうな。母親はある程度は日本語を聞き取れるが、その子の環境次第では、ブラジルに居る祖父母や親戚とのコミュニケーションが上手く行かなくなったり・・・。傍から見ると羨ましい様な環境に見えるが、本人達にとっては不利に思えたり苦しんだりする事も少なくないんだろうな。増してや”国籍(生まれ)はアメリカ”とかだったりすると「あ~もうっ!私は一体誰なんだ!」って。でも、やっぱり私には色んな要素、可能性や文化が混じっている事は素晴らしいと思える。こんな余計なお世話はさておき、このブラジル人女の子達が私より一回り以上も若い事を知り、薄々分ってはいたものの、年齢の引き算で出た数字に現実を突きつけられた気分になった。でもここは日本ではない。私の年齢を知ったからといって途端に私を年寄り扱いしたり言葉遣いが丁寧になったりしない。私は私。素のままで「そうなのよ~。歳食ってるのよ~。もっとしっかりしなきゃね。」って笑ってられる。(いや、笑ってちゃいかんのだけど・・・。)若くても年配でも、前向きな人からは学ぶことが沢山ある。「年齢という数字のお化けに押し潰されず、いつも前向きでいたい」と、最近ちょっと横向きになってる私は思うのである。*******************************☆余談☆旦那の友人のタンザニア人の誕生日にまつわる話。彼は自身の正確な誕生日を知らない。「4月の25日~月末くらいだと思う。」と。というのは、彼の親が出生届を出さなかったから。何故ならば、彼の親は「我々が子供を生んだのに、なぜ、国から誕生日を買わないといけないのか。」と思ったから。って、コレじゃ意味が分らないと思うが、つまり、『出生届けは手数料がかかる→お金を払って生んだ日付を認めてもらう→誕生日を買う』という思考回路らしい。という事で、彼は自身が生まれた前後の季節行事と年(西暦)を親から聞いて勝手にその辺りの日付を選んでいるらしい。タンザニアの戸籍や出生届のシステムがどうなっているのか私には全く検討が付かないので、この話がどこまで本当かは分らないが、話としては面白いよね?
Oct 13, 2006
さて、近況でもなんでもないのだが、え~、馬鹿馬鹿しい話を一つ。野生児の甥っ子(S=中2、K=小6)の最新エピソード。***************************** ある日、彼らが近所のガキんちょ達と川原で遊んでいた時、一匹のヘビを発見。(S&Kに因ると、青大将だとの事。)ヘビも彼らに気が付いて身構えた所を、Sが「撫でてみよか?」と手を伸ばしたらしい。するとヘビは面食らったのか、抵抗すること無く、撫でさせてくれたんだと。調子に乗ったSは、「じゃ、もう一回。」と手を伸ばしたが、今度こそは指を噛まれてしまった。んが、そこで引き下がるSでは無い。「やっぱりもう一回。」と手を伸ばし、また噛まれた。「んじゃ、もう一回。」と、4度目の挑戦。最後はとうとうヘビも諦めたのか呆れたのか、また撫でさせてくれたらしい。 帰宅した彼らからこの話を聞いた母親(私の義姉)は、Sに異変は無いものの、大事を取って彼を医者に連れて行った。医者:「最初の応急処置が良かったから大丈夫です。」母親:「え?応急処置って?S、何したん?」S :「(傷口を)口で吸って吐いた。」母親:「・・・」 その日の夕飯時、弟のKが自慢顔でこう言った。S :「あんなぁ、お兄ちゃんってスゴイねんで!ヘビを首に巻いてんでぇ!」母親 :「(ギョッ!として)ヘビってどれくらいの長さやったん?」S&K:「1メートルくらいかな?」 翌朝、いつもなら何度起こしても起きない彼らが、部屋の隅で箱を囲んで何やらゴソゴソしているのを母親が発見。母親 :「何、隠してんのん?亀か?」S&K:「ちゃう。」母親 :「亀や無かったら、蛙か?」S&K:「ちゃう。」母親 :「ほな何や!見せなさい!!!」・・・もう、お分かりであろう。そう。昨日のヘビがそこに入っていたのだった。その騒ぎを聞きつけた父親(私の兄)が起きて来てヘビを確認し、父親 :「ホンマや、青大将やな。」S&K:「お父さん、飼ってええ(=飼って良い)?」父親 :「青大将やったら、2mくらいまで大きなるしなぁ。ウチは狭いし、SもKも陸ガメも 居るし、もう飼われへんわ。川原へ返しておいで。」***********************************という事で、このヘビはやっとの思いで川原へ帰れたらしい。が、この甥っ子達の事だから、川原へは返したものの、そのヘビをどこかに紐に繋いでいないとも限らない。いやはやしかしh、この親子は宝塚という比較的都会に住んでいながら、何故こんなにヘビに詳しいのだ?青大将がどんなものか想像できなかったので、インターネットで調べた結果、マムシに間違われる様な模様をしているが無毒だとの事。これまでにも色々と面白い事や無茶な事をしでかしてきた彼らなので、オーストラリアの故クロコダイル・ハンターみたいな事にだけはならないでくれ、と祈るばかりだ。
Oct 4, 2006
朝目覚めと共に寝室の窓を開けると、そこは一面、金世界だった。そう、銀世界ならぬ金世界。枯葉の。昨日かき集めたのと同じ量が地面を覆いつくしていたのだ。ため息を付いてる間も無く、芝刈りを始めたのだが、これが意外や意外。芝刈り機の側面から吐き出される空気が枯葉を地面に叩きつけるように飛ばしてくれるのである。昨日のblowerの2時間は何だったの?ってくらいに枯葉の山があっという間に出来た。また、これらをビニール袋に入れる際も、昨日より凝縮して収められた。多分、芝刈り機の刃に巻き込まれて砕けたり嵩が減ったりしたためだと思う。今回の一連で学んだことを纏めておこうと思う。・夏の芝の水遣りはマメ且つ丁寧に。・夏の終わりに少しでも気温が下がったら芝の種まきを行う。・その前に、少なくとも周囲の芝刈りをしておく。(芽が出るまでの1~2週間は芝刈りの風が強すぎて種が掘り起こされてしまうから。)・庭に枯葉が舞うようになったら、芝は短めをキープ。(枯葉が埋もれるから。)・枯葉は芝刈り機で集めると早い。今日の枯葉集めはゴミ袋2個分。お隣さんの過去の記録は21個だとか。こうしている今も、はらはらと舞い落ちている。・・・は~、先が思いやられる。*******************エアーバブル(通称:プチプチ)に包まれたままになっていたmiter sawとjig sawを出してきて遊ぶことにした。miter sawを使うのはまだ3度目くらいなのでドキドキ。ダンボールで作業台を組み立てることから始まり、ゴーグルと皮手袋を装着し、使用書を片手にいざ臨まん!先ずはガレージにあった合板で書斎の本棚の棚板1枚を作った。(カットしただけだけど。)次は170cmの長さに板を切った。これは、タンゴ様のスロープの試作。今の車は車高があり、中にあるケージにタンゴが飛び乗ってくれないから。20kg以上ある彼を毎回抱きかかえるのはかなり辛く、彼は彼で、抱きかかえられるのがイヤで逃げまくるのでいつも出発するまでに5分以上はかかってしまうのだ。それに水遊びや泥で汚れる場合もあるし。タンゴがもしこれを気に入れば、いつも車に乗せておけるように、半分にカットして兆番を付けるつもり。本当は折りたたみ式のステップか台を作った方が良いのかな?今後検討の余地あり。あ~、久々にマシン(工具)遊びをして楽しかった!もっとカットしまくりたかったな。今の借家には暖炉が無いので薪も不要だし・・・。つまんないよぅ。
Oct 1, 2006
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