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フューズドガラスを変形させるモールド(型)はビスクと呼ばれるセラミックを使っている。この型は食器や動物の形をしているものが多く、よく子供達が色を塗ったり絵を描いたりし、(その後、上薬塗布→窯で焼かれ)置物やプレゼントなどの用途に多く使われている。(多分、そっちの用途が主ではないかな。)この内でフューズドガラスの変形に使える形というのは限られていて、簡単な形ほど使いやすい。また、凹みを利用する場合はドリルで型に穴を開けなければならないのだが、これが緊張もの。割れたら何千円相当がオジャンなのだ。コレ↓は予め穴が空いていたモールドを使用しての試作品。ブリッジ型のキャンドルホルダー。これ↓は小さなお皿のモールドを使用して。変形(窯をオンにする)前の状態。(このガラスは色々なガラス片を組み合わせて事前に一度窯で焼いたもの。)そして↓変形後の状態。光の筋を見ると凹んでいるのが分りやすいかな。この2点とも、十分な大きさのガラス板が無かった為にパッチワークみたいなデザインになったが、材料が無いと(苦しいながらも)アイディアが湧いてくるもんだと実感。でもこの後、やっぱり大きいサイズのガラスを購入してしまった。だって便利なんだもん。
Apr 12, 2009

最後の更新からかなりの時間が経ってしまった・・・。その間の一番大きな出来事はタンゴの右膝手術と旦那の大学院卒業&起業かな。(タンゴの手術からもう1年だなんて。今は元気そのもの。)さて、日記更新のタイミングを失い続けてきたが新たにカテゴリーを増やすことで再帰してみようと思う。その前に久しぶりに積った雪の写真を。BBQグリルがこんな姿に。3月の雪とあってずっしりと重たい。”新たなカテゴリー”とは新しく趣味に加わったガラス。まだ始めたばかりで作品らしい作品が無いのだが、何れは大きなものにも挑戦したい。窯の試運転での一つ。温度設定が高すぎたのでfull fuseとなった。ガラスを作るのは難しいが、ガラスの撮影も難しいことが判明。どちらも早く上達したいものだ。
Mar 28, 2009
二日ほど前、高速の入り口へ差し掛かったところでキツネを見た。夏にも親子と思われるキツネを山の近くで三匹見かけたが、今回は町中。(と言ってもド田舎なんだけどさ。)小さいときに訪れた動物園にもキツネはいたかもしれないが、私の興味はそこに無かったし、キツネといえば「ゴンぎつね」の挿絵くらいしか思い浮かばないので、コヨーテや狼との違いもはっきり知らない。でも、あれはキツネだった。時速60kmで通りすがる一瞬ではあったが、丸いキョトンとした黒目と尖った鼻、ふさふさの尾が印象的だった。キツネより少しお目にかかる機会が多いのは鹿。これもまた、elk、deer、mooseの違いがよく分らないのだが、角がざらざらした感じ若しくはガマの穂みたいな表面をしているのでアメリカアカシカと呼ばれる大型の鹿だと思う。背の高さは私と同じくらいかな?角を入れるともっと高いかも。外に出てこういう動物達に遭遇すると、ラッキーな一日だと思い込むことが出来るから不思議。鹿が林檎の木をかじって困るとはよく聞くのだが、収穫時を迎えた我家の林檎の大木には一度もやってきていない。その代わり鳥やリスが日に何度も訪れてはあちこちに食べかけの実を落として行く。タンゴはそのおこぼれをもらっているが、殆ど無傷の林檎ではなく、腐った方が好きらしい。人間なら酒飲みといったところだろうか?
Oct 17, 2007
(すっかり日記をご無沙汰してしまった。)一ヶ月ほど前に映画「An Incovenient Truth」を借りてきて旦那と共に観た。私にとって映画と言うと、サスペンス物やマフィア物なので、正直言ってこの映画を飽きずにちゃんと観ることは出来ないだろうと思っていた。いつもの様に頭も体勢も映画鑑賞モードで観始めたのだが、いつのまにか前のめりになり食い入るように観ている我々夫婦がいた。この作品の素晴らしさは、先日Al Gore氏がノーベル平和賞を受賞し証明されたので、私がここで述べることは無い。ただ、観た人を不愉快にも闘志にも似た複雑な気持ちにさせる、文字通り不都合な真実をつきつけた人が”平和賞”を受けるという皮肉に、映画を観終わった時と同じように胸がキュッと痛んだのだ。平和や環境保護という言葉は、全てが平和で環境破壊などなければ生まれてこなかった言葉だろう。ちょっと飛躍するが、人間が「水を飲みたい」と思った時には既に体内の水分が不足してしまっているのと同じように、環境保護という言葉が使われる時点で環境は破壊されている。そして、修復するどころか破壊のスピードと威力は増すばかり。こういう事は知っていたことだが、「An Incovenient Truth」はそれを改めて数字や映像として私の頭と体にエイリアンの様に食い込んで来た。それは形容しがたい感覚だった。この映画は我々に勧告と同時に希望も与えてくれているのだが、何事も心配しすぎる性格の私には非常に重すぎて、地球の将来にとても悲観的・絶望的になってしまった。生き物が生存できなくなるかもしれないというのに、子供なんて作れないよ。年齢的に迷ってなんかいられないのだが、またまた二の足を踏んでしまうではないか・・・。私が子供を生んで育てるかは別として、友人や兄妹の子供達の為に、そして生き物全ての為に何が出来るか・・・。この映画を観てから、今まで少しだけ気にしていた事をもう少し掘り下げて考えるようになった。どこから手を着けて良いか分らないが、気がついた事、出来る事から少しずつ、自分達の杓子で地球・体に優しいことを心がけようと思う。小さい頃から感想文は大の苦手で点数も悪かったから、これを読んでくれた人にこの映画を観たいと思わせる事は無理だって事は百も承知だ。でも、未だ観ていない人には是非時間をたっぷりとってから観てみて欲しい。
Oct 16, 2007
うちの旦那は見るからにオッサンなんだが、そう見えてシャンプーは毎朝欠かさない。でも、頭が薄くなって来ている事とフケを心配している割には洗髪時間(シャワー時間そのもの)が短い。先日、”今度のシャンプーはちょと値が張るので成果無しに終わらせたくない”と思い、「毛が抜けるのは頭皮が固く薄くなって毛根が居られなくなるのと毛穴の汚れが原因なんだよ。毛穴の汚れを取る為に毛の向きに逆らって3~5分間マッサージしなさいと書いてあるよ。」と、旦那に説明した。今までにも同じ台詞を何度も述べて来たので、”また実行しないだろう”と半分諦めていた。ところが数日後、旦那が自慢気に「シャワーの時間が長くなったでしょ。ちゃんとシャンプーしてるから。」と言うではないか。ほうほう、感心感心と思ったのも束の間、「ちゃんとシャンプー乗っけて3~5分置いてるもん。」との気になる発言が・・・。そうなのだ、旦那はどこでどう勘違いしたのか、シャンプーをコンディショナーのように使っていたのだ。彼はコンディショナーの類なぞ使った事が無いので、シャンプーを”置く”事に全く疑問を感じなかったのだ。バスルームでシャンプーを頭に乗っけたままの旦那を想像するとなんだか情けなくなったが、数日で気が付いたお陰で(高価な)シャンプーを無駄にしなくて良かったー。再度彼に"毛が抜ける原因"から説明したのだが、果たして今度こそ指示通り実行しているのだろうか?
Aug 22, 2007

旦那はこの9月から大学院の2年生。そして、この時期は授業料の請求書(?)が送付されてくる。州外からの学生は州内の人より授業料が高い。我々夫婦がコロラドに来たのは昨年なので、大学院の初年度は州外の額の授業料を払った。今年は居住暦が1年になるので、州内の学生としてみなしてもらえるべく色んな書類を添付して申請していたのだが、昨日それが認可されたとの知らせが届いた。この授業料の差は大きい。1年分の家賃を払ってもお釣りが来るほどの違いだ。嬉しい!でも、気持ちに変な余裕が出来て無駄遣いをしないように気を引き締めねばネ。*****************************先週は私が腰痛でハイキングが出来なかったので、旦那とタンゴだけでBear Peakへ挑戦。高所恐怖症の旦那にはマックスな環境だったそうだ。タンゴも岩と岩の間に体がはまってしまいそうで(見ているほうも)恐かったらしい。タンゴはかすり傷を作ってご帰宅だったが、大事に至らずに良かった良かった。(↑旦那の自信の一枚)
Aug 21, 2007

7月13日から15日の2泊3日でSteamboat springというその名の通りspringがある所へ友人夫婦とキャンプへ行って来た。「連れて行ってもらった」と言うほうが正解だが。我々の住むところからは車で片道4時間ほど。道中昼食を摂ったりアウトレットへ立ち寄ったりしながら夕方に人の居ないキャンプサイトを探し当ててテントを張った。ファイアーリング(前の人達が火を起こした石の炉の跡)の周りにキャンプチェアを並べて先ずは乾杯。友人の旦那が火を起こしてくれた頃にはうっすらと寒くなってきた。「山の中でこの程度ならば、下界はうだるような暑さだろうね」などと言いながら我々は火を囲んで四方山話。ふと気が付くと高い木々の更に上には満点の星が。夕方に少し雨が降ったせいか少し霞んで見えた。タンゴは嬉しくて走り回っていたが、辺りが真っ暗になる頃には落ち着いた。が、我々には見えも聞こえもしない何かに向かって時折低い唸り声をあげたり、大きくワン!と木霊させたりしていた。どんな動物が隠れているのか知りたくもあり、恐くもあり・・・。タンゴと同じ言葉を話せない事をこの時ばかりは嬉しく思った。10年くらいぶりのテント+寝袋に私はかなりエキサイトしていた。しかも今夜はタンゴと同じ床で川の字になって寝られるのだ!あまりの寒さにタンゴを寝袋に入れて暖を取ろうと思ったが意外と寝袋は小さく、意外とタンゴはデカかった。スリーピングマットのお陰で冷えや石の感触は背中から伝わっては来ないが、固い床で寝ることに慣れていないので寝つきは悪かった。うつらうつらしたころ、遠くでコヨーテ達の遠吠えが何度か聞こえてきた。その声は遠くなったり近くなったり。タンゴは不思議とこの声を全く気にする様子もなく我々夫婦の間でスヤスヤと眠っている。タンゴは我々を守ってくれていると思っていたが、タンゴ自身は我々の間にいる事に安心を覚えているのかもしれない。番犬として頼りにして良いのやら?翌日は街でspring入浴しようかと言っていたのだが、結局街まで下りる時間が勿体無いので山を登る事にした。上りの1時間半は短かったが急斜面で息が切れた。木が生えていない頂上付近は鉱山跡だけあって薄いオレンジ色の瓦礫で覆われていた。これらの石が立てる高く乾いた音が足首と空気の両方から伝わってくるようだった。ただタンゴの脚が隙間に挟まらないかと心配だったが彼は全く平気だった。鉄の網状の排水溝の上は恐くて歩けないのに不思議だね。これが頂上からの眺め。これはコロラド州の州花のColumbineで、車のナンバープレートにデザインされているが、滅多にお目にかかれない花らしい。確かに山の上で咲いているんだから通常は会えない訳だ。下山はかなり気温が上がってきた上に普段のハイキングと違って小川やせせらぎが一切無かったのでタンゴがのぼせてしまい、疲労が急に出てきた。小さな木陰を見つけてはドタン!と寝そべってしまう。こんな事は初めてだ。勿論、水を飲ませたり体にかけてやったりはするのだが追いつかない。しかも、彼は朝からキャンプの周りを休む間無く駆けずり回っていたのだから疲れていない訳が無い。『「あとで登山するからほどほどにね。」と一言言っておいてほしかった・・・。』と思っているに違いない。友人夫婦には申し訳なかったが、下山はタンゴのペースで休憩をたくさんとらせてしまった。↓下山直後のタンゴ。もう一歩も動けない。この日の夜は前日より更に星が増え、うっすらと天の川も拝めた。北極星は周りの星が明るすぎて断定が難しいほど。こんなに美しい夜なのに眠気はやってくるもので、前日より更に着込んで寝袋へ入った。この晩は鹿か何かの鳴き声が聞こえたな。竹を叩いた様な、シシ脅しの様なそんな音だった。目覚めると、テントの外でタンゴの草を蹴る音が右へ左へとしていた。だいぶ元気を取り戻したようだが、この日一日タンゴはお疲れ気味だった。昨日はよっぽどはしゃぎすぎたんだね。午前中にはキャンプを畳んで帰路へ。我々の車は遠回りしてFortcollinsという街を通って帰った。道中の渓流は黒いタイヤチューブでの川下り、ラフティングやカヤックで賑わっていた。ん~、ちょっと恐そう。・・・と、楽しいキャンプを終えて心地よい疲れを味わったのも束の間、翌日の夕方に私はぎっくり腰(寸前)に襲われてしまった。多分、固いところに寝返りもせずに2晩も寝たのがいけなかったのだろう。しかも毎晩している腰痛予防ストレッチをキャンプ中はしなかったのだから輪をかけて要因を招いてしまったのだ。10日以上経つ今も未だ痛みがあるので、先週に続いて今週もハイキングは見送ることになりそうだ。旦那、タンゴ、我慢させてゴメンね。
Jul 27, 2007

ここ二日ほど貧血気味(?)だったので、今日のハイキングは近場の短距離に。ということで、家から車で10分ほどのChautauqua、Royal Arch(岩が風化してアーチ状になったところ)へ行った。時間にしてみれば往復3時間ほどの楽チンコースだったはずなのだが、膝の高さの段差をグイグイ上って行かねばならず、標高は低くて呼吸は楽なものの暑くて汗だくに。これはしまった・・・意外とハードだったな。上りで太腿に辛さが来、下りはそこがくすぐったいような感じになった上に膝に力が入らず、いつ膝から崩れ込んでもおかしくない状態で恐い下山だった。アーチがある場所は離れて写真を撮ったりするような奥行きが無く、後から後から上ってくる人が居るので、特等席を陣取った人以外はあまりゆっくり出来なかったのが残念。でも、日本に居るような小さな縞リスがチョロチョロしているのを見られたのはラッキー。写真の左下に映っている人はまさしく特等席を確保している。我々はどのみち恐くてそこまでは行けなかったな。因みに我家は写真の中心よりやや左下にずれた辺りに位置していると思う。*********************家に戻って昼食を摂った後、オープンハウスを見に行く事にした。我家から車で20分ほど走った辺りの山の中にある住宅の一つで、斜面に建つ豪華な二階建て。値段の割に超がつく豪華さで素敵だったが、我々2人には広すぎるしまだ買う気は無いのでその辺りの生活事情や不動産事情を聞いて帰ってきた。未だ生活している人がいる家のオープンハウスはインテリアやデコレーションを見られるので楽しい。これからオープンハウスが増える季節だろうし、楽しみだ。でも冷やかしで他人の家を覗いてばかりもいられない。そろそろ我々夫婦も落ち着かんといかんなぁ。
Jul 8, 2007

土曜日にまたハイキングへ行ってきた。これで4週連続かな?今回はBrainard LakeからBlue Lakeという池までの往復5マイル(8kmほど)。先週の道と比べて急な上りが無く、目的地も”絶景を見下ろす”というところではなかったためか、標高がそれほど高いとは感じないハイキングだった。勿論、息は切れたが。標高は体では感じなかったがところどころに雪が残っており、陽で緩くなった泥まみれの雪に足を取られては「おっ!」とか「ひゃっ!」とか発声しながら何とか転ばずに進んた。そこここを流れるせせらぎや小川はこれらの雪解け水なので、タンゴは何度も入水しては四肢を広げて涼を取っていた。雪国で温泉に浸かるサルが居るが、タンゴは夏バージョンのそれだ。目的地のBlue Lakeは水面の殆どをまだ雪と氷が覆っていたので”青白い湖”だった。それより先(上)にも小さな池があるそうだが、さらに雪が残っていて歩きにくそうだったので今回はここでサンドウィッチを頬張ってから下山した。太陽はサンサンと輝き、風が無ければジリジリと痛いほどだったと思うのだが、水面の氷の上を吹いてくる微風が非常に冷たく、長袖シャツを羽織ってもブルブル震えるほどだった。山の天気や空気はこれだから侮れないのね。無事に小さな町まで下りてきて、どっしりと重たいブラウニーとラテを買って2人で平らげた。消費したカロリーを全て取り戻してお釣りが来るほどだったかな・・・。タンゴは車に乗ってから物音一つ立てずに寝ていた。家に付く頃(と言っても半時間ほど)にはもう体力が回復したのか、ケージの中から何やかやと音を立てていた。タンゴの脚は、特に後ろ脚は、骨と皮と腱しか無いと思われるほど細い。太陽に透けてピンクに見えるほどだ。その細い脚で砂利やゴロゴロした石だらけの斜面をヒョイヒョイと何時間も歩き続ける姿を見ると、改めて犬の生命力の強さを感じてしまう。・・・こんなに運動しているのに何故最近、彼の体重は増えているんだろう???*****************************今日はタンゴの歯の検診。最近何となく歯茎の状態が悪いように見え、歯の色も茶色くて所どころ歯石らしいものが溜まっているようなので、清水の舞台から飛び降りることにした。だって、$260もするんだもん!今のところは噛む動作に一切の異様は感じていないようだが、タンゴにとって食べることは最大の喜びと言って間違いないのだから、大切にしてあげないとね。いつか年老いて不便を感じるまでは、出来るだけその日が遅く訪れるように祈りたい。我々人間は今のところ歯の保険に未加入なので(経済的事情)、芸能人以上にお手入れをしないと!タンゴを真似てラムの骨でもかじって鍛えようかな。
Jul 2, 2007

いやいや、久しぶりの更新。4ヶ月ぶりかな。危うく自分のIDやパスワードを忘れてしまうところだった。2月の下旬に日本へ帰国し6月初旬に帰ってくるまで色んな事を学ばせてもらった。母の突然の入院・転院・手術と続き、更に転院と度重なる検査で都度一喜一憂し、何度となく悔し泣きをしたことだろう。病院と医師・看護士達に対して不満も憤りも積るばかりだった。全ては病院の根本的体質・教育がなってなかった事が原因なので、誠心誠意尽くしてくれた医師と看護士達が、出来の悪い上司を持つ部下の様に思え、不憫になった。こちらは母を人質に取られている様な物なので、最後まで何もいえなかったけど。私や私の家族よりもっと辛い体験をされている方は、残念な事に世の中に星の数ほどおられるだろうから、記録としてはこれだけに留めておこうと思う。唯一、この関連で書き加えたい事としては、病院の食堂やキオスクの食べ物について。病院食については患者の食欲をそそる為に安い着色料を使ったりしているのだろうから多少は目をつぶろうと思う。例えば、食堂の塩っ辛い味噌汁、バターが滴るようなトースト、そのバターも人工的な味。キオスクのお菓子やパンの多くにはショートニングが使われている。健康であることを推奨する病院がこの調子なのには落胆した。まるで学生用の食堂みたいじゃないか。病院だけではないな。co-opでパン粉を購入した際にも、その店で置いていた何種類かの内の一つだけがショートニングを初めとする”余計なもの”が入っていなかった。日本で暮らしていた時は、co-opで買っていれば安心だと思い込んでいたのでショックだった。自分の体に入れる物は自分の目で確かめねばいけないね。・・・と言いつつも、全ての食事においてオーガニックや自然思考を貫いている訳ではないし、ジャンクフードも時々食べるのだが、せめて自分で作る料理の材料だけは気をつけて選びたいな、と思っているのである。こんな風に思うようになったのは、正しくここボウルダーの影響である。オーガニックのハンドソープに始まり、食器用洗剤やトイレ掃除用の洗剤までオーガニックやナチュラルの物を選ぶほどになった。隣の奥さんは、余った飲み薬もトイレ(→海)に流すのを避け、わざわざ医者に返すのだそうだが、私もそれに近くなって来たかな?ボウルダーの影響と言えばもう一つ。この運動嫌いな私が人生において初めて「走ってみたいかな?どうかな?」とまで思えたのである。ただ、実行に移すまでにポイントが何ボウルダーか足りないんだけどさー。そしてその前兆として、ここ何回かの週末に旦那とタンゴとハイキングに行っており、距離や標高も上がってきているのだ。ただ私は、登山ならぬ"下山"が大嫌いだし、さっきも書いたとおり運動嫌いなので、旦那が計画したところに半ばイヤイヤ付いて行っている。でも、行ったら楽しい事は薄々知っているから「行くのヤダ!」とは言わないのだ。そして(私の物差しに因るところの)ハードなトレイルでは「自分を騙し騙し下山を制覇したんだ!」という達成感を味わい、自分を誉めている。2人分の水・カメラ・上着などが入ったリュックを背負って登&下山くれている旦那の事は誉めずに。そして、このハイキングをより快適なものにしてくれているのはタンゴの存在。小川の飛び石を渡る時も、砂利で滑りやすい坂道を下りる時も、タンゴは先へ先へと行かない。歩いている時も右へ左へとフニフニしないのでとても歩きやすい。(それもこれも、The Avs Girlさんのお陰です!大感謝!!!)今後、私自身がどう変わっていくのか、私自身とても興味深い。6月23日に行ったArapahoe Passより。
Jun 25, 2007

6日火曜日の夕方、タンゴといつも通りに散歩へ出た。いつもは30分くらい歩いてから草野球場で遊ぶのだが、雪の下から久しぶりに芝生が顔を出して来たので、その日は逆コースで野球場へ先に入って久々のボール遊びをする事に。さてロングリーシュに付け替え、ボールを出して一蹴りした途端、タンゴが大声で「ギャン!」と叫んだのだ。”あ、また雪が肉球の間に入ったんだな”と思ってタンゴの上げている足を掴んだ途端、また大声で「ギャン!」と叫ばれた。”またまた大袈裟な。”と思いつつちょっと様子がおかしいのでよくよく見ると、タンゴの足から血が出ているではないか。さらに注意深く見てみると、その足の爪の一本が裂けていた。め、眩暈が・・・。タンゴはまるで地面が彼に悪さをしているかのように、その足を下ろしては「ギャン!」と叫び、一歩歩いてはまた「ギャン!」を繰り返した。数歩歩いた頃にはもう尻尾が股の間に入ってしまいもう何処へ進んでよいのか分らずすっかり怯えてしまった。これは獣医へ連れて行った方が良さそうだと思ったので、また短いリーシュに付け替え、家に向かうことにした。気がつくと、彼が野球場へ入ってきた時点から出血し始めていたと思われる血の跡が雪の上に点々と小さく残っていた。家に戻って急いでタンゴを車に乗せ、獣医へ電話をしようと思ったが、携帯に番号を登録していなかった事に気付き、まだ閉院していないことを願いつつとりあえず獣医へ向かった。獣医はあと15分で閉院というところで、受付の厚化粧のねーちゃんは「今日はもうダメ。」と我々を追い払いかけたのだが、「とりあえずどうしたら良いかだけ先生に聞いてみてもらえませんか?タンゴが出血してるし、痛がってるし、どうしたら良いか分らないの。」とオロオロな気持ちをバラバラな英語で伝えたら、しばらくして処置室で待つように言われた。 その間、タンゴの患部を再度見てみると、どうやら裂けたのではなく、爪が剥がれてブラブラしているのだと分った。そこでまた私の心臓はキューっと締め付けられ、眩暈を覚えた。処置室に現れた先生が、何だか専門用語(?)で早口に色々言うのだが、パニックになっている私には何が何だか分らない。が、何とか、「奥へ連れて行って爪を抜ける状態かどうか診る。」という事だけ分り、私は一人で処置室に残され、落ち着かない10分を祈る気持ちで待った。が、いくら聞き耳を立てても、タンゴが爪を抜かれる瞬間に発するであろう「ギャン!」が聞こえてこない。麻酔でもかけられたのかな?などと思っていると、ようやくタンゴが小気味良い足取りで戻ってきた。が、その足はバンデージをぐるぐる巻きにされてチキンウィングの様。先生に因ると、爪を抜く瞬間もタンゴはケロッとしていたとか。きっと、抜かれる痛みより、知らない人達に取り押さえられている恐怖の方が勝ってしまったのだろう。その後もまだ心臓の鼓動が安定しないまま、先生の指示をもらい、受付で目玉が飛び出る金額を支払って家路に着いた頃にようやく私も落ち着きを取り戻した。タンゴは傷の痛みより、バンデージ自体が気になって舐めるので、そこがかぶれないようにメガホンみたいなカラー(エリザベスカラー)を付けてみた。が、彼はよっぽどそれが怖くて嫌いらしく、安静にしてるどころか今まで見たことがないような激しい暴れ方をするので、外すことに。結局、バンデージのチキンウィングの上から私のお下がりの靴下を履かせ、舐めさせないように保護。外へ出す際は雪と泥でチキンウィングが濡れない様にビニール袋で覆い、更にその上から古いゴム手袋を再利用して履かせて・・・と、かなり重装備に。再診の日(今日)までの4日間、これを日に何度も繰り返した。散歩だけは控えるように言われていたので、タンゴも私もかなり運動不足になってしまった。バンデージを濡らさない様に工夫した甲斐あってか、今日の再診で外されたバンデージの下からは、完全に乾いた患部がお目見えした。ちょっと赤いが、生々しさはもう無い。「痛み止めの薬だけはあと一週間ほど続けなさい。患部を舐める様ならまた靴下を履かせて。」と言われて、チキンウィングとはおさらばになり、ようやく私もホッと出来た。家に戻って早速5日ぶりの散歩へ出ることに。友人からランチのお誘いの電話が入ったが、せっかくのお天気だし、タンゴの足の様子も見てみたかったのでそれを断って散歩へ行ってみた。タンゴは立ち止まっては患部を舐めるが、歩くのは普通だし、ストレスが溜まっていたであろうに引っ張らずに散歩を楽しんでいる様子。私も嬉しい。ポカポカとした日差しが残った雪に反射して帰り道には暑いくらいになった。患部に異常が見られなかったので、この調子で散歩を続けられるだろう。爪が生えてくるまでの暫くは、ボール遊びや激しい運動は禁止だが、歩くぶんには問題ないようなので、いつもより余分に歩いてみようかな。それにしても、動物って痛みに対してなんて強い事か!っちゅうか鈍感?ライオンにお尻の半分から太ももまでを噛み千切られた野生のシマウマがサバイブしているのをテレビで見たことがあるが、タンゴにもそんな野生の強さが残っているとは。それならこっちはもっと肝っ玉据えて育てなアカンな、と反省。もう一つ反省。ここ2ヶ月の大雪で、タンゴはコンクリートの上を歩かなかった。そのせいで爪が研がれず、伸びてしまったのだろう。だから、何かの拍子で爪が剥がれてしまったのだと思う。彼は爪を切られるのが大嫌いなので、なるべくコンクリートの上を歩かせ、ボール遊びで激しい運動をさせていたのに、この雪でうっかりしていた。タンゴ、ごめんね。さて、タンゴの爪は体の斑点と同様でマダラ。真っ黒もあれば真っ白もあり、半々なのもある。今回剥がれた爪は真っ黒だったのだが、次に生えてくるのもまた真っ黒なんだろうか?ちょっと楽しみでもあったりして。不謹慎かな。
Feb 10, 2007
いやはや、年末どころか、新年になっても全く日記を更新してなかった。色々無かったわけではないけれど、旅行にも行ったのだけれど、それは後々書く(かも)として。今日はあまりにもショッキングな事が起こったので更新する決意が着いた。2度も転んだのである。1度目は、タンゴと10mのリーシュで遊んでいた時。タンゴに「Come!」をコマンドしたのだが、タンゴは私に向かって走ってくる途中で私の後方の何か(←犬+飼い主だった。)に注意が逸れ、私に近づくにつれどんどん加速し始めた。普通は、近づくにつれ減速するので、『これはイカン!』と感じた私は咄嗟に、ロングリーシュの上に足を踏ん張った。が、積雪と足の間のリーシュは何の抵抗も無く物凄い速さで足の下をすり抜け、アッと思った時には私は右肩を下にして雪の上に叩きつけられていた。私は意地でもリーシュを放すまいと腕に力が入っていたせいか、気付くと体がピンと伸びたまま寝そべっていた。頭を打ったようだった。眼鏡が飛んだかと思ったがちゃんと顔に乗っかっており、壊れず怪我もしなかったのはラッキー。リーシュはタンゴが目標とした犬まで届かなかった様で、そのギリギリ手前でタンゴは止まっていた。相手の犬の飼い主が声を掛けてくれたが、私は動転して頭が痛く、タンゴが吠え出す前に引き寄せねばと必死だったので、お礼を言うのが精一杯だった。後から「怖がらせてごめんなさい。」といい忘れた事に気付き、モヤモヤした気分でいた。しばらくそこで(今度は通り過ぎる犬達に注意しながら)ロングリーシュでタンゴを遊ばせているとすぐ日が暮れてしまった。さっきより更に冷え込み、手の感覚が無くなって来たので家路に向かった。と言っても、家までは3分の距離なんだけど。我が家の前の車道は除雪車が来なかった為、クリスマス前からの雪が厚さ10cmくらいの氷の道となっている。それが日中の直射日光で溶けかけては朝晩に冷え込むので、車のわだちが畑の畝の様に波打っている。そしてツヤツヤ・ツルツルなのだ。2度めの転倒は歩道からこのツルツル車道に足を一歩踏み出した時。近所の人達はちゃんと雪掻きをしてくれているので、歩道を歩く分には危険は無いのだが、我が家へ向かう途中に一軒だけ雪掻きをしないフトドキ者(*注)が住んでいて、その家の前は車道と同じくツルツルなのだ。私はそこを避ける為にわざわざ車道に出たのに正しく本末転倒な結果となってしまった。この時は何故かさっきと逆で、左を下にして尻餅をつく形で転んだ。タンゴは、「?」と言った感じで私を上から覗いていた。頭は打たなかったものの、手をつこうとしたので左肘を氷の地面に打ち付けたみたいだった。が、幸いな事に着込んでいたので、数十分たった今も鈍い痛み以外の異常は感じられない。むしろ、お尻の左側がズキズキ痛む。打ち身だからしょうがないな。 *家の前の歩道の雪掻きをしないと、そこで転んだ人に訴えられる事がある。 即ち、私はそこを回避して転んだので、ソイツを訴える事が出来ないのである。 無収入の我が家に一財産が転がり込んだかもしれなかったのに・・・。トホホ。家に帰った時には、最初に転んだ際に打った右側の感覚が鈍く、頭もフラフラしていた。でも寒さでかじかんでいるだけなのか、それともこれから救急車を呼ぶ事になるのかが判断し辛く、ちょっと怖くなった。そんなことを考えていると気分が悪くなってきたので、『これは日記でも更新して気を紛らわせねば!』と思い、更新に至った訳である。思い返せば、”最近肩こりが酷いから”と、たまたま散歩に出かける前に両肩をグウァングウァンと振り回したのが良かったのかもしれない。筋肉と関節を解していたのが怪我を最小限に留めてくれたのかも。お尻の筋肉もshimangさんに教わった方法で毎晩鍛えてるしね。更に思い返せば、毎年1回の割合でタンゴの散歩中に転んでいる気がする。原因はタンゴの大疾走であったり、雨に濡れた石畳だったりと色々。また更に思い返せば4歳の頃、兄が飼っていたダックスフンドのリーシュを1度だけ持たされた事があり、その時も転んで引きずられたのだったなー。それ以来、犬の存在は怖いものだったのに、何故私は今、タンゴを飼っているのだろう? そして凝りもせず転んでいるのだろう???流石に1日に2度も転ぶと、4歳の頃に戻って「ビエ~ン!」と泣きたくなっちまった。
Jan 30, 2007

昨日からブリザードが吹き、コロラド、その中でもここボウルダーは陸の孤島と化した。今昼になってやっと雪が止み、外は何故か温かい。それもそのはず、ご近所さんも我が家も昨日から雪掻きをしっ放しだから。体も温まるし、雪の壁が出来るし、着膨れてるしでぽかぽかなのだ。今回は前回をはるかに上回る記録で、最大積雪80cmとも!我が家の周りは60cmくらいかな。庭の真ん中でしゃがんでみたら、肩まですっぽり漬かれてしまったから、風呂桶くらいだろうか。ご近所は玄関前に城壁みたいな壁や雪だるまを制作していた。「我が家は前庭にカマクラでも作って”FOR RENT”のサインでも出そうよ。」、と旦那に提案したが、雪掻きで疲れすぎて”NO!”と言われてしまった。こんな状況なので、市の施設や空港は閉鎖、バスは運休、一般のオフィスも休み。だが、レストランは開いているらしく、夏のオリエンテーションで一緒だった旦那の仲間達との今晩の忘年会(?)は決行することになった。みんな、膝まで雪に埋もれながらも街に繰り出す気で一杯だ。だって、苦しい一学期をサバイブしたんだもんね。この雪でビールジョッキでも作ってプレゼントしてあげたいくらいだ。(因みに、雪でコップもどきを作り、冷えた水を入れたら一気に染み込んでダメだった。トホホ)では、今日のタンゴをどうぞ。↑立ち止まると沈んで頭まで埋もれてしまうほど。↑\100ショップで買ったマント。毎年この季節のお約束。 ただ、向こうが透けるほど薄いので役立たずではある。目がチカチカする?
Dec 21, 2006
いつもの散歩での一こま。散歩道沿いにある保育園の庭で園児達がかくれんぼをしていた。そのうちの一人が庭の隅にある階段を目掛けて走ってきてその影に隠れた。それを見つけたタンゴはその園児の挙動を不審に思ったのか獲物に見えたのか、散歩道からその子を見つめたまま固まってしまった。”そんなに見つめちゃ、鬼に居場所を教えちゃうでしょ!”と思ったのだが、隠れてるのも鬼も園児だからきっとそんなことに気付くハズないな、と思い直し、成り行きを伺う事にした。その園児はこちらを見てニヤニヤしつつ、心配そうに立ち上がりかけたので、私は”黙ってるからね”と、人差し指を口に当てて”シー!”のサインをそれとなーく送ってあげた。結局、その子は鬼に探し当ててもらうのを待ちきれず、自分から飛び出て行ってしまった。タンゴはその子が動き出してやっとそれが人間だったと分り、再び散歩に戻った。犬と一緒にかくれんぼをする時は気をつけようっと。タンゴに限らず、「見ちゃダメ」という状況にも関わらず、その方向や人物を見つめてしまう人って居るよね。
Dec 18, 2006

先日のフュージンググラスの作品が手元に届いた。んー、やっぱりブロウグラスとは趣が違う。色ガラスの破片を更に細かく砕いてデザインに使ったのだが、ハッキリとしすぎていてビックリやらガッカリやら。でも、比べてみると面白い。左が今回作ったプレート。右が以前作ったブロウグラスの作品。↑左では中央部に色ガラスの破片がそのままくっきり残っているが、右のは放射線状に伸びたり大きくぼやけたりしているのがお分かり頂けるだろう。↑旦那用に作った名刺立て。でも、しっかり曲がらなかったためバランスが悪くすぐ倒れてしまう。縁起悪い?。今立てているのは旦那の名刺。まだビジネススクールの学生なのに、こんなに立派な名刺を作ってもらった。(有料です、勿論。)↑ペンダントトップ。色ガラスの玉を使ったのだが、大きさ(分量)の配分が難しい。もうすこし地の色が出るハズだったんだけど。でも、私の持つピアスイヤリングの殆どに合うのでお気に入りとなった。総括して、ブロウグラスとの大きな違いは、前もってしっかりデザインと色の配分を頭に描いてから臨まねばならないという事だろうか。勿論、プロの場合はどちらの場合もそれなりの完成図を描いた上で臨むんだろうけれど。(だから気に入らないと割られてしまうのね。)******************************さて、今日は図書館のカンバセーションクラスのパーティがあった。月曜クラスのSandraという白髪美人の先生のお宅に呼ばれた。参加者は、メキシコ、ブラジル、フランス、日本、アメリカ人の計12人。先生のお宅はジェームスタウンと呼ばれる山奥のとても小さく可愛らしい村にあり、家の裏には切り立った崖がそびえ、足元に渓流が走っている。前庭には彼女が少しずつ集めたり拾ったり作ったりした小物やオブジェが小気味良く飾られており、その半分が先日の雪でまだ覆われていた。我々の住む街ではもうすっかり雪は姿を消しているが、彼女はこんな山奥の寒いところで一人暮らしをしている。聞くところに因ると70歳を超えているが、今もカウンセラーとして病院に勤めたり、英会話の先生としてボランティアしたり、海外協力隊の様なことも毎年の様にしているそうだ。そうそう、現役のダンサーでもあった。まったく、おったまげた人だ。家の中は、決して広くは無く、2階のベッドルームへ繋がる黒いスティールの細長い螺旋階段(幅50cmくらい!狭!)を中心とする1階は所狭しと植物・造花と世界各国の小物が並べられている。物が多いのに、”老人の一人暮らし”にありがちな暗さがない。むしろ明るい感じ。家自体は古く、決して暮らしやすい様には出来ていない。美しいアンティークの水色or薄緑色のダルマストーブも灰掃除が面倒だからと使っていないという事だし、とても寒いのだそう。古い家はとても可愛くて好きなのだが、お金が無いと色々な手直しも出来ず、お金があっても、絶えず修理する気力が無いと維持できないみたいだ。そういう事もあってか、彼女はその家をずっと何年も売りにだしているそうだが、なかなか買い手が付かないとこのこと。パーティの帰り、うねうねとした山道を下りながら、彼女の家や街の写真を収めてこなかったことを後悔。今度、暖かくなったらまた呼んでくれるという事だし、その時こそは!
Dec 16, 2006
今週、3日間の間に2度も雪が積った日があり、最高で40cmくらいの積雪となった。パウダースノーだし気温もなかなか上がらなかったので、まだかなり雪が残っている。この条件で、はしゃがない犬は居ない。私も防水パンツ、防水ワークブーツでタンゴと一緒にいつもの草野球場でここ数日走り回っている。いや、タンゴは走り回るけど、私はヨタヨタ・ウロウロしてるだけかも。でも、とても良い運動になる。タンゴは雪の下で臭う物を感じては雪に首まで突っ込んでクンクンと前進する。顔を上げるとアメ食い競争の選手の顔の様に霜降り状態だ。ところで、この積雪の2日目、タンゴといつもの散歩道を歩いて15分ほどしたとき、突然タンゴが「キャイキャキャキャイ~ン!キャイ~ン!」と泣き叫び始めた。その大きな高い悲痛な叫びは雪原に響き渡った。タンゴは後ろ足の一本を上げてオロオロし、尻尾は股の間に入り込んでブルブル震えている。目も飛んでいる。タンゴにも私にもこんな事は初めての経験だったが、何故か私は冷静で、タンゴをなだめすかしながら、その後ろ足をそっと掴んで雪を丁寧にはらってやった。3本目の足をはらっている頃にはタンゴもやっと落ち着いて来て、泣き止んだ。毛深い犬の場合は、足先の毛に雪がくっつき、雪だるま式にどんどん大きな玉になっていく。タンゴの場合は毛が短いのでそれは無かったのだが、歩く度に爪の周りに雪が付いては圧縮され、歩くと爪を剥がす様な痛みが走ったのではないかな。その後同じ道や雪の上を何度も歩いているが、その痛々しい事件はその1回きり。タンゴは、一体誰に何をされたのかという事を未だに把握していないハズだ。あ~、ビックリしたね、タンゴ。君は雪に噛まれたんだよ。
Dec 3, 2006
知り合いの知り合いがフュージング・グラスのアーティストで、友人達を招いて体験教室をするという話をタイミングよく聞きつけ、便乗参加させてもらうことが出来た。私はブロウグラスは体験したことがあったのだが、チームワークと熱と重さの大変さを体で知り、一人で出来てデザインに幅のあるフュージングに新たな興味を抱いていた。だからこんな風にフュージングを気軽に体験出来るチャンスが訪れて大興奮せずには居られなかった。<上記2種のガラスに関する簡単な説明>{{フュージング・グラス}}色や模様のついた板ガラスを切ったり重ねたりして模様を作り、釜に入れて溶かし、型を使い成形したりする。シャープなデザインや細かい模様が可能。ビーズは金属の細い棒に棒状のガラスをトーチで溶かしつつ巻きつけて作られたりする。{{ブロウ・グラス}}液体状に溶かしたガラスを筒状の棒に巻きつけ、それを吹いて膨らませ、色や模様を付けたりしつつ加熱しては成形・整形を繰り返して仕上げていく。作製過程で型を使うこともある。作製中、ガラスは殆ど常に赤い状態なので、色やデザインはイメージだけが頼り。世界的に有名なアーティスト、チフーリはワシントン州出身で、ワシントンには彼のガラスの学校がある。また、タコマ美術館横の素晴らしい作品群が飾られた橋とアーチは彼が手がけたもので溜息ものである。(注:彼は実際にはもう自身では制作していない。)さて、教室はそのアーティストの自宅のガレージで、2台分の車は収まるであろうガレージは丸々スタジオになっていた。う~ん、私の理想だぁ。先ず我々初心者が挑戦したのはペンダントトップ作り。ここでガラスの切り方、模様の作り方、研磨の仕方などを先ず覚える。その後は自由に思い思いの作品に挑戦し、その大きさに因って参加費が変わるというシステム。釜に入れて焼いて(溶かして)冷やす作業はプロにお任せ。私のペンダントトップのデザインは、お気に入りでその日もしていたピアスと合わせることにした。他の人たちが着々とペンダントトップを仕上げ、次の作品に差し掛かる頃、ようやく私もデザインが決まり、慌てて仕上げて次の作品、名刺立てに挑んだ。本当は同じ作り方のナプキンスタンドをかねてから作りたかったのだが、ガラスを折り曲げる過程でそのスタジオでは名刺立てサイズの道具しかないと分り、予定変更。名刺立ては旦那が将来開業したオフィスに置く事をイメージし、デザインに集中した。周りではリピーターの一人が、窓にはめる40cmx60cmほどの大作に取り掛かっていたり、クリスマスのオーナメントや大きな皿に挑戦していた。私はまだ時間がありそうだったので、ガラスを丸く切るのに挑戦することにした。専用のコンパスで丸を描くこととその線に沿って切ることは意外と簡単だったのだが、コンパスのネジがすぐ緩んでしまって円にならず渦巻き状になり、手こずった。勿論ガラスなので、描いた線を消しゴムで消して書き直すという事は出来ず、書き直す度に必然的に小さな円になってしまうのが残念だった。もう私の集中力はその時点(開始から数時間経過)で切れ掛かっていた。もう細かいデザインは止めて、いびつな丸に仕上がってしまった数枚の大小のガラスを重ねただけのシンプルなプレートにしたのだが、案外それが一番気が抜けた作品で好きかもしれない。デザインの段階では手を切るようなシャープなガラスも、加熱して釜から出て来る時には角が取れ、色ガラスそれぞれの微妙な伸縮度の違いで模様が歪んていたりする。だから、自分が思い描いたデザインとは少々異なった表情で仕上がるはずだ。いつ出来上がるのかな、楽しみだなぁ。他の人の作品の仕上がりも見てみたい。手元に届いたら、すぐここに写真をアップするつもり。
Nov 26, 2006
旦那のクラスメートが奥さんの実家で行われるサンクスギビング・パーティへ我々夫婦を招待してくれた。その他にも、我々がアメリカに家族が居ない事を知っている人達はそれとなく気を回して予定を聞いてくれ、我々が淋しい思いをしないか気を配ってくれた。こういう心遣いがアメリカ人及びここに住み慣れた人達のニクイところ。泣かせてくれるぜっ!この奥さんは母親がベネズエラ人、父親(ステップファーザーかな?)がアメリカ人で、彼女が幼少の頃にアメリカに越してきたという事で、彼女と弟2人は英語と西語がネイティブ。彼女の旦那はアメリカ人男性(うちの旦那のクラスメート)で、2歳になったばかりの可愛い娘が居る。この子がこの集まりの唯一の孫であり姪っ子で、皆から注目を一挙に浴びて大興奮になりつつも、遊んでくれる相手に因って英語、西語を(2歳なりの語彙で)使い分けていた。こうやって又一人、バイリンガルが育って行くのね~。羨ましい・・・。招かれたのは我々2人の他に、その家族の古くからの友人親子、弟のフィアンセとその母親で、大人12人+子供1人の大パーティだった。出された食事は勿論ターキー、ハム、マッシュポテト+グレービーソース、ビーンズ、ターキーのスタッフィング、サラダ。デザートはパンプキンパイ、アップルパイ、タルト、アイスクリーム、そして私持参のピーカン・プディング。パンプキンパイはアメリカ人の父親(この家のホスト)以外は嫌いだと言うことで、市販品。なんて仕打ちだ。どこの国の親父も立場が弱いのね。ふふ。このお宅にはベネズエラやメキシコのラグや焼き物が沢山あり、家自体も良い感じで年取っていて温かみがあって素敵だった。我々もいつかこういう風に家族や友人を招いてサンクスギビングや正月を祝うようになるのかな?その前に家を持たねば・・・。その前に就職せねば・・・。その前に旦那に何とか卒業してもらわねば・・・。先は長い。
Nov 25, 2006
最近、散歩中に他の犬とすれ違っても飛び出したり、待ち構えたりという事は少なくなってきた。が、まだまだ波長の合わない犬にはそわそわしたり唸ったりする。他の犬が向こうからやって来た場合、タンゴをsit&stayさせて通り過ぎるのを待つ。タンゴが私より先に犬を見つけてしまった場合は、sitさせるのに時間がかかり、ようやく座った頃にはその犬は通り過ぎてしまっている、という事もしばしば。相手がジョギング中だと、犬が遠く彼方に行ってしまった後になってしまう。素直に座ったとしても犬が真横を通り過ぎる際に立ち上がってしまう事も。昨日はこのパターンで、立ち上がってしまったタンゴを再度座らせようと命令(掛け声BAH)した。が、タンゴは私の後ろへ回り込んで座るのかと思いきや、何食わぬ顔で後足を高々と上げ、横の石にオシッコをし始めたのだ。「あっ、ナメラレタッ!」と思い、すかさず再度大きな声でBAH!と怒鳴ると流石にタンゴもビックリしてオシッコを中断し、私の言う事を聞いた。「あ~、私もナメラレタもんだ。トホホ・・・」、とショックだった。今日は、公園の草野球場でタンゴとボール遊びの最中、黒ラブのパピィを連れた若いカップルが現れた。黒ラブをオフリーシュにしそうな気配を感じつつ、そのままタンゴと遊んでいたら、案の定、その犬はオフリーシュにされ、無邪気にボールを銜えたその犬はタンゴに興味を持ち始めた。そしてあっという間にその犬はタンゴの目の前にやって来た。タンゴはボール遊びを邪魔されるのが一番嫌いだし、犬式礼儀のなってないor犬語の通じない子犬には必ず洗礼を与える。・・・なんて事を私が思い出す間もなく、タンゴはすぐ信号=唸り声を出し、通じないと思った瞬間、子犬に飛び掛っていた。(子犬が先に「おっちゃん、遊んで。」と、ちょっかいを出したのかもしれない。)丸々とした黒ラブは瞬時に仰向きになり、大きく高い声で「キャイキャイ~ン」と降参。今までのタンゴなら子犬相手の場合、「ふん、分ったか。」と、ここで止める。が、ここ数ヶ月間、タンゴを他の犬と接触させないようにしていたためか、私が緊張しまくってしまい、大声でNO!と怒鳴ってタンゴのリーシュを手繰り寄せてしまったため、タンゴに拍車がかかってしまった。本当は、訓練グッズの鎖の入ったポーチを足元に投げ、タンゴをビックリさせてBAH!と呼び寄せねばならなかったのだが、すっかりパニックに陥った私は使い物にならなかった。歯を見せて唸っていても、タンゴはよっぽどの事が無い限り他の犬に噛み付いたりしない事を充分知っていても、つい大げさになってしまう。私の緊張は声に表れリーシュに伝わってタンゴに余計な緊張を与えてしまう。頭ではそうと分っていても、咄嗟にはなかなか振舞えない。他の犬が回りに現れた時点で、こういう事を全て想定しないといけないのに油断していた私が悪い。今度から、オフリーシュの犬が現れたら「うちの犬はフレンドリーじゃないからね、念のため。」と、こっちから先に忠告しておこうかな。いつも、先ずオフリーシュの犬がタンゴ目掛けて走ってきて、飼い主が「うちの犬はフレンドリーだから!」と遠くで叫ぶパターンなんだけど、その度に私はドキドキさせられ、タンゴは十中八九、突然の訪問者(犬)に一発かまし、まるで我々が悪者の様に、間違った引け目を感じてしまうのだ。いや、問題はそうじゃなくって、タンゴが私の命令を無視する事なのだ。今の躾の段階では、突然やって来る犬を相手に、タンゴを瞬時に座らせ+神経を私に集中させるという事は至難の業なのだ。即ち、タンゴは私の命令よりその犬に気を取られ、必然的に私の命令を無視してしまう。無視する事をタンゴに覚えさせてしまうと、それを直す躾はゼロではなくマイナスからのスタートになってしまい、矯正に一年以上かかるか、下手すると何年もかかるかもしれないのだ。ナメられたら最後なのだ。そうでなくても、タンゴは前述の突然のオシッコの様に、我々を時々試すのだから。「あのルールって今も変わってないの?今日はコレやっても怒られない?」と。私だって、タンゴをオフリーシュで自由に走らせてあげたい。でもやっぱり、私なら誰にも文句を言われずに本当に自由に走らせても良い場所に連れて行きたいと思う。でも、それでも未だタンゴには時間が必要。・激しく走り回って自然(高山植物など)を荒らさない・我々の手の届かない所で排便しない・野生動物を追いかけたりしない・他の犬を見つけて真っ先に走っていかないと、確信が持てたらオフリーシュ・デビューをさせたいと思う。 (コレ全て、”瞬時にタンゴを呼び寄せられるか”、ってところが鍵なんだけど。)タンゴだって我々に怒られながら散歩したくないだろうし。ルールやマナーを守れば皆楽しい。マナーで思い出したけど、ここボウルダーは飼い犬のウ○チを始末しない人が多い。ここ数日、消化不良で果物の種か何かがゴツゴツと残っているオレンジ色のでっかいウ○チを見かけるのだが、その犬の健康状態をつい心配していまう私。人間の赤ちゃんを持つ母親と同じで、手(←勿論ビニール越しだけど!)で拾って感触を確かめ、目で見て、鼻で嗅いで、その日の健康状態や食べ物の向き不向きを知ることはとても重要だと思う。(人間と一緒にするな!との声も聞こえてきますが。)マナー以前の問題。ウ○チを軽く見る人に飼われている犬が不憫に思える。と、今日は頭デッカチな日記でした。
Nov 24, 2006
タンゴのドッグフードを変えることにした。躾のトレーナーが勧めてくれたペットショップ屋が、サンプルを30種類ほどくれた。店の人に「数種類を並べて犬に好きなのを選ばせたら良い。ゲーム感覚で。」とアドバイスをもらったので、昨日から利き酒方式でトライすることにした。流石に30種類は多すぎるので、その中から不安な食材を含む物を省き、半分くらいに的を絞り、更に数種類づつ試すことに。タンゴは私がサンプルの袋をガサゴソし始めた時から既にやる気満々。口から泡を吹いている彼に「wait」をさせ、各袋からフードを数粒出して等間隔で並べてOKのキューをだした途端、1、3、2の順番で食べた。もう一度、同じ種類を先ほどと並べ替えてみると、3、2、1の順番だった。やっぱりな・・・。その後も数回試したが、順番はその都度バラバラ。今日は昨日のとは異なる種類を試してみた。昨日は夕飯の前に試食会をしてしまったので、今日は夕飯を少し食べさせて空腹を補ってから行うことにした。が、結果は昨日と同様で、タンゴは自分に近い所か目に付いたところから攻めて行く。何度やっても結果は同じだった。好き嫌いが無いのはとても良い事なんだけれど、飼い主としては困るのよね~。袋に全く寄り付かない or 袋に鼻先を突っ込んで離れない というくらい劇的な結果を期待していた身としてはとんだ肩すかしだった。どれにも鼻先を突っ込み、袋から直接食べようともがくんだもん・・・。この"利きフード会"は失敗に終わったので、これらのサンプルの残りは全てタンゴのおやつに回すことにし、別の選択基準を設けることを余儀なくされた。1.一日の摂取量が少なすぎず多すぎないもの。2.アメリカの何処の州でも入手し易いもの。 (但し、スーパーやハードウェアストア取り扱い商品はなるべく避ける。)3.値段の安いもの!勿論、遺伝子組替え商品、塩分油分などの多い粗悪品、アレルギーの出そうな食材が含まれる物などは論外で、そういう基準はクリアした上での選択だ。結局、サンプルフードの果たした役目はタンゴの食欲を更に活性化させただけで、最初から上記の1~3で選んでいても同じことだったよな~。がっかり。以前、タンゴ用に作ったクッキーが友人の犬に見向きもされなかった事があった。それは人参+全粒粉+オリーブオイルだけのオーガニッククッキーで、タンゴは次から次へと催促する程気に入ってくれた様だった。旦那と私も試食してみたら、素材の味だけだったが香ばしく、噛めば噛むほど味わい深いので酒のつまみにピッタリな味だったのを覚えている。タンゴは人参の皮だって、ご飯粒だって、レタスだって味付け無しに平らげる。普段からそうやって甘やかさないようにしてきたからなのか、はたまた根が食いしん坊だからか、タンゴは食べれるものなら何も拒まないのかもしれない。良い事なんだけれど・・・。ひょっとして彼は味音痴なのかぁ?!
Nov 22, 2006
今日は一日曇りがちで寒かった。図書館の中も日が差さず、いつもより少し寒く感じられた。が、夕方に外へ出ると素晴らしい空が広がっていた。絵の具をたっぷりと付けた筆で柔らかい曲線を幾重にも描いた様な雲。ロッキー山脈から吹く風がその分厚い雲を東へ吹き寄せ、見上げる視界の半分を空と雲に二分していた。そして、それら全体の風景はオレンジグレーのフィルターを通した映画の映像の様にどんよりとした明るさを放っていた。映画”バグダッド・カフェ”そのものの風景に誰もが息を飲んでいた。その10分ほどの間、車、ビル、人々の全てがその色に染まっていた。日が沈むと、今度はその分厚い雲の曲線と影が強調され、尖がり屋根のビルのシルエットと重なって魔法(魔女)の世界を思わせた。今日の景色は今まで見たのとは全く違った幻想的、映像的なものだった。いつもは、真っ青の空にゴツゴツした山肌と緑が映え、夕方には文字通り七変化を繰り広げる。この時間帯に山に向かってドライブすると、感激のあまりに涙ぐみ、運転が危うくなる。私は人生において、「クラシック音楽を聴きたい」と思ったことが殆ど無かった。が、コロラドへ来て間もなく、やっと景色を見る余裕が出始めたとき、美しい山々と空を眺めつつ無性にクラシック音楽が聴きたくなった。その時ラジオをクラシックのステーションに合わせて以来、景色の美しい日は殆どクラシックを聴いている。この広大な景色にはクラシックの広大さが似合う。また、感動をより一層盛り上げてくれるのだ。また、夕暮れ時にはアルゼンチン・タンゴのノスタルジックな旋律が良く似合う。何が悲しいわけでも無いのだけれど、YO-YO-MAの奏でるアルゼンチン・タンゴを聴いて打ちひしがれたり、情熱的な展開に胸を掻きむしられたりするのがたまらない。この点で言えば、今日のオレンジグレーの夕景色は、時間をそのまま止めてしまいそうなバグダッド・カフェの歌、”I'm calling you.”がよく似合ったはずだ。あの瞬間にこの歌を思い出していたら、確実に泣いてたな、私。そういえば、シアトルに居た時は、朝焼けを見ながらBASIAを聴くのが好きだった。彼女の爽やかな歌声とメロディは一日の始まりを明るくするのにピッタリだった。(でも、雨で有名なシアトルだけに、爽やかな天気が続く事は少なかったんだけど・・・。)
Nov 20, 2006
18日から27日までのサンクスギビング週間は、旦那の大学は休校である。いつも、大学の前のバス停には常に20人くらいの人が待っているのだが、17日金曜日の午後は、いつもの倍の人に加え、人と同じ数のスーツケースがバスを待っていた。どうらや民族大移動週間が始まったらしい。旦那もやっと宿題や本読みから解放されるのかと思っていたのだが、休み明けに試験があるとの事で、休暇返上で図書館に篭る事にしたそうだ。でも流石に18日の土曜日だけはちょっと息抜きをしたかったらしく、寝坊したあと、溜まっていた枯葉のゴミ袋20個を遠くのダンプまで持っていってくれたり、タンゴの散歩にちょっと参加したりしてくれた。ここのところずっと、旦那と青空の下でゆっくり過ごすことなんて無かったので、公園でタンゴとボール遊びをしたほんの少しの時間がとても充実して感じられた。デートしてる気分?夜は人と会う約束があったので、2人+1匹で過ごした時間は数時間だったが、とても癒された気がする。次はいつになるかな・・・。*****************今日のタイトル、”2時間35分”はRCサクセションの古い歌のタイトルから取った。♪君と話した 長い長い 電話、2時間35分♪でもね、清志郎さま、2時間35分は私には短かいよ。
Nov 19, 2006
前回のアメリカ滞在中は、旦那の休みが取りにくかった事と私も学校へ行ったり働いたりしていた事もあって、遠出が中々出来なかった。なので、休みの日には寝坊してブランチがてらショッピングモールへ出かけ、映画を観るというパターンが多かった。映画もマチネーの時間帯には日本の1/3以下の値段だったし。それらの映画の半券を小さな箱へ入れて保管していたのを思い出し、昨晩数えてみたところ、67本分だった。勿論、ビデオを借りてくることもあったので、この4年間に観た映画の数は80本くらいかもしれない。1年間に20本の割合かぁ。悪くないな。が、こっちへ来てから映画館へ未だ1回も足を運んでいない。観たい映画はあっという間に終わってしまい、ビデオ(で観たい)リストがどんどん膨らんでいく。旦那のサンクスギビング休暇中に一度くらいは、ポップコーンとpopを手に映画館で何か観たいな・・・。そうだ、彼の学割も活用しないと!
Nov 16, 2006

今日、タンゴは4歳を向かえた。という事で、用意していた特大ジャーキーをプレゼント。私が何度もこの写真を撮り直している数分間、彼はお利口にお預けを守っていた。うーん、かなり成長したな・・・。彼はやっとの思いでこのジャーキーにあり付けた。が、これも束の間、私が10センチの通常サイズを見せた途端、パブロフの犬になり、その隙に特大ジャーキーは隠されてしまった。可哀想なタンゴ。でも10センチで充分満足したみたい。4年弱前にタンゴをadoptした時は、ちゃんと世話が出来るかとても不安だった。今でもちゃんとは出来ていないが、居間で旦那と私の座っている間に割り込んで寝ようとするタンゴを見たりすると、彼はそれなにり幸せなのかな?と思う。勿論我々は彼のそういう行動にこの上ない幸せを感じているのだけれど。タンゴが我が家の家族になってくれたお陰で学んだことは数知れず。そして何より、運動不足&出不精な私をこの4年間弱、毎日散歩へ連れ出してくれた事、タンゴが居たからこそ引越し先の地域の方々とも交流が持てた事を感謝せずには居られない。お誕生日おめでとう、そしてありがとう、タンゴ。これからも元気で居てね。そして、出来たらもう少しお利口になってね。
Nov 15, 2006
すっかりご無沙汰してしまった。もうすぐイギリスへ発ってしまう友人にスカーフ(短めのマフラー)を編む事にし、寸暇も惜しんで編んではほどいていた為、日記がおろそかになってしまっていた。*************************ここ数日、”六甲おろし”ならぬ”ロッキーおろし”が吹き荒れ、枯葉があっちで山になったかと思えば一瞬にして分散し、あちこちで丘となるという様な状況。散歩に行けば立っていられないくらいで、エイリアンが私の体を通り抜けたかと思うほどの突風が凄まじい音と共に訪れては去っていく。今朝はその風に雪の粒が混じっていた。*******************今から20年ほど前、友人Tから「高校卒業の想い出帳として何か書いて。」と他の友人の分も合わせて5枚ほど預かった。それを未だに彼女に返せないでいる。そのTは同級生だったのだが、高校の途中でアメリカ留学をしたため、私達より一年遅れて卒業する事になった。私は高校と同じ敷地内にある同名の大学に通い始めており、私の同級生にはTの元同級生も何人か居たので、私が纏めてルースリーフを預かったのだ。その後しばらくして同級生達からルースリーフを回収したが、Tは遠くの大学へ進学し、「今度会った時でいい。」という事だったのか、卒業後に会ったのがたった1回だった事もあり、忘れてしまった。(その頃は若さ故に”またいつでも会えるさ”と思っていた。)私の学年は同窓会に無頓着で幹事に住所変更を出さず、友人達も「アンタ行方不明になってるわよ。」と伝える程度に留まっているため、同窓会も当てにならない。Tももう結婚しており、Tと私を繋ぐ唯一の友人Aの所在も掴めなくなり、Tの実家の電話も繋がらなくなり・・・、私も住居を転々とし・・・。そうこうしている間に20年近くも経ってしまった。私はこのルースリーフを封筒に入れてレターセットの箱に入れており、色んな人へ手紙やカードを書く度にこれと対面する。もう、その封筒を見ただけで中にこれが入っているのが分る程になった。1年に1回は中身を出して自分の汚い字と友人達の美しい文字、そしてちょと大人ぶった文章にニヤリとし、そしてTや同級生に対して後ろめたく申し訳ない気持ちになって封筒に戻す。昨晩、色あせたルースリーフをまた取り出し、「そろそろ許してもらえるかな。」と少し思った。友人Aと連絡が取れないのも、向こうが私と連絡を絶ちたいと思っている事なのかもしれないとも思うし、この先、彼女達の連絡先を掴める確率はどんどん低くなる一方だろう。このまま持ち続けるのも辛い。重犯罪者ではないが、もう充分苦しんだ。よね?もう私、時効を迎えても良いでしょうか?それとも墓場まで持っていくべき?(旦那が「もういいと思うよ。」と言ってくれたので、とりあえずこのルースリーフをレターセットの箱に戻すのはやめた。)
Nov 14, 2006
木曜日にレバノン出身の方のお宅へ行った。その人が多国籍料理のレシピ本を作るという事で、各国の人々がボランティア参加する事になった。そこで私は、料理は好きでも得意でもないが、他の国の料理の試食をしたい一心で参加することにした。で、木曜日は私とブラジル人の2名が披露する事に。私はお萩を、ブラジルの子は揚げ菓子を各々作り、抹茶、緑茶、アラビアンコーヒーと共に試食した。私のレシピはインターネットで探してきた即席レシピであったが、出来上がりは上々。揚げ菓子は炒る、冷やす、練る、伸ばす、型で抜く、具を包む、パン粉をつける、揚げるという作業が全て入っているので大変そうだったが、お喋りが時間を感じさせず、気が付いたら香ばしい香りが部屋中に広がっていた。うーん、たまらない!勿論、この揚げ菓子は食べだしたら止まらないくらい美味しかったのだが、今日の日記はこの料理についてではなく、アラビアンコーヒーについてなのだ。このアラビアンコーヒーは挽いたカルダモンと一緒に煎れるため、マサラチャイを思わせる味と香りがした。飲み終えてビックリ。底にタールの様なドロッとしたものが残っていたのだ。「これ、飲まないといけないのかな?」と思ったのだが、そうでは無く、これで占いをするのだそうだ。お猪口サイズの白いコップにこのドロドロを移し、コップを斜めにして回しながらドロドロを溢さないように、淵の上の方までまんべんなく付けるのだ。まんべんなく付いたら、残ったドロドロをコーヒーの受け皿に捨て、コップにそーっと息をかけて乾かす。そして出てきた模様を自分で読むのだ。「自分で読め」と言われても、ハリーポッターのpredictionの授業で出てきたって程度の知識しか無いのに、どうしろと言うのか?と思いつつ、こげ茶色の模様をじーっと見つめた。するとミミズが這ったような模様が迷路に見えてきた。出口は無いのかと思ったが、ドロドロを捨てた際の跡が淵の上まで繋がって残っていたので、”多分、出口はアル”と想像し自分を安心させた。そして再びコップを見つめた。すると、ある部分が犬の顔に見えてきて、犬の顔がはっきり見えたと同時に横向きに座っている体まではっきりと見えてきた。思わず、「あ!私の犬だ!」と声を上げてしまった。感動しつつ三度コップを見つめる。と、今度は犬の下の方にgoatの顔が見えた。犬全体のサイズと同じくらい。目が大きくて笑っている。ふと、旦那の星座が気になった。1月初旬生まれだからCapricornではないか!おおおおおおおおお、同じヤギだぁぁぁ!!!もう、これ以上のpredictionは必要ないよ!と、私一人で大興奮。このコーヒーを煎れてくれたレバノン出身の女性は「あなたの旦那さんはあなた無しでは生きられない、あなたを愛しているって事じゃない?」とすかさず言ってくれたが、私が「いつも私に目を光らせてるゾ!って言う意味かもよ?!」と言うと、その女性もブラジル人も大笑い。この、"何を見てどう受け止めるかは自分次第"ってところが、信じる信じないに関わらず楽しい。このレバノンの女性もpredictionとしては信じていないらしいが、話の種として(彼女の国では)こうやって「あーでもない、こーでもない」とお茶を楽しむそうだ。私も占いの類は信じない方だが、忠告や悪い予言は悩まない程度に真摯に受け止めてバチは当たらないと思っているし、占われるのは嫌いではない。でも、今回のは自分で行う上に自分の直感で読む(占う)という新鮮なものだったので最初から楽しかった。おまけにこんな結果が出たのでこの占いが好きにならなかった筈がない。自分で読むと言う事は、その時の自分の潜在意識を呼び起こし反芻するという事なのかもしれない。一度そう見えてしまった模様は、もうそれにしか見えないという人間の錯覚をうまく利用している所も面白い。精神占いだな。来週また彼女のお宅へ行く用事があるので、また挑戦させてもらおうっと。占いも面白いが、コーヒー自体、コクと深みと甘みがあって美味いんだなこれがまた。
Nov 4, 2006
昨日の晩、斜め向かいのご夫婦にお招き頂いた。旦那は勉強に追われて泣く泣く辞退。招かれたのは私、我が家の隣夫婦、向かいのご夫婦、そしてホスト宅のお隣夫婦の計7人。お茶と手作りのパイをお供に午後7時から10時半まで、家族構成、趣味、大学時代の専攻、政治、旅行などなど、とりとめもない話で盛り上がった。このお宅は20年あまりに渡り、自分達の子供達を含むテナントに貸し出されていたらしいが、最終的に自分達で住もうという事になって、数年前にリフォームを行ったとのこと。ずっと借家だったとは信じられないほど、このリフォームは素晴らしい出来栄えだ。家の外見は、この辺りに多く見られる古い赤レンガ作りの平屋なのだが、リビング・ダイニングとキッチンの間の壁を取っ払ったとみえ開放的。ベースメントもあるとの事で、中は意外と広々としている。おまけに、我が家と大違いで物が無い。全くと言ってよいほど。つい最近、キッチン横のクローゼットをパントリーに改造したそうで、pine材(かな?)系の明るい木材と真っ白の広い壁が更に部屋を広くすっきり見せていた。そして、風物詩の色とりどりのパンプキンや案山子の飾りたちも明るい部屋によく映えていた。あ、でもここから先が書けない。私の座った場所が悪く、あとはずっとダイニングの壁しか見てなかったから。お手洗いも借りなかったし・・・。失敗、失敗。さて、手ぶらで行くのも気が引けたので、ハロウィーンという事もあって南瓜の煮つけを持参した。”食後のお茶”という趣旨だからどうかなぁ、とも思ったのだが、日本通のご夫婦だし、甘い一品だから良かろうという事で。が、切り分けられたビーチパイ(アイスクリーム、ラズベリー、ホイップクリーム添え)が乗った皿にこの南瓜が取り分けられるのを実際に見るのは、ちょっと眩暈を覚えた。会話の内容は多岐に及んだので全部書けないが、驚いたことを二つだけ。このご夫婦は60歳を超えているのだが、この夏は(も?!)アフリカ旅行へ行き、サファリでキャンプをしてきたらしい。サファリ内のキャンプという事なので、夜間の外出は危険、即ちお手洗いも危ないという事で、ソーラーシステムのシャワーとトイレが、テント内のファスナーで分かれた部屋に設置されているらしい。奥さんの「シマウマ達の凛とした立ち姿の美しいこと!それに比べてライオン達ときたら髪はクシャクシャで何時もダラーっと寝てばかりで。」という表現が面白かった。私が60歳になった時に、果たしてアフリカでキャンプ出来る気力と体力を持ち合わせているだろうか?今だって危ういのに・・・。(それともお金に余裕があればそれなりに安全な旅行なのだろうか?)もう一つ驚いたのは、この奥さんが今、大学に通っているという事。専攻は『映画に於ける女性』で、「最近サイレントムービーについて若者達と議論をしたのが興味深かった。」「やる気の無い若者ばかりかと思ったら、皆熱心で専心的で感心する。」と。どうやら、ちょっとだけ履修するつもりが、すっかり本気になってしまったらしく、選択科目か何かで『宗教哲学』まで履修し、「私、一体何やってるんだろう!どうしよ~!!」と、授業中に頭を抱えてるらしい。でも、そう言いつつとても楽しそう。昔、母だったか誰だったかが、「楽しいうちは勉強じゃない。」と言っていたが、ある程度の年をとってからは、楽しい勉強もあって良いと思う。そんな後姿を子供達が見れば、少しは勉強する気になってくれるかもしれないしね。*************************************今日はハロウィーン当日。午後6時前からtrick or treatの子供達が稼動し、ハロウィーン5度目にて初参加の我が家のtreat籠は開始から半時間もしない間に底を突いてしまった。甘く見ていたなー。そうそう、危うくある男の子にかわいそうな思いをさせるところだった。もう終わりにしようと思い、一応窓の外の様子を伺ってから外灯を消した。が、その途端に人の気配を感じたので慌てて点けると、ドアの前のたたきに2歳くらいの男の子がこちらに背を向けて座っているのが見えた。彼が去る前に慌ててドアを開けて事なきを得た。気付いて良かった~。だって、目の前で電気が消えたらショックだもんね。今回初めて参加してみて色々な発見があった。・夕飯が咽喉に通らない。準備中も食事中もお構いなしに子供達がやってくる。・treatは子供達に取らせるより、こちらで分け与える方が公平みたい。・treatは多分、$20分くらい用意しないと(この界隈の子達の人数に)足りない。・他人の子供達に$20もジャンク菓子で費やすくらいなら、街に繰り出して仮装を 眺める方が楽しいかな。でも、寒いな。・treatが無くなったから外灯と部屋の電気を消してヒッソリコッソリするのも 楽じゃない。本も読めないし。・ヒッソリコッソリしてても菓子を求めてやってくる子供も居る。・小さい子供達の方が遠慮がちで可愛気がある。・子供達はお菓子に必死なあまり、衣装をよく見せてくれない。・お菓子集めには枕カバーが良い大きさみたい。(アメリカの枕カバーは長く口も大きい。)・中高生くらいは仮装もせずにやって来るし無愛想。こっちの方が怖いっちゅうねん。・普段、こんなに子供達を見かけないのに、一体何処から沸いて出てきたのか?等など。やっぱり♪同じアホなら踊らにゃ損、損♪って事でしょうかね。来年に向けて、夫婦の衣装、考えてみようかな。アイディアください。
Oct 31, 2006
起きたらまた一面銀世界。10月に入って初雪が降り、今日で既に3度目。今日の雪は前回までと異なり、ちょっとベチョベチョしている。日が差す様子が無いので、2度目はサボれた歩道の雪掻きも今日は必須かも。昨晩、電気会社のおっちゃんが懐中電灯を片手に立ち寄ってくれ、前回の雪でダメージを受けた電線をチェックして、「大丈夫、問題ないよ。」と太鼓判を押して帰ってくれたところだったので、今日は安心していられる。と言っても、ある枯れかけた枝が危ない状況なので、時々チェックせねばならない。それは庭の上を斜めに走っている我が家の電気の源に当たっており、雪の重みでよりかかって電線に負担をかけてしまうかもしれないのだ。ひょっとして折れた拍子に悪さをしでかすかもしれない。こうなる前に大家に誰かをよこして欲しかったな・・・。ま、今言ってもしょうがないので、責任を持って様子を見ることとしよう。こっちで知り合ったブラジル人とマレーシア人の女の子達は”降ってくる”雪を見るのは人生で初めてだと言って、大はしゃぎしていたが、きっと今回あたりからうんざりし始めていることだろう。歌にもあるように、雪ではしゃぎ続けられるのは犬だけかもしれない。だから今日のタンゴはハッピー、ホッピー、スキッピー!あ~、散歩、どうしよっかなぁ・・・。あ、停電だ!(この日記を失う前に復活してくれますように。)
Oct 26, 2006
昨日、数ヶ月前に友人宅のBBQで知り合った韓国人女性がランチに誘ってくれ、ダウンタウンで会う事にした。人と時間を決めて会うと言うのはここ数ヶ月の間、殆ど無かったので、多少なりとも緊張はしていたつもり。だが、全くダメだった。いつもの感覚で、ダウンタウンまでの時間を計ってしまい、『平日のランチタイム時であること、ダウンタウンの路上駐車は混む事、ダウンタウンの地理に疎いこと、待ち合わせのレストランの場所を探さねばならぬ事』をすべてしっかり考慮に入れてなかったのだ。普段の私が車で出かけるところと言えば、買い物と図書館程度。だから、すっかり目的地=駐車場という感覚に陥っていた。と言うより、計画性、先を読む目という、ただでさえ少ししか持ち合わせていなかった社会的能力を失っていたのだ。それに気がつくのが遅すぎた事は事実だが、せめて約束の時間になる前に彼女に「遅れます」という電話が出来たことだけは、未だましだったかな。(不要なところでオプティミストな一面が頭をもたげてしまう。悪い癖だ。)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~世間は狭いのであまり詳しくは書けないのだが、他人を見てわが身を振り返る場面にも出くわす事がある。それは会話における社会能力。小さい子供を抱える女性が、事ある毎に、「この子の世話で忙しい。ほぼ24時間つきっきりだから、自分の事は何も出来ない。でも、今はとても大事な時期だから仕事をしないで一緒に居ることに決めたのだ。」と言うのを聞く。たまに自己紹介としてこれを聞く事もある。先日は、ある女性が彼女自身に関する質問では全く無いにも関わらず、その答えとしてこの台詞を述べたのだ。(質問自体はとても簡単で、彼女には充分理解能力があるのに。)そして、質問者の繰り返しも遮って同じことを繰り返し、更に「この子が・・・・・・で、・・・・・・なのにこの子が・・・・・だから、質問に答えられない。」と続けた。この場面は、彼女が知的な事を知っている私にとってショックであった。(勿論、私を含む他の人達は微笑ましく相槌や合の手を入れて本来の質問からその子供へと話題を変えたのだが。)私は子供を生んだことも育てたことも無いので、自分と比較出来ないし、逆にとても客観的に捕らえてしまう。・小さい子供の育児は大変だし忙しいことは誰でも経験したり聞いて知っている。・子育て経験者を前にしても、彼女達は同じ台詞を大発見の様に説く。・抱えられた子供達は親の言っている事をほぼ理解できる年齢の時もある。・事ある毎にその台詞が最初に出てきてしまうほど、彼女達にとって”24時間育児”は 大変な事になってしまっている。(精神面において。)・極端な見方かもしれないが、先日の彼女は特に、自分を見えない箱に入れてしまい、 そこから出ない、 又は誰も何も入れないし、聞こえない様に見えて仕方が無かった。等などと先日の彼女を見ながらつい分析しまい、彼女も彼女の子供もとても幸せそうに見えるのにも関わらず、なんだか辛くなってしまった。もしかしたら、忙しい人が「忙しい」と言うのが、暇な私には羨ましく聞こえたり、自分を僻んでいるからつい引っかかってしまうのかもしれない。だからその気持ちをカモフラージュしようとして、「スマートじゃないよな。」なんて批判してしまうのかもしれない。そして私も子供を持ったりスケジュール帳が予定で真っ黒になったりすれば、今日のこの気持ちなんか忘れてしまい、彼女達と同じ台詞を堂々と吐くかもしれない。いや、それやっぱりスマートじゃないよ。一方、育児も仕事も夢も同時進行で突っ走ってる友人も居るし仕事に殺されそうな友人達も居て彼女達からは滅多に「忙しい」という言葉を聞かないし、(飲んで忘れちまってるだけかも知れないけどネ。)隙を捻出してそこから脱出したり羽を伸ばしたりもしている。(私の友人達が、初対面の人に真剣に「忙しいんです、私。」と自己紹介してる図も想像できないし。)きっとこの友人達は例え自由な時間が皆無に等しくても、やってる事を楽しむ余裕もあるし、忙="心"に"亡"、とある様に心は亡くしてないのだろう。その突っ走ってる友人が言っていた様な気がするが、家庭にしろ仕事にしろ、一つの社会に居ることが多いと、コミュニケーションスキルが低下する、と私も思う。伝えたいことが理論立てて言えない、何を伝えたいのかも見失う、相手の言ってることが聞こえない、など。だから、今、家に篭りがちな私は恐怖に怯えているのだ。明日はわが身どころか、もう(昔から?)なってる事に気付いてしまったのだ。(気付いてなければそれはそれで幸せ。)また今日もまとまらない日記になってしまったが、「私は○○です。△xな人です。暇も楽しんでいますが脱出も試みています。」と簡潔に述べられるように、今は色んな人と会って自己分析とともに改善を図らねばと思う。
Oct 25, 2006

(アメリカの)郵便局はアルコールの空き箱を利用した小包は受け付けない、という事を知った。空き箱は利用しても良いのだが、包装紙でそれを包まねばいけないそうだ。今後の為に覚えておこうと思う。****************************昨日、いつもはあまり通らない住宅街をドライブ中、車道の隅に細長い物と絵の額らしき物が置かれているのが目に入った。瞬時に"FREE"のサインを探す私。少々スピードを緩めつつ通り過ぎると、ハッキリと"FREE"のサインが読みとれたと同時に、その細長い物の正体も掴めた。それは私の大好きなツール(電動工具)だったのだ。高さが1.5m程あるそれは、確かmilと呼ばれる穴あけ機で、日本では卓上ボール盤と呼ばれているらしい。因みにコレ→が現物。何故ガレージの中にゴミ箱と並んで写っているのかって?それはね、私がせしめたから。私が路肩へ車を寄せると同時に後ろにも車が寄せられたのを感じ、反射的にそのmilの元へ急ぎ、手をかけて、文字通り「ツバ付けたっ!」とアピールしていると、後ろから白人の若い男性が「どうやら同じもが目当てらしいね。」と言いながら近づいてきた。どう見ても鉄の塊の様なmilは私一人では車に乗せるどころか1mmたりとも動かせそうに無い。旦那の応援を呼ぼうにも彼は学校だし・・・。使いこなせるか分らないしデカ過ぎるし・・・。と、思ってることをこのお兄さんに伝えると、ナント、このお兄さんは「君が使える事、間違いないよ。僕なら絶対もらってくね。一人じゃ無理なら僕が手を貸してあげるよ。」と言ってくれたのだ。あまりウジウジ悩んでいても失礼なので、「じゃ、悪いけど私がもらうね。」と言って図々しくも彼に手伝わせてしまった。しかし、思っていた以上にこれが重く、私は殆ど役立たずで、彼が居なかったら私は後ろ髪を引かれつつmilを後にトボトボと家路に帰っていたと思う。彼の親切はそれに留まらず、車を傷つけたり中を汚したりしないように気を使ってもくれたし"FREE"のサインも絵の額の前に置き直してもくれた。あまりにも親切だった彼に悪い気がしたのと、本当に私に使いこなせるか、又、未来の引越しで泣く泣く処分する破目になるかもしれないという不安から、念のため彼の電話番号を聞くことにした。彼に淡い期待を抱かせるのも悪い気がしたが、(多分、彼は期待してないと思うけど。)私の良心が痛んだので。明るい声で名前と電話番号を教えてくれた彼は、私が再度礼を言おうと思った瞬間、掛けていた真っ黒のサングラスをパッと外し、私の目の前に右手を差し出した。久々に見るさわやかなアメリカ青春ドラマの一コマの様なこの一連の動作に一瞬我を忘れてしまいそうになった。いや、しっかり我を忘れた私は自分の名前も告げずにその場を去ってしまった。きっと「とんでもないものを拾ってしまったゾ!」という気持ちと、重いものを持った後の興奮で、アドレナリンが分泌されまくっていたのだろう。結局、旦那の帰りが遅く、その日のうちにmilを車から降ろすことが出来なかった。翌朝、それまで話だけ聞いていた旦那は車の後部座席を開けると同時に、こう発した。「あ~~~ん???何ぃこれぇ~~~!!!一体、何を拾ってきたん?」2人してやっとの思いでmilを降ろしたが、今度はガレージの中までの1mの距離をどうやって移動させようか・・・と私が悩んでいると、何を血迷ったのか、旦那が一人でmilを持ち上げてウンウン言いながら運んでしまったのだ!箸どころか鉛筆より重いものを持たない彼が!!!瓶の蓋が開けられずいつも私に「開けて」と頼むその彼が!!!彼の意外な行動には驚かされたが、感謝の言葉を述べている間に、その行動の裏に隠された彼の心理が読めてしまった。私が旦那に、快く手伝ってくれた白人男性が力持ちだった事と、行動が爽やかだった事を褒めちぎり、挙句の果てに「あれはモテる秘訣だ、絶対!」と断言したことにライバル心を燃やしたに違いない。私のこの読みは当たっていたが、少しは自分の年齢を考えて行動して欲しいよ。こんなことで腰でもやられた日にゃ、私は申し訳が立たない。この様にして一台の鉄の塊=milが我が家にやってきたのだが、私に使ってもらえる日は訪れるのであろうか?「それやったら、なんでそんなん拾って来てん!」って、一斉に突っ込まれそうだな。
Oct 24, 2006

日本を発つ直前に古本屋でハードカバーを買った。その本のタイトルは「ペルセポリス」その背表紙は私の目を惹き付けて離さなかった。手にとってみてその表紙と装丁が更に気に入り、中を開くと漫画だった。私は漫画は全くと言ってよいほど読まないのだが、荒削りで重々しいのに無駄の無いその画風は何故か私が抱いている漫画のイメージとは一線を画した貫禄を醸し出していた。 (それもそのはず、それは1969年生まれのイラン人女性マルジが自身の体験を元に 政治・宗教・戦争・死・反抗・逃避・堕落などを淡々と綴ったものだったのだ。 この本は「ニューヨークタイムズ」が選ぶ注目すべき本に選ばれたほか 栄誉ある賞も受賞している。アメリカを始め12カ国で翻訳されてベストセラーに なっているらしい。)その直感を信じてvol.IとIIの二冊を購入したものの、ずっと気になりつつつい先日まで手に取れないでいた。ようやく腰をすえて読む気持ちになり、2冊を読み上げてみて、やはりこの本に対する勘が当たっていた事を知った。以前、フランスの空港に住むイラン人男性(本人はイラン人だと認めたくない様だが)についての「ターミナルマン」という本を読んで、どんな環境で育てば彼の様な人格が培われるのか少々興味を持っていた。ターミナルマンとイランの少女マルジはきっと親子ほどの年齢差があると思われるが、「ペルセポリス」を読んだ事によって少しはターミナルマンを理解出来た様な気がした。今から数年前、母国で校長先生をしていたがアメリカに来て長いと言うイラン人のお婆さんがSeattleに居たのだが、彼女の、慎重に選んだ一言一言をかみ締める様な口調と笑顔の皺には私の計り知れない苦労や苦しみ、怒り、絶望が隠されていたのだろうと思う。イランだけに限らず、家族や友人を残して母国を離れる(捨てる)のは並大抵の勇気と努力では成し遂げられないはずだ。このお婆さんはイラン人である事を決して捨てたわけでは無く、むしろ誇りに思っている様であったから、今もなお葛藤し続けているのかもしれない。ここBoulderにもイラン人は少なからず居ると思われる。図書館で開かれるカンバセーションのクラスにもイラン人女性が居るが、彼女からは「ペルセポリス」のマルジを想像できないほど朗らかだ。だが、政治の話になるとシビアな表情をのぞかせる一面もある。図書館のカンバセーションクラスでは政治や宗教について(インストラクターが自ら)意見を述べたりしてはならないというルールがあるそうだが、生徒達に英語を使わせるor意見を述べさせる目的として政治や宗教の話題が挙がる事が少なくない。私は日本の温室育ちで、親子の間でも政治の話はタブーなところがあったためか、ただでさえ政治の会話は苦手なのに、異国の政治に関して発言するなんてのは賛成反対に関わらず勇気が必要なのだ。それによって人が私をどう判断するかが怖いからだ。が、他の国の人達は日本人と比べると(周りに日本人があまり居ないので断言できないが)誰に気兼ねするとも無く堂々と意見を述べている。例えそれが今お世話になっているアメリカ合衆国を批判する内容であっても。そして皆、よその国で起こっている事をよく知っている。更にその国出身の人の意見を聞こうとする。こちらは尋ねられて気がつくのだが、普段からそういう内容を口にしていないと、いざ、意見を述べようとすると上手く纏まらない。つまり、ニュースを知識として頭に入れているだけで、それより先を考えていないというか消化していない事に気づくのだ。この日記自体も上手く纏められないが、つまり、相手の国で何が起こったか、起きているかを知らずして(想像できずして)会話をするという事が、最近、私にとってとても怖いこと、危ないことに思えているのだ。初対面の人に年齢や宗教、家族構成などの質問をするのはタブーであるが故に、相手に興味を持って会話のキャッチボールを行うと言うのは骨が折れる。何かの共通点を持って集まっているならともかく、共通点を探りつつ、且つ相手を無意識のうちに傷つけたりせずにフツーの話を繋げて行かないといけないのだ。世の中、我々夫婦の様に能天気なお気楽者ばかりでは無いのだよね。そいういう場面に何度も出くわすたびに、色んな国の「ペルセポリス」があれば良いのになぁ、と思う。そのシンプルな画と簡潔すぎるほどの文章は私に多くを語ってくれるのである。
Oct 23, 2006

木・金の一泊でNew MexicoのTaosへ行ってきた。数年前にSanta Feを訪れて以来のNMだ。旦那の計画では4時間のドライブで着く筈だったのだが、途中何度か休憩をしたものの7時間もかかってしまい、着いたらすぐ日が暮れてしまった。少しPlazaを歩いてからホテルへチェックイン。泊まったのはこのPlazaから2マイルほど南にあるSAGEBRUSH INNという古いadobe建築のホテル。Taos(市内だけかな?)にはほぼ全くと言って良いほど、adobe建築以外の建物は無いのだが、やはり新しい物は何となく嘘っぽくて物足りない。(このInnの外観の写真はアナログカメラに収まっているので、ここに載せられないのが残念!)ホテルの部屋に荷物を置いて夕飯へ。ガイドブックに載っていたOrlando'sというSouthwestern+Mexicanレストランはホテルの人にも薦められ期待を胸に直行。お薦めというだけあって、そこはやはり繁盛しており、待ち時間は20分と言われた。しかし急ぐ必要もないので、寒空の下ではあるが待つことにした。空腹は格別のスパイスになるのだし。外で待っている間、趣のあるストーブを囲んで旦那とメニューをじっくり研究する事に。20分後、テーブルに着くと、赤い壁と紫の窓のサッシが私を未だ見ぬメキシコへワープさせた。店の中はメキシコの香りで埋め尽くされていた。さて、私が選んだのは、10cm強の赤ピーマンにチーズを詰めパン粉をまぶして揚げた料理(rellenoだったかな?)。これはiMuy delicioso!であった。ピーマンの甘みと苦味、チーズのコクが絶妙で、チレソースがかかっているにも関わらずパン粉のパリッとした食感が残っており、これまた絶妙なタイミングでサーブされているのが嬉しかった。(こう書いている間にもヨダレが出てくる~!)旦那が注文した料理は・・・忘れてしまったが、ビーフのenchiladaだったかな。これは脂っこくなく、パサパサしている割には肉の旨みがあった。デザートは怖いもの見たさでfrozen avocado cakeを注文。運ばれてきたのは、グラハムクラストのチーズケーキだった。が、薄緑色。味は、苦味の利いたとてもアメリカンなキーライムチーズケーキって感じであった。翌日はホテルで朝食をとり、美術館2軒を巡った後、Puebloと呼ばれるインディアンリザベーションへ。ここはadobeのマンションで有名な場所。駐車料、入場料に加えてカメラ料金($5/1個)を支払い、一歩中に入ると、迎えてくれたのは犬達。最初は、観光客が犬と一緒に入場しているのだと思ったのだが、どうやら野良だと判明。リーシュどころか首輪もつけていないのだ。それに近づいてみるとちょっと汚れてて無愛想。でもこれがまた可愛いのだ。人には慣れているが人懐っこさは全く無く、買い食いをしている観光客について回っている。きっとこの村の中で飼われるとも無く育ってきたのだろう。このPuebloは広場を中心とするadobeの低い壁で覆われた村で、今も人が住んでいるとは聞くものの、生活しているのは観光客が訪れる時間帯だけの様な気配がしていた。きっとここは彼らにとって職場になっているのだろう。その証拠に広場を囲んだ数十件の家の殆どがネイティブアメリカン(又はインディアン)アートの店なのだ。これらの店には大して惹かれなかったのだが、入り口付近にあるジェロニモ教会は興味深かった。曲がりなりにも(日本の)カソリックスクールへ通い、イタリアの大教会へも訪れたことのある身としてはジェロニモ教会の祭壇に惹き込まれずにはいられなかった。何もかもが素朴でいて色使いが鮮やかなのだ。聖母マリア像を挟む様に壁に描かれているのは背の高いトウモロコシの茎と葉。その両脇にはスイカやカボチャが盛られた籠が、鮮やかな緑、オレンジ、黄色などで描かれている。はっきりとは覚えていないのだが、燭台やキリスト像なども南米(メキシコ)色が豊かだった気がする。ステンドグラスも素朴で、水色一色の中に一羽の白い鳩があしらわれただけ。イタリアの大教会も素晴らしいが、このジェロニモ教会は温かく落ち着ける場所だ。ホワイトボードにサインペンで書かれた聖書の箇所と賛美歌の番号が、この教会だけは観光客ではなくこの村の人々のために今も昔も存在していることを伝えていた。村を後にして、遅めの昼食へ向かったのはBent美術館向かいのBent Street Cafe & Deli。気温は低かったのだが、日差しが暖かかったのでタンゴと一緒に外のテラスで食事。原則として犬は店に入れないという事なので、我々はテラスを囲んでいるベンチの横のテーブルに着席。タンゴはそのベンチに繋がれ、ベンチ越しに我々の食事が終わるのを待った。この間、外行く人々に次々と撫でられたので、人見知りのタンゴには良い訓練となった。また、何処かの犬がフラッと現れた時も、ディストラクションの訓練になった。タンゴは背中の毛こそ立てたが(それに我々が命令したsitもしなかったが・・・)何とか呻らずにこらえていた。が、同じ犬が2度目にやって来てしつこく彼のお尻を臭い続けた時には流石にタンゴも「BOW!」っと一声放ってしまった。まあ、相手の犬も「あ、こりゃまた失礼しました。」って感じでヒョコヒョコと退散して行ったので喧嘩にならず一安心。 *タンゴにとってTaosは、新しい訓練を開始してから初めての”散歩以外の場所”であり、 長時間のドライブ後という事もあってかなり興奮していたはず。だが、ダウンタウンでの ウィンドウショッピング中はかなり聞き分けよく歩いたし、私が店から出てくるまでの間も ディストラクションに負けずにちゃんと座って(旦那と一緒に)待っていた。 でも、一回だけ驚いた事があった。それは、ある店の前に座っていた1m大の熊の ぬいぐるみの前を通りかかった際、タンゴがその脚にガブッと噛り付いたのだ。 一瞬の出来事だったので、タンゴが噛んだのかどうか分らなかったのだが、 後ろから来た女性が目撃者として教えてくれた。 「あなた達を守ったのね。私もきっと噛み付いたわ。」と・・・。遅めの昼食を終えると午後3時になっていた。そろそろ家路に向かおうという事で途中の土産物屋に現を抜かしつつ出発。Adios,Taos.日の入りが近づくにつれ7変化する山と空の壮大な景色を楽しみながら重たい雲の方向へ北上。コロラド州へ入って暫くすると雨が降り出し、油と埃まみれのウィンドウに視界を阻まれながら夜の高速をひた走りに走り、やっとの思いで家路に着いた。一息入れていると雨は雪に変わり、ふと気付くと真夜中にはいぶし銀の銀世界に変わっていた。雪に遇わずに無事に帰れた事を祖先や神に感謝しつつ就寝。Buenas noches.
Oct 22, 2006

昨朝から初雪の小雪がちらつき始め、午後には既に街の景色が一変。その後も一晩中しんしんと降り続けた。一夜明けた今朝は、街中が静まり返り、全てが生まれ変わった様だった。パウダースノーの銀世界。数日前までは20℃まで気温が上がることも多く、半袖で過ごせたのにこの変わり身の早さは何なんだろう。(今朝の気温、-2℃。)この初雪は15cmくらい積もったのだが、ここの人々が口を揃えて言っていたとおり、強い日差しがあっという間に雪を溶かし始め、除雪車の来なかった我々の通りも午後3時頃にはすっかり乾いてしまっていた。そういえば、朝一番に車で旦那を大学まで送った時に私の肌を突き刺していた朝日は雪の反射もあって夏のそれの様だった。家の中から眺めるだけだと全く美しい景色なのだが、家の前の歩道の雪掻きや折れた枝の掃除など、今日は体を温めてくれる作業が目白押し。どうやら昨晩我々が外食に出た間に裏庭の木が折れて屋根を直撃した様で、その際に危うく電線がやられてしまうところだった。という事で、最大で直径10cmくらいの幹をノコギリで切り刻む作業と梯子で屋根の上のダメージを点検する作業が加わった。幸運にも、屋根は無傷だったようだが、これも雪が完全に溶けてくれないとなんとも言えない。庭のこの作業は骨の折れる作業だったが、その間タンゴは我々が切った枝をかじり、幹の皮を剥ぎ・・・と大はしゃぎだった。時々枝の雪がバサッと落ちては動物の出現と勘違いして雪の上を大疾走。(最後には動物ではないと学習したようだ。)指先と足先が徐々に突き刺すような痛みに変わり始めた頃にやっと庭掃除が終わり、こういうときはやっぱりアレだと思い、ホットチョコレート(ホットココア)を飲んでやっと初雪を祝った次第。そうそう、旦那の中間試験も今日で終わったので、それも一緒にホットチョコレートで乾杯。明日はやっと訪れた彼の夏休みを満喫すべくNew MexicoのTaosへ向かう予定。道中、雪に遇いませんように・・・。
Oct 18, 2006
昨日、とうとうフードプロセッサーを買ってしまった。料理が得意では無いので、分不相応かなとも思ったのだが、逆にこれのお陰で少しは料理に興味を持つかな・・・という淡い(甘い)期待を信じることにした。フードプロセッサーのご利用者から色々とご意見とアドバイスを頂き、この数週間、悩みに悩んだ&調べに調べた結果、9カップ+4カップのセットを購入。替え刃も色々と付いているが、果たして使いこなせるかな?今日は手始めに玉ねぎ大2個と人参数本を微塵切りにしてキーマカリーを作ったが、きっと慣れるまでの間、我が家の食卓には離乳食の様なメニューが並ぶことであろう。それにしても、新しいマシーンを使うのは楽しいものだ。**************************今日の昼は、先日知り合った日系3世を含むブラジル人3人と、アメリカ人1人の女性ばかり5人でランチをする事になった。このブラジル人の女の子達は顔立ちが全く異なっていて、2人は日系人。黙ってると日本人だと思って話しかけてしまいそうなほどだが、日本語は殆ど喋られない様だ。でも、2人とも自分達のルーツを重んじていて、それぞれ日本で1~数年を過ごした事があるとの事。彼女達いわく、日本にも(岐阜と言っていたが)ブラジル人のコミュニティーがあるらしい。残念ながら、私は日本でブラジル人にも日系ブラジル人にも会った事が無かったのでこれは驚きだった。また、この日系人の1人はイギリス人と婚約中。余計なお世話だが、もし彼女に子供が生まれたら、その子のアイデンティティは複雑だな、と同情してしまう。”お父さんはイギリス人、お母さんは日系3世のブラジル人、でも私(僕)にはブラジル人の血は入っていない。”という事になって、もしイギリスで暮らすことになれば、(両親の共通語は英語なので)その子からはブラジルの香りが殆ど感じられない、って事になるんだろうな。母親はある程度は日本語を聞き取れるが、その子の環境次第では、ブラジルに居る祖父母や親戚とのコミュニケーションが上手く行かなくなったり・・・。傍から見ると羨ましい様な環境に見えるが、本人達にとっては不利に思えたり苦しんだりする事も少なくないんだろうな。増してや”国籍(生まれ)はアメリカ”とかだったりすると「あ~もうっ!私は一体誰なんだ!」って。でも、やっぱり私には色んな要素、可能性や文化が混じっている事は素晴らしいと思える。こんな余計なお世話はさておき、このブラジル人女の子達が私より一回り以上も若い事を知り、薄々分ってはいたものの、年齢の引き算で出た数字に現実を突きつけられた気分になった。でもここは日本ではない。私の年齢を知ったからといって途端に私を年寄り扱いしたり言葉遣いが丁寧になったりしない。私は私。素のままで「そうなのよ~。歳食ってるのよ~。もっとしっかりしなきゃね。」って笑ってられる。(いや、笑ってちゃいかんのだけど・・・。)若くても年配でも、前向きな人からは学ぶことが沢山ある。「年齢という数字のお化けに押し潰されず、いつも前向きでいたい」と、最近ちょっと横向きになってる私は思うのである。*******************************☆余談☆旦那の友人のタンザニア人の誕生日にまつわる話。彼は自身の正確な誕生日を知らない。「4月の25日~月末くらいだと思う。」と。というのは、彼の親が出生届を出さなかったから。何故ならば、彼の親は「我々が子供を生んだのに、なぜ、国から誕生日を買わないといけないのか。」と思ったから。って、コレじゃ意味が分らないと思うが、つまり、『出生届けは手数料がかかる→お金を払って生んだ日付を認めてもらう→誕生日を買う』という思考回路らしい。という事で、彼は自身が生まれた前後の季節行事と年(西暦)を親から聞いて勝手にその辺りの日付を選んでいるらしい。タンザニアの戸籍や出生届のシステムがどうなっているのか私には全く検討が付かないので、この話がどこまで本当かは分らないが、話としては面白いよね?
Oct 13, 2006
さて、近況でもなんでもないのだが、え~、馬鹿馬鹿しい話を一つ。野生児の甥っ子(S=中2、K=小6)の最新エピソード。***************************** ある日、彼らが近所のガキんちょ達と川原で遊んでいた時、一匹のヘビを発見。(S&Kに因ると、青大将だとの事。)ヘビも彼らに気が付いて身構えた所を、Sが「撫でてみよか?」と手を伸ばしたらしい。するとヘビは面食らったのか、抵抗すること無く、撫でさせてくれたんだと。調子に乗ったSは、「じゃ、もう一回。」と手を伸ばしたが、今度こそは指を噛まれてしまった。んが、そこで引き下がるSでは無い。「やっぱりもう一回。」と手を伸ばし、また噛まれた。「んじゃ、もう一回。」と、4度目の挑戦。最後はとうとうヘビも諦めたのか呆れたのか、また撫でさせてくれたらしい。 帰宅した彼らからこの話を聞いた母親(私の義姉)は、Sに異変は無いものの、大事を取って彼を医者に連れて行った。医者:「最初の応急処置が良かったから大丈夫です。」母親:「え?応急処置って?S、何したん?」S :「(傷口を)口で吸って吐いた。」母親:「・・・」 その日の夕飯時、弟のKが自慢顔でこう言った。S :「あんなぁ、お兄ちゃんってスゴイねんで!ヘビを首に巻いてんでぇ!」母親 :「(ギョッ!として)ヘビってどれくらいの長さやったん?」S&K:「1メートルくらいかな?」 翌朝、いつもなら何度起こしても起きない彼らが、部屋の隅で箱を囲んで何やらゴソゴソしているのを母親が発見。母親 :「何、隠してんのん?亀か?」S&K:「ちゃう。」母親 :「亀や無かったら、蛙か?」S&K:「ちゃう。」母親 :「ほな何や!見せなさい!!!」・・・もう、お分かりであろう。そう。昨日のヘビがそこに入っていたのだった。その騒ぎを聞きつけた父親(私の兄)が起きて来てヘビを確認し、父親 :「ホンマや、青大将やな。」S&K:「お父さん、飼ってええ(=飼って良い)?」父親 :「青大将やったら、2mくらいまで大きなるしなぁ。ウチは狭いし、SもKも陸ガメも 居るし、もう飼われへんわ。川原へ返しておいで。」***********************************という事で、このヘビはやっとの思いで川原へ帰れたらしい。が、この甥っ子達の事だから、川原へは返したものの、そのヘビをどこかに紐に繋いでいないとも限らない。いやはやしかしh、この親子は宝塚という比較的都会に住んでいながら、何故こんなにヘビに詳しいのだ?青大将がどんなものか想像できなかったので、インターネットで調べた結果、マムシに間違われる様な模様をしているが無毒だとの事。これまでにも色々と面白い事や無茶な事をしでかしてきた彼らなので、オーストラリアの故クロコダイル・ハンターみたいな事にだけはならないでくれ、と祈るばかりだ。
Oct 4, 2006
朝目覚めと共に寝室の窓を開けると、そこは一面、金世界だった。そう、銀世界ならぬ金世界。枯葉の。昨日かき集めたのと同じ量が地面を覆いつくしていたのだ。ため息を付いてる間も無く、芝刈りを始めたのだが、これが意外や意外。芝刈り機の側面から吐き出される空気が枯葉を地面に叩きつけるように飛ばしてくれるのである。昨日のblowerの2時間は何だったの?ってくらいに枯葉の山があっという間に出来た。また、これらをビニール袋に入れる際も、昨日より凝縮して収められた。多分、芝刈り機の刃に巻き込まれて砕けたり嵩が減ったりしたためだと思う。今回の一連で学んだことを纏めておこうと思う。・夏の芝の水遣りはマメ且つ丁寧に。・夏の終わりに少しでも気温が下がったら芝の種まきを行う。・その前に、少なくとも周囲の芝刈りをしておく。(芽が出るまでの1~2週間は芝刈りの風が強すぎて種が掘り起こされてしまうから。)・庭に枯葉が舞うようになったら、芝は短めをキープ。(枯葉が埋もれるから。)・枯葉は芝刈り機で集めると早い。今日の枯葉集めはゴミ袋2個分。お隣さんの過去の記録は21個だとか。こうしている今も、はらはらと舞い落ちている。・・・は~、先が思いやられる。*******************エアーバブル(通称:プチプチ)に包まれたままになっていたmiter sawとjig sawを出してきて遊ぶことにした。miter sawを使うのはまだ3度目くらいなのでドキドキ。ダンボールで作業台を組み立てることから始まり、ゴーグルと皮手袋を装着し、使用書を片手にいざ臨まん!先ずはガレージにあった合板で書斎の本棚の棚板1枚を作った。(カットしただけだけど。)次は170cmの長さに板を切った。これは、タンゴ様のスロープの試作。今の車は車高があり、中にあるケージにタンゴが飛び乗ってくれないから。20kg以上ある彼を毎回抱きかかえるのはかなり辛く、彼は彼で、抱きかかえられるのがイヤで逃げまくるのでいつも出発するまでに5分以上はかかってしまうのだ。それに水遊びや泥で汚れる場合もあるし。タンゴがもしこれを気に入れば、いつも車に乗せておけるように、半分にカットして兆番を付けるつもり。本当は折りたたみ式のステップか台を作った方が良いのかな?今後検討の余地あり。あ~、久々にマシン(工具)遊びをして楽しかった!もっとカットしまくりたかったな。今の借家には暖炉が無いので薪も不要だし・・・。つまんないよぅ。
Oct 1, 2006
ここ一週間、とても過ごしやすい日々が続いている。日中はまだまだTシャツでも汗ばむくらいで、まだ夏なのかも?と思ってしまうが、朝晩はやっぱり冷え込むので、セーターに手を伸ばしたくなる。街の風景もグンと秋らしくなり、深緑から橙色まで、木々や草花のグラデーションやコントラストが鮮やかになってきた。が、おちおち見とれてばかりも居られない。我が家の玄関前には今まさに山吹色に輝く落葉樹があり、この数日で芝がすっかり枯葉で覆い隠されてしまったからだ。あ~、だから落葉樹のある家はイヤなんだよな。と、今更思ってもしょうがない。風が吹いて枯葉がご近所を汚しても困るし、芝の水遣りも効率が悪くなるので、今日は掃除をする事にした。今までは熊手で行っていたのだが、せっかく”吸う&吹く”両用のショップバキュームを購入していたので”blower(吹く)”機能を使ってみることにした。思ったよりも枯葉が飛んでくれたが、吹き出し口が小さく威力が無いので、それ専用のblowerの様には上手く行かず、芝が少々伸びていた事もあって枯葉が引っかかり、70%くらいしかきれいにならなかった。が、集めた枯葉は大型ゴミ袋に3個分にもなり、なかなかの満足感は味わえた。所要時間:2時間!(最後の袋詰めは旦那に手伝ってもらったので少し楽を出来た。お疲れのところ、有難うね。)でも、ふと頭上を見やると、その木には今にも枝を離れそうな葉がキラキラと秋色に輝いている。冬が来るまで、庭掃除を何度すれば良いのかと思うと、ちょっと暗い気持ちになり、そのショップバキュームの”吸う”機能の方で枝と言う枝から葉を吸い込んでしまいたくなっちまった。さ、明日は旦那に芝刈り機の使い方を教わって芝刈りデビューする予定だ。こうやって雑用も体力勝負になると、益々食欲の秋の到来を感じずにはいられない。
Sep 30, 2006
芝生のある家に住むのは3軒目なのだが、前2軒は雨で有名なシアトル(近郊)だったので、芝の水遣りなんてのは夏の間だけで、しかもそんなに躍起になって撒かなくても、黄色くなってしまっても、またちゃんと青くなってくれた。だから、3軒目のこの家に引っ越してきてからの3ヶ月間というもの、我々人間はコロラドの強い日差しに参りながらも、「芝は強いから」という(間違った)知識があったために水遣りをかなり怠っていたらしい。そしてタンゴが、泣きっ面に蜂というか、ダメ押しの様に死にそうな芝の上を駆け回ったのだ。案の定、スプリンクラーや雨が直接当たりにくい場所は徐々に黄色くなり、やがて土となった。また青くなると思っていた我々は、土になった時点でやっと間違いに気付いた。”コロラドでは芝を黄色くさせたら終わり”なのだと。道理で大家が「溢れんばかりに水を遣ってくれ。」と何度も言っていたハズだわ。という事で、試験的に少量の芝の種とソイルを購入し、店のおじさんの指示通りに涼しくなるのを待って種を蒔いた。が、途端に気温が下がり、日照時間も少ない日が1週間ほど続き、そろそろ出てくるはずの芽にとって厳しい状況になってしまった。何の変化も無いまま10日は経っただろうか、もう諦めて春にやり直そうと思った途端、暖かい日が戻ってきた。と同時に2mmほどの芽が顔を出し始めたのだ!それから数日経った今も朝晩の冷え込みはあるものの日中の気温は落ち着いており、Tシャツ一枚でも平気なほど。勿論、芝もグングン背を伸ばしてくれている。が、ふとその周りを見渡すと、種を植えたのは庭にとって500円玉ハゲみたいな面積。春になったら本格的に種蒔きをせねば・・・。高くつくな~ それまで、最低限、今生きてる芝は死なせてはならない!気付いたのが遅かったのだが、最近は心を入れ替えたの如く念入りに水遣りを行っている。時々、黄色を通り越して肌色になっている芝に、呪(のろ)いか呪(まじな)いにも似た祈りを捧げつつ。ほんと、隣の芝は青いとはよく言ったものだな。
Sep 28, 2006
旦那が最近、健康に留意している。だが、決して健康オタクに目覚めたとか、老化を気にしているとかという理由からではない。病気を患って医者に行くと健康保険を使ってしまうからなのだ。何故かと言うと、数ヶ月か半年後に保険会社の変更を考えているので、その加入手続きの審査の際に病歴があると加入を拒否されるか、その病気がカバーされなくなる恐れがあるから。・・・という訳で、先ずは風邪から予防しようという事になり、『風邪予防にはウガイと手洗いを入念にしましょう。』という新聞記事か何かに触発されて(←遅すぎ!)ここ2日前から旦那は手の甲を洗うようになったらしい。(い、今までは???)それが本人にとっては画期的な事なのに、私が全く気づかなかったのが歯痒かったらしく、「ね、最近タオルがすぐビショビショになるでしょ?僕が手の甲を洗い始めたからだよ。」と自慢(?)して来た。ま、水に濡れる面積が増えれば、確かにタオルもそれに比例して湿るってのは筋が通るけど、そんな劇的変化を遂げるには、逆に今までは指先しか洗ってなかったって事かい!!”・・・道理でね。”と、思い当たる節が幾つもある。が、怖くなるから深く考えないようにしようっと。「『少年の様な心を持ち続ける事』と『少年のままでいる事』は違うのだよ、君。」と、愚痴りたくなったけど、とりあえず主体性を持って良い方向に着眼・行動をしている事を尊重して、旦那の今までのバイオハザードテロ的な行為を見逃してあげることにした。そういう事を予知していたのか否か、母はよく「家族のタオルは別々にした方が衛生的だ。」と言っていた。う~ん、今後何が判明するかも知れない。ベッドどころか寝室も別にした方が私の身のためかな?
Sep 26, 2006

裏庭でのタンゴは私に叱られてもその場限りで、少し目を放すと鳥やリスを追い回して困る、と訓練士に相談したところ、「じゃあ、タンゴが裏庭に居る時はあなたも一緒に居るしかないでしょう。大変だけど。」とのアドバイス(!?)。暦の上では今は秋だが、ここんところ気温が一気に下がった上に、午後には木陰が増えてしまう裏庭でタンゴをずっと見張るというのは本当に大変な話だ。ここボウルダーでは9月中に初雪が降るとも言われているし。5分や10分なら良いが、最低1時間はウロウロさせてやりたいので気合を入れねば。という事で、昨日から完全密着を開始した。最初に私が行ったのはお湯を沸かすこと。次に旦那の綿入り上着、マフラー、フリースの帽子、毛布、本、椅子、訓練グッズを全て着込み/準備し、最後に風邪予防のハーブティを煎れて準備完了。椅子を裏庭のど真ん中にセッティングし、訓練グッズとハーブティの入ったサーモスを足元に置いて本を読み始めたは良いものの、タンゴの行動が気になって身が入らない。何度か試みた末に読書は諦め、腰をすえてタンゴを見張る事にした。(ね、寒そうでしょ?タンゴも震えるほどの気温です。)案の定、リスの登場で先ず裏の犬が騒ぎ出し(いつもタンゴに教えてくれちゃうのよね~。困)1秒たりとも遅れずタンゴの耳と目が一変。すかさず私もBAH!と叱ってタンゴの注意を逸らせる。もしタンゴが走り出しそうになった時は訓練グッズを彼の足元目掛けて投下する。・・・これを2回ほど繰り返した後は、タンゴも私の顔色を伺う様になり、リスが現れても鼻をピクピクさせてその方向を見つめる程度になってきた。でもまだ、ともすると走り出しそうになる。昨日は結局2時間くらい、こうして密着を行った。今日も同じく完全防備・準備万端で1時間半くらい。今日の前半は、タンゴはおやつの骨をかじる事にただ夢中で、リスにも鳥にも見向きもしなかったから私の読書が捗った。後半は昨日と同様に彼らに反応して疾走したが、1回のお咎めで大人しくなった。何日か続ければタンゴも学習してくれるかな?と願っている。でないと、益々寒くなるからこっちが持たない。早速2日目にして私の体調が崩れて来てしまった。冷えと乾燥で咽喉が痛む。家の中はもうヒーターが入っているので、これも乾燥の原因。今日から加湿器をフル稼働させて暮らさないとエライ目に合うぞ。あ~、熱い風呂に浸かりたい!!!
Sep 23, 2006

身の凍る思いとはこの事だ、という体験をした。昼頃にタンゴといつもの公園へ散歩に出かけると(我が家から1ブロックの近さ。)、お手洗い横の屋根付き休憩所で昼食をとっていると思われる男性達が見えた。芝刈りの人達かな?と思うか思わないかの内に、普段は見かけないワゴン車と作業車が並んで芝の上に停まっているのが目に入った。その周りにも数人の男性達が居り、1人の灰色のフード付きトレーナーを除いては皆、黄色い薄手の作業着(手術着みたいな二部式)に身を包んでいた。その灰色のトレーナーの背中にはアルファベット4文字の何かの頭文字があり、その下には、JAILと書かれていた。よく、本人はそうではないのにLIFE SAVERやARMYと書かれたTシャツとかトレーナーを着てる人が居るので、「彼もそうなのだろう、JAILとはまた面白い。」と思いかけた瞬間、私の中で何か冷たく尖ったものがそれを跳ね除けた。横の黄色い作業服の背中にも大きく同じ文字が書かれていたのだ!(何かの刑で社会奉仕中の人達だったのだ!)瞬間、私の背筋は凍りつき、誰の何も見つめないように、且つ口角には笑みを残しつつサーッとそこら(=彼ら)を見渡すと、そこで昼食を取っていた団体も車の周りに居る男達も皆、同じ服っっ!私の体は強張り、足早になりつつも、「和気藹々としてるからJAILの従業員だよな、そうだよな…」と思い込もうとした。が、もうそれを打ち消す気持ちの方が強く、「お願い、そうであって、神様!!!」と心の中で手を組むと同時にタンゴのLEASHを強く握り締めていた。が、私の恐怖など露も知らず、尻尾を振りつつ彼らの方へ寄っていくタンゴ。”やめて~~~!”と心の中で再び叫びつつ『躾中なんです。決して避けてるわけではありません!』と体全体で必死で表現して(←そんなの通じる訳ない。)タンゴを正し、その場をやっとの思いで通り過ぎた。勿論、最中も通り過ぎたあともずっと背後に全神経を集中していた。私の体は目玉オヤジと化した。結局、何も起こらなかったが、やっぱり用心の為に帰り道は違う道を通った。家に着く前にチラッと公園の方を見やると、未だ彼らの姿があった。もう一度書くが、この公園は我が家から1ブロックの近さだ。ゾゾゾ~~。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~家に着いて一息入れていると、軽快にドアをノックする音が。吠えてドアに駆け寄るタンゴをトレーニンググッズで正しつつ玄関を開けると、そこにはオレンジのカラーシャツにチノパン姿の黒人の痩せた兄ちゃんが立っていた。私の顔を確認するなり、ニコニコと何かを大声で早口に喋り始めたのだが、風も強くタンゴも吠え止まないので何を言っているのか分らない。例えそれらの障害が無くても、兄ちゃんのおしゃべりはラップにしか聞こえず、オマケに大げさな手振り付き。益々ラッパーに見えてきた。”これは絶対に物売りか勧誘に違いない”と、私の勘が訴えている。兄ちゃんは身分証明書を私の顔の前に突き出し、「オレは○○の何とかだぜぇ~。聞いたことあるか~い?イエーイ!」って感じで淀みなく刻み続けている。(イヤ、本当はもうちょっと丁寧なハズ。)唯一聞き取れたのは、「隣の家にも行って来たよ。」と「僕はXXって言うんだけどあなたの名前は?」くらい。彼には名前を教えたくなかったので、それすら聞き取れない振りをした。が、それでも諦めず訴え続ける兄ちゃん。さすがラッパーだぜ。困った私が吠え続けるタンゴの方に意識を集中させつつチラッと兄ちゃんを見て「I'm not interested.」と言いかけた途端、兄ちゃんはラップの電源も照明も切り、「Men!」って言ったか言わなかったか知らないが、もう隣の玄関へ足を向けていた。そのあまりの変わり身の早さと明暗の大差に、私はまた背筋がゾッとし、普段は掛けない網戸の鍵もしっかり閉めたのだった。タンゴはきっと異常を感じ取っていたのだと思う。その吠え方は普段と全く異なっていた。このコミュニティーは常日頃は全く持って安全な界隈なのだが、だからと言って油断してはいけないという事を思い出させてもらった一日だった。そうそう、流石に黄色い作業服の記念撮影は出来なかったのでコレを。中でもツルッツルに頭を剃り上げた白人男性の後姿が忘れられない。夢に出てきません様に・・・。
Sep 21, 2006
頂いた本なのであまり文句は言えないのだが・・・。その料理本の中の”きな粉カステラ”に挑戦した。が、材料のうち、牛乳とサラダ油が作り方の中に出てこないのだ。何度読み直しても、巻末を見ても無い。勿論、他のレシピも見てみたが、カステラに順ずるレシピは他に無い。明らかに欠陥だ。しょうがないので、適当に混ぜてしまった。焼き上がりに関しても、”外側が色よく焦げれば出来上がり”と言うので「竹串を真ん中に通してみなくても良いの?」と思いつつ切ってみると、やっぱり中が生焼けだった。うーん、ちょっと不親切っちゅうか、不真面目っちゅうか。素人向けの本として出版する限り、こういう事はプロとして正確に記して欲しい。インターネットで仕入れたレシピならともかく。増してや、材料を入れる行程を抜かすなんて初歩的ミス過ぎるぜ。そんな事を思いつつも、何とか上手く仕上がった所をご近所2軒に配りに回った。この2軒には既にケーキの差し入れを頂いていて、そろそろお返ししないと失礼になってしまうから。それにしても、もうちょっと見栄え良くしたかったな。(って事で、今日は記念撮影なしなのダ!)・・・と思っていたところへ注文してから2週間待ち焦がれた変圧器が届いた。これがあればバーミックスが使える!作り慣れたシフォンケーキやプリンが出来るぞ!!!ご近所には少々申し訳ない気がしたが、今回はタイミングが悪かったってことで、次回また何かお配りしようっと。*******************************タンゴがスズメを捕らえる瞬間を見てしまった。暫く裏庭で遊んでいた彼がやっと静かになったな、と思った矢先の出来事だった。「もう鳥が近くに居てもそんなに気にならなくなったのね、躾の成果かな。」と私は気を許していたが、そうではなく、彼は機を計っていたのだった。一瞬の出来事だったので確かな彼の動きは覚えていないが、1、2度彼はスズメを前脚で飛びつくように押さえ、スズメが抵抗して羽ばたいた瞬間にまた押さえ、最後は脚で押さえたまま口でスズメをグッと引っ張った。私が外に飛び出した時にはもうスズメは動かなくなっていた。タンゴは動かなくなってしまったスズメをどうしたらよいか分らず、その周りをウロウロするばかり。そのまま放っておくとタンゴが次に何をし始めるか知れないし、衛生的にも良くないので、我が家の敷地内に弔わせてもらった。その小さな命は抜け殻となり、文字通り真綿の様に軽く儚かった。タンゴの中には抗いがたい狩猟本能が残っているのだと思う。だが、もうそれは生きていく為の術ではなく、退屈しのぎか玩具程度の目的に止まってしまった。今ここで、人間がそうさせただの自然界のルールを破っただのと蒸し返しても不毛なだけだ。今、私に出来ることはタンゴに平和な日々を与えてやるべく努力する事だ。そうは言ってもその努力の結果は直ぐには現れないし、間違っている可能性だって充分にあり得る。私達はこのまま模索し続けるのだそうか?それともある日突然タンゴは歳を取り、落ち着いてしまうのだろうか?そろそろ4歳。落ち着いてくれても良いお年頃なんだけどな。落ち着いてしまったらしまったで、また淋しい気もするんだろうが。あ~、何か良い方法は無いのだろうか・・・。
Sep 20, 2006

庭に素敵な訪問者が現れた。窓際のデスクでインターネットをしていたら、裏庭のフェンスに美しい一羽の鳥が停まったのが見えた。何処かのペットが逃げてきたかと見紛うほどの鮮やかな配色。それは口にパンくずか何か、大きな物を銜えてキョロキョロと辺りを見回している。暫くして安全だと判断したのか、庭に降り立ったかと思うと、銜えた物をフェンスの麓に埋め始めた。「あらら、そんな所に埋めちゃって覚えていられるのかな?リスみたいに忘れるんじゃないの?」と家の中から突っ込みをいれつつ、次はどうするのかな?と見ていると、その鳥は埋めた場所を何度かつついた後、今度は近くにあったポプラの枯葉でそこに蓋をした。「ほほう、一著前に隠してるよ!」とその可愛いしぐさに関心していると、お宝を隠して安心したのか、さっと美しい羽を広げて飛び立って行った。その羽ばたきで蓋(枯葉)がフワッとずれてしまったのにも気づかずに・・・。その羽のあまりの美しさにインターネットで調べてみると、BLUE JAYと判明。シアトルには全身コバルトブルーのそれはそれは美しい鳥が居たが、BLUE JAYも負けず劣らず。そうだ、どんなお宝を埋めたのか確認してみようっと。*************************タンゴが玄関の網戸越しに猫を見つけ、大興奮した。が、幸いな事に彼はまだこのドアの開け方を知らなかったので飛び出さずに済んだ。慌てて、旦那と2人でタンゴをSIT&STAYさせたが、タンゴはアドレナリン大分泌で全身がぶるぶる震え、中腰になっていた。何度か立ち上がってしまったので都度やり直しているうちにタンゴの興奮も何とか治まった。が、数時間後、彼は裏庭の網戸越しにリスを発見。今度は私の声も聞かずに軽いドアを蹴り開けて弾丸の如く大疾走してしまった。私も思わずスリッパのまま追いかけそうになったが、ショックのあまり網戸のところで力が抜けた。庭を激しく駆け回るタンゴを見て「今までの訓練は意味が無かったの?」と悔しくなり、涙が出そうだった。でも、そのまま自由に走らせておいてはいけないので、気を取り直し、訓練方法に従って何とか止めさせた。そして更に気を取り直して、優しい声色で彼を呼び戻す事にした。呼び戻しはまだまだ時間がかかるが、必ず最後は自主的に私の元へ来させる様にしている。根競べだが、成功率は今のところ100%。大疾走は悲しかったが、その後の呼び戻しが成功したので少し気分が晴れた。どうしてタンゴはあんなに小動物が好きなのか?今度、鎮静効果のあるアロマでも炊いてみようかな。藁をもすがる思いとはこの事。
Sep 19, 2006
今日の日記は格別読み辛いです。最初に忠告申し上げまする。ここずっと美味しいパンが食べたくて、安いのから高いのまで色々と試していた。が、堪忍袋の緒が切れたというか、私の舌が日本の美味しいパンの味を忘れてしまいそうなので日本のレシピを元に自分で焼くことに一大決心をした。先日のパン第一号は全粒粉だったこともあってレシピどおりには仕上がらなかったので、再挑戦もしたかった。近所を探し回った結果、オーガニックの強力粉は無いと分かってがっかり。あまりちゃんと調べてはいないから断定は出来ないが、”強力粉”という物(若しくは言い方)は使わないのかもしれない。本当はGOLD印のパン用小麦粉を試したかったのだが、オーガニック探しに充てた時間を尊重して、"naturally made"と書かれたパン用小麦粉で手を打つ事にした。どうせパンを焼くならお菓子も一緒に、と思い、アメリカのレシピからピーカン・ブレッド・プディングを選んで同時進行で挑んだ。そのついでに、死にそうになってる庭の芝の水遣り(スプリンクラー)も。なれないことを一度に3個も同時進行して大丈夫かな?と思ったが、やっぱりパンは発酵時間やベンチタイムがあるから色んな事を同時進行し易い。前回は合間にドア・ノッカーと隙間風用スカートの取り付けを済ますことが出来たし。それに、今回は室温が低かったので、プディングを焼いている熱がパンの発酵の手助けもしてくれた。ふむふむ、我ながらスムーズに事が進行しているではないか。ところが、プディングが焼き上がり、パンをオーブンに入れて間もなく、鶏型タイマーがジリジリと鳴り出した。果て、この鶏は私に何を訴えているのか?スプリンクラーの位置はさっき変えたばかりだし、パンはもうオーブンに入ってしまっている。プディングにおいてはもう旦那が食べようとしていた。一瞬焦ったが、もうどうしようもない。後は神に結果を任せる事にした。結果はプディングもパンも上出来だった。パンにおいては摂氏と華氏の誤差で少々焼けすぎた感はあったが。ここで記念撮影をするところだったのだが、今回はすっかり忘れてしまった。というのも、プディングを焼いてる時に旦那から電話が入り、「クラスメートの女子ばかりが集まってポットラック・パーティするらしい。鉄砲tamalesも声が掛かったけど、行く?」とお誘いがあったから。それから大慌てで洗い物や着替えを済ませ、旦那が帰宅し出来上がった物の試食をしている内にすっかり写真など頭から消えていた。どちらも日本の料理では無いが、手ぶらで行くのも、今更何かを作るのも出来なかったので、結局それらを持参することにした。パーティ宅へ着くと、パーキングスペースに素敵なパティオセットが設置され、テーブルには赤いキャンドルと小さな花が飾られていた。その横のキャビネットの上には脚のある大皿に氷が盛られ、横にはワインやジュースがズラッと並んでいた。それらを横目に玄関を入ると、目に飛び込んできたのはこげ茶の革張りソファーと立派な梁のリビングルーム。ソファーと梁の色が合っていて白い壁とのコントラストが心を落ち着かせつつもモダンさを感じさせた。大きな作り付けのキャビネットや壁にはアジアン・アフリカンなテイストの小物が多過ぎず少なすぎず、計算された場所に飾られている。これらも色調が部屋と合っている。キッチンとダイニングは?と思いつつリビングを抜けると、そこにはgirls, girls, girls!!!白人が殆どという事もあり、文字通り人の壁が林立していた。20人ほどは居ただろうか。その壁の向こうには、食べ物が所狭しと並べられ、girlsたちの口は止まる事を知らないかの如く、おしゃべりに飲食にとフル回転していた。その中に知り合いのアジア人の塊を発見し、一安心したのだが、なかなか食べ物の方へは行けず、しばらく飲み物片手に世間話。girlsの中にはクラスメートではなく、クラスメートのガールフレンド2人も含まれていたらしいが、話に寄ると何度か一緒に遊んでいる様子で、輪の中にすっかり溶け込んでおり、結局誰がそうなのか分らなかった。この日のホステスのAmyが気を使って何度か私と話をしてくれたお陰で大分楽しめたが、言葉以前の問題で、女の子達の輪に入っていくのはやっぱり苦手だ。私、女子校だったのに…。いや、それが逆にトラウマなのかな?こういう時は輪に入っていく技が大事。入ってしまえば、隙間を見つけて会話に入れるが、立食という事もあって、自己紹介しない限り”知らない人が居るわね”くらいの視線のやりとりで終わってしまう。この自己紹介のタイミングと押しの強さ、早く身につけたいものだ。支離滅裂だが、話をインテリアに戻してしまおう。Amyはカリフォルニア(確かL.A.)でレストランをしていただけあってキッチンにはナイフスタンドのセットが2個もあり、最近まで独身だったにも関わらず使いこなされた風のグリル・パンやフードプロセッサーらしき大物グッズが備え付けキャビネットの上に並べられていた。そして、そのレストランのエッセンスはバスルームにも見られた。ここにも床から天井まである備え付けの細いキャビネットがあり、そのお陰で普段使いのバスルームにも関わらず、ごちゃごちゃしたものが一切出ておらずスッキリ。手洗いのシンクには石鹸の代わりに花瓶が置かれ、枝物の生花が生けられていた。肝心の石鹸はというと、シンクのすぐ横にある便器の給水タンクの上にあり、ポルトガルかメキシコ風の青い平皿にドンと置かれていた。ついでに、シャワーカーテンは白地に青竹の模様でここにも多国籍な物達が清潔感を加えて飾られていた。廊下からちらっと見えていたベッドも焦げ茶のfour-poster式でお洒落!ベッドの位置は私(身長160cm)の腰の高さほど。私の勝手な意見だが、ベッドは床からの位置が高く、スプリングとマットレスが厚ければ厚いほどゴージャスに見える。私もいつか、four-posterのベッドが欲しい!これは趣味の変化はあったものの、小さい頃(当時はお姫様ベッド)からの夢だ。かくして、私はあまり食べられなかったものの、プディングもパンもほぼ完食してもらい、外は寒いが温かい気持ちで帰途に着いた夜だった。旦那様、送り迎えをありがとう。
Sep 18, 2006
先ほど、お隣の奥さん(Mary)のショーを観て来た。ブローシャーに載っていた彼女の経歴を見てみると、大学、大学院でダンスの資格を取り、今は自分のダンスグループを持つと共に市内のダンス教室で教えている・・・との事。但し、クラスは中級から上級者対象みたいなので、私なんかはお呼びで無い。f( ^。^) 出演者の内の1人も同じような経歴の持ち主で、彼女もMaryも40歳を越えていると言うのに1演目10分ほどを苦しい顔一つ見せずに踊っていた。20台の子達の方が体が重いせいか、ずっと息が上がってたな。ゆっくりな演目では、筋肉の美しさを魅せつけられ、ついつい振り付け全体よりそっちに目が行ってしまった。私は一昨日から腰痛でへっぴり腰なので、情けない心境。ただただ溜息。 振り付けも曲(ちょとビョークっぽかった。)も難解な感じだったが、どの演目も流れがあって飽きの来ないショーに仕上がっていた。面白い演出もあった。街中や庭のトランポリンで踊っている所をビデオで撮ってアーティスティックに編集し、それを舞台に吊るした布に映し出したもの。その最初と最後にダンサーが舞台に出てきてその布の周りで踊り、3Dと2Dの境界を上手く繋げていた。 (以上、友人へ宛てたメールを転用。)素敵なダンスを観ると、私もまた踊りたくなる。私の場合は基礎も何も無いし、今更習うなんて事はもう無いかな。とは思うが、一年くらい前から、バレエはやってみたいと思うようになった。腰痛や捻挫を経験して、ダンスというより、体のバランスや柔軟性の大切さに気づき始めたからかも。お腹もへっこむかなぁ、なんてね。実は大学生時代、私はダンスのサークルに所属していたのだが、私の担当はもっぱらダンス以外の余興にあった気がする。サークルの創始者も仲間も皆、熱心なダンサーで、バレエやジャズなどの経験者も多かった。そんな中で私だけは必死に踊る姿で笑いを取っていた気がする。何事も体で覚えるはずの私だが、振り付けだけは覚えられず、発表会の本番で”目”ではなく「”頭”が点になってたよ~。」と、よく言われたものだった。そんな私に根気強く振り付けを指導し、今でも根気強く友達付き合いをしてくれている貴重な友人達の中に、今も踊っている人がいる。私はこのI嬢の踊る姿が心から大好きで(人柄が大好きなのは言わずともがな。)、卒業後も彼女の発表会があれば観させてもらっていた。が、結婚後は離れ離れになり、今はアメリカと日本。次回、彼女の踊る姿を生で観られるのは何時の事になるか分からないが、それまでは絶対にビデオかDVDで作品を強制的に送ってもらうつもり。Iちゃん、送ってね~!!! (この声、届くかな?)今夜はこのIちゃんが踊ったらどんな感じかなぁ、と想像しながらMaryのショーを2倍楽しんだ。
Sep 16, 2006

今までとは違う場所のConversation in English Classへ行ってみた。生徒は私を含めて10人。内訳は日本2;韓国1;スペイン1;台湾2;タイ3;ブラジル1と、良いバランス。英語が未だあまり話せない人も、頑張って質問したり発言したりしている。中にはシャイな人も居るが必死で聞いている感じがする。今日の話題も"食"が中心だった。このクラスの行われている図書館が今度、料理本を刊行するという事で、各国の料理のレシピを集めているらしい。そこで、その担当者が我々のクラスを訪れて、ボランティアを募った。そこでは、レシピを提供する人が講師となり、実際に作るのは他の人たち。即ち、レシピの数だけ講師が入れ替わるというのだ。最初は挙手しなかった私だが、なかなか面白い企画だと思い、参加することにした。だって、各国の料理が食べられるだもん!(作るのは自分だけど・・・。)ただ、コロラドで手に入れられる食材と日本人以外が好み、且つ作ってみようと思わせるメニューを考えると、選ぶのが中々難しい。が、そんなことを考える前にサインアップしてしまったので、私がただ単に近々作ろうと思っていた”お萩”にした。この料理の企画が稼動する前に一度くらい試作しておかねばなー。*****************************昨日のパンに引き続き、今日はタンゴ用クッキー作りに初挑戦!卵、塩、バター、大豆、などは一切使用しないレシピをインターネットで入手。doughの半分に砂糖を加えて人間用にしようと思っていたのだが、量が少なかったので全部タンゴ用にした。ドキドキしながらタンゴに試食を頼むと、「おかわり」との事。どうやら美味しいらしい。そこで、旦那と私も少しだけ味見をしてみた。やっぱりクッキーというより湿った硬いクラッカーだった。が、噛むほどに全粒粉の甘さが出てきた。タンゴは噛むと言うより飲み込むので、この甘さは知らないだろうけど。ハイ、今日も忘れずに記念撮影。人参と全粒粉とオリーブオイルだけのクッキー。(形は色々あるが、味は一種類。)
Sep 15, 2006

昨晩は2時間掛けてキーマカリーを作った。”アジア料理を楽しむ会”というHPにレシピが沢山載っているのを発見し、そこからこれを選んだ。理由は簡単。ラム挽き肉を手に入れたのでそれを使う料理を探していたから。量り売りのスパイスも十種類ほど買い込んだし、いざ調理!と意気込んだのも束の間、大きめの玉ねぎ2個をみじん切りする段階で萎えそうになった。もう座頭市状態で(彼は泣かないケド。)滅多切り。包丁を砥いだにも関わらず、トマトのみじん切りもやり辛かった。が、涙の甲斐あって、二時間後に仕上がったカレーの美味いこと!!!噛む毎に色んなスパイスの味が滲み出てくる。私自身の愛情も滲んでいたぜ。今度はナンも作ってみよう。となると、今まで気にならなかったフードプロセッサーが欲しくなって来た。玉ねぎ一個なら我慢できるが、二個以上となると、涙と鼻水を拭く時間だけでも短縮したい。バーミックスは持っているのだが、一度玉ねぎのみじん切りを試したらべチョッとなってしまったので、それ以来いつも包丁で行っている。バーミックスのみじん切りのコツをご存知の方、教えてもらえませんか?そして、今日は初めてパンを焼いた。友人と一緒には作ったことはあるのだが、一人では初めて。オーガニックの強力粉が未だ手に入っていないので、全粒粉で代用する事にした。”オイオイ、初っ端から応用して大丈夫か?”と思ったが、結果は◎。勿論、期待していた味とは異なったが、噛めば噛むほど甘くて美味い。記念撮影も忘れずに。で、パンの生地をこねるマシーンも欲しいかな?という思いが一瞬だけ頭をよぎったが、私はどうもこねる作業が好きな様なので(クラフト好き人間の悲しい性?)、これは却下。第一、これ以上キッチンに大物が居座る事自体がイヤだ。電子レンジと炊飯器だけで充分。フードプロセッサーくらいなら何とか何処かに収まるかな、と思うので暫くメーカーや仕様をチェックしてみようと思う。でもやっぱり、クラフト好き人間としては、大根のかつら剥きや白髪葱等は包丁でしたい・・・。それに、旧方式のガーリッククラッシャー(昔のオレンジジュース絞り器の様な形)も大好きだしな・・・。う~ん、果たして私にフードプロセッサーは使いこなせるのか?
Sep 14, 2006
月曜日にタンゴの訓練士が我が家を再訪問した。というか、この10日間、私がサボっていなかったかor間違ったことをしていなかったかをチェックしに来たと言った方が的確かな。あっちゃ~。彼女が我が家のドアをノックした瞬間からダメだしを食らってしまったではないか。その後の復習も75点といったところだった。大体においては間違っては無かったのだが、詰めの部分が甘いというか、タンゴに対してイマイチ絶対的な立場を主張出来ていないのと、タンゴを誘導せずにただ指示しているという所がだった。それらがタンゴとのミスコミュニケーションの原因だったようだ。魔法も強く念じないと、カボチャだって馬車にならず人力車になってしまう。カボチャと言えば、日本では人の形容に使うとあまり良いイメージは無いのだが(例:土手カボチャ)、英語では"Pumpkinちゃん!"って感じで可愛いというイメージに豹変する。これも言葉の魔法の一つだな。話を戻すが、今回は外でのleash walkもチェックしてもらった。ここでもダメだしをもらって、訂正してもらい、使っていたleashが重すぎた事も判明し、軽いものと交換して試してみると効果抜群。やっぱり魔法の杖もちゃんと身に合った物を選ばなきゃ。そして今日の宿題は、「シチュエーションを想定では無く設定すること。」例えば、タンゴが車に同乗している際、ドライブスルーやガソリンスタンドなどで誰かが話しかけてくると吠えまくる。これを友人に協力してもらい、友人宅へ遊びに行ってそのシチュエーションを作って訓練してみろ、という事。何も、この訓練の為だけにマクドナルドやスターバックスで買い物をしなくても良いというのだ。(でも、コーヒースタンドだと犬用クッキーをくれたりするのでその特典は捨てがたい!)また、車に置き去りにされると遠吠えする犬などは、ショッピングモールの駐車場で窓を開け放した状態で車を停めて去り、置き去りにされたと思わせておいて、遠吠えした瞬間に隠れていた窓の下からニョキッと現れ水鉄砲を噴射する、という方法など。それらのシチュエーションが実際に起こったときでは遅すぎるし、こちらも準備が出来ておらずオロオロするだけなので、上記の様に練習しておけ、という事なのだ。「Be creative!」という言葉がまさにピッタリ。この言葉、ノートにしっかり書き留めた。もう一つ、目からウロコのご指摘が。例えば私と散歩の途中、帰路の旦那と出くわしたりした日にゃぁ、タンゴはそりゃもう尻尾どころか腰を振るほど舞い上がり、旦那目掛けて突っ走ってしまう。これはOKかNGかを尋ねると、「それはNG。通りの向こうにリスや猫を見つけて興奮するのと同じだから一種のdistractionなのだ。貴女が"行って良いよ。"と言うまでsit&stasyさせないとダメ。」との答え。要は、理由が何であれ、興奮は興奮だ、という事。旦那=リス=猫だったのだ!冗談はさておき、通常、「飼い主や友人に会って嬉しいんなら別にいいじゃん。」と思ってしまいがちだが、sit&stayがちゃんと出来ないと道路に飛び出す可能性は100%だ。"なるほどー、全ては繋がっているのね。"と感心している間も無く、訓練士に「毎日旦那が帰宅する際に練習できるからやりなさい。」と宿題を投げられた。(その後、二日間トライしていて成果はボチボチ現れている。)この他にも、初回の訓練の応用系(タンゴとの距離の微調整や間違いの修正の方法など)を幾つか教わり、昨日今日と路上で試しているが、これが上手く行くので楽しい。最初は路上で高い声で犬に話しかけたり、グルグル回ったりするのが恥ずかしい気もしたが、ここはアメリカ。誰も気にしちゃいない。うちの隣人だって家の前で太極拳やダンスの練習をしている。(我々と同じレベルにして良いのか?)日本にもこれと同じフランチャイズの訓練士が数名居るらしいが、果たしてシャイな日本人がこの訓練を全うできるのか否か、いささか疑問である。ま、犬にフリフリドレスを着せて歩くよりよっぽど恥ずかしくないか。ではタンゴ、今日も散歩+訓練と参ろうではないか。
Sep 13, 2006
朝、旦那から「鍵を家に忘れたから自転車のロックが出来ない。」との電話があった。一万円もしないボロボロの中古自転車だから、まあ盗まれる事は無いとは思うのだけれど、盗まれちゃった場合は懐も彼の足もかなり痛くなるので、大学まで鍵を届けることにした。その前に色々と雑用を済ませてから大学に着くと、丁度12時の昼休み時に差し掛かった。幸運にも彼の自転車は(ボロボロだから逆に目だって)直ぐに見つけられ、持って行った鍵でロックはしてあげられた。今度はその鍵を彼に渡さねばならない。が、旦那は携帯の電源を切ったままなのか掛けても出ない。大学内は有料か許可証が必要なパーキングが殆どで、オチオチ停車もしていられないので、私は彼のクラスメートを捕まえようと思った。が、いざ、食事に出てくる生徒達の姿を目で追い始めてみると、彼のクラスメートの顔も、彼が教わってる先生方の名前さえも知らない事に着た付いた。勿論、彼の教室やロッカーが何処に在るかも知らないのだ。「ありゃ、私って保護者失格?」と、つい母親の気分になってしまった。「自分の子供がどんな環境で勉強してるかも知らなかったなんて・・・」ナンテ、勘違いの動揺をし始めているところへ、やっと旦那が登場。鍵を彼に渡し、次回の緊急時の為に彼のロッカーの場所だけは一応確認して帰った。”いやぁ、世の中の母親ってのは、こういう事をしてるのねぇ。”と疑似体験させてもらった。私の母は、私が忘れた宿題や教科書は届けてくれなかったと思うのだが、私は彼に何処まで厳しく(辛く?)出来るかな???ウソウソ、ちゃんと届けますよ、ご心配なく。
Sep 11, 2006
今日のタンゴはXだった。引っ張りはしないが、リードをゆるくしている分、体半分が出てしまっていた。何度もcueを出したり、立ち止まって体側まで呼び寄せては歩きなおしたりしたが、すぐに出っ張ってしまう。うーん、昨日までの魔法は切れてしまったのかな?途中、ロットワイラー2匹とすれ違った時も、彼はstayの最中でお尻をヒョイと上げてしまった。何がいけないのかなぁ・・・。*************昨日、訓練士お勧めのあるペット用品店へ行ってみた。ドアを開けた途端にビスケットの焼ける甘~く香ばしい匂いが私の胃袋を刺激した。が、人間用では無いのでグッと気持ちを抑えてショッピング開始。首輪の品揃えが他の店とは少々違っていた他に、アロマオイルやハーブの虫除け等、他ではあまり見られることの無かった品物が多く興味深かった。中でもアロマオイルの"anxiety"が気になった。内容表示を見ると、85%がred shiso、15%がwhite vinegar。red shisoって赤紫蘇の事?何だか日本だと簡単に作れそうな内容。タンゴは違うけれど、もし彼が"separation anxiety"だったら作って試してみたいと思った。今日購入したのは、冷凍の牛の髄骨(marrow bone)。部位が気になったので尋ねたら、脚との事。脊髄だったら何となく嫌だもんね。でも、髄が入ってたら一緒かな?(後で自然解凍してからタンゴにあげたら、かなり気に入った様子だった。)この店には猫も犬も2匹ずつくらい常駐している様だが、中でもレジの奥を占領していた牛の様な白い物体が私の心を射止めた。種類はセントバーナードと何かのミックスらしい。そのpawなぞは私の掌の幅、厚みは2倍はありそうだった。従業員のおじさんがスニーカーでそのpawをムギュギュっと(ふざけて)踏んでもビクともせずにアメーバの様に床に広がったままだった。レジのカウンターがもう少し低かったら、私はその犬目掛けて高飛びの様に背中でジャンプしていたかもしれない。大きな大きな低反発の抱き枕みたいなんだもん。次回、訪店した時は起きてて欲しいなー。明日にでもまた行ってみよっかな?(タンゴ、ヤキモチ妬かないでね。)
Sep 8, 2006
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