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(撮影:東京都大田区大森北4) 雨に輝く花もある。 日に輝く花もある。 最近学校近くの床屋の縁側で咲いている小さな花。 名は知らねど、なかなかカワイイので出勤中に時間があったら撮影したいなーと思いつつ早幾日。 今日は雨降りで一段と輝いて見えたので、時間もあったのでカバンからカメラを取り出したのだった。 思えば「雨の日」を意識して撮るのは初めて。 東欧あたりの光強度と似てくるせい(笑)のか、思わず味のある写真が取れてみた。 ■土日、学園祭がございます。 マツリだワッショイ
2007年10月28日
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■ヨドバシ・アキバのアウトレットのコーナーで、DENONのスピーカーSC-A7Lが60%OFFで売られていたので、衝動買いをしてしまった。(展示品の方がエイジングされてていいんじゃない?みたいな(笑)) 大きさは写真の通り。↑(乾電池と比べてね)DENON SC-A7L-M■こんな感じで、机の端に設置できるサイズのモノがずっと欲しかったのです。 しかし、店員がちょっとトロいタイプの青年で、商品を持ってくるのに時間がかかり、また値段を間違え、ペアなのにシングルで売ろうとしたり・・・。(´д`) どうしてケーブルが2本入っているのにスピーカー本体が一本なんだっつーの・・・(´д`) 買う寸前にまでイライラさせられて、思わず「もういいです!」的になりそうになりました。 で、最後には先輩店員になんか指導されつつ梱包→2.5キロもあるのに、紙袋一枚かよ、ロハス野郎!(帰りの満員電車でやぶけないかヒヤヒヤドキンチョでした)■拙者のような半可通ならまだしも、「オーディオ・マニア」な人たちって、もっとシビアな感じのイメージである。オーディオってかなり、趣味の中ではアダルトな範囲だろうから店員さんももうちょっと落ち着きのある人を配置した方がよいと思う。 ヨドバシアキバはそれでなくともデパートっぽくなっちゃってますから。 サトームセンのオーディオスペースはオススメです。ネクタイ着用義務が発生しそうな感じで。■ところで、いままでは10年前に初getしたCDコンポのスピーカーを流用していました。 これを↑のスピーカーに変えて、果たして音質の違いは・・・!スゴ!細かな音波が立っている感じ。 これでようやく旧スピーカーも成仏か!?■以前、某岡田明三氏の治療院へ勉強に行ったとき、さんざん自作音響器機を自慢させられましたが、治療を受けているときって、視覚が制限される分、聴覚刺激に敏感になるのよね。■このDENONのスピーカーは超小型でも出力は十分。 パソコンからネットラジオをMP3で流すと言う先生方にもお勧め。■最近getした『Radiotracker』と言うソフトが4000円ぐらいなんだけど、世界中のネットラジオから目的の音楽を勝手にDLしたり放送してくれるソフトなのだ。 一晩回しっぱなしにしておくだけで、1000曲ぐらいDLしてくれたり。『Radiotracker』 拙者はジャズ好き、だけどタイトルは詳しくない。ジャンルを「ジャズ」と設定しておけば、24時間ジャズを流しておいてくれる優れもの。 これも超おすすめです。
2007年10月25日
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工房の風
2007年10月21日
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■先日「クレーマー」なんて記事を書いた祟りか、(笑) なんと、新宿にある某学校の講師をすることになってしまった。 詳しい事情は知らないが、授業開始は二週間後。 ヲイヲイ。■授業料や、地理的条件だけで学校を選ぶとトンデモない事になるようですね。
2007年10月20日
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■ラマ・チャンドラン博士の『脳の中の幽霊』と言う本を読んだ。 残念ながら、「楽天ブックス」には在庫がないようなので、Amazonで購入することをお勧めする。 この本は「驚愕」に満ちていた。 現実の模倣や虚構である映画や小説などより、よっぽど恐ろしい話であり、自分の立っている地面が大きく波打つのを感じるはずである。■他人の夢の話と自分のジョークの解説。 これは人類の行為の中で最もムダに属するものだと言う。 どちらもそんなに嫌いではないので、今回はちょっと個人的な夢にまつわる話をば。■小学生以後、私は気功を習得する前は、ほぼ毎日が頭痛であった。 気功を習得すると共に消えていったのが、頭痛と悪夢であった。 頭痛と悪夢は、どうやらセットになっていたらしい。 現在では「夢」を見ることは月に一度あるかないかである。 やはり中医学で言う「心[シン]を病むと夢多し」は本当であった。■夢の話で、「何度も見る夢」と言うのが何パターンかある。いや、あった。 その一つに、私か「感覚(だけ)の夢」と自分で名付けていたパターンの夢があった。 それが、今回のタイトルにある、「クオリアの夢」である。■クオリアとは何か。 上条敦士の漫画『Sex』に次のようなシーンがある。(20年以上も前の漫画であり、友人宅で一度読んだだけなので、間違っているかもご容赦下さい)************ ある男---彼は色盲なのだが、主人公と二人で海に佇む。そして“海の青さは解らない”言う。 すると相手は「結局(色盲も晴眼も)同じじゃないのか?同じ海を見ているわけだから」と。*********** これは、クオリアを語るときに、必ず例に出される。▼よく出される例はこんな感じだ。「例えば赤と緑が通常と逆に見える人がいるとしよう。しかし、結局その人の中では緑は“緑”で葉っぱの色、赤は“赤”で血の色となり、他の人から区別はできない」 こんな妄想、子供の頃に一度はしたことがあるだろうか。(わたしは今でもよくする^^;)■さっきのシーンの続きで、男は突然ナイフを取り出し、相手の顔に突きつけて言う。「このナイフ、刺したら痛いだろうな。」“当たり前だろう!”と焦って返答する相手。男は続けて「痛いと言う事はわかる、だけと“痛み”はオレには解らない。」-------海だって、そうなんだ。「何が見えるか」じゃなくて、「どんな風に見えるか」なんだ------- 二人の会話はこれで一端幕を引く。■この、20年も前の漫画の一コマを何故覚えているかというと、当時子供だった私が年中考えていたことがソレだったからだ。 今もよく「その事」を考える。 「その事」には名前がついていた。“クオリア”と言う。■あなたや私が、例え同じ対象物に刺激を受けても、「青さ」「柔らかさ」「冷たさ」「硬さ」などの受け取り方、感じ方が違うのである。 あるいは「風景」などを見てグッと来たり、ハッとしたりするのもこの類だろう。 私の愚説を述べさせて貰えば、人の顔や文字(特に漢字)などもこのクオリアがかなりキーになっている気がしている。■話を夢に戻そう。 今でも時々だが、子供の頃(上条敦士の漫画を読んだ頃は当然)は、私は前述の「感覚の夢」としか形状出来ない夢を見る事があった。 寝ていると、なんとも不思議な「感覚」だけが湧き起こってくるのである。夢を見ている最中に「夢だと気づく(明晰夢)」事が稀であるように、その「感覚の夢」もまた、見ている私にとってはリアリティのある「感覚」である。▼しかし、一つ異常なのが、例えば「青いモノを見る」と言う行為無しに「青いモノを見たときの感じ」だけが湧き起こるのである。 結果、夢の中の私の自意識は表現しがたい奇妙な状態になる。「感覚の夢の一部」としか、他人には説明できない状態である。 今ならば、「クオリアだけを意識した状態」とでも言おうか。・一抱えある球を抱いた時の「感覚」・ザラザラの、例えばコンクリートのような材質の壁が遠くまで続くのを近くで見ている「感覚」・弾力のあるものを圧したまま、反発力を感じている「感覚」 などなど。▼当然、夢から覚めた直後は「その感覚」が「どう言う知覚と結びついているのか」がわからない。 そこで、フトンの中で「似た感覚を伴う行為・経験」を記憶の中から探す。 上手く見つかる場合もあるし、見つからず「クオリアの夢」が去って行く時もある。逆に、日常でふと昔見た「クオリアの夢」と合致する状況・経験や知覚刺激を受けることがある。■以上が「クオリアの夢」の経験譚である。 このクオリアは、個人的な体験としては記憶、状況、知覚に対して、極めて受動的な反応である。自分がどうこう出来る事は、ほぼ、無い。■さて、私は自分でも驚くほど日常的に感情が乏しい。 これも、何か関係しているような気がする。 感情が乏しいと言っても、やはり泣いたり笑ったり恐怖したり時々怒ったりはする。 しかし、もう一段上の感情・感情表現はまだまだ難しい。と言うか、実感が無い。 ので、どのように表現したらよいのかちょっと考えてからニンゲンのマネをする事にしている。 だいぶ上手くなったと思う。^^■ 以前------頭痛と悪夢から解放されてしばらくした後だったが、 明かり一つ無い夜の海で、天も地も解らないような中、一人釣り糸を垂れていた事がある。 その時、「クオリアの夢」経験に近い状態になった来た瞬間があった。 ただ、「夢」と違って、こちらは現実である。 黙っていても「夢」が立ち去ることは無い。 新たにわき上がる「その感覚」を捕まえてやろう!と興奮する心を抑えつつ、冷静に「その感覚」を“観察”した。 なるほど、全身を「その感覚」に委ねると、「今のような状態を総括した感覚」だと言う事が解ってきた。 そして、私は「その感覚」に名前を付けた。 ------「寂しさ」と言う名前だった。▼これが、本当に寂しいと言う感情の初体験だったのか、本当のところは解らない。 状況が、感覚を鋭敏にさせたのかも知れない。「個人的大ニュース:もしかして今オレは初めて“寂しさ”と言う感情を手に入れたかも知れない」 と、やや興奮気味に知人にメールしたのを憶えている。■私は、非常にばかばかしいことにも「どんなクオリアが得られるか」は、実際経験してみないと解らない事を知っているので、好奇心が強い。探求心とは全く別である。 例えば最近では、二つの団扇の側面をクロスさせて圧力をかけたりするとどうなるか、など。ひしゃげるのは解る。が、その過程でどんな「感じ」がするかは、やはりその時にならないとわからないものである。なんでもないことに(私が勝手になんでもないと思いこんでいた行為に)「わびしさ」とか「苦み」、もしかしたら最近流行の「萌え」なんかが潜んで居るんじゃないか?!と思うと、現実から目を離せなくなるのである。 全くもって痴人の夢のような話を失礼した。
2007年10月17日
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◆以前、ここで「きょん」の記事を書きましたが、続報です。 『 キョン死 富浦のバイパス 』 (((;゚Д゚))) 以下、房日新聞より引用***********************車に衝突か? 南房総市富浦町多田良の国道127号バイパスで13日朝、キョンが死んでいるのを通りかかった人が見つけた。拡大地図を表示 体長75cmのオスの成獣で、車に衝突して死んだものと見られている。付近は農地があるとはいえ、バイパスの取り付き部分で、市街地との隣接部分。連絡を受けた同市役所でも「こんな場所でキョンが出るとは」と、有害獣の広範囲な繁殖ぶりに驚いている。 多田良のバイパス取り付きから50mほどの場所。下り車線路肩に小型のシカのような動物が倒れているのを、通りがかりの車が見つけ、市へ通報した。市職員や町猟友会(佐久間繁会長)らが駆けつけたところ、75cmのオスの成獣だった。路肩に血が流れていたことから、車に衝突して死んだものとみられている。 10cmほどの角があり、小型ながら立派な成獣だという。 死骸は市役所に処理を依頼したが、佐久間会長らは市街隣接地へのキョンの出現に驚く。農作物の花芽を好んで食べる害獣といい、猟友会員らは「こんな場所に出没するとは」と、広範囲な繁殖ぶりに警戒感を強めている。【写真説明】死んでいたオスのキョン【参考】 房日新聞 ◆ きょん ◆
2007年10月16日
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