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右肩にある黒子(ほくろ)が、肉芽のように突出してきて、少し摘んでみると、猛烈な痛みとともに、糸状の肉塊となって躯からひきちぎれる夢を見た。(了)
2007/02/28
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今日は朝から収録。俳優さんも起用しての映像撮影のディレクションに行って来たわけですが、先ほど撮影が終了し、帰宅。まぁ、何が惜しいって、ロケ弁を食べられなかったこと。幕の内弁当なんですけど、なにぶん各専門家や俳優さん達の都合がなかなか納期にマッチせず、無理矢理一カ所で何シーンも撮って来たのですが、我々制作マン組5人は、見事にロケ弁スルーです。せっかく準備していただいたのに…、って、なんか一人作業の多い私の本業には、ロケ弁がとてもまぶしく見えたのでした。(了)
2007/02/27
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先日、Gallerに行きました。ココのシューエクレアが好きで、よく食べるのですが、店頭に飾ってあった宝石箱。新作、出てますね。宝石箱、白でしたっけ? Xサイズには、ナッツチョコが32個、プレートチョコが24個、XOサイズにはナッツチョコが32個、プレートチョコにいたっては70個入り!! ホントの話、チョコ食べ終わった後も、まともに宝石箱として使えてしまうからスゴイ。流石ベルギー王室御用達だけはあります。 個人的には、レスカリエ・オランジュという、モデルが気になりました。オレンジの筒状のボックスには、極上のチョコが。あ、オレンジで思い出した。Gallerはオランジェットがまた美味いのです。(了)*問答無用。 ↓ベルギー王室御用達品Galler(ガレー)MINIジュエリーボックス(78個入)
2007/02/26
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本日はお日柄もよく。仕事もちょっとかねて、今日は、敬愛する水野竜生画伯とともに、昨年知遇を得た女流画家の個展を観に行って来ました。この方、とにかくチャーミングな女性で、知性溢れ、元気に溢れ、ユーモアに溢れ、後ろを振り返らず、人に気を遣わせることをしない、まさに大人な女性。 私は、“騎士道の道標”と呼んで敬愛しておりますが、よくよく知れば、実は大学の大先輩(失礼)でもありました。 展覧会は、やはり彼女自身を象徴するように、格式張っていなくてとても和やかで活気のある雰囲気。初日とあって、多数の方が足を運ばれていたのも、彼女のお人柄でしょう。 もちろん、この方と長い長い友人であり、このたび私と共著でご一緒した近藤裕氏も早々に駆けつけており、皆で4月の出版の話も盛り上がって、楽しいひと時となりました。こうした交流なくしては、やはり仕事にも熱意や張りや感性が萎んでしまうので、忙中閑あり、よいエネルギーをいただいた一日でした。(了)*写真は、彼女が自筆で書いて下さった伝道書の一節。額装してあります。
2007/02/26
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どうせ長続きはしない紳士です。何がって、連続ドラマ。でも、悪魔払いとか、そういうの好きなんですよ。で、つい借りてしまったのが『スーパー・ナチュラル』。海外TVドラマ。 幼少時に母を悪霊に殺された親子の物語。妻を失った父は、その後悪霊狩りを生業に。悪霊に母もろとも燃やされた家から、赤ん坊だった弟を連れ出した兄・ディーンは、父の稼業を継いで悪霊ハンターとして成長。顔、濃いです。 熊川哲也氏風のさっぱりお面相、スタンフォード大学のロースクールへの進学を控えて、まっとうで静かな生活を望む弟・サムは、ハロウィン・パーティの夜、フィアンセ(?)と幸せな時を過ごしていたのも束の間、突然兄貴が殴り込みをかけ、「親父が行方不明だ!!」。兄の協力要請にも、普通の暮らしへの階段を諦めきれない弟。しかし、父への想い断ちがたく、一回だけとの約束で、ハンター生活へ舞い戻った…はずが、ひょんな惨劇から、“夢”をあきらめ己の宿命に気付くことに。兄弟による最強コンビ結成、哀しい女の霊を成仏(?)させて、二人はそれぞれの想いを胸に、行方の知れなくなった父の後を追う!! いやぁ、結構面白かったです。まぁ、『コンスタンティン』と『ポルター・ガイスト』と『X-ファイル』を足して3で割ったようなデキなのですが、小物がいいんですよ、小物が。こう、掻き立てられる何かがありますね。中世の“死の舞踏”を思わせるエンブレムが出て来たり。 で、オチですが、早速同じDVDに入っている2話、まだ観てません。(了)SUPERNATURAL スーパーナチュラル〈ファースト・シーズン〉DVDコレクターズ・ボックス1(4枚組...*スーパー・ナチュラル、と聞くとボビー・ブラウン(というか、ニュー・エディションを思い出してしまう…) ↓【Aポイント付】ニュー・エディション New Edition / Millennium Collection (輸入盤CD)
2007/02/26
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菊池凛子氏。アカデミーにて助演女優賞ノミネートされてますが、『バベルの図書館』がアカデミー受賞ですよ、希望的には。いや、当ブログのハナシですが。 映画『バベル』のPRが始まってから、検索エンジンでの当ブログの表示が次ページに追いやられました。やっぱり、役者が違うね、と。 なんて、それは冗談として、ここ『バベルの図書館』が、勘違いでアクセス急増したりしたら、ちょっと申し訳ないような気もしますね。でも、応援しますよ。やっぱりバベルつながりですから。 一瞬、遂に時代が追いついたかと勘違いした紳士です。なんか、スポーツ新聞みたいな見出しになってしまって、心が痛むなぁ(激痛)。(了)
2007/02/26
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ウチの冷蔵庫には、東京名物ごまたまご、上から読んでもごまたまご、下から読んでもごまたまご(皆さん、ご存知ですか)・・・じゃない、ゴマタマゴがあります。ゴマフアザラシ調の顔が描かれた卵ですけど。(了)ごまたまご(9個入り)
2007/02/25
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暖冬の影響下、少々早めの花粉症の季節に皆様いかがお過ごしでしょうか。私は今年も花粉症デビューは免れたようで、その恐ろしさが実感できないでいますが、聞けば花粉症はアレルギー反応を示す花粉の種類と飛散する場所の組み合わせの可能性によっては、ほぼ一年中不快な季節を過ごさねばならないとのこと。四季の存在こそが美しい日本にあって、四季それぞれの花粉で悩むというのは、実に辛いことです。都市計画や景観、人口動態や生活形態の変遷、交通面のインフラ、その他もろもろの要素を複合的に検討することなしでの植林による“被害”といって過言でないワケですが。 英語ではhay feverというらしいのですが、海外の友人に聞いたら「知らない」と。実際、ヨーロッパなどでも、無謀な都市開発を推進した場所などでは、すでに花粉症の罹患率は年々上昇しているようです。 花粉症デビューはしなかったものの、過眠症からの誘惑は抗いがたく、相変わらず生活リズムまで百面相ならぬ百面様化している紳士であります。いただいております、コメントの数々に感謝しつつ、お返事は改めてじっくりさせていただきます。zzz…(了)*モニカ、って感じですかね。 ↓ファッション性と実用性を兼ね備えた花粉対策サングラス!!カラー:ブラウンシルバーフラッシュ
2007/02/24
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見出し:地味な語り口ながら、丁寧な事実関係の裏付け。まさに探偵の技。宮下志朗著『パリ歴史探偵術』(講談社) 時に、学術書のマイナーチェンジであるかのような、取り立てて華やぎのない文体が退屈だったりもするが、実際は、パリという都市の古今の細部を丹念に訪ねて歩き、かつそのバックボーンと現在の景観の変遷について、きわめて丁寧でシンプルな記述がなされていて好感が持てる。 また、使用されている図版のチョイスが素晴らしく、都市ガイドとしてでなく、時空を超えた都市散策を実現せしめる効果的な仕掛けが施されている。 広く浅く、でなく、狭く濃く、淡々と、しかし丁寧に一つの街を調査して行く様は、書名にふさわしく「探偵の技」と言えるだろう。(了)
2007/02/23
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古くは『肥前風土記』に「東の辺りに湯の泉ありて能く、人の病を癒す」と記された嬉野温泉は、嬉野茶の広大な畑にいだかれて、“日本三大美肌の湯”の一つとして愛されてきました。その無色透明の「重曹泉」は、角質化した皮膚をスベスベにするナトリウムを多量に含み、飲んでは胃腸や肝機能を活性化するといわれています。またこの温泉を使用した嬉野温泉最高の珍味、温泉湯豆腐は、アルカリとナトリウム成分が作用して、とろけるような食感で、今も昔も訪れる人を愉しませています。お茶の名産地という特徴を活かして嬉野茶を使った「緑泉」など、当地ならではの温泉も魅力の一つとなっています。(了)お問い合わせ:嬉野温泉観光協会案内所 TEL:0954-42-0336アクセス:電車…JR佐世保線武雄駅から嬉野温泉行きバスで30分、終点下車車…長崎自動車道嬉野ICから県道経由で約2km効 能:神経痛、慢性皮膚病、リウマチなど
2007/02/23
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富士山をはじめ、日本の原風景を代表するかのような豊かな自然に囲まれた下部温泉は、武田信玄公ゆかりの甲斐の国らしい歴史ロマンに彩られています。好敵手であった、戦上手の上杉謙信と、武士の誇りを賭けて対略し雌雄を決めんとした川中島の決戦で受けた傷を、信玄公は手勢の家臣たちとともに、この下部温泉で癒したと言われています。「信玄公のかくし湯」として愛されてきた下部温泉は、10年前に温泉療法医会から『名湯百選』にも選ばれました。 下部温泉は、源泉の温度が低いのが特徴で、加熟した温泉と、そのままの温泉とを交互に浸かるのが効果的と言われています。その療養効果は、信玄公のお墨付き。美容効果もあるこの下部温泉、その湯けむりの向こうに、湯でほてった信玄公の、赤い顔が見えてきそうです。(了)お問い合わせ:下部町役場観光案内 TEL:0556-36-0011下部温泉山梨県西八代郡下部町アクセス:電車・・・JR身延線下部温泉駅から徒歩10分車・・・中央自動車道河口湖ICから国道139・300号経由で約40km効能:打ち身、創傷、リウマチなど
2007/02/23
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これまで複数の貌を用いて、神出鬼没な活動をしてきた快筆紳士が、新たな難局に直面している。フリーランスの頃には、守る者は己一人、大胆かつ繊細に勘所を掴んで自在に動き回ってきたが、昨年秋、三十年の歴史を持つ小さな会社を買い取り、その経営に着手してから、それまでの得意の立ち回りができず、苦々しい胸の内を「一人であれば、一人なりの動き方がある。それに、自分一人を守るのは、ちょっと腹をくくれば難しいことじゃないね。すでに三十年続いて来て、一つの形や色を持っているものを、器とラベルはそのままに、中身をすっかり変えてしまおうというのは、なかなか胸躍る仕事だけど、一方では守るべき者が増え、同時に三十年貫いて来たカラーを変えることが出来ないと言うのは、いかにも面倒な話でね。神出鬼没なら独壇場なのになぁ!!」と語っている。今後の、快筆紳士の新しい横顔と動向に注目したい。(了)
2007/02/22
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黒く光沢を放ち、食欲をそそるかりんとう。ロに含めば、香ばしい風味と、濃厚な黒砂糖が口中一杯に広がります。あの素朴で懐かしい風味のかりんとう。その主原料は、黒砂糖・砂糖・水飴・小麦粉・植物油脂・イーストで、作り方としては、小麦粉に砂糖を加えて練り、棒状や小片状にして油で揚げ、黒砂糖などをまぶします。お店や地方によって味付けに個性はあります。 このかりんとうのルーツを遡れば、はるか昔、奈良時代。遣隋使によって8種類の唐菓子(からがし)と14種類の果餅(かへい。お菓子のこと)が中国より伝えられました。砂糖が高級品だった時代のこと、この菓子は京都を中心に上菓子(高級菓子)として発達しました。この唐菓子が、春日大社、上賀茂神社などの各社に伝わり、かりんとうは、そこにお供えされていた神饌菓子をルーツとしているという説があります。 やがて政治も文化も、そしてお菓子のメッカも、その中心が江戸に移った徳川幕府3代将軍家光から5代将軍綱吉の時代には、江戸庶民の味として数々のお菓子が誕生しました。その中で、高級な上菓子には白砂糖が使用されたのに対し、黒砂糖は駄菓子にのみ使用されるよう幕府から規制されました。 そこはたくましい町人文化、規制されればされるほど燃えたかどうか、とにかく黒砂糖でおいしいお菓子を作ってやろうと、現在のかりんとうのモデルが完成したのが18世紀半ば。それからおよそ150年近く後の明治8年、浅草仲見世の飯田屋がつくった「棒状の物に黒砂糖を付けた素朴で単純な甘味」が下町で大人気を博し、一気にポピュラーなお菓子になったと言われています。 かりんとうとは不思議な響き。この名前の由来には諸説あり、定説はありませんが、「食べるときの音(カリカリッ)に、砂糖の“糖”を付けたのだ」とか、安土桃山時代の頃唐人によって長崎に伝えられた、かりんとうと似たようなお薬子が、「花林の木の色」に似ていたことから引用され「花林糖」と名付けられたとの説などがあるようです。(了)
2007/02/22
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かつてお仕事を一緒にさせていただいたデザイナーさんに、ちょっとお願いをしたところ、私の名刺などにあしらうエンブレムをデザインしてくれました。一応お仕事で、と思い請求をかけて下さいと伝えたら、「出版のお祝いです」と。いやはや、ありがたいコトです。しみじみ感謝しました。彼女にはお礼の気持ちを込めてサイン本を贈呈しようと思っています。 嬉しかったので、早速プロフィール写真に貼り付けてみました。(了)
2007/02/21
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見出し:指令。エダマメで、トンボをロックオンせよ。猪口孝著『トンボとエダマメ論―何が夢をかなえるのか』(西村書店) この不思議なタイトル。簡単に言えば、トンボとは一途に追い続ける夢の象徴であり、エダマメとは、その夢を実現するために、攻めるべきニッチ(隙間)のことである。猪口氏は、本書の中で、数々の挫折や失敗を経験しながら(不思議なことに、その苦労話さえもが飄々としていて嫌みがなく、思わず心温まる)、時々タイミング良くやってくる運に支えられて、“トンボを獲るためにエダマメを極め続けてきた”ことを、軽妙に綴っている。 この本のターゲットを、私なりに分析すると、トンボたる夢を追うことにさえ惑う20代、そして、やがて第二の人生を視野に入れるべき50代、そして、これからの日本において、“ベテランの知恵の伝道者”として、むしろ一番その活躍が求められる団塊の世代である60代の方々と設定できるのではないだろうか(私見としては、現代の20代は、夢中になれることが見つからないのではなく、むしろ、多様な価値観が無責任に林立し、かえってどれにもこれにも、手当たり次第夢中になって、結果中毒的なアノミー状態に陥ってしまっているという気がしている)。 事実、この本には、特に団塊世代の幼き日々、若き日の郷愁を誘い、ふたたび青年に戻って、ニッチからトンボを追おうではないか、というエールも読み取れる。このあたりは私見にて、過去の団塊世代に関する文献の書評を併読されたい。 さて、ここからはビジネスマンにならねばならない。それも、我田に水を引くがごとき野暮でなく、スマートに。 先ほど、本書は20代、50代、60代にとって、一番心に響く本ではないかと書いた。 30代と70代が抜けているではないか!! ご明察、まさに、『トンボとエダマメ論』と猪口流人生哲学とするならば、取りあえずトンボを見つけ、生涯追い求める覚悟を決めた30代と、すでに第二の人生をスタートし、後輩たる団塊の世代に先駆けて楽しく老いることを実践している70代の二人が綴った人生哲学が存在しても良いではないか。それが、あるのである。 またまたご明察。そう、70代と30代の著者(私)が、個性をぶつけ合った共著が、いよいよ4月に上梓される。 と、少しく冗談めかして書いてはみたが、実際、この『トンボとエダマメ論』と、やがて馳せ参じる我らが『何のために生き、死ぬの??意味を探る旅』は、併せて読まれることを是非ともお薦めしたい。 はからずも、このような突発的なご縁で拝読した猪口氏の『トンボとエダマメ論』を手にし、改めて、ここは共同戦線で、セットでPRすることで、日本のかなりの年代の読者に取って、何らかの謎掛けを試みることが出来るのはないかと、我が意を得て膝を打った次第である。(了)トンボとエダマメ論
2007/02/20
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去る2月17日(土)、千代田区某所にて、国際政治学者・猪口孝先生の著作『トンボとエダマメ論』の出版パーティが開催されました。日本を代表する、世界的な学者の出版パーティですから、出席者も錚々たる顔ぶれ。奥様の猪口邦子氏はじめ、学会や政界、実業界から、実に贅沢なメンバーがお祝いに駆けつけました。 しかし、このパーティが、グリッターでスノッブなパーティにはならず、終始和やかだったのはなぜか。それは、まさに『トンボとエダマメ論』の中にご自身で書かれている通り、猪口先生ご自身の、“トンボ少年的”なお人柄のゆえ。もちろん、郷里である新潟からは、友人や知人の方も多数駆けつけ、さながら同窓会的ムードまで。あるいは、次々と、どの方が祝辞を述べても、決して眉をひそめる内容はなく、すべて温かい笑いで場内を包み込む空間となりました。 これは、やはり猪口先生ご自身が、飾らない方であると同時に、このパーティに駆けつけた方々が皆、“トンボとエダマメ的生き方”を実践されて来たからなのではないだろうか、と思った次第。 以前表参道での『坂口安吾賞』のパーティでご縁のできた、篠田昭新潟市長も急遽駆けつけ、出版に当たってのスピーチをされましたが、その中で、「雪国・新潟は“杉の木と男の子は育たない”と言われて来たが、トンボも飛んでいる、時々トキもやってくるかも知れない、自然の豊かな土地柄。子育てに困ったら、新潟に来て下さい。そうすればきっと、トンボを追いかけ続けて、夢を実現した猪口先生のような、純粋な人間に育ちます」というような主旨のお話をされました。 確かに、このパーティに馳せ参じた応援団の笑顔を目の当たりにすれば、新潟という土地柄の持つ包容力がよく分かるような気もしました。現に、新潟育ちの私の父が、まさにトンボや雑魚を追いかけ、泥だらけになって、山川を駆け回り、純粋な少年のままに、大人になった男だから、これは間違いがなさそうです。 いわば、団塊の世代の元気を痛感したパーティに、三十代の私がどう参加し、何を感覚したか。これは、改めて同書の書評と絡めて、記事をアップします。(了)追)出会いは必然ならば、これはどうしたことか、ここのところ、喪失した自己の中の西欧を埋め、再構築するために読み耽っていた鹿島茂先生と、パーティ会場でバッタリお目にかかれたのは嬉しいサプライズでした。
2007/02/19
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父が仕事でご縁をいただいた、アニマル浜口氏から、直々に頂戴した根付けを、先日受け取った。文字通り、気合い一色。心意気には自信があるが、気合いとはちょっと遠い私である。どうしたものか。 『オシャレ大好き』なるテーマにこの記事をアップするのもいかがなものかと些かの躊躇いもあったが、よくよく見ると、すでに流通しているストラップなどに比べて随分と造形技術も向上している。一番素晴らしい点は、これまでの関連製品は、浜口氏自身の「気合い」のイメージを膨らませすぎて、ややオーバーなディフォルメがされていたのが、この父からもらった根付けに関しては、非常にリアルに、本人の実像に近い形で成型されていることだ。 とまれ、父曰く、浜口氏は、テレビでのイメージとはまた違った意味で、非常に元気で快活な方、苦労もされてきた方らしく、大変素晴らしい人物だったそうだ。どうも、気脈が通じたようだ。(了) *これはヒドイ!! ↓
2007/02/19
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私の特技から語ろう。私は、夜中の通販の海外タレントの吹き替えのモノマネが得意だ。それも、ありもしない商品を勝手にぶち上げ、滔々と商品説明をしていく。ところが、これが仲間内であまりウケない。でも、個人的には自信を持って、これまで取り組んで来たつもりだ。あの、微妙なアフレコ感や、うさん臭い翻訳、そして絶妙にずれたテンポは、私のツボなのだ。 ところで、私はあまりお笑いに詳しくはない。しかし、友近氏とのユニット「ディラン&キャサリン」で、なだぎ武氏の芸を見た時に、ゲッツの次に来るのはこれだ、間違いない!!と拳を固く握りしめたのである。そう、まさに海外ドラマのアフレコ芸である。 『R-1ぐらんぷり2007』とは、なんでもピン芸人No.1を決めるコンテストだそうで、これからなだぎ武氏のブレイクには全身全霊で応援したいものである。(了)
2007/02/19
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ダニエル・ワーツ著『ハリーとぽん太』(魔法のコトバ舎) 日本通で知られる絵本作家ダニエル・ワーツ氏の近作は、母国イギリスを離れて日本の山村に越して来た一家の物語。大手企業の管理職だった父が、一転、妻の故郷である日本の片田舎の生活に理想郷を見出し、友達との別れを惜しむハリー少年を伴って家族で移住した先は、“これぞ日本の原風景”的日本家屋。 この家には、昔から間借りしている狸の親子がいた。日本語も少ししか分からないハリー少年。また、いわゆる日本的な都会生活とも隔絶された山村で、この人なつこい不思議な狸の子、ぽん太とコミュニケーションを交わし、友情を育んで行くさまを、ユーモラスに描いている。ぽん太の惜しみない友情が、次第にハリーに、世界はどこまでもつながっていることを学ぶ件は、なんとも示唆に富んでいる。(了)
2007/02/19
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ついに、クリアクリーンの新作をコンプしました。当ブログ立ち上げ当初から、“リアルに美味しい歯磨き粉”として紹介してきましたが、先日ブルーベリーを発見(ピーチは読者さんから情報あり)。いや、こうして並べてみると、実に味わい深い、いや、味わい深そうなスイーツの勢揃い。それに、顆粒タイプだけに粒ぞろいですね。(了)
2007/02/19
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見出し:緻密にして誠実な“画家”ユイスマンスの、描きたかったこと。J.‐K. ユイスマンス著、田辺 貞之助訳『彼方』(東京創元文庫) 閉じた耽美主義者デ・ゼッサントを生んだ“蘊蓄の巨人”ユイスマンスが、悪魔主義をモチーフに自然主義文学へ本格的に寄る契機となった問題作である。 いくら創作とはいえ、よくもまぁここまでドス黒く、スプラッターな描写にこだわり続けることが出来たな、とまずは賛辞と嘆息を禁じ得ない。まさに、悪魔主義の究極、猟奇の芸術家たるジル・ド・レー男爵(もちろん、聖女ジャンヌ・ダルクとの関係で有名だ)を、主人公デュルタルに活写させる件は、なんとも精密描写の強迫観念に憑かれているとしか思えぬほどのユイスマンスのこだわりを目の当たりにする。その描写力、フランドル絵画の大家の血筋を引くというユイスマンスのルーツにも頷ける。あの、荘厳とは違う、どこか異教的にして酷薄な北方の絵画!! 『さかしま』でもそうであるが、『彼方』までのユイスマンスの作風は、どうも、メリハリの妙がポイントだ。つまり、主人公そのものの造形や作中での行動は、案外淡々としていて、むしろ味気ないほどだが、それが一つ各論に落ちて、重箱の隅の米粒を語る段になると、俄然、なんとも生々しく、かつ神経質なまでに細密な筆が冴え渡る。 ウンベルト・エーコーの『フーコーの振り子』と読み比べると面白いだろう。分岐点は、“黒ミサ”である。このカーニヴァルを境に、ダン・ブラウンよりは高尚にして計算高いエンタテイメント文学的クライマックスへと向かうのが、“1988年の気分”であり、一点、神学的議論を、味気ない登場人物が淡々と語る(つまり、この分岐点でユイスマンスが本書で書きたかったディティールは終わっていたのだ)エンディングへと向かうのが“1891年の気分”だったのかも知れない。 同時代、デカダンス文学のイギリスの雄だったオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』では、ドリアン・グレイを触媒に、ヘンリ・ウォットン卿×バジル・ホールワード画伯の、一方『彼方』では、魔王(もしくはジル・ド・レー男爵)を触媒に、主人公デュルタル×デ・ゼルミーの間に、インテリ的同性愛嗜好が垣間見えるというのは、深読みに過ぎるだろうか。(了)彼方
2007/02/18
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■「だが、いったい、その本はいつごろできあがるのか、やっぱり分からないのかい」「分からないね」「(略)・・・しかしいつまでも出来上がらない方がいいと思うよ。これを仕上げてしまったら、ぼくはどうなるんだ。(中略)まったく、考えてみると、文学にはただひとつの存在理由しかない。それは文学にたずさわるものを生活の嫌悪から救うことだ」(中略)「新時代の人間はもはや賭博的な遊戯と競馬以外には興味を感じなくなった」「(略)・・・決して本を読まん。」(ユイスマンス『彼方』p296、297より)
2007/02/18
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昨年に続いて、今年もまた、祖父母の愛が育てた胡蝶蘭が花開いた。 今年は関東は天候不順、室内で育てるとは言え、もともと繊細で育てるのが難しい花。年始に遊びに行った時には、「少しずつ芽がついているよ」と祖父も話していたが、少々芽の付き方が寂しかった。 もとはと言えば、私が戴いてきた胡蝶蘭を、きちんと管理できずに枯死寸前の状態で祖父母に持ち込み、代理で育ててもらったのがきっかけ。かれこれ、3シーズン目を迎え、毎年毎年、花が付く頃には祖父母から報告が来る。言わば、季節の訪れの便りのようなものだ。 年始から二ヶ月、先日送られて来た携帯メールには、花ぶりも大柄で優雅な胡蝶蘭が、春の近い日差しを浴びて、実に清廉に咲き誇っている様が写っていた。 花の命は短いというが、愛情があれば何度も咲き返す。今年の見頃を逸する前に、祖父母を訪ねてその並々ならぬ情愛に感謝をしたい。(了)
2007/02/16
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仕事が忙しい。そんな話が続いている。今日は今日で、別の仕事が忙しかった。まぁ、言わば悪魔祓い稼業というヤツだが、ビルの一室に棲みついた吸血魔の退治の仕事だ。そこは一応オフィスなので、作業は午後8時半からスタートした。 見れば、吸血魔はすでに、多量の霊魂と血を吸って、躯中真っ赤に充血している。この吸血魔には下半身がない。ナメクジのように這い回りながら、獲物を見つけるとやにわに飛びかかってくるタイプだ。 私は早速用意した、赤いボウガン式の退魔銃を構え、ターゲットに向かって数発発射する。ピロピロと玩具のような音がし、電光ギミックも子供っぽい。 吸血魔もさるもの、私の攻撃にうろたえながらも、ジリジリとヤツの間合いを作ってくる。そのまま後ずさりに、さっき入って来た背後のドアから廊下に出ると、退魔銃を乱射しながら、ホールに向かって廊下を走る。狭いところでは予測不能な動きをする相手は厄介だ。 自分は広いエレベーターホールを背にして身を置き、狭い廊下の向うに吸血魔を足止めし、集中的に攻撃を浴びせる作戦だ。 しかし、思った以上に吸血魔の動きは速い。ホールに抜ける前に、飛びかかってきやがった!!視界が赤くなる…。もはやここまで、最後の切り札、吸血魔に向かってゆっくり十字を切って「父と子と精霊の名において」と三本指をかざすも、もはや手遅れ!!やられた…。一時退散だ…。(フェードアウト) ガバッと起きる。夢か…。疲れていたのかなぁ。食後にうっかり横になったら、そんな夢を見ました。鼻孔の奥が乾燥してヒリヒリ。悪魔祓いもラクじゃあないです。(了)とがごちゃ混ぜのような夢でした。あ、ちなみに『ブレイド』のスティーヴン・ドーフは最高にクールだったのになぁ。
2007/02/16
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見出し:機密情報をマークせよ!! 寺内正樹著『P(プライバシー)マークを取ろう!』エクスメディア 「プライバシーマーク制度 とは、 (財)日本情報処理開発協会(JIPDEC) が 1998 年より行っている「個人情報保護に関する事業者認定制度」であり、“プライバシーマーク”とはその旨を示すロゴマーク。認定にあたっては JIS Q 15001 に基づいた審査を行い、該当する事業者の事業活動に対して「プライバシーマーク」の使用を認めている。 対象となる個人情報は、 オンライン/オフラインなどの入手経路を問わず、顧客情報のみに限らず、社員情報や 採用情報 など、自社で保有するすべての 個人情報 について適用される。」(ネット情報より引用抜粋、一部リライト) だそうである。もちろん、私のような仕事をしていれば、このような制度からのプレッシャーは日々感じているのである。 先の個人情報保護法も含めて、プライバシーに関する議論、および制度の施行は、特定の周期をおいて、必ず湧出してくるものである。したがって、Pマークも歴史的な法則を鑑みれば、高度に発達したIT社会という背景を待たずして、いずれは社会に登場した「手形」の類であったであろう。 しかしながら、こうした「手形」の類が現れるたびに、ふと思うのは、この「手形」を境に、「持っている人」と「持っていない人」の線引きが明確にはなるが、そのどちらの側の資格の質を判断する基準とはなっても、必ずしも実情を引き出すツールとはなり得ないのではないか、ということだ。 資格取得、認可の条件は充たしていても、それが合目的化・形骸化しているケースもあるだろう。あるいは、こうした合理主義的な制度の存在が、人間の営む社会活動から体温を奪いかねない、という懸念も拭いがたい。 事業所(企業)にとって、顧客からの信頼は重要なものだ。しかし、それが全てではない。社会という大きな環(わ)の中で、相互にコミットしあって循環する有機的サイクルも大切な宝である。 あるいは、現代社会に立ち返って考えてみれば、様々な経路を通じて、場合によっては意図的にさえ漏洩されていく“機密情報”は、手繰っていけばどこかで繋がっているとすれば、果たして、この無限に拡散するプライバシーに手綱をつけることなく、精度のみが一人歩きするのはいかがなものだろうか、とも考える。そこまでフォローしない制度が、いかにも重商主義的で、功利的な印象を与えて、どうにも野暮ったい。 人は許可証のみにて生きるに非ず。信頼は、一枚の紙やカードにすべて包含されるに非ず。無形の信頼こそ、人間が持ちうる最高に洗練された知性と思いたい。願わくは、「手形」という境界線が狡知によって悪用されぬことを。(了)P(プライバシー)マークを取ろう!
2007/02/16
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はい、次。って、夜中の通販コマーシャルみたいになってますね。なんか眠れないのです。ボヤキは置きざりにして、先に進みます。 仕事場の机だって、少しはアソビを取り入れたい。それも、なんでソレなの?的なアソビ。ヘンテコなペンとか、トリッキーなマウスとか、そういうのじゃなくて、シンプルだけど、素っ頓狂なアイテム。で、コレ。テープカッター。 『One Man Try』なるネーミングがなんとも孤独でストイックな感じですが、それがまたいじらしかったりして。明日からバンバン、テープ、カットしますよ。って、何貼るんだっけ?(了)Propaganda - One Man Try (ブラック)
2007/02/13
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これまた知人の転居祝いで贈ったアイテム。スウィーツ、というか、フルーツ…でもないか。ともあれ、何かとオシャレでモノトーン系におさまりがちな最近の住宅事情ですが、やっぱり明るい色、それも黄色を取り入れないと、風水上は良くないんだとか(風水に詳しい訳ではないのですが)。 でも、黄色いものは、唐突に部屋にあると目立つ!!しかも、目が疲れる!!ということで、さりげなくインテリアの邪魔にならずに取り入れられる、家運上昇アイテムとして、ドアストッパー、贈りました。でも、これで滑ったらラッキーアイテムじゃなくなってしまう。。。しかし、滑るはずのバナナの皮でストッパーとは、なんともニクいですね。(了)完熟バナナ ドアストッパー
2007/02/13
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もうね、メディアやオシャレ系雑貨店で露出している以上に、本当にオススメですよ。だから、これで三個目。もちろん、これは知人の転居祝いの贈り物なんですが、便利ですよ。 時々、一つ一つの箱が小さいなんて意見も耳にしますが、これ以上大きかったら、捨てるのも置くのも厄介でしょう。もともと面倒なゴミの分別も、先にやっておけば後がラク、というのも個人的にはツボですね。しかし、一人で三個も買った人、他にいるでしょうかね。(了)【送料無料!】 アントレックス b.c.l スリーサイクル トラッシュカン ブラック×ブラック
2007/02/13
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■「なんという浅ましさだ!(中略)いや、まったくだ。この人間の心に根をはった青い小花や浜麦は、とうてい刈りつくせるものではない。」(ユイスマンス『彼方』p203より)
2007/02/13
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最近ちょっとヘバってますね。多重な自己を意図的に生きる、と言いつつ、最少時で5人、最大時で7人の「私」を生きるということは、なかなかに曲芸的。今にして思えば、二足のわらじの頃はまだ良かったなぁ、と。 7人の私を生きる、と言っても、24時間×7人=168時間分頑張らなくてはならないワケでもないのですが、同じ24時間で「生き分ける」というのもスリリングなことです。 一日の中で複数の私を生きた場合、結局どの私を一番長く使うのか、どの私が一番疲れやすいか、どの私が一番作業効率がいいか・・・などぞれぞれの属性を考えながら、スイッチを切り替えて行く毎日。ついには、どれが本当の自分なのか分からなくなるほどです。せめて、睡眠時だけは、素の私であって欲しいと願っているのですが。 私は、この職業病を、レインボーマン・シンドロームと名付けたいのですが、年齢、バレますよね。(了)*こんな格好はしてませんけど。 ↓東宝 愛の戦士レインボーマン キャッツアイ作戦編
2007/02/13
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以前も記事で採り上げましたが、とうとうポスターがお目見えしましたね。実写版、しかもWaTのウエンツ氏主演のゲゲゲの鬼太郎。大泉洋氏がねずみ男役、と聞いた時には「うん、なるほど」と思いましたが、ウエンツ氏が鬼太郎と知った時には正直イメージが湧きませんでした。というより、鬼太郎にふさわしいキャスティングなんて、そもそも思い浮かばない。 ところが、です。ポスターを見た限り、妖しい銀髪のウエンツ鬼太郎、イイじゃないですか。あくまで私の解釈ですが、鬼太郎、というのは、この世と物の怪の世界=異世界の中間にいる人物。そして、この世の側から、物の怪の世界=異世界を同道する水先案内人の象徴なのではないか、と考えるのです。 こういう象徴は、洋の東西を問わず、悪魔主義や神秘主義において、西欧世界にもさまざまな人物が、長い歴史の中で、鬼太郎的な役割を果たし、ある者は神格化され、ある者は処刑されました。 とまれ、物の怪の世界=異世界をもう少し一般的に解釈し直してみますと、これは異文化、つまり自分の知らない世界のことなんですね。その世界が善か悪かは別として、人は未知のものに恐怖(あるいは畏怖)を感じる動物です。 日本人であって日本人でない。こう言えば語弊のあることは承知ですが、他意なく、あえてこの言葉を使えば、ウエンツ氏こそ、異なる未知の世界にまたがる水先案内人であり、まさに鬼太郎にふさわしいキャストだと考えた次第。私自身がこの世と異世界の中間にいて、ウエンツ氏の中間的役割、水先案内人的役割を肌身で知っているからこそ、そうした文脈で、彼の演技を応援したいですね。(了)【西遊記限定】ゲゲゲの鬼太郎根付ストラップ(目玉のおやじ・三蔵法師)
2007/02/12
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弟を、血のつながった“刎頸の友”とするならば、血はつながらないが兄弟と呼べる“莫逆の悪友”がいる。その男から、ある日、季節の挨拶がわりに送られた一枚のCD。秋山羊子、『指一本で倒されるだろう』。添えられた手紙には、「きっとお前も、この人に癒されることがあるでしょう」と書いてあった。 彼とは、全く正反対の性格。大学時代は、あまり友達付き合いに熱心でなかった私。大学では“付き合い”に勤しんでいた友人。嫌が応にも独りを選ぶ私。群衆に飛び込む彼。で、互いの選んだその瞬間を持ち寄って語り合う。「そっちの世界はどうだった?」 互いに反面教師であり、互いに、自分が持たない相手の持ち味に嫉妬し合うような、だからこそ長続きする友情というか。いつも話すのは、「不思議だが、普通だったら絶対に友達になりたくないヤツだ」「その言葉、そっくりお返ししよう」。といいつつ、一番さらけ出し合える友であり、私の個性を尊重してくれる男(この男の話は、今度の著作にも出てくるが)である。私も、この一つだけ年上のうっかり男のことは、心配しながらいつも気にかけているわけだが。 一寸疲れているのだろう。せっかくもらったCDもろくに聴けない日々が続いた。ふと、ケースを開いて耳を傾けた。確かに、指一本で倒されてしまった。唸るでもなく、叫ぶでもなく、押し付けるでもなく。どちらかと言えば、淡々とした歌声。だが、その一聴か弱いほどにシンプル過ぎる声が、いつしか、私の頭の四方から、ジワジワと押し寄せては引いて行くような、何とも言えない重量感-ふわりとした重厚感!!-で包んでくる。 癒される、と友は書いた。しかし、そんな一言では片付けたくない、あたかも戦の終わりに、鎧を脱いでも良いのだと許しを告げられればかくあろうか、と想像せずにいられない開放感を感じた。 まだまだ秋山ワールドに無知な私であるが、今、この瞬間では、コマーシャリズムやチャート・アクションなどとは無縁で、しばらく浸っていたい、開放の歌声だ。(了)
2007/02/11
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たまたまネットサーフィンしていましたら、『メンタルヘルスの話題いろいろ』という情報収集サイトに、私の記事が掲載されていました。いやはや、こんなひょんなところで自分の記事に出会うとは、やはり電脳正解とは摩訶不思議な迷宮です。(了)■『メンタルヘルスの話題いろいろ』
2007/02/10
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東京日本橋は人形町。私の駆け出し時代に大変にお世話になり、また風流世界の師匠でもある方から、著作出版決定と代表就任のお祝いに、『元淳』さんでご馳走になりました。この方、日本の博覧会史において、キーパーソンとも呼べる大御所で、かつてお仕事をご一緒させていただいた折に、それまで音楽や美術一辺倒だった私に、文字通り、広いランドスケープを与えてくださった恩人なのです。 久しぶりの再会に話も弾み、久しぶりにウイスキー、ストレート、ロック(当時の私はそういう飲み方でした)で良い気分に。『元淳』さんで腕を振るうのは、元力士。気さくな雰囲気でも、食材には徹底的にこだわっていますから、そのちゃんこ鍋の美味しいこと。やっぱり、ちゃんこは味噌ですよ、味噌。さいごはうどんで締めました。 ちゃんこ鍋はあまり食べたことがなかった私ですが、『元淳』さんで開眼しました。(了)●ふぐ料理と本格ちゃんこ鍋 『元淳』〒103-0013 東京都中央区日本橋人形町3-11-8 中三ビル1FTEL:03-3667-1147FAX:03-3667-1147定休日:日・祝営業時間:17:00~22:30(L.O.21:30)
2007/02/09
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見出し:十人十色。バラエティ豊かな県民性は日本の魅力。岩中祥史著『出身県でわかる人の性格?県民性の研究』(草思社) 日本という国の素晴らしさを説明するとき、その魅力には様々な要素が挙げられるだろう。自然を愛し、自然を敬ってきた日本人。それは、花鳥風月を引き立てる四季の変化があるからであろう。あるいは、日本の魅力を、日本語、方言、建築、絵画、伝統芸能などなど文化の面から語る人もいるだろう。さらには、「どこに行っても美味しいお酒が飲める」と、地酒にスポットを当てて、日本の素晴らしさを説明する人も。 本書は、特徴的でバラエティに富む、日本各県の人々の県民性から、日本の魅力を解き明かしたエッセイである。この本、“研究”とは謳いながらも、特別に難しいことはなく、随筆風の読み物。当たっている、当たっていないは別として、その分析はコミカルだったり辛口だったり、と話題の種になるそうだ。軽妙なタッチの行間に見え隠れする著者の鋭い観察力にも目を配っておきたい。(了)出身県でわかる人の性格
2007/02/08
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見出し:時代を刺激した或る放浪学者の再発見。ジョルダーノ・ブルーノ著、加藤 守通訳『原因・原理・一者について』(東信堂 ) その有り余る才能の故に、結局ある種根無し草的に多岐な分野の研究へと“逃げ続けた”中世の放浪学者。コンプレックスをバネにしたセルフ・プロデュースの達人にして、その煥発な才気によってそこかしこでもめ事を巻き起こしたトラブルメーカー。あるいは、ローマ教会を敵に回し、思想の自由のために、その著書は禁書とされ、花の広場で火あぶりにされた殉教者なのか。 ジョルダーノ・ブルーノを、奇才と呼ぶか、落ち着きのない男と呼ぶか、その評価は400年の時を待たねばならなかったわけだが、ただでさえ少ないジョルダーノ・ブルーノ関連書籍の中でも、最も重要なブルーノの著作である、本書が邦訳で読めるのは大変貴重なことだ。 異端審問吹き荒れる時代、生きて“学の巨人”となるには、ブルーノの才能はあまりに奇異で、かつ壮大に過ぎた。そして、あまりに反抗的で、感情的に過ぎたかもしれない。 普遍は、変化を恐れ、変化は刺激によって孵化する生き物である。ブルーノは、まさに刺激そのものであった。神学を起点にしながらも、神秘主義的な源流を持つかに見られた汎神論という、曲芸並みの思考実験をこなし、記憶術など、突飛な研究に没頭し、最後は宇宙論にまで着手。四元素説に依ったものとは言え、当時としては文字通り破門級に衝撃的な彼の宇宙論は、のちの天文学に大きな可能性を拓いた点で見逃すことが出来ない。 かつて師に「ブルーノにはなるな」と教わった。果たして、今の私は、この天界図のいかなる座標に在るのであろう。(了)ジョルダーノ・ブルーノ著作集(3)
2007/02/08
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見出し:道具は、使う者の品性が、その善し悪しを決めるもの。『Google Earthで世界探険しよう!―自分の家がこんなに見える!「グーグルアース」で地球をズームアップ!』(学研) グーグル・アースは楽しい。日本版ではまだまだサービスが完全に満喫できる状態ではないが、ある種、衛視絵写真と言えば無機質だが、物理的な制限を飛び越えて世界を、あるいは宇宙を旅するツールと思えば、なかなかにロマンティックである。 しかしながら、一方で、その使い方については、様々な疑問符が飛び出しているのも事実である。たったわずかな時間で、地球上の、それも犯意や悪意の対象になりやすい場所については、優先的に詳細な情報が、あたかも戦国時代の布陣図のごとく、表示されるからである。アノ衝撃的な事件以来、テロリズムという、一つの“憎悪の沸点”を警戒すれば、その懸念も理解に難くない。 しかし、である。もともと、テクノロジーは、人類の夢と身体の物理的不可能性を補うためにこそ進歩が志向されて来たのであり(残念ながら、多くは悪用されることが多いとしても)、要は、技術や道具、手法などと言うものは、それがどのように使われようと作り手の与り知らぬことで、結局使い手がどう使うかによって、その善し悪しが決まるもではなかったか。 グーグル・アース本は数々出ているが、牧歌的な意味において、純粋にこの道具を、善い意味で楽しむなら、この一冊は実に良いさじ加減となっている。(了)Google Earthで世界探検しよう!
2007/02/07
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根元恵著『カブで、こんなに儲かった!!ー一株から豪邸を建てる本ー』(アグリプレス) 東京でOL生活をしていた著者が、ひょんなきっかけで山形の実家で農業を継ぐ羽目に。慣れない田舎暮らし。しかし著者は、一つのカブに閃きを得て、やがて名産のカブの奥深さに目覚め、カブのスペシャリストを目指すようになる。 カブ作りに自身の歴史や農産業への想いをかぶせた、自伝的内容ではあるが、カブだけで郷里に御殿を建てるまでの道のりは、実に壮大にしてスリリングである。著者自身の「これからは、カブよ」。その一言には我々が考える以上の豊かさの指針が含まれているような気がしてならない。(了)
2007/02/07
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とにかくコードが絡むのがイヤでイヤで。で、購入したのがMIB iPod用ケーブル巻取式イヤフォン。巻き付け用の部品をつけるタイプと違って、これは商品自体がバネによる巻き取り式だからとても便利。巻きつけ用の部品を使うのもいいですけど、あれも結局自分で巻きつけるわけだし、結構かさばるしなぁ。 音質にものすごくこだわるのでなければ、現状買いだと思います。ホント、楽ですよ。ただ!!商品名が…。『ケーブル巻取式 iPod用イヤフォン「2人で聞けるPODでせかちゅう」』。どうなんだろう。ま、確かにこの製品の特徴として、二つのイヤホンで聴けるようなアダプタ同梱されてますけど。ネーミングはちとイマイチかなぁ。(了)
2007/02/06
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またやられましたね、ヴァンサン・ドレルム。しかも、前作(二枚目)から、今作は一気にメジャー感が・・・。やっぱフランスのアルバム・チャートで1位取ったそうですから、波が来てますね。前作についての記事でも書きましたが、このヒトの面白さは、ちょっと時代錯誤的なノスタルジックなノラクラ・フレンチの佇まい。カフェ、埃、猥雑さの中での飄々。 しかし最新作は、ちょっとだけナウくなってます。つまり、最先端じゃない、新しさ。やや時代に追いつきつつある感じ。でも、その半端なバンド感(もちろん、計算の上での、でしょうけれど)が、あの独特のこもったモゴモゴ声に結構マッチし、これはこれでクセになりそう。 ライナー読んでたら、デビュー作でいきなりヴィクトワール賞の最優秀アルバム賞を受賞・・・ということもさることながら、フィリップ・ドレルム(作家)の息子さんなんですね。親子でアート、いいですね。でも、30歳には見えないけど。。。(了) 蜘蛛の刺し傷 / ヴァンサン・ドレルム*こちらはお父さん。 ↓ビールの最初の一口とその他のささやかな楽しみ
2007/02/05
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見出し:いまに生きる歳時記に、季節の喪失を想う。鹿島茂著『フランス歳時記-生活風景12か月』(中公新書) 歳時記というものは、季節感のなくなったここ日本では、あまり馴染みのないものかもしれない。確かにいま、俳句を一句ひねってみようと思うと、自然歳時記を手にせざるを得ないが、そのページを繰るたびに、いかに現代の我々の生活が歳時というものとかけ離れてしまっているかを思い知らされ、少しく孤独を感じる。 さて、本書は著者お得意の軽妙な文体で、フランスの歳時記をまとめたものだ。歳時記と言っても、“第一次産業全盛時代の羅針盤”のようなものではなく、現代の生活に即したフックを使って、“いまのくらし”に根付く歳時を採り上げていて実に楽しい。とはいえ、やはりフランスは今でも農業の国なのだな、と歳時記を通じてこそ、改めて認識させられるだろう。 また、ここまで柔らかい歳時記としては珍しく、カトリック圏の歳時記を正しく、深く知るに欠かせない聖人(の祝日)の紹介が横糸に盛り込まれていて、他の鹿島氏の著書とはまた違った切り口が垣間みられる。 「その月の有名人」の紹介については、やや蛇足の感もあるが、ジャン・コクトーについての私の分析が、“ミシマでなくカシマ”と一にしていたのはなんとも愉快で、膝を打った。(了)フランス歳時記
2007/02/04
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続々と、新しいモデルのお披露目、始まりましたね。携帯電話。たまたま昨年末、素見し(あ、番宣してる?)もかねて機種変更の下見にショップに行ったら、品切れが続出しているのを見て、あぁ、もう“つなぎのモデル”は売り切れ/生産中止だから、新しいのが出るぞ、と思っていたら、マイナーチェンジを中心としながら、新しいサービスを根付かせるための過渡的モデル、ガンガン登場です。あ、auの話ですが。 で、やっぱり出るのがデザインについての悩み。ま、携帯電話にどれだけデザインが必要なんだ?と本質的な問いをされれば、「?」とならずにはいられないのですが、やっぱり持つなら素敵なデザインの携帯電話がいい。 で、新作ラインナップ。やっぱりなぁ、という思い。日本の携帯電話、アニメ的なんですよね。なんとなく。アニメに出てくる未来の通信機器とか、なんか今にも変型合体しそうな超合金的なイメージがしてしまう。実用品としては、ちょっとキッチュで幼い感じがするんです。 じゃ、ヨーロッパモデルがいいかと言えば、それはそうとも決めつけられませんけど、そもそも東洋と西洋の美的感覚は大きく違います。もし西洋を意識したモデルをデザインしても、やっぱり解釈ですから。この美意識の違い、プロダクトデザイン、工業デザインでは一番顕著なんじゃないかなぁ。 自動車などがいい例。よほど好きな人じゃなければ、あえて二十年前の国産車には乗れないです。ヘンにチープで。ところが、海外の場合、プロダクトデザインは実に綿密にして堅実。派手な分野に見えて、実は基本はすごく地味。だからこそ、自動車一つとっても何年経っても飽きがこないし、仕様変更もすごく少ないですよね。逆に、ちょっとラインが変わっただけで大ニュースになるくらいだし。もっと掘り下げると、ここ2、30年の日本って、「変わること」については質も問わずにおぉ!!と拍手喝采しますが、海外は、変わらないことの方が「おぉ」の対象であることも多いような。 話、戻しましょう。プロダクトデザイン=機能美なんです、やっぱり(ここに、アール・ヌーヴォの文脈を絡めると、やや乖離が生じるにしても)。使われて来た道具自体や機能自体が持っている“行為の歴史が磨き上げた美しさ”があるのではないかと。 これを、日本で考えれば、大工道具だったり、お茶器だったりするのですが、唐突に、今使われている日本のプロダクトに、いきなり海外の機能美を持たせるのは無理でしょう。これじゃ明治新政府の無茶と同じ。やっぱり、長い目で見たらどこかで失敗してしまう。 コピーを書く仕事もするからでしょうか、今の日本のプロダクトデザインといえば、クール=無機質、使いやすい=生活感、デザイン指向=のっぺらぼう、とこの程度しかないでしょう。まずいです、文化としては。 日本のプロダクトデザインに、今なにが必要か。目先のイメージやマーケットの要請に完全におもねるのではなく、スタンダードと呼べる様式美をじっくり確立すること(その意味で韓国は、プロダクトデザインについては悪い意味で日本を真似してしまっていますね。そのほかは欧米式をうまく取り入れてるのに)。といって、スタンダードを作ることほど大変な作業はないのですけれど。(了)
2007/02/04
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オリヴェッティのタイプライター、購入。 Olivetti LETTERA 35というモデルで、先の使用者が購入した時代がすでに30年前。あ、なんだ私と結構歳近いかも、コヤツ。動作確認もされ、使用にも問題なく、オーバーホールクリーニング済み。インクリボンは今でも入手可能なようで、巨大なキャリーボックス(なんじか、軍事機密とか入ってそうな風体だなぁ)を開ければすぐにでも印字可能…って、もちろんタイプライターは憧れのアイテムですし、伊達で買ったつもりはないのですが、これ、実は撮影用小物として購入したもの。撮影が終われば、自分で使えますけど、それまではお預けです。 今や基本的にはほとんどの原稿をPCで執筆する野暮な物書きですが、一日で生じる手書きのメモも同じくらい大量。というわけで、いつかどこかで、今度は永年愛用のペンなどについて、あるいはその遍歴について記事を書いてみようかなんて思っています。(了)
2007/02/03
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知ってる人は知っている、知らない人は探している。カオマル。これ、イイですよぉ。実は、もともと医療目的(握力のリハビリテーションなのか、ストレス解消なのか判りませんが)で作られたとか。昨年国際医療機器展に足を運びましたが、そこでカオマルと再会(そう、そのまえにコレド日本橋で見ていたからです)。メーカーさんと話をしたら、まだ流通が確定しておらず、一部店舗にしか置いてない、なんて仰ってましたが、しっかり出回ってるじゃないですか。イイ意味で、ですが。 やっぱりイイよなぁ、カオマル。笑顔が美しいですね。ニッカーっ、って。眺めて良し、握って良し、ひしゃげて良し。ちょっと我が家のGod Fatherに似た愛嬌もありますし。これはお薦めですが、いくつか表情があったとは最近知りました。(了)カオマル ニッ!*怒っちゃダメでしょ、怒っちゃ。 ↓カオマル プー!
2007/02/03
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今日もちょっとだけ本のPRを。でも、ただPRしても失礼なので、時々その違った角度から紹介して行きます。 今回は、私のパートについて。前回は、共著相手の方の魅力(相方なんて呼べる方じゃないですけど)を「自身が、メッセージ伝達において一番エネルギーと魅力を発する語りかけるような調子で、生きることの意味を包容力豊かに諭す」と紹介しましたが、一方私のパートで注目いただきたいのは、旅、スピリチュアリティ、心の故郷“沖縄”への感謝、心の問題からIT社会の未来、絵画から音楽まで、ともすれば散漫になりがちなテーマを、「え?」と思うようなフックから、整合性を持たせて綴っている、まさに文章におけるアルテそのものの部分。工芸的というか、古い意味でのアーティスティックな技巧に注目いただきたいです。私は、作家やジャーナリストとも違いますし、他のライターや文筆家さんとも、またちょっと違う方向性と言いますか、文章に対する距離感や温度、最終的な理想を持っています(皆さんもそうでしょう。そうだから我々もの書き諸氏は生き残れるのです)ので、その私らしさを感じ取っていただければ、これ以上嬉しいことはないですね。(了)
2007/02/03
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国家以前に、人間の品性の問題だ。大臣氏については、人間として疑問、でももちろんある。しかしそれ以前に、ムシが好かねぇ。口癖の「野暮だな、この男」がまずついて出た。 中世イギリスの政治学者トマス・ホッブスは、『リヴァイアサン』において、国家そのものを人間というパーツの集合体とみなして政治のあり方を考えたわけだが、すでにして当時から、西洋的価値観というものは、所謂機械論なのだ。いや、解剖図で有名なヴェサリウス以来かな。 実際、人気者のレオナルド・ダ・ヴィンチ大先生なら、もしかしたら、まさに大臣氏と同じ発言をしていたかもしれない。人文主義の気風にあって、きわめて理系的なモノの見方をしたのが、まさにレオナルド先生なのだから(大臣氏を、理系出身だから・・・と擁護するのは世の理系出身に対して失礼な話だ)。 まぁ、その大臣氏のおられる官僚主義、というフィールドはまさに、いかに効率のいい機械的組織を作るかにすべてがかかってるわけで。 ただ、ベーコン以来の科学万能主義というのは、長いスパンで考えると、この人間機械論のおかげで、我々はメガネをかけられるし、車を運転できるし、パソコンがあって、IT社会があるのである。なぜなら、人間が失った、あるいはもともと生得的に持っていない技術や能力、機能を補おう、という“身体性の拡張”は、機械論なくしては発展しなかったであろうからだ。 とはいえ、である。こうした人間としての品格を、図らずも犠牲にしてまで大臣氏がこぼしてしまった発言には、もっと別の議論が出てきても良かったかな、という感触はある。 結局、男だって大臣氏に言わせれば、「子供を生む機械に仕える、小さな小さな道具」をつけた機械でしかないわけで。このままの反発や異議では、せっかくの“うっかり発言”が勿体ない。 近代主義や科学(と技術)万能主義、人間機械論から本質的に脱却するには、21世紀の世界は、すでに新しい目標を立てていなければ手遅れでしょう。そう、「ITとの共存」とかそういった格好だけのキャッチコピーじゃなくて。 結局、人間本来のポジション、つまり有機体への回帰、という発想が、口先だけでなく本質的に志向されていなければ、明らかに的外れ。軌道修正不可能。 今医の問題が問われている。切ったり貼ったり、コピペの連続。人間が機械ならいいけれど、もう時代遅れでしょう。 個人攻撃はそろそろこの辺にして(大臣氏も反省しているかも・・・・知れないし、一番いけないのは、この発言が政治的に利用されることでしょう)、医の世界のみならず、すべてにおいて、西洋的価値観を少しトーンダウンして、東西のそれぞれが、宿命的に持っている持ち味を活かしあわなければ。東洋的な女性原理の味付けを盛り込んだ、統合的な発想、もっともっと議論されて欲しいなぁ。と思う。(了)リヴァイアサン(1)改訳
2007/02/02
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見出し:日本に於けるスロー・ライフの伝道師の痛快な“ゆっくり本”辻信一著『スロー・イズ・ビューティフル』(平凡社) 毎日がハイスピードで過ぎていく現代。情報に、流行に、そして時には電車に乗り遅れることも…。「速いことは良いことだ」。そんな世の流れに疑問を投げかける一冊、それが私の恩師の一人であり、若き日のアイドルでもある辻信一氏による『スロー・イズ・ビューティフル-遅さとしての文化』である。元来ネガティブなイメージで語られてきた「遅いこと=Slow」という言葉の意味を肯定的に捉え直し、加速し続ける“スピード化社会”が生み出してきた問題を吟味し、その回答として「ゆっくり生きてみよう」とさりげなく提案する。様々な切り口から「スローであることの美しさ」を照射し、ゆったりとした思考にいざなう本書は、ユニークかつ精力的な団体である“ナマケモノ倶楽部”の世話人としての、行動と実践が伴う辻氏らしい一冊だ。(了)スロー・イズ・ビューティフル*あわせて、こちらもお薦めしたい。氏に誘われて出席した大使館のレセプションで観た、カナダのハイダ族(先住民)、最高のカーヴァーであったグジャウ氏(故人)のことを憶い出して、思わず胸が熱くなる。 ↓ハチドリのひとしずく
2007/02/02
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湯村温泉は、およそ1150年前に、天台座主第3世慈覚大師によって開発された由緒正しい温泉です。以来、泉量、泉質も衰えることなく、熱泉はこんこんと湧きつづけているそうです。温泉は無味無臭。飲めば消化器や便秘、肥満に効き、浸かっては肌によい美人の湯。春来川を中心にひしめきあう温泉街は散策も楽しめ、随所に点在する浴場は効能も様々。中でも荒湯と呼ばれる、重曹を含む98度の熱泉は、料理にも利用され、その場で卵をゆでる旅行者の姿も。1日かけてゆっくり歩き、浸かってまわりたい温泉街です。(了)お問い合わせ:温泉町観光協会TEL:0796-92-2000温村温泉 兵庫県美方郡温泉町湯アクセス:電車・・・JR山陰本線浜坂駅から湯村温泉行きバスで25分、終点下車車・・・播但連絡道路和田山ICから国道312・9号経由で約60km効 能:神経痛、消化器疾患、筋肉痛
2007/02/01
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およそ1300年前のこと。高僧行基が霊峰白山に修行に向かう途中、水たまりで羽の傷を癒す一羽のカラスに出会いました。その水たまりが今の山代温泉と伝えられています。以来、「烏の湯」と呼ばれて親しまれた山代温泉では、あの明智光秀も刀傷の湯治に訪れたとか。また風流人では、与謝野晶子や泉鏡花、北大路魯山人らも、山代温泉を愛してやまなかったそうです。 歴史、風情、情緒にあふれた山代温泉では、飲泉も可能で、その泉質は万国衛生博覧会で「金賞」を受賞したほど。ロマンあふれる山代温泉で、羽を休めてみませんか。(了)お問い合わせ:山代温泉旅館協同組合TEL:0761-77-1144山代温泉石川県加賀市山代温泉アクセス:電車・・・JR北陸本線加賀温泉駅から山代温泉・山中温泉行きバスで10分、山代温泉下車車・・・北陸自動車道加賀ICから国道8号、県道経由で約8km効 能:リウマチ、慢性皮膚病、痛風、慢性婦人病
2007/02/01
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ケタ違いのスケールを誇る北海道の大自然。ニセコといえば、ウインタースポーツの王者スキーのメッカとして有名です。そのニセコはまた、温泉地としても魅力的です。広大なニセコ温泉郷は15あまりの温泉を有し、バラエティも豊かで、訪れる者を飽きさせません。ニセコ連峰の最高峰にあるニセコアンヌプリの周辺や、露天風呂が評判のニセコ五色温泉では北海道らしい、雄大な自然を満喫できます。ニセコ温泉郷の魅力は、別世界を思わせる豊かな景観だけではありません。日本三大秘湯の一つであり、明治時代から湯治の名所として人気のある薬師温泉、登山の疲れを癒すワイス温泉、美肌の湯として女性からも親しまれる昆布川温泉、など美容と健康に良い温泉もたくさんあります。ニセコ温泉郷に足を遊べば、北海道の、様々な別の顔が見えてきます。(了)お問い合わせ:ニセコビュープラザ観光案内所 TEL:0136-43-2051ニセコ温泉郷 北海道虻田郡ニセコ町、磯谷郡蘭越町などアクセス:電車・・・JR函館本線ニセコ駅からバス(冬季は休業となりますのでご注意ください)車・・・札幌自動車道小樽ICから国道5号、ニセコパノラマライン経由でアンヌプリ温泉まで約75km
2007/02/01
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