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西瓜じゃなくてsuicaのペンギン。数ヶ月前に応募したキャンペーンの残念賞が届いた。文房具セットだ。メモ帳と、色鉛筆、消しゴム、それにミニ定規。かわいい。とりわけ、色鉛筆の側面に箔押しされている足跡がおかしくてかわいい。だいたい会社で使おうと思うのだが、黄色の色鉛筆だけ使い道が思いつかない。う~ん、黄色ねぇ。これで書いても字が読めないんじゃないかと……(笑)。黒い色紙でも買ってくるか(って、それだけのために?)。
2005.05.24
塩はもちろんだが、胡椒がないと料理する気が起きない。というわけで、胡椒挽きを買いに行った。…た、高い。なんでこんなにお値段が高いのだ?でも胡椒挽きで挽く胡椒でなければどうしてもいやだったので、奮発して購入した。(だって~挽いたやつじゃないと胡椒って気がしないんだもん~味も香りも~)帰ってきて、「あ、挽く胡椒の実がない……」。 ←馬鹿ですね実家に駆け込み、胡椒の実を分けてもらいましたとさ。めでたしめでたし。
2005.05.23
中村勘三郎襲名公演。夜の部のラスト「研辰の討たれ」の演出は当然野田秀樹。ただでさえ勘三郎襲名披露ということで人気が高いのに、演出は野田だは、染五郎は出るは、獅童は出るは、その前の鷺娘も玉三郎だはで、それはそれはチケット取りが大変だった(ようだ……私は他人様にお願いしたのでよくわからなかったが……それで取れたのも運がよかったらしい)。最初の演目は義経千本桜。早変わりなんかが多くて、見ていて楽しい。菊五郎もこんなコミカルな演技をするんだなぁ。二枚目の印象が強くかったので、ちょっと意外。二本目が鷺娘(舞いだ)。玉三郎が綺麗でした。あそこまで行くと、男だって言われなきゃわからないっすね。で、本命の「研辰の討たれ」。相変わらずぶっ飛んでいる。特に福助がノリノリ(4年前もそうだったけど)。口は回るし、なんといってもタイミングの計り方が巧い。勘三郎は口から生まれた男よろしく喋り捲っていたし、他の面々(略してごめん)も活き活きと演じていた。前のときも思ったけど、「楽しそう」。役者さんが。ああそうそう、辰次の嫌がらせで運悪く命を落としてしまうご家老を三津五郎が演じているのだけど、これがまたうまい。三津五郎ってまだそんなトシじゃなかったと思うが、まずもって爺さんにしか見えない(笑)。堅物役ゆえ堅いばかりかと思えば「そのほうの竹刀は、なぜ何もしない?」なんて親父ギャグを軽く飛ばしてみたり、結構お茶目。観客の落としどころをがっちり抑えていたように思う。まぁほかにもいろいろ思ったんだけど、うっかり忘れてしまった(おいおい)。興味のある方は、次回、ぜひご自分の目でご覧くだされ。笑えてほろり。一見の価値あり。
2005.05.22
作:エウリピデス演出:蜷川幸雄出演:大竹しのぶ、生瀬勝久、吉田鋼太郎、笠原浩夫 他会場:Bunkamuraシアターコクーン(東京・渋谷)再び化け物(5/7の日記参照)。ちょっとねぇ、あんな、姿もなく奥から聞こえる声だけで胸が張り裂けそうになる、そんな台詞を言える俳優って、ほかに何人いるだろうか?もうなんか感想書くのが馬鹿らしいくらい。怪演でした、大竹メディア。そして見ていて思った。こんな化け物の脇を固めるのも、やっぱり実力のある人たちでなければならないんだ、と。並みの脇役じゃあ、大竹メディアに引きずりまわされ、翻弄されるだけで終わる。そうならないのは、コロス(群集…ある意味ではこっちが主役だが)にしてもイアソンにしてもクレオンにしても、地に足のついた(クレオンは駕籠から降りなかったけど(笑))力のある演技を見せているから。主役に力があればあるほど、脇役の実力が大事なんだな、と、今さらながらに思ったのだった。前回の形式美を求めたヴァージョン(コロスも全員男だった)を見ていないので、よくはわからないが、コロスの台詞は女性が口にするとやっぱり切実なものがある。何を思ってこんな戯曲を書いたんだか、エウリピデス。古代ギリシアでも女性は市民権を持てなかった。その女の側の心情を汲むような台詞をバンバン出しちゃって、観客(男のほうが多かったのでは)の気に障らなかったのだろうか。舞台美術は、美しかった。最初の照明がすばらしい。ものすごくソフトなスポットが小さく垂直に射し、やがて大きくなってハスの花を浮かび上がらせる。とても美しい風景。本当にニナガワのは「美しい」舞台が多い。そしてレクイエム。冒頭とラストに流れる曲が、なんだかエスニックなようでよく聞くとレクイエムである(ドナエイスレクイエムっつってるし)。どこから拾ってきているんだか。メディアは強い女。今までもそうだったし、この舞台でもそう描かれていたように思う。ただ、本当にそうなのか、レクイエムを聴きながら考えさせられた。もしかするとこの鎮魂歌はメディアに対するものかもしれない。自分の子供を殺すことで、彼女は自分の心も殺してしまったのかもしれない。つまり、自分自身を殺さなければ生きていけないほど「弱い」人間だったのかもしれないではないか。実は、イアソンが船首の下敷きになって死んだことは知っているけど、メディアのその後はよく知らない。というわけで、今は俄然「その後」が気になっている。
2005.05.20
書名:夜と霧(新版)著者:ヴィクトル・エミール・フランクル/池田香代子 訳出版社:みすず書房ISBN:4622039702発行年月:2002年 11月 本体価格:1,500円 (税込:1,575円) 「心理学者、強制収容所を体験する---。飾りのないこの原題から、永遠のロングセラーは生まれた。原著の改訂版である1977年版にもとづき、新たな訳者で新編集。人間の偉大と悲惨をあますところなく描く。」終わりなき暗夜と尽きることない黒い霧。その中で人間はどう生きるのか。心理学者であった著者は、実に淡々とユダヤ人強制収容所での日々を語る。ガス室のような、「アウシュビッツ」と聞いて我々がすぐに思い浮かべるような残酷な風景(そのゆえにその情報に触れることをためらわせるような、ステレオタイプの風景)はあまり出てこない。だが、その静かな言葉は、どんな残酷な写真よりも雄弁であり、どんな残酷な報告よりも深く心を抉る。収容された人間が堕落(語弊があるもののあえてこの語を使う)していくのを、著者は責めない。こういう心理状態から崩壊していくのだ、と、分析して示す。だがそれが著者の言いたいことでは決してない。どんな極限状態に置かれても、アウシュビッツのようなどん底に置き去りにされても、人間の精神は自由である、著者が言いたいのはこちらである。畢竟、堕落するかしないかは、そのヒトが選ぶことなのである。(繰り返すが、堕落が選択の結果であるからといって、堕落したヒトを責めたりは決してしない)彼は言う。アウシュビッツのごときおぞましきものを発明したのは人間だが、それに耐え得る精神のありようを示したのもまた人間である、と。また言う。「こんな人生に何の意味があるんだ」と問うのは間違いである。私たちが人生に何かを期待するのではなく、人生---生きることが私たちに何を期待しているかを思うべきなのだ。私たちは、生きることから(あるいは世界のすべてから)何かを期待されているのだ!この自由な精神で、何を為し何を生さぬか、どのようなありようを示すかを、常に見守られているのだ。うまく言い切れない(情けない…)ので、あとは本書を読んで自分で考えてみてほしい。3時間くらいで読めるはず。堅苦しい言葉もなく、押し付けがましい表現もない。今、この時代にこの本を読むことがどれだけプラスになるか……。一家に一冊常備してほしいくらいオススメ。それにしてもみすず書房ってえらい。昔からこういうカタいのをきちんと出しつづけてるよなぁ。頑張ってね。旧版も読むといいらしい(訳者だけでなく内容も少し異なるらしい)。そのうちに。▼この本はこちら夜と霧新版 ( 著者: ヴィクトル・エミール・フランクル / 池田香代子 | 出版社: みすず書房 )▽ちなみに旧版はこちら夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 ( 著者: ヴィクトル・エミール・フランクル / 霜山徳爾 | 出版社: みすず書房 )
2005.05.13
昨日、有楽町の無印良品を見に行ったときに見つけた。7~8センチ角のコロコロしたスピーカー。携帯用オーディオ機器専用だ。ミニなやつなので音質は推して知るべしってところだが、組立て簡単で場所を取らず携帯可能なのが魅力的。それに現在うちにはオーディオ出力機器がない。壊れかけてたミニコンポは引越のときに捨ててしまったし、新居にあるオーディオといえばiPodだけなんである。実用半分、遊び半分のキモチで買って、iPodから出力してみた。……まぁこんなものか。ちゃかぽことロック・ポップスを聞く分にはよさそう。ボーナスが出るまではオーディオなんて買えないから、しばらくこれで我慢しようっと。クラシックCDは実家で聞くしかないな~(ボーナス出るのかな~…)。
2005.05.11

ダ・ヴィンチ・コード(上)(下)著者:ダン・ブラウン/越前敏弥 訳出版社:角川書店ISBN:4047914746(上巻)ISBN:4047914754(下巻)発行年月:2004年 05月 本体価格:各1,800円 (税込:1,890円) ルーヴル美術館館長ソニエールが館内で殺された! 講演のため渡仏中だったハーヴァード大教授、そして象徴学の権威であるラングドンは、フランス警察より捜査協力を求められる。ソニエールの死体は、グランド・ギャラリーでダ・ヴィンチの最も有名な素描『ウィトルウィウス的人体図』を模した形で横たわっており、さらに、死体の周りには複雑怪奇なダイイングメッセージが残されていた……。暗号に次ぐ暗号。彼らは歴史の真実を解き明かせるのか? ということで、映画化も決まったらしい話題の本、『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでみた。これってまだ文庫になってないのかねぇ。単行本は重かった(しかも上下2巻)。でも分量的にはそんなでもない。だいたい6~8時間コース?文章もいいし、謎と謎解きに引っ張られてどんどん読んじゃう。特に中盤が面白かった。われらがサー・リー・ティービング(だっけ?)が登場したあとがもうサイコー。クリストファー・リーの子孫の件なんか電車内で噴き出しそうになった。良質のミステリ。(良くも悪くも「ミステリ」である)謎の部分もなかなか面白かった。まだ探しているひと、いるんだねぇ、「○○」。当たり前か。最後がちょっと私的には物足りないが(予定調和の範囲内を脱しなかったっつーか)、構成はよくできている。わくわく読み進められます。パリに行ったことのあるひとは、情景描写から実際の風景を思い浮かべつつ読むとなお楽しいかも。△上巻△下巻
2005.05.10
新居で初風呂。しかし。シャンプーがない……。がーん。今度実家からもらってこねば。櫛もまだ実家だし、なんだかないない尽くし。浴槽は、長さがたっぷりしているのはありがたいが、結構浅い。私は肩まで浸かるのが好きなニンゲンなので、ちょっと残念だった。浴室は広々していて気持ちいい。ああそうだ、お風呂掃除用のスポンジか何かを用意しないと……。そんなことより驚いたのは湯沸し器だ。スイッチを入れてしばらくしたら、「あと5分ほどでお風呂が沸きます」わぁ、喋ったよ!さらに沸いたところでは、リンコロカンコロ音楽が流れて(何事かと思いました)、「お風呂が沸きました」と報告してくれる。かしましい湯沸し器だ(笑)。あ~あの音楽、これからお風呂を入れるたびに鳴るのかな。しばらくは聞くたびに「何の音!?」って飛び上がりそう。
2005.05.09
作:エウリピデス演出:蜷川幸雄出演:大竹しのぶ、生瀬勝久、吉田鋼太郎、笠原浩夫 他会場:Bunkamuraシアターコクーン(東京・渋谷)化け物を見て参りました。(↑誉め言葉だ)英雄イアソンに恋し、彼に尽くしたコルキスの王女メディアは魔術を能(よ)くする者。薬草術を使って数々の苦難を彼に乗り越えさせるが(決して眠らないといわれていたドラゴンを寝かせちゃったりするのだ)、自分の弟を殺して追跡を逃れたり、イアソンの従妹たちを騙してその父王(イアソンの叔父)を殺させたりと、血塗られた荊の道を辿る。行き着いたコリントスで家庭円満に暮らしたのもつかの間、夫イアソンは王の娘婿に望まれ、彼女を裏切って王女と結婚してしまった。苦労を通り過ぎた途端に糟糠の妻を捨てたの。よくある話だよね。でもこの後が「よくある話」なんかではなくなる。怒り狂ったメディアは、魔法の毒を仕掛けた美しい衣装を新婦にプレゼントし、夫との間に生した2人の小さな息子を我が手で殺してしまう。この有名なメディアの復讐を、1幕1場で描きあげたのがエウリピデスだ。我々観客はいかなる殺人現場も目にすることはなく(間接的に耳で聞くか、せいぜい「結果」を見るだけ)、ひたすらにメディアを見る。舞台はほとんど水。舞台上はほんの一部を除いて、沼なんである(いやほんとに全面水が張られてるのだ)。私は前から2列目に座ったので、もちろん、水除けのビニールシートが支給された。2列目はさほどでもなかったけれど、最前列の人びとは結構濡れたんじゃないかな。ばしゃばしゃと俳優たちが荒っぽく歩いたりするたびに、沼から水が飛び散るんだもん(笑)。そういう仕掛けも面白かったけど、ナニがアレって、しばらく大竹以外のメディアは見られないかもしれない。これ困るんだよねー。実は今、大竹以外のマクベス夫人って見るとみんな欲求不満になっちゃって……またその繰り返しになりそう。つまり他のだれが演じていても満足できなくなるのだ。本当に化け物だな~大竹しのぶって。イアソンが自己正当化の長広舌を披露する場面でのあの「信じられないものを見る目つき」はケッサクだし、「殺せない。やめましょう」と泣いたあと180度転換するときの台詞の激しさはちょっと類を見ない。イアソン、ぬるっとしていておかしい(生瀬勝久だ)。激しい名声欲を持つ彼の言葉を聞いていると、男と女では求めるものが根本から違うんだななどと考えてしまったりして……つまりイアソンにしてもしっかり肉を持って目の前に存在しているのね。そこはすごい。そのせいもあるだろう、なんか彼の「こんなによくしてやってきたではないか。王女と結婚したのだって自分の息子たちに王族の兄弟を作ってやりたかったからだ」という弁明を聴いていると、そのうちに「え。じゃあこっちが悪いの?」と足下がぐらついてくる(男って本当に自己正当化が上手だという手本みたい(笑))。それをメディアの怒りが覆してくれる。そんなおためごかしに騙されてやる必要はないのだと、こちらが怒って当然なのだと、背中を押してもらった気がする。この感覚はきっと蜷川の演出の目論見には含まれていないだろう。しかしまぁこうした古典を見るたびに感心するけど、古(いにしえ)のヒトのなんと人間観察に優れていることか。時代がどう変わろうとこの戯曲の台詞は生き続けるだろう。こんなに時間も空間も隔てたニンゲンに「なるほど」と唸らせるのは、並大抵のことではない。もう一度見に行くので、コロスの話はそのときに(できれば…)。言うまでもなく佳品良品。一見の価値あり。
2005.05.07
昨日、疲れ果てて買いにいけなかった電話機を買いに新宿へ。どうせならファックス兼用にしようと、まずはこの分野で頑張っているらしいブラザーの機種を見る。が、ボタンが目に五月蝿いのに辟易し、第一候補落選。(なんであんな見にくいボタンにするかね。そりゃー青くて綺麗は綺麗だけど)第二候補のサンヨーは、いいんだけどちょっと大きいし……同じような機能だったら別なやつのほうが3千円ほど安いことに気付いて、思惑と全く違うNECの機種を購入してしまった。持って帰って取り付けた。電話は無事に通じてるみたい。ファックスの用紙を用意しなきゃ。それにしても、すっかり普通紙だらけになっちゃったんだねぇ、ファックスって。午後はやっぱり部屋の片付け&荷造り。引越は昨日だったんだけどね……。終わらない。
2005.05.03
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