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というわけで後日レポート。前回の遠回りで懲りたから(8月13日の日記参照)「1時間半前に行こう」と決め、7時20分ごろに出発。最初に一本乗り過ごしたものの、乗り換えにかける時間を短縮してリカバリー(つまり走った)。ああやっぱり荷物が少ないとラクでいい。やめられない、前日搬入。駅に着いたのは8:20ごろだったが、自分のスペースにたどり着いたのは8:40だった。東ホールって遠い。東に慣れてない私にはとても遠く感じられる。見本も西のように担当者が回ってくるのじゃなくて、自分で受付の机に行かなきゃならないし、なんだか勝手が違って手際が悪かった(スタッフじゃありません、自分の手際が)。しかも紙管が一本足りないし!!どうもパイプを一本入れ忘れたらしく、考えていたとおりに組み立てられないことが判明。慌てて組み方を変更する。変更っていってもほんの少しだけど、これのせいで20分以上ロスした。「開場までに品物を全部並べきれるのか?」と不安になっていたところへ追い討ちをかけるように、新作CD-R展示用のプラケースが組み立てのさなかに一部壊れた(笑)。セロテープを持ってこなかったのでどうしようと悩む。ガムテ貼ったら醜いし……。あきらめて両面テープをセロテープ代わりに使った。ケースに手を触れられることはたぶんないから大丈夫だろう(触れられると両面テープのべとべとが手についちゃう)。すったもんだの挙句、ようやくほぼ全商品が机上に並んだ。多すぎるよ自分……。次はもっと考えよう、種類減らすかディスプレイを変えるか。そしてたいへんだった、缶バッジ。全部台紙からはずれちゃってて、ひとつひとつやり直さなければならなかったからだ。しかも種類が多い。全体の点数も多いから一度に全部は出せず、一種類につき1,2個ずつ机に出すことになるのだが、「どれがカゴに入ってないか」を見るのがまた面倒だった。どうしよう、種類は今後どんどん増える予定なんだけど……。とりあえず次回は台紙からはずれない工夫をしよう。10時開場。しかし無料配布ペーパーがまだ折り終わらない。お客さんがいないのをいいことに、ひたすら三つ折に折る。…この作業も次回からは家で終わらせることにしよう、どんなに眠くても。もっとも、11時半ごろまでお客さんはほとんどなかった。考えてみたら、10~11時って「並んで待った」マニーな人たちしかほぼ入れない時間帯だから、うちのスペースに人の来ようはずもない。その後、徐々に混みだした。なんといっても缶バッジが人気だ。ほかにも古代アンデスデザインのものはいろいろあるのになぜだろう、ぴかぴかして綺麗だからかな。または200円で手ごろだからかも。前回から、缶バッジの台紙の裏には各モチーフの説明書きが付けてある。説明といって簡単なやつだけれど、他の商品のタグよりは詳しいので、興味のありそうな人には「缶バッジの裏に絵柄の説明がありますよ」と必ず声を掛けるようにした。ずいぶんいろんな人に読んでもらえたんじゃないかと思う。嬉しい誤算だったのはCD-R。素材集、写真集ともに売れ行き好調で(もともとの数が少ないんだけど)、13時には残り数枚になっていた。特に新作の「文物断片02(メキシコ国立人類学博物館の写真集CD-R)」は人気だった。メキシコ好きなひとがみんな買ってくれたみたいで、ありがたいことに完売(重ねて断っておくがもともと枚数が少ない)。会場では「文物断片01(ギリシアの博物館類の写真集CD-R)」とのセット割引販売をしたのだが(2枚で700円)、これが結構当たって、「01」のほうはすべてセットでのお買い上げとなった。そしてこちらもうまいことぴったり売り切れた。古代アンデスデザインの絵葉書、年賀葉書、一筆箋、ぽち袋(お年玉などを入れる小袋)、ホワイトボード、カードブックなどは、缶バッジがコンスタントに売れてゆく傍らで、ときどき思い出したように売れていた。ちなみに一番安い単価は絵葉書バラ売りで1枚50円。次が一筆箋20枚入り100円。安い一筆箋が売れやすいかと思ったりしたが、これが案外そうでもない。雑貨では、200円か300円が一番出やすいみたいだ。無料配布のペーパーは、お買い上げくださった方の袋に1枚ずつ入れていたら、最後は2枚しか残らなかった。前回30枚が昼すぎになくなったため奮発して倍の60枚刷ってきたのだが、よ、よかった~、最後までなくならなくて。次回は欲張って70枚刷ってみよう。ま、余るほうが不足するよりずっといいし。今回は「しましまたぬき」のRACOON氏に1時間ほど店番をしてもらった。おかげでお昼ご飯を食べることができてすごく助かった~。いやホント、休憩がないと14時以降がつらいのつらくないのって。とても助かりました、ありがとう。問題は夏だな……だれか確保しないと……。(当たってから考えろって)祭典終了後、そのRACOON氏のグループに混ぜてもらって、忘年会を楽しんだ。とても楽しかった。そうして今年も終わった。
2005.12.30
Eski Yolcu(エスキ・ヨルジュ)に足を運んでいただいた皆さま、本当にありがとうございました。おかげさまで写真集CDRは全部はけ、軽々と楽しい気持ちで会場をあとにすることができたのでした。またがんばろー。詳細のレポートは後日。
2005.12.30
忙しかった。朝から夕方まで会社。会社あがって速攻で自宅に取って返し、仕度して前日搬入へ(何の前日搬入かは明日の日記を読んでね)。会場へ着いたのが18時40分くらいで、結構ギリギリ。「19時で閉まりますので退出してくださーい」と繰り返される追い出しアナウンスを耳にしながら、自分の荷物を置いて、机の上に山積みになっているチラシを処理。そしてまたまた速攻で恵比寿へ向かう。30分くらい遅れて恵比寿のリキッドルームに到着した。思ったとおり、SLY MONGOOSEの演奏が始まってしまっていた。だから途中からしか聴けなかったけど。やっぱりサイコー。かっこいい!!!!!ペットのメロディとギターの旋律とキーボードの演奏と、全部違うのに一つの曲になっていて、一曲で2倍も3倍も4倍も5倍も6倍もオトクな感じ。ほんっとーにかっこいい。………活動をやめてなくてよかった(ホッ)。今後はシングルだろうがアルバムだろうが出たものは何でも買おうと心に誓ったのだった(グッズは除外)。3月8日にニューアルバムが出るそうなので、それまで我慢だな。そして、目玉のTokyo No.1 Soul Setは聴かずに帰ったのだった。だってまだやること山積みなんだもん……。SLY MONGOOSEだけでも聴けただけマシかも、去年はチケット取ったのに行けなかったもんな。毎年、コミケの前夜にライブやるのやめてくれないかな(笑)。
2005.12.29
本日、パッケージまで含めて新作CD-R『文物断片02』製作が終了した。ああ疲れた(今度こそ)。閲覧ブラウザ用の画像は570×380だからそんなに大きくないんだけど、元の大きさのJPEGを入れてあって、これが3072×2048。78枚分梱包すると、いかにJPEGといえど300MB以上になる。おかげでCD-R焼くのにえらい時間がかかった。パッケージもまぁまぁじゃないかな。豆本作るの楽しかったけど、肩が死んだ。この見本豆本、いつまで付け続けられるか不明なので、興味のある方はお早めに(500円也)。ついでにここで明後日の宣伝をしておこう。●冬のコミックマーケット 日時:2005年12月30日(金) 10:00~15:00(会場は16時までだが一人きりなので…) 場所:東京ビッグサイト・東ナ-52a サークル名:Eski Yolcu 新刊はCD-R資料集『文物断片02』。メキシコの人類学博物館で 撮影した文物の写真集です(素材集ではありません)。 電子本はほかに『青の都駆けめぐり』(ウズベク旅行記)、 『メガロポリス行』(ワシントンとNY旅行記)、素材集など。 古代アンデス風グッズは、ぽち袋、カードブック、絵葉書、 ミニ一筆箋、ホワイトボードなどステーショナリー系が中心。 カレンダーは作れませんでしたごめんなさい……。※自主制作文庫『小さな世界の物語』の販売は「橋本22:00」で※扱います。同30日、西ひ-04aにて1巻改訂新版ほかを販売。※初参加記念、「帰ってきたおまけディスク」プレゼントあり。
2005.12.28
11月19日の日記で、中性洗剤(を薄めた液)を使ったら指先が荒れてしまったことを書いたが、実はまだ治らない。よくなったことはなったけど、まだ指先がガサガサである。指先のガサガサで大根おろせそう(さすがにもう無理か?)。ちょっとー。なんでこんな恐ろしいものを作ったり売ったり買ったり使ったりするのだ。もう絶対買わないぞ(まぁ今あるやつも粗品だけど)。あと、家電なんかのマニュアル作ってるひと、「中性洗剤でお手入れ」って書くのヤメて。もっと安全な方法を記載すべきじゃ。
2005.12.26
冬の祭典に向けていろいろ(?)製作していることは先日書いたが、そのうち目玉となる(私としては一番の目玉)メキシコ国立人類学博物館写真集CDR(な、長い…)について、発行の目処がついた。ええそう、まだ完成したわけじゃないの。でも目処がついたの。だからいいの(言い訳)。価格を下げるかどうかちょっと悩んでいたんだけど、点数が少な目のわりにかなりの労力を要したので(なにしろ10年前に見た遺物についてコメントするもんだから記憶やら当時のメモやら辞書やら資料を総動員しなきゃならなくて)、最初の思惑通りの価格にすることにした。まぁ真面目に作ってますんで、ご勘弁を。それにしても、ああ疲れた(だからまだ完成してないって…)。
2005.12.25
ご存知チャン・イーモウ監督の娯楽作をビデオで見た。チャン・ツィイーとアンディ・ラウと金城武が出演している。前作HEROみたいに歴史的なテイストも味わえるものかと思ったら、ただのラブロマンスだった(笑)。映像はいい。すごく綺麗だし、飛刀の軌跡を追っていくのなんかひたすら「うまい」としか言いようが無い。でもラブロマンスなの。ラブロマンスが悪いわけじゃないけど……。なんか背景を活かしきれていないとゆーか……。これだったらHEROのほうが面白かったな。笑ってしまったのは(笑うべき場面じゃないけど)竹薮の上から朝廷の精鋭たちが竹槍を投げつけてくるんだけど、ひととおり投げ終わったあとにその場で竹槍けずってるってのはどーよ……(苦笑)。いや、それがね、とても写実的だったらよかったんだけど、そのけずる場面の前に何十本と投擲済みなのよ。どこに持ってたのよそんな数の竹槍。そっかこれは非現実的にとらえなきゃいけないんだ!……と、思っていたところにけずるシーンなんだもんなぁ。さっきも言ったように映像はいい。映像はいいけど……う~ん……。チャン・イーモウってこんなだったっけ?私はいいや。次は「狸御殿」にトライすることにしよう(笑)。
2005.12.22
またこの季節になり申した。12/30にある冬の祭典に向けて、売り物を製作中である。わりとトントン進んでいて(?)すでに以下のものができあがっている。 ・南米風ポチ袋 2セット (1セット5種5枚入り・各200円) ・南米風ミニ一筆箋 (1セット2種20枚入り・100円) ・南米風缶バッジ (新作あり・各200円) ・南米風ホワイトボード (A4×2種500円、A5×4種300円、各1点ずつ) ・南米風絵葉書新作……あと少しで終了こうやって書くと本当にトントン拍子に見えるが、実はいちばん重要なブツが手付かず(汗)。メキシコ国立人類学博物館の文物閲覧CDRを作る予定なのだが、これが全然できてない。おや? あと十日もありませんなぁ……まずいわ(大汗)。そして年賀状……葉書を買ってもいない。どーすんじゃ。待て次号(嘘です)。
2005.12.21
大根が余っているので、ふろふき大根を作ってみた。(こんな基本のおかずですら、料理本を見ないと作れない私……だめだな~)ご飯をといで、研ぎ汁で下茹でして、水を変えて昆布入れてひたすらコトコト。厚めに剥いた皮できんぴらも作ってみる(これも本に載ってた)。はっ。甘味噌がない!作るのが面倒なので、実家に電話してもらいに行く。便利だ。代わりといってはなんだが、きんぴらをあとでお裾分けした(私には辛すぎた。鷹の爪の入れすぎ)。ふろふき大根………おいしい~。いくらでも入りそう。炊くだけでできちゃうなんて、なんて簡単なんだろう。またどっかでやろーっと。
2005.12.18
もともと東都生協の企画に乗っかって小松菜を育てているのだが、その企画の第2弾である小松菜料理教室へ行ってきた(料理教室っていうほどのもんじゃないけど他にいい表現がない……)。まずは小松菜の天ぷらにトライ。つっても、天ぷら粉で作った衣に桜海老を混ぜて、小松菜につけて油で揚げるだけですが(笑)。桜海老がアクセントになっていてイイ。これは使えるかも!(桜海老、余ってるし!)そして想像していたよりもずっと美味しかった。揚げたてなんか、何もつけないで食べられちゃう。特に軸は甘いので揚げたてを食べるのをオススメ。ぽいんと。かき揚げみたいに厚手にはしないほうがいいらしい。小松菜も大きめに切って、薄い固まりで揚げる。一度にたくさんやらないほうがうまくできるのはわかったけど、おかげですごい手間だ(笑)。次に小松菜の蒸しパン。すごく簡単。小松菜と牛乳をミキサーでかくはんして、卵とサラダ油を入れてかくはんして、それをホットケーキミックスと混ぜるだけ。容器に入れて、すっと竹串が通るようになるまで蒸し器で蒸す。参加者のひとりが「これに甘納豆を入れるといいんじゃないか」と言っていた。たしかに見た目もよくなるだろうし、美味しそうだ。今度うちで焼いてみようかな。でも焼いてすぐに食べないと、堅くなっちゃいそう(なので分量おさえて作らないと)。小松菜の味噌汁と小松菜のおひたしと小松菜の漬物も加えて、みんなで試食会。美味しゅうございました。ただ、こんな料理ができるほどまでに育ってないんですけどうちのヤツ……。と、どきどきしていたら、実はうちの小松菜は育っているほうらしいことが判明。他のおうちではまだツマミ菜の大きさにしかなっていないところも。じゃあもう少し気長に育てていいのね。お土産に余った小松菜をもらって帰った。たまにはこんなのも面白い。
2005.12.17
もうちょっとしたら収穫できるかも。その前にもう一段階間引きしたほうがいいらしい。う~ん、話には聞いていたが、すごい間引き率の高さ。
2005.12.15
メトロに乗っていたら、車内アナウンスで「○○に到着いたします。ミナミがわの扉が開きます」えっ!南側って、どっち!?あ、ヒダリがわか(笑)。どーでもいーけど、どっち側の扉が開くかまでアナウンスしてくれるなんて、なんて親切なんだ(過剰だ…)。ほかの国ではほぼあり得ない(笑)。
2005.12.14
ロイヤル・シェイクスピア・カンバニー(RSC)によるウィリアム・シェイクスピアの「夏の夜の夢」を見た。当然全部英語。うわーしまったー日本語訳でいいからもう一度脚本に目を通しておくんだったー。まぁだいたいどんなことを言うかは覚えてるけど。なかなか面白かった。新しいカンジの演出。一幕が始まって、いきなり剣を打ち合う二人の鎧武者。でも実はそれがヒポリタとシーシュースなのだ。シーシュースって英語読みするとまるでわからないけど、アテネの英雄テセウスのことだ。彼らは軍服や乗馬服のようなお堅い服装で現れる。人間たちの衣装はみんな現代っぽい。スーツとか。ワンピースとか。妖精たちの衣装はみんな妖精っぽい。あれで街を歩くと恥ずかしそう(笑)。新しいように感じた点を列挙。・パックが赤毛のものぐさ親父だった!これは結構キョーレツだった(笑)。だいたい「いたずら小僧」というのがよくあるパックのイメージなのだが、ただの親父である。しかも動きが鈍い(笑)。「ご覧下さい、ダッタン人の矢よりも速く」といった台詞を披露するところでも、オベロンが自分のほうを向いていないのをいいことに(?)「すぐ行きますよ、ほらね」とオベロンのほう(進行方向と逆)を見ながらだらだら歩いていく。すっごいおかしかった。赤毛にしたのはやはり向こうでは赤毛が妖精や魔の者と関わりあると考えられているからだろうか。・ヒポリタが恋の守護側に回りたそうだったことえーと、最初の場面でハーミアがライサンダーと好き合っているのだから、ディミートリアス(婚約者)と結婚したくないと主張する。それに対して「父親はお前にとって神なのだから言うことを聞かねばならない」とシーシュースが諭そうとするのだが、これにヒポリタが不快感を表していたのが面白かった。そんな演出は見たことなかった(いや私が見てないだけでよくあることなのかもしれないけど)。・妖精の現れ方これは解釈を間違えてるかもしれないけど……。どうも妖精達は人間に見える姿と本質の姿が違うみたい。妖精役の人々(妖精なのにヒトとは如何に?)は、ボトムを相手にするときなど、小さい人形を出してそれに喋らせるような振る舞いをしていた(ように見えた)。人間に見えるときにはこの姿ってことなのかなとぼんやり考えていたのだが………果たして……?・インドの少年がいた!(しかも人形!)えー、あんまり舞台に出現しないと思うんだよね、このインドのお小姓。お小姓じゃない? 妖精王オベロンと女王ティターニアの喧嘩の原因たるインドのかわいい少年は、話題として出てきても実物を登場させるのは見たことない。出てたよ。しかも人形だよ! しかも人形と思えない動きの良さだった。ちょっとびっくりな演出だった。などなど。美術もさすが老舗、「うまい」と思わされるものがあった。映像と照明と影と、物質的な大道具小道具とをうまく組み合わせて使っている。蝶のような羽をもった妖精の影が(影だけ)舞台奥に映ったり、かと思えば舞台上の人物の影が球面を経由して映ったり(うまく表現できない…)、面白かった。最後の劇中劇が、おかしいのはおかしいんだけど、抱腹絶倒とまで行かなかったのがちょっぴり残念だったくらいか。RSCは老舗だけれど(さすがスタッフキャストともに力量については問題ない)、アプローチというか切り口が非常に新しさを追い求めているように見えた。妖精の姿なんかはわりとオーソドックスな英国風をベースにしているようなのに、展開される舞台がなんだか新奇。解釈がラジカルなんだろうか。ちょうど蜷川シェイクスピアと逆かも。蜷川は新しさよりもわかりやすさが目立つ。日本やアジアのテイストを入れていながら(つまり様式は新しいようでいて)シェイクスピア解釈そのものはどちらかといえばオーソドックスな気がする。今度、RSCで他の演目も見に行ってみようかな。でも行くなら脚本の予習しないとな。「夏の夜の夢」だったからなんとかなったけど(実はなってないかもしれない…)ほかのやつは予習しないとだめじゃろう(コリオレイナスとかリチャード二世とかすげー痛い目にあった覚えが……ハッ、つまり懲りてないってこと?)。とにかく面白かった。カーテンコールが一回きりだったのが残念だった。客席からみんな一所懸命拍手してたのに。ちぇ。なんてね(笑)。
2005.12.10
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書名:西瓜糖の日々著者:リチャード・ブローティガン/藤本和子訳出版社:河出書房新社(河出文庫)発行年月:2003年07月ISBN:4309462308本体価格:760円(税込798円)12/7読了だがこちらで。ブローティガン2冊目。あらすじらしきもの:コミューン的な場所、アイデス“iDEATH”と“忘れられた世界”、そして私たちとおんなじ言葉を話すことができる虎たち。西瓜糖の甘くて残酷な世界が夢見る幸福とは何だろうか…。澄明で静かな西瓜糖世界の人々の平和・愛・暴力・流血を描き、現代社会をあざやかに映して若者たちを熱狂させた詩的幻想小説。ブローティガンの代表作。なんか違う……なんか違うぞ(笑)。特に「流血」が。確かにまぁ出てくるといえば出て来るけど、これじゃ誤解のもとでしょ(苦笑)。「コミューン」というのも違う気がする。「現代社会をあざやかに映して」って、レビュー書いたひとはどんな現実が映し出されているのかを本当にわかって書いてるんだろうか。疑問。以下、ネタバレするかもしれないので、嫌なヒトは読まれないように(もっともネタバレしようがすまいが、読んでわけわからんことにはきっと変わりないだろう)。幻想文学にカテゴライズしたのは間違いじゃなかった。と、これを読んで思った。舞台は、西瓜糖の世界。「わたし」は「アイデス iDEATH」というところの近くに住んでいる。このアイデスが何なのかは語られない。そもそも西瓜糖の世界がなんなのかも語られない。ちょっぴり、死後の世界じゃないかと思わせるところがある。だってだれもあくせく働いてないから。静謐で安全で(虎の時代は少々危険だったみたいだが)、情熱や嘘や人間社会のダイナミズムを作る要素がほとんどない(ように見える)。でもここにも死はあって、葬式もある。いっぷう変わった葬式だが。前回の『アメリカの鱒釣り』よりはストーリー性がある気がするが、だからって物語かといえばあんまり物語じゃない。なんかこう、夢で見た幻想を書き連ねただけーみたいな感じがする。それでも各節の前後は時間的空間的につながっていて、「このあとどうなるんだろう?」と思うから読みやすい。……結局どうもならないんだけどね!(笑)何ひとつわからなかったんじゃないかと思う。何がわからないって、ここで西瓜糖の世界として描かれている諸事のどこからどこまでが妄想なのかが全然わからん(ひとつひとつが妄想である可能性は非常に高い)。つまり、描かれているもののうちどの事象が(すべて我々のいる現実ではないとしても)「わたし」にとっての西瓜糖世界における現実であるのかがわからん。そもそも西瓜糖世界に現実はあるのか?解説で言われるように、「iDEATH」はおそらく自我の死なんだろう。「わたし」には名前が無い。アイデンティティの追求は純文学の一つの重要なテーマだけれど、この作品ではアイデンティティの無さが何も問題を醸さない。たとえば、ラテンアメリカの作家らによる幻想文学では、アイデンティティの無さ、不安定さ、不確実さがもうびんびんに伝わってくるが、それらは叫びのようである。ほとんど絶叫に近い(そんなにたくさん読んではいませんがそれでも…)。それがこの作品では、ない。アイデンティティが失われていること、それは、軽く、澄明な事象でしかない。一歩間違えれば「目前に厳然として存在する確かな現実」と思われているものからスリップアウトしてしまうかもしれない不確実さも、にゃにも問題にならない。問題にならないので、現実と妄想のせめぎあいにならにゃい(ので現実への恐怖も不信も当然生まれにゃい)。そもそも現実とはにゃんぞや的な問題設定を消滅させているかのよう。まぁそういう「問題提起のなさ(どころか、問題提起自体の否定?)」にもかかわらず、最初のほうはかなり面白く読めた。ぐんぐん次へ進んでいく感じで。ところがあとのほうになると「御都合主義だにゃ~」と思える部分が増えてきて、最後は「あーらやっぱり」という感想で終わってしまった。その意味では、いくら不可解でも『アメリカの鱒釣り』のほうが面白かったかも。……この著者でもう一冊くらい読むといいかな。そのうち。 (←懲りない…)▼この本はこちら(3時間で読める。たぶん)
2005.12.09
こんな。いちおうすくすく。でも収穫にはまだ間がありそう。
2005.12.08

炊き上がった新米おばあちゃんからもらった新米をやっと炊いた(前のお米がなくなったので)。やっぱり美味しい~!!ご飯が進む進む。今までは無洗米だったから、炊く前にとぐ必要がなくてラクだった。今度はとがなきゃ(忘れないようにしなきゃ)。でもこれはとぐ手間なんか気にならないほど美味しい。おばあちゃん、ありがとう。
2005.12.07
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書名:アメリカの鱒釣り著者:リチャード・ブローティガン/藤本和子訳出版社:新潮社(新潮文庫)発行年月:2005年08月ISBN:4102147020本体価格:514円(税込539円)なんじゃこりゃ。あらすじ?つーか一般的レビュー?:二つの墓地のあいだを、墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた――。涼やかで苦みのある笑いと、神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた“アメリカの鱒釣り”の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。↑最後の一文はまったくそのとおりだけど、他はどうだろう……。疑問だ。やっと読み終わった。二週間以上前から読み出したのに、読了が12月2日。そんなボリュームじゃないんだけど、主に睡魔に負けたのと、「続きを読まなきゃ!」ってならないのが原因で、ちま、ちま、ちま、と読んでいたら長くなってしまった。とにかく読んだぜ。なんじゃこりゃ、なんじゃこりゃと思いつづけながら。解説を読んで思ったが、これは幻想文学のカテゴリに配置されるべきなのかもしれない。それまでの幻想文学の系譜とは全く違うけど。でもラテンアメリカの作家達だって幻想文学ジャンルによく投げ込まれているではないか。それ以前の幻想文学とはかなり異なるにもかかわらず。そういうわけで私はとりあえずこの作品を幻想文学に区分けしてしまうことにした。ひと安心(何が)。47本の短篇から成る一冊で、だいたいに「アメリカの鱒釣り」が登場する(しないのもあったと思う)。が、そのアメリカの鱒釣りは雑誌だったりバレエの演目だったり人物だったり違う人物だったり小川だったり道だったりただの存在だったり、もぉわけわからん。あまりのわけわからなさに全部架空じゃないかと思ったりするが、そういうのに限って現実に存在しているものだったりする(訳注を読むとわかる)。これなんかまさに幻想文学的である。文体も意味の無さもいわゆるそれらとはあまりに違うのでわかりにくいが。読んでいて、なぜかアンディ・ウォーホルを思い出していた。作品を見たひとを笑わせておいて(スープ缶の絵なんか陳列されたら笑うしかあるまい)、「これが現実で、お前らだってその現実にしか生きてないじゃないか」とナイフを突きつけるようなウォーホルを(私にとってはそういうアーティスト)。ブローティガンのほうがやさしいが、そういった、反転して現実を突きつける感じがなんとなく共通しているような……気が……ちょっとする……かも。翻訳がうまい。平易で、切れ切れな文章(短文散文という意味でなく、物語的な連続性がない)をうまく表現している(らしい。原文読んでないから断定できないけど)。叫びも慟哭もない、苦悩すらないような、一種価値観喪失後のような世界を青天のもとに書ききった感じだった。▼この本はこちら(読むのに労力要らず。ハードな手応え欲しいひとには不向きかも)
2005.12.06
昨日からときどき腕が痛い。ひどく疼く。なんだろう。もしかして一昨日インフルエンザの予防接種したから?(とりあえず他に理由が思いつかない)キーボードも打ちたくない、エンピツも持ちたくないくらい痛むときがあって、集中できないので早く帰った(って、それは会社から早く帰る口実に使ってるだけでは……)。疼痛(とうつう)って、つまりこういう痛みなんだなぁ。これはこれで厭なもんだなぁ。痛みにもいろいろあるなぁ。などと妙に感じ入ったり。
2005.12.05

今日は引越の日。といっても私の引越じゃない(5月にしたばっかり)。妹の引越である。話せば長いので省略するが、どういうわけか同じマンションに住むことになったのである(笑)。お隣さんだー。結局同じN区民だー。やーい。ただ、同じマンションでも向こうは私の部屋の1.5倍以上広いお部屋、しかも最上階で南向きだったりする(どーせうちは東向きさ)。さすがディンクス。仕事のせいで多忙を極めるため、梱包から引越屋に頼むことにしたらしい。だからお手伝いはほとんどいらないらしい。まぁ、妹が友人と自分用に昼飯のうどん二人前を父親に注文して、注:実家では昼のうどんを作るのは父親の役割になっている。うまうまがつがつ食べている間に引越業者が来るとまずいってんで、数階上がって留守番しに行ったくらいだ(本当に業者が先に来た。近所って便利)。この引越のあおりで、昨晩、妹の家の冷蔵庫(&冷凍庫)から我が家の冷蔵庫に間借り食品がたくさんやってきた。すごい分量(汗)。注:しかもほとんど調味料……うちの冷蔵庫は400リットルあるのに、それがパンパンである。かつてないほどのぎゅう詰。扉を開けても暗い(入れすぎ…)。この間借り食品たちは、今夕、無事に妹の冷蔵庫へ帰っていった。冷蔵庫の中ががらんどうのようになってしまって、ちょっと寂しいかも。間借り中(クライ)引揚げ後(アカルイ)
2005.12.04

林檎餃子を作ってみた。なんのことはない、この間餃子を作ったときに余った皮に、煮りんごを詰めて焼いただけだ。煮りんごは汁っぽくて、詰めるのがちょっと面倒だった。妖しさ大爆発の林檎餃子味はまぁ……悪くはないけど、ほっぺたが落ちるようなものでは……煮りんごがそもそも少し酸っぱかったし(レモン入れすぎた)、考えてみたら焼くんじゃなくて揚げればよかったのだ……!!妹には好評だったが。でもあやつ、食いしん坊大魔王だからな……あのときひどく腹を空かせてたし……。今度チャンスがあったら、揚げ餃子にしてみよう。
2005.12.03

さて。土日よりは平日夜のほうがマシだろうと、金曜の夕方から行く。甘かった。すげーひとのかず。まずチケット買うのが一苦労っぽい。「伊万里と京焼」の項目で書いたが、北斎展の前にちょっと伊万里を見に寄ろうと思っていたので、先に空いているそちらのチケットを買おうと財布をごそごそ取り出していたら、見知らぬおばさまが寄ってきて、「これからお買いになるの?」「はい」「よかったらこれ、使って」うおぉぉぉおおお。北斎展の招待券ではないか!!というわけで有難く頂戴し、北斎展のチケットは買わなくていいことになった(わーい)。おばさま、ありがとう。そして、最近、余った招待券を捨てている自分を深く反省。伊万里展を30分で見終えて北斎展へ向かう。お、外に並んでないじゃん、ラッキー。と、思ったが甘かった。中で並んでた。20分ほど中の列に並んで延々と待つ。(その後、外にもさらに列ができたようで、それを考えるとそれでもちょっと空いた時間だったのかも)やっと入れる!と思いきや、第一期のフロアが混んでいるので第四期から見るよう指示された。おーい。これで第一期見られなかったら怒るぞ。しかし、あとから思うに後半を先に見られたのは幸運だったかもしれない。つまり、恐らく一番の見どころである部分を集中力のあるうちに見てしまえたのは。会場は会場ですげーヒトゴミである。絵は後ろから遠目にでも見られるからいいけど、読み本の挿絵なんかが悲惨だった(展示が胴回りの高さだから)。全然列が動かない。半分以上諦めた。そして、それだけすっ飛ばして見ているのに、全く終わりが見えない。第四期から第六期(つまり最終)まで見て、次に第一期のフロアへ入ったが、もうだめだ。集中力がぶちっと音を立てて切れた。残りは本当の本当に流し見ただけになってしまった。あとでパンフなんかを見たら500点を一斉に展示すると書いてある。(その「一斉」にしたって会期中に何度か展示替えをしているから、実は出てるだけで全部じゃないんだよね~(汗))ベルリン、メトロポリス(NY)、ボストン、ミネアポリス、シカゴ、アムステルダム、ヴィクトリア・アンド・アルバート(英)、ケルン、ベルギーなど世界各国から集めに集めた北斎画が一堂に会したわけだ。次の日曜で終わる展示に今さらだが、2回くらいに分けて通うべきだった。こんな真面目なおそろしい展示は何年かぶりに見たし、この規模の北斎展は見たことないような気がする。さらに、あまりの人出に、北斎展だけ20:30まで延長するとのアナウンス。気の利いた博物館だ。ほんと、よく頑張ってるよなぁ。それにしても、ああ疲れた(笑)。もういちいち絵についての感想は書かない。この男は凄い。それでいいことにして。なんといっても魅力的。当然、北斎にのめりこんでいる研究者も多数いるのだろうが、私にはこんな多作の絵師を研究題材にするひとびとの気が知れない(笑)。私は彼が年取ってからの作品が好きらしい(若い頃の作品を見たときに集中力切れで頭がぼーっとしていたせいもあるかもしれないけど)。さらさらっと描かれた鮎なんか、持って帰りたかった(ベルリン東洋美術館所蔵)。八十でそんなみずみずしい絵を描くか?版画も面白い。版画といえば、一箇所(冨獄三十六景の凱風快晴だったか?)、「刷り方が違うとこんなに絵が変わる」という実例を展示していて、とても面白かった。初版200枚は絵師の監督下で刷られるから、絵師の思惑どおりのものが出来てくるが、その後になると(それもベストセラーは絵師が死んだあとも刷られるから)まるで違う色使いになってしまったりする。目で見てはっきり(はっきりどころじゃないくらい)違いがわかってしまうのだった。それは版画の「面白さ」と捉えるべきなんだろうな、むしろ。えー、お土産に「北斎漫画」の一筆箋を購入。500円也。高い。ついでに「北斎八十歳より健康のために毎日食べた焼味噌のあられ」とかゆーものも買ってみた(北斎が食していたのはおそらく焼味噌であってあられではないだろう)。ちびな袋で480円也。高いっ!!招待券をいただいた分、お土産で飛んでしまったのだった。どーでもいーが、ああ、疲れた。設定間違えて撮ったのでピンぼけ
2005.12.02
北斎展と同時開催中で、先にざっと見る。表慶館の古めかしい建物の中に、まずは伊万里。初期伊万里から金襴手(きんらんで)までポイントを押さえつつ並ぶ。初期伊万里ってかわいい。技巧的な鮮やかさというものはないのだが、素朴なカンジの染付けで器もぽってりした感じで、ほんわかしている。その後、九谷の模倣時期があり、シナ(中国磁器)の模倣時期があり、柿右衛門様式が開発され、豪華絢爛な金襴手へと発展していく。最初は中国韓国にはまったく及ばない水準だった技巧が、どんどんレベルアップして、他に真似されるようにまでなっていくのがよくわかる。すごい。中国磁器と同じレベルのものをオランダ商人に求められ、それにどんどん応えていくのだ。職人さんってすごい。金襴手はもう美しくて美しくて圧巻である。ヨーロッパの宮殿に置かれてもまったく遜色ないだろう艶やかさ。それでいてけばけばしさが一切ない、それどころかどこか渋さの残るような意匠がもう素晴らしいの一言(ちなみに私もミニミニ金襴手を買って持ってる。小さいワイングラス)。伊万里のコーナー最後に展示されていた鍋島の五客ひと組の皿、どれもそっくりで見分けがつかない(しかも意匠に含まれる模様が細かい……!)。現代では、陶器も同じサイズで同じ絵柄のものを何枚でも生産できるようになっているが、手作業でそれをやるのは至難の業である。鍋島って……鍋島って……「先端」だったんだなあ。京焼は「みやび」さを求められながらの発展を遂げてきているそうだ。実は京焼のほうはさほど興味がない。あんまり好きじゃないのね。造形とかは素晴らしいものがあるけど、う~ん。雅というよりむしろ、見ていてなんとなく前衛的な気がした(笑)。強いんだわ、個性が。個性というかアクというか。まだ若ゾウの私には強すぎるのかも。もうちょっと年取るとそのよさがわかるようになるのかもしれない。いい展示だった。
2005.12.02
二度にわたって「むべ」の紹介をしたが(11/10、11/28)、昨日の朝通ったら、あるはずのものがなかった。「あれ? 今、通りすぎたよね? 紫の、見なかったような……?」昨日は時間が押していたのでそのまま行き過ぎてしまったが、今日は通り過ぎたあとに引き返して確認した(わざわざ)。ない。実が一個もない。そっか、収穫されちゃったんだー(笑)。どんな味がするのだろうか。
2005.12.02

順調なの……?今週はなんか忙しくてあまり見てやってないかも(汗)。一応、少しずつ成長しているようだが、考えてみるとあと十日ほどで収穫予定なのだから、逆に成長が滞っていると見るべきなのか……?週末に肥料でもやろうかしらん。
2005.12.01
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