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書名:存在の耐えられない軽さ著者:ミラン・クンデラ/千野栄一訳出版社:集英社(集英社文庫)発行年月:1998年11月ISBN:4087603512本体価格:819円(税込 859円)読了は9月28日だが、こちらで。あらすじA ほんとうに重さは恐ろしく、軽さはすばらしいことなのか?男と女の、かぎりない転落と、飛翔。愛のめまい、エロティシズム…。冷戦下の中央ヨーロッパの悲劇的政治状況の下で、存在の耐えられない軽さを、かつてない美しさで描く、クンデラの哲学的恋愛小説。あらすじB 本書はチェコ出身の現代ヨーロッパ最大の作家ミラン・クンデラが、パリ亡命時代に発表、たちまち全世界を興奮の渦に巻き込んだ、衝撃的傑作。「プラハの春」とその凋落の時代を背景に、ドン・ファンで優秀な外科医トマーシュと田舎娘テレザ、奔放な画家サビナが辿る、愛の悲劇―。たった一回限りの人生の、かぎりない軽さは、本当に耐えがたいのだろうか?甘美にして哀切。究極の恋愛小説。………やっと読み終わった。9月17日から読み始め、電車の中でちまちまちまちま読み進めて、やっと。愛の話。バックがプラハの春直後のプラハ(&ジュネーブ)なので社会派かと惑わされるが(だいたいクンデラ自身がプラハの春のリーダーの一人だし)、それはまぁ背景であって、愛の話。上記のあらすじ書いたひとって偉い(どっちも)。難しい本なのだ。愛の話だが、半分くらい哲学で(笑)。しょっぱながニーチェの「永劫回帰」だもんなぁ。何度も何度も永劫に繰り返されるものがあるなら、それは確かに重く、意味がある。ロベスピエールがフランス人を断頭台に送り込むために何度も何度も立ち現れるなら、それは確かに重く何かしら意味のあることであると感じられるように。だが人間の生はたった一回きり、人間の歴史はリハーサル無しの本番一回きり、戻ることは二度とできずやり直しは効かず、したがって進路が改められることもない。「一しかないとは無いに等しい」と著者は言う。だから人間の生とは、無きに等しい、耐えられないほどの軽い存在でしかない。まぁその耐えがたく軽い、限りなく無に等しい人間の、男と女が自分の求める愛を追うわけだが。(わざと俗っぽい視点から、女好きのトマーシュに悩まされるテレザの話と読めなくもない(笑))それがすんごく長くて難しい。妄想もときどき絡められて(テレザオンリーだけど)、わけのわからない情景も。哲学もボコボコ挟まれるし(苦笑)。しかして文章は至極エロティックである。なんかね。エロティシズム、と、言われて納得。ただ難しい…。辛かった。だが最後の最後、本当に最終の2ページですべて報われた。野兎になるってことは何を意味しているのであろうか? それはあらゆる力を失うことを意味する。それは誰もが誰に対しても力を持たないことを意味する。これだけじゃわからないだろう(わからないと思うから平気で載せてるんだけど)。最後まで読んでもらえればきっとわかる。最後にテレザが心から言う言葉、そしてトマーシュが彼女に与える言葉がすべてである。涙が出るほどやさしく美しい。それにしても、こんなおっそろしい小説をよく映画化したな(笑)。映画はむしろ「私には人生は重いのにあなたにはなぜそんな軽いのか、その軽さが耐えられない」というテレザの視点をメインに据え、軽かった存在が重さを獲得していくという別世界のように感ずるが(少なくとも私には別モノに思える、原作は軽い存在ですら成就しうる何かを描いていると思うから……でも考え違いをしてるかも)、あちらはあちらで美しく、そして愛の成就を描いている点では共通する。逆にあれだけ出来がよかったから、今回原作を手にとったわけで、映画はだれにでもオススメできるな。小説は……忍耐力のある方にオススメ?(笑)▼この本はこちら。何時間かかったかもはや全然わからん。▼ついでに映画のDVDも載せとく。カウフマン監督の非常に質の高い作品。
2006.09.29
題名:オレステス原作:エウリピデス演出:蜷川幸雄出演:藤原竜也、中嶋朋子、北村有起哉、香寿たつき、吉田鋼太郎、寺泉憲、瑳川哲朗、他2度目である。今回は前から2列目と、非常に近い席だったので、演者の表情までよく見えた。そのせいか、前回見たときよりずっと良く、面白いように感じた。コロスが「メディア」のときよりも表情豊かで、まるで具体的な名前のある人物のよう。そうでありながら形式的な名前のない存在としても立ち現れる。そのあたりの切り返しがしっかりできていて面白かった。前回よりも声が揃っていたような気がするし。そういえばあらすじ書いてない(笑)。オレステスはトロイア戦争の勇将アガメムノンの一人息子。アガメムノンは戦争から無事に帰国したが、妻のクリュタイムネストラと間男アイギストスによって殺されてしまう。オレステスは「父の仇を討て」というアポロンの神託に従い、姉のエレクトラ(エレクトラ・コンプレックスの語源)と親友ピュラデスの助けを借りて、母クリュタイムネストラを殺害する。舞台はその後から始まる。母殺しの罪のため、狂気にとり憑かれ寝込んでしまったオレステスと、弟を心配するエレクトラ。彼ら二人はアルゴス市民によって、今まさに死刑宣告を受けようとしていた。頼みの綱は、帰国した叔父メネラオス(アガメムノンの弟で、妻のヘレネはクリュタイムネストラの妹)の存在ばかり。しかしスパルタ王テュンダロス(クリュタイムネストラとヘレネの父親)の脅しに会い、メネラオスは逃げてしまう。オレステスは最後に論戦を仕掛けるべく、親友ピュラデスと民会に出かけるが、それもむなしく姉弟には死刑の判決が下る。どうせ死ぬならその前にと、ピュラデスとエレクトラは恐ろしい報復を考え出す。それは、メネラオスの妻ヘレネを殺し、その娘ヘルミオネを人質にとって立てこもるというものだった……父を殺した母(&間男)を殺すというだけですでに「血で血を洗う」ような話だとわかるが、実はこの話、もっと血塗られている。そもそもクリュタイムネストラがアガメムノンを殺したのは、間男の存在以外にも理由があった。トロイア戦争出征の折り、アガメムノンは自分とクリュタイムネストラの娘イピゲネイアを生け贄に捧げてしまったのだ。まずこの血の恨みがある。それにアガメムノンは、トロイアの王女カサンドラを連れ帰っている(おたがいさまってこと…)。当然カサンドラも殺されてしまう(カサンドラは予言の能力があるので死を予見している)。すでにそれだけ血が流されているというのに、まだ血を流そうというのだ。復讐の連鎖は留まるところを知らない。そうしてひたすら破局と破滅に向けて進むのかと思いきや、最後にアポロン登場。(昔はここでデウス・エクス・マキナが舞台に現れたんですかねー)「和解せよ」と(頭ごなしに)皆を執り成す。メネラオスは数十年の戦争の末に取り戻した妻ヘレネを天上に召し上げられ(代わりにスパルタの王となるよう言い渡されるが)、ヘルミオネは今しがた自分に剣先をつきつけていた恐ろしい男オレステスの妻になると予言され(憤懣やるかたなし)、オレステスはアルゴスの王となるよう言い渡される。もう。理不尽(笑)。神サマ、やることが気まぐれなんだから。「不信心な人間が増えたから戦争を起こさせて減らしてやったのだ」とか言ってたけど、それって後付けの理由でしょ(苦笑)。まぁ、おかげでオレステスは「今後はすべてあなたを信じます」と盲信の道に進むことに。(ちょいとテロリスト的な気配を感じたのは私だけ?)対照的だったのは、メネラオスとヘルミオネ。ヘルミオネはオレステスや自分を彼に与える約束をしてしまう父メネラオスをずっと睨みつづけ。メネラオスは、スパルタの王位というご褒美はうれしいものの、ヘレネを取り上げられてどうも納得行かない。神の言葉には逆らえないとわかってはいるけど、やりきれない感じ(最後に剣を床にたたきつけていた)。こうして大団円(?)を迎えると、アメリカやイスラエルやパレスチナの国歌が次々に大音量でかかり、2階3階からはその国歌の歌詞を記したビラが何百枚と撒かれる。イヤガラセだ(笑)。オレステスたちの血で血を洗う報復劇は、まるで世界の現状のようだ。どちらも相手を殺しながら、自分に正義があると高らかにうたう。いかなる殺人も正当化されるべきものではないのに。そして、仲を取り持つアポロンでさえ、うさんくさくて傲慢で、解決にならない。まるで某A国。この後、オレステスの生涯は狂気と共にある。ヘルミオネがネオプトレモス(アキレウスの息子)に恋して彼を拒む話は、主人公は別だが「アンドロマック」という劇(作者はフランスの、だれだっけ?)に描かれている。
2006.09.28
監督:ジュリアン・ジャロルド出演:ジョエル・エドガートン、キウェテル・イジョフォー、サラ=ジェーン・ポッツ、ジェミマ・ルーパー、リンダ・バセット、ニック・フロスト、ロバート・パフ、イワン・フーパーほか突然の父親の死で、倒産秒読みの靴工場を継いだチャーリー。優柔不断で八方塞の彼の前に現れた救いの女神は、ドラッグクイーンのローラだった。元男性および服装倒錯者というニッチ市場に切り込むため、ドラッグクイーン御用達キンキーブーツづくりが始まったが、工場のあるノーサンプトンは保守的な田舎町。ふたりの大胆な改革の前には大きな壁が立ちはだかって──。とにかく役者がみんないい。すごくすごく魅力的。中でもローラ役のキウェテル・イジョフォーはすごい。男か女かといったことを超えて、ものすんごく魅力的なんである。歌は上手いしもうサイコー。目が離せません(笑)。あとは、チャーリーを目覚めさせるローレン役のサラ=ジェーン・ポッツがまたなんとも。全然美人じゃありませんが(失礼)、皮の美醜なんて魅力とは関係ないってよくわかる。ここで多くを語るよりどこかで見てもらったほうがいいと思うので、このへんで切り上げるが、ただ一つ残念だったのは字幕の出来が今イチだった。どうもチープな日本語が多くて。予告の字幕のほうが面白かったなぁ。でも映画自体は面白くて、元気になれる、ハッピーな映画。もっと笑い転げたい人は「フル・モンティ」のほうがユーモア抜群、エスプリが利いててオススメだけど、「キンキー」は主役二人の成長振り(特にしばしば披露されるチャーリーのダメッぷり(笑))や工場のひとびとのタフさを膚で感じられる楽しさがあると思う。人物の表情をアップで捉えるカメラワークも効いてます。
2006.09.27
祖母が亡くなった。あまりに突然のことで全員が寝耳に水。大往生だったとのことだった。ずっと顔を見ていなかったので寂しい。
2006.09.26

■演奏:バッハ・コレギウム・ジャパン■独唱:キャロリン・サンプソン(ソプラノ)、ロビン・ブレイズ(アルト)、ゲルト・テュルク(テノール)、ペーター・コーイ(バス)■日時:2006年9月24日(日)15:00~■会場:東京オペラシティコンサートホール(タケミツメモリアル)■曲目:カンタータ第52番《偽りの世よ、おまえなどに頼るまい》 BWV52 カンタータ第82番《私は、満ち足りた》 BWV82 カンタータ第169番《神にのみ、私の心を捧げよう》 BWV169 カンタータ第55番《私は、哀れな人、罪のしもべ》 BWV55 カンタータ第58番《ああ神よ、何と多くの心の痛みが》 BWV58今回は退屈するヒマがなかった。(正確には、いつも退屈はしない。ただなんだか意識がぼんやりしちゃうときが必ずあるのに、今回はそれが皆無だった)この日のプログラムは、ソロ・カンタータ特集。だから残念ながら合唱はいない。その代わりといってはなんだが、ソリストたちが全員お気に入りで、私にとってはベストメンバーだったのが嬉しかった。そして器楽の演奏はリリカルだった。とうとうここまで来たか、という感じ。別にすべての演奏がリリカルである必要はないし、これまでも全くのドライないしハード一辺倒だったわけではない。実際、ソフトさを感じることは何度かあった。しかし、聴いていて「リリカル」という言葉が浮かんできたのは今日が初めてだった。以前は合唱やソロで詩情面をカバーしていたが(私にはそう聴こえた)、器楽も詩情を操れるようになったのだ。最近感想もマンネリだったので、何か新しいものが発見されたような、久々に楽しみな気分。1曲目はソプラノのソロ(最後にソリスト4名による合唱が入るが)。相変わらず綺麗な声。2曲めは徹頭徹尾バスのソロ。第1楽章が、マタイのアルトのアリアを彷彿とさせるようなメロディの繰り返しで(確かこの曲だったと思うが……)、うっとり。休憩を挟んで、3曲目はアルトのソロ。ロビン・ブレイズって、なんだか声が器楽みたい。声というより「あれはヴァイオリンだよ」だの「オーボエだよ」などと言われたほうが納得できそうな気がする。それに対して、4曲目を歌ったテノールのゲルト・テュルクは、実に声らしい声。人間の声だ、と、聴くたびに思う。表情が豊かなんだろうな~。また、声量があるためか、彼が歌うのを聴くと、彼のその口から声が出ている感じがしない。むしろ、彼の立つ位置よりもっと後ろから天上に向かって発せられた音が天蓋に当たって下に降ってくるような感じがする。この感覚はキャロリン・サンプソンにもときどき感ずる。5曲目は彼女とペーター・コーイのダブルソロで(デュエットというよりソロ×2だったかな)、一番最後は4人の合唱で締められた。器楽のほうも、ホルンやオーボエ(オーボエがいつもよりやや透明感不足?)、フルートやヴァイオリンのソロがあって、それぞれよかった。どうよかったかを言えといわれると困るが、気に入らないときは自分の意識が「つっかえ」てしまう(他に言い様がない…)。「つっかえ」たり「つまずい」たりする感覚がなければ、音もすんなり入ってくる。今日はちょうどそんな感じ。しかし、ソロよりも私は今日はヴァイオリンとヴィオラがよかったと思った(ごく個人的に)。他の楽器をリードしたり、音を締めたり……とにかく私には「よかった」な(←うまく説明できない)。ということで、演奏にかなり満足して終了したあと、今日は「サポーターズパーティー」なるものがあるのでそちらの会場に向かった。会費を払って名札を付け、壁際に設けられた椅子に座って開始を待つ。他の人たちは、顔見知りなどいらっしゃるようだが、こっちは本当にひとりっきり。最初のオペラシティの担当者挨拶やキングレコード社長の挨拶があまりにくだくだしくて(なぜもっとイキな挨拶ができないのだ…しかも無意味に長い…)、ずっとこんな感じだったら苦痛だな~大金払ってこれじゃあどーすべえと困っていたが、NECの役員の挨拶から面白くなりだした(長くても退屈しない話ぶりで、最初の二人は同じビジネスマンとして見習うべき)。海外ツアーの写真をプロジェクタでスクリーンに映し、鈴木雅明監督が解説。時おり、写真に現れるソリストたちへのインタビューを交えながら、楽しく話を聞いた。司会やインタビューはアナウンサーの朝岡聡が担当していたが、いまひとつ品がないね。アナウンサーってみんなああいうふうに押し付けがましいんだろうか。インタビューを受ける側は、非常にまともな、時には面白い答えを返してくれて、飽きなかった。また、皆さん非常に英語がわかりやすかった。意識して丁寧に喋ってくれたのかもしれないが、実にわかりやすい発音というか、ふた昔前のハリウッドスター(J.スチュアート除く)みたいに聞き取りやすい。歌を歌う人ってみんなそうなんだろうか?写真を見た後、次のイベントまで5分休憩だというので、勇気を奮い起こしてゲルト・テュルク氏に話し掛けた。話し掛ける前に、何度も頭の中で何と言うかをおさらいしていたのにやっぱりあがっちゃって、「Nice to meet you」もすっとばし、一方的に「ファンです」とか「あなたのマタイを聴いてからはテノールのパートが退屈でなく、一番魅力的に聴こえるようになりました。ありがとう」とかってわけもわからず言ってしまったのだが、テュルク氏はにこにこ聞いてくださって(一応英語は通じたらしい…)「それは素晴らしいことです。みんなテノールのパートは興味をあまり持たずにアリアを好むけれど、本当はもっと興味深くて見どころの多い部分なんですよ」といったようなことを返してくださった(たぶん)。最後に握手してもらって、あっという間に会話終了。でも嬉しかった。ふー。この3分のためだけに来たようなもんだ(笑)。このあと、キャロリン・サンプソンが「オーバー・ザ・レインボウ」など3曲くらいを歌ってくれたり、ヴォルフレン(?)というアメリカ人の祝辞をA4の紙4ページにわたって読み上げたり(長いが面白かった)、最後にプレゼント抽選会をやったりして(当たりませんでした)、パーティーはお開きになった。わかりにくいが、左からサンプソン、テュルク、ブレイズ、一番手前に鈴木雅明
2006.09.24
題名:オレステス原作:エウリピデス演出:蜷川幸雄出演:藤原竜也、中嶋朋子、北村有起哉、香寿たつき、吉田鋼太郎、寺泉憲、瑳川哲朗、他もう一度見に行く予定なので、詳しいことはそのときに。なんだか五月蝿い舞台だった。阿鼻叫喚の坩堝というか。まず雨の音が五月蝿い。そして人物は喚く、喚く、喚く。おかげで、喚かずに語る人物が出てくると気分が落ち着く。それはヘレネであったりメネラオスであったりテュンダロスであったりピュラデスであったりするのだが。主役2名(オレステスとエレクトラ)とコロスはとにかく五月蝿い。最後に「星条旗よ永遠なれ」とかイヤガラセのように大音量でかかるし(やはりイヤガラセなのか?)。五月蝿いって(笑)。「メディア」のときは静けさと荒々しさのめりはりがあったけど、今回はあまりそれを感じられない。コロスもなんだか台詞がバラバラで、今ひとつだったような……?もっとも、2階の遠~い席で見ていたから、いろいろ間引いてしか伝わってこなかったのかもしれないんだけど。香寿たつきが素晴らしい声だった。藤原竜也は、髭は似合わないと思う(遠目に見ただけなので定かでないが)。ドラムス2台は豪勢でよかった。
2006.09.22
深夜、映画紹介の番組をちらちら見ていたら、なんと昨日試写会で見たのと内容がそっくりの映画が紹介されていた。トルーマン・カポーティが『冷血』を書くまでのことを扱った映画だ。そっくり。でも役者が違う。カポーティはイギリスの個性派俳優(名前忘れた。ジョーンズだか何だか……もしや「指輪」でゴラムを演った人?)が演じている。フィリップ・シーモアよりもっとずっとちんくしゃにした感じのカポーティになっていた。これもどこだかの映画祭で主演男優賞を取った……のか?(あまり真面目に見てなかったのでよくわからん)とにかく、カポーティ役の評価は高かったらしい。それにしてもなんでこんなそっくりさん(カポーティのことではない、映画の内容のこと)がこんな短期間に続けて出るのだ?みんな、そんなにカポーティが好きなのか?(実は私は彼のことをアメリカですごく有名だと信じていて、日本でいえば太宰みたいなもんかと思っていたが、若いアメリカ人は名前だけぼんやり知っている程度みたいだった。……そうか、太宰でいいのか、われわれの年代なら知らんヤツいないけど今はどうだか(笑))まぁ、今年の新作映画の傾向として「1960~1980年代のアメリカで、実際にあった事件をフィーチャーする」というのが流行りらしく、それが理由だよといわれれば、そうですかと答えるしかないのだが。実際に日本に来るのは(来るとしたら)一年後なんだろうなぁ。そのときに見たいと思うかどうか……昨日の映画でもういいや、と、今は思っているけど、その気分を忘れたら見るのかも。昨日のヤツよりもっとこう……にぎやかそうな感じだった。
2006.09.21
題名:カポーティ監督:ベネット・ミラー出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、クリス・クーパー、クリフトン・コリンズJr.、ブルース・グリーンウッド、ボブ・バラバン、マーク・ペレグリノ他試写会に行ってきた。まーとにかくよく似てること。トルーマン・カポーティに。カポーティは『ティファニーで朝食を』『夜の樹』などを発表して一世を風靡したアメリカの作家。日本ではさほどなじみがないが、アメリカではすごく有名なはずだ。今でいう「セレブ」だな。なぜそんなにもてはやされたのかわからないくらい、当時の社交界では人気者だったようだ。本当は自分は生きてるトルーマン・カポーティを見たことなんてないのだから(マリリン・モンローとダンスしている写真をよく覚えているくらい)、そんな判断を下すのもどうかと思うのだがそれでも「そっくり」と思ってしまったフィリップ・シーモア・ホフマン。仕草、表情、喋り方、よほど研究したらしく、ホフマン本人の色合いは微塵もない。すごい。あらすじは、「社交界の頂点にいた作家トルーマン・カポーティは、ある死刑囚と出会い、現代文学最高の小説『冷血』を書いた。しかしその後、彼は一冊の本も完成させることはなかった……」というもの。カンザスシティで一家惨殺事件が起こり、カポーティがそれに興味を抱いて調査を始め、犯人と語り合う傍ら自らの執筆を進めていく様子が描かれている。一言で言って、「深い」映画。そして俳優がみんないい。ちなみに私はずっと前にカポーティの短編集を読んでいるはずなのだが、にゃにも覚えていない。(それともあれはカポーティではなかったのか??)だめねー。以下、ネタバレの感あり(内容に全く触れないで語るのは、この作品では難しい)。カポーティと死刑囚ペリーの間柄は、きわめてトリッキーな感じで、見ている側もかなり混乱するのではないかと思う(私ゃ混乱しました)。相手のうちに、自分と同じ孤独を見るときは友人として誠意をもって対し、でも同時に取引材料として扱ったりもする。カポーティは自分の新作を書くためにペリーからの情報が必要だし、ペリーはカポーティが著作中に自分の裁判に有利なことを書いてくれないかと思っている節がある。カポーティはペリーに何度も嘘をつくが、それがまるで善意からの嘘としか見えないようなこともある。しかし少なくとも半分は、やはり相手を利用しようとして、自己保身のためにつく嘘だ。関係が錯綜としてきて、そのうちにカポーティはペリーが早く死刑になればいいと思う。何しろ彼が死刑にならないと、新作の結末が書けない。小説が書き終わらなければ、文学の新たな地平を開こうという野望も煙のように消えてしまう。その一方で、ペリーが死んだら寂しいだろうと思うのも、本当の気持ちだ。最後に、ペリーの死刑執行のあとでカポーティは「もう立ち直れない」と言う。「彼を救うことができなかった」と泣く彼に、友人であり作家でもあるネル・ハーパー・リーは「そうね。救いたくなかったのよ」と言う。In fact, you didn't want to.と言っていたように思う。それは真実なんだろうけど、そのあとの彼の壊れていきっぷりを考えると(彼は60歳くらいまで生きるが最後はアル中で死ぬ)、本当にそれだけかなとも思う。最後のほう、死刑の直前にカポーティがペリーに会いに行くところのあたり、カメラワークがまるで酔っ払いの視線のようで、それがものすごく「自然」で(何しろその前からカポーティは現実から逃げるかのように強い酒を飲んでばかりいるのだ)、自分も酔っ払ったような不思議さがあった。いろいろあったけど、その酔っ払いのような、きりっと定まることのない場面が一番印象的だったかもしれない。
2006.09.20
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書名:羊男のクリスマス 著者:村上春樹/佐々木マキ出版社:講談社(講談社文庫)発行年月:1989年11月ISBN:4061845764本体価格:514円(税込 539円)読了は昨日(9/18)だが、こちらで。いつもみたいにウェブからあらすじを引っ張ろうと思ったが、ネタバレに近いあらすじだったので、今回は自前。あらすじ 羊男協会からクリスマスソングの作曲を頼まれた羊男。だが1週間前になっても何も浮かばない。昨年の聖羊祭日にドーナツを食べた呪いを解くために、穴のあいてないねじりドーナツを手に秘密の穴の底におりていくとそこには――。おもしろい。なにしろ絵がいい。この絵本には、村上の「羊男の世界」とでもいうべき世界が描かれ、双子の女の子も当然登場する。私は小説に出てきた双子の女の子って、どうも好きになれなかったのだが、この本の挿絵にあるようなかわいい双子だったら好きだな。短くて楽しい。珍しくシアワセだし。シンボリックな仕掛けがいろいろあるようだが、全部すっ飛ばして単純に楽しく読もう。そうそう、当たり前だが、青春三部作(少なくとも『1973年のピンボール』と『羊をめぐる冒険』の二作)は先に読んでおいたほうが楽しめる。…本当はこんな夏じゃなく(そろそろ秋ではあるが)、クリスマス付近で読むべきかも(笑)。▼この本はこちら
2006.09.19
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書名:羊をめぐる冒険(上)(下) 著者:村上春樹出版社:講談社(講談社文庫)発行年月:2004年11月ISBN:4062749122/4062749130本体価格:各476円(税込 499 円)読了は9月16日だが、こちらで。あらすじ 野間文芸新人賞受賞の青春三部作の長篇。僕と鼠のラスト・アドベンチャー。鼠から来た北海道消印の葉書から、僕は、すべてをすてて鼠を探す旅に出る。羊博士、ドルフィンホテル、羊男の哀しい青春の終り。これは面白かった。なるほど、「冒険」だった。主人公は相変わらず投げやりな感じだが、それもこれまでの二作と少し違う気がした。ストーリーがあって、読みやすい。展開の仕方は偶然というより超自然な部分もあって、不思議な色合いだったけれど、あれもまた偶然の範疇なのかもしれない(必然ではなく、逆に…)。描かれる風景の、十年前との差違は、そのままそれを見る人間自身の十年前との差違でもあるかもしれない。せつない。他にどう言い様があるだろう。「羊」は変わらないものだろうか? 何年も前から?鼠と、美しい耳の彼女の二人を失うことは、「僕」にとってすべてを失うことに等しいだろう。せつないんだ、やっぱり。確かに、何かが終わった。わけわからん感想文で申し訳ないが、こんな文は参考にせず、ご自分で読んでいただくしかない。その人なりの響きが見つかるだろう。▼この本はこちら。前二作と比べて文句なくオススメ。
2006.09.18
たまには外食でも、ということでエスポワールというフランス料理屋へ。 いやー、高かった(笑)。 おいしかったけど、私はやはりイタリアンなんかのほうが好きかなー。 冬になると狩りで捕れた野生生物の料理も出すらしい、いろいろ凝ったレストラン。 ふすま入りのパンが美味しかった。
2006.09.17
写真だけ送り直し。 これが三枚目の栗の実。
2006.09.17
どうやらメール添付画像は一件につき一枚しか掲載されないらしいので、写真だけ送り直し。 これが二枚目の山葡萄。
2006.09.17
蓼科にいる。晴れたので庭を散策してみた。写真は上から、ミョウコウトリカブト(実物はもっと濃い青紫)、山葡萄、栗の実。山葡萄も栗の実も来月が食べ頃だろう。
2006.09.17
蓼科にきている。 散歩がてら土産屋に行ったら、りんごのぬいぐるみを売っていた。 さすが信州(笑)。 ストラップなどいろいろあったが、一番大きいやつは本当にただのぬいぐるみで、幅二十五センチくらい。 帰りは雨に降られたが、外の空気はとにかく美味しい(^~^)。
2006.09.16
ひととおり残業してから20時前にゲームカフェへ。(今週は早起きできず始業時間が遅かったから、本当は今日ももっと残業せねばならないのだが……来週行けないからどうしても行きたくて無理矢理切り上げたのだった……あとがこわい)一戦、ダブルスで遊んだあとはクラッシャーとシングルスを延々続ける。向こうの卓では、ゲームもせずに協会長とお姉さんと新顔さんとで、何やら大人の話が進行中。それを時おり耳に挟みながらも、こちらはひたすらシングルス。負けて負けて負けて。う~ん、なぜこんなに弱いんだ。まぁ元が不器用だからしょうがないか……。ちょっと人数が増えたので、最後にダブルスを二回りやった(一巡ずつ組合せを変えて)。そしたら一番最後のゲームで、最後の一個(正確にはクイーンと合わせて二個)を敵も味方もずーーーーーっと入れられなくて、「あと一個なのに~」という状態が延々と続く。盤上にはキャロメンが3つあるのみ(スカスカ)。クイーンを入れても自分のキャロメンが落ちないことが多く(みんな巧いくせになぜか失敗するし…)、堂堂巡りの20分だった。長かった……。最後の最後にやっと入れて、一応こっちが勝ったけど、嬉しいと思うより先に疲れ果ててしまった(笑)。こんなこともあるね。▼日本キャロム連盟のサイトはこちらhttp://www.carromjapan.com/
2006.09.13
8月31日の日記で紹介した天野芳太郎(1898~1982)。その天野氏がペルーの首都リマに、私財を投じて設立した本格的なアンデス文化に関する考古学博物館が天野博物館だ(1964年開館)。展示・収蔵品は数万点。天野氏は、リマ市の北方およそ60キロにあるチャンカイ谷において、考古学者がだれも目を向けない時分から調査・発掘を続けており、博物館にはそこで採集した文物がたくさんあるようだ。とりわけ織物のコレクションは優れているとの評判。ぜひ一度行ってみたいのだが、いかんせんリマにあるので、「ちょっと電車に乗って訪問」というわけにはいかない。今のところ、遠い国から想いを馳せるばかりである。さて、天野博物館には「天野博物館友の会」というファンクラブみたいなものがある。サポーターというのが正しいかもしれない。主な活動内容は、年会費を(たぶん事務費を除いて全部を)天野博物館宛てに送金し、博物館の維持・運営費に宛ててもらおうというものだ。他にもちょこまかイベントを告知したりしているが、メインは博物館を資金面でサポートすること。何しろこの博物館、天野氏の意向に従って入場無料(正しくは自由寄付)なので、やりくりがたいへんなのである。私も去年から参加している。そんな高い額じゃないし、いつか行く日まで博物館が存続していてくれないと困るから。ここが発行した図案集には言い尽くせないほどお世話になってるし(夏冬の祭典にいらしたお客様にはわかると思いますが、古代南米的意匠のほとんどがその図案集出身です)。個人は5000円、法人・団体は3万円だ。興味のある方はホームページへどうぞ。一度ぜひ。▼天野博物館友の会のページhttp://www.geocities.jp/peruamano/▼天野博物館のホームページhttp://www.museoamano.com/
2006.09.11
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書名:1973年のピンボール著者:村上春樹出版社:講談社(講談社文庫)発行年月:2004年11月ISBN:4062749114本体価格:400円(税込 420円)読了は9/8だが、こちらで(なんか玉突き状態だな)。あらすじ さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り――デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。この倉庫での彼女(ピンボール)との邂逅場面の清潔な甘美さと知的なセンチメンタリズムは上等でとても筆舌に尽くし難い。さらに重要なのは、〈僕〉がその体内にとりこんだピンボール・マシン=外国との、やさしく堂々とした結着のつけ方である。希望、絶望、おごり、へつらいなど、いかなる色眼鏡もなく、この20世紀のコッペリアと一体化し、そして突き離しながら、〈僕〉は、自分と彼女がどう関わり合っているかをたしかめる。こうして〈僕〉はゆっくりとした歩調を保ちながらなにものかになって行くのだ。主人公が海外渡航しない「海外渡航小説」の、これはみごとな収穫といえるだろう。──井上ひさし(朝日新聞文芸時評より)だそうだ。確かにピンボール・マシンとの邂逅の場面はよかった。でもピンボール・マシン=外国とは思わなかった。私にはあのピンボール・マシンとの会話は、死んだ彼女との会話としか思えなかった。一番最初に話だけ出てくる、あの彼女だ。彼女の言葉を追って「僕」が駅に犬を見に行った、あの彼女。どうも「告発の行方」という映画を見て以来、ピンボール・マシンというとセックスの象徴と捉えがちなせいもあるだろうか。前回の『風の歌を聴け』よりも、小説っぽくて読みやすかった。(=散文っぽい調子が弱まっている気がした)相変わらずドライだけれど、今回はきちんと決着がつけられた感じだ。▲■と最終的に訣別し、●▼とも別れる。三部作として読むなら次があるが、話はきちんと終わっている。わからないのは、配電盤が何であるか、だ。なんだろう?なんだったんだろう?なぜ死んだんだろう?なぜそれが死ぬことが問題なんだろう?読了後、ずいぶん経ってしまったので感想もあいまい。でももともと明瞭な感想もなかったかもしれない。「ちょいと面白かった」くらい。「象の消滅」のように、尋常じゃない何かがありそうだと感じるまではいかなかった。ただ、恐らく今後繰り返し現れるだろうモチーフ(双子とか)をこの作中に見ることができるので、最初に手にとる作品としてはオススメ(本も薄いし)。▼この本はこちら
2006.09.10
キャロムの試合の日。昼から始めて3戦くらいやって、ボロ負け(笑)。懼れていたとおり、一度も勝てなかった……。もうちょっと練習しないとだめだな~。お家で練習する方法を考えてみよう(専用ボードなしで)。
2006.09.09
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書名:風の歌を聴け著者:村上春樹出版社:講談社(講談社文庫)発行年月:2004年09月ISBN:4062748703本体価格:381円(税込 400円)読了は9月5日だが、こちらで。あらすじ 一九七〇年の夏、海辺の街に帰省した“僕”は、友人の“鼠”とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。二人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、“僕”の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。この新人の作品は、近来の収穫である。これまでわが国の若者の文学では、「20歳(とか、17歳)の周囲」というような作品がたびたび書かれてきたが、そのようなものとして読んでみれば、出色である。乾いた軽快な感じの底に、内面に向ける眼があり、主人公はそういう眼をすぐに外にむけてノンシャランな態度を取ってみせる。そこのところを厭味にならずに伝えているのは、したたかな芸である。しかし、ただ芸だけではなく、そこには作者の芯のある人間性も加わってきているようにおもえる。そこを私は評価する。──吉行淳之介だそうだ。個人的にはそこまで魅力を感じない。それだけ自分の感性が年取っちゃったってことか……。感性の老化も問題だが(笑)、なんで自分があまりのめりこめないのか、理由の一つは見当がつく。私が物語性に魅力を見出す人間だからだろう。この小説は非常に散文的だ。『パン屋再襲撃』を読んだときにもちらっと思ったが、こっちのほうがバリバリ散文的。潤いはゼロ。ドライ一辺倒。何もかもうっちゃってる感じ。その投げっぷりがいっそ潔いところもあるが、話に終わりがないようにも思える。(まぁそれでこれに続く2作品を読もうというのだから、捕まってるといえば捕まってるのかも)好きな箇所もある。「何故人は死ぬの?」と「彼女」に訊かれて「僕」が答える。「進化してるからさ。個体は進化のエネルギーに耐えることができないから世代交代する。」読んだ瞬間、何かが腑に落ちた気がした。それから、レコードを借りた女の子が大学を辞めてどこへ行ったか。彼女の行方と絡めたラジオジョッキーの件り。あとで「あっ」と思わされる(かも)。でもまぁなんつーか……掴みにくい話だった(私には)。1970年代に青春を過ごしたひとには「これだよこれ!」っていうものが多いんだろうな、ということだけはわかる(笑)。▼この本はこちら
2006.09.08

パンダづくし。大中小取り揃え先日、新宿のロフトで見かけたビーズクッション。すごいかわいい(笑)。思わず買おうかと動きかけたが、これ以上ぬいぐるみ増やしてどーするよ(クッションとはいえ)。というわけで、なんとか思いとどまった。だいたい、これだけ並んでいるからおかしいんであって、一匹買ったくらいじゃ大して面白くもなんとも……でもかわいいな、やっぱり(いやいや、買わないぞ)。ピラミッド型に積み上げて飾っておいたら毎日が楽しそう。それじゃクッションの用に立たないってハナシもあるが(笑)。パンダのほかにピンクのブタもいて、そちらもかわいかった。
2006.09.07
今日はシングルスでよく遊んだ。最初は店員さんに相手してもらって、ずーっと他のキャロマーが来るのを待ち。やっと現れた連盟会長と対戦しつついろいろ教わる。(教わってもなぁ……もうちょっときちんと打てるようにならんとなぁ……がんばろっと)その後、人数がどかっと増えて(つっても4~5人だけど)、ダブルスを一巡やって、その後はシングルスを3戦した。ときどきすごくいい当たりになるんだけど、だいたいにおいて相手の駒の大半が盤上から消えた(=邪魔ものが減って狙いやすくなった)あとのことで、つまりゲームの終盤にならないとダメである。そこからある程度まで追いつくものの、やっぱり最後は負けてしまうのだった。決定力不足(どこかのサッカーチームみたい)。週末にある試合の目標は「1点を取ること」だな、こりゃ。
2006.09.06
珍しく「観に行きたいなぁ」と思う映画がある。しかも監督も俳優も関係なし。ただ、ハナシが面白そうなので観に行きたいだけ。それは「キンキー・ブーツ Kinky Boots」という映画だ。イギリス発、「不況に負けるな労働者応援お笑い映画」の最新作(?)。系列としては「フルモンティ」に近いのじゃないかな。(ちなみにビデオでフルモンティを観たときは、腹の皮がよじれるまで笑い転げた覚えがある。そしてサントラまで買っちゃった私……)チャーリーが跡を継いだ靴工場は倒産寸前。優柔不断な若社長は、従業員をクビにすることでその場をしのぐことしかできない。しかし、あるときロンドンでドラッグクイーン(クイーンっていうけど生まれたときは男性)のセクシャルブーツに市場を見出す。チャーリーは一大巻き返しを図ろうと一人のドラッグクイーンを村(=当然保守的)に招くのだが……。こんな感じのあらすじだったと思う。聞いただけでおかしそうでしょ。しかも実話だ(笑)。すごいぞイギリス。でもってイギリスのあの系統だろうから、どうせハートフルなのよ最後にゃホロリになるのよ。とゆーわけで観たい。観たいよー。だれか来週の水曜日あたり、一緒に観に行きませんか。絶対に損はしないと思う(笑)。現在、日比谷のシャンテシネで単館上映中。(土日水9:25)11:40/14:10/16:45/19:15~終21:20 ※9:25の回予告なし
2006.09.05
ここ数日、背中と頭が痛い。どうも肩こりのせいらしい?昨晩、母親に踏んでもらったら少しよくなったが、今日も今日とてじとーっと右肩が痛い。痛みがマンネリ化しそうで嫌だ。頭痛薬をのむタイミングもなんだかよくわからない。できるだけのまないようにしているけれど、諦めてとっととのむほうが賢いのだろうか。
2006.09.04

周りの灯火と溶け合う神輿(中央)昨晩一昨晩と夜店が立ち、今日昨日は御神輿本番。頭痛でごろごろしている私のところにも昼過ぎから御神輿の喧騒が聞こえてきていたが、まさか15時から今まで(撮影は18時過ぎ)ずっと練り歩いているとは……吃驚。お社(?)に戻るのは19時ごろだそうだから、4時間ぶっ通しで担ぐわけね。う~ん、都内23区内の一町内会主催とはとても思えない気魄の入りよう。そして夏もおしまいだ。
2006.09.03
書名:パン屋再襲撃著者:村上春樹出版社:文藝春秋(文春文庫)発行年月:1989年04月ISBN:4167502011本体価格:429円(税込 450円)読了は9月1日だが、こちらで。この本の呪いには名前が付いている。ワタナベ・ノボル、と。(全国のワタナベノボルさん、クレームは著者宛てにお願いします)あらすじ 彼女は断言した、「もう一度パン屋を襲うのよ」。学生時代、パン屋を襲撃したあの夜以来、彼にかけられた呪いをとくための、このたくらみの結果は…。微妙にくい違った人と人の心が、ふとしたことで和んでいく様子を、深海のイメージによせて描く六作品。ところで、いろんな所に出てくる〈ワタナベ・ノボル〉とは何ものだろう? どこがどう和んでるんじゃい。この筋書き、文庫の背表紙にも書かれているんだけど、どうにも納得いかん(笑)。もう少しまともな書評がないかと探したところ、単行本のほうにあった。あらすじ 学生時代、パン屋を襲ったあの夜以来、夫にかけられた呪いをとくため、妻が企てた大胆な計略の顛末は?微妙な疎外感を抱えた人と人の親和と再生をえがく作品集これならわかる(ホッ)。前半がいただけないけど。まぁ、あらすじ付けるのに苦しむ短篇作品集ってことで(笑)。8月29日の日記でちらっと触れたとおり、最初の2本、「パン屋再襲撃」と「象の消滅」が読みたくて買った本。この2本については、ずい分前に舞台で見て気になっていたのだ。あと1本、「眠り」という短篇も舞台でやっていて、実はそれが一番気になっているのだがこの文庫には収録されていなかった。欧米からの逆輸入版にしか掲載されていないようだ(ちょっと買うのを躊躇うな~)。以下、結構ネタバレ的に書いてあるので、「知らないまま読みたい」という方はここでストップ。もっとも、知ってても問題ないと私は思うが。何しろ村上春樹の雰囲気と内実(もしあるなら)は、本人の文体を読むまではわからないし、どんなあらすじであるかはどうやら重要じゃないみたいだから。「パン屋再襲撃」は、ワタナベ・ノボルが出てこない唯一の、だが、「呪い」という言葉が表れる唯一の話である。若かりし「僕」がパン屋を襲撃した折に受けた呪い(妻曰く)を解くため、襲撃をやり直す話だ。こうやって字面で見ると「なんだそりゃ」の世界だな(笑)。イデオロギーのプロパガンダに従ってパン屋を襲った「僕」は、ワグナーを聴くという条件を飲むことによってパン屋のプロパガンダを受けてしまう。そのときに失った何かが、彼ら夫婦の突然の飢餓感に結びついているのかどうかは知らない。とにかく彼らはマクドナルドを再襲撃し(夜中で開いてるパン屋がなかったのだ)、今度こそ店長の申し出に妥協することなくビッグマックの強奪に成功する。そしてそれを貪り食べたあとで、熟睡するんである。……変な話(笑)。「象の消滅」は、そのまま、象の消滅を扱った話。ここで出て来るワタナベ・ノボルは象の飼育係である(漢字で渡辺昇と書かれていた)。町で飼っていた象が(←実はこの設定からしてかなりオカシイのだがそれを感じさせないあたりは巧い)、ある日忽然と消えてしまう。「僕」は実はその象を最後に目撃した人間である。なぜ、どうやって象は消滅したのか?英語題で「エレファント・バニッシュ」。舞台のタイトルがこれだったこともあって、恐らく一生忘れないだろう印象深い名前。象のバランスがおかしいと語る「僕」は、自分自身こそが現実とのバランスを失っているかのようだ。あと3本くらい入っていたが、いずれもまぁ……私にはとても登場人物が「和んでいく」ようには見えなかったし、「微妙な疎外感を抱える人々」というのはものすごくよくわかるけれど、疎外から「再生」したとは思えなかった。疎外されたまんま(=社会とのバランスを欠いたまま)。そしてそれらの作品総てに、ワタナベ・ノボルは姿を変えてまるで呪いのように繰り返し現れる。(あれ? 姿を変えて現れるなら呪いというより神なのか?)一貫して散文的で奇妙な難解さがつきまとう(私の頭が悪いのかもしれないが)、その点は少しブローティガンを思い出させるが、同じ難解ならブローティガンの作品のほうがよっぽど幸福だった。そうか、こういう作家なのか。私には合わないかも(笑)。ワクワクしないし。悲しみも喜びも欲望も何も乾ききって、アリゾナ砂漠をカサコソ転がる二十日鼠の死骸みたい(ちょっとたとえが悪いけど貶しているつもりはない)。本質的な無意味さは歓迎するが、干からびて意味も何もなくなっちゃったっていうのは、個人的にはあまり歓迎したくないなぁ、と、そんなことをつい思わされる(笑)。ただ、最初の2本を読んだときに、なにか尋常でないものがある気がして、それがなんなのか確めたい。それを探すために読み続けるかもしれない。▼この本はこちらパン屋再襲撃
2006.09.02
学生さんたちが忙しいらしく、ここ2ヶ月ほど空いている。そんなわけで今回もテーブルに余裕があったので、最初はほんわかさんに相手をしてもらってシングルスをやりながら、スコアの付け方を教わった。(混んでると全台ダブルスになる)実力がナッシングだからシングルスだと1点も取れない………。スコアの付け方は覚えましたが。点が取れないのにスコアの付け方を覚える意味があるのか……むぅ。まぁキャロムのスコアカードは、最後に負けたほうがサインするから、それだけ覚えたってことで(涙)。そのあとはダブルスを2戦。1戦目はいつものうまいお姉さんと初心者のお嬢さんのペアと対戦。私は下手だけどパートナーのほんわかさんがうまいので、買ったり負けたり半々くらい。2戦目は、ほんわかさんと教育おじさんのペアと対戦。私のパートナーは「始めて2日目」のメガネのおにーさんだったが、このメガネさん、「始めて2日目」のくせになかなか上手い!というわけで、これも買ったり負けたり半々くらいだったかな。思ったよりいい戦績だったかも。でも問題はシングルスなのね。ゲームに勝たないと点が入らないからなぁ。もうちょっと上手くなりたいなぁ(←4月から言い続けて全然進歩がない)。来週は試合だ(無謀にも)。▼日本キャロム連盟のサイトはこちらhttp://www.carromjapan.com/
2006.09.01
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