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今日、同僚のクリストファー神父がアメリカに帰国しました。彼は本部の宣教担当の責任者だったのですが、任期が終わり、帰ったのです。彼は日本に2度来ていたので、私がローマに来てすぐのとき、一番お世話になった人の一人です。英語ももちろん通じるし、世話を焼くのが好きなので、とにかくかわいがってもらいました。10月には、休暇をとっていた人たちが、皆戻ってきて、この修道院もまたにぎやかになるわけですけど、人事異動の時期でもあるので、親しい人たちが去っていく時期でもあるのですね。同時に新しい人が来るので、新鮮な感じになりますけど、親しい人がいなくなるのは、やはり寂しいものです。彼は、アメリカの管区の召命担当の責任者になるのですが、彼が戻るときっとアメリカの管区の召命も増えることでしょう。あの位、色々世話を焼けるなら、迷ったときや決断するときに、大いに手助けとなるでしょうから。がんばってくださいねぇ。
2007.09.25
ローマに戻ってから気になっていたのは、私の修道院はコロッセオの近くにあるのですが、コロッセオの前に、大きなスクリーンが設置されているのです。しかもかなり大きくて、なぜかスクリーンの下には、大勢の人が座れるようなスペースがあるのです。スクリーンの真下に座っても何も見えないですから、おかしいなと思っていたのですね。 今朝、同僚の神父が、「今晩、コロッセオで映画があるから、行かないか」と誘ってきました。しかも、フランチェスコ・ディコッポラの、ナポレオンの映画で、映画の中での音楽は全部オーケストラの生演奏だそうです。こんな企画は見たことがないし、素晴らしいと思ったので行くことにしました。 イタリアの夜の娯楽は始まるのが遅いです。クラッシックのコンサートなどは、大体9時位から始まるのですからね。でも、今日の映画は8時からだそうです。イタリア人は比較的ゆっくり出て、始まる直前にいっぱいになるので、30分前に行けば、楽々座れるだろうと思っていましたが、椅子の席はすでにいっぱいでした。ひょっとしたら、椅子席に座るには、招待券が必要だったのかもしれませんが、私たちは人工芝が敷いてあるところに座りました。日本人にとって、地面にぺたっと座るのは、それほど苦痛ではありませんが(しかも人工芝があるのでやわらかいし)、西洋人には、とても大変みたいです。座り方をあれこれと模索していましたね。 映画は30分遅れの8時半位に始まりました。イタリア語の映画は疲れるので見る気もしないのですが、今日のは、時々字幕が出るくらいで、ほとんどが音楽と映像だけです。これは、素晴らしいです。内容はナポレオンの生涯を描いたものでしたが、なかなか面白かったです。しかも演奏が素晴らしかったですね。 ただ、さすがに9月も終わりに近づいて、ローマはもう完全に秋がやってきています。私は半そでのままいったので、あまりに寒くて、途中で帰ることにしました。全部見られなくて残念だったのですが、結構長い映画だったのでしょうね、夜の2時くらいまでオーケストラが演奏を続けていました。 このあたりが何となく、イタリアと日本の違いを良く感じます。今回の映画も一回限りのものです。あれだけ大きなセットを作って、すごいですねぇ。野外映画は大体無料です。公園とかで。しかも結構夜遅くに。ローマの夏の名物でしょうね。土曜の夜などは、2時、3時まで結構町は賑やかですからね。しかも赤ちゃんや小さな子供もつれていることが多いので、これもびっくりです。 夜、ローマはライトアップされて綺麗ですから、もしローマにこられて、体力に余裕があったら、町を歩いてみるのもいいかもしれません。治安は比較的いいです。もちろん、泥棒とかもいるようですけどね。
2007.09.22
モンテアルジェンタリオから、ローマに戻ってきました。パソコンは持っていっていたのですが、何かパソコンをしているのが、もったいないところだったので、日記はつけなかったのです。静かで、涼しい黙想の家に1週間いましたが、リフレッシュしました。これで夏休みも終わりです。そろそろ学校に行く準備も始めないといけません。 この夏は色々学びました。学校の勉強もそうなのですが、修道生活とか信仰という分野は単に理屈が通る、説明できるというものではないようです。人という生き物は説明する、説明できるというところに安心感を見出しますけれど、これはこれで結構危ないものです。神様だけが本当の安心を与えてくださるはずなのですから。 モーセがエジプトを出てから、イスラエルの民は常に不安と共にいました。神が自分達を導いていると彼らは心の底から信じていたはずですし、実際そうだったのでしょう。でも、一つだけかけていたのは、安心感だったのはないかと思います。これを単なる偶像崇拝の記述として理解したら、きっともったいないのでしょうね。希望と不安の間にあって、ゆれている人間の姿を描いていると思います。彼らは信仰が弱かったから、金の子牛を作って拝んだのではないと思います。どうしようもない不安と共に、自分達の信仰を弱めたくないと始めたのでしょう。私達は結果を見て、偶像崇拝すると神が怒ると単純に考えてしますけれどね。人間はとても弱いものです。イスラエルの民のように、いつ私達が不安の中に迷い込んで、チラッと神から目をそらしてしまうか分かりません。もうそらしてしまっているかもしれません。 イエスの死後、弟子達の不安とは、きっとこのイスラエルの民のようだったのでしょうね。その弟子達は色々考え、議論しても結論が出ず、エルサレムを離れるわけですけれど、イエスと出会って、何かを、何か分からないけれど何かを知り、イエスが復活して、自分と共にいるということを知って、戻っていくわけです。不安ではなくなったということでしょうね。 この1週間、モンテアルジェンタリオで祈っていて感じたことは、信仰とは、常に不安と共にあるということです。この道でいいのだろうか、この暗い道でいいのだろうかと不安になるのですけれど、この暗さの後ろには、確かに光がある。これだけは信じられるということができるなら、それは正しい道なのでしょう。人間ですから理性は必要なのですけれど、不安の一切ない信仰を持つとするなら、復活したイエスと出会ったときに、何も感じなくなってしまうかもしれないです。山に登っていく道は、今見えないですけど、朝が来たら、きっと見えるようになります。そのために、私達は毎週日曜日ミサに行き、共にみことばを聞き、同じ食卓で囲んでいるのですから。
2007.09.19
モンテ・アルジェンタリオに来ました。以前書いたこともあるので、詳しいことは書かないでもいいでしょう。駅について、バスで行こうと思ったら、山の中に修道院があるので、バスはないとのこと。いきなりのトラブルで困ったのですが、仕方なく修道院に電話したら迎えに来てくれました。(オルベテッロの駅、小さいです)(修道院から見た海)(この景色もなかなかです)(庭に立つマリア像)(庭の小道です)(主聖堂です)(共同体用の小さな聖堂)(聖堂のところにある窓)(小聖堂にある像です)(修道院の廊下)
2007.09.12
オバダから次の目的地はモンテ・アルジェンタリオです。電車で行く場合は、オルベッテロという駅で降ります。途中にジェノバがあるので、少し寄り道をしてみました。ジェノバは創立者がしばしば訪れていた町です。港町です。外国の支配とかが長く続いたにも関わらず、今なお海運中心の町だそうです。通常、外国の支配とかが続くと、観光都市になることが多いにも関わらず、ジェノバはずっと海運の町であり続けていると、観光案内所のおばさんが語ってくれました。時間は3時間くらいあったので、有名な白の宮殿、赤の宮殿を見て、港を通って、カテドラルに行きました。赤の宮殿は本当に赤かったので、びっくりしました。港は、飾り気の少ない港らしい港ですが、変なクレーンみたいなもので色々吊っていて、屋根とか、ゴンドラとか、小さな観光スペースを有効に使っているという感じでした。港から10分くらい歩くと、サンロレンツォ大聖堂に着きます。大きいというよりも、立派という言葉がふさわしいかもしれません。イタリアには大きな聖堂は多いですが、建設途中で資金が足りなくなったり、時間が足りなくなったりで、内部が少しさみしかったり、正面の彫刻が変になっていたりするところもあるのですが、ジェノバは完璧に作っているという感じがしました。きっと、海運で栄えていたときに、一生懸命作ったのではないでしょうか。話によると、400年くらいかかったそうですが。カテドラルの前には、ライオンが迎えてくれました。外側の柱もとてもきれいです。白と青の縞模様が、とても品のある感じがして、私としては、とても好きです。聖堂内部も、落ち着いていていい感じです。きんきらきんという感じではありませんが、しっかり作られているなって言う感じがしました。内部には、いわゆる宝物殿というのがあるのですが、そこには、最後の晩餐で使われたカリスがあると聞かされました。私はイタリアに着てから、伝承というものを、まずは信じることからはじめることにしたのですが、どうしても、このカリスは、うーん??エメラルド製なんです。緑に光っていて、とても綺麗ですけど、何かイエス様が最後の晩餐で使うには、ふさわしくないような気もしますが、伝承は伝承があるのですから、どっちかは、分からないですね。それから、この教会は洗礼者ヨハネの骨があるそうで、洗礼者ヨハネの像もありました。これはなかなか味があると思って、しばらくみていました。14世紀くらいからの色々なカリスとか十字架とかが展示されていて、なかなか面白かったです。ついでに、ちかくにコロンブスが生まれ育った家があるというので、行ってみました。小さな小さな家です。ここから、大航海を目指した男の子が育っていったのですね。なかなか面白いです。ということで、モンテ・アルジェンタリオに向かうことにしましょう。
2007.09.11
今朝オバダにある修道女会の修道院にいき、ミサを捧げてきました。モラーレの修道院から毎朝ミサに行っているというので、連れて行ってもらったのです。オバダは創立者が生まれた場所です。 この修道院は教会が付いています。日曜日とかは、ここでミサをするのでしょうね?祭壇もありましたから。あまり時間がなかったので、そこまで聞かなかったのですが、祭壇はシンプルですが、落ち着きがあっていい感じでした。 もちろん今日は平日なので、この祭壇の壁の向こうに、シスター達だけの聖堂があって、そこでミサを捧げたのですが、観想修道院ですから、写真をパシャパシャ撮るというのも何なので、写真は撮れませんでした。 この修道院は、イタリア人とインドネシア人が半分ずつぐらい、ひょっとすると、インドネシアのシスターの方が多いかもしれませんね。インドネシアのシスターはみんな若いので、共同体の雰囲気は何かエネルギーにあふれている感じでした。今日一緒に行った神父が、アントニオという神父ですけど、彼は青年司牧を得意としていて、そのせいもあって、そう感じたのかもしれません(ついでに私は福音朗読をしたのですが、上手だとほめられたので、うれしかったのです)。 ミサの終わりに、いきなり一言いってくれとか、言われたので、びっくりしたのですが、一応初めに、真面目な話をしておきました。日本の男子の会員は馬鹿なことしか言わないと思われると日本の姉妹達に悪いですから。 「私は毎日日記を書いていて、日本にいる姉妹も読んでいるんです」というと、あまり興味を示していなかったイタリア人のおばあちゃんのシスター達が一斉に顔を上げて「あなた会員なのね!」「○○は元気?一ヶ月ここに滞在したのよ!」「11月に日本から姉妹達がオバダに来るのよね!」と話してくれました。よく考えると、自己紹介していなかったのですね。いやー、やっぱりミサに来てよかったです。イタリアと日本の姉妹が強い絆で結ばれているのを感じました。 インドネシアのシスター達は、当然外国人なわけですが、私のイタリア語が間違うと、いちいち直してくれるのです。これは外国人同士よくやるのですが、最近私が平気で間違うのを周りがあきらめて、直してくれなくなったので、久しぶりに直されまくって、懐かしい気持ちになりました。冗談ばかり言ってきましたから、しばらく日本にも男子の会員がいることを覚えておいてくれるでしょう。 ミサの後は、朝食をアントニオと頂いたのですけど、私はすぐに出発しなければならなかったので、ゆっくりできなかったのが残念でしたが、いい経験をしました。(修道院に入る入り口です)(教会にある創立者の絵)(教会にあるガブリエルの絵)(修道院で作っているもの)(修道院長のお墓)(オバダの駅)
2007.09.10
ガッゾの聖母から帰ってきたら、オルガンのコンサートがあるからいかないかと誘われました。イタリアではしばしばあることですが、夜9時くらいから始まるのですね。2時間くらいとして、結構遅くなるので、気が進まなかったのですが、会場が創立者が子供の頃通っていた教会だと聞いて、行くことにしました。夜のオバダの町は、日曜日ということもありますが、結構静かでした。時々、こうやって生でオルガンのコンサートなんかが行われていて、それを子供の頃から聴いているのですから、ヨーロッパの人が耳が肥える理由が分かる気もします。ただ、イタリア人らしく、コンサート中もおしゃべりしたい人はおしゃべりするのですね。誰も正装じゃなくて、Gパンとかですし、演奏者も一応ネクタイはつけていますが、結構ラフな感じでした。でも、すごく良かったと思います。(夜のオバダの街)(創立者が子供のとき通っていた教会内部)
2007.09.09
今日は午後ガッゾの聖母のサントゥアリオに行ってきました。ジェノバにあるのですが、創立者は、ここをしばしば訪れていたようです。ジェノバの人にも人気のある場所で、毎週末は結婚式が2,3つあるそうです。 創立者は、ここの聖母から幻視を与えられていたそうです。聞いた話によると、どのようなものかは彼自身が書いていないで、彼が話した中に出てきたそうですが、若い頃、彼はお父さんの仕事の手伝いをしていて、タバコをジェノバからオバダまで運ぶ仕事をしていたそうで、その途中にある、このサントゥアリオを訪れていたのは、納得できます。でも山のてっぺんにあって、車でも登るのが結構大変なので、創立者は相当強くここの聖母を通して、豊かな祈りを捧げていたのでしょう。(サントゥアリオの聖堂の内部です)(聖堂の中にある聖母像です)(聖堂内部にある十字架)(聖堂の上にある、屋根の上にある巨大な聖母像です)(創立者がここを訪れていたことが書かれている板が張られていました)(サントゥアリオから町をみると)(サントゥアリオから山の方をみると)
2007.09.09
昨日も書いたのですが、誓願式のあるカステラッツォの修道院は小さく部屋がないので、30キロくらい離れたモラーレの修道院からカステラッツォに向かいました。モラーレというところはサントゥアリオで、マリア様の奇跡があったところで、今日はマリア様の祝日ですから、大きなお祝いがありました。誓願式は午後だったので、午前中はここでミサをしたり、教会の前の広場でおしゃべりしたりしていました。 あまり会とは関係のあるサントゥアリオではないので、写真もあまりとっていませんが、結構町から離れているのですが、多くの人がミサに訪れていました。 さて、誓願式に行きました。誓願式は修道院の隣のサンカルロ教会で行われました。この教会は創立者が黙想をし、初めの会憲を書いたところです。 いつも書いていますが、イタリアは何となく、ミサ中に司祭がカメラを持って、写真を撮るというのが不自然な雰囲気があるので、写真は撮れませんでしたが、日本と大きく違うところがありました。とにかく初誓願なのに、大規模なのですね。二人が誓願を立てたのですが、各小教区から大型バスで参列に来ているので、大きくなって当たり前といえば当たり前です。ちょっとやりすぎかなという感がありましたが、これも文化でしょうね。 それに、誓願の期間が1年間ということと、終生誓願までが多分5年なのだと思います。終生誓願を立てたら、大体すぐに助祭に叙階されるので、多分その位の期間になるでしょうね。これは会内部の各論みたいなものですが、すぐ忘れてしまいそうなので。 昨日も書きましたが、この教会は創立者が会を作るかどうかを黙想した教会です。黙想したのは、香部屋の隣の小さな部屋です。小さな暖炉がありました。冬の寒さの厳しい北イタリアですから、あって当然でしょう。本当に小さな部屋です。
2007.09.08
6日の日記になっていますが、本当は7日の日記です。 北イタリアのアレッサンドリアという町の近くのカステラッツォという所に来ています。アレッサンドリアはジェノバの近くで、ミラノにも近いようです。ローマより大分北なので、少し涼しさが強い感じがあります。 カステラッツォは私の会の創立者が、この会を創立することを選んだ場所です。写真は創立者が40日間の黙想をした部屋で、今は共同体の聖堂になっているところです。小さいですけれど、これまで多くの会員が、ここで祈り、色々なことを選んできたことが感じられる場所です。会員にとっては、何かを選ぶためには、ふさわしい場所なのでしょう。 今回は、カステラッツォで初誓願式があるので来たのです。今回、誓願を立てる二人とは、6月にペルージャで1ヶ月一緒にすごしました。ローマから6時間位、電車でかかるのですけど、1時間半電車が遅れたので、7時間半くらいかかってしまいました。 この修道院は小さいので、私のための部屋がなく、ここから30キロほど離れたモラーレという町の修道院に泊めてもらっています。ここもサントゥアリオなのですが、まだ中に入っていません。カステラッツオから、ここに来るまでに、車がガス欠になってしまい、30分で来るはずのところが、1時間半もかかってしまったせいです。何かトラブルの多い日でした。 明日は聖マリアの祝日で、このサントゥアリオでもお祝いがあるそうなので、よく見てこようと思います。 日本にはあまりサントゥアリオというのがなく、またサントゥアリオで祝日を祝うことは、イタリアに来ても、まだないので、すごくいい機会です。
2007.09.06
やっと回復しました。熱とかは下がっていたのですが、何か体調悪いという感じだったのですが、もうご飯をたべても大丈夫ですし、治りました。プラプラ散歩にも出かけています。もうすぐ学校も始まりますし、今読める本は今のうちに読んでおきたいので、この一ヶ月は貴重だなぁと思っています。プラプラ歩いていると、いつも見る風景ですけど、写真に撮ってきたのでのせておきましょう。ローマにはピラミッドがあるのですね。地下鉄のピラミデという駅で降りるとあるんですけどね。それほど大きくもなく、綺麗でもないのですけど、結構かわいらしくて、私は気に入っています。1時間くらいの散歩コースにあるのですけど、一度上ってみたいという衝動に駆られるのですけど、まだ実行はしていません。 ローマは本当に秋が近づいていますね。昼間も、死にそうになる暑さは過ぎ去りましたものね。夜は扇風機を回さなくても大丈夫ですし。庭には、いっぱい木があるのですけど、多分ナツメヤシが実をたわわに実らせていますね。橙色で結構おいしそうですけど、食卓に出てこないところを見ると、あまりおいしくないのかしら。 今日も夕方から、また散歩にいってこよっと。電熱器を買いたいんですけどねぇ。おなべでお米を炊くことができるってきいたので、実行してみようかと思うんです。炊飯器は高いですからね。あと10ヶ月くらいしかいないんだし。色々やってみなくては。それでは、また。
2007.09.03
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