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今日は大晦日。イタリアでは、大晦日だからといっても、どうということはない ようです。今日も、病気の人とか、お年寄りの家を訪問し、ゆるしの秘跡をした り、御聖体を持って行ったりと、いそいそと働いていました。 こういう奉仕をしていても、ストレスはまったく感じないのですが、体力と同 時に、精神的にはかなり疲れてきます。イタリア語、それもカラブリアの方言を 聞いているというのもありますが、病気の人が苦しみを訴えたり、お年寄りがさ みしさを感じているのを語ってくれたりすると、やはり心がぎゅっとなったりし ます。そのときは、もう自分の知っている神様の愛、自分が大好きなイエス様の ことばを語るしかないですね。信仰の鎖というのでしょうか、これが少しずつつ ながっていくときに、愛というリングができあがったいくのかなって感じました。 これについては、色々思いもあるのですが、難しいことも含むので、日記で言う のは、この位が限界でしょうか。日本に戻って、機会があれば、お話することも あるでしょうし、あまり口に出すことでもないのかもしれません。愛は理屈じゃ ないのですね。 今晩から、といっても二晩だけですけど、近くの信者さんの家に泊めてもらうこ とになりました。司祭館が寒いというのと、一人で新年を迎えるのは可哀想だと 思ってくれたのでしょうか。久しぶりに、暖かい部屋でのんびりしています。 でも、外は爆竹とか花火がボカンボカンいって、もう静けさなんて、どこにもあ りません。外に出て、写真を撮ってこようと思いましたけど、危ないから外に出 てはいけないと止められてしまって、とることができませんでした。それ以上に、 ものすごい煙が漂っているので、これは持病の喘息を引き起こすので、家の中に 引きこもっているのが正解でしょうね。午前0時が近づくと、爆竹も大きくなっ ていって、ドカーンとほとんど爆弾じゃないのかという振動が伝わってくるよう になりました。それにしても、新年の迎え方っていろいろなものがあるのですね。
2007.12.31
近くの別の小教区の手伝いに行ってきました。やはり昨日と同じように、病人訪 問とゆるしの秘跡です。私がいる町よりも大きい町で、小教区が2つあります。 一緒に回ってくれる人が来るまでに、少し時間があったので、聖堂でしばらく祈っ ていました。ここ数日忙しい日が続いていたので、しばらくゆっくりお祈りがで きて、いい時間でした。そして、ここにも結構立派な馬小屋がありました。大き い馬小屋なので、全体は撮れなかったので、馬小屋のそばだけとってみました。 これが面白いのは、幼子イエスが他のものよりも大きいということです。これは 結構象徴的で面白いのではないでしょうか。全能の神が、人の姿で現れ、それは 何もすることのできない幼子であった。しかし、その幼子はこの世で最も偉大な ものなのです。 クリスマスから、少したって、御降誕を見つめなおしてみると、この静かですけ ど、ダイナミックな出来事を私たちは体験したのでしょうね。もっともっとこの 出来事を深めていかなければならないですね。
2007.12.28
聖ヨハネの祝日でしたね。今日から病人のためのゆるしの秘跡をするために、歩 いてあちこちまわり始めました。ブロックごとに担当の人が決まっていて、私を 案内してくれます。このカラブリアというところは、イタリアの南ですから、方 言がとても強いのです。地元の人も、カラブリア語とイタリア語は違うというほ どですから、かなり違うわけです。病人というのは、たいていお年寄りですし、 お年よりは、ほとんどカラブリア語しか話さない人が多いので、これは結構大変 です。ただ、私の場合、イタリア語が分からないのか、カラブリア語が分からな いのか、どっちかはっきりしないので、そういう意味では気が楽といえば楽です。 午前中9時半から12時半まで、昼は4時から5時まで、歩いて家を回りました。田 舎だからだそうですが、やはり若者は都会に出ていて、一人暮らしのお年寄りが 多かったですね。ただ、近所の関係がまだ強いので、一人暮らしでも、まだやっ ていけるようです。毎週、教会の人が御聖体をもって、巡回もしているようです しね。 今日の初めての経験は90歳を越したお年寄りの告白を聞いたことですね。90年 以上もの間、この小さな町で、ずっと教会に通い続け、信仰し続けてきたという 歴史を感じました。このお年よりは、曾孫と2人で住んでいるのですが、こうい う姿はあまり日本では少なくなっているのかもしれませんね。これも文化でしょ うか。短い時間ですが、90年を越した信仰告白を聞いて、何かしみじみしたもの を感じました。長いですね、90年って。 聖ヨハネのミサも無事に終わらせ、一日が終わりましたよ。
2007.12.27
朝のミサが終わると、シスターや主任司祭が急いで出かける用意をしています。何があるのかと思ったら、ミサに行くというのです。今終わったばかりなのに、しかも車に乗って、どこに行くのかと思いきや、隣の教区の司教様のミサがあるというのです。この司教様、この近くでとても人気があるらしくて、ついた教会は、もう人でいっぱいでした。それこそ、押すな押すなの状態です。もう少し早くついたら、共同司式もできたのでしょうけど、ついたときには、既に第一朗読が終わっていました。しばらく教会の外にいたのですが、主任司祭が、「私たちは、もうミサを終えてきているのだから、ここにいる必要はないだろう。コーヒーのみに行こう」と誘うので、近くのバールで終わるのを待っていました。私としては、有名というので、説教を聞いてみたい気もしたのですけどね。イタリアで、こういうミサがあると、怖いのは、聖体拝領が終わり、主任司祭の一言とか、なんかのお礼の言葉とかがあると、それこそ、第二の説教、第三の説教みたいのが、始まることがあるのですが、今日は、恐れていたことが、二重三重に起こり、聖体拝領終わって、1時間近く、誰かがお話していました。結構笑っていたので、分かれば面白いことを言っているのでしょうけどね。あまり聞こうともしていなかったので、何を言っているのか、さっぱりわかりませんでしたね。そして、ミサが終わって、司教様が出てきたら、それこそ、人が集まって、道路を封鎖してしまうほどでした。お巡りさんも来ているのですけど、この人たちを、どうにかしようとはせず、車が来たら、通れないから引き返せといっていたようです。そういう中でも、一人のシスターは、とにかく押しが強くて、一緒に写真を撮ってもらうからと、司教様の方に潜っていき(この表現が適切な感じなのです)、しばらくすると、みんな来いと叫んでいました。一緒に行った人たちと、潜りながら近づいていったら、ようやく司教様にお会いできました。私は修道服を着ていたのと、この教区では、しばしば私の修道会が小教区ミッションに来ているらしくて、司教様から直接呼ばれて、どきどきしながら、ちょっと話をしていました。確かに優しい感じで、非常に司牧的な人のようでした。人気があるのが、分かりますね。そして、みんなで写真を撮ったのですが、周りには次は自分がしゃべろうとする人があふれていたので、私は司教様と一緒に写真を撮れませんでした。これは残念でしたが、まあお話できたから、よかったとしましょう。そして、夕方戻ったら、もう教会の前で待っている人がいたので、ゆるしの秘跡をして、5時半からミサをして、シスターと8時からご飯を食べたら、ばたんと倒れるように寝ましたよ。さすがに、疲れた。
2007.12.26
無事に25日の深夜のミサ、日中のミサが終わりました。とにかく、一日のほとん ど、ゆるしの秘跡を聞いているので、さすがにちょっとくたびれました。くたび れのほとんどの部分は小さな声のイタリア語を聞くということなのですけどね。 とにかく、クリスマスだから、とりあえずしておかなければという人もいれば、 それこそ、数年間悩んできたことを、今告白しますという人が、ひっきりなしに 来るわけです。時々困るのは、道を歩いていても、ゆるしの秘跡を受けたいとい われるときです。なんとなく、道で告白するのだから、軽い気持ちだろうと思わ れるかもしれませんが、もちろんそういうときもあるのですけど、罪の意識が強 くて、教会に入れないので、お昼寝を終えて出てくる私を待っているという御婦 人もいらして、色々と感じることが多いです。同時に、罪のゆるしを宣言し、送 り出す司祭の奉仕を教会が保ってきたのが、よくわかる気もします。 ただ、このクリスマスのゆるしの秘跡では、困ることがひとつあります。それは、 右手が上がらなくなってくるのです。ゆるしを与えるときは、右手で按手をして、 右手で十字を切るわけです。私は比較的長く聞いているので、ずっとあげている わけではないですけど、それでも、右手を上げたり下げたりしているのです。腕 を回すとゴリゴリいいますね。先日、ピップエレキバンを日本から送ってもらっ たのですが、これはいいですね。磁石の力で、何とか正常を保っています。 写真は小教区の祭壇の後ろにできた馬小屋です。結構大きなものですよ。教会の 外には、もっと大きなものもあるのですけど、私はこっちの方が気に入っていま す。各教会で色々工夫して作っているので、ちょっと出かけたときに教会によっ て、それを見ていると面白いですね。
2007.12.25
クリスマスイブです。小さな町なので、イルミネーションは少ないですけど、通 りには、ささやかに光っていたり、ドアに「クリスマスおめでとう」というイタ リア語が書かれていたり、結構いい雰囲気です。ただ、ここ数日結構朝の気温が 低くって、起きるとブルブルって感じなので、それが弱点でしょうか。部屋にあ るヒーターはあまり効かないのですね。食堂は、暖炉なので暖かいですが、そこ で寝たら一酸化炭素中毒で死んでしまいそうで、怖いですからね。 写真は私が行っている小教区です。イタリアに来られた方はわかりますが、写真 で全体が入るくらいですから、小さいのです。日本で言えば、中くらいの規模に なるでしょうか。 前にも書きましたが、この町には、娯楽が一切ないので、夜になると、おしゃべ りをしに、外に出てきます。主に男性でしょうかね。バールで、コーヒーやビー ルとかを飲みながらしゃべる人もいますし、ただ道路端で集まってしゃべりして います。しかも、この寒い夜になっても、おしゃべりしていますから、イタリア 人のおしゃべり好きは半端なものではないようですね。この町だけかもしれませ んけどね。
2007.12.24
無事にカラブリアに到着しました。朝、電車の出発が15分遅れました。今回特急 の予約が取れなかったので、快速(ICっているやつ)で行ったのですが、途中で 一度乗り換えないとだめなのです。乗り換え時間は20分だけ。少し焦りました が、遅れたら仕方ないです。ただ、主任司祭が駅まで迎えに来てくれているはず なので、それが少し気になりました。 電車に乗ると、快速もいっぱいです。私は結構早く駅について、乗り込んでいた ので大丈夫だったのですが、結構大勢の人が荷物を置くスペースがなくて、困っ ていました。結局通路に置くことになるのですが、その場合荷物から目を離すわ けにはいかなくなるので、寝ることも本を読むこともできなくなります。早く行っ てよかったです。私の席は、何かイタリアらしい人が集まっていました。もう1 0年前からの友達ではないかと思うくらい席に座ったとたんに、親しく話を始め るのです。ローマからカラブリアとかシチリアに帰る人ばかりで、クリスマスは お金がかかるとか、買えるのが面倒だとかぶつぶついっていましたが、その割り に結構楽しそうでした。きっと日本のお盆みたいな感じなのでしょうね。1時間 くらい、おしゃべりが続いていましたが、さすがに疲れてきたらしく、少しずつ 静かになりました。私も眠かったので、ちょっと寝るつもりが3時間くらい。ふ と気づくと、乗り換えの駅2つ前くらいでした。6時間くらいかかるので、時間 をつぶすのが大変だと思っていましたが、あっという間でした。 乗り換えの駅に着いたのは、予定よりも10分遅れ。乗り換えの電車にも余裕で 間に合って、少しほっとしました。主任司祭とも無事出会えて、お昼を主任司祭 の友達の家でごちそうになりました。 行ったら、すぐにゆるしの秘跡を3時間くらい聞いていたのでしょうか。疲れた ので、すぐ寝てしまいました。 写真の左が主任司祭、右二人が友達です。
2007.12.22
明日から、2週間くらい、クリスマスとお正月の小教区の手伝いをするために、 南イタリアのカラブリアに行ってきます。前の聖週間の時に行った小教区と同じ ところです。一応パソコンを持っていきますが、うまくつながるでしょうか。ちょっ と心配ですが。きっと、日本もクリスマスムードいっぱいになっていると思いま すが、主がこられるのを待ち望みながら、静かな心も保っておきたいと思います ね。それでは、いってきます。
2007.12.21
同僚が勉強を終えて帰国するため、さよなら旅行をしてきました。あまり時間もないので、思い出深いアシジを選びました。ローマから電車で2,3時間のところにあるので、比較的行きやすいというのもあります。しかし、ローマでも朝から寒い日でしたから、アシジではもっと寒いと思って、少し防寒をしていきましたが、いざ行ってみると、ほとんどふぶきになっていました。もう路面は既に温度が下がっているらしく、降った雪は溶けずにどんどんと積もっていきます。坂が多いアシジの街を見回るには、少しきつい状況になってきました。サンタ・キアラ聖堂の広場は一面真っ白。少しピンク色をしている聖堂とマッチして、とてもきれいでした。サンタ・キアラから、アシジのふもとがみえるのですが、一面雪景色で、まっしろでした。ミサは聖フランシスコ大聖堂であずかるつもりだったので、写真を撮りながらむかっていったのですが、20-30センチくらい雪が積もっていて、あまり除雪もされていませんでしたから、すべらないように、そろそろとすすんでいきました。聖フランシスコ大聖堂につくと、待降節独特の馬小屋が飾られていました。屋根の下にいた聖家族は無事でしたが、そとにいたひとや羊は、雪の中でうまっていましたよ。フランシスコ大聖堂のミサは、イタリア人の司祭の司式でしたが、非常に分かりやすく、はっきりした発声で非常に聞きやすかったです。はやり朗読の練習をすることは、教会への奉仕の一部であると確信しました。最後にサンダミアーノに行ってきました。雪であまり来ている人もいなく、静かな修道院は素晴らしい弟子。もう少しゆっくりしていきたかったのですが、あまりの寒さに早めにきりあげました。雪のアシジも、とても綺麗で聖なる雰囲気にあふれていましたよ。最後に、古いアシジ駅の看板です。結構風情があると思います。
2007.12.16
昨日の夕食の時の話です。ちょっと遅れて食堂に入ったところ、院長とか顧問ば かりが座っているテーブルしかあいていませんでした。6人のテーブルなのです が、5人が何か激しく議論をしているのです。こんなところに座ったら、大変だ と思って、そそくさと逃げようとしたら、背中の方から「ここがあいている」と いう声が飛んできました。院長に言われたら、さすがに逃げられないので、びく びくしながら、座ったのです。こんな議論に巻き込まれて、意見を聞かれたら大 変だと思っていたのですが、内容は、食卓のワインをどれにするかというもので した。確かに最近食卓の赤ワインの銘柄が変わったのです。私はあまりワインの 味が分からないですし、あまり飲まないので、気にもかけなかったのですが、1 本1.5ユーロくらいのワインと1.8ユーロのワインと、どっちがいいかという話だっ たようです。試飲するために1000本もらったらしいのですが、その1000本がもう すぐなくなるので、どっちにするかを決めていたらしいのです。イタリアならで はというか、珍しいところに、でくわしたものだと思いましたね。「あなたはどっ ちが好きか」と急に聞かれたので「私は白が好きなんです」といったら、「夕食 は赤だろう」と今度は全員から言われて、薮蛇でした。ワインの話で、これだけ 語り合えるとは、不思議な国ですが、こういうのが楽しいのでしょうね。
2007.12.13
今日はガダルペのマリア様の祝日です。メキシコの兄弟姉妹たち、またガダルペのマリアの霊名を持つ方々、おめでとうございます。 今日、日本の司教団と日本に関係のある修道会、宣教会等の関係者との集まりがありました。ローマには、多くの会が本部を持っていて、長上たちと司教団との交流があるのは、素晴らしいことだと思います。私も総長と一緒に出かけました。バチカンの中であったのですが、今はクリスマス前でセキュリティが厳重になっていて、簡単に通してくれませんでした。3回チェックがあったのですが、身分証明と招待状を見せるように言われ、あたふたしました。何となく必要かと思ったので、招待状を持っていって正解でした。よくよく考えてみれば、国境のようなものですし、中にはバチカンの役所があるのですから、厳しくて当たり前なのですね。 ここが司教様が泊まっておられる場所で、マルタの家というところです。 4時開始だったのですが、ほとんど時間通りについて、ちょっとほっとしました。イタリア時間だと4時半とかになるのではないかと恐れたのです。集まり自体は非常に日本的でした。ちょっと飲み物と食べ物があって、立ちながら司教様と話をするのですけれど、当然東京とか大阪とか、大きな司教区には多くの会が入っているわけですから、行列になってしまうのですね。ただ、日本の司教様が偉そうではなくて、親しみやすいというのは、感じてもらえたのではないでしょうか。 結局、岡田大司教、池永大司教、松浦司教、溝辺司教、押川司教としか、お話できませんでしたが、私の会に関係のある司教様とは、きちんとお話できたので、総長も満足そうでした。特にそれ以外は書くこともないので、写真をのっけるだけにしましょう。(司教団その1)(司教団その2)(ローマ事務所の和田神父様と総長)(岡田大司教様と総長)(トラピストの高橋神父様と和田神父様)(押川司教様とミケランジェロ神父様(スペイン宣教会)その1)(押川司教様とミケランジェロ神父様(スペイン宣教会)その2)
2007.12.12
日本の司教団のアド・リミナが始まったようです。各国の司教団は5年に1度聖ペトロのお墓を訪問することになっているようで、今年がその年なのだそうです。 そこで、今日は聖ペトロのお墓の前でミサがあったので、私も行ってきました。朝7時半からだったので、6時に出ていったのですが、まだ外は真っ暗です。修道院の前のバス停でしばらく待っていましたが、バスが来ないので、少し歩いて、コロッセオの前からバスに乗ることにしたのですが、コロッセオの前の木はイルミネーションで飾られ、コロッセオ、凱旋門がライトアップされていて、とてもきれいでした。 聖ペトロ大聖堂は3層になっていて、普段私達が入る聖堂は一番上層部にあります。今日は第2層目の聖堂でのミサでした(第一層目はペトロのお墓そのものがあって、そこは一日20人しかはいれないのですが、私はそこでミサがあると思ったのです。まだ入ったことがないので、司教様たちと一緒に入れると思っていたのですが)。入るのに少し戸惑って、香部屋の場所が分からなくて、うろうろしたりして(あれだけ大きな聖堂ですからね、あそこ行って、左といわれても、いっぱいひだりがあるのです)、7時25分くらいに第2層目の聖堂に入りました(急いでいたので、カメラを香部屋に忘れて、残念ながら写真は撮れませんでした。でも、司教様方が写真を撮っていましたし、そのうちカトリック新聞にも載るでしょうから、よしとしましょう)。 普段は各自の教区で忙しく働かれている司教様たちですが、ミサの前、本当に真剣に祈っておられました。説教の中で岡田大司教様は司教として選ばれ、奉仕している自分達の召命を、今日もう一度見つめたいと話されていたのですが、ローマでの時間は司教様たちにとって、本当に大事な時間なのでしょう。 私のような下っ端の司祭は、司教様の間に入ると、小さくなっているわけですけど、何人か親しい司教様もおられるので、久しぶりにお会いして、うれしかったです。那覇教区の押川司教様は、いつも変わらず明るくされておられましたし、東京の幸田司教様は、やはり優しい感じを漂わされていましたね。司教様たちは時差ぼけとかで、お疲れの様子でしたが、今日からぎっしりとスケジュールが組まれているようですから、大変でしょう。 明日は各修道会、宣教会の長上たちと、日本の司教団の集まりがあるのですが、私も、うちの総長と一緒に行って来ます。明日は写真を忘れないようにしましょう。 何か寝不足なので、変な日記になりましたが、よしとしましょう。それでは、また。
2007.12.11
今日、本部修道院の近くにあるスカラサンタという巡礼教会の聖堂で、私の会のブラジル人の神学生3人が終生誓願をたてました。本部修道院から歩いて10分くらいのところにあるのですが、向こうは、ローマ管区の修道院なので、普段はあまり交流がありません。今回は招待状をもらったので、出かけていったのです。この教会は、ピラトの家の階段を移設したそうで、この階段を跪きながら、上っていくので有名なところです。 終生誓願となると、イタリアでは、どれだけ盛大になるかと思っていましたが、立願者がイタリア人ではないのですから、それほど大勢の人が来るわけでもなく、こじんまりした式でした。終生、この会で神の国のための従順、清貧、貞潔を守っていくことを誓うのですが、一人一人が誓願文を読み、それに対して長上が、その誓願を受け取る言葉が続くのですが、ざわざわ感がまったくなくなって、しーんとした中での雰囲気は、誓願の意味を伝えるのにふさわしいものだったと思います。 今日から急に寒くなってきたのですが、この寒さの中を帰る時に、自分が立てた誓願を、しみじみと思い起こしながら歩いてきました。修道院の聖堂で、教会の祈りやロザリオなどをします。教会の方の祭壇です。朗読台福音朗読諸聖人の連願立願誓願文への署名(本人)誓願文への署名(長上)祝福
2007.12.08
多くの方から、クリスマスカードを頂きました。ありがとうございました。もう12月も2週目に入りますから、クリスマスも目の前ですね。明日は、マリア様の大祝日ですし、一日一日時が過ぎていくのが分かりますね。 昨日は、創立者の聖堂の写真を載せましたが、今回はヴィンセンゾ・マリア・ストランビの聖堂です。この聖堂は、CORO(共同体の聖堂)のすぐそばにあります。小さな聖堂です。ゆっくり祈るというよりも、お年寄りの神父様とか、朝早くから仕事に出かける人がミサをよく捧げています。祭壇の上には、聖人の骨が安置されています。写真でよく見れば、見えると思います。骨の前で祈るというのは、日本人の感覚とは、少しずれてしまうような気がしますが、永遠にともに祈るということの象徴だという気がします。西洋人は死者に冷たいという言い方がされるときもありますが、家族がなくなった日のミサには、全員が集まって、ミサにあずかっていたり、「○○のために、祈ってください」というお願いを度々されます。感じとしては、遠い天国にいるというよりも、目に見えないけれど、身近にいるという感じではないかと思います。 冬のローマは、曇りが多くて、暗くなります。大体毎日雨が降りますしね。この時期ですから、日が短くて、夕方は5時には暗くなりますから、余計にお陽さまがあるとうれしいのです。明日の大祝日は晴れるといいのですけどね。
2007.12.07
ちょっと日記をつけるのをさぼっていました。ここ数日結構色々あったのですね。先週の金曜日は、なぜか急にアジアンデーにしようという話が持ち上がって、総長とか本部の人たちを招いて、アジア料理でパーティをすることになりました。もちろん、日本からも何か出さないといけないのです。ここで結構考えないといけないのは、韓国と重複してしまわないようにすることですねぇ。何を作るとか色々話をしていて、結局私は、ざるそばと天ぷら、そしてイカそうめんを作ることにしました。これなら、天ぷらのつゆだけで、足りますからね。食べる方も食べやすいでしょう。問題は材料です。おそばは、近くの韓国食材店にあるので、大丈夫でしたが、天ぷら粉とイカ、海老等の魚介類を集めるのが大変ですね。こっちのスーパーには、新鮮な魚など売ってませんからね。そこで、イタリア人の神父に頼んで、車で魚屋さんまで連れて行ってもらいました。ローマは、海が近いので、結構新鮮な魚があるのですね。無事に、イカと海老を手に入れて帰りました。ただ失敗したのが、イカ3匹といったつもりが、3キロ入れてくれていたので、あまってしまったのです。シスターにお願いして、次の日のスパゲッティーの具にしていただきました。あと野菜を買ってきて、早速天ぷらを作りました。一人で全部するのは大変だったので、ブラジルの神学生と、ペルーの神父に手伝ってもらいました。彼らもあまり料理しないみたいで、でも結構楽しんでやっていましたね。そして、結局できたのですが、おそばはなかなか好評でした。天ぷらも海老はすぐになくなりましたね。イカの天ぷらは、まあそれなりに。問題は一番時間のかかったイカそうめん。多分食べられないだろうと思っていましたが、やはり彼らにはハードルが高かったようです。でも面白がって、若い人たちは食べていましたから、どうやら半分くらいはなくなったようです。残ったものは、またシスターのところに戻っていきました。イタリア人は結構天ぷらが好きなようですよ。 待降節に入りましたが、クリスマスはカラブリアに手伝いに行くので、そろそろミサを司式する練習をしないといけません。共同司式だと小さな声しか出さないので、本番声が出なくなる可能性があるので、今から大きな声で祈願文を唱え、福音を読むようにしておかないといけません。ということで、個人ミサになるわけです。本部修道院には、個人でミサを立てられる聖堂が4つあります。その中でも、私が一番お気に入りなのは、創立者が最後の日を送った部屋です。薄暗くて小さな部屋ですが、今まで多くの会員がここで祈り、識別し、出かけていったところです。ここで、ミサをしながら祈ると、とても落ち着くのですね。公会議の後、個人ミサは悪のように言われているところもなくはないのですが、司祭が自分の信仰を見つめながら、時間を気にせず、じっくりとミサをするというのは、これはこれで意味があることです。会衆がいないのですが、教会の奉仕のために、一人洞穴に閉じこもって、主との孤独のうちに、ミサを捧げるのは、意味があると思います。創立者のベットがあったところです。祭壇もあるので、10人くらいのグループだと、この祭壇でミサをします。ただ、主には、ここで一人祈る空間という感じです。創立者の座っていた椅子です。ベットの上で会うことを好まなかったので、隣の部屋の椅子で面会していました。面会室の窓から見た外の景色面会室にある祭壇です。一人でミサをするときは、この祭壇を使います。背中の方から光がさしてきて、何か不思議な感じがする空間になります。ここでなら、1時間でも2時間でも一人でミサを捧げていても、誰も何も言いません。ゆっくり祈りながら、大事に祈ることができます。
2007.12.07
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