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聖週間が始まりました。今日から、カラブリアのジョイア・タウロという所に来ています。来て、すぐにゆるしの秘跡とミサがありました。ついて、ほとんどすぐミサだったので、町を全然まわっていないし、教会以外何も見ていないのですが、この一週間、ここでがんばります。南の方なので、農業が中心なのでしょうか?よく分かりませんが。駅から車で20分くらいのところです。ここに来るまでには、レモン、オレンジ、オリーブの畑がずっと続いていました。それほど大きくない小教区ですが、結構人は来ていました。今日は土曜のミサでしたが、明日から聖週間なので、もっと人も増えるでしょう。私のイタリア語が通じるか多少不安ですが、まあ、何とかなるでしょう。ゆるしの秘跡も何人今日聞いたかなぁ。少なくとも2時間聞きっ放しでした。日本では、まずない経験だと思います。しかし、今日であの人数だと、明日はどうなるのか、不安といえば不安です。ゆるしの秘跡は司祭は受身に見えますが、実はかなり積極的なんですよ。イタリア語をずっと聞いているのですから、疲れるのですけど、授業の時とは違う疲れですね。何か久しぶりに、ほとんど一年ぶりといえるでしょうか、司祭職を果たしているような気分です。もちろん、毎日ミサもして、色々やっているんですけどね。今日のゆるしの秘跡のときに、勧めのことばはマテオ神父様に言われていたことを、そのまま言っています。あれ以上のことばを外国語で、いえ、日本語でも語ることができないような気がしています。簡単なことばでしたけど、ゆるしということの、本質を語り、励ました与えてくれますね。ゆるしの秘跡はミサの説教と違って、人に感想を聞けないので、なんともいえませんけどね、うまく伝わっているといいなぁ。今は、この教会の司祭館に泊まっているのですが、もちろん今は無人で私しかいないのですけど、暖炉があって、ストーブがあって、なかなかいい感じですよ。私、結構暖炉って好きなんです。遠赤外線の代表みたいなものですよね。体の芯から温まりますものね。さて、明日に備えて、今日は寝ましょう。
2007.03.31
メルカートをぬけて、有名な教会の一つ、カルミネ・マッジョレに行きました。ここは13世紀に最初のカルメル会員が建てたそうです。ここに、イスラエルから彼らが持ってきたといわれる有名な絵があって、それがその後の聖母子画の元になっているといわれています。確かによく見る構図です。 この絵の前で癒しを願って祈り、多くの人が癒されたそうです。多くの教会で、同じようなものがあって、なんだろうと思っていたのですが、これは癒しを願ったところ、かなえられると、その箇所をかたどった銀の板を奉納するそうです。この板は奉納してしばらくの間、保存されるそうです。ただびっくりしたのはこの板までも、町の古道具屋さんで売られていましたよ。1ユーロくらいでした。確かにこれ以外に使い道はないでしょうからね。 それから、当たり前といえば当たり前なのでしょうが、教会の外が騒々しいにもかかわらず、教会の中はシーンとしています。この絵は誰でも近くまで行くことができるのですが、絵の前でずっとお祈りしている人が何人かいました。教会の外と内のコントラストがはっきりと出て、すごいと感じました。 次にカテドラル(ドゥオモ)に向かいました。ここも騒々しいメルカートを歩きながら行くのですが、ここはまず普通の日本人が来るところではないでしょう。一緒に来た神父さんは、何度もナポリを訪れているので、ここまで来られるそうです。道が結構複雑なのと、小さな路地で、いかにも怖そうです。そこらじゅうに、泥棒がいるのではないかと、初めはびくびくしました。確かにこのあたりは貧しい人の地区だそうです。窓が開いていると、家の中が見えるのですが、日本でいうワンルームマンションみたいです。ドアのすぐそこに、キッチンと小さなテーブルとベットがおいてありました。その奥にドアはなかったので、あれが一つの家なのでしょう。興味深かったのは、道を挟んで隣の人としゃべりあっていたり、お互いの窓に紐をはって、洗濯物を干したり、多分近所づきあいは相当濃いと思います。誰かが道で叫ぶと、上の方の階から顔が出てきて、スルスルと小さな籠が下りてきました。すると、叫んでいた人はその中にワインをいれて、手を振っていました。酒屋さんなのか、お友達なのか分かりませんでしたが。この風景も結構見たので、ナポリの日常の巣たがなのでしょう。イタリアは結構携帯電話が発達しているので、ローマとかでは、携帯電話をすぐかけるのですが、ナポリでは大声で叫ぶという姿をみました。また、日本のワンルームマンションが、ほとんどお隣と交流がないのとは逆に、ナポリでは、小さいがゆえに関係が濃いのでしょうね。機械を通さない生の声、またその音に耳を傾けている人がいるというコミュニティがあるという、これが、ナポリがエネルギーにあふれていると感じさせられる所以かもしれません。
2007.03.22
前々から行きたいと思っていた町、ナポリ。ついに行くことができました。 まず余談から。ローマの町の交通のモラルが悪いのは前に書いたと思います。あっちこっちに二重駐車するし、すぐに割り込むし、ちょっとスタートが遅れたら、ブーブーとクラクションがなりますから。ペルージャの町もそうでしたね。バスの運転手さんの無茶な運転するとか前に書きました。本当に、日本では考えられませんね。 ごめんなさい、ローマ、ペルージャよ!!ナポリに比べたら、あなたたちはなんと慎ましく、穏やかなのでしょう!!知らなかった私が馬鹿でした。 イタリアに来て、何とかイタリア人に(ローマに住むイタリア人に)、ナポリに行きたいというと、危ないからよせとか、私は絶対行かないとか言われました。ピザといえば、ナポリ。スパゲティといえば、ナポリと、日本では決まっているのです。そのナポリことを、なぜローマの人が悪く言うのかと思っていましたが、よく分かりました。すごいところです。一言で言うと、ゴチャゴチャです。ソフィア・ローレンの映画なんかで見ていたけれど、昔のナポリだと思っていたのですが、今でも結構そのまま残っているようです。 ローマに長くおられる日本人の神父さんと一緒に行ってきました。彼はしばしばナポリに来るそうで、電車の中で、「もう無茶くちゃな町」って、何度も言っていました。昔学生のころ、フィリピンやインドに行っていた私に向かって、この先進国といわれるイタリアの一都市が、どれほど無茶苦茶と言えるのかと、少し冷ややかに聞いていたのですが、ついてみると、よく分かりました。無茶苦茶です。まず、ローマやペルージャなんか比べ物にならない交通状態。皆、マイルールで走っています。信号はありますが、ほとんど誰も守りません。もちろん、車も守りません。信号が青になったから、わたりましょうというのはナンセンスみたいですね。だって、青になっても、普通に車は走っていましたもの。一方通行の標識もあまり意味がありません。反対側から、どんどんバイクや車が走ってきます。 もう一つビックリしたのは、スクーターが多いのですが、ほとんどヘルメットをかぶっていません。一つのバイクに3人とか、ひどいのだと4人乗っていたりします。しかも、小学生ぐらいの子が、よく運転していたりします。もちろん、おまわりさんも見ているのですが、特に気にもかけていないようです。取り締まりもしているらしいですが、あれだとほとんど意味がないでしょうね。いやー驚いた。 それから、よく日本の本なんかで、ナポリの写真に、洗濯物が干している路地が写っていたりするのですが、こんなのは、単なるイメージだろうと思っていましたが、本当にそうでした。今日はお天気がよかったので、絶好の洗濯日和。私たちが着いたころには、ちょうど洗濯物が干されていて、上からぽたぽたと水が落ちてきました。しかも町のそこらじゅうで、それをやっているのですから、すごいですね。これはイタリアではない、インドだって、一瞬思ったくらいですよ。いやー驚いた。 電車を降りて、すぐに路地に入って、メルカートにいったんです。市場ですね。商店街みたいなものでしょうか。色々なものが売っているわ売っているわ。朝行ったこともあって、魚がいっぱいありましたね。写真を撮ったつもりだったのですが、撮っていなかったようです。でも、蛸とか鯛とか、色々ありましたよ。港の町ですから、海の幸は豊富ですね。でも、刺身は食べないと言っていました。ちなみに、コピー商品や海賊版のDVDがいっぱい売ってます。ほしかったのもあったのですが、やはり気が引けたのでやめました。 こう書くと何かナポリの悪口を言っているようですが、私はこういうゴミゴミしたところは大好きです。確かに泥棒なんかはいっぱいいますし(これについては後日書きましょう)、うるさいし、落ち着きませんが、人間が生きているという気がします。インドに行ったときもそうでした。フィリピンでもそうでした。ゴミゴミして、うるさいと言うのは、人間が生きているからです。人間が生きていると言うことは、そこに善と悪が混在することを意味します。ローマやフィレンツェといった、観光色の強い町では、悪はマイナスイメージですから、出来るだけ排除するでしょうね。安心で、明るくて、文化の町になるわけですが、それ自体は決して人間が生きている臭いのするものではありません。人間が生きている限り、必ず光と影が共存し、そのどちらかだけをとることはできないですが、どちらかだけを強調していくと、人間らしさというか、少しずつ何かに縛られていくことになるのでしょう。実は、ナポリも山の上は本当に静かで美しいところがあります。それについても後日書くことにします。一気に書きたいのですが、なかなかまとまらないのですね。結構ショックではなくて、昔色々考えていたことが再び訪れてきて、頭の中を駆け巡っているので、ちょっとずつ書いていくことにします。
2007.03.17
火曜日の朝から結構高い熱が出て、寝込んでしまいました。修道院で風邪がはやっていたのですが、ついにやってきたという感じです。少し疲れていたのでしょうか、ここ2日は昼夜問わず、ほとんど寝ていました。もらった薬のせいもあると思いますが。それに、自分でも信じられないくらい、水をいっぱい飲んだんです。2日で、ペットボトル4本だから6リットルですか。いくらでものめるって感じでした。熱があると、それだけ水を消費するということですね。当然食欲もなく、果物以外はほとんど食べられませんでした。 熱が高かったので、食堂までふらふらになって降りていくことができなかったのですが、同僚の神父さんが、毎食ごはんを運んできてくれました。ほとんど食べられなくて、いつも謝っていたのですが、うれしかったですね。でも、よくわからないのは、病人食のはずなのに、なぜでっかいお肉だったり、オリーブオイルたっぷりのパスタだったりするのでしょう?元気な時でも、ビックリするくらいたっぷりかかったオリーブオイル…。 看護師のブラザーも毎日様子を見に来てくれました。彼とはもともとあまり話をしたことがなかったのですが、仲良くなりましたよ。これは不幸中の幸いというものです。 副院長が突然やってきて、びっくりしました。彼はとてもいい人です。ニコニコしていますが、結構威厳があるので、ちょっと怖いのですが、私は結構好きなタイプの人です。でも寝込んでいる時に来られると、結構迫力がありますねぇ。 私が寝込んでいると聞くと、友達の神父たちが、時々やってきます。私のためにおいてあるオレンジとかたべながら、「大丈夫か、必要なものはないか」とたずねてくれますが、「そのオレンジは私の必要なものなのに」と思いながらも、「ないない、十分だよ」と答え、次にきた人にまたオレンジを持ってきてもらうように頼んだりと、寝込むのも楽ではありません。 でもやっと元気になったので、明日からまた勉強再開です。いっぱい寝たおかげで頭は大分すっきりしました。ちょっと疲れていたこともあるのでしょう。もうすぐ聖週間ですね。私も説教とかミサとかの準備を進めていますが、日本でも大変なので、イタリアではもっと大変です。あと2週間ですねぇ。がんばらなくっちゃ。それでは、また。
2007.03.16
今日はヨーロッパとアジアの大学生が、教皇様と一緒にロザリオをする集まりがありました。私も日本の代表団の一員として参加してきました。私はまだ大学生だったのです…。2時半にウルバノ大学の前に集まって、行列してバチカンに向かいました。初めは小さい道を通っていったので、あまり目立ちませんでしたが、道路を渡って、バチカンに入っていくと、結構目立っていたようです。アジアの学生とヨーロッパの学生は別の道を通ってきたみたいですから、アジアだけで200人以上はいたでしょうから。行列は30分くらいだったでしょうか。 バチカンに入って、パウロ6世ホール(?)、謁見が行われるところですが、その前で待つこと1時間くらい。結構風があって、寒かったのできつかったです。代表団は一般の人と別に後から入っていくの、最後まで待たされたのです。国旗を先頭に入っていったのですが、中に入ってもまだ動かず、ロザリオはいつ始まることやらと思いましたが、もうすぐイタリアに来て、1年です。待つことには慣れました。しばらくすると、また動き出し、教皇様の座る席から50m位のところに座ることが出来ました。もう10m前に座れなくもなかったので、少し残念です。それから待つこと、数十分やっと教皇様が入ってこられました。それからしばらくして、ロザリオが始まりましたが、この集まりは世界十二カ国と衛星で結んで、同時にロザリオをするというものです。主の祈りの前半は、教皇様がラテン語で唱えられました。後半も当然皆ラテン語です。そして、めでたしの前半は、代表の国の言葉で唱えられました。香港、フィリピン、ポーランド、インド、イタリアでした。英語、タガログ語、ポーランド語、インドは何語でしょう?、イタリア語です。後半はラテン語で唱えられました。こういうとき、確かにラテン語というのは、便利な言葉です。全員にとって、外国語ですからね。印象としては、まず教皇様の祈る姿の綺麗こと綺麗こと。祈る姿は大事です。跪かれてからは、ピクリとも動かれません。背筋がぴんと伸びていて、見ていて美しい姿です。もうすぐ80になるとは思えませんね。祈る姿は一朝一夕には身につくものではないので、どれだけこれまで祈りを大切にし、祈ってこられたかが良く分かります。若者が集まる集いでありながらも、集まりの頂点がロザリオの祈りで、結びの祈りの時には、シーンと静まり返るのは、決して現在が信仰の薄いときとは言えないということです。同時に、世界情勢の流れは、宗教的ではなくなってきているのですから、確かに複雑な時代に入っているのでしょう。待つ時間が長かったので、正直疲れましたが、教皇様と、世界中の兄弟たちと共に祈れたことは大きな恵みのときだと感じます。祈るために集まる。教会の初めの姿を見た気がしました。
2007.03.10
普段学校は6時半位に終わるのですが、今日は少し早めに終わったので、いつもと別のルートで帰ってきました。夜のサンタ・マリア・イン・コスメディン教会を見たかったからです。ここには、有名な「真実の口」があります。ローマの休日で、オードリー・ヘップバーンがそうっと、手を入れていたやつです。 昼間は、この口に手を入れるために(?)、多くの人が並んでいるので、ゆっくり見られないわけですが、夕方は閉まっているので、もちろん誰もいません。ちなみに、真実の口は教会の外にあるので、夜でも見ることはできるのです。手を入れることはできませんけど、オレンジの光の中に、ポツンとあって、きれいです。 芸術的な価値は良く分かりませんが、昔から多くの人が、少し怖さを感じながらも、恐る恐る手を入れてきたのでしょうから、ここに人間の歴史を感じます。人間は、何か秘密を持っていて、それを告白したい。でもできないという状態に板ばさみになっていることは多いと思います。ゆるしの秘跡は、その一つの大きな恵みの機会ですが、どうしても出来なかった人が、遊びとか観光だけではなくて、この口に手を入れることもあったのでしょう。確かにそうなのだけど、本当はそうじゃないんだ。そういう人間の悩みとか苦しみとかと共に歩んでいくことは、私たちが心に留めておかないといけないのでしょうね。 ちなみに私はローマでは、できるだけイタリア語で告白するようにしているのです。もちろん日本人の神父も、ここには大勢いるです。でも、たどたどしく、告白したいことの1割も話せないのですが、同時に必死に自分の心の中にある、告白したいことを探すのは、大きな意味もあると思います。普段すぐしゃべりだすイタリア人の神父も、この時は、何も言わず、じっと聞いてくれて、何か不思議な時を感じます。あまり真実の口の話ばかりしているのは、なんなので、教会の写真も載せておきましょう。道沿いにあるので、少し騒がしいのですが、教会の中は結構静かです。今日はもちろん閉まっていたので、入れませんでしたが。これは教会の前にある噴水です。有名な広場なのですが、どうしても名前が思い出せません。ローマには結構あちこちに噴水があるのですが、この噴水は私のお気に入りの一つです。特に夕方からは、オレンジと白の光で照らされて、とてもきれいです。さて、今日はこのくらいにしましょう。
2007.03.08
オリビエートという町に行ってきました。ここはローマから電車で1時間ちょっとのところです。ペルージャに行くとき、よく通っていたので、一度訪れて見たいと思っていました。なぜなら、この町は大きな岩というか、絶壁の上に町があるのですね。写真はオリヴィエートの駅から撮ったのですが、本当は電車の中から撮ったほうが良くわかります。岩の上に、どーんと町があるのです。 駅を降りると、すぐ前に、町に上るためのケーブルカーがあります。バスでも登れるようですが、ケーブルカーが珍しいので、こっちにしました。上の町まで、ほんの2,3分でしょうか。でもこれを歩いて上ると結構かかるような気がしますね。 この町のカテドラルは有名です。教会の正面は本当に派手というか、豪華です。教会の感じは、この前行ったシエナに似ているような気がします。教会が縞々なのです。しばらく、この教会を眺めていましたが、迫力のある教会であるのは確かです。 一方で、教会の中はとても質素です。薄暗くて、装飾もあまりないのですが、祭壇にある十字架はとても印象的でした。ステンドグラスからの光に照らされている十字架は何か象徴的なものを感じさせます。 それから、この教会には、聖なるコルポラーレというものがあります。聖別されたパンからでた血がコルポラーレについたそうですが、本当かどうか分かりません。ただ私はイタリアに来てからですが、最近というか、伝説というものを、とりあえず信じるようにしています。だからこの前でしばらくお祈りしていたのですが、結構大勢の人がお祈りしていて、ここは確かに祈りの場として大切なのだと感じました。静かでいいところです。 この町は、観光地なのでしょうが、それほど多く見るものはないような気がします。カテドラルの前にある観光案内所のおばさんは、とても親切でした。地図をくれたり、色々説明してくれましたが、特別なにか有名というのではないようでした。でもとてもいい気持ちでした。そこで、町を歩き始めたのですが、歩いていて、とても落ち着く町だと思います。小さな小道を歩いていると、何かいいなぁと思える景色に出会いますし、ベランダに干されているTシャツなどを見ても、何か風景に溶け込んでいました。 歩いていると、小さな教会がありました。聖クララの教会だそうですが、とても小さくて、私が神学生、助祭、司祭になってからお世話になった日本の教会を思い出しました。中はとてもきれいに掃除されていて、古い椅子もきちんとそろっていて、きっとこの近くの信者の人が大事にしているのだろうなあと感じました。 さらに歩くと、ふと気づきました。もうこっちは春なのですね。町のあちこちに桜が咲いていました。すごく古いまちだそうですが、いいものをどんどん取り入れるだけでなく、オリジナルがそのままの雰囲気を保って、今もあるというのは、これはすごいことだと思いました。結構長い時間歩いていたのですが、飽きるという感じはありませんでした。同じような光景なのですけどね。アッシジのような聖なる雰囲気が漂っているわけでもありませんが、疲れたとき、ちょっとフラッと来てみようかなと思える町です。1週間の観光とかで、ここをルートに入れるのは、かなり勇気がいりますが、一ヶ月とか、まとまった時間があるなら少し寄ってみるといいかもしれません。フィレンツェとローマの間にあるので、移動中に途中下車してみるのもいいでしょうね。3時間あれば、一周できるのでしょうけど、朝起きて、ちょっと電車に乗って、お昼ごはんを食べて、お散歩して帰ってくるという、ちょっと長い散歩にちょうどいいでしょう。でも、よく歩いた一日でした。
2007.03.03
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