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ローマの旧市街地にあたるらしいトラステーベレに行ってきました。実はサンピエトロに行くつもりだったのですが、行ってみると長蛇の列。おまわりさんに聞いたら、「4時間くらい待つんじゃないか」と言われて断念しました。仕方がないので、ローマの街を一望できるジャニコロの丘に上ったのですが、残念ながら曇っていてあまりよく見えませんでした。しかし、バチカンに行った後に、ジャニコロの丘に登るのはお勧めです。115番か870番のバスに乗れば、てっぺんまで上がってくれます。115番はサンピエトロのすぐ近くの地下バスターミナルからでますが、うまく説明できないところにあります。ウルバノ大学の前のバス停は、115番も780番も通りますから、そっちの方がいいかもしれません。番号はよく分からないと思いますが、ローマに行ったら、バスの路線図が売っているので、持っていると便利です。 ジャニコロの丘から、再び115番のバスに乗ると、トラステーベレに下りてきます。前から行きたかったので、ここで降りて、ぐるりと回ってきました。まず、サンタ・マリア・イン トラステーベレに行きました。教会の前は大きな広場になっています。きっと夕方になると、ここに人がいっぱい集まってくるのでしょう。バールやリストランテもあって、ローマっ子の格好の夕涼みの場所になりそうです。ここは雨が強く降ってきたので、残念ながら写真撮れませんでした。内部もミサ中だったので、遠慮しましたが、モザイクが素晴らしい教会です。ローマに来たら、ぜひ行かれるといいでしょう。 その次に、聖フランシスコ ア リーパ教会に行きました。ここはアシジの聖フランシスコが教皇に謁見しに来た時に、泊まった場所だそうです。きっと宿場だったのでしょうね。確かに教会というよりも、もっと庶民的な雰囲気のあるところでした。内部はお葬式をしていたので、やはり撮れませんでした。今度ゆっくり見に行こうと思います。 次に、聖チチリア・イン トラステーベレ教会に行きました。ここは有名な教会です。聖チチリアは音楽の聖人です。殉教者ですが、遺体のある上に祭壇があって、祭壇の下には聖チチリアの殉教の像があります。この教会は祈りの雰囲気に満ちています。もちろん、観光客もいるので、ざわざわする時もあるのでしょうけど、私が行った時には、祈っている人が結構いました。なぜ聖チチリアが音楽の聖人なのか知りませんが、音楽と静けさがうまく調和しているのではないかと考えたりしました。 さて、次は聖アガタ教会です。ここも有名な教会らしいです。聖アガタ自身は女性のための聖人で有名ですが、なぜここに教会があるのかを読む前に、時間が来てしまいました。イタリアはお昼休みをきちんと取るので、時間が来ると教会も閉められてしまうのですね。大体、昼間は閉まってしまうところがおおいのですね。少し残念です。ちなみに、何か有名な逸話があるらしいので、もう一度行って、きちんと読んでこようと思います。それほど大きくないですが、古くて、いい教会だという気がしました。 サンピエトロにいくはずが、なぜかトラステーベレになってしまいましたが、月曜の午前中をいい時間すごせました。最近、少し疲れていて、出不精になっていたので、ちょうどいい気分転換と霊的刷新の時間をとれたと思います。疲れたときには、やはり少し外に出ないとダメですねぇ。暑くなってきたので、また出不精になりがちなので、ここに写真を載せるためと思って、もっと出歩こうと思います。
2007.04.30
ローマは桜が多いのですね。日本のと同じかは分かりませんけど。そして、今は八重桜があちこちで咲いています(写真はあとで撮ってきましょう)。だから、気温としては日本と変わらないのでしょうね(今の部屋の温度は24度となっています。この温度計はあまり信用できないのですけどね)。でも、桜ってなぜか日本を思い出して好きです。 日本では、多分今週末からGWですね。日本のカレンダーが無いのですが、なんとなく、飛び石連休なのでしょうか。イタリアも明日から5月1日まで4日間の連休です。お客さんが来る予定なので、あまり休めないかもです。お客さんが日本人だったら、気が楽なのですけど、今回来るのは、聖週間に行ったカラブリアの町から、シスターや若者の巡礼のグループなのですね。たった1週間しかいなかったのに、ローマに来るからとわざわざ声をかけてくれるのは、うれしいものです。一緒にヨハネパウロ2世教皇のお墓参りに行く予定です。ここ数日、大雨にこそなりませんが、また夕立が続いているので、彼らが来る時には降ってほしくないですね。 全然別の話題ですが、イタリアで生活するのは、しんどいですが、間違いなくこっちの方がいいとするなら、やはり神学関連の本が多いということでしょう。聖書学の本とかもすごい量がありますね。読んだら面白いのかもしれませんが、読む気にならない私は怠け者なのかしら? でも、一応自分が勉強している分野の本は少しずつですが読んでいます。今習っていることの大きな柱の一つは「成熟」というです。これは修道生活にとって、非常に大事なことだということが、改めて分かってきました。ちょっとこの分野を開拓したいと思っています。霊的成熟はもちろんなのですが、召命や養成(神学生だけでなく、生涯のも含めて)にもつながっていきそうです。理屈や解釈は今まで多く勉強してきましたが、一歩下がって、人間の生き方という一面から、信仰や修道生活を見てみたいですね。そして、そういう本がいっぱいあるのが、ここのいいところです。 外が少しずつ暗くなってきました。そろそろ降り始めるかしら。できれば、学校に着くまでは降ってほしくないのですが、あと2時間、きっと待ってくれないでしょうね。傘の用意しなくては。
2007.04.27
久しぶりに、お昼ご飯に日本食を食べてきました。今年の7月に司祭叙階を受けるペルー人の兄弟と一緒に行ってきました。7月に叙階を受けて、9月の終わりに戻ってきたら、すぐに学校が始まりますし、5月も半ばになると、試験期間でゆっくり話することもできなくなりますから、少し早いけど、叙階のお祝いを兼ねて。本当は私がご飯を食べたかったというのもあるのですけどね。 ローマにはいくつか日本食レストランがあるのですが、彼が一度寿司というものを「見てみたい」というので、お寿司を出してくれるところに行きました。噂にしか聞いたことがない未知のものだったようです。彼にしては、はじめてみる寿司というものと、初めて食べるお刺身、見たことしかないお箸を使って食べていましたが、楽しく食べることが出来ました。学生の共同体に行くと、夕食後テレビを見るか、寝てしまうか、ちょっと勉強するかするので、あまり個人的な話をすることは多くないのですね。今日は授業が5時からだったので、たっぷり時間もあったし、楽しい時間でした。もうすぐ司祭職を受ける緊張とか、期待とかも聞けましたし、楽しかった、楽しかった。今年は私の共同体で4人も司祭叙階があるので、楽しみですねぇ。
2007.04.26
だんだんと暑くなってきましたね。暑いのと同時に、太陽の光がまぶしくなってきました。日本ではあまりサングラスって必要ないのですが、こっちではあったほうがいいような気がします。ローマは白い建物が多いのでしょうね。何か歩いていると、目が痛くなってきます。教会の建物は、そういえば白が多いですね。 つい先日まで夕立が毎日降っていたのですが、最近は降っていません。ローマで大雨が降ると、下の写真みたいになるんです。日本みたいにうまい具合に下水に流れ込むように道路が作られていないので、道路の一番低いところにたまるのですね。そして、車は容赦なく、この水に突っ込んでくるので、道を歩いていて、水溜りがあると要注意です。びしょぬれになる時あってありますからね。 復活祭の疲れは取れたと思ったのですが、暑さもあって、ちょっとくたびれています。まだ暑くて眠れないというほど暑くはないのですけどね。学校は5月いっぱいで終わるので、6月には、またペルージャか、この前行ったカラブリアに行こうかなと考えています。ローマは本屋さんとかいっぱいあって楽なのですけど、なんか気分転換がしたい感じです。日本には、帰らなくていいなら、今回は帰らないでおこうと思います。あと1年ちょっとしか時間が無いですからね。(連絡) 私に復活祭のお手紙やカードを送って下さった方で、住所とかメールアドレスを書いておられない方は、このブログの左上に「メール」のところに、「メッセージを送る」というのがありますから、そこから教えてください。教会の住所にしておられる方もいらっしゃいますが、連絡がなければ教会に送りますし、ご自宅にお送りする方がよければ、そちらにお送りします。
2007.04.25
ローマはとっても暑くなってきました。ちょうど一年くらい前に、こちらにやってきたのですが、その時もこんな暑さだったでしょうか。あの頃は緊張して、コチコチになっていたので、暑さを感じることも出来なかったのかも。 この一年、色々学んだ感じがします。特に信仰という言葉が、一層身近になってきたような気がします。それは、今までブログに色々書いてきた体験とか勉強とかもあるのですけど、聖書をよく開いたり、ミサをイタリア語でしたり、日本では特に意識しなかったことに気づくようになったからかもしれません。 実際に、私たちの日常には、こういうことは実は多いのではないかと思います。意識してしなかったのに、ふと気づくと、そこに神様のお恵みが見えた。それを感じた時、何かじーんとして、心が熱くなるのを感じます。私、昔昔イグナチオ教会で教会学校のリーダーやっていたんですけど、その時小学校1年生担当だったのですね。小さくて、ちょこちょこ走り回っていた子供たちでしたけど、なんとこの3月に大学を卒業して、社会人になって巣立っていく年齢になったんです。その一人から御復活の手紙をもらったのですね。普通に感じれば、16年の年月が流れたというだけですし、ごく当たり前のことなのですが、あの男の子が、あの時の私と同じ年になって、社会で働き始めたと感じた時、何かジーンとして、感謝したくなったのです。彼は私の助祭叙階の時も来てくれたので、大きくなったのは分かっていたのですけど、この16年の間、神様は確かに彼を守ってくださったのでしょうね。 また別の手紙も頂きました。息子さんを亡くされたお母さんからの手紙でした。ある日亡くなられた息子さんを強く感じられたそうです。不思議な体験ですが、これぞまだに愛によってのみ感じられる実感、現実であって、決して思い込みや想像などではないと思います。母親の愛の目を通すと、死という壁はいつか乗り越えられてしまうのでしょう。このお手紙を読んで、またもやジーンとして、息子さんとお母さんの再会を神に感謝して、先日御ミサを捧げました。復活の証なのでしょうね。 聖母マリアは、最後までイエスと共にいたのは、有名な話ですが、当たり前ですが復活後もやはり共にいたのでしょう。私たちは実際に不思議な体験を様々なところでしています。頭で理解できないことを、「奇跡」とよんで、驚いたり、それを神の恵みだと騒いだりしますが、そうなのかもしれませんが、私はこれが「希望」といわれることの姿だと思うのですね。愛から生じる希望は、他人から見れば、馬鹿馬鹿しいものが多いです。しかし、神はその希望を大切にしてくださる方です。希望が成就すると、さらに祈りが、愛が純粋になっていくように思います。この一年、本当に色々な親切や愛を体験してきましたが、なかなかそれに気付いていくのは難しいものです。でも、勉強や祈りを通して、もっとアンテナの感度を上げていければいいなぁって思います。
2007.04.23
復活祭から10日ほどたちました。慌しい時期から平常の時期へと戻ったこの時、四旬節からの歩みや聖週間に考えていたことなどが色々と思い出し、思い巡らしています。 現在という時代に、キリスト教は何を伝えようとしているのでしょうね。私たちは何を知っているのでしょうね。神の愛を伝えるのだ、かぎりないゆるしを述べ伝えるのだと語りながらも、神様の愛を信じているとは思えない生き方をし、ゆるされていることに甘えてしまっている自分がいたりする気がします。 今はインターネットが発達しているので、日本の事件や事故の話題もすぐに伝わってきます。大きな事件が起こるたびに、心が痛くなり、お祈りします。一方で、そんな大きな事件や事故もすぐに忘れてしまう自分がいます。本当に心を痛め、祈っているのだろうかと思ってしまったりもします。 昨日、急いで階段を上っていると、おじいちゃんの神父さんに、そんなに急がなくても、階段はなくならないよと、微笑みながら言われました。何か当たり前のことなのですが、心に残りました。ちょっと急ぎすぎているのかもしれませんね。色々なことに心を痛め、考え、祈らなければと、いつの間にか自分を縛ってしまっているのかもしれませんね。 心にチクッと痛みを感じた時、そこに立ち止まって、痛みを感じなければならないのかもしれませんね。そこに立ち止まって祈らないといけないのかもしれませんね。そういうば福音書を読んでいると、イエスは度々立ち止まられますね。大事なのかもしれませんね、こういうイエス様の姿って。 ヨハネパウロ2世教皇が、最後の時を迎えていた時、きっと彼はこの立ち止まるという時を過ごしていたのではないでしょうか。テレビや新聞は、次の教皇の話をしている。それは自分の生の終わりを意味しているのですが、彼は世界中を飛び回り、走り回ってきた偉大な教皇です。多分彼ほど世界に愛、平和、ゆるし、謙遜を述べ伝えた人はいないでしょう。ことばにおいても、行いにおいても、本当にすばらしい人でした。その彼も、最後は立ち止まって、自分の生を見つめていたのでしょう。自分の述べ伝えた愛を、自分が生きたゆるしを、自分が感じた平和というものを。 聖霊降臨までの復活節という時間はきっとそのための時間だという気がします。死から命へ、闇から光へ。新しい過ぎ越しとは、そういうことですが、それは一瞬にして起こす化学変化のようなものではないでしょう。人のいのちというのは、そんなに簡単に変われるものでもなければ、変わっていいものでもない。私たちが生きてきた歴史はそんなに軽くないのですから。50日をかけて、私たちは復活を祝うわけですけど、それは過去の祝いではないのでしょう。お誕生日のように、純粋にこの生を喜ぶというのとも違うと思います。大きな生という流れの中で、今少しだけ、その向きが変わろうとしている。立ち止まっている。このまま進めば、自分が予想できる、無難といえるかもしれない生が待っているのに、私は立ち止まっている。向きを変えるのか、このまま進むのか。立ち止まって、見ているこの時はとても大事なのでしょう。 調べていないので分からないですが、一年の中で復活節が一番長いのではないでしょうか?もし、そうだとしたら、立ち止まって少しずつ向きを変えている時というのが、一番大事で、必要な時なのかもしれませんね。 復活節に何をお祝いするのでしょうね。今すぐ考えなくてもいいのですね。50日かけて、ゆっくり考えていきたいと思います。当たり前ですが、神学のこと、ごちゃごちゃと語らないでね。これは私のひとり言なのですから。
2007.04.19
復活祭の休みも終わり今日から学校が始まります。時間割が復活祭前と変わり、週三回だったのが、四回になるのはつらいのですが、2日は夕方5時からなので気分は楽です。3時からだと眠くなるんですね。イタリア人がシエスタを取る理由が良く分かってきました。だって、お昼は眠くなりますものね。日本にいた時からそうでしたけど…。 修道院も、各地に出かけていた神父さんたちが帰ってきて、にぎやかになってきました。全員そろうことは、ローマの本部修道院ではまずないのですが、今日のお昼ごはんでは、テーブルがほとんど埋まっていたので、かなりの数の神父たちが帰ってきているのでしょう。名前はほとんど覚えていません、外国人の名前は難しいから。私は日本人という珍しい人種であることと、ちょろちょろとあっちこっちの集まりに顔を出すようにしているので、名前は覚えられているようです。しかも、カラブリアとシチリアに行っていたものだから、顔が日焼けしているので、こいつ遊んできたなと思われているかも…。まあ、確かに遊んできたのですけどね、たまには必要なんです。いつも遊んでいるわけではないのです!断じてないのです。 リハビリも兼ねて、今日午前中、教科書を読んでいました。やはり、専門用語は忘れているみたいで、辞書を引く回数がやたらと多かったのですが、お昼ごはんでは、イタリア人の神父さんと結構しゃべれたので、カラブリアでの奉仕とシチリア旅行の効果はあったようです。どっちがいいのだか分かりませんが、また徐々に勉強のペースも上げていきましょう。 昨日は夕方大雨だったので、今日も雨でしょうね。ローマの天気は降りそうで降らないというのはありません。降りそうだと必ず降ります。今日は傘を忘れないようにしなくては。それでは、また。
2007.04.17
昨日の夜旅行から帰ってきて、今朝いきなり日本人ミサの司式でした。ローマで日本語のミサを主司式するのは、これが初めてだったかもしれません。今日は御復活あけでしたし、隣のサンピエトロ大聖堂では、教皇様のお誕生日のミサがあったので、皆さんそちらにいかれていたみたいで、人数は少なかったです。枢機卿様はロシアに行かれているので、こじんまりしたミサでした。 初めにびっくりしたのは、「父と子と聖霊の御名によって」ということばが、出てこないんです。普段からやっていないとできないとはびっくりでした。そういうば、もうすぐ1年たつんですね。去年の復活明けの木曜日に日本をたったわけですから。 イタリア語でミサをするようになって、私が司式するミサはとてもゆっくりになりました。イタリア語の発音の問題もありますが、やはり祈りというものは、心をこめて捧げるものだと感じるからです。 日曜日の小教区のミサなどでは、時間の制限もあったりするので、難しい時もあるのでしょうが、司祭の祈りもそうですし、ことばの典礼も、共同祈願も、この時間の中で行われているのは、神のことばを聴くことであり、神に向かって心をあげている時であるということを思っているのは大事なことでしょうね。特に、神の言葉を聴くこと。ユダヤの民は、それを聞きたくて聞きたくて、待ち焦がれ続けていた。モーセが十戒を手に戻ってきた時、その十戒とは、私たちが今手にしている聖書に比べれば、微々たるものです。しかし、神のことばを受けたという喜びは、ものすごいものだったわけです。司祭も信徒もそうですが、共同体がみことばに耳を傾け、神の言葉を体の中に注ぎ込んでいくことなしに、食卓の典礼における限りない愛のしるしである聖体の秘跡は私たちを生かしていかないのではないかと思います。 久しぶりに日本語で説教したわけですけど、何か日本にいた時は学校で習ったことを中心にキリストの教えを分かりやすく解説することが説教だと思っていたのですが、今感じているのは、私がキリストに、このみことばの意味をお尋ねする、そのプロセスを共同体と共に歩んでいくことではないかと思っています。そのための説教の準備はすごくかかるのですね。 カラブリアで経験したように、原稿を書いて、そのまま読むのでは、なかなか歩くことは出来ても、歩むことはできないんです。これは今、時間が十分あるからできることなのかもしれないのですけど、みことばを読んで、「主よ、これは何なのでしょう」という思いがでてくるまで、粘るわけですけど、解説書に載らない、みことばの上に浮かんでいるものを見続けるというのでしょうか。とにかく、感動させるためや知的好奇心を満たすためでなくて、神の民は、今あなたに向かって歩んでいる姿を、歩んでいる私たちの足を一歩踏み出させるお話が出来るといいなぁと思います。 ちなみに、今日の説教の原稿は当然無いわけですから、ここで紹介は出来ないのです!でも、復活とは、強いものが強さを感じることではなく、弱くて弱くてどうしようもないものを、神が立ち上がらせてくれることだっていうことです。強いものが常に勝っている、迫害している今の世界にこそ、復活の光は必要なのだと、十字架上のキリストの血が今も必要なのだと思います。
2007.04.15
朝、まだ暗かったですが、起きてみると日の間近でした。海の上から見る日の出ってきれいですよね。太陽が昇ってくるというのは、毎日同じようにあるわけですけど、なぜ日が昇ると感動するのでしょう?ゆっくりゆっくり上ってくるおひさまを、見ていました。 そうこうしているうちに、ナポリに着きました。ここで私がしたいことは2つ。一つは前一度見たのですが、サンセベロ礼拝堂にある十字架降下のキリスト像を見たかったのです。ここは厳しく写真撮影が禁止されるので、とれていないのですが、これを見に行くだけでもナポリに行く価値があります。私ははじめの時、震えました。彫刻だと分かっているが、膝まづきたくなるほどです。今度、絵葉書をデジカメでとってみましょう。もう一度訪れてみて、やはりすばらしいものでした。 もう一つはサンタルチア港にいくことです。歌で有名ですよね、この港。どんな港なのか。ヨットがいっぱいあるのだろうと思っていましたが、確かにそうでした。決して大きな港ではないのですが、何か落ち着いていい感じでした。港の端には、聖ルチアの像がありました。きっとここで多くの人がお祈りしたことでしょう。ここで、お昼を食べました。やはりナポリといえば、ピザですね。ふわふわして、分厚くて、とってもおいしかったです。旅の終わりはやはり食で終わるのが基本でしょう。 さて、そういうナポリ見学も終えて、ついにローマ行きの電車に乗りました。もうクタクタなので、ぐっすりでした。この電車もローマ到着が30分遅れましたが、このたびは大きな混乱も無く、本当に良かったです。綺麗なところをまわって、心はすっきりです。ちょっと疲れましたけど。クタクタですけど。でも、明日は日本語のミサの司式しないといけないんですね。もう少し気合をいれてがんばらないといけません。でも本当にいい旅でした。神に感謝です。
2007.04.14
本当はアグリジェントから、別の街を経由してパレルモに戻るつもりでしたが、今日は国鉄がストライキで動いていなかったことと、少し疲れがたまってきていたので、アグリジェントでゆっくりすることにしました。旧市街地といわれる地域をウロウロしていました。途中で私の会の修道院もあったのですが、誰もいませんでした。多分今シチリア管区は管区会議中なので、全員出払っているのでしょう。古いというか、いい感じの路地がいっぱいあります。向こうのほうには海が見えているのですが、うまく写っていませんね。 街を歩いていると、すごい花を見つけました。藤でしょうか?とにかく乱れ咲きという感じできれいでした。この街には色々な色の花があっていいですねぇ。 花の写真を撮っていると、後からおじさんが大きな声で叫んでいました。撮ってはいけないのかとドキッとしましたが、よく聞くと、私も撮ってくれといっているようです。このおじさん、私に撮られると日本のブログに載せられることを知らないようですねぇ。でも陽気な感じのいい人でした。シチリアの訛りのためか、私のイタリア語のせいかよくわかりませんが、何を言っているのかよくわかりませんでした。でも、親切な人がおおい町ですよ。 そうこうしているうちに、バスの時間になったので、パレルモに向けて出発しました。乗った瞬間から到着するまで、ぐっすりぐっすり眠りました。もう疲れは最高潮といったところでしょうか。でもあとはフェリーに乗るだけです。やれやれ。結果として、フェリーに乗ったのですが、フェリーの出発が1時間以上遅れたので、ちょと心配でした。出発してからも、ちょっとゆれましたね。酔うとかいうほどではないですが、ゆうらゆらという感じです。でも、疲れているので、朝までぐっすりお休みです。
2007.04.13
朝早くおきて、ご飯を食べ、バス停に向かいました。今回一番楽しみにしているアグリジェントにいくのです。この街は聖書にも出てくる街で(どこに出てくるのかまだ確かめていないのですけど…たぶんパウロがローマに来る時に寄ったんじゃないかと思いますが)、とても古いのです。有名なギリシャ神殿が建っていているのです。 バス停はパレルモの駅の前にあります。電車でもいけるのですが、バスの中で寝むりたいので、バスにしましたよ。電車は途中で止まったりするので、泥棒とかが心配ですものね。バスは駅に着いたら、既に到着していて、すぐに乗り込みました。そして、乗るとすぐにzzz。1時間くらいして目が覚めると、外はお花でいっぱいでした。黄色いのと赤いのでいっぱい。バスが揺れていて、うまく撮れなかったのですけど、絨毯みたいに一面にって感じでした。田舎のいい風景だなあ。 出発して2時間半くらいで、ついにアグリジェントに到着しました。ギリシャ神殿の間を通りながらと思っていたら、なんと街ではないですか!ここは新市街地で、神殿は、神殿の谷というところにあるそうです。神殿の間をバスで通り抜けると思っていたのに。まあ、当たり前といえば、当たり前ですか。ここの地図は持っていなかったので、案内所で地図をもらい、宿に行って、荷物を降ろして、いざ神殿に。といいつつ、少し疲れも出ていたので、バールで一休み。がむしゃらに回るたびではありません。バールから、遠くに神殿が見えているのですが、こうやって、遠くから見るのもまた乙なものです。バスもあるのですが、歩いて、神殿の谷までいくことにしました。やはり、だんだんと神殿が近づいてくるというのがいいのではないでしょうか。 実際に神殿に行ってみると感動しました。神殿の多くはもちろん倒壊しているのですが、ほんのいくつかは、奇跡的に、本当に奇跡的にまだたっているのですよ。もう何千年も重力に逆らって、立っているなんてすごいじゃないですか。きっと地震もあったでしょうし、風のきついところだし、本当に奇跡です。アグリジェントはギリシャよりもギリシャ的だと聞きましたが、本当にそうだと思いました。 神殿の柱は全部漆喰で真っ白だったそうです。この柱にはまだ当時の漆喰の跡が残っています。ちょっと薄汚れていますが、当たり前でしょうけど、きっと当時はすごかったんでしょうね。真っ白な柱の上に、綺麗な色で装飾された屋根が乗っていたのでしょうね。 バスの中から見た花がここにもさいていました。なんていう花でしょうね?黄色くて、小さな花ですけど、一面に咲いていて、見ているだけでうれしくなりますね。昔、母に「はなのすきなうし」っていう本を読んでもらったことを思い出しました。お花の大好きなフェルジナンドっていう牛のお話です。きっと、フェルジナンドはこんな花を見ていたんじゃないかなぁ。 昼間の神殿も綺麗ですね。特に柱の形は芸術的だと思います。これが何千年も倒れていないって、不思議ですねぇ。 夜の神殿です。中には入れないので、外からライトアップされたものを見ました。これを撮るのに、暗い道を結構歩かなければいけなかったのですが、それだけの価値がありました。綺麗です。幻想的でうっとりしました。 アグリジェントは、ある意味では泊まらなくてもいい町なのかもしれません。パレルモから日帰りでいけなくもないですし、多くの人はそうされているかもしれません。でも夜の神殿は見る価値があります。近くから見ても綺麗ですし、新市街地のある山の上から見ても、すばらしい景色です。山の上の方の教会からも、遺跡がでるそうですから、山も上まで、ずっとずっと昔から人が住んでいたということですね。不思議ですねぇ。
2007.04.12
ポンペイからナポリに戻って、ナポリの港から一晩かけて、パレルモに渡ります。私は大学が船の学校だったので、船は大好きです。しかも、この船はフェリーにしても大きなもので、久しぶりの船の旅でわくわくしてしまいました。船から見る港は陸から見るものとは少し違いますね。ちょっとだけ角度が違うだけなのでしょうが、独特の光景に見えます。フェリーの部屋もきれいです。もちろん椅子席もあるのですが、明日からの旅行に備えて、ベットの部屋にしました。多少ゆれますし、エンジンの音はゴトゴトしますけど、シチリアにいくなら、ナポリからのフェリーはいいですよ。宿泊費の節約にもなりますしね。ポンペイとナポリの町を少し見て、少し暗くなったら、フェリーに行って一休みという感じですね。部屋にはトイレもシャワーもあるので快適です。 さて、パレルモに着きました。朝の港は静かです。潮のにおいは大好きです。さて、いよいよシチリアに到着でうきうきしています。 荷物を宿においてもらって、すぐに朝市に出かけました。イタリアはどこでもまだ朝市というのが残っています。特にナポリやパレルモといった南の町では頻繁にあるようです。メルカートっていうんですが、もしメルカートがあったら、行ってみるといいですよ。やはり活気がありますよね。パレルモはお魚のおいしいところです。朝市には、いっぱいお魚屋さんがありました。早かったので、まだ開店前だったところもあったのですが、面白かったのは、もう買いに来ている人がいたのです。開店前なのですから、まだ値札がついていないんですが、買う人が勝手に値札をつけてしまって、店のご主人が、それじゃあだめだと、大騒ぎしていました。多分、いつもの光景なのでしょうけど、何か楽しいですね、こういう風景って。ちなみに、魚は結構日本の魚と似ていました。たことか、いかとか、あじ、さば、太刀魚などなど。お刺身で食べたらおいしいだろうなぁって思いましたが、こちらでは、刺身は食べないみたいです。 メルカートから、街を歩きました。いい感じです。ナポリほどゴチャゴチャしていませんし、朝だということもあって、洗濯を終えて、洗濯物を干しているおばさんとか、家の前を掃除している人とか、人間が生きていると思いました。 それから、カテドラルに行きました。ミサにも行きましたが、ほんの数人しかミサにあずかっている人はいませんでしたね。きっと聖週間で皆疲れ果ててしまっているのでしょう。この後、カプチン会のカタコンベに行きました。ここは写真禁止なので写真はありません。とても有名なベビーガールという女の子が眠っています。死後、何らかの処置をされたのは分かっているのですが、本当になくなったときのそのままの姿で横たわっています。それとは別に多くの人が骨になって飾っているというか、安置されているというか。日本語では、骸骨寺と呼ばれているのですが、やはり死後も共にいたいと言う願いがこもっているのでしょうね。何百という骸骨のカタコンベなので、ちょっと不気味なのですが、これだけの人が生きていて、そしてなくなっていたという証ですね。日本人には少し受け入れがたい感じもありますが、神聖な場所です。多くの司祭や修道者のがいこつもあったので、私のためにお祈りくださいと、お願いしてきました。 バスに乗らずに、結構歩いたので、ご飯にしました。ご飯の写真も結構いっぱい撮ったのですが、あまりおいしそうに写っていなかったので、おいしそうに写っているやつだけ乗せましょう。とにかく、魚が新鮮ですし、料理法を一生懸命研究しているのでしょうね。とってもおいしかったです。量もいっぱいでしたし。イタリアでおいしいものを食べたければ、南にいくといいと思いますよ。特に魚の料理は。 で、この日の午後は、さすがに聖週間から休みなしの旅行でしたから、疲れが出て休みました。行きたいところは他にもいくつかあったのですが、もうがむしゃらに動き回る年でもないので、お昼ゆっくりねていました。起きるとまたごはんだったんですけどね。食っちゃ寝、食っちゃ寝ですから、母にしかられそうですが、たまにはいいでしょう。夜のご飯もおいしかったです。でも寝ていたのですから、あまり食べれませんでしたが、鮭のスパゲッティー、本当においしかったんです。満足の一日でした。
2007.04.11
復活祭の休みを利用して、ナポリとシチリアを少し旅してくることにしました。旅の一番最初は、ポンペイという街です。ポンペイは有名な町です。近くの火山が爆発し、3日間で町全体が火山灰の下に埋まってしまったそうです。ポンペイの反対側にはナポリがあるので、風向きや爆発の状況によっては、ナポリの町のあるところが火山灰の下になっていたかもしれない爆発でしょう。 一瞬にして、火山灰の下になったので、この街は本当に綺麗な形で、当時の生活を残しています。綺麗な形をした壷やカメがあり、家の形のそのまま残っています。ローマの近くにあるオスティア・アンティカも、こういう雰囲気を残しています。大きな町ですから、爆発によって多くの方がなくなったのでしょう。一つの偉大な文明がなくなったのですが、それは文明だけでなく、多くの命が失われた時でもあります。本当に祈りたくなりました。この街には多くの神殿がありましたが、これは自然を初めとして、偉大な力に対する人間の服従のしるしであり、また人間の対抗する意識の表れではないかと思います。ただ、実際に火山の爆発の前では、神殿は無意味であったのでしょう。 ひょっとすると、神殿の祭司の予言などによって、多くの人が逃げ出していたかもしれませんね。そういう可能性もあったと思いますが、やはり家族を失い、自分の故郷を失ってしまったのでしょうから、悲しいことには変わりありません。一方で、何千年後の今においても、彼らの偉大な技術力、芸術、繁栄を目にするのは、この火山灰の下に閉じ込められてしまっていたからですし、これも神秘的なことだと思いました。 そんな中で、かわいいというか、今の人も昔の人も変わらないなっていうのを見つけました。家の入り口に描かれたモザイクなのですが、よく見ると分かりますが、犬の絵が描いてあるのです。写真には残念ながらうつってないのですけど、下に「犬に注意」って書いてあります。この時代、既に飼い犬がいたということですね。番犬だったのか、それともペットみたいなものだったのか分かりませんが、どっちにしてもかわいがっていたことには、違わないでしょう。なかなかかわいらしいモザイクで、微笑んでしまいますよ。もしポンペイに行くことがあったら、ぜひ見に行ってください。確か悲劇詩人の家にあったのだったと思います。ちなみに、ポンペイはすごく広いので、見るのに少なくとも半日かかります。そして、この犬のモザイクのある家は結構門から遠いので、時間には余裕を持つことが必要ですね。ついでに、行き方ですが、ナポリ中央駅から、私鉄に乗り換えていきます。電車を降りて、左の方の行くと私鉄の改札にたどり着きます。そこで、ポンペイまでの切符を買うのですが、ポンペイという駅にはポンペイの遺跡はありません。遺跡があるのは…忘れてしまいました。切符売り場で、日本人が「ポンペイ・ポンペイ・ドベー」っていうと親切に教えてくれるでしょう。他の観光客もいっぱいいますから、間違うことも少ないと思いますけれど。
2007.04.10
聖週間のお手伝いを終えて、ローマに戻りました。これまで毎日書いていましたので、どのような生活をしていたかは書く必要が無いのですが、とにかく有意義な一週間であったのは間違いありません。イタリアは90%以上がキリスト教徒の国です。このキリスト教徒の国においても、神の愛、ゆるしは述べつたえられなければなりません。これは教皇様の復活祭のメッセージを聞いても分かります。「神の名で暴力を振るってはならない」このようなメッセージだったと思います。私たちは神を信じています。神の愛を感じて生きています。しかし、それは決して神を独占することではありません。私たちだけが神を知っているのではなく、私たちは教えていただいた神の愛を述べ伝える器にすぎないのです。世界中でまだまだテロとか戦争とかが起こっています。それは決して、イランやアフガニスタンだけに限られたことではありません。私たちが日常生活の中で、人を傷つけていることがどれほど多いことでしょうか。いえ、これはふさわしいことばではないでしょう。むしろ私たちはどれだけ愛に生きているのでしょうかという方が正しいのでしょう。愛に生きることを誓い、洗礼の秘跡によって、神に結ばれた私たちが神の愛に真剣に生きていくことは本当に必要なことだと思います。私たちが生きている姿にこそ、神の愛は示されていくはずです。ことばだけでなく、行いだけでなく、私たちが神の愛に生きていくために、どうか神様御自身が導いてくださいますように。
2007.04.09
やっと終わったという表現が正しいのかどうか分かりませんが、とにかく聖週間が終わりました。明日、朝ミサをしてから、駅まで送ってもらって、ローマに戻ります。 今日は朝10時からゆるしの秘跡をしました。あまり来ないだろうと思っていたのですが、結構な人が来ました。11時からミサなので、十分出来なかったのですね。やはりもう少し時間が欲しいですね。聞いて、すぐゆるしというのは、私の性にあわないみたい。別にしゃべりすぎるわけではないのですけどね。どうでしょう。 朝のミサは主任司祭の司式、夕方のミサは私が司式です。さすがに朝のミサは人がいっぱいです。いつも聖堂いっぱいになるのですが、教会の外までいっぱいになっていました。なぜそれが分かるかというと、聖体拝領のとき、いつまでたっても列が短くならないからです。まあ、本当にいっぱいでした。この小教区はよく歌を歌います。イタリアはまだ識字率が90%いっていないと聞きました。特に南の方はそうだと聞いたのですが、確かにここのお年よりは読み書きが出来ない人が多いのです。しかし、皆、音楽を暗譜していて、というか耳で聞いて、いつも歌って覚えているのでしょうが、綺麗な歌声でびっくりしました。 それから見ていて面白いと思ったのは、信徒席の前から半分以上は女性ばかりです。男性は後ろのほうで立っています。女性に席を譲るためなのか前に出てきたくないのか分かりませんが、男性、女性が分かれているのは面白いと思いました。このミサが終わると、何かおみこし見たいのがあるというので、見に行きました。おみこしというか、マリア様の像と復活のイエス様の像が出会うというものなのですが、おみこしの上に2つの像が載っているわけです。二つのおみこしは、てんでばらばらに動いているのですが、小さい街で場所を決めているわけですから、そのうち出会うわけです。そして、出会うと、それまで喪服を着ていたマリア様が、喪服を脱いで(要するに服を脱がすと)、よそ行きみたいな綺麗な服に変わって、ものすごい勢いで、イエス様に向かって走っていくのです。このおみこしは若者が担いでいるのですが、そのスピードは相当なものでした。見ごたえがありましたね。それが終わると、若者が声をかけてきて、歩こうというのです。何のことか良く分からないのですが、要するの散歩するのですが、本当にいっせいに皆が散歩するんですよ。実はイタリアでこれは大事みたいです。イタリアって、あまり娯楽の無いところなので、楽しみの一つはおしゃべりです。街角にたって、語り合っていたり、一緒に散歩しながら話している姿を良く見ます。バールでたむろっている人もいれば、2階のバルコニーと1階で大声で話し合っているのも見ます。なかなか面白い光景だなと思いました。でもおしゃべりが娯楽なんて、イタリアらしくていいですね。日が沈んでからも、特に男性が道のあちこちで、立ちながらおしゃべりしていますよ。 午後、シスターの所で、ご飯をたべていると、午後の予定を聞かれたので、特に無いというと、病人訪問と友人訪問を頼まれました。もちろん、喜んで引き受けたのですが、日本でもそうですが、ここのお年寄りの言葉は本当に分かりません。私の言葉の未熟さを差し引いても、分かりません。若者たちに聞くと、方言が強い人は自分たちも分からないというので、少しホッとしたのですが、方言ってすごいものだと変なところで感心しました。病人のところでは、ゆるしの秘跡をして、聖体拝領をして、主の受難について、少しお話しました。友人訪問というのは、一緒にご飯を食べているシスターの会のシスターのお母さんがいて、彼女の訪問でした。イタリア人は友人とか恩人をすごく大事にするので、親しくなるとこうやって、友人宅に連れて行ってくれるそうです。シスターと仲良くなっていたのかと、気づきました。確かにお世話になっていたからというのもありますが、一生懸命奉仕していたのが分かってもらえたのかなと少し安心しました。 夕方のミサは主任司祭がいないので、緊張せずに自由にできます。別にいても同じことをやるのですけどね。そして今回は原稿を持たずに説教です。原稿を作るとどうしても固くなるし、昔書いた気もしますが、イタリア人は書いた原稿を読むとすぐに隣の人と話を始めたりするんですね。物語らないといけないんです。これに挑戦してみました。でも復活祭の説教は私の得意とする分野です。ミサが終わった後、ほめてもらいました。イタリア語のアクセントや発音は無茶苦茶らしいのですが、今回のは良く分かったといってもらえました。やはり自分の言葉で語らないとダメなんですね。ミサのお祈りも一語一語丁寧に唱えました。個々の主任司祭はものすごいスピードで唱えるのですが、私はその倍くらいかかったかもしれません。でもたまには、丁寧に唱えるのを聞くのも大事だと思いますね。だって、祈りですものね。 ミサが終わると、ある家族に夕食に招かれたので行ってきました。結構仲良しになった、青年たちの家だったのでよかったです。日本のことや私のイタリア語のことなんかで盛り上がりました。イタリア語を話す方も必死でしたけど、理解する方も必死だったみたいですね。でも、何かまたイタリア語をがんばりたいと思わせてくれましたよ。イタリア人にとって、日本とは本当に未知の世界なのでしょう。日本製品は目の前にあるわけですが、日本という国の姿はほとんど理解されていないみたいです。でも、広島や長崎の話は皆が知っています。 とにかく楽しい夕食と夕食後のひと時でした。 これでとりあえずすべての日程が終わりのはずだったのですが、明日の朝のミサが残っていますね。共同司式なので特に何もすることは無いはずですが、福音朗読はあるかもしれませんね。どうでしょうか。とにかく終わりました。疲れたけど、よい1週間でしたよ。
2007.04.08
2007年の聖週間の頂点、聖なる復活徹夜祭が終わりました。御復活おめでとうございます。朝8時半から始まり、9時間のゆるしの秘跡の部屋ですごし、2時間半の典礼が今終わりました。確かに疲れましたが、恵みに満たされた聖週間でした。まだ明日が残ってはいますが、もう明日はそれほど、ゆるしの秘跡をすることもないでしょうし、ミサもいつものミサですから、気が楽です。 司祭叙階を受けて、3回目の復活祭ですが、最も司祭らしい復活祭でした。初めてのときは、何がなんだか分かりませんでした。2度目は主司式したこともあって、緊張でいっぱいでした。 今回はイタリア語でいっぱいいっぱいだったということもありますが、ゆるしの秘跡の中で、多くの愛を感じました。ゆるしの秘跡は愛の秘跡です。人は罪を犯しますが、回心を通して、自分の罪を神の前に捧げる勇気と信仰を得ます。すべては恵み、すべては愛のためです。ただ自分の心の中だけでなく、また人間的な満足を求めるのではなく、自らの罪を告白し、その自分の声を聞いたり、感じたりするなかで、人は三位一体の神の交わりの中に、招かれていきます。少しずつ少しずつ神様に近づいていく歩みの中の、ほんの一瞬の時を司祭は共にするのですが、本当にすばらしい一瞬だと思います。ゆるしの秘跡は神と信徒の間のトンネルのようなものでしょう。このトンネルを通らなくても、神にたどり着けるかもしれない。しかし、このトンネルの向こうには確かに神の愛があり、その愛に通じているのです。 司祭はそのトンネルの入り口と出口でしょうか。司祭は罪に対して、何の解決も持っていません。ただ、同じ信仰を持つ兄弟として共に祈り、また教会から与えられた、神にゆるしを執り成す役務を果たすだけです。ゆるしの秘跡の歩みは、ほんの数分の短いものですが、その中に、死と復活を感じることが多いのです。 そして、今日のミサの中では、一本のろうそくから、次々と小さなろうそくに火がともされていく光景は、まさに倒れてしまって立ち上がれなくなったものが、もう一度立ち上がろうと神の愛を感じる姿に似ています。枝の主日から始まった聖なる一週間、特に木曜日から始まった聖なる三日間は(まだ終わっていないのですけど)、さまざまな困難を感じながらも、神を信じ、神の愛を信じて、歩んでみようとがんばっている人間の姿と似ています。世の中には絶望している人が大勢います。しかし、その中の一人にでも生きる希望、歩む希望を与えることができるなら、主が残した、この聖なる普遍の教会は神の愛を、使徒の教えを確かに守り伝えているといえるのではないかと思います。 外では、まだ若者が騒いでいます。ここが日本なら参加したいところですが、ここはイタリア。やはり自重しないといけません。若者たちは喜ぶでしょうけどね。彼らとは、また別の機会に一緒に喜び、楽しむことにしましょう。それでは、今日はこのくらいにしましょう。おやすみなさい
2007.04.07
あれよ、あれよと言う間に聖金曜日が来ましたね。今日は断食の日ですから、張り切って教会に行きましたよ。イエス様の言葉のとおり、やはり苦しい格好なんてしない方がいいですものね。8時半から12時までゆるしの秘跡、3時から5時半までゆるしの秘跡、5時半から7時まで聖金曜日の典礼、7時半から8時半まで十字架の道行き、8時半から10時前までゆるしの秘跡と、さすがに聖金曜日、大忙しでした。でも、断食のおかげで昼食の時間がないわけですから、少しお昼寝できたので、これで集中力が切れなかったのかもしれません。 ゆるしの秘跡は、もちろん告白を聞くのが主な役目ですが、なかなか分からないんですね。やはりもう少しイタリア語の能力を上げないとだめでしょうね。でも、私がわからないからか、普段教会に来ない人がゆるしの秘跡をしにきますよ。これも人間の性が出ていて、面白いですね。やはり、普段教会に来ない人が、主任司祭に告白するのは、少し心苦しいのでしょうね。私が来て、よかったということでしょう。 十字架の道行きは、ただお祈りするだけでなく、移動しながらするのが、いいわけですが、ここの十字架の道行きは、劇の形式でした。イタリアでは結構こういうのがあるようです。小さい街ですから、十字架の道行きで道が封鎖されても誰も文句を言いません。おまわりさんもいないですしね。結構大勢の人が参加していて、びっくりしました。本当は十字架の道行きの間も、ゆるしの秘跡をしているはずだったのですが、教会の人がみんなそっちにいるわけですから、開店休業状態。だから、私もいってきました。 若い人が中心になって、作ったらしく、衣装も結構本格的です。兵士の兜や鎧は全部ダンボールなのですけど、よくできていますね。イエス様役の人は、今週何回か十字架を担ぐ練習をしているのをよく見かけました。小さい街ですけど、若い人が活躍できる場があるのはいいですね。大人も決してしらけたりしないで、一緒になって、参加しているのは共同体のあるべき姿でしょう。 前にも少し書きましたけど、これに参加していない人でも、多分教会に来ていない人でも、結構後にゾロゾロついてきていました。教会に行く行かないではなくて、これはこの街の祭りなんですね。聖金曜日に、祭りがある。大事なことです。 十字架の道行きは、本当によい祈りです。いい形を持っていると思います。祈りというのは、形がないと安定しません。何を祈ろうかと考えていると、結局祈りが思考になってしまいます。形の中に、自分の祈りを織り込んでいく。これがよい祈りの始まりでしょう。特に、ロザリオとか十字架の道行きとか、伝統的な祈りは、祈りの形にぴったりですね。次に何をするかは考えなくても、私たちの心の中に、次のシーンが連続して流れてくる。そして、流れていくからこそ、素直に祈っていけるわけです。今日の十字架の道行きは、みんながずっと祈っていたわけではなく、子供たちは大騒ぎしながらついてきていましたし、ご婦人方もおしゃべりしながら、散歩の感覚の人もいました。でも、祈りの中に身をおいているという現実はすごいものです。テレビの前ではなく、祈りの中に身をおいている。これは大事なことだと思います。 そして今日はローマの本部のそばのコロッセオで教皇様の十字架の道行きがありました。テレビでずっと放映しているのですが、ものすごい数の人が集まり祈っていました。言葉が違っても、十字架の道行きはできますものね。数ヶ国語でアナウンスしていましたが、もちろん東洋の言葉はないのですけど、何留には、何があるかは分かっているので、問題はありません。シスターのところで、テレビを見ながら、一緒に祈っていました。できれば、私もいつか生きたいのですが、来年もここに来たいので、無理でしょうね。でも、教皇様の十字架の道行きに負けない素敵な祈りの中に身をおくことができて、本当に良かったです。でもさすがに、今日は疲れました。おやすみなさい。
2007.04.06
今日は、午前中聖香油のミサにカテドラルに行ってきました。詳しいことはともかくとして、祈りの雰囲気のあるいいミサでした。ここの司教は60代後半だそうですが、結構声がきれいでびっくりしました。見た目は結構おじいさんなのにね。 戻ってきて、シスターのところにご飯を食べに行くと、今日は司祭のお祝いの日だからと、甘いものまで用意してくれました。主任司祭も来ましたが、彼は風邪を引いたらしく、目がうつろでした。でもしっかり甘いものは食べていましたね。 夕方から、いつものようにゆるしの秘跡です。4時過ぎから始めて、聖木曜日のミサまでの2時間半、ほとんど休みなく聞いていましたよ。ちょっと疲れた。でも、ミサは何もしなくていいというので、気楽でした。 ミサが終わると、ご飯をちょっと食べて、再びゆるしの秘跡です。9時半から聞いて、誰か来るのかと思いきや、いっぱい来ました。ここの面白いところは、若い人は夜ゆるしの秘跡に来るんですね。若い人と話すいい機会でもあるし、街を歩いていると大体みたことのある青年だったりするので、少し気楽です。でも、しっかりと告白する人もいるので、これも文化の違いでしょう。で、結局終わったのは12時前でした。私もがんばっていますが、みんなよくがんばります。私が終わった時には、まだ聖体礼拝をしていましたから、あの様子だと一晩中やっているかもしれませんね。明日聞いてみましょう。でも聖週間だから、変ではないでしょう。今日は少し疲れたので、このくらいにしましょう。
2007.04.05
結構長く書いていたのですが、消えてしまいました…。さすがに、もう一度書く気もしないので、やめましょう。がんばって書いたのになぁ。今日は家の祝福に行ってきたのです。家の祝福って、1度しかやったことがないので、どうするのかわからなかったのですが、その場になると分かりました。要するに、祈るのですね。聖水をふりながら、祈るのです。この家族は色々な悩みを抱えているのですが、この悩みを神様が導いてくださるというに、お祈りしました。今日は午前中のミサだけで、あとはこの祝福と、ゆるしの秘跡でした。ちょっと疲れましたね。明日は聖香油のミサと主の食卓の2つのミサですな。大きなのが2つ、そして、聖なる3日間の始まりですね。お祈りしましょう。
2007.04.04
昨日、あまり眠れなかったので、朝起きるのがつらかったのですが、きちんと朝8時に教会に行きました。司祭館は隣だから遅れることもないんですけどね。でも誰もいなかったので、やれやれと思ったら、すぐにぞろぞろと集まってきて、すぐにゆるしの秘跡の始まりです。8時半のミサは私が司式なので、30分だけですが、私は比較的長くゆるしの秘跡をするので、5人くらいだったでしょうか。 ミサは説教は一言だけ。さすがに、3日目にもなると、福音や祈願文も読めるようになってきますね。いつも読む時は一人だったのですが、マイクを使うのになれてなかったせいで、ちょっと緊張していたのですが、今日はそれもなくなりました。ユダの裏切りの福音ですが、やはり深いですね、この箇所は。 ミサが終わると、またゆるしの秘跡の始まりです。1時間くらいして、誰も来ないので帰ろうとしたら、さっき来た奥さんが、朝ごはんを食べに来てくださいというので行ってきました。きれいなお宅でした。もちろん人の家だから写真は撮れないんですけどね。普段この教会には司祭がいないので、話す機会が欲しかったそうです。彼女はきちんと神学も勉強したことがあるみたいですね。いい話し合いができました。1時間くらいお邪魔して、司祭館に戻り、少し休憩して、シスターとお昼ごはんです。少し疲れが出てきているので、あまり何を食べたか覚えていません。お昼は少しゆっくり休みました。暖炉の前にソファーを持っていって、座ったまま休んでいました。すごく長い時間、寝た気がしましたが、1時間くらいでしたね。ポカポカしていいんです。今日は外はすごい風でした。 夕方にまたゆるしの秘跡です。夕方のミサは主任司祭が司式なので、ミサ中も私は告白を聞いています。2時間半の長丁場です。聞く時は脱ぎますが、ジャンパーを持っていって、防寒対策。水を持ち込んで、のどの渇きを癒します。結構若い人が来たので、結構話しました。普段はおそらく、告白して、即ゆるしの言葉なのでしょうね。あの部屋の中で話すのが珍しかったのでしょうか。告白が終わってから、いきなり質問されたりして、あわてている子もいましたけど、終わった後は喜んで出て行ったし、町であっても大声で挨拶してくれるし、まあ何かは伝わったのでしょう。だんだん、告白の内容が理解できるようになって来ましたよ。これはいいですな。 さて今日はこれでおしまいと思ったら、主任司祭が今日はおよばれをしているので、一緒に行きましょうと。ふえー、かえってゆっくり眠るつもりだったのに。でも仕方ありません。車で10分くらいのところのお宅にお邪魔しました。何かのお祝いだったのでしょうね。とにかく、イタリアは家族いっぱいでお祝いしますからね。ここにも若い人がいたし、3歳か4歳くらいの女の子がいたので、からかって遊んでいました。子供のからかい方は、世界共通ですね。ごはんもおいしかったし、満足でしたが、帰ったら、12時でしたよ。こりゃかなわん。明日は結構スケジュールがつまっているから、大変なんだがなぁ。
2007.04.03
今日は、朝8時のミサをして、夕方まで何もないと思っていたら、小学校の発表会見たいのがあったんです。宗教の時間の発表です。高学年の子供たちは結構上手でしたね。せりふを全部きちんと暗記していたし、声も大きいですしね。あまりシャイな子が少ないのでしょうけど、あれだけどうどうと話せるのは、すごいと思います。低学年の子供たちは、日本の子供と一緒ですね。せりふを覚えていなくて、きょとんとしていたり、間違ったところで自分のせりふをいってしまったりね。でも、そんなところがかわいいところですね。 全部終わったので、部屋に戻ろうと思ったら、主任司祭に、ちょっと一言言いなさいというから、おろおろしながら、話をしたんですけど、こういうとき、通じるかどうか分からなくても、とりあえず言ってみるものですね。子供たちと仲良くなりました。 それも終わったので、やれやれ帰ろうとしたら、11時に中学生のミサがあるから、司式してくれと。断ることも出来ないし、これはいいチャンスだと引き受けましたよ。説教はいらないといわれたのですが、中学生相手に、ただミサをするだけだと、日本代表の私の名が廃るので、ちゃんと説教しましたよ。今日はヨハネパウロ2世の命日なので、その話をしたのです。結構子供たちは、真面目に聞いていました。ミサが終わって、祝福の前に、先生がちょっとというので、話してもらうと、私の説教をもう一度きちんとしたイタリア語で話していました。イタリア語をイタリア語に直すとは、んーまだまだのようです。でも、中学生とも仲良しになりました。この町は、本当に小さいようです。10分歩くと終わってしまいます。町というよりも村でしょうね。だから、町で出会う人は、大体ミサであっているわけで、会うたびに挨拶です。これはこれで気持ちいいですが、小さい町って初めてなので、びっくりしましたよ。中学生たちに良く出会うのですが、いつも話しかけてくれるので、うれしいですね。 この時点で、かなりつかれていたのですが、夕方から、またゆるしの秘跡をずっと聞いていました。さすがに今日は疲れが出ました。緊張がとれてきたのもあるのでしょうね。集中力はきれいないですけどね。今さっき晩御飯を食べて、シスターとお話しもしないで帰ってきました。ちょっと疲れですね。さ、ねましょねましょ。
2007.04.02
今日は枝の主日でしたね。朝11時から主任司祭と共同司式でミサをしました。ミサの前は、当然ゆるしの秘跡を聞き、ミサをして、また夕方ミサの前1時間半、ゆるしの秘跡をして、今度は一人でミサをしましたね。夕方のミサは枝の行列がなく、受難の朗読もないので、気楽でした。説教は…評判はもひとつでしたね!まあ、いいでしょう。説教以外は無難にこなしましたから。ミサが終わると、すぐにまたゆるしの秘跡です。これも1時間半くらいでしょうか。イタリアで、聖週間に学生神父が呼ばれる理由が良く分かりました。こりゃ、1週間結構大変ですよ。一日中何かをしているのですから。お昼寝も少しはできますけど。 昨日も書いたかしら?ゆるしの秘跡は聞いている時は疲れないのです。終わってからの疲れも、勉強とかの疲れとかと違って、ある意味で心地よいのです。普段なら、これだけずっとイタリア語を聞いていると、ヘロヘロになるんですけどね。不思議です。しかし、その後、シスターとご飯を食べるのですが、その時は集中力が切れてしまうので、ボーっとしてしまいますね。 しかも今日は夕食後、一人のシスターが十字架の道行きがあるから行きましょうと言うので、いってきたのですが、1時間だけだからといわれたので、安心したら、やはり2時間でした。でも、教会の前のピアッザ(広場かな)で、やったのですが、若者が準備していて、結構大勢の人が参加しているわけです。2時間かかる十字架の道行きですから、みんな途中で帰るかと思ったのですが、ほとんど最後まで残っていました。参加している人の多くは女性ですが、男性も結構いました。若い男性はあまりいないのですが、遠巻きにみているというか、いるのですね。要するに、これは祭りなんですね。日本だと縁日とかがでるから、祭りとはにぎやかな気分がしますけど、聖週間の祭りって言うのは、静かだけれども、なぜか人を呼ぶ魅力があるのでしょう。若者も遠巻きに見ていながらも、静かにしていますからね。何か、祭りとは何かということのヒントをもらった気がするので、自分の中で何かまとまったら書くことにしましょう。 十字架の道行きが終わったら、祝福があるのですが、急に呼ばれて、「あんたして」と主任司祭に言われたんですね。祝福するのは、難しいことではありませんが、イタリア語をぱっと見て読めるわけではないので、びっくりしましたが、あまり難しい単語もなかったので、無難にこなせました。でもイタリア人ばっかりの中で、ミサ以外のときに、マイクで話すのって緊張しますねぇ。 今日の印象としては、聖週間とは祭りの期間だということが強く残りました。祭りはただ喜ぶとか楽しむとかいうのではないのですね。では何なのか?それはこの1週間を通して考えることにしましょう。疲れているから何を書いているのか良く分からないけど、とりあえず書いておきました。
2007.04.01
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