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今日は午前中にペルージャの町にでてきました。散髪するためです。暑くなってきたので、やはり髪の毛は短いのに限ります。伸びてくると肩もこりますからね。ローマにいるときは、修道院のブラザーに切ってもらうので、苦労はないのですが、ペルージャでは、やはり散髪屋さんにいかなければなりません。 外国で散髪に行かれた方は大体同じだと思うのですが、散髪屋さんは結構怖いところです。しゃべらないといけませんからねぇ。しかも、椅子に座って、鏡を見ながら会話するのは、電話をする次に難しいのです。電話は今でも苦手苦手、できるだけしないようにしているんですが、散髪は行かないといけないので、行ってきました。夕方が混むので、午前中に来ているわけです。私が行くのは、大学のそばの散髪屋さんで、外国人がよく行くので、こっちがあまりしゃべれないと、ペラペラとはしゃべってこないので、少しは気が楽です。もちろん、以前よりは、話せるわけですけど、やはり鏡見ながらというのはハードルが高いですねぇ。しかも、他のお客さんがいなかったので、ゆっくり時間をかけてやってくれたので、終わったときには、ほーーーーーっとしました。彼はいい人なのですが、やはり解放されるとホッとするのです。 やっぱり年をとってきたからでしょうか、それとも、ストレスとかのせいかしら、何か白髪が増えてきたような気がします。普段は鏡で自分の顔をしげしげを見ることなどないので、今日ふと気づいたのですね。外国の生活って、言葉の問題もそうですが、それ以上に、空気を吸っているだけで疲れることがあるのです。まあ、もうイタリアに来て、1年たつのですから、少しは楽になっていますが、やはりまだまだ疲れますね。あと1年いるわけですけど、1年後どうなっているかしら。早く帰りたいと思っているのか、もっと残っていたいと思っているのか。どうでしょうね。1年後の自分が少し楽しみなのです。 次のバスの時間がまだあるので、おまけですが、もう少し書きましょう。この夏は、イタリアのあちこちを回るのと、ポーランドに行きたいのですが、うまく予定を立てられるかどうか。イタリアは、自分の会の修道院を中心に回りますが、イタリア人の会員と霊性とかカリスマについて、いろいろ語ってくるつもりです。この分野では、なんとなく意見交換ができるようになってきました。祈りの方法や方向性が、ヨーロッパの人たちとは、明らかに違うので、その中で同じ霊性、カリスマを探し、一致させていくのは実際には難しいことです。 それから、今、カステラッツォのマキシミリアノ神父が来ているのです。有名なみたいです。確かに、雰囲気はマテオ神父様みたいな感じです。ドイツ人なのでしょうね?恐れ多くて、どこの生まれって聞けないのです。でも、祈る姿がきれいです。これもマテオ神父様と同じです。久しぶりに、マテオ神父様も写真を取り出して、修練のとき語ってもらった色々なことを思い出しています。
2007.06.27
きのこ探しをこのごろの日課にしていますよ。まだ雨が降らないので、数はでてきていないのですが、修道院の庭のところどころに、ぽこっと顔を出しています。きのこって、シイタケみたいに、木にいっぱいなっているのかと思ったら、地面にはえているものなのですねぇ。まだ自分のパソコンが修理から戻って来ないので、メールをいただいている方はごめんなさい。あまり、メールはインターネットポイントで見たくないので、開いていないのです。部ログは害がないので、いくらでも書けるのです。今日は張り切って、きのこの写真も撮ってきたのですが、いざ載せようと思ったら、接続するコードを忘れてきました。また次の機会にしましょう。暑くなってきたので、また体調が悪くなってくると怖いので、気をつけているのです。できるだけ、季節のものを食べて、果物を食べて。その点では、ここは環境は最高ですね。それでは、また。
2007.06.26
暑いのでペルージャに逃げてきたのですが、だんだんペルージャも暑くなってきました。勉強は午前中に集中するしかありません。窓を開けていても、昼間は暑いですから。昼は木陰でお昼寝をしているか、こうやって、ペルージャの町まできて、インターネットをしています。 今日の午前中は、いつもお昼寝する木陰で勉強していたのですが、場所というのは大事なもので、いつも寝ている場所で勉強すると、自然のお昼寝モードにはいってしまい、ZZZ‥。あまり、あそこで勉強はできないようです。 今ちょうど、きのこの季節なんですね、ここは。お昼寝地点のちかくには、いっぱいきのこが出てきています。今度写真に撮りましょう。雨が降ると、もっといっぱい出てくるらしいのですが、今は探さないと見つかりません。でも、落ち葉が、ポコッと盛り上がっていると、その下には、きのこがあるのですね。このキノコは食べられるので、台所に持っていくと喜ばれます。ちょっとアク抜いたり大変なみたいですけど、ここの共同体の人たちは、季節のものを食べるのが大好きなのです。今は、さくらんぼの季節でもありますね。毎日、種が山盛りになるくらい、さくらんぼを食べています。このサクランボも庭に木があるのです。 パソコンが壊れてしまって、今まで書き溜めていた資料とかが、多分全部消えてしまうので、少し昨日までショックに陥っていたのですが、大分立ち直りました。学んだことは、頭に入っているはずですから、また書くことができるでしょう。皆さん、大事な資料はきちんとどこか別の場所に保管しましょうね。
2007.06.22
なんで故障しているのに、日記を書けるのだといわれそうですが、インターネットポイントからです。モンテアルジェンタリオに行く前に日に、いきなりハードディスクがおかしくなって、だめです。IBMに電話して、火曜か水曜日に梱包材を送ってもらって、日本で修理してもらうことにしました。パソコンはなくなっても、ペルージャの町にはインターネットポイントがあるので、そこまでいけばいいから、日記は書けるのですが、遠いですからいけないかもしれません。 他人にはバックアップの必要性を説いていたのですが、私が前にバックアップを取ったのは、3ヶ月前。ここ3ヶ月くらい勉強した足跡は全滅です。結構いい本をまとめたり、授業のまとめなんかがあったから、それだけは取り出したいのですが、だめです。IBMには、とにかく出来る限り復旧してくださいといっておきましたが、多分だめでしょうね。壊れた日は、ショックで夜眠れませんでした。これも、囚われている証ですから、自分が少し見えた気がします。メールが使えないのが一番痛いですが、ペルージャにいますから手紙をください。でも、静かに1ヶ月すごせるかと思うと、これもいい機会かもしれないと感じています。 少し考えてみると、どこに行くにも、電車やバスに乗るのが当たり前ですが、これも決して当たり前じゃないですね、本当は。何をするにも便利になっている世の中ですけど、考えさせられることは多いですね。こうやって、不便になってみると。 とにかく、バックアップはまめにとりましょう。特に大事なファイルはまめにとりましょう。眠れない夜をすごさないために…。がっかり。
2007.06.18
モンテアルジェンタリオとは私の会の創立者が一番最初に作った修道院と、2番目に作った修道院のあるところです。ローマから電車で2時間ほどのところにあります。そして、駅から車で30分くらいかな。山の麓から一番最初の修道院(プレゼンタチオーネ)の白い建物が見えて綺麗です。 非常に静かなところで、創立者がここを最初の修道院に選んだ理由がよく分かります。日本語で「孤独」と訳されていことばが、ここのキーワードみたいなものですが、確かにここには、孤独があり、それを大切にしようとした創立者の意図が分かります。プレゼンタチオーネは水に近いので、今で結構蚊が多かったので、当時はマラリアの危険が強く、創立者は、ここから歩いて10分くらいの少し高いところに、サンジュゼッペという修道院を作りました。ここが修練院になっていて、若い人たちはここにいました。創立者は若い人たちをマラリアにならさないことを非常に気を使っていたと、ここの神父さんは説明してくれました。 私はイタリアに来て、修道生活や会員の養成、会のカリスマとかについてばかり勉強したり考えたりしているので、ここに来て何かなるほどと思うことはありました。マリア様からのメッセージで、ここに修道院を建てると決めたのですが、確かになるほどと思います。 自分のメモ用ですが、忘れるといやなので、ここに書いておきましょう。創立者は、会を創立した時、信徒であったというのは、会のカリスマを深めていく上でとても重要な要素です。修道会として、教会の中で公式の位置を占めるときに、司祭修道会となったということです。ここに、この会のカリスマ理解のヒントが隠されていると思います。 会のカリスマについて、私は今まで4人の会員とかなり長い時間、話しを聞いてきました。一人はこの前無くなった、パオリーノ(会の歴史の専門家でした)。もう一人はファビアーノ(会の霊性の専門家)、コラッド(この前、帰ってしまった学生神父)そして、今回、前の総長だったオルベゴゾとかなり長い時間話しをしました。彼とは、私が修練の時日本に来て、少し話をしたのですが、彼には非常にいい印象を持っていたので、今回色々聞いてみたのです。彼は聖書学者ですし、総長経験者ですから、本当に色々説明してくれます。本当にためになりました。賛成できること、賛成できないこと、色々ありましたが、非常に大切なことを得ることができました。これはまだ煮詰まっていないので、書くのは難しいです。今回は、2番目の修道院のサンジュジュゼッペに泊まったのですが、プレゼンタチオーネに挨拶に行ったら、門限をすぎて、オルベゴゾにしかられました。まあ、何と言うか、しかる時の彼は、総長のときの彼そのままですね。言葉がわかる一緒に行った助祭は、しゅんとしていましたが、私はしかられていることの半分位しか分からなかったので、きょとんとしていたので、最後は、早くご飯を食べろと言われました。言葉がわからないものの特権でしょうね。まあ、たとえ分かっていても、しゅんとはなりませんけどね、私は。でも、事故があったのかと心配してくれたので、彼には感謝です。そうそう、どうでもいいことですが、ちょうど昼ごはんは鯵だったんですね。お醤油を持っていたので、お刺身を作ったら、みんな恐怖におびえながら食べて、おいしいと言っていましたが、きっと二度と彼らはお刺身は食べないと言う感じでしたね。わさびがなかったですしね。やはりお刺身は難しいですね。
2007.06.16
この前、教皇様が「ナザレのイエス」という本を出されました。分厚くて、読む気がしなかったのですが、どうやら英語版も出たみたいです。評判はすごくいいようですから、英語なら、ちょっと読んでみようかと思います。聖書学者の神父様達が、読む価値があると評価するのですから、かなり神学的にもバランスが取れていい本なのでしょう。本当は自分が読んでから書いた方がいいのでしょうが、全部読めるかどうか不安なので、とりあえず、英語版が出たと言うことと、内容はすごく良いらしいと言う情報を流しておきましょう。英語版なら、きっと日本でも簡単に手に入るのではないでしょうか。
2007.06.12
夏になって、暑くなってきました。学校も終わったので、去年イタリア語を勉強した、ペルージャの共同体にお世話になろうと思います。今回はイタリア語の勉強ではなくて、静かなところで、これまでの復習と、それを日本に帰ってから、どのように使うかを考えるつもりです。やはり、学校で習うのは、ヨーロッパのメンタリティがどうしても入ってしまいます。それを日本化することは大事なことです。今でもヨーロッパ中心を語る人は多いのですが、ヨーロッパは信仰の先輩として尊敬はするものの、日本の教会ももう子供ではないので、それらから、何を学び、どのように生きていくのか、それを深めていくのは大切なことだと思います。 その一方で、日本の教会で、あまりロザリオが祈られていないのは、残念だとも思います。確かに退屈と言えば、退屈な祈りですが、教会が2千年かけて、2千年守ってきた祈りの方法です。私達は日常生活の中で、しばしば神を忘れ、愛と反対の生き方をしていることがあります。頭では、神のことを理解し、流暢に神の愛について語ることが出来ても、やはりいつも祈っていなさいというみことばを生きていないなら、それは決して本物とはいえないからです。しかし、私達はなかなかそれをするのは難しいのですが、ロザリオはいつも祈っている信者の姿を確かに現す素晴らしい祈りです。気が散ったり、眠くなったり、面倒くさくなることもあります。それはまさに私たちの姿です。しかし、ロザリオは、そんな私でも確かに祈っていると、ふと気付かせてくれる祈りなのです。いつも気付けるわけではありません。でも、ふと気付くのです。信仰生活は理屈だけではありません。全く理屈の無い信仰もどうかと思いますが、説明できてしまう信仰も、これまた怪しいでしょう。インターネットや携帯電話など、高速、迅速な時代にあって、ロザリオは確かに時代遅れの感じがあります。しかし、この時代だからこそ、のろのろとなかなか前に進まない祈りが大切なのかも知れません。 ペルージャの共同体は毎日夕方、信者さんたちと一緒にミサの前にロザリオをします。ロザリオの珠をひとつひとつ繰っていく中に、この一年間どのような信仰の歩みがあったかを振り返ってみたいと思います。P.S6月、7月ローマに行きますと言うお手紙やメールを何通か頂きましたが、おそらくローマにはいないので、お会いできないと思います。アシジ辺りこられたら、ひょっとしたらお会いできるかもしれません。
2007.06.07
今日はカルロ・ウーベン(英語では、チャールズ・ホーベン)の列聖式でした。4人の福者が聖人の位に上げられました。(これは列聖式が行われた聖ペトロにかかっていたものです)朝、仲良しのインドネシアのブラザーから5時半に電話がかかってきて、ちゃんと起きているかって。彼は今日、一緒の席に座る切符をもらっていたので、心配してかけてきたのです。私、朝起きるのは早いんですけどねぇ。その切符というのが、これです。 この切符は実はすごい席だということに、後になってから分かるのですが、とにかく切符がないと絶対入れないのは、どこの国でも同じでしょう。普通のはがきみたいなのですが、ちゃんとバチカンのはんこがおしてあります。 外はどんよりと曇っています。これは絶対に雨になるなという天気です。7時に全員で近くの大きな通りまで歩いて、そこから貸切のバスにのって、バチカンに向かいました。よく考えたら、100人以上が同時に動くのだから、貸しきりバスで当たり前なのですが、なんとなく、普通のバスで行くのかと思って、朝切符を買いに駅まで行ってしまいました。しかし、よく掲示板を見ると、ちゃんとバスが来ると書いてありました。 バチカンにつくと、雨が降り始めました。結構強く降ってきました。かんかん照りになるよりは、少し雨が降るくらいがいいと思っていましたが、これはちょっと言うくらいの雨です。しかも、今日はサンピエトロ広場に入るには、全員、飛行機に乗るときのように、X線の検査を受けないといけないのです。 7時半過ぎに検査は始まったのですが、中に入れたのは、8時過ぎでした。さて、これから席を探しに行くわけですが、運よくバチカン担当の神父さんを見つけたので、着いていきました。行く先々でチェックがあって、切符を見せるわけですが、当然列はどんどん短くなっていくのです。私たちはどんどん進める進める。そして、ほとんど祭壇のそばまで来ることが出来たのです。びっくりしました。 席の向かって左側が祭壇ですから、どのくらい近いか分かるでしょう。しかも前から4列目の席です。私たちの前には、最前列が枢機卿様、2列目が司教様、3列目は多分予備席なのでしょう、ほとんど誰も座っていませんでした。こういう大きなミサの時は、どこに誰が座るか、完全に決められているらしくて、他の切符を持っている人が私の近くに座ろうとしたら、係りの人に追い返されてしまいました。混乱させないためには、当然のことでしょうね。教皇様のすぐ近くですしね。だから、普通に考えられる最高の席だったんです。すごいですねぇ。この切符は各修道会で2枚しかもらえないのですが、本部の看護師をしているインドネシアのブラザーと私にくれました。バチカン担当のジョバンニ神父に感謝です。予定は10時からミサが始まるはずでしたが、雨が降っているためでしょうか、大分ずれ込みました。10時が近くなるにつれて、雨がだんだん強くなるのですから、たまりません。ミサが始まる前に、既に頭と胸以外は大体雨でびしょびしょになってしまいました。教皇様の椅子にだけは、さすがにシートがかけられていました。ついでに、屋根があるのは、祭壇部分だけです。当然、枢機卿様も、司教様もみんなずぶぬれになっていました。さて、教皇様が入堂というか、サンピエトロから出てこられて、ミサが始まりました。今日は三位一体の祝日ですから、そのミサの中で列聖式も行われました。もちろん、ミサはラテン語です。列聖式と言うのは、ミサの最初のところで、福者を聖人にあげるという宣言がなされるだけです。もちろん、その人がどのような人であったかの紹介はなされてからです。叙階と違って、秘跡ではないので、教皇様が宣言した時点で聖人と呼ばれるようになるそうです。これは私の隣に座っていたモン・シニョールから教えてもらいました。列聖式の部分が付け加えられただけで、後は普通のミサでした。奉献文は第3が使われました。教皇様はとにかく80を越えている方とは思えないくらい、声がはっきりとされているし、姿勢もピンとされているので、60台後半と言われれば、そうかなと思ってしまうくらいです。ミサも後半に差し掛かると、とにかくずぶぬれなのですから、だんだん体が冷えてきて、もう最後の方は早く終わらないか、そればかり考えていました。まだ私は若いと言えるから大丈夫かもしれませんが、おじいちゃんの枢機卿様たちは大丈夫だったでしょうか。でも世界中から列聖式のために大勢の人が集まると言うのは、すごいことだと思います。聖人と言うのは弱さの中に隠されている人間の良さというものを、美しい信仰の上に表せたのではないでしょうか。確かに私たちは弱いのですが、決して弱いだけではないのです。聖人は決して強い人たちばかりではなかったでしょう。むしろ自分の弱さをとてもよく知っていた人たちだと思います。だからこそ、神に助けを素直に求め、神の御旨を行っていこうと思えたのではないでしょうか。私たちも、聖人に倣って、素直さと御旨に従う勇気を持つことが出来るといいですね。
2007.06.03
次の日に列聖式があるのですが、夜パーティがあるというのです。朝が早いのに、なぜだろうとおもっていたら、学生神父の一人で、ミラノの管区から来ているコラッド神父が勉強を全部終えて、管区にもどるのだろうです。 彼は昨年、本部修道院の学生の共同体の代表だったので、私がイタリアに来てすぐに、とてもお世話になった人です。彼はスイスに近い北イタリアのひとなのですが、いわゆるイタリア人の明るくて楽しいと言う感じではなく、本当に静かで、おとなしい人です。ミラノの管区の管区会議で、彼は顧問に選ばれたので、帰らなければならないだろうと思っていましたが、結構早かったです。この前、霊性神学の修士が終わったので、博士課程に行くのかと思っていましたが。私は彼のミサの説教が好きなので、彼が帰ってしまうと、楽しみが一つ減ってしまいます。短い説教しかしませんが、とても味があって、深みのある説教をします。彼はこれから、黙想の家の担当司祭になるそうですが、彼ならいい黙想指導者になると思います。 私は夕食後、休憩室に最近行かないのですが(いくとイタリア語をしゃべらないといけなくて、疲れるので)、さすがに彼の送別会ですから行かないわけにはいきませんでした。パーティーはピザを食べて、少しお話をして、適当に皆帰っていくのですけど、私も昨日は最後まで残っていました。彼とは、霊的な話を真面目にできるから、好きです。特に昨日は、キリスト者以外の人に、どのようにお話をすればいいかで、意見を交換していました。彼はキリスト者以外の人とほとんどしゃべったことが無いわけですから、彼にとっても面白いテーマだったようです。 私たちは、派遣されて、戻るために、ここで勉強しているわけですから、戻っていって当然なのですけど、やはり残念です。9月頃に自分の年の黙想をするつもりなので、彼のいる黙想の家でやろうかと思います。北イタリアには行ったことがないですから。でも、イタリアの送別会は楽しいからいいですね。これは修道者の別れだからかもしれませんけど。彼がこれからも活躍してくれることをお祈りしましょう。
2007.06.02
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