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この間韓国通信(KT)から電話があった。「家の電話からでもメッセージが送れる電話が発売されました。今サービス期間なのでこの電話機を差し上げます。」アポインターの話だと法に引っかかるのでただではあげられないが、月々の電話代に一万ウォンくらい上乗せでこのサービスが受けられるようだ。ちょうど電話の調子もよくなかったし、(子機は次男のために壊れた)発信者の番号が分かるのがあったらなと思っていたので、申し込んだ。まあ、新しもの好きだったし・・・その電話機が届いた。色は赤でいまいちなのだが、軽くてコンパクトだ。早速使ってみる。うれしくてオットに「電話機が来たよん!」とメッセージを打ってみる。自分のケータイにも「アンニョーーーン!」と送ってみる。「アンニョーーーン!」と送られてきた!ムフッ!ベル音を選んでみる。あんまり音質はよろしくないのだが、我慢しよう。何にしようかな?おおっ?「アゴティ」の歌があるぞ!「アゴティ」(わにの群れ)の歌は韓国の幼児たちが大好きな童謡だ。うちの子も大好き!ちなみに私のハンドルネーム「とぶわに」も子供達が何故かワニが好きな所からつけた。電話が来る度「アゴティ」が鳴って子供達が熱狂する場面が目に浮かんだ。これはあんた達にとって最高の選択だったわね!!??ん?まてよ??最近次男は「電話に出たがる病」だ。(子供が一度はかかる熱病みたいなもの)電話が鳴ると我先に受話器を取り、「ヨボセヨーー」「ヌグセヨーー?」「オンマ、イッソヨ」「オンマガ カッカ アン サジョッソヨ」「ネーー」なんて言って、時には延々と会話を続けているときもある。電話を私に変わると満面の笑みを浮かべ、いかにも満足したという気分にあふれている。しかし自分が電話を取れなかった日にはもう大変だ!この世の終わりかのように泣き喚き、「あああーー分かった分かった、変わってあげる」と言って受話器を渡すと、それを投げつけるのだ!そして30分は立ち直らない。この電話機、やけに軽くて、叩き付けたらおじゃんになりそう・・・どうしよう。気に入らなかったら、返品してもいいって言ってたけど、壊れたの返品したらだめだよね。新しいの買ったら高いだろうし・・・電話機使わないでこのサービス受けたら、お金がもったいないし・・・隠れて使ったってどうせバレる。使うべきか、使わぬべきか?今私は、人生最大(?)の岐路に立たされている。
2005.01.31
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前々から気になっていた部屋の模様替え・・・チャグンパンで長男が落ち着いて勉強できるように、あの本棚を動かして、何とかすっきりさせたいな、と思っていたが、なかなか実行できなかった。私の部屋の模様替えは突然始まる。聞いてみると結構多いみたいなんだけど、私は試験期間になると「部屋の模様替えをして気分を変えたら勉強がはかどるだろう」と思い、それを実行するタイプだった。(単語の一つでも覚えろよ!)そして結局ドタンバタンして、朝を迎えてしまうという愚か者だった。今日も「思い立ったら吉日ね!」とばかりに「オットが帰ってくる前に・・・」と張り切って始めたのはいいものの・・・バターン!ガターン!ズルルルルーーーー・・・開始から一時間、コシルは戦争状態となっていた。元々狭いので、無造作に出した荷物で足の踏み場もない。(これ、終わるのだろうか?)冷や汗を流している所に、「トントン」と玄関のドアを叩く音が!(こんな時に一体・・・!)近所の奥さんだった。「あら、何しているの?」「ちょっと荷物の整理を・・・」玄関から現場は丸見えなのでドアを半開きにし、見えないように体を張る私。しかし奥さんは私の向こうの惨事を見ようと首を伸ばす。「借りてた子供の韓服、かえそうと思って」「ありがとうございます。それじゃあ。。。」この現状を見られるのが恥ずかしくて、早く帰ってもらいたかったのだが、「なんか大変そうね。」「子供部屋を替えようと思って、・・・」「まあ!ひとりで?」「ええ」「ご主人は?」「私一人で充分ですから」「あら!手伝ってあげるわ」ヒエーー!!「いいです。いいです!」「どうして?」「だって、ひっちゃかめんちゃかで、色々なものが散らかっているし」「だから、一緒にやってあげるわ!」「それに恥ずかしいんです」「何が恥ずかしいのよお」恥ずかしいし、干渉されたくないワ!(本音)「一人じゃ大変でしょ!手伝うわ!」だからいいって言ってんのに、本当にしつこい!「本当に一人で大丈夫ですから、お気持ちだけいただきます」「手伝うって言ってるのに」あーしつこい!「一人の方が気が楽なんです!」(本音炸裂)この奥さんきっと「変な日本人ね!」と思ったかもしれないが・・・でも私は自分の部屋をいじくるのに人に干渉されたくないし、自分のペースでやりたい。古いアルバムなんかが出てきて見ちゃう事だってあるじゃない!日本人同士だったら、「いいです、ありがとう」と言った段階で全てを察すると思うのだが、韓国人の厄介な所は、ヌンチは早いくせに、相手の気持ちが読めない事である。日本人から見ると「親切の押し売り」にしか思えないことも、自己満足でやってあげて、そうやってどんどん垣根の高さを低くしようとする。韓国人の相手の心無視的な気持ちがありがたい時もあるが、なかなかそれを受けるのに慣れない。こういう時「ああ、日本人だなあ」なんて思ってしまう。私もズカズカと相手の家に上がり込んで、ズケズケと自分の言いたい事だけ話して、「ハイサヨナラ」とできればいいのだろうが、できない。国際人への道は果てしなく遠い?
2005.01.29
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今日は「アドバイス」の練習だ。ペアになって医者役と患者役に別れ、会話練習をする。(みんなの教材さんいつもお世話になっています!)医者「どうしましたか?」患者「・・・が痛いんです」医者「それはいけませんね、・・・はしないでください。・・・をしてください」患者「はい、そうします」医者「お大事に」ペアになった最年少(高2)のM君と最高齢のS氏。あらかじめ練習時間をあたえたのに、彼らは練習しない。年齢差がありすぎか、ぎこちない雰囲気がただよっている。「そこ!練習しなくていいんですか?」「・・・」なぜかM君はにやけており、S氏は質問ばかりを私に投げかける。練習時間が終わったので、ペアごとにやらせる。「お腹が痛い」「足が折れた」などなかなか盛り上がっている。そして例の問題ペアの番。S氏「どうかしましたか?」M君「頭が痛いんです」S氏「そうですか、それでは・・・」M君「あっ、あああ、たまに鼻から血がでます」(M君め、にやけながらウケを狙っていたな!)M君「実は頭に銃弾がささっていて・・・」(韓国語で)(おまえはムヒョクかい!)一同爆笑。しかしSさんは「ミアナダ、サランハンダ」を知らないらしい。キョトンとしている。S氏「はあ?」わたし「M君は頭に銃弾がささっているそうです。お医者さんはどういいますか?」S氏「そりゃあ、もう死ぬしかないでしょう」少し考えて「心の準備をしてください」M君「はい、そうします・・・って何か変だな。普通何も言えないかな?」S氏「お大事に・・・ってのも何か・・・」笑った授業だった。
2005.01.28
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実は、まことに恥ずかしい話だが、つい最近まで次男はおっぱいを飲んでいた。長男を出産した頃、韓国はまだ母乳育児の重要性がそれほど説かれてなく、長男も出産直後に哺乳瓶でミルクを与えられ、また産母の私にもマッサージや教育などのケアは施されなかった。初めてのお産で色々なストレスも重なって、私のおっぱいからはわずかなお乳しか出ず、泣き喚く長男に周りの人見るに見かね、母乳育児を断念せずをえなかった。4年後の次男のときも「母乳を与えましょう」みたいなスローガンはあったものの、実際病院では何もしてくれなかった。多分ミルクを製造する会社と病院が結託しているからだと思う。けれども一ヶ月粘り続け頑張った結果、次男は母乳しか飲まないあかちゃんになった。一生懸命おっぱいに吸い付いてくる次男を見るにつけ、何ともいえない幸福感と充実感で一杯だった。母乳は本当に楽だ。外出のときもパットとタオルがあればいい。ミルクだったら哺乳瓶、魔法瓶、ミルクなど、大荷物だ。長男も次男も3時間に一度ミルクを欲しがったが、母乳だったら夜ぐっすり寝ているときも、おっぱいをべろーーんと出して寝ながらあげればいい。ミルクだったらわざわざ起きだし、ミルクを作りに行かなければならない。面倒くさい哺乳瓶の煮沸もしなくていい。ルーズな私には本当に便利で合理的だった。ところが、次男はおっぱいに執着を見せ、寝るときに必ずおっぱいにかぶりつかなければだめなようになってしまった。心の弱い私も「ダメダメ!」なんて強く言えなかった。最初は「オッパイ飲んじゃだめだ!」と言っていたオットも、次男があまりに悲しく泣くので強く言えなくなってしまった。そうして30ヶ月目・・・カミナリオバケ事件にヒントを得た私はおっぱいを求める次男に「オッパイすったらカミナリオバケが来るんだって」と言った。そしたら青ざめてオッパイをナイナイするではないか!その行程を数日繰り返したら完璧におっぱい離れができてしまった!次男自身もおっぱいはもう卒業しなければという自覚が芽生えていたらしい。そして保育園にも通いはじめた頃であったので、他に楽しい事があるのを学びはじめたのも起因したと思う。とにかくカミナリオバケのお陰でおっぱいがきれた。ありがとう、カミナリオバケさん!ところでこの間冗談で「おっぱい飲む?」と聞いてみた。そしたら「アンデー、カミナリオバケが来るから、アンデー」と言っていた。おお!素晴らしい。そして「カミナリオバケ、見たの?」と聞いたら「・・・ウン!」だって!「どんなんだった?」と聞いたら、自分の髪の毛を両手でつまみ、髪の毛を立てて見せ、「こんなのが、ある」と、鬼の角を表現して見せた。もう本当に笑いを提供してくれるんだから!反抗期な次男であるが言う事聞かないと「トッケビ!」(鬼、おばけの意)と一言言うとおさまる事も多い。実に便利だ。このカミナリオバケの方便に気づいたとき、果たして次男は・・・いやもう既に気づいていて、騙されているふりをしているのかも知れないが・・・
2005.01.27
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書籍をインターネット書店で注文するついでに「漫画 刀のうた」も注文し、今日届いた。「刀のうた」は作家キム・フンさんの李舜臣の一人称の小説で、東仁文学賞、そしてベストセラーとなった有名な小説である。あまりに話題となった小説なので、「刀のうた」を原作とし「青少年のための刀のうた」やこの「漫画 刀のうた」も出版された。私も好きな小説である。李舜臣の内面描写が繊細に書かれ、当時の戦争の悲惨さ、愚かさが伝わってくる。読んだ後は李舜臣になりきった感じで、ついヒョンチュンサにお参りに行きたくなる。今回なぜ「漫画・・・」を頼んだかというと、以前から長男に李舜臣の伝記を読んでみたいと言われていたからである。李舜臣の伝記・・・満6歳の息子に読ませるのは少々ためらった。子供の図書研究会の会員の知り合いに、6歳の子供にどんな伝記を読ませたらいいか聞くと、「うーーん」とうなった。私としては李舜臣についてまわる「日本との戦争の記録」が正しく公平に書かれているものがあれば、と思った。しかし大抵、「ウェノムが悪いやつらだ、李舜臣と朝鮮人は、正義だ」みたいな図式で成り立っている。確かに世界がどう動いているのか知ろうともせず、自分たちが世界の主人だと思って大人しくしていた隣国に攻め入った豊臣秀吉も悪い。しかし当時の韓国は悪政と側近たちの権力争いで、市民たちも餓えと貧困に喘いでおり、そういう中で起こった戦争だった。本来だったら、負けても当たり前のような状況である。そしてその危機を救ったのが李舜臣と内部のリベラルな勢力だった。そういう意味では李舜臣は英雄だ。戦争のメカニズムは単純なものではないと思う。現在の戦争も「善と悪」に簡単に分けられないと思う。昔からの葛藤があり、どの国にも善人も悪人もいる。それを片一方の目で見て「善と悪」に分ける事はできない。戦争自体が愚かなものだから。「李舜臣」の伝記というと単純明快に悪いウェノムを戦いで破ったわれらが英雄!というものが多いのではないか。対象年齢が低ければ低いほど、その傾向は顕著ではないだろうか。それで欲しいと言われてもためらっていた。しかし「刀のうた」はちょっと違う。小説が目的としているものは李舜臣の内面描写である。気に入った伝記を探しにソウルの大型書店に行かなければならないかもと思ったが、なんとなく「漫画・・・」と注文してしまった。A4サイズでオールカラー、なんか漫画っぽくない。韓国の漫画・・・他のものはよく分からないが、この「刀のうた」は、李舜臣が切れ目でかっこよく描かれているのは別にして、登場人物が大体同じ!息子が「これだれ?」という度困ってしまった。しかし、舟とか甲冑とかは細かく描いてある、大阪城なんかも適当に描いていない。日本人の衣装もよく描写してある。けれども甲冑を着けて、「李舜臣のいない朝鮮軍なんて烏合の衆だ、出陣しろ!」とカッコよくいざ立つ小西行長の履き物は、ゲタ。よく見ると日本軍みんな下駄をはいている。下駄じゃあ戦できないよ・・・これ、漫画っぽくないしハングル覚えたての子供にはいいかもしれない。(こういうの好きな子には)残酷シーンもあまりない。明日は2巻を買いに行かなければ・・・
2005.01.26
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昨日初めて次男(この3月で満3歳)を叩いた。保育園から帰ってくるなり、スーパーに行ってお菓子を買ってくれと駄々をこね、ここで甘やかすとくせになると思い無理矢理家に連れてかえってきたが、玄関で靴も脱がずに泣いている。それも「アッパーーー!」とパパを呼んでいる!長男が「早くあがってこいよ!」となだめたが、ぜんぜんいう事をきかない。仕方がなく、家にあったあめ玉で何とかその場はしのげた。しかし今一つご機嫌斜めな次男はその後も「・・・がないーー!オンマどこにあるの?探して!」と私もしばらく見ていなかったようなおもちゃを要求したり、明らかに(オレさまは今お菓子を買ってもらえなくて気分が悪いんだ。とにかく何でもいいからオンマにゴネついてやれ!)という気持ちが手に取るように分かった。私もだんだん余裕がなくなりついに次男のほっぺたを「ピシッ!」としてしまった。最初は次男もびっくりしていた。(私も)そのうち「フエエーーーーン」と泣き出した。悲しそうにである。(ああ、やってしまった・・・)と思ったが、気を取り直しなぜ叩いたのか説明した。その説明が理解できたのかは分からない。多分聞く耳持たずであっただろう。「もうごねたりしないよね」「・・・ウン」「じゃあ、約束」「ヤクソク・・・」「叩いてごめんね、もう二度と叩かないからね」「ウン」日本で子育てをした事ないから日本の子育て事情はよくわからない。韓国では子供の買い食い文化が根づいてしまっている。小学校の前には駄菓子屋が軒をならべ、学校帰りの子供達がお菓子を買ったり、ゲームをしたりしている。それは塾に行くバスを待つ間のささやかな子供の楽しみなのかもしれないが、日本の小学校で「買い食い禁止」「見つかったら大変」という教育を受けた私にとって、とてもカルチャーショックだった。第一駄菓子屋のお菓子はいわゆるジャンクフードだし、ゲームも刺激的で暴力的なものばかりだからだ。そしてその走りは、こういう小さい頃から簡単にスーパーでお菓子を買ってあげてしまう親の態度にあると思う。と思って、私は「買ってあげない!」を実行しようと思った。しかし、現実は甘くない。長男がまだ小さかった頃は近くにスーパーがなく「家になければないもの」ですんでいた。次男が産まれ、引っ越した所はすぐ近くにスーパーがある。そして近所の子と遊ぶ度に長男はスーパーでお菓子を買うワザを覚えていった。長男の姿を見て成長する次男も然り、である。買ってあげちゃえば満足するし、親は楽だ。けれどもこれでいいのだろうか?この近所の子供達はお菓子を買って、広場で食べて、ゴミはその場にポイ棄てする。お陰で私のすんでいる所はとってもきたない!私だったら自分の子供のそういう行動はショックだと思うのだが、実際韓国の親たちはそういう貞操観念がないようだ。ほおっておいてある。本当に道端で食べながら歩いている子って、教育がなされてないように見えるし(でもこういう子の親に限って教育熱心だったり)、強いてはウリナラが国際社会に対応できるんだろうか、と心配になってしまう。これから小学校にあがる長男は友達付き合いの中で、また色々な事を学んでいくだろう。そして私も仕事をしている身であるので、少しは韓国の子供文化を許容しなければならないと思っている。また、長男にはセーブする力も芽生えはじめているので、信じてあげたいと思う。後は次男の「買ってくれー!」攻撃をどうかわすかだ。長男と違って最初からスーパーと密接な環境で育ち、おまけに反抗期である。「買ってあげない」のならば最初から断固「買ってあげ」なければよかった。私にできる事はせめて家におやつを用意する事、くらいしかないかもしれない。(買ってあるよといっても聞かないが)しかしもうこれ以上スーパーの売り上げに貢献するわけにはいかない!泣かれても、すねられても、「ミウォ!」と言われても、子供に悪影響を与えると思われるスーパー通いはやめにしよう!一週間に一度くらいはいいかしら・・・(よわい!)自分を戒めるためにこの日記を書きました。なにせ、次男を叩いて私もショックで眠れなかったのだから。
2005.01.25
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あんまり見ていないのですが、私好み!面白そうな「ポムナル」週末は恒例の大河ドラマ「不滅の李舜臣」を見なければならないため、(息子達がこの日を楽しみにしている)10時30分に「不滅の李舜臣」が終わるや否やチャンネルを替えて見ています。「ポムナル」のためBS2の「義経」は放棄しています。メンドクサイので録画してまでは・・・日本のドラマのリメイク版だと聞きましたが、本当ですか?カムバック女優コ・ヒョンジョンさんのお陰で視聴率もいいそうです。「モレシゲ」の時とあまり変わっていません、けれどもちょっと老けたかしら。彼女のお陰で「モレシゲ」関連製品も売れているようです。インソン君のカリスマ演技もいいです。あの、不思議なファッションはインソン君じゃないと着こなせなさそうですね。他の人があんなスタイルだったら「ミチョッソー!」と言われそうです。そして、過去何年か分の記憶を失って目覚めたチ・ジニ。屈託のない少年の演技が涙を誘います。何よりも主題歌がいい!音楽好きな私はドラマとかって、音楽の効果でかなり変わると思っています。最近まで韓国のドラマは音楽の使い方がとても適当だったように思います。感動的な場面だから大袈裟な音楽を流したり、かえって「ガクウウ--」とすることもあったりしました。「ポムナル」は毎回途中から見るので、音楽効果まではよく感じられないのですが、この「i」という主題歌はなんかいいですね。この一曲でドラマのイメージが沸き上ってきます。この曲に合わせて コ・ヒョンジョンが「私を思い出したら、哀しい事を思い出してしまうから、ただ見守ってあげたい」なんて言うのでじーんときます。次を期待させられます。新しい登場人物も出てきて、これからどうなっちゃうんだろう・・・
2005.01.23
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新しい学生が増えるとその度にに自己紹介をさせる私。前からいた学生から「えーー!またですか!?」と言われるが、これも日本語の勉強の一環!そして学生達の連帯感を深めようという先生のお心なのだ。とはいえ、いつもマンネリじゃつまらないので、毎回話題を変えている。今回は血液型を紹介。7人中4人がA型。B型は1人。もっとも韓国人らしいCさん。O型が2人、AB型はいなかった。「じゃあ、私の血液型は何だと思いますか?当てたらプレゼント!」「B型!」「いやあ、O型!」という声が飛び交う。「皆さん、テーーン!です」(韓国では外れたら“テーン”当たったら“ディンドンデーン”)「私はAB型です」「ああ、そうですか!」何故か妙に納得している・・・そう、私はAB型。でも最近までA型だった。なんのこっちゃ??生まれてすぐに血液検査をしたらA型だったそうだ。「耳たぶから血をとって、あんたすごく泣いたのよ」という母の証言もある。母子手帳にも、「A」とはっきり書いてある。それで自分はA型だと信じて生きてきた。でも、いわゆる血液型別性格判断なんか見ると・・・私、まじめ?(なところもあるよね!)私、細かい?(そういう時もたまーーにあるわ!)私、忍耐強い?(好きな事なら忍耐できるわ!それ以外は・・)A型だと思いこんでいたので、まあ、そうかな?と思っていた。周りの人はA型とは思ってくれなかったが・・・と・こ・ろ・が!韓国に来て、次男を妊娠し、「妊娠検査」だったか「産前検診」を受け、保健所でその結果表を受け取った。出産予定の病院にその結果を届けるためにである。家に帰って何気なくそれに目を通した。アレ?一瞬目を疑った。血液型の欄に「AB」と書いてある。よく見てみたが、間違いなく「AB」とある。(私A型なんだけどな、まあこれが韓国って事で・・・)なんて変に納得して、さっそく翌日保健所にいちゃもんをつけに行った。胸を張って「あのう、私A型なんですけど!」というと「あら、そんなことはないはずよ」「でも日本の検査でA型で、長男を産んだときもAで通っていたんですが」「じゃあもう一度検査しましょう」そうしてその場で指先から数滴血液を採って、スライドにのせると「AB」の反応が・・・「ほらね!」勝ち誇ったように「あなたはAB型、間違っていないわ」え・・・!30年間信じていたものが見事に壊れていく瞬間であった。ところで、気になって今検索してみたら、新生児の血液検査は信憑性のないものらしい。血清中の抗体が未完成でウンタラカンタラ・・・だそうだ。それにしても、これまでも貧血検査だとか何だかんだと採血しているはずなのに、わからなかったとは・・・思い込みが注意力を散漫にさせていたのだろうか?みなさんもお気をつけあそばせ!
2005.01.22
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昨日はオットの誕生日でした。韓国では誕生日にはワカメスープを食べるというのは有名な話ですよね。それで私も前の晩から準備をしました。まずお肉。韓牛を買ってきて、ことことと煮込みます。部位は「ヤンジモリ」(胸部の肉)がいいそうです。この時にアクをすくわないと黒ずんだスープになってしまいます。程よく煮込んだらお肉を取り出します。そして手で筋に沿って裂いていきます。包丁で刻んでもいいです。(熱いから!)ワカメもふやかして洗っておきます。前日の行程はここまで。朝ご飯だし、肉料理とかは食べられそうになかったので、チャプチェ(雑菜)の準備もしました。といっても野菜を切っておくだけね。誕生日の晴れ晴れとした朝です。普段はギリギリまで寝ているオットなので「食欲がない」といってせっかくのモーニングをすっぽかされる事もよくありました。正直言って今日も50%くらいは期待してなかったのですが、なんだか早起きをしております。そして早々とシャワーも浴びております。(めずらしい・・・・)内心思いながらワカメスープやチャプチェなどを食卓に並べます。子供達に「アッパ!センシン チュッカドゥリョヨ!」と言わせ、私なりに頑張って作ったセンイルサンを食べます。オット、忠南人です。忠南の人だからか韓国人がそうなのか分かりませんが、料理の味がまずければ「しょっぱい」「うすい」「からい」「なんの味だ!」などといちゃもんをつけて私をムカッとさせますが、おいしければ「・・・・」何も言いません。新婚当初は「ねえ、おいしい!?」と聞いていたのですが、「うーーん。マシッタ!」とか、「モゴルマンハネ!」とかいう言葉はあまり出てきません。(そんなに私の料理かマズカッタ!?)でも、韓国の男に「おいしい?」とか聞いちゃだめだよ、という事を誰かから聞き、聞いてもどうせ無反応なので、だんだん「おいしい??」なんて聞かないようになってきました。そしてだんだん分かってきました。何も言わなくてもぺろっと平らげ、お代わりを要求して来たら「おいしいよ!」のサインなんだという事が。しかし、この人は「男は黙って・・・」みたいなのがかっこいいとでも思っているんだろうか?いつものようにオットの顔色を見ながら食事をする私。そしていつものように黙って空になったお茶わんを差し出す彼。(おかわり!のジェスチャーよ!)(ふうー、今日もとりあえず及第点はもらえたみたい・・・)料理修行の道は遠く険しいのであります。そうそうお誕生日おめでとう!「これからもオレーーー、オレーーーサセヨーーー!」(長生きしてね、ちょっと嫌みっぽくネ!)といったら、「オレサミョン、ムオーへ」(長生きしてどうなる)だって!かわいくないわ!!このように、忠南の人は心と言葉のギャップも激しいのです。きっと心の裏腹では「長生きしなくっちゃ!」なんて思っているかもしれません。オットを観察しながら、悟りの境地に到りつくこのごろであります。
2005.01.20
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「異色ツアー」も三日目をむかえた。今日行く所はツアーのメインとなる「非武装地帯」なんと何年か前に発見された「第3トンネル」を見学するというのだ。「第3トンネル」とは北が韓国を侵攻するために掘ったという横穴で、この日見学予定の「第3トンネル」を始めとして、北が掘ったトンネルは他にもいくつかあるらしい。私たちを乗せた観光バスはソウルを離れ、北へ進んでいく。非武装地帯に近づくにつれ、道は一直線で広々としてきた。(有事のときに滑走路として使うって道路かな)と考えながら風景を見てみると、広々とした地帯には所々テトラポッドみたいな障害物が設置されているのが見えた。(戦車などが侵攻するのをふせぐためか・・・)ごく普通の女の子がこんなことを想像するくらい、ものものしい雰囲気だった。いよいよ第三トンネルに近づいてくる。バスは山道を登っていくのだが所々「地雷危険」とか「Danger」「ドクロのマーク」とかが書かれてあって、「生きてかえってこられるのかしら・・・」と不安になってしまった。施設に入るとブリーフィングを受けて、ヘルメットを渡され、いよいよ坑内へ。元々暗いのとか、地下とかが嫌いな私は、早く出たかった!という以外にあまり感想がない・・・実はこのトンネルの少し奥まった所にインコが飼われているんだそうだ。何故かというと、北から毒ガスとかが流れてきたら、インコが死ぬとによって分かるから、と聞いてぞーーっとした。それにしても、南の人が住んでいる足元までこんなトンネルを掘って来るなんて・・・日本は平和だなあ、と実感する瞬間だった。締めくくりは北側が一望できる「統一展望台」望遠鏡で見るとそこは平和な穀倉地帯が広がっていた。友達が「北の女の人が自転車に乗っている姿が見えた」と言った。わけわかんない国、無謀な国、恐ろしい国だけれど、そこにも確実に同じ人間の営みがあるのだなあ・・・と思った。ちなみに現在第3トンネルにはモノレールも設置されているそうだ。この第3トンネルや板門店などの非武装地帯は、一日の見学者数が制限されていて予約が必要。料金も高いので国内に住んでいる人にはなかなか行きにくい場所であるが、一度こういう所に行ってみるのもいいのではないかと思う。1989年、韓国の3泊4日のツアーを無事終えて戻ってきた私。(生きててよかった・・・)アジアに関心があって、漠然と韓国を知ろうとしていた私には、その現実を少しでも知る貴重な体験となった。一日でも早くあの地帯が平和の象徴となれるように、願ってやまない。
2005.01.19
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今でこそ「冬ソナツアー」とか「エステ」とか多種多様な韓国ツアーがあるけれど、1989年当時は慶福宮めぐりや、イテウォンでお買い物とかのお決まりコースがあっただけだったような気がする。その頃発売されはじめていた「地球の歩き方」にもそんなに珍しい所は紹介されていなかった(ような気がする)。さて、命懸けでプサンから北上した私たち学生ツアーの一行は、スアンポという温泉に一泊し、二日目はその近所の山をハイキングした。韓国風の関所が残っていて、なかなか素晴らしい風景だった。そこで「写真を撮ってあげますよ!」というおじさんがいて、何も知らずに撮ってもらうと、一枚結構高い値で売りつけられる。それでも記念写真を一枚撮った。そしていよいよソウルへと向かった。例の暴走バスに乗ったのだが、悲しいかな、適応してしまったらしい。あまり記憶に残っていない。ソウル!1988年のソウルオリンピックの活気が未だあふれかえり、所々に立ち並ぶ高層ビルや、街の喧騒になんだかわくわくさせられた。(発展途上の国だと思っていたけれど、すごいものね)そう思いながらバスの中からソウル市内を眺めていると、なんだかちょっと違和感がある。ハテ?そうそれは、歩道や交差点を歩く人たちの群れの中に、ちらほらと軍服姿の人が歩いている事である。軍服の人は他の通行人と一緒に、それぞれの目的地に向かって歩いている。周りの通行人も気にしない。日本では軍服着ている人なんて見た事なかった。(あ、知り合いにミリタリーマニアがいたけど、そういう人は抜きにして)この人たちは趣味で軍服着ているのではなく、軍人だから。軍服を着た軍人が一般人と一緒に街を歩いている。なんだか不思議な光景だった。そして思い出した。ソウルは活気に満ちてオリンピックのマスコット「ホドリ」がニコニコと手を振っているけれど、この国はまだ休戦中であることを。外交が失敗し、各国の思惑があからさまになったら、どうなるかわからない国である事を。そう思ったらなんとなく戦慄が走った。夕食は焼き肉。さっき感じた戦慄はどこへやら、おいしい焼き肉に舌鼓を打つ単純な私であった。<つづく>(まだ続くの!?)
2005.01.18
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私が初めて韓国を訪れたのは1989年の夏。学生を対象にした異色ツアーだった。(年がばれちゃう・・・)何が異色だったかというと、普通観光では行かないような場所に行くという事で、かなり貴重な体験ができるツアーだった。私としては海外旅行も初めてで、期待いっぱいでその日を迎えた。飛行機に乗るのも初めてだった。(いなかもん!)初めてづくしの私を乗せた飛行機はプサン空港に到着した。韓国の空港はにんにく臭いよって聞いていたので、「果たして・・・?」と思っていたが、その日のプサンの天気はくもり。じめじめした天候の中、にんにくの匂いというよりは、色々なものの混ざった混沌とした匂い、あるいは雰囲気がした。ああ、あれはよく行った吉祥寺のアジアの民俗雑貨のお店の匂いがした。その日はプサン観光をして、宿所はプサンから北上した所にある温泉だという。一行は観光バスに乗り込んだ。プサンはどんより曇っていたが、バスに乗り込むと雨が降り始めた。雨はだんだん激しくなってくる。どしゃ降りになった。韓国の雨はスコールみたいだと聞いていたが・・・バスは高速道路を北上していく。しかし予定よりだいぶ遅れてしまっていたらしい。運転手さんの「焦り」が感じられた。いつのまにか窓の外は真っ暗になっていた。しかし・・・!だんだんすごい事になってきた!気がつくとバスはものすごい勢いで走っているではないか!外を見ると他の車を何台も何台も追い越している。狂ったように・・・・私はカーテンを閉めて外を見ないようにした。どしゃ降りの雨の中、狂ったように暗闇の高速道路を暴走するバスに乗っている・・・ひえーーー!ナンマイダ、ナンマイダ・・天国のおばあちゃん、私を守って!「韓国旅行中の日本人学生、事故死!」とか言う新聞記事が頭にチラホラ浮かんできた。まだ死にたくないよう!まさに手に汗握る、冷や汗だらだらの2.3時間・・・予定よりかなり遅れて10時ごろ、一行は宿所に着いた。遅い夕食を取って、疲労困憊して床に就いた。初めての海外旅行の感慨にふけるまもなく・・・。 <つづく>(続くのかな?)
2005.01.17
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日本でも放映されているようなので、ネタばれにならないようにしなくちゃね!「パリの恋人」は家族で見ていました。特に好きだったのは私と次男。あの主題歌がかかると長男、次男でそろって大合唱です。「ノン アルゴ インニーー! ナン マリヤーー! ノエ ハヤン ウスミーー! チャックマン! キオンナーー パボチョロm ウッケトゥエーーー・・・・」てな感じで、まだ舌足らずなので太文字のところしか歌えてないけど・・私としてはラストの終わりかたはとっても気にいらなかったけど、夏の間、「パリの恋人」は私たち親子を楽しませてくれました。 さて、ドラマ中盤に有名なキスシーンがあります。それは、パクシニャンが「なんで、自分の男だって言い切れないのか!」とキムジョンウンをすごい剣幕で問い詰め「そんなこといったら、あなたの立場がないじゃない!」詳しい台詞は覚えていないいんだけど、こんな感じかな。そして、パクシニャン、キムジョンウンに「ぶっちゅうーーーー」(たらたらららんらららん・・・と主題歌が流れる、演出も最高)とする場面があります。その激しいポッポのシーンをじーーっと見つめる次男。(あんたなに見てんのよ!)と思ったけれど、母もじーっと見入ってしまって、統制つかず!ドラマが終わって不適な笑みを浮かべながら私に近づく次男。そして、私のほっぺたに両手を「バシッ!」とかけ、 「ぶっちゅううううう・・・・」と例のキスシーンを再現!ああびっくり!でも気分はキムジョンウン?それ以来、ポッポというと「パリの恋人ポッポ」をする次男。最近はなりをひそめていましたが、年末に名場面特集で必ず出されるこのシーンを見て、また「ぶっちゅうううー」と熱いポッポをかましてくれています。お友達にやっちゃダメよ!オンマだけのものよ。
2005.01.12
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いよいよ今日は長男と次男の学習発表会(お遊戯会)だ。注目は3月で満三歳を迎える次男。先生が「チャンソン君、本当にかわいいのでぜひ見に来てくださいね!」と言っていたし、家でも歌を歌いながら何やらくるくる回って踊っていたので、衣装を着て舞台に立ったらさぞかしかわいいだろうなと思った。長男は幼稚園時代を飾る最後の舞台だし、次男は初めてだったので、おじいちゃんとおばあちゃんもご招待した。おじいちゃんはこういう所に参加するタイプではない人なのだが、さすがに次男の姿には関心があったらしい。二つ返事で来てくださった。長男は「英語劇」「交通安全ミュージカル」「テッコンドー」人気歌手「ピ」の「太陽を避ける方法」「ピ」の方はけだるい音楽のため大丈夫だったか、その外の踊りは、他の子達となんかずれていた。踊りが下手なのは私に似てしまったらしい・・・。「テッコンドー」では気合いを入れて板を「撃破」するのも披露してくれた。かっこよかったよ!今年は「大長今」や「茶母」などの時代劇のパロディもあって、とてもかわいらしかった。中盤にさしかかりいよいよ次男の番が来た。私もカメラを持って一番前にすいっと出て行く。しっかり韓国アジュマになりきり!そして登場してきた次男の前でシャッターチャンスを狙った。「一番小さいお友達なので、皆さんよく見てあげてくださいね!」と院長先生。2・3才児が6人登場する。「題目はくまさんのダンスです!」頑張れ次男!曲が始まった。しかし・・・・動かない次男!表情も無表情。まるでおじぞうさんのようにつっ立っている・・・!前で振り付けをしている先生も「チャンソン!チャンソン!」と必死で呼び、私もカメラなんかそっちのけで「チャンソン!チャンソン!」と手を振ったり、踊りを真似てみたりして。もう人の眼なんか忘れちゃていた。終いには院長先生も痺れを切らしマイクで「チャンソン君!」とお声をかける。しかし、微動だにしない、次男・・・私なりに彼の心の中を分析してみた。ここはどこ?この大勢の人たちは一体何者?なんで自分はここに立っているの?なんでオンマはあそこで手を振っているの?次男幼すぎて、今日発表会だということも、発表会のなんたるかもまったく理解していない。結局、おじぞうさんのまま「くまさんのダンス」は終わってしまった。「チャンソン君は練習のときは一番上手だったのに、ちょっとあがっちゃたみたいです。」院長先生、フォローも忘れない。次男の普段の天真爛漫で活発な姿を知っている人たちは「どうしちゃったのーーー?」という疑問を私に投げかけた。ま、しょうがない。だって2才児なんだもん。(もうすぐ三才だけど・・・)というわけで次男の初舞台はあっけなく終わった。フィナーレはみんなでお決まりの「アッパ、ヒムネセヨ」その時はようやく意識が元に戻ったらしい、元気に歌っていた。帰るとき、院長先生も他の先生も「ほんとに一番上手だったのに、残念です!」そして「でも来年は絶対大丈夫ですよ!」と(来年もこの幼稚園に送れよな!)という暗黙の勧誘まで!「来年もよろしくお願いします・・・」という私。相変わらず小心者。おじいちゃんもおばあちゃんも、孫たちの晴れ姿にそれなりに満足した様子。みんなで焼き肉を食べて帰ってきた。次男や!来年はがんばろうね。
2005.01.10
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今日は銀行や郵便局に行く用事があった。市内の郵便局はいつも待たされる。今日も15人待ちだった。なかなか進まない。やっと次は私の番だ、と窓口の近くで待機する。前の若いエギオンマ、なかなか終わらない。待ちながら、何年か前の事をふと思い出した。月末のウリ銀行での出来事だ。いつにも増して人が多く、6・70人待ちだったような気がする。順番表をとって、他の銀行もハシゴしてきたが、まだまだ順番が回ってきそうもない。いらいら気味の人たちも多かった。行く所もないのでしょうがなく、待つ事にした。あと10人という所だろうか。すると隣に座っていたおばさんが、私が手にしていた順番表を見て、「悪いんだけど、あなたの番になったら、一緒にやってもらえない?」と言うではないか。(なにこのおばさん、図々しい!)と心の底で思ったが、気が弱い私は「あ・・・いいですよ。」と言ってしまった。なんか変に損した気分だった。それ以来私は順番表を人に見えないように隠し持っている。(ああ・・・こころのせまい・・・わたし)日本人だったらこんなことするかな?「あたしンち」のみかんの母を思い出す。みかんの母、「待ってる間にあれもこれもできちゃうわね」といって、自転車をすっ飛ばしクリーニング屋や和菓子屋に行くが、銀行に戻ってきたら閉まっていた!若いエギオンマ、終わりそうだ。と、彼女はバッグの中からおもむろにビニールに入った大量の小銭を取り出した。「お札に替えてください」銀行員ちょっと困惑した表情だったが、机の上に小銭を広げ数え始めた。小銭を数える機械はないらしい。なんかいらいらしてきたなあ。でも小心者だからなにをする訳でもなく、足でリズムを刻んでみたりして・・・ああ!韓国人に貧乏揺すりが多いのは、もしかして待つ事が多いから!?(発見!)そんなしょうももない事を考えていたら、やっと順番が回ってきた。自分の番はすぐ終わってしまう。まあ無事に終わったんだから、よしとしよう。ん?無事といえば、この間国民銀行で用を済まして出てきたとき、外にすっきりさわやかな大学生風の若者が二人立っていて話をしていた。その内の一人が振り向きざま道に「かー!ペッ!」とやった!「かー!ぺッ!」とするのは老弱男女を問わずなかなか直らないものだ。こんなチャルセンギンお兄ちゃんも公衆の面前でするんだから。それはいいとして、その振り向き際のところをちょうど通りかがった私・・・!「ヒエッ!!」と、思わず華麗なステップを踏んでしまった。学生君もまさか人が通るとは思わなかったらしい。ぎょっとしていた。「すみません。大丈夫ですか?」と言ってくれたが、お互い真っ青だ。幸いひっかかってはいなかったが、もし・・・と思うとぞーっとする出来事である。無事でよかった・・・。郵便局に行って、色々な事を思い出してしまった。チャンチャン。
2005.01.09
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油っこいものが好きではない私は、家で揚げ物をするときは決意が必要です。(って大袈裟な!)でも子供やオットはこういうの好きですよね。昨日は心の準備をして揚げてやろうと思いました。それは「ティギム」韓国で屋台でも召し上がれる、おやつの代表選手です。うちではおかずとしても食べちゃっています。日本でいう所のかき揚ですね。ジャガイモ・サツマイモ・にんじん・玉ねぎ・ゴマの葉などを千切りにして下準備にかかります。今日、私はここで挑戦したい事がありました。カキの季節とあって、昨日は新鮮なカキを買ってきて、カキと大根のスープを作りました。韓国のカキは小粒で、生を食べたり、スープにしたりしますが、カキフライは食べません。少なくてもうちではそういう食べ方をした事がありません。そこで、カキのスープを作る前に、あらかじめ大き目のカキを何個か別にしておきました。「ふふふ・・・明日はカキフライだ!」そのようなもくろみがあったから、今日のティギムを作ろうと思ったわけです。ティギムを揚げる前にその衣でカキを揚げようという魂胆です。ここで告白します。私、実は料理オンチです。「とぶわにの食卓」なんてカテゴリーを設定してありますが、食にはあまり関心のなかった私の「家族においしいものを」という日々の戦いの記録なのであります。さあ、カキを揚げるぞお!そしてカキを小麦粉と水と卵で練った衣をつけて、それをジャーーーを揚げていきます。なななな、何かが違う・・・あのからっとした、きつね色に、ならない。ハッ!(やっと気づく)これは、パン粉で揚げるものでは・・・・(真っ青)出来上がった、フリッターまがいのカキフライ。(しかもべちょべちょ)まあ、これはお遊びだったんだから・・・。気を取り直しティギムを揚げる。ティギムをすると台所はギトギトしてくるし、顔も・・・乾燥肌にはちょうどいいかしら!ここでオットから電話が、「あ、今日外で食べてくるから!」ぬわんですって!!!そういうわけで、大量のティギムが現在も家で泣いております。ええい!今日はこれを揚げ直してやる!ちなみにフリッターもどきカキフライの方ですが、ポッカレモンととんかつソースで食べました。うん。味はカキフライでした。絶対食べないだろうと思っていた次男が「ナ イゴ マシッソ、クロッチイー!」といって食べてくれました。ありがとう・・・(ほろり)カキフライのおいしい作り方、誰か伝授してください!
2005.01.07
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はじめはイソップ物語の「アリとキリギリス」かと思った。小さな頃から、私は「アリ」じゃなくて「キリギリス」だな、と思っていた。怠け者で、楽しい事が大好き。働く事より楽器を奏でたりする事が好き。「芸術」が好き。だからなんかキリギリスが憎めなかったし、キリギリスに共感できた。のねずみの「フレデリック」、他の兄弟たちが一生懸命冬の間の食物を集めているのに働かない。「なんではたらかないの?」という兄弟たちの問いにフレデリックは「寒い冬のために、光と色と話を集めているんだ」と言う。ああ、アリとキリギリスみたいな教訓か・・・と思いきや、寒い冬がやってきて、貯えた食料もだんだんなくなっていく。おしゃべりなねずみたちも話したくなくなっていく。あれ、違うぞ!アリの貯えは十分なはず。ねずみの兄弟はフレデリックの言葉を思い出す。「君の貯えたものはどこにあるの?」「目をつぶってごらん」フレデリックは立ち上がり、暖かい光と灰色の冬にはない「色」の話、そして「詩」を披露する。兄弟たちは感動し、フレデリックに拍手を贈る。「君って詩人だなあ」私が感動したのはフレデリックもさる事ながら、兄弟たちの態度。誰も働かないフレデリックを咎めたり、いじめたりしない。そしてフレデリックの「詩」に感動の拍手を贈る事ができる。個性は誰にでもあるものだけど、人の個性を認め、受け入れる事はなかなか難しいことではないのだろうか。自分とは違うものに共感できる心。そんな暖かい心を感じられる絵本。韓国語版しか読んでいないけれど、谷川俊太郎さんの訳で読んでみたい。韓国の教育は深刻だ。最近韓国の小学生を対象に行った調査では、職業の選択基準の第一位は「お金」。私の子供達はこれからどんな将来を描いていくのか。一人一人の夢や個性が羽をひろげてはばたけるように、感動を子供と分かち合える父母になりたいと思う。
2005.01.06
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