全31件 (31件中 1-31件目)
1
◇また、気合いが入らない日が続く・・・。 きあいを入れ直すために、また京都行こうかな? 寒いからコタツから出たくない日が続きます。 動け自分、動け脳細胞、動け単細胞、動けからだ、動け気合い?などなど、でした。
2002/10/31
コメント(0)
◇巨人が4連勝で西武をくだし優勝しました。 西武は人の多さに舞い上がってしまった選手がいた事と、松坂を先発に使わなければいけない投手陣。ケガ開けの松坂を使えば勝てると思っていたのでしょうか?打者は打てなくても責任はほとんどありませんが、投手は1球の全責任を負うのです。 まあ、FAとかドラフト制度の人気チーム有利制度が実を結んだ結果だと思います。 W杯で寒くなったリーグと同じ、巨人ファンだけ楽しい、寒い日本シリーズになりました。 優勝セールが始まりますね。巨人が優勝しても自分の所はメリットありませんからね(笑)。
2002/10/30
コメント(0)
◇「ぼくのなつやすみ2」はPSで出ていた1の別バージョンですね。海バージョンかもしれませんが? 感想は・・・・・・、ですね。 1の時の方が楽しかったですね。2はイベントも増えたと思いますが、PS2で出すのだから今の10倍はイベント欲しいですね。 何か幽霊とか犯人とかイベントがありましたが、現実離れしている内容が入っていました。(もっと楽しく内容をしてほしかったですね) 虫相撲はHPが異様に高いのが突然出てきて進まなくなる所がありました。ゲームバランスが悪いですね。相手が2人なのは前より1人減ってるじゃないですか? エンディングも3種類あるそうですが、1の方が良かったですね。 2回目する気は無くなりましたね・・・。
2002/10/29
コメント(0)
◇トリック(ドラマ)、2じゃない方です。 マニアうけする、ドラマでした。 DVDでかりてみましたので、おまけがありました。 その中で、双子のシーンや貧乳ソングなどがあり、このドラマが好きな人は見て欲しいですね。 トリック2が出来て映画化までするなんて、うれしいことですね。 トリックも屋外撮影が多く、全体を撮影している画像です。 11月上旬に映画公開ですね。見に行かねば~~~。
2002/10/28
コメント(0)
キム・ヘギョンさんの後日報道について。関連新聞者には一問一答が載っていました。(買ってしまった。売り上げに貢献したのは悔しいが、確認しないと文句の一つも言えないと思い買いました)他の新聞は扱いが小さかったですね。(村の話の下に載っていただけでした)テレビは報道自粛か?(都合の悪いことは放送しない)「フジテレビは、これまで北朝鮮のプロパガンダ(政権放送)に組みしたことはなく、今後も一切ありません。拉致された方々、及びご家族のお気持ち、お立場を十分理解し、取材・放送に当たっています。今後ともこの姿勢は一貫して変わることはありません。」とコメントを発表。横田さんが孫娘の報道を見ていて「もうこれ以上見ていられないと」その場を立つシーンで、報道関係の人は「我々とは違う感情なんだな」と思ったらしいです。(マスコミの感情ってなんだろうか?)配慮が欠けていたと言うのですまされた報道でした。報道が自分達の報道に対して処罰しないし、他報道がおかしい報道に対し非難をしないのは、政治家や企業の体質と同じではないのか?政治に対する監視役とか言っていて、政治家の飼い犬に成り下がっているんでしょうね。拉致被害者家族側が非難を言ったが、それに対して報道はあまりにも小さく報道をされた。自分達の都合の良い報道しか報道していない事を認識しました。フジテレビのHPも見ましたが、ほとんど無視をしたら自然に収まるだろうと思っている感じもしました。米国に比べてあまりにも劣る報道でした。(米国の報道がすべていいわけではありません)
2002/10/27
コメント(0)
キム・ヘギョンさん独占インタビューひどい報道だ。子供をさらし者にしていた。その場所で拉致のことを教えて視聴率稼ぎか!拉致の事を話して、子供に対してその様な言い方はないだろう!第三者でもなかなか答えられない問題なのに・・・。いずれは拉致の事を知る事になるのだが、この様なさらし者にした状態で教えるのはあまりにもひどい!人の不幸に群がる奴ら、写真を撮るのを止めろ。その様な言い方しかできない報道は止めろ!あのテレビに出ていた人間は絶対許さない。(覚えていてばかやろ~と言う程度ですが)人の心を土足で上がる奴らは許さない。大人のきれい事で言葉をカバーするな。報道に対して憎しみさえ覚えた。(毎日新聞と朝日新聞とフジテレビですね)感情がない変なナレーションを入れるな。正確な情報を!日本の拉致被害者は質問を応える選択肢を与えていたのに、子供で外国でのことなら人権無視ですか?拉致の事を教えて、報道陣がその後のアフターケアーをするのか?報道した後はほっとくんだろう!横田夫妻が「かわいそう・・・こんな事聞いたら・・・」と言っているのに横に字幕が「孫娘の涙に・・」だって、笑いますね。言っている意味を理解した字幕ではない。横田夫妻が「質問が適切でなかった」と言っているのに無視して話を進める司会者。この様な心がない報道にたいして謝罪はないのか?日本に言論の自由はあるのか?(正直言ってない!すぐに強者と弱者ができて強者が弱者を潰す行為に出てくるから。きちんと議論はされない日本)放送中にメディア批判を一部言う人がいたが、メディア側は相変わらず無視する。それにどの様な状況でインタビューをおこなったか、出演者に説明していないから混乱したコメントが出るんですよ。1時間近く撮影したらしいが、それをそのまま報道出来なかったのか?脚色するのはどうして?そのままの報道でもいいのに、言ったこと一つ一つに北朝鮮が、北朝鮮がと言うの?推測だけで言うのは止めてもらいたい。拉致のインタビューに触れて放送したのに、批判が相次いだのか後半はそれに触れることはなかったですね。見ていても被害者側関連(一部除く)からもメディア批判をしていたから控えたのかも知れませんね。他番組でインタビュー現場にいた人の話では「歴史的なインタビューにジャーナリストとして聞かないといけないと思って聞いた」そうです。それはあなたのかってでしょ!それとも、国民が聞きたいと思っているとまた言うのですか?横田夫妻もつらいよね。報道陣や政府を批判したいだろうけど協力をお願いする立場なので言葉を押し殺すしかないですね。この報道で、泣いていいのは身内だけ!今までで一番に腹立った報道だった。追伸:北朝鮮問題はなるべく書かないようにしてきたのは推測でしか報道されていない状況が続いてるからである。推測は専門家がする仕事であり報道陣がする仕事ではない。報道陣が推測で報道するのを見て自分は適切な判断が出来ないと思っています。今回は怒りすぎたので書いています。
2002/10/26
コメント(2)
ハッキリ言って、テレビで見るまでは馬鹿にしていました。 あのピストルの弾を避けるシーンを見て、あまりにも馬鹿馬鹿しかったので・・・、見てビックリしました。世界観がすばらしい~~。疑問点は数点ありましたが、世界観の見せ方に飲み込まれてしまった感じがしました。SFって以外とその世界を表現しずらいのに、きちっと作られていました。 なんだか「ジョジョの奇妙な冒険」を映画化したらあんな感じかな? まあ、続編が出来るみたいですが、あまり期待はしていません。1作目の内容を潰さないことを願いたいですね。1作目の最後に空を飛んでいたので、2作目が無茶苦茶になりそうで恐いですね(笑)。
2002/10/25
コメント(0)
方広寺(ほうこうじ) 豊国神社に行った後、清水寺の方に向かって歩いていきましたが、豊臣家を滅ぼした鐘があることを思い出し、途中で引き返してきました。200mぐらいだったので引き返したと思います。 方広寺境内らしき所に入り、鐘を発見! でかい・・・。 それだけですね(笑)。これを見たら、他の鐘を見たらおもちゃみたいに見えますね。 場所は豊国神社に隣接しています。(正確には方広寺の元境内に豊国神社があります) その時はハッキリと鐘のことについて調べていなかったので、この鐘が本物かどうかを友達と話していた気もします。実際は本物らしいですが、疑ったのは鐘の建物?の端に鉄製?の破損したモノが落ちているので、実際はあちらが本物かと思っていた感じがします。(あれは方広寺の建物の後らしいです) 鐘を打つ棒?は固定されていて打つことは出来ませんでした。 鐘を見て満足して移動しました(笑)。 ☆☆☆ 方広寺 うんちく ☆☆☆ 方広寺は天正14年(1586)、豊臣秀吉が奈良の東大寺にならって大仏建立をこころざし、造営を開始したのがはじまりです。文禄4年(1595)、ほぼ大仏殿が完成し高さ6丈(約18メートル)の木製金漆塗座像が安置されますが、翌慶長元年(1596)、機内を襲った大地震のため大仏は大破してしまいました。そして慶長3年(1598)、大仏開眼供養を待たずに秀吉は死去し、その意志を継いで秀頼が大仏復興を命じ再建が開始されます。慶長17年(1612)、ようやく銅造大仏が完成しました。 大仏殿は、豊臣家滅亡後も破却されずに残りましたが、寛政10年(1798)、落雷によって焼失してしまいます。天保年間に旧大仏の10分の1の木造半身像が寄進されましたが、それも昭和48年に再び火災に遭って焼失してしまいました。 京都市埋蔵文化財研究所の調査により、大仏殿の規模がほぼ明らかになってきました。 1998年度の調査では、南面石垣の様子、南門は八足門で、回廊は複廊であったことがわかりました。2000年度の調査では、大仏殿の規模や台座の形、大仏の位置、建物中軸線がわかりました。 京都国立博物館蔵の「洛中洛外図」に描かれている方広寺の大仏殿は江戸時代の「方広寺建地割図」などの文献にある大きさ、形とほぼ一致。文献によると、大仏殿の高さは約五十・五メートルで、江戸城と大阪城の天守閣が一緒に収まる規模という。 秀吉は文禄四年(1595)、東大寺の大仏より約4メートル高い約19メートルの木造大仏を安置して同寺を創建。大仏殿は寛政十年(寛政十1798)に焼失したとされるが、同研究所は台座の規模から、これも裏付けられたとしている。 巨大な大仏殿の姿は、当時の人には「京のだいぶっつぁん」として親しまれてきたそうです。現在、方広寺大仏殿を忍べるものは、豊臣家滅亡のきっかけとなった銅鐘(重要文化財)と、大和大路に沿った石垣(史跡)のみしかありません。 ☆☆☆ 国家安康、君臣豊楽の鐘 うんちく ☆☆☆ 豊臣秀吉が創建した方広寺の大仏が地震によって破損していたので、その再建を家康は豊臣氏にしきりにすすめました。豊臣氏は多大な費用を出費して大仏をつくりはじめましたが、3年後に火災にあって、大仏は完成しないまま焼失してしまいます。それでも、家康は大仏の再々建をすすめます。再び工事がはじめられ、4年後に無事完成しました。 しかし、その時につくられた鐘(かね)の銘文に「国家安康、君臣豊楽」の文字があり、徳川氏は言いがかりを豊臣氏につけます。「国家安康」は、「家康」の2文字を引き裂いており、これは家康を呪うものだと。また、「君臣豊楽」は、豊臣氏が「君」として繁栄することを祈ったものだと。 この言いがかりに対して誤解を解くために、豊臣氏は使者を派遣しますが、家康は豊臣氏の国替えか淀殿が人質として江戸に住むかの条件を出します。結局、この条件を受け入れることのできない豊臣氏は戦いにふみきり、大坂の役(1614年の冬の陣、1615年の夏の陣)となるのです。そして、徳川方に攻められて豊臣秀頼と淀殿は大坂城で自害してしまいます。そして、豊国神社も破壊されました。◇ほとんどその当時の面影はありませんので素通りしそうな所ですね。 本堂もどこにあるかわからなかったですね。拝観できるそうです。(京大仏の一部があるそうです) 京都は秀吉ゆかりのモノが多いですが、ことごとく家康の手によって破壊されたりしているのが多いですね。プンプン・・。
2002/10/24
コメント(0)
スチィーブンとかスティーブンと言われますが、スティーブンに統一しときます。 BSで特集を少しだけしていました。 3年ぐらい前のトーク番組の再放送でした。 自分がスピルバーグを知った時には世間では神様でした。自分もミーハーのように映画を見ましたが、戦争映画だけは見ませんでした。(最近は見るようになりましたが、戦争映画とやくざ系映画は今でも嫌いです) どこが良いんだと言う人もいますが、自分の中で神様なら良いと思います。(解る人だけに解れば良いですよ) トークでは、映画の裏話などをしていました。 あまりにも日本の映画環境と違う世界の話でビックリしました。 エンターティメントが充実しています。 日本は本当に映画はアニメだけになっています。 話を聞いていて思ったのですが、自分の好きな映画が以外とロングアングルでたくさん使われる映画が好きなことに気がつきました。 スティーブンスピルバーグ次の作品期待しときますね(笑)。
2002/10/23
コメント(0)
豊国神社(とよくにじんじゃ) 養源院へ行ってから、三十三間堂まで戻り、京都国立博物館横の大仏前交番を北に進んでいくと豊国神社があります。 豊国神社じたいはあまり見る所がありませんが、唐門と宝物館ぐらいですね。あまり見る所がない理由に新しいと言うことがあると思います。宝物館には重要文化財などが数点あります。 この一帯が、豊国神社だったらしいですね。家康の手によって徹底的に壊されてしまい、放置されてしまいましたので、ほとんどわからない状態みたいです。 その頃の様子は、当時の屏風などで様子が分かる程度です。 本当はここでは見た様子を書きたかったのですが、お上手に嘘をつけませんね。 現在は方広寺跡地に建てられたそうです。 ☆☆☆ 豊国神社 うんちく ☆☆☆ 醍醐の花見の後五ヶ月の1598年8月18日伏見城で没する。 遺体は阿弥陀が峰山頂に埋葬され、廟所を方広寺の鎮守として定め、時の天皇から「豊国大明神」の神号を賜った。 瑞垣をめぐらした本殿の他、拝殿、廻廊、楼門などを完備した創建当時の神社の様子は、「豊国祭礼図屏風」に見ることができる。 元和元年(1615)豊臣氏滅亡後、廟は破壊され、墳墓に弔する人もなく、三百年間空しく風雨にさらされていた。明治三十年秀吉三百年忌に際し廟宇が再建され、山頂には巨大な五輪塔が建てられた。社殿は、これより早く明治十三年に大仏殿跡に、豊国神社として再建されている。 京都の三唐門は、豊国神社、大徳寺、西本願寺である。 愛称は『ほうこく』。豊臣の国を指すような言葉が禁じられた時代もあり、呼び方を代えて読んだそうです。◇豊国神社は明治時代になって再建されましたが、長浜・愛知・大阪にも現在になって建てられたモノもあります。(跡地もあります) 山頂の五輪の塔に付いてはまた後日に書きます。(このパターンは何回目だろうか?一度も後日が来たことが無い気がするが、気のせいかな。アセアセ) それと『耳塚』! 豊国神社の正面の道路を渡り、小さな公園の西側に『耳塚』があります。 見に行ったことはありませんが、『耳塚』らしいですね。 ☆☆☆ 耳塚 うんちく ☆☆☆ この塚は、16世紀末天下を統一した豊臣秀吉がさらに大陸にも支配の手を伸ばそうとして、朝鮮半島に侵攻したいわゆる文禄慶長の役(朝鮮では、壬辰・丁酉の倭乱、1592~1598年)にかかる遺跡です。秀吉輩下の武将は、古来からの戦功のしるしである首級の代わりに、朝鮮軍民男女の鼻や耳をそぎ塩漬にして日本に持ち帰った。それらは秀吉の命によりこの地に埋められ、供養が営まれた。これが伝えられる「耳塚」です。 「耳塚」は、史跡「御土居」等とともに京都に現存する豊臣秀吉の遺構の一つであり、塚の上に立つ五輪の石塔は、その形状がすでに寛永20年(1643)の古絵図にみとめられ、塚の築成から程ない頃の創建とのこと。 これには別の説もあります。かつて豊国神社の北隣にあった方広寺大仏を鋳造する際、鋳型の土をここに埋めて御影塚(みえつか)と称したのを、あやまって耳塚と呼ぶようになった、というものだ。◇戦争というのは立場が変わると見方も変わります。朝鮮の人々にとっては大切な場所でありますが、日本人にとってどれだけこの事を知っている人がいるでしょうか?(教科書には出てきたと思うのですが) 日本と韓国・朝鮮との歴史と友好を考える上でも重要な場所です。
2002/10/22
コメント(0)
今年も日本シリーズを残すのみですね。 あまりにも、盛り上がらない一年でした。今年からプロ野球延長が1時間ぐらい放送し始めたのですが、ワールドカップが始まってしまい人気が取られました。ワールドカップが終わると、西武と巨人の独走状態になっているので愕然としました。ゲーム差はあまりありませんでしたが、貯金をたらふく持っていましたので勝負は見えていました。その通りの結果になりましたね。 優勝が決まった後のタイトル争いのみの戦いになりました。テレビ放送は巨人戦でもなくなりましたね。日本シリーズまで1ヶ月丸ごと開いてしまいまして、気分的に野球の盛り上がりがありません。 大リーグのように連続してやらないと気分も盛り上がりませんね。試合数もまばらな大リーグのように期日一杯まで試合を続けていくようにしたほうがいいですね。 野球は優勝争いのみが野球じゃないと思うのですが、消化試合になるとダラダラ試合をしたり、若手中心で有名選手は出場しなくなることがあります。もうそこにはプロ野球のすばらしい試合を見る楽しみはありません。本当に消化試合ですね。 本当の原因はドラフト制度にあるのです。逆指名制度が導入されたのは巨人のオーナーとブランド名に負けたからでしょうね。職業選択の自由はありますが、チーム選択の自由はないのではないでしょうか。それならなぜFA(フリーエイジェント制度)があるのでしょうか? 各チームに2~3人は有名プレーヤがいないと見ている方としては、楽しくないですね。 野球の名監督が最近では監督として指導力が失われずつありますね。過去の栄光などは現在の選手には関係ないみたいです。過去の選手について何もしなかったプロ野球の落ち度でしょうね。 日本シリーズも夜するようになりましたが、DH制などがありセリーグ有利はかわらないでしょうね。(まともにすれば去年と同じようにセリーグ有利) 今年ではなく毎年同じ問題を抱えている日本プロ野球でした。
2002/10/21
コメント(0)
菊花賞は1秒で終わりました。 自分の本命はノーリーズンでした。それが、ゲートが開いた瞬間に少し立ち上がり着地と同時につまずいて騎手が落馬! ┓(´_`)┏ オーノ~~~。 その後は、じゃまにならないように外を走っていました。 まさにノーリーズン(理由はなし)。 走っての負けとか、故障による競争中止や、不利による落馬ならまだ納得できるんですけどね。それでも納得はできませんね(笑)。 あの一瞬でたくさんの人の夢、110億が消えた。 出走はしたけど、走ってはないのに払い戻しがないなんて・・。
2002/10/20
コメント(0)
養源院(ようげんいん) 三十三間堂に行った後に養源院へいきました。 場所は三十三間堂の東側です。歩いてすぐの所ですので歩いていきましょう。 養源院は血天井で有名ですね。 門は小さいです。看板があり、紹介がされています。 門をくぐると、細い石畳が続いていました。独特の雰囲気がありますね。朝早かったので誰もいなかったので、入って良いのか迷いながら入ったのを覚えています。 そう思いながら、薄暗い玄関?をくぐると、おばさんが「そこで靴を脱いでください」と言われた気がします。500円の拝観料を払うと一枚の紙切れの『養源院略由緒』をいただきました。そう言っていると奥からもうひとりのおばさんが出てきて、奥へ行くように言われて「ここで待っていてください」と言われました。(正面玄関を真っ直ぐ入った所) カセットのテープで説明が始まりました。そのテープが伸びているのかどうかは解りませんが、音がこもったり、声が聞き取りにくくなったり、声が大きくなったりして、雰囲気を出していました。その内に他の人も来ました。 奥の部屋から出ると廊下にでると、おばさんが棒を取りだして天井をさします。ん・・・・と見ると黒いシミが見えます。これが『血天井』らしいです。その説明を聞かなければ、たんなるシミに見えますが、人というのは不思議なモノで言われるとそう思いこんでしまうんですね(笑)。「ここが手、ここが胴体、ここが足」などと言っていた気がします。「これは指でもがいた後だと思います」と言われると指で引っ掻いたような後があります。人間て想像力豊ですね。 その後は玄関入って左の所でテープを聴いて、玄関の所の絵を見て終了でした。途中から来た人は途中からテープを聴いて、一通りテープを聞いて終わりですね。 外に出ると、井戸らしきの所に人が覗いていた気もしますが、何のことか解らず「養源院」を後にしました。 ☆☆☆ 養源院 うんちく ☆☆☆ 文禄3年(1594)、豊臣秀吉の建立です。焼失し、元和7年(1621)、伏見城の遺構を移し再建されました。本堂の廊下の天井は血天井と伝えられます。伏見城が落ちた際、鳥居元忠らが自刃(じじん)した廊下の板が使われています。本堂の杉戸に描かれた白象や唐獅子(からじし)、キリンの絵は、俵屋宗達(たわらやそうたつ)の筆と伝えられています。狩野山楽(かのさんらく)の障壁画もあり、豊かな歴史をかいま見ることができます。 ◆養源院略由緒◆ 豊臣秀吉の側室淀殿が父浅井長政の追善の為、長政の二十一回忌に秀吉に願って養源院を建立し長政の従弟で叡山の僧であった成伯法印を開山とし、長政の院号を以って寺号としたのは文禄3年5月(1594)です。其後程なく火災にあい、元和7年(1621)徳川秀忠が夫人崇源院殿の願により伏見城の遺構を移建したのが今の本堂です。以来徳川家の菩堤所となり、歴代将軍の位 牌を祀って居ます。 『血天井』此の本堂の左右と正面の三方の廊下の天井は伏見城落城の時、鳥居元忠以下の将士が城を死守し、最後に自刃した廊下の板の間を天井として其の霊を弔ったもので世に血天井と称して名高い。 『宗達襖杉戸絵』此の本堂の襖(十二面)杉戸(八面)の絵は俵屋宗達の筆で、自刃した将士の英霊を懸める為に「お念仏、御回向」にちなんだ絵を画いたもので、杉戸には象や獅子や麒麟等の珍しい行動を画いて居り其の表現が奇抜で新鮮美に溢れ、又曲線美の効果 が素晴らしい。 『狩野山楽の襖絵』玄関の左の方に太閤秀吉の学問所とした牡丹の間があります。狩野山楽が牡丹の折枝の散らした図案的な襖絵を画いています。 『鶯張廊下』本堂の廊下は総て左甚五郎の造ったうぐいす張りで有名です。 『蛇が祀ってある社』門を入って右手に蛇の人形などが飾ってあります。 『井戸』門を入って左手にあります。のぞき込んでください。◇伏見城の血天井は京都に5ヶ所に分けられたそうです。 伏見城と血天井についてはまた書きますね。(前にも言っていましたが・・アセアセ) 三十三間堂に訪れたら養源院も行ってみても良いと思いますが、寝ている時に思い出したら、天井が気になりますね。以外とインパクトがありますので、あまり思い詰めないでくださいね(笑)。 血天井は京都以外にも徳島にもあるみたいです。(見たことはありませんが)
2002/10/19
コメント(0)
三十三間堂(さんじゅうさんげんどう) 京都駅から歩いていける距離なので歩いていきました。(朝早くに京都に到着していたので時間があったのもあります) 三十三間堂へ行く途中に細道を通ると「痴漢注意」の張り紙を京都で初めて発見したのもこの時でした。ちょっと距離はありますので疲れました(笑)。 鴨川の方から東に歩いていくと少し緩やかな上り坂になって行く途中に、『国宝三十三間堂』と書いてありました。そこが入り口かと思って急な坂を見ていると、車が数台出てきました。車の出入り口みたいですが、入り口を探すのがめんどくさいのでそこから入りました。警備員がこちらを見ていましたが何も言わないので気にせず坂を登ると、入場券売場が見えました。(本当はもう少し歩いた所に入り口がありますけど、自分が入った所は車の出口だったみたいです) 三十三間堂の前の道路を挟んだ所に赤煉瓦の建物が建っています。その建物は「京都国立博物館」です。その建物の方が自分的にはひかれますね。 入場券(600円)を買って入りました。中では靴を脱いで上がることになりました。(ビニール袋に入れて持ち歩いたような気もするが、しなかったような気もします) 本堂は誰もが驚くほどの仏像の数です。おまけに金色!それもほとんど同じ形をしています。素人は「誰が作ったのだろうか?」とか「手が何本あるのだろうか?」とか思います。自分も思いました(笑)。 自分は仏像などに関しての評価がまだまだ出来ないのです。「いい顔の仏像」「ハンサムな仏像」「美人な仏像」など色々いわれる所がありますが、言われてもいまいちわかりませんね。わかるのは阿修羅像とかの戦いに関するのは以外と好きですね。これからたくさん見て、学びたいですね。 両サイドに風神と雷神がありました。どちらが先に見たかは忘れましたが、出る時に「あれ風神がない」とほざいた自分でした。一番最初に見ていたのに出る頃には忘れていましたね(笑)。金色に心を奪われていたのでしょうか?でもくすんだ金色だからそんなことはないでしょうけどね。 裏手の方にも何かあったけど忘れてしまいました(汗)。 外に出て思ったことは、「入場券落とした」でした(涙)。 外の庭園も少しは見えますが、立入禁止が多いですね。 ☆☆☆ 三十三間堂 うんちく ☆☆☆☆ 本堂の内陣の柱間が三十三あるために三十三間堂と呼ばれていますが、正式には『蓮華王院』という名の天台宗の寺院です。(また33という数字は観音菩薩が33もの姿に身を変えて人を救うという信仰によるものだということです。)もともとは後白河上皇の離宮・法住寺殿の広大な敷地の一角にあり、長寛2年(1164)後白河上皇が平清盛に命じて造らせたものです。周囲には五重の搭や不動堂などを従えて偉容を誇っていましたが、 度重なる震災ですべてを損失、現在残っている本堂は文永3年(1266)に再建されたものです。 三十三間堂の見どころは、長大な堂内をびっしりと埋め尽くすようにして立つ千手観音像です。写真でご紹介できないのが残念ですが、本像の千手観音坐像(国宝)を中心に、左右に10段50列で500体ずつ千手観音立像が整然と並んでいる様は圧巻です。この1001体の観音像、正しくは「十一面千手千眼観世音菩薩」といい、頭上には11のお顔をつけ、両脇には40本の手を持ち、1本の手が25種類の世界で救いの働きをし、40を25倍して「千手」を表しています。千一体の観音像は、仰いだ角度のままひとりでに一つのこらず拝めるように安置されており、その中には、会いたいと願う人の顔が必ずあると伝えられています。☆ 成人の日の『通し矢』は60mでおこなわれています。(その時は無料開放になるらしい?) 通し矢の起源は、保元の乱の頃(十二世紀中頃)熊野の蕪坂源太が崇徳上皇の身方として京に馳せ参じたとき、三十三間堂の軒下を根矢をもって射通したのに始まると云われる。 昔は一昼夜、端から端まで(118.22m)矢を射通したそうだ。 通し矢の最高記録は18才の少年。 江戸時代に総数が13,053本、通した矢が8,133本という記録があるそうだ。一昼夜を通して打ったそうだ。☆ 南大門や築地堀(太閤堀)は秀吉の造営。◇ここも歴史的には奥がふかい所でしたね。 京都駅近くに『東寺』などの国宝が意外にもたくさんあります。 平清盛についても調べましたが、話が大きすぎて書くのは無理でした。 少しだけこちらで見てください。 ↓http://www.izumishobo.co.jp/onlinebook/denki/kiyomori/kiyomori.html
2002/10/18
コメント(0)
日本対サウジアラビア この大会で4位までに入ると、FIFAワールドユース選手権大会に出場出きる大会です。 どの様なメンバーか、フォメーションや、選出など情報がない状況でみました。 両チームとも、3-5-2のシステムでした。中盤の配置が違います。 試合開始直後は大会初戦ということもあってか、両チーム攻め手がなく落ち着いていたように思いましたが、徐々にサウジペースになりました。プレッシャーやマークをかけられなくなってきたのと暑さの集中力不足が出たみたいです。こぼれ球に対しての反応が遅かったり、相手DFが上がってきているのにマークが出来てなかった状態が続きますが、どうにか前半を乗り切りました。 前半を見て、シュート数1本、これじゃ勝てないと思いました。トルシエが「日本人は地域適応力が欠けている」らしき事を言ったのを思い出しました。 後半始まると、8秒ぐらいで得点を許しました。目が点。。 DFの裏にポーンとボールをほおりこまれて、DFがもたついている間に相手に取られたがキーパーが1度は防いだが先制されました。もう終わったと思いました。 しかし、それからが良かった。監督が選手交代でリズムを代えて、点を取られたことで目が覚めたのかメンバーがちゃんとサッカーをし始めました。それでも強豪サウジと互角にようやく戦える状態になりました。 1点目は中盤でボールを奪い、カウンターで得点。 2点目はなんだか解らない得点だった。キーパーが目測を誤ったのかDFにボールが当たりコースがかわったのかわからないが得点。 試合は2対1で勝った事に喜んでおきましょう。 サウジに勝ったので予選は心配ないと思いますが、前半のような戦い方をしていると負けるかも知れませんね。守備的にしていたとも思えますが、アジアのチームで力の差がないかぎり守備的にして勝てるチームはいままでに一つもありませんね。 ベンチからの指示がテレビを通しても聞こえるのは新鮮な感じがしました。あれほど聞こえると、選手が聞こえないふりをして無視することはないでしょうね(笑)。 選手がケガしたときのタンカーはゴルフのカートみたいなのがグランドに入ってきていました。
2002/10/17
コメント(0)
日本対ジャマイカ戦 ジーコジャパンの初戦は1対1の引き分けでした。 まあ、勝とうが負けようがジーコジャパンのお披露目的メンバー選びだったのでしかたないと思います。マスコミやファンにうけるための人気優先のメンバー選びだったみたいですね。 練習期間が2日で何ができるんでしょうか?トルシエの時も練習量を増やして欲しいと言っても、協会側はJリーグがあるから無理だと拒否したり決められた中でしろと言った過程がある。その時と同じ事をまたしているのか、ジャマイカごとき2日で充分だと言うのだろうか? トルシエは監督を辞めるときに「次の外人監督は協会と戦わなければならない」と言っています。協会お気に入りのジーコ監督ですのでJリーグの試合を長期中止にすることが出きるのでしょうか?それぐらいの事をしないと日本チームが強くならないでしょう。 それと、お金の問題もです。日本代表の練習に参加する事は名誉なことですが、お金は1日1万ぐらいしかでません。それも、自分のチームの練習を中止して来るのですから、不満も出てくるでしょう。Jリーグの選手の年収はその金額から欠場した試合数などで引かれるので、1万程度の代表練習よりもちゃんと休養取る方を取りたい選手が多いみたいです。金銭的な問題や休養を取らさないJリーグ体質を変えなければけが人が増えたり、選手の寿命が短くなるだけです。今回の試合もW杯後、ほとんど長期休みなしで試合を繰り返しています。今年も年末まで試合詰めが続くため疲労が溜まりレベルの高い試合が出きるか疑問です。 試合中に監督のコメントなどを言っていたが、「その時の調子の良いメンバーを使う」とか、「若手の練習のためには使わない」とか、「全試合勝つためにする」とか言っていました。まあ、早い話が美味しいとこどりって事ですね。 今回使われたメンバーは海外組とアントラーズ中心でした。交代までアントラーズ中心でした。端から見てもトルシエの時に比べてチームびいきがひどい気がします。4年という期間があるのに、新メンバーをためさないのは監督自身がいそがしいからかな? 監督としての采配はほとんどなかったでしょう。ジャマイカの監督が選手を交代してリズムを代えて日本の攻め手がなくなっていました。サッカーで後手に回るのはよくないですが、監督としての経験の差ですかね?監督としてはジャマイカの監督の方が今回は上でした。 試合後のコメントでは、「攻撃面はよかったが、守備は今後修正しなければいけない」と言っていました。このコメントも表向きのコメントでしょうね。 誉める所は、小野と高原のコンビネーションはよかったですね。昔からコンビを組んでいただけの事はありますね。海外組は全体的に良かったですが、まだベストな状態ではないと思います。 ジーコ監督はW杯後「日本はベスト4にいける実力があった」と言っていましたが、格下ジャマイカ相手に引き分けて「練習が2日しかなかった」て言うのはベスト4にいけるチームなら勝って当たり前じゃないでしょうか?まあ、顔見せの試合だったので今年は我慢しますよ(笑)。でも、お金を出して見に行った人には、不満が残る試合内容だったでしょうね。 その他気になった事は、ジーコ監督の髪が薄くなっていて風になびいていたのが気になりました。 報道がサッカーを軽く書きすぎて、人気だけで評価したり日本だけしか見せない報道をしているのはおかしいと思います。サッカーって思ったより軽いモノじゃないですよ! ワイドショーサッカー報道反対!! ジーコジャパンが戦う相手は協会である。トルシエの時と同じ過ちを繰り返さないようにするべきだ!
2002/10/16
コメント(1)
レンタルで借りてみました。 感想は (*^O^*) ほおっほおっほおっです。 まあ、映画館で字幕版と吹き替え版を一回ずつ見ていましたので、内容確認の3回目ですかね。 よく「ハリーポッター」と比較されますが、「ハリーポッター」は子供向けと思った方がいいでしょう。映像と世界観は比較にならないでしょう。「ハリーポッター」は以外とつじつまが合わない所がありますが、「ロードオブザリング」はあまりないんですね。ファンタジーの中での話ですからね(笑)。(友達にはそんなこと考えずに見ろと言われますが・・) 字幕版と吹き替え版なら吹き替え版を進めます。字幕と吹き替えならイメージや意味が違うようにとらえることが多いみたいですね。字幕版はその言葉の字幕なので物語の流に関係ない状態になることがあるみたいですね。日本語と英語の言い回しの違いでしょうか?(翻訳した人のセイか?) 今まで吹き替えは嫌いだと思っていましたが、今回の映画から最近は吹き替えの方が良いと思うようになりました。二度目見るなら吹き替えで映画鑑賞をお奨めしますよ。 2作目、3作目も期待しています。 DVDを借りたのに、おまけはなかったです(涙)。
2002/10/15
コメント(2)
●男子サッカー 皆さんが誉めるのでけなしますね。 優勝が目的でなかったみたいなので、銀メダルは上出来じゃないでしょうか?(皮肉) 日本側はルールを勝手に21歳以下にして試合をしていました。それは対戦相手に失礼なのと、優勝をしなければ優勝する気がないよと言っているようなモノです。アジア大会で練習ですか?いい身分になりましたね日本!21歳以下で戦わないイランが卑怯者ですか?日本はルールの中で正々堂々と戦っての結果ではないのです。Jリーグでも格下のチームでも主力を出さないといけないルールがあるのに、勝手に自分達でルールを変えるのは自分勝手ですよ。アジア大会はランクが低いから、出す必要もないのですか? 「1戦1戦成長」とか言いますが、日本はコンビネーションなどがきちんとできないままでのアジア大会参加でしたので、少しまともになった程度でした。それは成長ではないですね。 「良い経験が出来た」と言いますが、経験よりもうぬぼれが増えたんじゃないですか?あの状態で決勝まで行ったことは、組み合わせに恵まれたとしかいえませんね。Jリーグにもうぬぼれて練習をしないと怒られてチームを去る人が時々いますからね。韓国とイランに途中で対戦していたら確実に負けていたでしょう。 試合はタイ戦以外はいつ負けてもおかしくない展開でした。ほとんどの選手が守備的に守れば、アジアのチームほとんどがまともに得点することはできませんのは誰にも解ることです。(日本も含む)アジアで攻らめれないチームが世界で攻められるチームに代われるのでしょうか?アジアでの戦い方と世界での勝つ戦い方を代れるほど日本は世界レベルほど高くありません。 それと、あまりにも1対1が弱すぎます。簡単に抜かれすぎます。日本が攻撃の時はフェイントにならないフェイントではなかなか抜けないし、抜いた時に相手の足に引っかかりすぎです。露骨に引っかかりフリーキックをもらうのが、良いことのように報道されますが、ちゃんとフェイントしていればきちんと抜けるはずなので引っかかる方がアホなのです。フリーキックよりも、相手を抜いた時にDFが1人少ない方がチャンスと思う気持ちが欠けている気もします。日本人ぐらいですね、露骨に足に引っかかるのを見るのは。(Jリーグもね) 試合を見ていたら、フランス大会のアジア予選を見ているような試合運びでした。代表を見ている気分にはなりませんでしたね。 準優勝したのだから解任はないでしょうが、最初から優勝する気がなかったのだから解任されてもしかたはありませんね。トルシエの時のように「結果が出ないので解任」とか「メンバー選びの試合」とか「戦術の実践」とか「得点能力不足」とか「監督の選手人選」とか「システム機能」とかいうのを許さなかった間抜けな報道陣が山本監督を批判するのでしょうか疑問です。日本人だから有名監督だからと言って、批判しないのは報道のひいきには飽き飽きしています。今回の結果にはトルシエを批判していた人はトルシエの時と同じように批判すべきです。ベストメンバーで戦えば優勝できる可能性は充分にあったはずです。それをアテネの練習と位置づけて試合をして、優勝を逃したことは恥べき事です。 (本当はここまで批判したくないのですが、トルシエ批判が酷すぎたので、その時のように書いてみました)
2002/10/14
コメント(0)
●女子サッカー 銅メダルだったみたいです。 女子代表サッカーを見るのは2度目なので、まあまあとしか言えませんね(笑)。 岡田元監督が「選手の体型が変わってきましたね」と言っていました。確かに昔とは違い細くなりましたね。 試合自体はアマチュアなのでレベルは高くありませんが、良い試合をしていました。少年サッカーとかと同じく見ていた楽しかったですね。 女子サッカーは男子サッカーと違い女子世界トップレベルに近いので、期待できますね。まあ、女子サッカーしている国が少ないのもありますが・・。 ほとんどの選手がアマチュアなので、お金の問題でもめてたみたいですね。アマチュアの方が金がないのだから、結果を出せば金を出した方が良いと思うのですが?金持ちが金持ちになる日本式ルールですかね?(本当の理由はあるのですが、そんなことどうでも良いと思うのですが、ゆうずの聞かない国ですね) 北朝鮮が金メダルです。北朝鮮とは、試合をあまりして欲しくなかった気も個人的にはしますが、FIFAやスポーツでは平等であり政治的や宗教的な配慮が入らないようにするという大前提があります。個人的には批判するのはいいですが、スポーツを通して批判するのは避けたいですね。
2002/10/13
コメント(0)
◇明日は京都へ一様行く予定です。 でも、京都観光はあまりできません。 秋華賞は「ファインモーション(軽快な動き)」本命で行きます。 では、行って来ます。
2002/10/12
コメント(0)
◇日本人って本当にスポーツに興味のない人種ですね。 スポーツは子供のする物とか、暇な人がする物とか、企業がする物と言うイメージがあるみたいですね。まあ、する場所も限られていますからしかたありませんけどね。 放送も地上波でするのはサッカー男子ぐらいですかね。 オリンピックで、あれほど騒ぐ日本人は嘘つきですね(笑)。 報道とかに惑わされずに、スポーツが好きな人が増えることが第一ですね。●女子ホッケー アジア大会で銅メダルでした。 アイスホッケーではなく芝(人工)ホッケーです。 初めてテレビ(BS)でしているのを見ました。そう言うスポーツがあるのは知っていましたが、見るのは初めてです。 ルールはサッカーに近いですかね?アイスホッケーのグラウンドバージョンにも見えますね。(細かいルールはわかりません) 警告はグリーンカードだそうです。サッカーではイエローカードです。レッドカードは同じみたいですね。 (グリーンカードって米国の国籍取得するのもそんな名前のような気がします。グリーンマイルは死刑囚が通る道) 見ていて思ったんですが、ステックとボール?が当たったらいたそうです。 なぜか放送の映像はインドびいきでした。インドの選手のアップが多く日本の選手は少なかったです。でも、ベンチの監督は日本の方が良く放送されていました。(理由は少し解る気はしますが・・・) スカートのヒラヒラは別にいらないと思うんですけれど、テニスと同じく伝統なんですかね? 女子ばっかりしているスポーツかと思っていましたが、男子もしている見たいですね。(男子がするとスピードが上がりすぎて、かわすことが出来るのでしょうか?恐いスポーツになりそうですね)
2002/10/11
コメント(0)
DVDをレンタルで借りてみました。 感想は (=^ェ^;=) あせあせ、でした。 自分は予備知識なしに西洋のよくある伝説の話かと思って見ていました。 途中まで思いっ切り勘違いしているのに気がつきました。 ア、アクション映画だったのですね。 最初からワイヤーアクションを取り入れているのでおかしいと思ったし、出てる人もアクション映画で見たことある人だった。 西洋のよくある話とは、昔に田舎町で連続殺人事件がおこり都市から若手の捜査官が派遣されて、そこの領主関連の娘と恋におちながら事件を解決していく話かと思っていました。 西洋のよくある話にアクションを入れただけですけどね。西洋映画に最近はアクション映画が人気で始めた話は聞いたことありますが、この様な姿でお目にかかるとは思いませんでした(笑)。 日本のアクション映画よりはだいぶん良いですね。 ちょっとこの映画は場面の切り替わりが早いんですね。帰れって言えば違う町に移動しているとか、いつの間にそんなに仲良くなったというプロセスがないですね。まあ、時間が限られていますからしかたありませんが・・。 一度だけ、出演者に「仕事人ですか?」と思ったシーンがありましたね(笑)。チャラ~ラ~・・・。 DVDを借りたのですが、おまけはありませんでした。(残念)
2002/10/10
コメント(2)
伏見稲荷大社編 東福寺に行った後、伏見稲荷に行こうと思いました。電車で行こうかと思いましたが、電車に乗ると一駅なので歩くことにしました。歩いていくと歩いていくのはいいのですが、思ったより遠く感じました。 道を知らずに線路近くの道を歩いていくと、田舎で言う祭り屋台が経営しているかどうか疑問になるような状態でありました。もう少しだと思い、少し歩くと赤い鳥居と朱色の建物がありました。鳥居自体は少し大きめぐらいです。 狛犬が狛狐になってよだれかけをしています。(まあ、気にしないでおきましょう) 鳥居をくぐると、すぐそこに詣るところはありますが、参道は隣の方にありました。参道の隣には観光地って感じの所がありました。 参道を進むと本殿があります。本殿では何かをしていましたが、わかりませんでした。俳句か詩が書かれてもありましたが、どんなのかは忘れました。 本殿をから石段を登ると白狐を祭ってありました。 さらに奥に進むと、薄暗い中にテレビでもおなじみの『千本鳥居』です。鳥居にはスポンサー名が書いてあるのにはガックリです。鳥居はまっすぐに立っているように思いますが、以外と真っ直ぐ立っていないのが多く、それが味が出るのでしょうか? 朱色の鳥居が延々と続く中、進んでいくと途中で二つに道が分かれます。そんなの初めての人にとってはどっちが正しいか解るはずもありません。 取り合えず左に行きましたが、後で看板を見ると男道と女道とか書いてあったと思います。(アベックが左右に分かれて途中まで登るためだと思います) 一つ目の広場?まで来て一休みしました。そこは札とか色々売っていましたが、ハッキリ覚えてないですね。 休んで登ろうとすると、友達が嫌がるので撤収しました。(残念!) 中途半端でごめんなさい(笑)。 ☆☆☆ 伏見稲荷大社 うんちく ☆☆☆ 全国に約4万社あるといわれる稲荷社の総本社で、京都でもっとも古い神社のひとつ。「お稲荷さん」が農業の神を意味することから五穀豊穰、商売繁盛の神として信仰され、一年を通じて参拝者が絶えない。 稲荷山すそに楼門、拝殿、本殿(重文)など鮮やかな朱塗りの社殿がたち並ぶ。本殿は桃山風の華麗な装飾をほどこした大きな建物で稲荷造りと呼ぶ様式。本殿の南にある御茶屋(重文)は仙洞(せんとう)御所から移されたもの。書院風の風趣にとんだたたずまい。 稲荷社の特徴は赤い鳥居、神使(しんし)のキツネ、神木として杉を崇拝することなどであるがここは総本社だけあってその特徴がいちじるしくなっています。もとの鎮座地であったという稲荷山山中に「千本鳥居」が林立し、さながら朱のトンネル。小さな奉納鳥居も境内のそこかしこに置かれている。またお正月に授与される「験(しるし)の杉」は富と幸運の縁起物として求める人が多い。 京都でもっとも古い神社とされ、和銅4年(711)、渡来氏族の秦伊呂具(はたのいろぐ)が古くから地元で信仰されていた山の神を一族の氏神として祀ったのが始まりといわれるがさだかではない。 秦伊呂巨が餅を的にして弓の練習をしていたところ、餅が白鳥となって飛び立ち、舞い降りたところに稲がたわわに実りました。秦伊呂巨はそこに社を建て、それが始まりとなったと言われています。 室町時代の応仁の乱では、稲荷山が戦場となって社殿が焼失しました。その後、豊臣秀吉が伏見城を築城し、稲荷大神に信仰を寄せて本格的な修復をおこない、この時代に稲荷信仰も全国に広がったということです。◇地元の人間でないと、なかなか頂上まで登れませんね。でも、いずれは登りたいですね。 狐のお面のせんべいが有名かな?
2002/10/09
コメント(0)
東福寺編 東福寺には2度行ったことがあります。(正確には1度ですが) 東福寺は京都駅から近いし、紅葉だけでガイドブックに載るほど有名ですね。 11月の3週目の日曜日に京阪本線で東福寺駅へ行きました。 天候は晴れですが少しもやがかかっていたようです。 駅を降りてみると、大量の人!ごった返していると言った方がいいぐらいいました。確か10時ぐらいだったと思いますが・・・。 駅の改札口を出ると、人が溜まっています。その溜まっている人の中に駅員のような方が、東福寺の拝観料(入場券)を声をあげて売っていました。買おうか買わないかと迷っていると人の波に押されて通り過ぎていきました。まあ、あっちでも売ってるからいいやと思いながら通り過ぎました。 駅から東福寺までの道が解りませんでしたが、人が流れる方へ進んでいきました。(以外と到着できるモノですね) 入り口に向かう途中の橋『臥雲橋』から『通天橋』が見えました。すでに木が紅葉していますので人が競ってその場所から写真を撮っています。(取り合えず、写真を撮りました) 入り口の辺りには広場があります。ようやく入場券を購入しました。 ようやくメインの『通天橋』に向かいました。そこは、人の渦! ゲッ・・・!。 入り口の辺りでは想像もできないぐらいの人の数でした。橋の上で写真を撮ろうとしている人、記念撮影をしようとする人、逆流する人が渦巻いています。(まあ、負けじと景色の写真を撮りましたが・・) 人混みが嫌いなので、ソクサクと移動しました。その時は気分的にはまっ赤に染まった木々の紅葉を楽しむ気分ではありませんでした。 そのまま奥の庭園の方へ行きました。その場所に行くのにも人つながりです(涙)。ちょっとした庭園です。砂を碁盤の目のように区切り筋を交互に入れていました。以外と狭かったですね。 庭園を後にすると、『通天橋』の方に戻るしかありませんでした。『通天橋』の下に降りられるみたいなので、降りることにしました。 距離的にはあまりありませんが、紅葉の中を少し歩けましたが、その時は気分が優れなかったのか、不満ダラダラ言っていた気がします。後で写真を見るとビックリ、こんなに綺麗だったのかと思いました。(だいぶん後悔) 『通天橋』入り口の逆方面に三門があります。その三門はやけに狭い所に建っている感じがしました。三門の先には人工の池がありました。写真を撮るにも全体がおさまりきりませんでした。南禅寺や知恩院のように三門は上がれないのは残念です。(この当時は三門が上がる場所があるのは知りませんでした) その横には、坊さんが修行をしたお堂らしいとガイドさんが説明していたのを小耳にはさみました。(関係ないガイドさん) 11月下旬に人混みにならない時はないでしょうね。平日に行けないのなら、朝早く行かないと人混みを見るだけですね。 2度目に行った時は昼の2時頃でした。もう、駅から人混みでした。 中に入る気はなかったので、『臥雲橋』から紅葉を少し見て帰りました。 ☆☆☆ 東福寺 うんちく ☆☆☆ 摂政九条道家が嘉禎2年(1236)から、実に19年もの歳月を費やして、聖一国師を開山として造営したものです。また、京都五山のひとつで、臨済宗東福寺派の大本山です。奈良の東大寺のように大きく、興福寺のように盛大を極めた寺にと、それぞれ一字ずつとって「東福寺」と命名されました。 東山の山腹と渓谷を利用した境内には、国宝の三門から昭和9年落成の本堂、わが国最古で最大の禅堂(重文)や、長さが35mもあるという便所の「東司」(とうす)(重文)、方丈などが続き、鎌倉・室町期の禅宗建築様式そのままに立ち並んでいます。方丈庭園は鎌倉時代の手法を用いた昭和の枯山水。角石と苔とが描く市松模様の北庭はよく知られています。また、本堂と開山堂を結ぶ 「通天橋」の一帯は、洗玉澗と呼ばれる渓谷で、紅葉の名所となっており、秋たくさんの人々で賑わいます。 境内の25の塔頭も名寺が多く、虹の苔寺という愛称をもつ光明院や、重文の不動明王を安置する同聚院、雪舟の築造と伝える鶴亀の庭がある芬陀院(ぶんだいん)、九山鉢海の名園をもつ霊雲院など見どころのお寺です。◇京都で一番有名な紅葉場所だと思います。 でも、京都以外の人だと紅葉の時期にその場所になかなか行けませんね。 早ければ11月中旬、遅ければ12月上旬。(昨年は11月下旬が見頃だったみたいですね) 道を歩いていると、草餅の焼き餅を売っていました。(最近はこの辺りの名物かな?知ってる人は焼き芋だと言いますがどうなんでしょうか?)
2002/10/08
コメント(0)
東寺編 京都駅の南側にあります。(京都駅から見て京都タワーの反対側) 東寺は帰らないといけない日に急いで行っただけです。 五重塔を近くで見ただけですね(笑)。金堂も外から覗くだけで中に入らなかったですね。 朝早かったので観光バスが1台ぐらいしかなく、修学旅行の生徒も少しいただけでした。 想い出と言えば、コンパクトカメラが故障した場所ですね。普通は壊れるはずないのに・・・。(修理に出すだけで1万円かかると言われ治すのを断念) ☆☆☆ 東寺 うんちく ☆☆☆ 延暦13年(794)桓武天皇の平安京遷都の折り、国家鎮護のために、羅城門の左右に築かれた東西両寺の一つです。建立の最中、空海(弘法大師)によって真言密教の根本道場とされ、寺号も「教王護国寺」と称されるようになりました。 伽藍配置は、奈良時代の寺院建築形式で、南大門・金堂・講堂・食堂(じきど う)・北大門が一直線に並び、南大門の東に五重塔、西に潅頂院、その北に空仏像、空海の遺品など多くの文化財が保存されており、さながら美術品の宝庫でもあるようです。宝物館は特別公開時の時だけ見えます。 東寺は、時代の有名人との縁が深い。足利尊氏はここに本陣を置き新田義貞軍を防ぎ、室町時代の幕を開けた。織田信長も足利尊氏にならい本陣を置き、安土桃山時代が始まった。信長のあとを継いだ豊臣秀吉も1563年の落雷で焼失した五重塔の再建に力を注ぎ、秀頼は金堂の再建に着手。 新撰組も。◇五重塔(国宝)◇ 弘法大師の創建着手にはじまりますが、しばしば災火をうけて4度ほど焼失したが、現在の塔は徳川家光の寄進によって再建された総高57mの現存する日本の古塔中最高の塔です。塔内一階部分は毎年正月三が日に一般公開される。◇金堂(国宝)◇ 今の堂は豊臣秀頼が発願し、片桐且元を奉行として再興させました。天竺様の構造法を用いた桃山時代の代表的建築ですが、細部には唐・和風の技術も巧みにとり入れられています。 ◇講堂(重文)◇ 堂内の白亜の壇上には大日如来を中心に五仏、向って右に五菩薩、左に五明王が並び、その周囲に四天王・梵天・帝釈天の二十一体の仏像が安置されています。これは空海の密教の教えを表現する立体曼荼羅(密教浄土の世界)です。 帝釈天像は美しい容姿から「日本一ハンサムな仏像」といわれます。◇弘法さん(通称)◇ 毎月21日弘法大師の命日に、境内に所せましと露店が並び、骨董品・古着・古本・陶器・植木・古道具・日用雑貨、はては使いものにならないがらくたまでないものはないくらい多種、多彩な品物が売られています。昔は道具の弘法さんといわれたそうです。毎月25日に行われる北野天満宮の「天神さん」と並ぶ古都の代表的な縁日です。 ☆☆☆ 西寺(さいじ) うんちく ☆☆☆◇上でも書いてあったように、羅生門を挟んで東寺と西寺がありました。東だけ残り、西が残った理由はわかりません。 羅城門跡から西へ300m~400m程、北へ50m程の位置に西寺の名が西寺児童公園と言う名前で残っている。 その名を示す物は、史跡西寺跡の石碑が児童公園の中央部に建てられているのみである。 記録もほとんど残ってない。 東寺は空海に与えられ、西寺は言い伝えしか残っていないらしいが、守敏大徳と言う空海よりも上席の僧に与えられたらしい。 この守敏大徳、本当に存在したのか判らないけど、神泉苑で空海と請雨経法(雨乞いの法)を競ったそうだ。結局、守敏大徳が充分に降らせられず降板、次に空海の番だが雨が降らない。怪しんで調べてみると守敏大徳の呪法で龍神が閉じこめられていたとか。その中で一体だけ閉じこめられていない龍神を見つけて呼び出し接待して雨を降らせることが出来たとかいう後世の話もあるようです。その時の龍神が「善女龍王」で、神泉苑と東寺にだけ祭られているとの事。 「東寺の謎」より◇あまり探索していないので、また行きたいと思います。 東寺の近くにある『東寺餅』で「東寺餅」も食べたいですね。(東寺の東側の道路を北に少し行くとあるみたいです。そこの「よもぎ大福」は1998年受賞したそうです)
2002/10/07
コメント(2)
◇ちょっと気合いが入らない日が続くので、気合いを入れるために山に登ることにしました。 まあ、行ったのは良いですが、駐車場に行くと車がない。工事車両が一台のみだった。 そのまま、登り口に行くと工事中の看板。 (?_?) エッ?エッ?。 なにそれ・・。看板には1kmぐらいの所に別の登り口があると書いていました。しかたなく、車で移動することになりました。 1kmと書いてありましたが、2~3kmぐらいは車で移動した気がします。(山道の道路は距離感覚がわからん) どうにか臨時駐車場を発見。車が5台ぐらい止まっていました。ようやく登りに来た感じがしました。 とりあえず登ったのですが、前は1時間半以上かかっていましたが、今回は1時間ちょい。今までなかった所に新たに道を作ってしまい距離が近くなりました。人も住んでないところに道を作ってどないするんや!税金の無駄だろ。 この山は距離的にも練習に登るには良いと思っていたのですが、距離が短くなってしまったので、ここまで来て登る必要もないな~と思いました。 最近は道ばかり便利になって、登山客以外が頂上にいるようになりました。悲しいことです。 気合いを入れに行ったのですが、また登る山が減ったと思うと気力が抜けました。 はぁ~~。
2002/10/06
コメント(0)
「NS」の金曜スポーツキャスターを、ようやく辞めてくれました。 あまりにも、噛みまくりと間違いだらけのしゃべりでは見ている方には伝わりませんね。「NS」恒例の金曜スポーツ素人キャスターですのでしかたはありませんが。前は長嶋美奈でしたね。 大橋巨泉がゲストで来た時に「なんでこんなキャスターを使ってるの?」と久米宏に聞くと「上手いからって伝わるわけではないですから」とフォローしました。「そうかな・・」と巨泉が言ったが話は続かなかった。 それはそうですけど、スポーツをしていた人やスポーツ好きな人にしたほうが伝わりやすいと思うんですが・・・。 (政治家にインタビューする人達も以外と新米が多いらしいですね、だから勘違い報道してしまうんですね) 日本は報道自体が正確に伝えることを拒否しているようにも思えます。 最後にNS看板キャスター久米宏が言ったことは「人間は2年間ではあまり上達しないモノでしたが、スタッフがいま何を考えてるか解るようになった。テレビを見ている人には解らないことですが・・」って誉め言葉ですか?テレビを見ている人は無視ですか?スタッフの為の人選だったのですか? 人に伝えることを拒否して視聴率稼ぎの走った様に思える「NS」でした。報道番組でも視聴率稼ぎに走る番組の多い日本でした。(日本では報道番組よりもドラマを作る方がスポンサーも付くし経費も半分ぐらいで出来るという話を聞いたことがあります)
2002/10/05
コメント(2)
◇ふぁざけるな~~~~~~!!!!! 脚本書いた人や制作の人はサッカーのサの字も知らないんじゃないの?脚本は子供が書いたみたいな内容でした。女子をキーパーにするのだったら、おやじサッカーじゃなく女子サッカーでも良かったんじゃないの? このtvを見て、サッカーをしようかとか、サッカーを好きになる人はいないんじゃないのかな? 深田恭子の為の番組でした。 (`_´メ) め!
2002/10/04
コメント(2)
◇ええええっ!!! 感染るんです! やる気のなさって、感染るんですかね(笑)。
2002/10/03
コメント(0)
◇王貞治とローズの持つ日本記録にカブレラが並びました。 昨年はローズが55号を打った後に敬遠が相次いだので、議論を呼びましたが、今年はどうでしょうか?(バースの時も) ルールの中で敬遠は許される行為なので、非難されることはないのですが、世間は勝負しろとはやしたてます。 最近のドームは広くなったのにホームランが増えたのは、風の抵抗がなくて良くボールが飛ぶようになった原因があると思います。 個人的にはもう記録を塗り替えても良いんじゃないのと思いますが、カブレラのホームランねらいの大振りには野球の精神とはかけ離れている気もしますが、記録以外楽しみのない野球には見ていてつまらなく思います。 米国でもベーブルースの記録が更新しそうになった時にも、すごい勝負拒否とファンの嫌がらせがあったそうです。スポーツの大国、米国でもこの様なことが平気でおこなわれていました。(今はその様なことはありません)
2002/10/02
コメント(0)
◇なんかやる気のない日が続きます。 『信長の野望・烈風伝』をしています。 とりあえず、『大阪城』を攻めてみたいと思いました。『大阪城』は豊臣秀吉が築いてその時代では1,2位を争うほどの強固な城として有名でした。 最初から『大阪城』があるシナリオを選択して、攻めようとしても秀吉は西日本一帯を支配しています。(九州は除く)なので、2番目に勢力が強い家康を選択しました。最初は秀吉と北条家と同盟を結んでいる状況なので攻め込まれることも攻めることもできません。回りに敵対国がない状況でラッキーではあるのですが、領地を広げることが出来ません。国内を開墾しつつ、兵を一ヶ所に集めて軍団を編成しました。ねらいは群雄割拠の東北方面です。足の遅い軍団で北条家の領地を横断して独立国を襲い足場を築きました。 4,5ヶ国占領して、よしよしと思っていると、秀吉が同盟を破棄してきました。げ~っと思いましたが、いずれはしないといけないが、時期が早すぎる。同盟し直すか、このまま敵対するか迷いましたが、戦う準備をしました。敵対している国同士の間に支城を建設して一気に本城を攻め込まれないように建設しました。この支城は捨て城です。敵が攻めてきたら、金・兵糧・兵・馬・鉄砲を持って逃げます。すると、ゲームは序盤なので金銭的余裕がない敵はそこに立ち止まり米や兵が増えるのを待ちます。時間稼ぎして、兵を集めて一気に城を取り返します。それを繰り返しているうちに、東北を制覇しました。 時間がかかりましたが、ようやく『大阪城』です。 北上から『大阪城』を攻め込みました。守備兵は約4000、こちらは1万。強固な城にはこれでも不足かな?3門あるうちの北門から攻め始め、西門へは揺動部隊を回します。門を攻め始めますが、なかなか開きません。その上、矢の雨のような攻撃。敵には有名な武将が真田幸村と秀吉ぐらいしかいませんのが救いでした。真田幸村は騎馬なので矢を討てずにうろついていましたが、北門が開いた瞬間に突撃を喰らいました。幸村の兵が少なかったのが幸いして全滅は免れましたが、混乱はしました。幸村は一斉攻撃で捕らえました。 その後は、城の門が強固なだけでした。敵の士気が0になってしまい秀吉まで戦うことが出来ませんでした。 今度はもっと敵が強い状態で攻めてみたいですね(笑)。
2002/10/01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1