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2025/08/31/日曜日/夜には虫の音8/13 カンペンペットにもスコータイ同様、訪れたい歴史公園がある。それに博物館もある。今日はそれらを朝の内に訪ねて、スコータイに移動する日。こじんまりとしている。昨年1月に訪れたアユタヤより、よほど涼しいのはなぜか⁈ずらり並んだ象の姿は迫力満点。象へのオマージュを強く感じさせるのは、この地で王都を守った武士たちが、馬ではなく象に乗って戦った証だろうか。全体に華美、優美よりも質実剛健な雰囲気と菩提樹泰山木が沢山植樹されて花盛りこの花の姿と香りが優雅古の戦士を慰める後に見るスコータイの遺跡のように復刻が叶ってない仏像の、かつてそこにあったろう痕が風雪を呼び覚ます。見るものにイメージを喚起させる。逞しい上半身を持つ仏像仏さま、時の流れのままに少しずつ風景に溶けてゆく姿こそ尊しやところで、この仏さまは私に7月初めに訪れた下諏訪の万治の石仏を思い出させた。歴史公園から少し離れた場所に国立博物館がある。カンペンペットは県庁のある市らしく、スコータイではなく当地に置かれているのかしらん。 規模的には小さな町の博物館くらいかな。博物館入り口には、少数山岳民族の写真と共に多分シリキット王太后の肖像。公の建物などでは王室の方々の肖像をよく見る。多分、が付くのは年代により王太后の顔が変わるので。一番美しい頃?整形か、複雑なお化粧か?↓縄目紋様の土器も。下左は菩提樹の葉だろうか。プンミン前国王と結婚されたばかりの頃の、野生の子鹿みたいな、一重のまなこがきりりと涼しい、スレンダーな彼女が、私的には一番好き。↓仏像の御守りが、沢山この地域で発掘されたのも、兵士の町の所以か。長寿や武運を祈ったか。タイでは前国王がいまだに崇敬されている。シリキット王太后も然り。タイの母の日は彼女のお誕生日の8月12日なのだ!現国王は人気がない。↓左、美しい、精緻な仕上り。王太后も記念の年には、このお守りの限定数販売があった。理由は明白、能力無しのただの助平。タイ国内でそんな事言えば刑務所送りかも⁈そんな不敬罪が罷り通る。しかし、人びとの心から王室が離れて行けば、徐々に人口に膾炙されるだろう。外付けの権威は剥がれ落ちるのだ、かくて王様は裸となりぬ。↑どことなくクメール的な顔。唇薄く、鼻も顔も長い。↓左の仏像は、完成度の高さが他を圧倒している。均整がとれている。右、土着的な、人間的な可愛らしさあふれる。首長族?仏は性を超越している、いやさ人間を超越する。その民族が最も喜ばしく嬉しく美しいと思える姿で顕現あそばす。↓展示数が少ない。少数精鋭。そういえば、館内で一人旅のリタイア?男性と遭遇!恩師からスコータイに行くなら必ずカンペンペットに寄るように助言されたのだとか。民族衣装や手仕事作品をもっと沢山置いて欲しいです。やや片手間な印象。時代が古ければ古いほどモン族の刺繍は細かく美しい。古いものはバンコクのアンティーク店で高価な値が付いていた。欲しい、高い、うらめしや〜 あたしゃヴィトンもエルメスも要らぬ。モンのボロきれが欲しいのよーみなでお茶とスイーツを楽しんでスコータイまでのドライブ1時間とちょっと。ホテルで荷物を解き、スコータイの伝統的な陶芸、サンカロークのお店に出かける。店舗の奥では作陶室や、電気窯もあり、焼き物の数もアイテムも膨大。タイでは入り口で靴を脱ぐ式。リゾートのホテルでも、ウエスタンスタイル以外ではそうする。焼き物とねこちゃん。おいたはしない。人懐こい私たちを案内してくれた高齢の女性自身、作陶家だった。前国王の末娘、チュラポン王妃も、ここでその作陶家の指導のもと、サンカローク焼きを体験したそうだ。雰囲気はどことなく沖縄のやちむん。元々、泡盛はタイの大甕で熟成させていたのだ。沖縄とタイは近い。鎖国下でも交易は続いた。盛んだったサンカロークも今では2軒?その内の一軒は通りを挟んで目の前の息子さんのお宅だとか。お嫁ちゃんが購入したので、親の私たちにプレゼントしてくれたトリとネズミ?↓しばらくして夕ご飯は地元で評判のシンワナー大きなレストラン。お客さんはまばらだけど、どれも美味しかった。もう全然思い出せないけれど。食後、スコータイのランタンで有名な橋を眺めながら夜店をぶらり散歩こちらに並ぶ夜店はガツガツしてない。どことなくオーガニックな風合いレモンと自家製蜂蜜のドリンク。サービスしてくれる女性の仏顔の美しさにびっくり七輪の上で蓋されて焼かれているものは一体何⁈と眺めていると、ご親切にも開いて見せてくださったおじさん。食べたばかりでもう一寸の余裕もない、ごめんなさい!買わなくてもちっとも気にしない。なんだか穏やかな空気に包まれた不思議な夜市明日の夜はここで、水のほとりに座って頂くのもいいねえ、と言いながら、翌日プールで出会ったご同輩から勧められた食堂に行ってしまった。↓茹で卵の中を抜いてまたスタッフして焼く、手の込んだ串焼き、らしい。画像を見直すと、お嫁ちゃんがお勧めしたここで夕飯食べればよかった、と後悔しきり。老いては同輩より嫁に従え、の一件。
2025.08.31
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2025/08/28/木曜日/少し過ごしやすい8/13 本日は朝からカンペンペットの町を堪能し、午後にはスコータイへ移動するため、スーツケースもあまり開かず一泊したJ2ホテルを離れる。↑白い建物がJ2ホテル。ホテルの朝食は摂らずに、カンペンペットのソウルフード、オリジナルラーメン?を食べに市内中心部へ移動する。提供する食堂がずらりと並ぶ。↓地元の方オススメ Uud Rot Det Restaurant7時オープン、朝ラーメンいかが。あっさり、少量で身体に優しい。香味野菜は好きなだけセルフで盛れまする。夕べ食べ過ぎてムリ、と言いながら完食∑(゚Д゚)↓こちら肉好きメンバー発注、ロブロだっけ?豚ミンス↓汁なし麺もあった。好みで色々トッピングする仕組店内はどうやらロック好きオーナーの趣味が反映されている。スッキリとはしつつ隅っこにやや埃が◼️カオラームの衝撃朝食後にはデザート⁈え、ムリムリ。と言いながらも餅米やココナッツミルク好きの私の食い意地が胃袋の大きさを凌駕する。こ、これはうますぎる!控えめな甘酒を彷彿とさせる旨味と甘味、竹筒の中で、炭火で焼かれた餅米よ、バナナの皮の蓋よ!それらの香ばしさが口内に広がります。餅米周りの白い膜はココナッツミルク。お水も加えて、オマケに竹エキスの蒸し焼き!画像下は、このお店が初めて作ったという、お菓子。今や町のあちこちで売られている。お米や雑穀、ナッツ類がたっぷりと飴でまとめられた柔らかいオコシ。カンペンペット産が最上と言われるバナナにこれを乗せて、更に甘くして食べるって(@_@)これだけで食べてもクセになる美味しさ。雑穀とナッツゆえ〜カンペンペットはスコータイと同じくピン川沿い。スコータイが王都なら、カンペンペットは王都を守護する武士たちの街だったという。スコータイの影になって霞みがちではあるけれど、ここにもパゴダを中心とする素晴らしい遺跡がある。これから街の歴史公園へ。
2025.08.28
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2025/08/27/水曜日/秋を知りたい◼️ 8/14 夕焼けどうでしょう日が傾き始めた頃、水に浮かぶワットサシーを再び訪れた。夕焼けを背景にした仏さまが格別ときく。残念ながら見事な夕焼け、というシーンにはならなかった。タイは今、雨季なのである。今まですこぶる好天に恵まれたのが奇跡的と言っても良いのだ。ところが坐仏に近づくと、西の空が柔らかいオレンジと黄色、タイの仏教カラーがさしてきた。低木の梢という梢には白鷺厳かで静かで自分の中心点も鎮まるような日が沈む直前、坐仏が浮き上がるような錯覚をもつワットサシーを離れ、振り向けば日没の入日は刻々と色彩を変化させる。明日が平和で美しい日となることを約束するような日の名残り荘厳なひと時が過ぎれば、やがてナントカ落としの時間になる、のも面白い。昨晩、この周辺の屋台で買い食いのつもりが、結局ホテルのプールで相客になった人が教えてくれたSureerat Restaurant ร้านอาหารสุรีรัตน์ โภชนาという食堂へ行ってみることに。私たちの前には誰もいなくてがらーんとしていた。本当に人気?でもまあ、そこそこ美味しいねぇ、などと話している内、あれよあれよと満席に。欧米系観光客に人気らしい。飲み物はシンハービア。シンハーはタイで虎の意。沖縄のシーサーと同じ、語感も近い。そこに海洋民族のつながりを確かに覚える。私のDNAの塩基の一部に確かにあるだろう、海原の民の、海の水への近しさ。
2025.08.27
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2025/08/26/ 火曜日/確実にバンコクより暑い◼️8/14 お昼は地元で人気?バーンクルーイウホテルは歴史公園に程近いので、新市街のレストランまでは車で20分弱。少し離れている。バーンのエアコンルームは予約で満席だった。半屋外のテーブル2つに6人が別れて座る。スコータイもアユタヤと同じく川エビ川魚が人気で有名。しかし川が違う、水が違う。スコータイが面する川はピン川アユタヤはバンコクと同じチャプラヤー川。ピン川を含む四つの川が合流し、大河チャプラヤーになる。合流点上部は北、下部からバンコクの湾まで中部、というのがタイの地理イメージらしい。スコータイはさしずめ京から見た鎌倉?時代的にも丁度鎌倉時代に付合している。お料理全般に日本人の口に合うように感じた。濃いめ味付けのピラフに魚、マスかな?の乗った、珍しい一皿はタイで初めて食べた。北部の料理は辛さと酸味が控えめで、濃いめの味付け。それでもタイ料理らしく甘さはしっかり。お腹も満たされ、再度寺院遺跡へ向かう前にスコータイならではのシルクのお店を見学。◼️Thailand fabric store house閉まっていたけれど私たちの車が着くやシャッターが上がる。店内はクラシックな作り。セレモニーなどで、伝統衣装でアルバムを作るのはタイも同じ。そんな時に利用されるお店かな。一見無地に見えるが伝統の綾織がなされている綿のショールを購入、これはシルクと異なりお安い。↓二人で半分こして食べられる蝶々のアイスキャンディー◼️歴史公園の車通り西側、ワットシーチュムどうやらチケットは当日有効らしく、出入り自由、園外でも食事や休暇ができた。ここには途中まで車でアクセスできた、と記憶する。↑前日見学したカンペンペットの遺跡より繊細なレンガが積まれている。↓坐像は近年修復された。破壊されたというよりも経年劣化が進んだらしい。大きな坐仏が、まるで〈針の目〉から覗き見え。印象的な出会いが待っていた。遠くから、なんと大きな目!と見えて、実は半目に閉じられた瞼の上にススか何かの汚れが付着しているのだった。何とも艶福、美男におわす。修復直後は白く輝いていた事だろう。キングダムの王毅将軍彷彿唇が山と河のカタチ指先のそりはタイの舞踏で大切なポイント、坐仏も長く細い指が能くしなっている。寺院入り口あたりには樹齢200年を越す、古代種のマンゴーの大木が生えている。バンコクという都市名を中国ではマンゴーの呼び名を用いるとか。タイの人にとってはバンコク、ではない。かなり長くて私には復唱不能。青いマンゴーのサラダもタイで好まれる。次男が、今回の訪タイ初日に買ったカレンシルバーリングを失くした。ホテルに置き忘れたようだが、部屋には無いとの回答。心残りな次男に、お嫁ちゃんがシルバーウェアのお店を探す。お目当て店は閉まっていたが、別に小さなショップを見つけた。結局、お嫁ちゃんのピアスを買うハメに)^o^(私は私で像のブレスレットをスコータイの記念に。まあ、こんなものである、なぁ息子よ。
2025.08.26
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2025/08/23/土曜日/ツクツクボーシの声8/14(水)スコータイで初めて迎える朝スコータイはタイ王国発祥の地、とタイ史で定義され、タイ人にとって心の故郷的な街らしく 現在使用の文字もスコータイ時代に作られたとか。 タイ語族は中国雲南の山岳地帯から南下して、先住のモン、クメールを排斥しながらタイに沢山の小国を五月雨のように築いていった。小国=むあん、は転変しながらまとまりを持ち、スコータイに規模の大きな国が作られ、これがタイの初国しろしめす所となった。ところで中国雲南にはシーサンパンナというタイ族優位な街があるという。スコータイが衰退するとアユッタヤー朝、そして現在のラッタナコーシン朝へと続く 。アユッタヤー朝は交易で発展し、そこには日本人街もあった。山田長政! 沸騰する東南アジア海域の交通時代。その後大陸から流入した華人がタイ人と混血する。街を歩けば、多様な民族の国であると分かる。日本人みたいな人もインド的フィリピン的な人も 雲南からはカレン、リス、アカ、モンなど山岳民族も南下したが固有の文化を守り続ける部落もある。本日の予定はスコータイ歴史公園をゆっくり巡る美味しいランチを食べる。手工芸をみる←これこれ!歴史公園までは車移動、公園内はガソリン駆動の乗り物が規制されている。都合7名で電動のトゥクトゥク形タクシーを利用。運転手さんがガイドも。ただしタイ語。英語も堪能な様子だったけれど自分の足だけで歩くとなると、丸1日をここで過ごしお弁当も必要と思われる。◼️ワットマハータートスコータイ遺跡の中でも一番の目的地水辺越しに見えて来た。屋根を失って天蓋を得た。平安な心地、穏やかさが辺りを包んでいる。穏やかな飾りのない、心の迷妄から離脱したそんなカンバセ園内には126の大小な寺院があるとか。中でもマハタートは1番大きく立派な寺院だ。↓園内にあるラームカムヘン大王この寺院を中心とするスコータイの都を建設したラームカムヘン大王は克明な日記を残し、園内の樹木のあり様も記述に従い復元できたそうだ。どことなくヘレニズムな印象はスリランカ由来の影響だろうか。坐仏の側には立ち姿の仏様。修理もされたらしく、きれいに残る。立ち姿の仏像の所で、お坊さまに遭遇する。スマホを向けると優しい笑みが広がる。お坊さまは、仏様の左手にご自分の右手を繋いで、お経を短く唱えられていた。お経の後合掌をされている姿タイのお坊さまのタブーは確か200を超える。信仰と共に厳しい生活が伺えるが、堕落した仏教界の改変が近代になり、王家の手で実行された。◼️ワットシーサワイスコータイ王朝の前にここを支配していたクメール時代のヒンドゥー寺院それらも打ち壊される事なく残されたということ。仏舎利塔であるパゴダは当然ながらない。◼️ワットラパングーン心なしか、私のイメージするクメール風な仏様◼️ワットサシーこのパゴダの均整のとれた美しさはどうだろう。まるで今にも大きなお釈迦さまが手に取り、空に鈴の音を響かせそうだ。鈴を背景に浮かび上がる仏像もまた素晴らしく調和している。スコータイの中で1番好きかもしれない。さて、ガイドの方の時間を1時間も延長した私たちは、遅いお昼をとりにスコータイ中心地へと移動したのだった。
2025.08.23
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2025/08/22/金曜日/涼しいと思った朝が32°8/15/木/敗戦記念の日/スコータイまだ朝日は上らないワットトラパントーン朝6時、お坊さんへの喜捨体験をしようと、お寺に出かけた。地元の人や観光客が既に沢山並んでいる。13人のお坊さんに渡るようにセットになったお供えを購入する。これだけのお坊さんが揃うことはバンコクでは見られないとか。朝のお経が唱えられる。場合によってはお供えの品にお金を載せて、お坊さんの籠に入れる。直接手渡ししてはいけない。女性はお坊さんに決して触れてはいけない。どうやらお坊さんに伝える言葉も特別にあるらしい。儀式が終わり、すぐ側のマーケットをひやかす。ホテルの朝食前⁈の軽いブレクファスト∑(゚Д゚)夜から朝へ、日を継いでひたすら食べ続けている、飲み続けている。時間のチューブも消化器官チューブも際限なしに一本のよじられた管の日々。お坊さんも美味しい喜捨が喜ばしい。たこ焼き状のココナッツミルク焼き、香ばしい。世界中どこでも、マーケットは一番好きな場所だ。↓外国人ツーリスト専用のコールナンバー、さすが観光立国だ。ホテルに戻り、パッキングする。左、昨日の鮮やかな蓮、右、今朝まだ散ってない。今日辺り4日目なのだろう。今回、スコータイで2泊したScent of Sukhothai Resort お安い(ToT)プール付きで4,000円しない。タイ旅で初めてプールで泳いだかも。やはり2泊はのんびりできる。そのプールで居合わせたタイ人ご夫婦に、地元で人気の昨夜食事したレストラン、スリラットを教えてもらった。全般にスコータイまで来ると何かと割安。庶民的なマッサージルームもあり、私はオイルマッサージ施術。1時間三千円くらい(ToT)ほーんと都会がイヤになっちゃう。バンコクなんて空気も悪くて人多くてここよりずっと暑いし。↑左、昨日朝の蓮のつぼみ。右、今朝は開いた。お昼はカンペンペットのバーンリムナムで↓先日の夕飯以来二度目。小さな街だけれど、このレストランがあることで、沢山の人が訪れるらしい。オリジナメニューはレストランを開いた高齢のオーナー夫人が考えたという。特に有名なのが、画像左下のレモンソースチキン。添えられたタイケールの素揚げと素晴らしく合う。洗練されている。↓ロンガンのジュース、赤いの何だっけリムナムで頂いたピッパーツのスムージーとココナッツミルクデザートが忘れられない。ピッパーツの画像は忘れた!
2025.08.22
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2025/08/20/水曜日/初めてエアコンオフで眠る8/16(金) Sala Arun に泊まる。↓ホテルのルーフトップバーでは宿泊者にウェルカムドリンクサービスあり。バーは観光客で満席、ドリンク1つで粘り、インスタ映え賑わいの展覧強い風、やがて驟雨。屋根付きの椅子席へ避難。ウェルカムドリンクはノンアル。結局カクテルを注文して、残り半分は結局部屋で落ち着いて楽しむ。↓雨の中、息子夫婦が買出し(ToT)コップンカァみんなでワットアルンを眺め食事ホテル階は建物の3.4階。小さいフロアーに3ルーム。エレベーターなし、ボーイが運べばチップも発生。これで5000バーツ超え!めちゃくちゃ高い。それでもこの辺り並びのホテルの中では格安∑(゚Д゚)なぜこんなに高い⁈なぜならワットアルンが、チャオプラヤー川越しに部屋の片面全面窓ガラスにその姿を絵のように眺められるから。いわば芸術と信仰と歴史の窓が付随するから、だ。タイ滞在最後の夜なので奮発した。私は殆ど窓辺の景色を見て一晩過ごした。旅に伴った文庫本。『暁の寺』とはワットアルンのことだ。三島由紀夫もやはりこの辺りの一番良いホテルに滞在したのに違いない。因果応報、輪廻転生、雨季に決壊氾濫する水、夥しい水の流れは全ての境界を曖昧にする、自我と無我の間さえも。タイの風土気候は、言語中枢とイマジネーションの異様な発達の持ち主を、北と南の仏教伝来の水脈をも氾濫させながら、生と死の渾然一体の地点へ飛躍させ、駆け上るように相乗していく。雨は止み、明かりも消え、5時には渡し船が通い始めた。早朝の渡し船には沢山のお坊さんが往復していた。6:05暁は臨めず。7:30渡し船で対岸へ。1人20バーツ現金払い水生植物が川の流れで海に運ばれる。2分とかからず対岸へ8:00 Openとのことだが、もう少し早く開いていた。エトランジェは有料、200バーツ大変混むお寺らしいけれど、この時間は空いてる。ゆっくり堪能できる。朝日に輝いたらどんなにか眩しいことだろう。中国の影響、西アジアの影響、ヒンドゥー、混然としている。大きなストゥーパ?、ラーマ1世を祀る大伽藍の上には彼自身が戦さの勝利で持ち帰ったエメラルド仏の像が装飾されている。エメラルド仏は現王朝の国体にして、タイ人にとってもアイデンティティのようなものらしく、仏のまとう物語はあたかも神話の如し大伽藍から見て川の方前面に、に小さな平屋の建物がある。そこに、一切の業を払う潜り抜けのお祓いのできる台座がある。かつてラーマ1世がその上で瞑想したと伝えられる。↓潜り抜けては仏に祈りを捧げること三度出口に向かう所にお坊さんがいらして、竹筒のようなもので頭に3度水をかけたあと、頭を軽く叩く。それから、腕に成就の印?腕に飾りを付けて下さる。何やら母の胎内から産道を出てくるような、生まれ変わりの体験を3度味わうのである。まだ、腕にしっかり結ばれている。
2025.08.20
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2025/08/18/月曜日/タイより暑い神田でもう仕事08/16/土曜日/雨季、スコール、涼しい深夜、もう帰国便を待つスワナンプーム空港。夜に見るブルーサインは垢抜けている。私はMRTでいいのだが、1日残るお嫁ちゃんがアプリでタクシーを手配してしまう。バンコク市北部から500バーツ。およそ50分のドライブ。高速代25バーツ!は現金渡し。chatuchakmarket に行く予定がすっかり疲れて息子夫婦のホテルの部屋で、デリバリーマンゴーライスをデザートに食べる。このマンゴーは今回2位のお味驚くべきカラフルな餅米は全て自然素材、ハーブや花の色彩ですと!さすが南国。これにココナッツミルクを垂らし頂く。甘い、とろり、もっちりのめくるめく口腔世界。噂に聞く、土日オープンのチャトチャック市場に寄れないほど疲れたのは、タイのディープカルチャー闘鶏を3時間ばかり初体験したことによる。スワナンプーム空港に程近いらしいが、場所はよく分からない。とにかくだだっ広い野原の駐車場にぎっしりの車。大きな建物の中のセンターでは特別な試合が行われているらしい。公営闘鶏ギャンブル、である。荷物検査などを受けて↓このような記入できるブックが配給される。確か女性は無料だが、男性は300バーツの入場料が必要。だったような。あなたのID番号ルール、規制1.アイデンティティブックをまったく変更しないでください。2.あなたとあなたの身分証明書は、破損を防ぐためにシステムに記録されます。3.あなたが演じる人の身分証明書の数字の文字。4.リフトごとにセカンダリーあたりの価格を確認または確認する必要があります。5.あなたは自分自身に責任を持たなければなりません。お金を貯められないと主張しないでください。6.判断は、フィールドの発表されたルールに基づいています。7.フィールドは競技の主催者にすぎません。Google翻訳がさっぱり要領を得ない。ただ、このIDを失くすと、ここから出してもらえない⁈くらい厳密、と脅かされる。ヒヤヒヤ。2坪ほどの円形リングに、体重や骨格、筋肉のつき方などのマッチングを見極めた上でファイティングするらしい。23分ラウンドを3回、もしくは4回闘うようだ。ラウンド間は割と長めの休憩があり、4時間前後の長丁場になるらしい。闘う鶏たちは、コトの前は驚くほど大人しい。ところがリング?に立つや、戦闘モード満開。トサカ周辺の羽毛がエリマキトカゲの如く逆立つ。鶏たちの変化は、オーナーや賭博者たちのオス由来ホルモンを誘因し?ギャラリーの集合的沸騰が、タイ語を理解しない私へ、訳のわからないエネルギーの渦となって襲いかかるのである。1ラウンド観ただけでへとへと、退散して遅い昼食を摂りにバンコク郊外、ObAroi へ。プーパッポンカリーは3皿。シューマイ風はカニ肉のロール揚げ 他に野菜料理2品、大きなお魚の唐揚げ、白身魚のトムヤム、摂り忘れたもの幾つか。6人でビールなども飲んで、一人当たり3千円くらい。カセサート大学から車で20分ほどの魚介類レストラン。地元で人気の様子だった。↓食後に知人のお守りコレクションを見る。カンペンペットの博物館には、その街の橋工事で古いお守りが沢山発掘され、コレクションがある。タイのみか、東南アジアにはかなりの数のコレクターがいて、稀少価値の高いものはなんと何千万円⁈ホント?で売買されるらしい。先程の闘鶏は野生と俗が、ここにおいて聖と俗がねじれる。この日の朝にはワットアルンのお寺で、俗世界の垢を祓う儀式をしたのだったけれど。
2025.08.18
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2025/08/14/木曜日/スコータイは強い日差し今朝のホテル中庭で、夕方には散りそうな蓮7月7日 行田市の古代蓮を見に知人と蓮は午前だけ花開くとか。始発の電車で待合せ駅まで2時間ほどで到着↓右下のトンボの青紫の羽の不思議な造形。丁度昨日、カンペンペットの遺跡で同型の黄色のトンボを見た。何万本の世界の蓮と古代蓮に迎えられる。蓮の豊穣な香りがカタチを持ち圧力を感じるほど小さなせせらぎの緑陰の元、知人の奏でるライアーの楽曲に合わせ鳥たちも歌いだす。アオサギが悠々と蓮池を散歩する。地上に晴れやかに明かりを灯す蓮の花は4度開いて花びらを散らしていくという。4のリズム。↑中、ハートの形で蜂たちを迎えいれる、メシベ。乾燥させればお茶の香り付けになる。明日朝に花開きそうな今朝の蓮、ホテル中庭サワディカー♬
2025.08.14
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2028/08/13/水曜日/カンペンペットのピン川に朝日が昇る6/29 日和山公園 東北旅の終了日ビックリハウスのお姉さまご推薦、日和山公園に早朝散歩した。日和なる名を冠する地名は、船の往来に関する天候などを観測する場所に付けられたものらしく、江戸時代の物流発展から生じた模様↑当時の千石船の復元天石船と西廻り航路を再現河村瑞賢と湊町酒田の繁栄寛文十二年(1672) 徳川幕府は急増する江戸の人々への食料供給として、出羽の御城米を江戸に運ぶことを屈指の豪商である河村瑞賢に命じた。瑞質はここ日和山に御米置場を設置し、酒田から江戸に回する西廻り航路を開発し、米穀・紅花などの流通と海運の向上に大き<貢献した。これにより酒田の名声は全国に高まり、日本海有数の良港として繁栄をもたらす基礎が築かれた。修景池 日本海 酒田新潟 西廻い航替 河村瑞賢像 酒田繁栄は先ず河村瑞賢の手に拠った。その名はかすかに覚えがあったけれど…一方で、これら海岸を含む飛砂の防砂林←その風害は、私に『砂の女』を思い出させた。大勢の先人が艱難辛苦した果てに、失敗を克服し大変な財産を投じて成功をおさめたのが本間家三代目当主の光丘であった。光丘は、農閑期その他で仕事のない民百姓らに米俵袋に砂を入れさせ、それを購入し、大勢の人足を雇い、丘を築いた。公共事業で民に金を回し、飛砂の被害に苦しむ酒田住民の環境を著しく向上させ、港湾事業で潤し、今に至るまで、誇りと憩いの風景をもたらした。経世済民とはこういうことではなかろうか。そんな丘を愛して松尾芭蕉をはじめ多くの文人墨客が訪れた。幸田露伴の歌碑を探したが果たせず。↑日本の初期西洋式灯台光丘の事業、一族の成し得たことを何一つ知らなかった。私たちはどうして知らされてなかったのだろう。私だけが無知だった⁈光丘を偲び名付けられた光丘文庫を外から見学。内部は今は公開されていない。 一時期は図書館として利用された模様↓右上の酒電マークはこの建物が電気販売をしていた事実を示すのだとか。自家発電と驚くべき進取性さらにそのすぐ側にゆかしくも立派な日枝神社が。隨神門ふとだまのみこと神社の尊厳と境内の警護を願い太玉命こやねのみこと戸屋根命の神像を安置する。この門を潜り参道が曲折しているのは俗界と聖境を区分し参拝者の精神統一をはかったものである。天明七年本間光丘建立のものが明治二十七年十月二十二日酒田大地震にて全漬。現在の門は八年をかけて材質を吟味し工匠の術を集めて明治三十五年本間光輝が再建したものである。楼門二層造総欅材で威厳と優美の調和が特徴と云われる。門の中央で拍手を打つとこだまが返るが、天井の微妙な湾曲による反響であり「鳴き天丼」は名工の秘術とされ反響の大小により神意を伺ったとも云う。「至誠通神」の掲額は東郷平八郎元師の親筆であり神参拝の本義を示している。 日枝神社日和山懐の日枝神社、働き者のお猿さんしっかり支えるは尊き道しるべ。辰、申ときて、子は俵の中?酒田の米倉、飢餓民衆をすくう。火事にも地震にも凶作にも米倉の扉はわれら民衆に開かれた。本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様にうた詞は知っていたが、さっぱり知らなかった本間家のこと。中でも三代目光丘の事蹟はやはり酒田に来てみて、しみじみと身に染みた。一時期、日本一の地主となり北前船の交易で大変な財力を得た本間家はその財力を用いて公益のために蕩尽した。個人の豪奢な贅沢なんぞハナからお呼びでないのだ。世のため人のため。大金持ちになれたらば、そう生きなくて何の生き甲斐があるものかは。時代の魂を大きく前進させる、そんな仕事を為さなくてはお金は腐りまする。お金の原資は大衆の、積もり積もった汗の結晶に他ならないのだから。誰もが等しく益を被るものに。
2025.08.13
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2025/07/31/木曜日/山に来たら夜は寒いニット教室の日によく利用する松翁いつも受講前のため、ざるをちゃっと食べて仕舞い。20分とかからない。千円。◼️今月の初めて/松翁で天ぷら蕎麦ところが先月末、午前の用事が早めに終わり、初めてランチサービスの天ぷら蕎麦を食べた。味わって食べるなら小1時間は必要な3500円なり。海老か鮎か。鮎一択なのである。天ぷらをつまんだ箸先の油がツユを汚すので、基本的には好まないけれど。鮎と青梅、青いもみじの一幅の画にっぽんの夏、手打蕎麦◼️今月の初めて/新潟駅チカ長岡小嶋屋へぎそば、というのが実は私は好みではない。しかし新幹線人身事故の発生で?飲食店に人が押し寄せ?回転の良さげな蕎麦やに並ぶ。喉ごしが極端によさげなツルツル麺がやだ。お蕎麦の香や甘味が感じられないことも拍子抜けやはり、水と空気だけを含ませたような蕎麦粉のみの蕎麦が食べたい。口に合わない蕎麦を食べた後ほど蕎麦が食べたくなります(*´Д`*)◼️今月のお久しぶり/そば処とみや上諏訪駅の線路沿いの蕎麦やいかん。ここの蕎麦は私好みと真逆のお店だった。全然フツーの、町の蕎麦屋。いえいえ、これなら箱そばの方が美味しい。ツユが極端に薄く江戸風好みの自分には馴染まない。これで何故行列なのか分からない。週末はとにかく私のような、蕎麦を求める観光客が多いため、並の店にも押し寄せる結果なのだろうか◼️初訪問 しのうちさいたま市緑区知人に連れられて。行田の古代蓮を楽しんだ後の昼食をとる。あーお蕎麦そのものの写真を撮り忘れる!空腹過ぎた/(^o^)\ニハですか?と聞くと殆ど九割くらいとのこと。十割蕎麦好きにはナンだけれど、全体に蕎麦の甘味と丁寧な心意気を感じ、何よりお安い!せいろ600円(T-T) 感謝お値打ちそして店内の雰囲気が良い。◼️いつものふじた私の行動範囲内の蕎麦ではここが一番好みだが、半年くらい前から十割のざるが塗りになって、蕎麦の香りが損なわれた。おまけに気のせいか量が減った。量のことはお店の人に伝えてみた。気のせいか、やや盛り返した?1080円。頼みます!
2025.08.01
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