全7件 (7件中 1-7件目)
1

2025/10/24/金曜日/霜月感の10月↑夜間飛行を待つ間、充電を済ませておく。ついでに木村屋の焼きカレーパン、マカロン、焼きそば、コーヒー、ぱくぱく。この時間だとラウンジも混雑無しの羽田第3ターミナルあら、もう帰って来ちゃったよ?ほんとに行ったんだっけ⁈みたいな、時空間歪み?やたら機内滞留の長い8日間ではあった10/6〜13↑ヘルシンキはハブ空港ロシアがウクライナに侵攻する前は、確か飛行時間は7時間くらい?日本から一番近いヨーロッパと言われていたヘルシンキも今回は13時間弱!昨年のKLM利用の方がデンマークには近い印象を持った。夜間飛行ではあっても眠れない。編み物セットを持ち込んではみたけれど、夜間シフトの暗がりが老眼を悩ます。↑あーあーこの色の配置配色、ニットパレットに加えたい。翼よ、我らは北極点を見る。そんな時のための映画、である。お、観たいかな?の「コンクラーベ」が心掴まれながらも、出来の悪いとうもろこしみたいに幾つか寝落ちでシーンが飛んでしまった。それで、復路も見てしまった。特にしっかり観たいと思ったのが、ローレンスが自名投票券を壺に落とすシーン。天窓の劇的な破裂落下共時性の瞬光のワンシーン壺中居の矛盾を鋭く諭す西欧の厳父なる神の轟だ。そこに見られる監督の明瞭な意図すなわち〈眼前で何が起きているのかを個人の正義の埒を超えて見よ、認識せよ〉カメラの目とはそういうことでもあるのだろう。監督の意図に引っ張られ、ドキュメンタリーを見ているような印象を持つのである。監督の目→カメラの目→観客の目↓主人公ローレンス役はレイフ・ファインズ/王立演劇学校→ロイヤルシェイクスピアカンパニー。威風堂々のキャリアスタート。どの教皇候補も帯に短し襷に長しと思いつつも、前教皇の改革を退化させてはならぬ思い故、有力な候補者に投票し続けるローレンス。自身はバチカンからは退いて小さな村の教会に赴きたい心情であった。それが何故⁈コンクラーベが長引くほどに凄まじい権力闘争の背景や教皇候補の人間剥き出しの姿を見せつけられ、とうとう投票券にヨハネとでも書くか、と自嘲するに至るローレンスであったはずが何故!彼はついに投票券にローレンスと記入するのである。神はまるでそれを引き裂くような憐れみでローレンスの過ちを裁断した。世間的にはイスラム過激派の自爆テロではあった。が、この出来事の本質を唯一、言葉に置き換えることができたのは、あたかももう一人いた!的な存在者、ベニテス枢機卿。メキシコ出身のカルロ・ディアスが演じた。彼は俳優であり建築家!おおヨゼフよイエスよ。先住民の血を濃厚に漂わせる風貌は、中東の人にも通うものがあり、イエスが生きた時代の人物像に近いのでは?と怪しむ。人種性別を超えたというか全てを含んだその存在を彼のアピアランスが説得力を与えるのだ。彼に限らず、それぞれの人物像に対して適材適所という点で見事な作品である。その彼の独白は、心に響く。戦争はどこにあるか、ここにあるのだ、とハートの場所を押さえる。私はならば問い、応じたい。平和は神はどこにあるのだ、やはりここにあるのだ。とハートを押さえたい。それを確認したくて、やれやれ往復観た。
2025.10.24
コメント(0)

2025/10/16/木曜日/雨がち晩秋そういえば、近年稀に見る実写版ヒット上映作品「国宝」を観たのは公開6/6から間もない6/17ヒットの背景には理由がある。はず。朝日新聞連載からほど無く公開の広告効果?文壇1番のハンサム?文士、吉田修一配役がハマる吉沢亮と横浜流星という美男の流れ美しいものが見たい要求!脇を固めるベテランがさもさも憶測を呼ぶ配役。渡辺謙、田中泯、永瀬正敏、寺島しのぶ役なの実生活なの、ほんとはどうなのを知りたい!「フラガール」で細やかな感情を掬い取った李 相日(イ・サンイル)なる在日監督が歌舞伎の世界にどう取り組むのか。概念化しうるのか、我らは特殊か。周囲のアジア系風貌の人の何割かが確実に多言語を普通に話す今日の日本で!などなど関心のうずき所は随所にあった。さて。映画は私には非常に几帳面でそれ故にやや古臭いアングル、カット、編集であると先ず感じた。尤もその手法が時代背景に馴染むのであり、今や多民族国家日本の先住民には多少の郷愁を誘うものであり、鑑賞は感傷と同音異義、なんぞと。濃厚な、才能豊かな配役が畳みかける映画の中にあって、儚げでいて強かで、感情豊かでありながら将来を見越した計算高さも見せる高畑充希。彼女は素晴らしい。身体、表情、仕草から発する全てのニュアンスにおいて最上級の役者である。裏主役である。国際舞台で彼女のように振る舞えば、ナントカ生き延びやしないかニッポン、みたいな監督のメッセージさえ受け取ってしまった。私は。組の内紛で、雪舞う中を弾き持つ輩に刀剣で立ち向かう父親の孤独な唐草モンモン。唐突にキラキラとした輝きが主人公の瞼に焼き付けられる。父の酷い死を前にしてさえ、名状し難い美に襲われたのである。そのデモーニュッシュな力が彼を人間国宝へと押し上げる。彼はただ、もう一度でいいからあのキラキラを身体ごと覚えたいのだ。どんなに犠牲を払っても。芸の道ならばそれは許されるみちおのサクリファイス
2025.10.16
コメント(0)

2025/10/14/火曜日/秋、寒露↓一目惚れしたクロシェちゃんとくまタンRed Cross Shop/Tannisbugtvej 44, 9881 Bindslev, デンマークのっぽのサリーはおパンツのまま、早くナントカ!と思っていたのが梅雨の頃。「梅雨がないまま、連日暑くおまけに台風接近のジメジメがたまらぬ。課題に追われる棒針入門コースと並行しながら、月イチのN先生クラスもやって来る。合わせて週一のオイリュトミーレッスン!それに仕事。ツメ過ぎΣ(゚д゚lll)コロナの反動か、旅心も騒がしい。5月は松本と台湾、6月は尾瀬、末には東北も予定。これに日帰りのお出かけも加わる。合間に青梅、梅干し、甘酒何が犠牲になるかといえば読書、である。めっきり本が読めないなあ。」なんて呟いていたら、8月にタイ、10月に入ってどどど〜んとデンマーク行き。一体今年はナニ⁈帰る頃は少し涼しいかも、と昨年イサガージャパンなワークショップで編んだスワッチをケープ代わりに掛けて出かけた。糸始末もしてない(>人<;)とりあえずの日々が続く昨日夕方の帰国で、ぼんやりだるだる。しかし本日ニットのクラスの新たなスタートなのだ。お蕎麦食べてがんばる
2025.10.14
コメント(0)

2025/10/05/日曜日/曇りのち晴れ26時間滞在の京都でもっとも期待されたのが、早朝の竹林の散歩だった。なぜかこの2ヶ月ばかりずっと竹林の道に恋焦がれて、海を懐かしむ貝殻の心地だった。6時15分頃ホテルをでたのだが、もっと早く出るべきだった。外はこんなに明るい。円町からは何と3駅目。市中にいると遠いイメージの嵯峨野嵐山も円町からは8分ほど。渋滞もない。下車すると、勝手知ったるかのごとく欧米系観光客方が、すごい勢いで運命づけられたように一つの場所へと急ぐ。は、はーんと尾行する私。あっという間に竹林の入り口へ身体の芯が静寂の音を知る感覚。汚れのない真っ直ぐな青のトンネルを歩く感覚8月にタイで歩いたヘルファイヤーパスの重さが払われるような、禊の感覚↓20250810あの道はこの道へ私を運んで、深呼吸させてくれたのだなあ。↓20250810質問に答えてガンジーが言った。平和への道などというものはない。平和こそが道なんだ。↓20250810どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない僕の前に道はない僕の後ろに道は出來る高村光太郎「道程」から私も私の足で一歩ずつ平安の足跡になる道を歩くのだ。
2025.10.05
コメント(0)

2025/10/04/土曜日/秋雨コノシマニマスアマテルミタマ神社、通称はコノシマ神社、を辞してほぼ真西、広隆寺の弥勒菩薩さまに会いに行く。久しぶりに訪れると、かつては吹きさらしの粗末な納屋のような場所に陳列されていたと記憶する、仏様方が、豪奢な宝物館に安置されておられた。私はかつて、を愛する。弥勒菩薩像が、ここに来訪したヤスパースというドイツ哲学者から、人間実存の最高の姿と称された紹介も掲げられていたことも記憶に鮮やかだ。この菩薩を愛してやまない若者が菩薩に抱きついて指を折られた逸話などを父が万感込めて話してくれたことも懐かしい。真言オンマイタレイヤソワカ御マイトレーヤだろうか。オンはアウムだろうか。マイトレーヤとは弥勒菩薩の原語と思われる。ソワカ?よく聞くけど何だろう。検索。成就されますように、の意だという。一切の穢れを払うこのふくよかな微笑の先にある深い思考の姿。有難い。オンマイタレイヤソワカ。↑聖徳太子と大日如来の扁額も。地名太秦には秦の字があるように、ここは渡来人秦氏の開拓した土地だ。コノシマ神社との由来を寺務所で尋ねるとなんと!電話で上の方に繋いでくださった。女性だった。その方は神社との由来と聞いて、大酒神社との習合を説明して下さるが、私はコノシマ神社の案内板で、この神社がユダヤ由来であると表記されていたことについて尋ねたのだった。両社は秦氏建立だ。お寺では、そのような記載は現存しうる過去からの資料に全く触れられてない、ときっぱり仰った。清々しい認識で、寺の持つ清潔さが伺われた。通りすがりの観光客の一人にすぎない私にさえ、丁寧な対応である。それでも気になる蛇塚古墳。地図を見てほー。コノシマ神社、大酒神社、広隆寺は東西一直線に並び蛇塚古墳のウシトラすなわち鬼門に広隆寺が配置されてある。小住宅の並ぶ細道に忽然と現れる。剥き出しになった石舞台らしき大岩の構造物。鍵穴の穴だけを残して周囲は丸く細道で縁取られ日本で4番目の大きさの石舞台古墳であった事が記される。7世紀に五つの指に入ろうかという豪族の墓なのである。わずか40年前、人家は今よりは大きい規格で、かつての前方後円墳に沿って配置されていた。今を生きているものに利用されるが道理。朝刊の斉藤美奈子、旅する文学コラムは京都編「古都特有の閉塞感と排他性」それそれ!これこそ文化骨頂の羊水にして揺籃。その典型をこの地に垣間見る。岩を割いて、樹木は空へ最寄り駅まで歩いて12分。2駅目が円町。良い場所にホテルを得たもの。
2025.10.04
コメント(0)

2025/10/03/金曜日/蚊が元気な秋の始まり概ね、行きつけの二軒の蕎麦屋をローテーションして、暑い夏をやり過ごす。しかし、いつもの蕎麦にも小さな、鮮やかな変化はあるのだった。この2ヶ月はふじやで夏新そばにありつけた。相変わらず私好みの コシが強い中細の、スキッとした旨さ。でも時々冷水シメがゆるい時も-_-b蕎麦湯がぬるい時も( ̄^ ̄)初訪問は5軒♪◼️手打ち 如月 徳荒川区 町屋十割蕎麦と炊き込みご飯セット 1050円お腹が空き過ぎてご飯も。炊き込みご飯を蕎麦湯で薄めたツユと頂くのは好ましい。清潔で蕎麦もツユも文句は無い。優等生的なお蕎麦やさん◼️ 手打ちそば処 久霧大宮市これはびっくり!とても美味しいお蕎麦屋さん近所ならば毎日でも通いたい。そばがきがある、というのは私にとって蕎麦の良心があるのに等しい。しかもそれが頗る旨い!十割蕎麦と粗挽き、そばがきの3点セットあじくらべ値段を失念、1500円くらい?こんなに食べて!店主の心意気が見える蕎麦やさん◼️ 手打そば 奥藤本店 国母店甲府市甲府といえばほうとう小麦文化が根強いが、山の方へ行けばやはり蕎麦中心、とはいえ蕎麦はほぼ二八。でも蕎麦屋に必ずあるのが県民食のトリモツ。モツは苦手なのだが、なぜかこれだけは食べられる。二八とも相性が良い。ご飯も付いた蕎麦定食、甲府鳥もつ定食1400円◼️ 安曇野そば処 双葉安曇野双葉セット 1650円半天丼とせいろに刺身こんにゃく、お漬物。信州のお漬物の美味しさは天才である!刺身こんにゃくも実にすずしい。それに別途ニジマスの円ツブラあげ残念ながら蕎麦は二八新そばシーズン時には十割も打つとのこと。ツユは良い鰹節を引いてるのが分かる。山岳美術館後に立ち寄る。◼️ 㐂道庵神田神保町自家製分。客の回転良く、働くおばさま方が元気あふれる。ヒキタテウチタテウデタテッ!てなノリです。が、二八なんだなぁもり680円、えーじゃないか。今夏も美味しいお蕎麦をみなさま有難うございます!
2025.10.03
コメント(0)

2025/10/02/木曜日/朝夕は秋らしくあるべきやうは、の明恵上人の言葉はさすがに現代の思考からは乖離があるなぁと思いながら、市バス26号に乗る。円町エンマチに程近い御室オムロに所用があり、京都に出向いたが、円町のビジネスホテルはJRもバス停も至近、エアコンがうるさくてオフにしないと眠れなかった以外は清潔で便利でお得だった。せっかくなので円町を中心に関心の向く所を探してみる。嵯峨野の竹林は外せない、というか、ここ3ヶ月ばかり竹林の空気が吸いたくてたまらぬ〜という焦燥感に駆られていたのだった。所用は後から付いて来た。なんと。どうせ観光客でごった返すのだから、寺は入れなくてもどうでもよろしい、明日の朝一番で竹林を目指す。円町からは何と!6分で嵯峨嵐山駅に着くのだ。円町を中心に地図を眺めていると、木嶋坐天照御魂神社という社名が。天照大神アマテラスオオミカミではなくアマテルミタマ。男神だろうか?予備知識もないまま、黒橋バス停から少し西南方向に歩くと鬱蒼とした樹木がやや荒れ気味に茂るままになっている区画が塀に囲まれている。キジマニイマスと手前読みしたら、コノシマニマスだった。コノシマは此のシマ?島?やはり御祭神は天照大神ではなく、性の区別もない造化三神の初めの神、アメノミナカヌシと他4柱。しかし延喜式内社にアメノミナカヌシを祀る神社は存在しない。この神に注目が集められるのは江戸時代後期の平田篤胤を待たなくてはならない。広隆寺創建と関わるのであれば、秦河勝の時代だろうか。秦氏の技である、機織り。美しい絹織物で宮廷人を綺羅綺羅しく艶やかに演出したことによる莫大な富の集積を想像する。大いに勢力を得、平安京への道を築いた。蚕の社もある。道理。ところで皇后の養蚕は明治になってからと始まったと聞く。そんな古式めいたことを近代化明治に新たなしきたりとしたのは何の謂れだろうか。元糺の森ならぬ元糺の池、もある。元は湧水だった。いつ枯れたのだろう?下鴨に撰した、とあるが泉が枯れて撰したのは、御祭神か禊神事か。御祭神の空席をアメノミナカヌシが埋めたのか。下鴨神社御祭神、賀茂建角身命カモタケツヌミノミコトが初めはコノシマニに鎮座していた?撰した先で秦は鴨になった?しかし一般的には、下鴨神社の方が歴史は古いと言われている筈だ。興味は尽きない。社務所はあれど、お守り朱印などは無し。観光神社となることを拒絶する姿は好ましい。枯れた池の中に現れる石製三柱鳥居これとよく似た鳥居が露伴の蝸牛庵があった向島の三囲神社ミメグリジンジャにもあった。三井の江戸での家社で、本拠地京都のこのしま神社の三柱鳥居を写した。その事実はこのしま神社には掲示がなく、三井家の歴史から伺える。神社敷地の西南にはお稲荷さまらしき祠が東面して鎮まる。大国御霊も祀る。大国主命だとしたら出雲系への崇敬もあるのか、或いは供養祈祷をしているのか。
2025.10.02
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1