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2025/09/27/土曜日/夏の戻り昨日8:21新横浜発のひかり503で京都駅下車、山陰線円町のビジネスホテルにともかくも荷物を預けバス停へ。ふと横を見れば目的のJRバスが∑(゚Д゚)これを逃すと30分以上待つことになる!バスと一緒に走り、駆け込み乗車。なんと午前の内に、栂尾高山寺に辿り着いていた。慣れない山陰線利用、おまけにホテルを探し荷物を預け、バス停を探す、などの手続きが無ければ、もっと早く辿り着いたかもしれない。金曜日のせいか不便な場所ゆえか、観光客は私を含め3.4名の静かさである。創設は案内によれば774年。平安京よりも20年も早い。いつの間にか荒ぶれていたろう当地を明恵上人が後鳥羽上皇の肝煎で1206年、鎌倉幕府成立後間も無く、華厳宗の修行学問所として再興した。寺領内の建物の内、奇跡的に当時の、すなわち鎌倉時代初期の寝殿風住宅建築、石水院が今に伝わる。後鳥羽院の賀茂別院を移築したのだとか。国宝である。撮影はできない。ばちばちスマホ撮影している女性もいたが。上人愛玩の子犬の像が愛らしいが、石水院に渡って直ぐの、一間に置かれた善財童子像が実に実に素晴らしい。鎌倉時代の仏師の力量に目を見張る思い。やはり、その場に身を置いて知ることは多々ある。樹上で瞑想する上人の姿、国宝「紙本著色明恵上人像」には鳥やリスが描かれているそうだが、どんなに眺めても鳥1羽しか認められない。次回の宿題か?明恵上人の事は河合隼雄を通して知った。寺は鳥獣戯画であまりにも有名だが、私にとっては明恵上人の夢日記の関心が今もって高い。栄西から茶の種を分けてもらい、この地で茶の木を育て茶道普及にも大いなる影響を残した。昨今では、上人と聖フランシスコとの共通点を思う人びとの尽力で宗教を超えてフランシスコ会とのブラザーフッドが結ばれたのだとか!河合隼雄の夢⁇かつて確かに明恵上人なる優れた方がこの場所に暮らし、そしてこの世を離れられたということをしみじみ味わいながら山道を歩く。上人は北山杉を背まくらとしておられた。美しい廟である。
2025.09.27
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2025/09/25/木曜日/30度以下なら過ごしやすい5日ばかり留守にしていた自宅玄関前におびただしい羽毛の中にこんもりと横たわる鳩の遺骸ドアの真ん前、ど真ん中その位置があまりに出来過ぎ猛禽類が家前の林に棲んでるとはツユにも知らぬ。見上げれば2階の玄関真上ガラス面に鳩横向きシルエットがくっきりと転写されている。これは何事ぞ。何かに追われたか。援けを求めて戸口を叩いたか。翌朝出かけた先の神田川の橋の欄干に、1羽の鳩が止まっていた。近づいても逃げない。心の中で、お前さんのお仲間が昨日酷い死に方をしていた。あんたはよく気をつけて長生きしなさいね。と語りかける。鳩は豆鉄砲を喰らったように、まん丸く見開いた目のフチを赤くして、白目の中にグレーな点を灯し耳を傾けている風情何となしほろりとする。ででっぽでっぽ。〈DATA〉出版社 新調社著者 三島由紀夫新調文庫昭和五十二年十月三十日 発行平成十四年十一月十五日 四十二刷改版平成十七年十月十五日 四十九刷〈私的読書メーター〉〈穏当に読むなら『春の雪』からなのだろうけれど「豊饒の海」全体が輪廻転生のテーマを持つのであれば、自由なアクセスが許されるはず。文頭から引き込まれた。何といっても文の巧みさが読み手を離さない。中年クライシスの手前辺りか、語り手の本多は、小乗仏教タイに身を開いて大乗仏教の哲学を苦悶していた。自分は日本人の生まれ変わりと泣き叫ぶ月光姫と敗戦後の日本で再会する後半部。老醜を晒す本多の、谷崎潤一郎ばりの展開と見事に成長した月光姫の生命の横溢。奈落の底には水か炎か。投じられたエメラルドの指輪は本多にとり秘仏に等しい。〉読み終えてひと月ばかり過ぎた。三島の事件後、読んだと思われる豊饒の海について、或いは輪廻転生について或いは阿頼耶識、末那識について亡父が話してくれたことを時々、夢の形見のように思い出す。人が死ぬとはどういうことだろうか。冗談を言う前の、鼻の周囲に浮かぶ密やかな笑い、そんな父の表情が鮮やかに蘇るとき、父は当にここにいる、のだ。ところが現実世界ではその姿は求められない。意識の世界ではありありと像を結ぶのだが。月光姫の脇腹の3つ並んだ黒子も意識と現実の行き来をするかのようだ。この黒子はオリオンの三つ星の隠喩なのだろうか。
2025.09.25
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2025/09/21日/日曜日/山から降りてまた山に◼️8/3 加賀井の湯夏がどんどん暑くなっていく。比例するかのように源泉掛け流しへと足繁くなる。のかどうか。かなりディープな日帰り温泉を訪ねた。松代温泉郷の一角にある加賀井の湯。温泉が目的、の日は浅けれど、私が浸かった湯の中でも、大地からのパワーというか賜物というか、泉質の次元が異なる濃厚さを覚えたのは増富温泉と恐山温泉とここのお湯。今のところ三大関か。入湯前に管理人の方から説明事項を受ける。内湯は別だが、露天風呂は混浴なので、女性は外では必ず湯浴み衣着用のこと⁈大丈夫、当店にて購入可能。撮影不可。混浴露天風呂があり、かつ湯治場なのであるから当然の理だと思う。源泉は内湯のすぐ脇で、とにかくフレッシュな湯である。そのため、10米はある湯船の下手で掛け湯をした後、徐々に湯本に移動するよう求められる!湯から排出される鉱物が堆積して、複雑な紋様と色彩のアートが床一面に展開されている。そんなに熱くない。と記憶。42度前後?露天風呂は38度くらいで、ずーっと寝ているおじさんがいた。内湯と泉質が異なるのではというくらい色も温度も当たりも違う。住宅地にありながら秘湯感満載。また夏に寄りたいもの
2025.09.21
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2025/09/013/土曜日/今朝方つよい雨◼️8/12 ピン川のほとりカンペンペットに行ったらこのレストランは外せない、という人気のお店がある。バーンリムナァム 川辺の食堂、の意味らしい。席に着いた頃にはもう日は沈んで、空と川の色が暮色に包まれ始めていた。食堂に集う人びとはみな、ゆったりとこの場所を占め、確かに心ここに居りて、食事を風景を、それらのまとまりを楽しんでいることが見て取れる。この立派な食堂はかつては辺鄙な小さな賄い屋であったと聞く。ただそこの女主人は地元の、昔からある健康な食材を用いてみんなが喜ぶ一皿を、日々工夫し素晴らしいレシピを考案した。↓彼女を見ていると私はなぜか涙ぐむその女主人は82歳の素晴らしく可愛いらしい控えめでたおやかな女性だ。若い頃はさぞや男性陣にプロポーズされたことでしょう?と尋ねると、昔は若い娘は屋外に出る事は殆ど無かったそうだ。美しさの秘訣は若い頃から手作りしているパック! なのだという。 何でもマンゴスチンの外皮の内側を干して粉にし、ココナッツミルクと混ぜたものを長く愛用とか。そして今でも新しい料理を試作している。↑食堂に行けばマストの一皿、マヨネーズチキンこれが人気だけれど、供されるオリジナルは殆ど彼女が作り出したもの。そんな彼女は、結婚して家計を助けるためか未亡人となったか。若い娘では外に出られない時代に、近所の食堂で働き始める。そこで料理のノウハウを学び、料理を提供する喜びに目覚めたのだろうか。時が来て、自分で小さなお店を始めた。それを子どもたちが支え、お婿さんたちも、孫たちも協力して益々発展している様子。できればこれ以上拡大させずに女主人のレシピを守り抜いて、この川の側でいつまでも輝いてほしい。彼女はこの土地を愛し土地からも愛された。↑10年前にベトナム民族博物館で出会った、少数民族の女性のポートレート。本当に惚れ惚れする。意志と知性の顔の佇まい。アジアの女性は美しい。
2025.09.13
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2025/09/08/月曜日/暑すぎ、神田〈DATA〉出版社 フィルムアート社 著者 上羽陽子・山崎明子編 執筆者 蘆田裕史/五十嵐理奈/金谷美和/木田拓也/ 斎藤玲子/塩本美紀/新本万里子/杉本星子/ 中谷文美/野田凉美/平芳裕子/ひろいのぶこ 南真木人/宮脇千絵/村松美賀子2020年9月25日 発行 2020年11月25日 第2刷発行 〈私的読書メーター〉〈表紙作品の手袋インパクト!編み物だけやっていては生まれて来ない地層から出現している。作者は野田凉美さんという今をトキメクアーティストで研究者の方らしい。その手袋に重なる「ものづくりの意味を問い直す」の文字。あら学術研究的な?はい、ある意味そうでした。手芸、かつて女子の嗜みと見做されていた趣味レクリエーションを時代や少数民族の世界から深掘り、現在どんな様相を呈しているか。掴みどころのない厄介な代物をジェンダーやコミュニティからも研究。野心的、逸脱あり、の人間臭いガクモン。あ、高校生男子、キミこそ面白い!〉ニット作品における作家のオリジナリティと汎用性の問題は大きい。真にオリジナリティをもつ作家は膨大な時間を費やし、試行錯誤しながら一つの完成形の解を得る。どこかのデザインの焼き直しならともかく、無からのスタートであれば、沢山の時間と材料の浪費の果ての結実である事は想像に難くない。そんな作品は例え冊子掲載であっても、自分一人で楽しむ或いはプレゼントにする事は許容されても、販売が拒否されるのは理解できる。これはサイチカさんと暮しの手帖のケース。能く編める方が、これ売れないのよねとやや不満な面持ちで、編み上げたルームシューズを見せてくれた。実は私はサイチカさんのお店で直接教わった。そのデザインの掲載の暮しの手帖も購入して、更に参加費用も支払うのである。毛糸の開発、卸売もしている人気のイサガーのケースでは、レシピに応じた糸の購入で、編み図←英語若しくはデンマーク語の文章パターンである←が希望者に付帯してくる。キット型販売。なので、各個人において作品の販売、或いはそれを用いたワークショップはイサガージャパンに確認の上、おそらく可能と思われる。。しかしニットの世界で個人が確実に利益を得ようとするなら、デザインよりもオリジナルなヤーン販売が得策しれない。原毛に近い上質な糸を仕入れて草木染めなどして付加価値を付けて販売する方が、個人事業としては成立しやすいように思う。ニッチな市場ではあっても、世界に一つ、の歓びは手仕事をする者には価値が大きいのだ。マイクロロットの糸は手編みとフィットしやすい。沢山の染色家がインスタなどSNSで活発に発信している。見つけた側からソルドアウトオンパレードなのである。それとても、それで生計を得るという訳にはいかないだろう。2次的な収入源くらい?ヤーンの開発元になれるような作家、マリアンネ・イサガーならばいざ知らず。コピー作品を売る売らないは個人の倫理に従うしかないのだけれど、手編みを愛する者の矜持としてはデザイナーのオリジナリティを守りたい。私は思うのだけれど、好きな作家の作品模倣を量産するだけ、というのはやがてつまらなくなる。でもレシピから外れると、成功は偶然で大体がっかりすることが多い。昔は解くのに抵抗があったけれど今は解くことこそより良い一歩と心から思う。うーん、成長したなあー自分積ん読と編んでは解く日々。1日48時間ほしい。
2025.09.08
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2025/09/05/金曜日/もう9月なのだーさて。先月半ばのタイ紀行は 振り返りみればタイ訪問の4日目、これからスコータイ方面へ大移動開始3泊したJ2ホテル界隈。昨年も感じいったが、台北もバンコクもすっかり大都会になった。学生時代にインドへのトランジットで往復一泊した時のホテルを、何とスワナンプームからのタクシーで発見!未だ潰れてなかった!↑その名もフロリダホテル。往来で求めたマンゴーの美味しさに陶然とし、ドアボーイの愛らしさに驚嘆した。随分古ぼけてしまったね、お互いに。8/12 J2ホテルを7時出発。今回は車をチャーターしての移動。運転してくれるのはバン・ヤーさん。名前の前にバンを付けるのは、(タイでは少数の)ムスリム男性だから、という風に聞いた。寡黙ですこぶる安定感のある運転だった。↑とあるお宅のドラゴンフィッシュ今晩はカンペンペット泊だが、ストレートに行っても車で5時間は掛かるという。スコータイにも空港があるにはあるが、料金は高め設定らしく。ラッシュのバンコクを抜け、私たちはまず人気の、サーマチュック百年市場に立ち寄った。日差しと陰。横たわる、いやさ陳列された食べ物の色、湯気、煙、匂い、買い物客、売る人、売り言葉、賑やかな喧騒、バイク自転車。騒音。意識が身体から離れてモーロー歩き。一体何軒ひしめき合っているのか。↑下右のお煎餅みたいなのも扱っているお店が多い。食べ続けるワタクシ。下画像の青い硬いスパイシーな葉で絡んだオモチが私の好み。私は以外はイマイチ。お魚のすり身のお団子↓画像左上、が名物。大団子を食べるふりの撮影OK⁈カゴが気になる。最近はナイロン製が増加中みたい餅米のちまきも美味しかった。中華おこわ。↓日本語の解説があった!川の付近でよく見られる魚のリリースによる功徳。魚を放つために金銭で贖う。これを行うと心身が清らかになった気がする、と笑顔で答えていたタイの暮らしのドキュメントを見た↓画像下中生活雑貨などは中国由来のものが殆どのように思える。その昔、代官山に文化生活雑貨店があったけれど、そこに並んでいたようなお皿や魔法瓶がまだ!歩きながら味見するだけで満腹になる。ローガンのフレッシュジュース飲みながら歩いていると、橋の手前で振る舞いパッタイを貰う。これはTha Chin という川。調べてみるとチャプラヤー川の支流らしい。ピン川とナン川が合流してチャプラヤーとなるが、それはまだずっと北の方。ここは大きな意味でチャプラヤー流域の町。ここを下った南、バンコク寄りにアユタヤはある。シナ・チベット語族のタイ人は11世紀、中国南西部から山を越えピン川を下り民族移動して来た。北部に行けば行くほど、食も人の様子も中国の度合いは強くなる。タイでは若い人も働きながらサイドビジネスをする人が多い。商魂逞しいのである。自分たちは元は中国の山岳民族、の気持ちもあるようだ。しかし明らかに異なるのが宗教的背景。この国は仏教がいまだに日常に根付いている。台湾は道教のお寺が大多数。中国本土はどうなのか。道沿いの売店。ナツメが何種類も!美味しい。マンゴーは路上では殆ど見かけないけれど、百年市場で購入済み。今晩のデザートになるハズ。◼️お昼はトンタコップというレストランで地元で人気らしい。え!まだ食べるのかーもちゃりとしたエビが多い中、ここはぷりりとしていたような記憶がメニューはこんな感じ。Google翻訳に頼るかお嫁ちゃんのアドバイスを受ける。このお店もお魚料理がよい。しばらく移動する内に田んぼカフェがある、というので寄ってみる。カフェではなく、レストラン。私たちはお腹がくちいので、コーヒーだけのつもりだけど、そのサービスは無いみたい。気持ちよく写真OKとのこと。右奥の山は登山者に人気らしい。上級者向きかな?聳り立つ岩盤。タイでは山小屋はないので、一切の荷物を携行するため、シェルパを頼む必要があるそうだ。スコールの後で稲が青々としている。自給率は何%だろう。年中好きな時に稲を植えて実れば刈り取る。そんなコメ作りなのだ。目印があまりないけれど、道路沿いに車が停まっているので、何となく分かる。↓田んぼレストランのオーナー?さんが店前の道路で何やら焼いていた。車から降りて買う人多し。田んぼの風景の中を車は北上、カンペンペットには夕方少し前にホテル到着。やれやれ。ベランダに出れば川が臨める。ホテルはリバーサイド、J2ホテル
2025.09.07
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