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2025/05/31/土曜日/うすら寒い雨ふりそぼる4月半ばのお散歩日和の美しい日に、小田原に引越したメンバーの案内で歩く。お城→小田原城のお堀、桜は辛うじて残っていた。お堀を渡ると元小学校校庭広場を抜けて旧図書館の思い出を聞く→一つの地域が、優れた図書館館長の元、どんな風に発展していくのか。多くの市民の暮らしをどのように豊かにしていったか。故郷を誇らしく感じられるか。行政に関わる人にはぜひとも聞いてほしい話。隣接する報徳二宮神社→初宮参りのご家族もちらほら。知人もその娘さんもやはりここにお参りしたのだ。ご祭神は二宮金次郎翁!石碑に金次郎の格言、「経済のない道徳は戯言。道徳のない経済は犯罪」を仲間が後から指摘してくれた。私もまた、初めてこれを見て、江戸末期の貧しい農村青年が抱いた感懐の近代性に感じ入ったのだった。さて、ここから目指すのは我らならではの小田原文学記念館元は田中光顕別邸。建物は南国ヴィラ風コロニアル?全体的に質実剛健で士族出身らしさ滲む。唯一感心したのは屋根瓦と外構タイルの色目土佐勤王党の彼は寺田屋事件のとき、いち早く現場に駆けつけたとか。明治天皇すり替えについて晩年に発言したとか。その一件が半ば信用されるのは、知りうるポジションにあった、という事なんだろうと想像する。屋上テラスのペントハウス風小部屋には赤い鳥復刻版が設置してあり、閲覧できた。みな、夢中で見入ってしまう。このセンスの良さはどうしたことか。↓絵も作家も一流の揃う大正ロマン1.2階フロアでは小田原に関係のあった作家や地元文人の作品や原稿資料が見られる。戦前の小田原には多くの文人、文化人、実業家が揃った。関東大震災で壊滅的な被害を被り、そのムーブメントは下火になったか…北原白秋も被害にあったが、彼の足跡は大きい。↑田中光顕別邸和館は現在、北原白秋童話館として運営されている。表洋館はいかにも応対するため裏和館はいかにも家族の寛ぎのため↓展示されていた北原白秋"木兎の家"敗戦直前に亡くなった北原白秋は幸運だったかもしれない。戦後には表現者としての戦争責任を追求されたやも…藤田嗣治のように。およそ芸術に身を投じる人が何で好んで戦争、しかもアジア独立を謳いながらその実態は侵略の戦争、を進んで賛美するものかは。戦利品を得る事に狂喜乱舞した大衆、万歳を連呼した大衆は8.15を境に一億総被害者に態度を豹変して恥じない、その事を忘るべからず、である。そんな事をつらつら考えながら木兎の家、と名前を付けた白秋の小さな茅葺き小屋の模型をしみじみ眺めいる。本宅もこの小屋も今はない。その中で確かに楽しい団欒はあったのだろう。ここで、白秋は童謡の半分ほどを創作したというのだから。私たちはその後、外郎やさんに立ち寄りめいめい買い物をした。申し出れば、蔵の中の見学もできる事を知った。外郎売の歌舞伎との縁がずっと繋がっているなども興味深い。その後遅いお昼ご飯はだるま食堂へ。文人仲間の小田原訪問では何はともあれ、だるまへと言われた、知る人ぞ知る食堂である事を文学館で知って、案内者に是非にと頼んだのだった。まさに食堂、の風情と働くおばちゃんがきびきびと清潔(^^)自前の新鮮なネタ、小さめシャリ。早川の漁港にもお店があるらしい。
2025.05.31
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2025/05/27/火曜日/曇り、やや蒸し暑い雨、日曜日、25日 台北台湾はこれが8、もしくは9度目なのに、実は故宮博物館を訪ねたことがないのだった。雨だし、猫空をやめて博物館へ行くことに。日曜日で雨である。混雑が予想され、前夜の内に私のスマホ、カードを駆使して予約を入れる。しかし、カード会社のSMがなぜか受け取れない!混乱その1当日朝、ホテルフロントに相談するとコンビニで予約できる、とのこと。コンビニに走る。しかし、外国人向けの故宮博物館画面はない!とのこと。混乱その2結局、ホテルに戻りツレのスマホから予約QRコードをゲット。やれやれ。ホテルからはバス二つ乗り継ぎで行けるはず。ところがバス停が見当たらない!混乱その3道路工事中の人に尋ねると、MRTを勧めるのである。はあ。青ライン乗り換え、シーリンからバスなんとか辿り着いた場所は本当に気持ちが良い風、空気の流れ、鳥の鳴き声、小雨にけぶる緑と喜ぶ。アプローチの長さが大人である。御神体は後背の山、みたいな配置。きっと風水に叶う場所なのだろう。↑人だかりの例の白菜。わ、小さい。コオロギみたいな小さい虫も!周囲も散策したいねえ、などと余裕だ。さて、QRコード予約者の入口へ。あれ?スマホ保持者のツレしか入れない!混乱その4↑道祖神のような菩薩さますったもんだの挙句、一人分の購入であったことが判明する。ツレの作業を引き継いだところ、人数は1名にリセットされたらしい。↓超古代の二人◼️白石女神紀元前5500~4000年頃興隆窪文化後期から紅山文化初期まで故宮博物館のヴィーナス、と呼びたい。私にとっては特急品因みに縄文のヴィーナスはBC3000年が古い値画像/東京国博↓さすが質が良い。ミホミュージアムも良いものがあった結局、窓口で私の分を買う。予想された混雑はない!混乱その5これら混乱1〜5で、惜しげもなく時間を費やす。コレクションを眺める頃にはエネルギーの半分ほどは消費済み-_-b確かにゆっくり見たいなら2日ほど必要だし、事前の予習も欠かせない。事を学ぶ。撮影OKとはありがたい。
2025.05.27
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2025/05/26/月曜日/日がな雨来たと思えば、もう帰る台北。ホテル空港間の送迎バスが付いているだけの、お安い3ナイトツアー。↓ナリタエアポート↑成田のレートは円安う〜。ツレが欲するウィスキーの小瓶ならぬ小ペットボトル?は免税ショップの並ぶ、南ウィングから見れば最北スミの柱陰のコンビニでようやく。初めて利用したスクート機内サービス無し、お水を買っておく。機内寒い。毛布も買取式。持参していた新聞紙ブランケットが活躍-_-b↓寒いし編み物気分は上がる。機内に持ち込みせっせと編んだだよー♬旅程は24日土曜日のお昼頃、成田出発明日早朝便で成田復路台北のホテルには現地17:00を軽く過ぎて到着。時差1時間。3.5時間の飛行。↑桃園空港のバゲージクレーム内よりも外に出て目の前のエクスチェンジが一番レートがよい。証拠写真右上、あらら消えたところをパチリ。手元計算では4.75つまり5290円で1000元あげます、成田。4750円で1000元あげます、桃園。*手数料無視初めて台湾訪問した頃はレート2.5くらい?何もかも安いイメージだったのに、今では台湾の方が高いと感じるものもある。特に魚介類。台北を外せばもう少しリーズナブルかも、だけど。台湾の方から、火曜日に今台北はすごく暑い!と聞いていたのに、まさかの21℃が続く。薄目のレインコート持ってきて良かった。ホテルは緑線MRTの松江南京駅ソンジャンナンジン至近。これはとても便利だった。今回は❶猫空の1日訪問❷碧潭水岸辺りを散策❸客家レストランに行くそれに早いかもだけどマンゴーも食べたいなぁくらいが目的。ところが。寒い雨模様の毎日で、急遽予定変更に。とりあえず夕飯。初日夜は近場の寧夏夜市で過ごす。小吃ショーチー 2人で千円ほど( ;∀;)こういう台湾がいい!あーあ、それなのに。余りに巨大なデザート、豆花トーファア、いく。初日にしてお腹、苦し過ぎ腹八分目のできる人間になりたい…
2025.05.26
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2025/05/22/木曜日/どんより暑い松本の5月は工芸の幕開けその5月も小満になりぬ。4月末の市内の博物館でも手仕事展がいち早く開催されていた。フロア別に常設展と特別展江戸時代、足袋作りが評判をよんだという。元々緻密な手仕事、工夫のある土地柄なのだろう。大黒さまと恵比寿さま私には大名持命と少名彦命の二柱でございます〜道祖神があちこちに存在している事も喜ばしい。お城下らしいあめ市の賑わいには、商店の子どもたちが先頭に立ち商いをしたとか。開けている風土が感じられる。博物館の一番の見どころは、正確に再現された松本城下の模型パノラマだろうけれど町民の暮らしに基づく細部を見ていくとあっという間に時が過ぎる。下級武士は半農半侍であることが模型からも理解される。それに比して大店の暮らしぶり豊かなことよ。松本市内にはたくさんの温泉がある。そういえば、浅間温泉の日帰り湯で出会った女性はその温泉が上高地の泉質に近いと教えてくれた。白骨温泉も意外や松本市なのだった。泉質が特異なのも心惹かれる。温泉地と泉質の比較が一意につかめて良い。↓この観光案内マップを再現してくれないかしら意匠に目が止まる、足止まる。松本の七夕人形は、その時節に市内のあちこちで見受けられる。お人形文化がある。その姿は手足が長い。脛が長い。別フロアーの特別展では地元の作家作品が、過去の工芸と並列展開して展覧中ガラス作品の光の透過が美しい。作家の方↓カゴ好き!にはみすず細工の今昔みすず細工の最後の作り手が亡くなったのち、志ある方々が学び合い教えながら自分たちの手で取り戻したことは喜ばしい。時代の中、多くの手仕事は失われた。復元を願う人が集えれば、再び息を吹き返す。松本はそんな気持ちの苗床のような街なのだろう。復元といえば、沖縄、喜如嘉の芭蕉布は特別な技術が必要だが、みすず細工は農家の必要から生まれた生活道具で、誰でも始められる。意欲があれば。ずっと神棚と小さな厨子がほしいとおもっている。さて、それらにどこで出会えるか。彷徨うしかない。
2025.05.22
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2025/05/18/日曜日/蒸す。南九州既に梅雨入り土曜日は雨、と聞いて咄嗟に映画予約お目当てはガールウィズニードルデンマーク映画とは珍しい。↓これは昨年過ごしたデンマークの、宿舎ダイニングの壁のポスター、関係は何もないけれど。時代は第一次世界大戦ヨーロッパの人びとにとって最も忌むべき、 夥しい数の若者の犬死にの、虚しい記憶。 場所はコペンハーゲン かつては大きな領土をもつ、近代はヨーロッパの中でも貧しい、北欧寄りアンデルセンな小国の首都 そこそこに恵まれたアパートの家賃のツケが払えず急遽追い出されるハメに陥ったカロリーネ没落貴族風の寡婦親子が部屋を借りようと下見する。ぐずれば、品も教養もありげな母親から激しく打たれる幼な子。 裕福な親戚の援助でもなければ、女一人生きて行くことは困難な時代にまして子どもの権利なぞ、欧州人も未だ発見していないのだ。❶カロリーネは女一人で、なぜそんなアパート暮らしができたのか。ともかく、アパートを追い出された彼女はへこたれない。 縫製工場で働き口を見つけ、水道もない屋根裏の間借りの唯一の窓をこじ開けたとき、彼女は編み針と編みかけの毛糸を持ち出し屋根の上で編む。屋根の上のニッター。 束の間の開放感と自立。 彼女はおそらく手製のニットキャップとマフラーが繋がったような不思議な帽子を被り工場へ通う。❷きちんとしたツバ付き帽子の大勢の女性労働者たちとは明らかに異なり、際立つ個性。 それは何を意味するのか。 夫が戦死した寡婦のための手当ての手続きを経営者に願い出るなどを通して、惹かれ合う二人。それがまあ。いきなり街の路地の奥で立ったままで。思春期のホルモン犠牲者のような、手続きなし欲望を果たすのみ、な行為に唖然とする。避妊もへったくれもない。 これを恋というのか疑問は残るが、欲望のストレートさは肉食人種のそれ、と理解する。そうそう。イタリアの安宿の隣室の凄まじさに驚天動地したことを思い出す∑(゚Д゚) カロリーネ、やはりの妊娠。経営者に堂々結婚を求める。その態度は他の女性と同じ帽子を被るようになっても、見えない特別のシャポーを感じさせる。これぞ❷の解か。今のカロリーネは目には見えねど内在させた独自の個性が息づく。 そんな矢先、戦死したと思っていた夫が現れる。 顔の半分以上が破壊されて。なるほど❶の疑問氷解する。彼女は戦前はゆとりある暮らしの主婦だったのだろう。しかし身の処し方は粗野で、細いのに強靭さがある彼女は都会育ちではないのだろう。 それまで殆ど肉声の乏しかったカロリーネが、凄まじい大声で夫を拒絶する。自分は豪奢な館の女主人になれるのだ。徴兵を免れる、ドレスをプレゼントしてくれる夫を得たのだ。 という泡沫のゆめ。なのかどうか。 結婚を承諾する彼は、財産所有者である母親からの財産放棄を明言され、結婚を取りやめてしまう。当時にあっても資本力の前に男女の格差はない。 しかし身分制度は厳然とあった。 ここで描かれる世界観よ。人びとを不幸に閉じ込める檻よ。 雇用も解かれ、体よく捨てられた彼女は湯屋の湯船で一人、金属の編み針で堕胎を試みる。湯船から彼女を掬い上げた女性こそ、闇で子を間引いていた砂糖菓子屋!の女主人であった。砂糖、苦いかしょっぱいか。 もちろんその事実は徐々に分かるのであるが、これは当時の実話に基づくものという。ところでこんな湯屋が当時コペンハーゲンにあったのだなぁ。トルコ式風呂のようでもあるけれど、それに湯船が付随している。パリかどこかでそういうお風呂に入ったレポートを読んだ記憶がある。堀内誠一さんかな?男風呂は同性愛者の巣窟だったみたい-_-b 裸は人を本来の姿にし、根源的な欲求に委ねさせるように思うけれど、それさえも道に描く日本映画、なかなか。大きなお腹を抱えながら肉体労働で糊口を凌ぐカロリーネが、サーカスの見せ物として登場する夫のおぞましい顔に口付けする場面はキリスト者の勁さと愛を覚える。 それでもああ、路上で妊娠した娘を路上で産み落とし、翌日には養子縁組斡旋の、砂糖菓子マダムの店に向かい、結局は家を飛び出すのだ。夫が新生児のためのベッドを買ってくる姿を建物の陰から見やりながら。 砂糖菓子店で居候しながら、新生児を連れてくる女たち。その赤ん坊にしばらく乳を含ませる生業?を得てマダム親子とカロリーネの生活が始まる。彼女は乳を含ませる内に母性愛を発露させていく。自身の娘に対しては持てなかった愛情が花開くのである。 健やかな母子の関わりはなんと言っても母親を脅かすものが無い場所でこそ。心身に対して根源的に素直で開かれたカロリーネは、養子縁組と表層されていた事実を知り、錯乱の末、薬物の影響もあってか屋根から身を投げてしまう。まさにその時に、警察官の立入がありマダムは逮捕される。娘は孤児院に引き取られる。ぼろぼろのカロリーネは野外のサーカステントに辿り着く。薬を発する彼女に、夫は哀れみを持ちながら拒絶する。彼もかつては戦争PTSDでモルヒネ常用者だったのである。 マダムの裁判を傍聴するカロリーネはそこでマダムのおそらく血のつながらない娘への親子の情愛を発見する。その眼差しが尊いのだ。36人もの嬰児×シ。善男善女の罵詈雑言、糾弾。 もしも自分には全く罪がないと思うものは、この女に石を打ちなさい。 ああ。正義とか平和とか、そんな我らの肩に掛かっているのだ。そんな高等な理念に値するのか我ら。さて、それからしばらく時が経ち。聖家族が一つ地上に誕生する。この映画はハッピーエンド、希望が見出せる。
2025.05.18
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2025/05/012/月曜日/曇り↓2023年の蕎麦まつりの折、この前で記念撮影していた!それがまぁ、今年のゴールデンウィーク前半に、念願のまるも旅館に一泊できるとは(^^)↓お部屋は2階、喫茶まるも上の右端民藝テーマ旅の気分はますます上がる。この旅館の建物は、今や松本市内で最も古いのだとか。民藝の関係者ばかりでなく、小澤征爾さんもよくいらしたのだとか。マネジメントされているご婦人の話される、先代オーナーのこと。彼がどんなに素敵だったか、ダンディでおしゃれだったか、話題は尽きない。フランスやシャンソンを愛して、喫茶ではパリ祭を催されたのだとか。↓まるもからすぐ、そこにあるだけで素晴らしいレストランまるもの建物は当然古い。部屋もちいさい。温泉ではないけれど、檜の浴槽の湯は柔らかく香りがよい。一晩中利用できる。トイレは改装されていて清潔。浴衣、リネン、歯ブラシ一通り揃う。↑周り階段隅の小さなタブローは乙女部屋の窓からは女鳥羽川にかかる一ツ橋往来するたくさんの観光客がすぐそこに見える。夕暮れになると、それがぱたりと途絶える。できるだけ昔ながらの、家族経営の小さな宿が最近の好みである。松本ならまるも、と思わせてくれるのが朝ごはんだった。このボリュームは私には夕ご飯でもよろしい。魚はヤマメ。抜群に美味しいお漬物。お漬物がおいしい食堂を私は愛する。大きな宿では総じて感心しないのがお漬物だ。ただいま、という感覚で宿泊したい。一泊朝食付き1人、¥8800駐車代、¥1000
2025.05.12
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2025/05/11/日曜日/間も無くウエサク満月〈DATA〉出版社 講談社著者 吉川永青2021年6月23日 第1刷発行〈私的読書メーター〉〈タイトルから風土記の、作者なりの新しい視点の物語かなと期待し読む。結論から言えば、これは記紀に描かれた神武東征をベースにしたジュブナイルなラノベだった。記紀に触れたことのない、しかも年代を限れば楽しく読める?歴史は常に勝者によって記録されるという「汚れちまった」私の如きには今更感のみ募る。『日本書紀』ナガスネ彦、『古事記』富美ナガスネヒコがとんでもない悪人に描かれている点も気になる。彼を奉斎する神社の宮司の話を目にし、神武東征以来、氏子に大切にされた敗者への共感あれば大人も読める小説になるかも?〉【 この本の主たる登場人物とその設定 】❶主人公ヒコホホデミ日向の里長ウガヤフキアエズの四男で後の神武天皇「我が父は日の神が胤、母は海神が血筋」祖父の名をもらった。不思議な老人塩土シホツツの話を聞き、豊葦原を目指す決意をする。❷イツセホホデミ含む四兄弟の長兄イナヒ次兄ミケイリノ三兄❸ニニギ四兄弟の曾祖父、日向を開拓したという設定で、❹ニギハヤヒの弟としている。❺名草戸畔ナクサトベ女盗賊と描かれる。ホホデミの矢で死ぬ設定。❻長髄彦「ニギハヤヒ様の拓かれし里、豊葦原の使い、富美彦である。今の長、❼ウマシマデ様に最も近しき僕だ。」結局、ウマシマデによりその首級がホホデミにもたらされる。❽タカクラジ、実はウマシマデの兄、天香山アマノカグヤマ。初めからホホデミの側に付き、宝剣布都御霊フツノミタマをホホデミに捧げる。❾イクタマエ、カゴヤマの命を受けホホデミ一行を案内することになった風変わりな男。八咫烏と命名される。⑩磐余イワレ里長、磯城那岐シキナギことオトシキ。里長エシキはその兵によって首を落とされ、軍兵ごとホホデミに与する。三輪山は真金を作るタタラ工人の集まる所として神扱いされる、そこの主が事代主、その娘は五十鈴媛で、やがてホホデミの妻になる。これら設定だけで、私としてはえええ!なのだ。記紀では❶ヒコホホデミはウガヤフキアエズの父。物語最初で、主人公ホホデミは祖父の名をもらった、と明かされている。祖父と孫の同名は、ホホデミ=神武天皇が、127歳没の長寿トリックの種明かし?神話上の存在を戯作上の生きた人物に造形する為に、かな?小説の示す、天降りした天孫の子孫が日向で土地に根付き、開墾し、里を築いた設定に違和感を覚えるのは、日向三代の三代目、ウガヤフキアエズの名が示す、とりあえずここに宮を置く、的な名前。日向滞在は物部東征の兵糧確保や造船のための数年程度の滞在ではなかろうか。 三代は吉野ヶ里にこそあり。今春、高千穂を含む北九州を車で巡って感じたのが、佐賀平野の豊かさだ。北と南に海を置き、海幸山幸の豊かな、温泉のわく、災害の少ない土地柄。大陸から上陸した集団は先住の邑を打ち壊し、逐一領土を広げたろう。吉野ヶ里は環濠集落、即ち武装された、それまでにない集落だ。勢力を伸ばせば、北九州で大きな権威を持つ、先住部族の娘と婚姻関係を結び、その恩恵に預かった。出雲口伝では徐福は出雲王族や宗像三女神とも縁を結んで、その子孫がヤマト連合国の覇者となっていく過程を伝える。考古学の発見からも理解できるように、大陸から渡来した敗戦国の王族グループが吉野ヶ里で大きな集団となり、子孫たちが有明海から出航、兵を集めながら薩摩を経由して日向からいよいよ和国覇者を目指すストーリーは、私の腑に落ちるのだ。中国風の律令制が根付くまで、日本は母系社会であり、中国の男性優位社会とは異なる文化を育んだ。祭祀には女性の姫巫女、即ちヒミコが携わり、政治よりも神の道に人民は重きを置いてきた。その古い姿が戦後まで沖縄の久高島では残っていた。イザイホーの最後の日に、自分の奥さんである神女に合掌し、感謝の念を湛える夫の佇まいは胸を打つものがある。殿上から下々すべからく女性を尊ぶ姿こそ本来の日本ではなかったか。それがイザナキ、イザナミのキミのマツリゴトさて。アマテラスが葦原中国=ヤマトを実行支配するのは自分の孫のニニギであるぞ、と出雲に僕を遣わし大国主に迫った日本神話。これ、あまりではない?国土を葦原の瑞穂の国に成した大国主代々の貢献を労う言葉の一つもなく、よい国だから譲れと力で奪いに来る。そんな存在が神であろうか。ニニギの父のオシホミミは、しかもアマテラスではなく、ウケイによってスサノオが産んだ⁉︎もたらした男神であったのを、私の勾玉を齧って産んだのだから、アテクシの子よーと、私したアマテラス!母の情愛なく、ワタシだけがあることに戦慄する。お能の隅田川でもご覧じろう。と言いたい。神話から見えるアマテラスは、神でも女性でもない、ヨソから来訪した存在、しかも和国覇権に執着する姿が見える。孫らはアマ(海)からフネで来た。私はアマテラスはいなかったと考える。少なくとも記紀におけるアマテラスは。少なくとも物部が和国の主権を握るに都合の良いアマテラスは。いるとしたら久高島に最後まで残った神女である。数多の妻であり母である。大和姫が背負って流浪したのはそういう光なのだ。さて。記紀ではナガスネヒコはホホデミらが東征する前に河内にいた天孫ニギハヤヒに仕えた挙句、ニギハヤヒに殺害されたとある。小説ではその孫のウマシマデの比定しかし『先代旧事本紀』ではニギハヤヒはナガスネヒコの妹を娶とり、娘とタカクラジをなしたとあり、タカクラジがナガスネヒコ殺害を実行したとあるようだ。とすると、本書は『先代旧事本紀』の説も取りこんでいることが分かる。シホツツがホホデミに明かしたように、曽祖父ニニギの兄がヤマトに近い場所で豪族として存在していたのである。ではなぜ用意周到に武人や槍、矢羽、刀、兵糧などを用意して東征したのか。神族ではないのか。その考察においても、物部東征が百年を隔て2度あった説の出雲口伝はやはり腑に落ちるのである。
2025.05.11
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2025/05/09/金曜日/曇天4月からニット入門クラスの受講が始まった。私の技の見劣りが甚だしいことは承知の介ではあったが、師範資格を待つ方が殆どの西村クラスにあって、その自覚が沸点に達したのである。↑こういうブロッキングではなく、スチームアイロンを至近から当てるテクニックである。そんな訳で、受講以来の課題、宿題に大童な私3月に編み始めたラベリー掲載の、ヘレンさんお人形、その名はテオドラ?なんとか頑張って脚まで編み付ける。それにしても、何をどう間違えたか、胴体が長い!これじゃ胴長のプレッツェルだよ( ;∀;)指定の毛糸ではなく、針も号数を落としたのだが、何をどこで間違えたか⁉︎ところで脚への詰め物はカカトの小さい隙間から入れるので、オウジョウすること半端ではない。この糸はマンゴスチンで染めた残り糸。なので愛着がひとかたならぬし、人形ヒトカタを作ることになったのだが…とりあえず、ズロースをはかせ胴長を隠す、ここでしばらくストップ。詰め物は、残りのスクラップヤーン。ふにょふにょ。首だけは爪楊枝を入れて、ガクガクしないようにしてみた∑(゚Д゚)↑ヘレンさんのテオドラは見るからにしっかりスタッフされている。何か隠し技あり?これは手元で工夫が必要だね。顔と髪の部分の渡り糸もスタッフィングすると渡り糸が見えすぎてしまうし。糸の太さが肌と髪で異なるのもまずい選択だった。課題のパターン←スワッチのことかな?をお腹に当ててお休み中。早く何とかしてやりたい。ズロースで誤魔化したけれど、あまりの胴長?あー胴長は、虹の橋を渡った愛犬を思い出す(T-T)何となく、のっぽのサリーと名付けましたーヘレンさんはアイルランドの方だし、お人形からはサリーズ ガーデンという曲が聞こえそうだし季節は三月から五月へ秋までにできるかしらん。課題を毛布にして眠るサリー
2025.05.09
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2025/05/08/木曜日/朝夕少し冷えるGWの後半、唯一のお楽しみ!後は蚊に追われる庭仕事と課題の編み物Σ(-᷅_-᷄๑)にて切となる。↓日田、皿山の梅/202503おおおお( ;∀;)馬場あき子さんがファシリテートする山本東次郎さんと友枝昭世さんの舞台である。平均年齢90歳⁉︎のお三方の語り口は若々しいのに、何ともこなれて、年の功というものが滲む。人間も90くらい軽く超えてこないと、なかなか。↓東京京橋の桜/202503今まではすっくとお立ちになっての解説で、それがまあ自然体で美しかった馬場さんも、流石に今年からは床几をお遣い。50年近く勤められた朝日歌壇の選者も自ら幕引きされたという。かっこいいねえ。↓家の近所の桜/202504ところで「半蔀ハシトミは三番目だから…」という解説が聞こえてきましたが…本日の友枝昭世さん演目は「半蔀」ワキの修行僧は宝生欣哉↓神田川沿いの中野の桜/202504三番目とは何?えーえー、そんなことも知らずに見ております。↓飯田橋の桜/202504以下、能楽師 澤田 宏司さんのhp によると200曲前後ある能の演目数。 これらをシテの属性や、曲の特性で5種類に区分したものを「五番立」と言い、間に狂言を挟んで演じられる、という形式がある。↓鎌倉の桜/2025045種類の区分は「神、男、女、狂、鬼」能の番組を組む時にもこの順番に従う。①初番目(神)「脇能」。神様がシテ。例えば嵐山、右近、加茂、高砂(後のみ)、竹生島、鶴亀、養老など②二番目(男)「修羅物」とも言われ、武将がシテ。勝者がシテの「勝修羅」は箙、田村、八島の3番のみで、あとは敗者がシテの「負修羅」です。生田敦盛、箙、兼平、俊成忠度、忠度、田村(前のみ)、巴など。 というか、全て敗者モノとばかり理解していた!↓小田原の桜/202504③三番目(女)「鬘物」。女性がシテです。能楽の幽玄性を最も強く深く表現。たとえば葛城、胡蝶、半蔀。④四番目(狂)「雑能物」とも言われ、ドラマチックなストーリー展開の演目が多い。花月、須磨源氏、忠信、道成寺、百万、富士太鼓、放下僧、巻絹など⑤五番目(鬼)「切能物」。鬼や怨霊、天狗などがシテの、派手な動きが多い豪快な演目。春日龍神、黒塚、石橋、乱、是界、鵺、野守、船弁慶、紅葉狩、来殿など。 ↓菩提寺の桜/202504改めて五番立の流れの面白さ!神代の遠い昔からやって来て、男は敗れ女は儚くなりしを、激しい荒波のあとに鬼に怨霊、天狗など神々の眷属が幕引きをする。そんなドラマツルギーだったのか!↓高度1300米の桜/202504もっともたけなわ始めに演じられたのは狂言、二人袴息子への直向きな愛情あふれるお父役、山本東次郎の味わい絶品↓花も花ならではの二人袴、松本/202504今年の舞台も桜もなかなか。
2025.05.08
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2025/05/07/水曜日/夕方小雨〈DATA〉出版社 平凡社著者 瀧音能之 タキオトヨシユキ2018年6月15日 初版 第1刷平凡社新書883〈私的読書メーター〉〈痛勤電車で本書、遅々として読む。官命により国司が編纂した風土記にあって、異色は出雲国のものだ。奈良王朝役人ではなく、出雲国造広島と秋鹿郡の神宅臣金太理の作成であることが完成日と共に奥付!に記載あり。記紀と風土記は8世紀前半に成った。国史編纂の大事業の傍、地誌とも言える風土記も同時に作る必要が何故あったのか。編纂目的の内の山川原野地名由来及び古老の伝承を一網打尽とし記紀との矛盾点あらば風土記側を排除する、そんな謀略をツイ裏読みしたくなる王朝成立前の倭国動乱の歴史がある。歌垣について、誠に心に伝わる解釈あり。〉風土記が完全な形で残っているのは出雲国風土記だけ。もっとも出雲氏の私的な書物との見方も。記紀と風土記の描かれ方で異なる顔を見せているのがスサノオだ。記紀では荒ぶる神の一面をもつ、極端な分裂者のよう存在だ。今の時代ならまるでトランプ大統領?いやいや、それを遥かに凌駕するカオスとエネルギーを発するスサノオところが出雲風土記では、一人の女性、クシナダヒメを愛する円福者の如く描写され、ヤマタノオロチなぞは登場しない。まるで別人のようなスサノオこれは一体何を意味するか。併せて、大国主命の舅でありながら、同時にご先祖とも描かれる、この不思議な関係は何をどう整理すれば理解できるか。それに答えてくれる解釈は、学術研究者の書物からはおそらく難しい。スサノオに最も迫った考察といえば、私的には今のところ、富家伝承の出雲口伝が一等だ。日本の古代史から抜け落ちた徐福と出雲王国。そのことに光が当たれば、従来の日本史が全く新しいページを開くのではないかと期待が募る。
2025.05.07
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2025/05/06/火曜日/朝から雨、肌寒い4月もいつもの蕎麦屋、新宿と猿楽町にそれぞれ通う。収集2回蕎麦を頂き満足至極。粉は常陸秋蕎麦、新宿の店、甘味強い。珍しく、神保町の青邨に行った。ここは二八。せいろ700円。これにごまだれとウズラが付くのである!しかし、私はごまだれ、ウズラを毎回持て余す。ワサビは粉である、この値段である。お代わりに田舎も食べたが、断然せいろの蕎麦の方がよい。⬛️ 手打そば あるぷす 初訪問松本市 浅間温泉十割蕎麦の大盛りと普通もり、ナメコおろしそばがき 4090円少し待つ。駐車場はお店の裏側で足湯なんぞがあり、地域の手作り館コミュニティセンターも大変おいしい。私好み、ツユの出汁は枯れブシかなそばがきがびっくりのふっくらお値段それなり私たちの後、1組三人さんが食事していたが、お店を出ると、本日の蕎麦売り切れ!ひゃー、食べられてよかったΣ(゚д゚lll)蕎麦は奈川在来とか。⬛️ キートスカフェ 初訪問茅野市実はカフェ近接の丸平川魚店で鰻重ランチの予定が、当日分は全て予約完売。えー、平日なので油断してしまった(T ^ T)で、カフェでランチにした。日替わりメニューらしく、一品のみである。きっぱりキートスカフェと侮っていたら、びっくりの美味しさ、お蕎麦も鴨肉も! 1300円くらい。
2025.05.06
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2025/05/05/月曜日/風薫る端午の節句美しいものが美しい松本民芸館を市に寄贈した丸山太郎氏は、市内ちきりやのオーナーで、螺鈿細工の工芸家でもあった。↓繊細で細やかな手の人、だった。美しいものが美しい。という彼の直感に基づく収集。同時に目の人だった。柳宗悦はデザインのための紋様を排除した。組んでいく、編んでいく、刺していく運動の中に必然の紋様は生まれる。河井寛次郎の、両の手のひらのデザインに私はアザミの花を覚えた。一見子どもの落書きのような、伸びやかで、のどかでほのぼのとした姿それを認め慈しむこころ世界のどこにもある、生活する人が暮らしている場所ならば。そんな種々。民芸館の中でも特に感じ入ったのは松代焼の部屋↓飯鉢!これはいい。厚手の編みわら布団にくるまらせてみたい。↑鴨の姿の徳利。取手のくるりと丸まった愛嬌そばがき茶碗。どんな大名茶碗にも引けを取らぬ。そして最も心惹かれた逸品↓ひよこの水やり!なんと愛らしい!ひよこにさえ、水やりにさえ慈しむ心が容カタチになった。これを作った人、用いた人の暮らしぶりが見えるよう。おそらく丸山太郎さん↑右から二人目も地元の松代焼には特別に愛着のあったのではないだろうか。松本は何度も訪ねたくなる街
2025.05.05
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2025/05/04/日曜日/曇天、ときどき日差しGW前半、松本にて⬛️松本民芸館9:00〜17:00 / 大人 500円定休/火曜日、年末年始松本市に民芸館のあることは知っていたが、訪れる機会に恵まれなかった。というのも、もう1羽のツレ旅烏がさっぱり関心を示さないのである。しかし!日田の皿山で小鹿田焼を見て以来、どうやら民藝の風が吹いている?柳宗悦の名も耳ダコ?いやいや昨夏の、佐久は望月の平和と手仕事多津衛民芸館で展示品を眺めた(させた?)頃からその芽が生じたか。深謀遠慮、苦節…(T ^ T)↑先ず陶磁器の部屋。小鹿田焼よりも小石原焼の数が多い展示。民藝は個人の発意で収集保存され、その熱意が動かした周辺の人びとによって守られ、作り手に価値を与えてきた事実はとてつもなく尊い。小林秀雄は「文化とは何か。手仕事である、勤労である。家なら家が確かに一軒建つということである」というような一文を随筆に記していたが、民藝とはまさにそれだ。身近なもので工夫して生活を豊かにしてきた遠いご先祖様の足取りが見える細々としたもの。無名性。地産地消が寿ぐ、平和。親が子を思い、子が親を思いして絶えず手を動かし、暮しの中を温め潤してきた思いやり。愛情。天候不順や自然の脅威の下で敬虔に祈る姿。髪を櫛削る道具にさえ、美しい紋様、デザインを添えずにいられない、人という存在。タンザニアで台湾でアマゾンでインドネシアで。人は。まことに愛らしい。形態は機能に従うが、用の美をもぎりぎり超える。民藝を通してそんな感情が灯される。コレクションは6000点に及ぶ。展示されるのは700点ほど。↑館内見取り図これだけの構え収集を、一人の人、丸山太郎が成し遂げた。柳宗悦に多大な影響を受けて。
2025.05.04
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