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2025/12/1日/月曜日/新宿駅の中央線エスカレーター上下位置が変わっていた!出版社 新潮社著者 三島由紀夫豊穣の海・第四巻新調文庫昭和五十二年十一月三十日 発行平成十五年四月二十五日 三十六刷改版令和元年十一月十日 五十七刷〈私的読書メーター〉〈一つの霊を四人が分け持つ〉ような著者記述を何かで読んだ。その由来は仏教か神道か。古代の超越的に優れた魂が後世の何人かに薄まり宿り、末世には原型を留めぬまで人間の堕落するイメージは、しかし若い頃から直感的に私も覚える。「世界が崩壊に向かってゆくと信ずることは簡単であり、本多が二十歳ならそれを信じもしたろう」に続く三島の人生訓。この4部作は輪廻転生に被せた霊の分割。脇腹の昴三つ星黒子に一つ余りのフェイク、その名も透。例によって三島好み美形男女登壇最期に醜い娘の花冠しおしおと生き延びたるオフィーリアと透の嬰児〉1部で、聡子と清顕の子は堕胎された。身分に上下があり、表札に「平民」なんぞと表記された時代に、やんごとなき宮家につながる血筋の美貌の聡子かたや明治開闢に武勇の功を為した薩摩藩士の孫、不吉なまでに美しい清顕との未生の命港湾の管制塔で働く、中卒孤児の透は本多の養子となり、過剰な教育も容易く受け入れ、やがて着々と自らの領分を増加させてゆく。本多が世間的にも凋落甚だしい中、透の思い通りに向かう豊かな暮らし。そんなときに養子に貰われた理由を知った透は服毒自殺を図るも、盲目となり、生きながらえてしまう。既に呼び寄せていた狂女絹江ははやがて二人の子を宿す。おそらく子は生まれるだろう。それは三島のいう幻の5部作「幸魂」となったのか。二十歳前に死ねなかった透はフェイクであった。という四部作目の主題兵役を免れるため姑息な策を弄した父息子の、その息子、三島由紀夫の今生をフェイク扱いし、浮かばれる来世、もしくは自身の哲学の、その念の中心にある日本的霊性を奉り割腹する。というような感慨をどうしても抱いてしまう。凡人からは狂気じみた思想に奔走した、ように見えてしまう。彼のいう「天皇陛下万歳」が、さっぱり理解できない。『豊饒の海』を読み終えてもなお。「ベナレスでは神聖が汚穢だった。また汚穢が神聖だった。それこそは印度だった。しかし日本では、神聖、美、伝説、詩、それらのものは汚れた敬虔な手で汚されるのではなかった。これらを思う存分汚し、果ては締め殺してしまう人々は、全然敬虔さを欠いた、しかし石鹸でよく洗った、小ぎれいな手をしていたのである。」痛切だ。四部作の60年の年月を生き、その目で観察し記録し、思考した本多は、小ぎれいな手の人物として存在している。その本多にとって「世界がなかなか崩壊しないということこそ、その表面をスケーターのように滑走して生きては死んでゆく人間にとっては、ゆるがせにできない問題だった。氷が割れるとわかっていたら、誰が滑るだろう。また絶対に割れないとわかっていたら、人が失墜することのたのしみは失われるだろう。問題は自分が滑っているあいだ、割れるか割れないかというだけのことであり、本多の滑走時間はすでに限られていた。」のだ。何という乾いた利己的な自己完結的官僚、法の番人の姿の活写であろう。社会人としてスタートした官庁役人暮らしにあって、三島由紀夫は実はまともな精神の持ち主だったのかもしれない。
2025.12.01
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