あむ日よむ日あくる日

あむ日よむ日あくる日

PR

×

プロフィール

天然風

天然風

カレンダー

コメント新着

こ30622306 @ Re:長岡式酵素玄米(12/24) こんにちは、ごはんと健康の関係調べてい…
「アマテラスの暗号」(泣かないでアマテラス)@ Re:『アマテラスの誕生』(02/08)  ≪…アマテラス…≫と[ヒフミヨ]の[シン…
背番号のないエースG @ Re:福田村事件  今回こちらのタイトルです。 もしよろしか…
天然風 @ Re[1]:道に拾う(07/17) りぃー子さんへ なかなかスムーズにお返…
天然風 @ Re[1]:トライアングルモチーフバッグ完成(07/19) りぃー子さんへ お返事に気づかずすみま…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2023.09.21
XML
テーマ: 読書(10141)
カテゴリ: 本日読了


2023/09/21/木曜日/急な雨





〈DATA〉 平凡社
著者  簾内敬司

2004年3月10日  初版第一刷発行


〈私的読書メーター〉 山形の詩人の「冬の鹿」に触発されるように、消えた鹿やオオカミを求め、みちのく風土歴史ナラティブの体で始まる。信濃まで越境するのは偶々のご縁であるのが氏らしく慎ましい。考察は日本海対岸へ拡大し、ナナイ族デルスウのつぶやき「これからどうして生きていくか」。氏はそれを命ある生き物全体の問いかけと受取り、自分の場所みちのくから具に検証し、花岡事件中国人蜂起、南部藩百姓の国捨て一揆、戦争敗戦の記憶、千三の墓碑へ、細部へ環流する。忘却が絶滅を招くならそれにあがらう。「記憶・責任・未来」の碑文を刻んだ塔こそ本書だろう。〉



簾内敬司さんの小説も三章で構成されているが、
随筆に分類される本書も三部のつくり。


序、破、急 の氏の呼気でもあろうか。


1 . 絶滅と記憶


著者は眠れない夜久しぶりに、 眞壁仁 の詩集『冬の鹿』に手を伸ばす。

眠れぬ夜には郷土の先達の晩年の歌を紐解くのである。そんな著者の暮らしぶりなのである。

そして詩人の初期の作品 『青猪の歌』 を想起する。
あお  と  しし  について。

マタギ の言葉、或いは 菅江真澄 の記録ばかりか、1952年に山形県下の中学生女子の作文 「村の風土記」 までも丁寧に、自在に行き交う。

そして論考は、常陸の国の 鹿島神宮大明神 春日大社 渡りへ、みちのく東北の神社で奉納される 鹿踊り の月と篝火の薄明へ。

さらに 日本書紀 に記述された古い地名の  肉入籠(シシリコ) を襲う 阿倍比羅夫 へと時空のあわいが溶けて、東北の深い森へ何層のベールの姿が重なる。


シシ は息の長い言葉であった、シシは肉を、すなわち鹿を猪を羚を指す狩猟採集の、みちのく民衆の食生活の基盤を象る言葉だ、と氏は言いつつ  レヴィ=ストロース を案内する。


集団就職の風景が見られなくなった時代、山仕事で声を聞きながら姿の見えない鹿、明治には絶滅したとされるニホンオオカミ、トキへと揺れながら、やはり鹿へと焦点を戻させるのが 『秋田マタギ聞書』


2.  人間のくに、神の山


沿海州/夕陽海岸
藤田省三
アルセニーエフ『デルスウ・ウザーラ』
日露戦争とデルスウの時代の北満州から東シベリア

「デルスウはゴリド人やウデヘ人ばかりの子ども時代を思い出す。ところがそこへ中国人が現れ、やがてロシア人がやって来て生活は年毎にむずかしくなり、その後朝鮮人がきた。森の火事がよく起きてクロテンは遠ざかり、他の野獣も少なくなった。そして今は海岸に日本人までやってきた。」
「どうしてこれから生きていくか」

著者は狩猟民デルスウの嘆息の背景に、テントを張ったナイナ河口の夜の景観を思い描き、 「水晶の夜」 に重ね思う。その後にやってくる 「夜と霧」 の時代を。

みちのく南部藩の凶作と大飢饉は、オホーツク海からの寒気がヤマセとなって引き起こした。

重い年貢に苦しむ飢えた農民が集団で国を捨てる 逃散。 人間ばかりではない。かつて大口の真神と敬われたオオカミたちも広がる耕作地に追いやられるようになり、群れは離散して自らのテリトリーを捨て逃げ去る。そうして遠野郷からオオカミも逃散した。生き延びるために。

三閉伊一揆 「幸ひ思ひ 出立申すべし」
『三閉伊百姓愁惣記』
柳田國男 『狼史雑話』
ハンナ・アーレント


3.  獅子ケ森に降る雨


逃散したのは同国人や生き物だけではなかった。

のあらまし

あと1ヶ月余りで敗戦の日本がGHQに命じられ解散させられた直前。非道に思い余って労働収容所から逃走した事件。

一個のおにぎりを飢えた中国人にあげた女性。結局その中国人はなぶり殺されてしまう。

ここで、著者はフランクルの 『夜と霧』 の重要な一文へ読書を連れてゆく。

「私を当時文字どおり涙が出るほど感動させたものは物質的なものとしてのこの一片のパンではなく、彼が私に与えた人間的なあるものであり、それに伴う人間的な言葉、人間的なまなざしであった」


『秋田県警察史』

蜂起の翌日にはあらかたの中国人は、鹿島組、鉱山関係者、警察、自警団、憲兵隊、住民によって山狩された。

彼らは炎天下、三日間水も与えられず広場に座らされた。息耐える者が続出したが、彼らは犬や猫に食われるままに放置されたという。

この残忍性はどうだろうか。
これは私の血にも同様に流れる日本のものなのかと自問するだに恐ろしい。

戦後55年目の夏、著者はその現場である 大館市立花岡体育館 を訪れ、小さな碑が雨に濡れるのを見る。
この雨がせめて一日でもあの時降ってくれれば、と詮無かことを思うのだ。

そして敗戦後のドイツと日本の行動の差を考える。
「記憶・責任・未来」 を考える力を。


文末で著者は 高橋セキ、千三母子の墓 に触れている。

母子は文字どおり母ひとり子ひとり。藁葺きの薪小屋に住んで日雇仕事という貧乏のどん底で千三を手塩にかけて育てた。

千三は小学校を卒業すると働きに出る。心優しい親孝行息子で、休みが取れらば必ずセキの元に帰り安心させた。

文字の読めないセキが次はいつ帰る?を口癖に指折りしては息子の帰りを心待ちにしたのだ。

千三に赤紙が届く。その時校長に話したセキの言葉が残っている。 『石ころに語る母たち』

「これまで、千三をオレの子どもだ、と思っていたが、間違いだったス。兵隊にやりたくねえど思っても、天皇陛下の命令だればしかだねエス。生まれた時から、オレの子どもでながったのス」

千三はニューギニアで命果て、敗戦の数日前に白木の箱の小さな骨一つになってセキの元に帰った。

天皇の赤子と連れて行かれた子は、小さな骨に成り果て今、母の元に帰って来た。著者のいう 換骨奪胎 とはまさにこのことだ。

杖とも柱とも頼るもっともよき人千三を亡くして、セキは千三の墓を建てようと決心する。

朝4時に起き日雇いで得た30円から爪の先に火を灯すように貯金をし、10年後道路に向けては南無阿弥陀とだけ彫った墓石を建てた。

「牛や犬の死んだようにしたくねえと思って、長い間に少しずつためたお金で墓石つくってやったス。オレ死ねば、戦死した千三を思い出してくれる人もなく、忘れられでしまうべと思って、人通りの多い道ばたさ建てたス。その道を通った人たち墓石見で、戦死した息子の千三を思い出してけるべエ。お念仏をとなえてくれる人もあるべし、知らねえ人でも、戦死者の墓だと思えば、戦争を思い出すべななス」


簾内敬司さんは、自分の住む土地の一人の戦没者とその母の人生をきちんと語り、この本を終えている。



映画福田村事件で生き残った男の子が、亡くなった者一人一人の名前を声に出してしっかり警官に聞かせる。

故人は抽象的な数字ではない。具体的な生きた一人ひとり異なる大切な人なのだと訴えるように。そのシーンは本作の言わんとする終わりに重なる。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.09.21 16:09:57
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: