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これがまあ気持ちの良いこと。潮風と林に囲まれて丁度良い湯加減に足を浸せば、なんと!我が敬愛の
菅江真澄
候もこの地に親しみをお持ちだったのだ。
菅江 真澄 1754 -1829
秋田県立博物館所蔵
本名は白井英二。三河に生まれ、本草と国学を学ぶが、
30
の歳に旅発ち、北海道へ渡ったあと、南部・津軽・
秋田と歩く。地誌を編む旅の途上、角館で病歿。
享年、
76
歳。人生の過半を旅に過ごし、その旅を日記に綴った。その土地の風土・慣習を、その土地の人びとの見方に沿って書き留め、のちに柳田國男に「民俗学の祖(おや)」と評された。寛政
4
年
10
月(
1792
年)に奥戸湊(大間町)に上陸したのち、寛政
7
年
3
月(
1795
年)に津軽へ旅立つまでの
2
年半を下北で過ごし、『牧の
冬枯れ」・『蝦夷が歳」(未発見)・「奥の浦々』・『牧の朝露』。
『尾駮の牧』・『奥の冬籠』・『千引の石』(未発見)・『牧の夏草」(未発見)・『奥の手風俗」を書いた。
さて、幻の大間鉄道とは
大正11年(1922)公布の改正鉄道敷設法で大湊線(野辺地駅までの50km)の途中駅である下北駅から本州最北の大間町まで(49.7km)としてあげられたのが大間鉄道の始まりとなった。
第1期工事分の大畑線(下北から大畑までの18km。)が昭和⬜︎大田線として開業し、引き続き大間までの工事が続けられ当初、下北半島の林産資源や水産資源の開発。又、本州と北海最短路線として期待された鉄道であったが、太平洋戦争に突入し、太選の事事施設の為の重要路線として完成が急がれる事となった。
⬜︎・本間間29kmのうち⬜︎までの16kmの基礎工事が完成した⬜︎
948)2月突として工事が中止となり、数十年の間放置され
現在に至っている。
この足湯に10分弱ほど浸かって足をタオルで拭うと、ポロポロと垢のようにヒフ?がとれる。昨晩温泉でよく洗ったのに。軽石効果?
↑ 坂口恭平
さて、八戸のレンタカーに車を返し、やまびこで新青森へ。そこから 弘南バス
で 五所川原
へ、そして 津軽鉄道
で 金木
へ。
しかし!恐ろしい真実を宿の女将さんから聞く。
どうして八戸?下北駅の方が近くてはるかに便利なのに?どうしても新幹線を利用したいのなら、七戸駅ならまだ理解できるのだけど…
事前の計画の杜撰さよ!
下北駅にも当然レンタカー社は存在するのだった!
下北半島から津軽半島へ移動のレンタカー利用の場合、下北駅経由がベストである。
因みに恐山も下風呂温泉もバス便がある。事を後に知った。
この教訓を得て私たちは、来る時に遭遇した事故渋滞が起きないように、スムーズなガソリン補填ができるように、心から祈った。
万事悪く承知するクセのツレは予防線を張るように、まぁ津軽は次でもいいや。最悪、弘前で泊まって民謡酒場、ともそもそ言うのである。はあ?
弱気を叱咤激励、ベストな行路、ベストなガソリンスタンドを何とか見出し、そして奇跡のようにやまびこに乗り込んだのであった( ;∀;)
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