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モネの池(名もなき池)を後にして向かったのは高賀神社の御神水が湧き出ている場所。(ここから山道を400m進まないと高賀神社はありません)大きな口を開けた龍の彫刻がありました。横から見るとこんな感じです。先日テレビで紹介していた御神水が湧き出ていたので一口だけ飲んできました。皆さんこの御神水をポリ容器に入れて持ち帰ります。私達が着いた頃はまだこんな感じでしたが、あれよあれよという間に車が次から次へとやって来てたくさんのポリ容器に御神水を入れて帰られました。ここはそれほど有名な場所らしいです。私達は先へ進んで高賀神社を参拝しました。この山麓一帯には昔から妖怪が住み着いたらしいです。神壇を作った後も牛や猿、虎、蛇などの形をした妖怪がたびたび出現したようです。それを退治したのが藤原高光で案内したのが鰻だったそうで、今でも鰻は殺さないでここに生息する鰻は天然記念物に指定されています。高賀山麓一帯の農耕に大切な水や雨を司る神の山に祀ってあるのが高賀神社です。これが藤原高光が妖怪を退治している像です。頭は猿、胴体は虎、尻尾は蛇の妖怪がわかりますでしょうか。藤原高光と猿虎蛇の由来読みにくいかもしれませんが、なかなか興味深い内容でした。この後もう1カ所訪れました。(続く)
September 18, 2019
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昨日の続きです。大勢の見物人の隙間からモネの池で泳ぐ鯉を写しました。たくさんの鯉が泳いでいましたが、ハートマークの鯉はわかりませんでした。睡蓮の上で素早く飛び回る赤トンボ道端ではコスモスが咲きススキが群生していました。板取川の河原ではテントを張ってキャンプをしたり川遊びをする家族連れで賑わっていました。旧板取(いたどり)村の汚水管マンホールの蓋です。(現在は関市板取)さてモネの池を見た後、どこへ向かったでしょうか?(続く)
September 16, 2019
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早朝に相方の運転でモネの池を目指しました。カーナビにモネの池とか住所を何回入れても表示しないので、仕方なくまあ何とかなるでしょと板取川に沿って洞戸の方へ向かいました。途中で「モネの池」まで12キロとの表示がありこの道で間違いないと進みました。午前9時半頃に到着しましたが、既にそこは観光客で一杯でした。中国や東南アジアの言葉が飛び交い、観光バスや旅館のバスからもアジアの若者が大勢降りてきました。駐車場には千葉や京都だけでなくなにわナンバー、三河、奈良など遠方からの車が多く1時間半ぐらいで遠いなぁと思った私は大間違いだったと気づきました。そこは通りから外れた鎮守の森の神社にありました。見終わって帰るご夫婦に感想を聞くと「地味な印象を持ちました。」と笑って答えられました。この池は自然の湧き水でできた池で最初は名もなき池でしたが、地域の皆さんが周りの環境をよくして睡蓮を植えました。すると訪れた人がクロード・モネの(睡蓮の)名画にあまりにもよく似ていて美しすぎるとSNSでつぶやいたのが拡散して、今では「モネの池」と呼ばれるようになって大勢の見物人が絶えない池になりました。根道神社の鳥居をくぐると右手にその池はありました。早朝だというのにもうこんなに大勢の人が見物していました。それ以降、人数はどんどん増えるばかりでした。人垣の隙間に滑り込んで撮ってきました。これがモネの池で泳ぐ鯉です。もう少し近づいて写してみましたので明日載せますね。(続く)
September 15, 2019
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金華山の山頂から素晴らしい眺望も楽しめたことだし、それではロープウェイで下りることにしましょう。ここは千畳敷下という所ですね。千畳敷という名前を見るのはこれで二度目です。(2014年8月31日駒ヶ岳でロープウェイに乗って標高2,612mにある日本で一番高い駅に行きました。そこで氷河期に形成された千畳敷カールを見てきた事を思い出したんです)岐阜公園では俳句を募集してました。ピンクの花は百日紅の花です。山之内一豊の妻は長良川とも関係が深いようです。岐阜公園は緑が多く、市民の憩いの場であることがよくわかります。山歩きの後は茶店で一服季節は夏から秋に移り変わる頃ですが、菜飯のおにぎりと木の芽田楽を頂きました。もちろん運転手はサイダーです。乾いたのどを潤し一息ついたのでした。その後、田舎道をぐるりと遠回りしてドライブを楽しみながら帰ってきたのでした。(終)
September 12, 2019
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さて、岐阜城の続きに戻ります。金華山の山頂に御嶽神社が祀ってありました。これから岐阜城を後にして山を下っていきましょう。岐阜城史料館です。織田信長が入城後に造られたとされる強固な石垣です。山上までこれらの石を運ぶのは大変だった事でしょう。歴史が感じられる場所でした。行きも帰りも険しい山道です。にのまる橋を渡り中には福閻魔大王が祀ってあります。太鼓櫓跡(レストラン近くの展望台からの眺めです)こちらは長良川そして向こうの方に見えるのは木曽川で伊勢湾に注いでいます。南の方には濃尾平野が広がっています。この高台から初めて360度見渡せました。なるほどここからだったら四方に見通しがきくので敵の攻撃が一目でわかりますものね。かつてここで織田信長も天下を見渡したことでしょう。(続く)
September 11, 2019
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台風15号は被害をもたらしながら関東を通過していきました。進路の方々に心からお見舞い申し上げます。さて、昨日の続きです。少し前後しますが、足場の悪い山道を歩いていると突然掲示板に大きい綺麗な絵手紙と絵が現れ、ほっと心が和みました。二の門です。お城ももうすぐですね。しかしこういうのを見つけると私はコースから外れて降りて見にいきたくなります。ネットが張ってありましたが、井戸だったことがわかりました。ツツジ科の「しゃしゃんぼ」という木越しに岐阜城が見えました。この石段を上がればいよいよ岐阜城に到着です。岐阜城はかつて稲葉山城でした。金華山頂に砦を築いたのは鎌倉時代と伝えられています。戦国時代は斎藤道三の居城でした。1567年織田信長がこの城を攻略しこの地方一帯を平定し、岐阜と改称し天下統一の足場としました。城下町には楽市楽座を設けましたが、1576年岐阜城を長男に譲り信長は安土城へ移りました。そして1582年本能寺の変で倒れました。1600年関ヶ原の前哨戦で、信長の孫は激戦の末に落城し、翌年岐阜城は廃城となりました。現在の城は昭和31年再建復興されたものです。(岐阜城リーフレットより抜粋)日曜日とあって大勢の観光客が訪れ天守からの眺望を楽しんでいました。岐阜城は標高329mの高さにあります。眼下には長良川が流れ岐阜市内が一望できます。東には恵那山、木曽御嶽が、北には乗鞍、日本アルプスが連なっています。また西には伊吹、養老、鈴鹿山系が連なっています。4階望楼の間からはかつて信長が天下を見晴らしていたであろう壮大な眺望が楽しめました。3階には信長公の間があり織田信長公を中心に紹介してあります。2階は城主の間で歴代城主の紹介がしてあります。1階は武具の間で刀剣類などの武具が展示されていました。岐阜城のすぐ東には岐阜城史料館もあります。昭和50年4月に昔の武器庫、食糧庫を隅櫓城郭造りに復元してあります。信長の野望が燃えたであろう岐阜城でしばしの間、「つわものどもが夢の跡」を眺めながら感慨深くその時代に思いをはせたのでした。(続く)
September 9, 2019
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静かな家の中で読書三昧も良いけれど、台風15号の直撃も免れそうなので少しドライブをしようと言うことになりました。私が岐阜県に嫁いで40数年になりますが、遠くから見ることはあっても近くまで行った事がない岐阜城を近くで見たいなと思い相方の運転で出かけてきました。途中犬山城が見えましたが、現在修復中でした。混雑する国道を避けしばらく裏道を走り岐阜に到着。岐阜城は金華山の頂上にありますのでロープウェイで登りました。(ロープウェイのチケットから拝借)朱色の三重塔を左に見て出発です。たった3分で頂上に到着、これから岐阜城を目指します。足元は悪かったです。松風橋を渡るとやっと岐阜城が見えてきました。まだまだ階段を登らないといけません。しかし足元はこんな風です。気を付けて歩かないと山から転げ落ちてしまいそうです。(続く)
September 8, 2019
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最後は高山の古い街並みを約1時間散策しました。5月にイタリアの友人と2泊3日で訪れたばかり。先ずはガイドさんに教えてもらったパン屋さんへ直行。陣屋のすぐそばにありました。お店でそのガイドさんとバッタリ。顔を見合わせ大笑いしました。醤油味の団子も美味しいですよね。青雲と書かれた山岡鉄舟の青年期の銅像がありました。江戸末期に活躍した山岡鉄舟は少年期を高山で過ごしました。飛騨和牛焼肉店の屋根にはこんな人形があり、お店の外観から受ける印象とはだいぶ違うように感じました。日枝神社前の広場には百日紅の木を背にこんな像もありました。人力車の車夫さんは暇そう。その後、上三之町を散策しました。軒先にはまだ朝顔が咲いてました。布製の干支が並んでいました。表に杉玉が飾られた酒蔵が並びます。この日も試飲する人が結構いました。てっきり「だし」と読むと思いましたが、こちらは「やましゃ」と読みます。藤の季節になると綺麗なお店鶏頭が色鮮やかでした。趣がありますよね。この日の高山は28℃でしたが、冷たい食べ物が人気でした。行きは国道を、帰りは中部縦貫自動車道から東海北陸道をスイスイ走って帰りました。(終り)
August 31, 2019
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厳立峡の続きです。雄大な大自然の前では自分がいかに小さい存在かがよくわかります。マイナスイオンはどうして計測するんでしょうね。三ツ滝コースは周遊するのに3時間かかります。三ツ滝の他にもからたに滝、あかがねとよ等の滝があります。(頂いたリーフレットから拝借)他にも材木滝コース(往復2時間)や仙人滝コース(往復2時間)があります。体力に自信がある人、時間に余裕のある人にお勧めのコースです。但し11月から3月までは雪のため立ち入ることはできません。さて、私達は行者橋で引き返しました。山を下って来ると流れも次第に緩やかになってきました。シダやタマアジサイが山肌に生育していました。(コアジサイではなく玉紫陽花です)しっかり運動ができたので午後1時頃の昼食が待ち遠しかったです。まつりの森で昼食です。肉につけて食べるほうば味噌がおいしかったです。飛騨桃食べ放題は期待外れでした。一人2個食べるのがやっとで一番先に引き上げてまつりの森で買い物をしました。(続く)
August 30, 2019
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日帰りバス旅、今回は小坂(おさか)の厳立峡(がんだてきょう)と高山へ行ってきました。先ず厳立峡から紹介したいと思います。今からおよそ54000年前に御嶽山が大噴火して溶岩が流れ出しました。垂直に流れ出た溶岩が冷えて固まり割れ目が入ったことにより「柱状節理」ができたとされます。(名古屋大学で調査の結果)東尋坊などと同じだそうです。辺りには女郎花(おみなえし)が群生して秋の気配が漂っていました。ではこれから小坂の滝を巡りましょう。赤い橋は滝見橋。滝見遊歩道を歩いていくと滝見橋を渡るまでは良かったんですが、ここから鉄製の階段が始まります。(左側に見えますか?)雨が上がったばかりで水量が多く川のゴーゴーと激しい音を聞きながらこれから鉄製階段を100段上がっていきます。ガイドさんが「自信のない方は途中で引き返してください。」と言われたので多分登ったのは10名弱でした。相方が途中で引き返したので私はヒーヒーあえぎながら登ってきました。鉄製の階段は滑りやすく、しかも濡れた木の葉がたくさん落ちていました。滑って滝つぼに落ちないように細心の注意を払いながら歩きました。しかも急階段をのぼりながら写真も撮りました。三ツ滝が右手に見えます。上の方から三ツ滝を眺めます。迫力ある水音を伝えられないのが残念です。全ての滝を巡ってくると3時間ほどかかるそうです。私達は時間がないので行者橋から引き返しました。それでも30分はかかりました。(続く)
August 29, 2019
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碧南海浜水族館見学の後は西尾市まで戻って三河工芸ガラス美術館を訪れました。白壁の門の欄間です。大きなお屋敷の奥の方へ進むとその建物はありました。入口でこれから先はカメラは使えません、スマホのみ撮影ができますと言われました。ここは2002年版ギネスブックに掲載された巨大万華鏡「スフィア」が有名です。当時は世界最大でした。(2、3人の)小グループごとに入るので「今日は30分から40分待ちだそうですからまず最初にスフィアに並んでください。以前は1時間待ちだったので見ずに帰りましたから。」とガイドさんに言われました。列に並んで30分ほど待ったでしょうか。いよいよ私たち2名の番になりました。これでは近すぎてあまり万華鏡の良さが伝わりませんね。スフィア(球・天体)と名付けられた万華鏡は生命の起源から宇宙起源のビッグバンまでをたどる壮大なストーリーが展開されます。映像と音響効果の相乗効果で臨場感があり、まるで宇宙空間に漂っているかのような感覚に包まれます。私達の前の組のカップルの姿を後ろから写させてもらいました。数分間万華鏡の世界を堪能できました。2階に上がるとまた別の世界が広がっていました。スーパーステンドグラスや彫刻鏡の部屋では日本の四季折々の草木が描かれていました。窓は上手く陽の光を取り込んでステンドグラスが映えてました。これでミステリーツアーの最終行程も終わり一行は帰路に就いたのでした。(終)
August 22, 2019
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碧南海浜水族館の続きです。建物の外にはビオトープエリアがあり池や田んぼ小川が作ってありました。大きな池にはカワバタモロコやシモツゴが生息しています。自然繁殖するといいですね。あぜにはガマの穂が生えていました。日本の原風景の田んぼではお米作りに挑戦しています。猛暑の中、青空に向かってすっくと立つ向日葵に元気をもらえました。涼しい水族館から出ると外は猛烈な暑さでした。ミストもあまり効果がないようです。臨海公園を歩いているのは私とほんの数人だけ。ボヘミアン2号が展示されていました。このヨットで単独世界一周を果たしたとか。臨海公園の周囲を囲むように夾竹桃が植えられています。バスの集合時間まで時間が十分あったのでとても屋外では待っておれません。(バスは待ち時間にエアコンを切っていますので)もう一度水族館の建物に入りミントチョコ味のソフトクリームを食べました。この日は外は40度近いのではないかと思われるほど炎暑でした。いよいよ最後の目的地に向かいます。(つづく)
August 21, 2019
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岡崎の八丁味噌で有名なカクキューで昼食と味噌蔵見学をした後は碧南市にある七福醸造株式会社のありがとうの里、碧南本社工場を訪れました。白醤油と白だしを作っています。昔の道具も展示されていました。昔は木樽で仕込んでいましたが、今では直径3m20㎝、高さ6m73cmの大きな深層発酵タンクで仕込みます。工場見学をしました。(その様子は七福醸造株式会社のリーフレットでご覧ください)この工場で仕事に携わる従業員さんは納豆だけは食べてはいけないそうです。納豆菌が混入するのを恐れるからだそうです。見学後、白だしを使った試食と試飲をして色々宅配便で頼んできました。次に向かったのは碧南海浜水族館です。飲食物の持ち込み禁止でしたが、撮影はOKでした。大水槽にはたくさんの魚が悠々と泳いでいました。餌の時間になると魚の動きが活発になり凄まじかったです。円柱水槽にもたくさんの生き物がいました。マアナゴが壷の中にいっぱいオニダルマオコゼとかエビ、カニ、クラゲなど骨のない生き物たちもサメも悠々と泳いでいました。ウツボは狭い所が大好き怖いウツボも普段は岩場でじっとしています。サンゴ礁の海にはカラフルな魚、形の面白い魚などがいっぱい顔の部分がブルーで個性豊か夏休みとあって大勢の子供さんが家族連れで訪れ、夏休みの自由研究などに役立てようと熱心に見学する姿がありました。ちなみに2階には科学館エリアがあってクイズラリー、油ケ淵と水、干潟の生き物、碧南市開発の歴史、情報コーナー、創作室や研修室が併設されてました。(つづく)
August 20, 2019
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昨日は行き先がわからないミステリーバスツアーに参加して来ました。どこへ行くのかはお楽しみ♪ですね。バスは思っていた方向とは逆方向へ進み、(てっきり南信州方面だと思っていたので)豊田東ICで下道へ降りました。最初に着いたのは駒立のブドウ園入口にはマスカットがたくさんぶら下がってましたが、私達が案内されたのはこちらぶどう狩り30分間食べ放題とはデラウェアの食べ放題でした。日曜日とあって大勢のお客さんが訪れて葡萄棚の下でデラウェアを頬張ってました。相方はあまり食べずに早々に退散し売店へ。私もスパークリングワインを買ってきました。次は以前も(2014年7月28日のブログに掲載)日帰りバス旅で訪れたことがある岡崎八丁味噌で有名なカクキュウへ。ここでちょっと早い昼食です。冷やし豆乳味噌担々うどん御膳でした。氷水で薄めてもちょっと辛いので相方は刺激物を避けてご飯だけ食べました。(以前は担々麺もよく食べていたんですけどね)食後は味噌蔵の見学に。1つの樽の中に味噌が6トン入っています。重しの石は3トンあるそうです。職人さんが積んだ石は地震が来ても崩れないように積んであるそうです。その後、味噌汁を賞味。味噌汁も蒟蒻味噌も美味しかったです。その後、売店で買い物をしました。5年前に買った黒ビールのような味わいを楽しみにしていた八丁味噌ビールはもう生産、販売されていませんでした。残念!(後で他のメーカーさんのをネット注文しました。)(つづく)
August 19, 2019
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昨日午後7時過ぎに相方を最寄の駅まで迎えに行き無事に帰宅しました。北海道で撮ってきた写真を紹介します。空港からレンタカーで1時間半かかってホテルに到着しました。ホテルは1日100組ぐらいの家族連れで賑わっていたそうです。タワーの方は中国人観光客が多かったそうです。お土産物の種類が多く値段も高め。それでもどんどん売れて行ったようです。ソフトクリーム1個が500円もしたので目が点になったそうです。毎日午後8時半からは花火を愉しめたそうです。水の教会・夜の風景です。1日朝と夜の2回1時間だけしか中に入ることはできません。午後8時半から9時半の1時間みんなで出かけて行ったそうです。こちらは朝の光景です。午前6時半から7時半だけなので相方が一人で行ってきました。水の教会の外観です。木で作った北海道の小動物たちがホテルとホテルを結ぶ通路のそばに置いてありました。通路が見えますでしょうか。このホテルは通路が長くて面白いですね。全員集合です。ママの学生時代の親友家族とジージの8名で北海道の大自然を満喫してきたのでした。
August 11, 2019
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昼食を終えてからバスの出発までにまだかなりの時間がありました。以前は次々と観光バスが立ち寄って水引の行程作業を見せてもらった会館ですが、最近は2階の昼食会場に重点が置かれ1階の水引の展示場は閑古鳥でした。時の流れを痛感しました。写真(撮影可)を写していたのは私だけ。以前も掲載したことがありますが、水引でできた作品をご覧ください。[風神 雷神」も面白いでしょ。水引はこういう所にも使われています。力士の髷を結う時に使います。こちらも時の流れを感じました。こちらの畳は金の水引でできています。ご自由にお座りくださいと書いてありました。水引と言えば祝儀袋や結納を交わす際の品を思い出しますね。実際、現在の皇后様の納采の儀が小和田家で執り行われた時の写真パネルも飾ってありました。竜宮城はこんな感じでしょうか。駐車場には横浜の中学校の修学旅行で農業体験をしている生徒さんたちを乗せる大型バスがたくさん待機していました。最近都会の修学旅行に観光地を回るのではなく農業体験を取り入れる学校が増えてきているようです。すべてのバスが発車して行ったので残ったのは私達のバス1台だけになりました。私達14名が早め早めに集合したので予定よりも1時間も早く自宅に戻れたのでした。全員が頂いた水引でできた箸置きです。これで南信州のバス旅を終わります。(終)
July 24, 2019
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今回のバス旅はお買い物ツアーという感じでした。南信州をバスは走りやってきたのはル・ノール・リヴィエール。お洒落な名前がついていますが、長野県上伊那郡宮田村にある北川製菓直営のオリジナルスイーツのお店です。店内の様子はお店のリーフレットから拝借しました。皆さんスイーツをたくさん買われました。もちろん私たちも。買い物が終わるとドーナツ片手つかみ取り体験をしました。二人が片手でつかみ取ったドーナツです。店主さんが1個ずつサービスしてくれました。保育園児と小学生の兄弟はさらに3個ずつサービスしてもらってママとお祖母ちゃんが抱えきれないほどで一番多かったようです。次に向かったのは馬刺しが売っているお店。ここでも皆さんたくさんのお買い物。私達は先日馬刺しを食べたばかりなのでイナゴの甘露煮にしました。どこに行っても観光バスがたくさん。その後、飯田に向かいました。ちょっと遅い昼食です。食後は夕張メロンの食べ放題です。夕張メロンのお代わりが3回も出てきました。3回分のメロンを14人で平らげましたので、一人当たり相当食べたことになります。向かいの席の男性は16切れ食べたそうです。相方は3切れ食べるのがやっとでした。お腹も膨れてこれから水引会館を見て回ります。(続く)
July 23, 2019
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今回のバス旅は午前6時55分と集合時間は早かったですが、大型バスに参加者が14名という事で座席がゆったり使えました。(後続のメロン狩りのバスはなんと10名だけとか)中央道をひた走り南信州へ行ってきました。駒ヶ岳SAで休憩しましたが、山には雲が垂れこめていました。中央自動車道を伊奈インターで下りみはらしファームに向かいました。前日から当日の朝まで雨が降っていたそうで足元が悪いのでズッキーニ狩り体験は出来ず2本ずつ好きなものを頂くことになりました。茹でたスイートコーンを試食、とても甘かったので2本購入。とれたて市場で思い思いにお買い物。だちょうの卵が1個3000円でした。鶏の卵と比較して大きさがわかりますでしょうか。重さは1キロ500グラムだそうです。網目メロン1玉の重さが1キロ150グラムですのでそれよりも重いということですね。電線が気になりますが、山を覆っていた雲も大分流れていきました。近くを散策してみました。雨上がりのお花が色鮮やかでしたが、新鮮な空気が清々しく気持ち良かったです。中央アルプスの姿も少しずつ見え始めました。では次の目的地に向かいましょう。(続く)
July 22, 2019
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合掌村からバスに乗り途中下車、歩いて加恵瑠(かえる)神社へ。私がお賽銭を入れてお参りすると、「あなたはますます若くなるでしょう。ケロケロ」と女性の声が聞こえてきたので笑ってしまいました。次にお参りした人には「あなたはますますお金がたまるでしょう。ケロケロ」と言うのが聞こえてきました。その次の人には「あなたはますます健康になるでしょう。ケロケロ」と言うのが聞こえてきました。そこへ関西弁を話す若いグループがやって来てお賽銭を入れずにお参りしたら何も言ってくれなかったと言いながら笑い転げていました。多分コンピューター仕掛けになっているんでしょうね。そしてフレーズは3つだけ。たまたま私は「あなたはますます若くなるでしょう」というフレーズになっただけだとわかりました。よく歩いて疲れたのでホテルの喫茶室で一休み。許可を取って撮影させてもらいました。大好きな小物がたくさん飾ってあったからなんです。ロビーにもたくさん飾ってありました。ホテルの売店で買い物をしてから駅まで歩きました。しらさぎは下呂のトレードマークです。一羽の傷ついた白鷺が温泉に入って脚の傷を癒しているのを見たというのが下呂温泉の始まりだと言われています。しらさぎ橋の上にある像は室町時代の臨済宗の僧、万里集九(ばんりしゅうく)です。江戸時代の儒学者、林羅山と共に下呂温泉を日本三名泉の一つとして全国に広めたとされています。GW後半もイタリア人と3人で本当に足が棒のようになるほど歩いて歩いて、充分運動ができました。あわて者の私達は特急の予約時間まで待てず電車を一つ早くして帰宅しました。これでGWの旅をすべて終わります。(終)
May 23, 2019
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合掌村では藤と八重桜とモミジが同時に鑑賞できました。料理の神様にしっかりお参りしておいたらと促されました。令和元年5月5日の記念に5月5日で鯉のぼりが元気よく泳いでいました。しらさぎ座で呼び込みをしていました。以前は一人で百本の糸を操って文楽人形の物語を見せて下さったしらさぎ座で下呂温泉の芸妓さんの踊りを見せてもらいました。先ずは「ようこそいらっしゃいました」の挨拶があり踊りが終わって挨拶がありました。外で皆さんと記念撮影をしましょうとおっしゃったので、真っ先にお願いしてイタリア人と記念撮影をさせていただきました。彼の鼻の下が長~く伸びた瞬間でした。(続く)
May 22, 2019
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朝一番に宿を出てWi-Fiの繋がる喫茶店で電車の時間までPCをやり、電車で下呂にやってきました。下呂駅前で男性二人にモデルになってもらい記念撮影。バスに乗って合掌村へやってきました。土人形のお雛様です。イタリア人が大好きな甲冑です。合掌造りの2階へ上がりました。おじいさんが炬燵に入って草履づくりをしていました。ゲロゲーロとカエルが迎えてくれました。↑自然に生えているアジュガ草むらで相方は犬の像を見つけ撫でてました。川魚が串にさして炭火で焼いてありました。イタリア人は魚が食べたいと言ったので二人は川魚料理を食べ相方はラーメンと茗荷寿司でした。お腹が膨れた後はまた合掌村内をよく歩きました。(続く)
May 21, 2019
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酒蔵巡りをしてお酒を試飲した後、少し休憩してから歩いて向かった先は櫻山八幡宮境内にある高山祭屋台会館でした。山、鉾、屋台行事がユネスコ無形文化遺産に登録されています。春の山王祭は上一之町、上二之町、上三之町などから12の屋台が登場し、からくり屋台3台が競演します。秋の八幡祭りは下一之町、下二之町、下三之町、大新町などから11の屋台が登場し、布袋台によるからくり奉納があります。私は春も秋も見たことがあります。屋台会館内はフラッシュ撮影は禁止でしたが写真を撮ることはできました。神輿(みこし)金鳳台(きんぽうたい)大八台(だいはちたい)鳩峯車(きゅうほうしゃ)布袋台(ほていたい)2階では春の山王祭と夜祭、秋の八幡祭りと宵祭りの様子を映像で見ることができました。外国からの旅行者たちは写真を撮ったり感嘆の声を上げていました。こちらは御朱印を求める人たちでしょうか。皆さん並んでじっと待ってらっしゃいました。こちらが桜山八幡宮です。外国の人たちが和服姿の女性二人と記念撮影をしていました。川縁にはまだ桜も咲いてのどかな風景でした。お昼時はどこのお店も満席で入れませんでしたが、少し待って有名な高山ラーメンを食べました。美味しかったですよ。しかし相方はお酒の後、食が進まずざる蕎麦ではなくざるラーメンを食べました。相方は夜になっても食欲が戻らず、腰が痛いのでベッドで休むと言うので私とイタリア人は薬局を捜して駅まで戻り駅裏から夜道をどんどん歩いて探し回り買い物帰りのついでににぎやかな居酒屋で食べて飲んで帰りました。剣道4段のボディーガードがお伴しているので慣れない夜道も怖くはなかったです。結局道に迷って遠回りをすることになりこの夜も相当歩きました。暗い通りのあちらこちらでは提灯に明かりがついてとても幻想的な光景でした。ちょうどこの地区がお祭りの最中だったんです。何とか宿に戻ることができてほっとしました。(続く)
May 20, 2019
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高山陣屋を後にして街中に出てきました。カラフルな下水の蓋です。中橋を渡りこういう物につい目が行ってしまいます。至る所に提灯が飾ってありました。飛騨高山まちの博物館を見学しました。展示物は撮影禁止でした。高山祭の展示、高山の基礎を作った金森氏六代の足跡の展示、大火から学んだ町家保存の知恵と防災の歴史、飛騨春慶、一位一刀彫などの伝統工芸や美術、円空仏などを紹介していました。翌朝Wi-Fiの繋がる喫茶店でブログのコメントを書きました。その後、また街歩きをしました。高山2日目は酒蔵巡りです。この酒造店に入り、許可をとって撮影しました。日本酒を1杯ずつ試飲しました。盃1杯に付き150円から300円でした。イタリアの友人はますます陽気になりました。3人とも飲み切りました。この通りは酒蔵が多かったです。今度はこちらを見学しましょう。飛騨高山まちの体験館では親子で組紐の体験や折り紙を使った作品作りをしていました。相方は酔いを醒ますため横になっていました。古い町並みでは人力車が町の案内をしていました。重要文化財の建物も数軒ありました。それぞれに入館料がいりました。まだまだ先へ歩いて次の目的地へ向かいました。(続く)
May 19, 2019
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次に歩いて向かったのは高山陣屋。江戸時代に幕府の出先機関として政務を執り行った役所で全国で唯一現存する郡代・代官所跡です。では表門から入りましょう。幕府の使者や郡代(代官)はこちらから入りました。玄関の間は大床や床の壁一面に青海波模様が描かれています。表門の真正面には役人たちの執務室がありました。御役所(おんやくしょ)は江戸幕府から派遣された郡代(代官)直属の役人の執務室と御用場(ごようば)という地元で採用された地役人の執務室があり部屋は厳格に区分されていました。風呂場や湯呑所(ゆのみじょ)もありました。土人形雛が飾ってありました。高山陣屋の大広間で羽生名人が行方八段と名人戦の対局をしたそうです。茶室です。女中部屋には雨戸が付いていません。自然の灯かりで時間を知ったようです。屋根のくれ板を作っている所蹲(つくばい)に目が行きました。大広間は3室に分かれていますが、襖を外すと49畳もあるそうです。とがった石の責め台、40キロもある抱き石、たたき棒が置かれています。この後、代官が家族と過ごした郡代の役宅(ぐんだいのやくたく)を通り郡代が生活した嵐山の間から庭園を眺め、年貢米を貯蔵する御倉(おんくら)などを見学して回りました。イタリア人は剣道を習っているので昔の甲冑と刀に興味を示しじっくり見学していました。天正14年(1585年)金森長近が飛騨国主になり高山城を築城し城下町ができました。しかし元禄5年(1692年)徳川幕府は飛騨を幕府の直轄地としました。それ以来、明治維新に至るまで177年間江戸から代官・郡代が派遣され金森氏の下屋敷を代官所として幕府直轄領の行政、財政、警察などの政務を行いました。安永3年(1774年)増税に苦しんだ農民が蜂起し幕府に直訴し18年間騒動が起こりました。大原騒動という大事件です。連日連夜御白洲で取り調べが行われ総勢9000人が処罰されたそうです。(続く)
May 18, 2019
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3カ月間我が家にホームステイ中のイタリア人とGW後半に出かけた高山・下呂の旅行記を始めます。JR高山駅は今でも自動改札ではありません。コンコースに飾られている高山の祭屋台です。飾りが施された豪華な御所車と彫刻を間近で見ることができます。時々小さな子供さんが近づいてセンサーが反応してました。高山駅から歩いて5分の所にある飛騨国分寺三重の塔を訪れました。天平時代、聖務天皇の詔によって全国に作られた国分寺の一つです。本堂は室町時代の建造ですが、三重塔は江戸時代に作られました。鐘楼門は高山城から移築されたものです。お地蔵様が幹の中に祀ってあります。樹齢数百年のこの木は数年前の台風で枝が折れて幹の一部がぱっくり穴をあけているので一部立ち入り禁止になっていました。さて、先ずは昼食にしましょう。本まぐろの漬け丼と大トロちらし丼を頂きました。デザートは小豆入りアイスクリームお腹も膨れたことだしさて、次はどこへ行きましょうか。(続く)
May 17, 2019
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GW前半の鎌倉、北鎌倉、小田原の旅も今日で終了です。戦国時代、小田原城を本拠に戦国大名の北条氏が関東一円を支配していましたが、北条氏の5代目の頃に豊臣秀吉によって滅ぼされました。迫りくる豊臣秀吉の軍勢から小田原城を守るため北条氏に仕えた忍者が「風魔」と呼ばれました。小田原城の天守閣を遠くから眺めた後は江戸時代に本丸の正面に当たる常盤木門(ときわぎもん)の方へと歩きました。(みんなとは逆方向かもしれません)常盤木門を出て江戸時代に二の丸正面にあった銅門(あかがねもん)の外へ出てきました。天守閣が向こうの方に見えました。常盤木門、銅門、馬出門、馬出門土橋を渡ってお城の外に出てきました。お堀の向こうにお城を眺めながらお堀端通りを駅に向かいました。下水の蓋も面白いでしょ。鎌倉と北鎌倉で充分歩きましたが、小田原でも結構いい運動ができました。これでGW前半に出かけた鎌倉、北鎌倉、小田原の旅を終わります。(終)
May 14, 2019
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再びGW前半の旅日記を始めます。5月1日(水)のことです。鎌倉で3泊して翌朝10時過ぎにホテルを出て買い物をした後、鎌倉も充分観光できたので帰ろうかとJR横須賀線の大船で乗り換えJR東海道線で小田原へやってきました。当初の予定ではもう少し鎌倉でゆっくり観光するつもりでしたが、あわて者の二人は朝からそわそわ。小田原で新幹線の切符を早い時間に変更してもらおうとしましたが、GW中なのでどの時間帯も満席で変更できず、結局少しだけ早いこだまが確保できました。その時間まで小田原城へ行くことにしました。駅前にあったカリヨンの鐘と綺麗なお花二宮尊徳像もありました。3日間充分歩いたので足取りも重く道路案内を見て気力を奮い立たせました。お堀の周りをぐるっと歩いて山門まで行くのは遠いですよと教えられ近道を通って小田原城に到着。天守閣が見えてきました。この混雑ぶりを見たら天守閣まで上がる気がせず眺めるだけで十分という気持ちになりました。小田原城址公園から見えた島お昼に公園内のお店で買ったさつまいもが美味しくて数本胃袋へ消えた後です。令和元年5月1日の記念に看板の写真には扮装をするモデルさんたちが写っていました。公園内にはこういう扮装をした小さな子供さんたちが大勢いました。(続く)
May 13, 2019
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長谷寺を後に向かった先は鎌倉大仏がある高徳院でした。山号である大異山の扁額のある山門をくぐると左右に一対の仁王像が立っていました。高さ11.312mの鎌倉大仏が見えてきましたが、大仏さんの前は混雑しているので近づけません。昭和33年(1958年)に国宝となった銅造阿弥陀如来坐像、通称「鎌倉大仏」が本尊です。もともとは大仏殿の中に鎮座していましたが、天災による倒壊と再建を繰り返し室町時代には現在のような姿になったようです。ちょうどオレンジ色の法衣を着た(チベット、タイ、ミャンマー、カンボジアでしょうか)東南アジアのお坊さんたち一行が大勢いました。お坊さんたちは記念撮影をした後、みんなで読経を始めました。大仏様の胎内に入って階段を背中の途中まで上がることができる胎内拝観もできますが、これまた長蛇の列ができていましたので諦めて遠くからしばらく眺めておりました。鎌倉大仏と対面した後は江ノ電に乗って鎌倉駅に戻りました。カフェでサーモン&アボガドライス等のランチとコーヒーで一服。昼食後は裏通りを結構長い距離歩いて川喜多映画記念館へ行ってきました。日本映画の発展に大きく貢献した川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に建設されました。緑豊かな庭園内に川喜多夫妻が海外からの映画人をもてなした旧川喜多邸別邸があります。記念館には映画資料の展示室、映画関連の情報資料室などがあり映像資料室では映画の上映がされています。小雨の中、また裏通りをとぼとぼ歩いて鎌倉駅まで戻りソフトクリーム店で休憩。夕食は大仏ビールやハイボールを飲みながらしらすと海鮮丼やしらすと鰻丼を食べました。鎌倉最後の夜もしらすを充分食べながら夜が更けていったのでした。(続く)
May 11, 2019
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4月30日(火)の午前のことです。雨の中、江ノ電長谷駅を降りて向かった先は昨日少し紹介した長谷寺です。天平8年(736年)に開かれたお寺でこちらは観音堂です。上境内にあります。観音堂には十一面観音菩薩立像が安置されています。観音菩薩をテーマにした博物館もありましたが、観音堂内は全面撮影禁止でした。(るるぶ情報版 鎌倉 ’20の画像を拝借しました)養老5年(721年)に徳道上人が造らせたとされる本尊です。高さは9.18mもあるそうです。日本最大級の木造仏で長谷の観音様として親しまれています。こちらは阿弥陀堂で阿弥陀如来座像があります。見晴台からは鎌倉の街並みと由比ヶ浜海岸、三浦半島を一望できました。近くに高浜虚子の句碑もありました。下境内の奥にある弁天窟に入ってきました。弘法大師がこもったと伝えられています。壁面に弁財天が彫られていました。薄暗い洞窟内には十六童子なども彫られていました。神秘的な洞窟から出ると石楠花や野の花が美しく感じられたのでした。全部で何体あるのかわかりませんが、石仏が並んでいました。では次の目的地に向かいましょう。(続く)
May 10, 2019
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建長寺から徒歩数分で円応寺へ到着。案内板の説明をご覧ください。(これから先の写真は横浜トリップのHPから拝借しました)と言いますのも、円応寺は写真撮影禁止だったからです。急な階段を上り本堂前には撮影禁止の札が本堂には閻魔大王坐像を本尊として十王が鎮座しているのを拝観できました。鎌倉時代の仏師、運慶の作だと言われています。人間の死後、冥界でこの十王に罪を裁かれるようなことが書いてありました。こんな怖い顔をした閻魔大王を始め十王ににらまれるよりは生前に善行を積んだ方が良さそうですね。この後、北鎌倉から鎌倉に向けて歩いて帰りました。途中スペイン料理店で休憩し、アフタヌーンティーでした。充分歩いたので足指に豆ができました。夜は情報誌に載っていたお店へ出かけて夕食。先ずはビールで乾杯をしてビーフカレーと海老ときのこのカレーシーフードマリネを食べました。翌朝は和食でした。4月30日は雨でした。江ノ電に乗って長谷駅で下りました。歩いて向かった先は長谷寺です。新緑が一層綺麗でした。お地蔵様も雨に濡れて手を合わせておられました。さあこれから長谷寺を散策しましょう。(続く)
May 9, 2019
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鎌倉五山第一位の建長寺まで歩いてきました。総門前では記念撮影をする人が絶えないので遠くから写しました。総門(巨福門)は天明3年(1783年)に建立された門を京都から移築したそうです。額の文字は建長寺の山号。建長寺も牡丹の花が綺麗でした。(前回長寿寺の牡丹を紹介しましたので)今回は全体像だけ紹介しますね。三門です。安永4年(1775年)に建立されました。銅板葺きの二重門ですが、壁や門扉がありません。上層部には五百羅漢像が安置されていますが非公開です。牡丹がこういう風に植えられています。仏殿です。建長5年(1253年)北条時頼により創建されました。日本初の禅宗道場でけんちん汁(建長汁)がうまれた寺として知られています。本尊は地蔵菩薩坐像で室町時代に作られました。仏殿内の格子天井の絵や欄間の華麗な彫刻は当時の職人の素晴らしい技術を見ることができとても綺麗で見事でした。境内は国の史跡に指定されています。(残念ながら内部の写真はありません)小方丈までの径には牡丹の花が咲いていました。建長寺も境内が広くすべて回ることはできませんでした。東京芝の増上寺から移築した唐門や大迫力の法堂天井画雲龍図は見ておくべきだったかもしれませんが、国宝梵鐘を左に見て建長寺を後にしたのでした。(続く)
May 8, 2019
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次に訪れたのは長寿寺。足利尊氏公ゆかりの寺です。足利尊氏公の開基となっていますが、尊氏公の子、初代関東管領の足利基氏が尊氏公の供養の為に創建したようです。紫陽花の季節や紅葉の季節、曜日(週末)限定の寺でしたが、GWという事もあって特別拝観できました。仏殿にはご本尊の左右に開山像と尊氏像が安置されていました。ご本尊を拝んだ後、新緑で綺麗な庭を写しているとご住職がもっと中に入って写してくださいと言われたのでお言葉に甘えて写してきました。奥の書院へ進みました。庭の牡丹がとても綺麗でした。この後、庭に下りて境内をぐるりと回ってきました。境内奥には足利尊氏公の遺髪が納められた供養塔が建っていました。そしてもう一度牡丹が咲く庭に出ました。ほんの一部ですが、ご覧ください。皐月やツツジも綺麗でした。北鎌倉はちょうど牡丹の季節でした。清々しい気分になって次に参りましょう。(続く)
May 7, 2019
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明月院の次に訪れたのは鎌倉五山 第四位 金宝山臨済宗円覚寺派 浄智寺です。若くして(29歳)亡くなった北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、弘安四年(1281年)に創建されました。最盛期には七堂伽藍を備え十一の塔頭を持つほど栄えていました。境内は国の史跡に指定されています。山門です。鎌倉で唯一の中国式鐘楼門です。花頭窓のある上層部に梵鐘が吊るされています。鐘は県の文化財です。枝垂れ桜の花びらが一面に散ってピンクの絨毯のようでした。仏殿(曇華殿・どんげでん)です。過去(阿弥陀如来)、現在(釈迦如来)、未来(弥勒菩薩)を象徴する木造三世仏座像が安置されています。屋根の瓦の形が興味深かったです。筍が天に向かって伸びてました。この岩山をくぐって入りました。境内裏手の洞窟に安置されていた布袋尊像。福徳円満の神として知られ、鎌倉七福神巡りの一つです。お腹を撫でると運気上昇の御利益があるとかで二人してお腹を撫でてきました。仏殿の裏には書院が建っていました。庭園には綺麗な花が咲いていました。戸に描かれていた紋そろそろお昼時だったので天蕎麦を食べました。お腹が膨れたら次に参りましょう。(続く)
May 6, 2019
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円覚寺から歩いて明月院へ。永暦元年(1160年)に創建された明月庵が起源とされます。その後、康元元年(1256年)鎌倉幕府第五代執権北条時頼公が創建した最明寺、後に北条時宗(時頼の子)の時代、禅僧・蘭渓道竜隆が再興した禅興寺を経て、康暦2年(1380年)に武将・上杉憲方が寺院を拡大しました。明月庵は明月院と改め禅興寺の子院の首位に置かれましたが、明治初年廃寺になり明月院のみ残りました。シャガの花が咲くなだらかな山道を歩きました。門をくぐって右手にウサギ小屋がありました。沙羅双樹の木です。綺麗なお庭を一周してきました。牡丹が満開でした。明月院は枝垂桜の季節、花菖蒲や紫陽花の咲く頃はとても綺麗だそうです。この時期も色とりどりのお花がとても綺麗でした。(続く)
May 5, 2019
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4月29日(月)は鎌倉駅から北鎌倉駅まで電車で移動。(帰りは北鎌倉から鎌倉まで歩きましたが)先ず訪れたのが円覚寺。階段の上に総門があります。紅葉の季節は綺麗なことでしょう。弘安5年(1282年)創建の臨済宗円覚寺派の大本山で鎌倉幕府8代執権・北条時宗が元・高麗の対日侵攻、元寇での戦没者を弔うために開山しました。韓国の民族衣装の人もいました。山門が見えてきました。天明5年(1785年)再建されました。楼上には十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られていますが非公開です。仏殿(仏殿)には本尊の宝冠釈迦如来像が安置されています。ご本尊様は写しませんでしたが、天井画の白龍図を写してきました。白龍図は大和絵の画家、前田青邨氏とその弟子、守屋多々志氏によって描かれました。奥の方には開基廟(かいきびょう)があります。開基の8代執権、北条時宗や9代貞時など北条氏を祀ってあります。北条時宗はこの場所で禅の修行と精神鍛錬に励んだそうです。そして舎利殿もあります。国宝・舎利殿は通常は非公開ですが、お釈迦様の歯が祀ってあるそうです。訪れずに解説だけ写してきました。しかし、あまりにも広くて私達は左に妙香池を見てから引き返してきました。これから先は解説を読んでくださいね。居士林(こじりん)木の扉に付いていた紋です。岩をくりぬいて仏様が鎮座してました。石楠花が綺麗でした。大きな筍も所々で顔を出していました。円覚寺は総門、山門、仏殿、居士林、唐門(勅使門)、百観音、開基廟、舎利殿と奥の方に続きます。夏目漱石の「門」や川端康成の「千羽鶴」など多くの文学作品の舞台にもなっているそうです。(続く)
May 4, 2019
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本来は食べ物のカテゴリに入れるべきなんですが、鎌倉の思い出として旅行記に入れたいと思います。鎌倉の食事にはしらすがたくさん入っていました。鎌倉・小町通りは駅のすぐ近くなので大勢の観光客で前に進めないほどの混雑ぶり。特にお昼時なのでどの店も長い行列ができ、皆さん辛抱強く待ってらっしゃいました。私達はすぐに2階に上がりしらす丼を頂きました。鶴岡八幡宮では源氏池の向こうにある休憩所でソフトクリームを食べました。鎌倉駅周辺では人力車がたくさん走っていました。3時のおやつは駅前で夕方比較的すいていたイタリアンのお店へ先ずは赤ワインで乾杯!湘南しらすのアヒージョ(オリーブオイル&ニンニク)にパンをつけて頂きました。これが意外とおいしかったです。どの料理もしらすが入っていました。ペスカトーレパスタ(ペスカトーレとは魚介類が入ったトマト味ベースの料理の事)ペスカトーレピッツァ赤ワインをグラス1杯飲んでゆっくり食事をする間にすっかり酔ってしまった相方。今回の旅行では今まで飲まなかったアルコールを結構飲んだのでびっくりしました。ビールもワインもウィスキーも何でも飲みホテルに帰ったらベッドへ横になってすぐにぐっすり寝込んでしまいました。翌朝のホテルの朝食です。五月人形になったアンパンマンを見ながらさあ2日目の旅に出かけましょう。(続く)PS) 5月3,4,5日とイタリア人と3人で2泊3日の旅に出かけていますのでまたもや予約投稿です。
May 3, 2019
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新天皇が即位された5月1日に鎌倉から自宅へ戻りました。旅先で天皇陛下(上皇様)の「退位礼正殿の儀」などをテレビで拝見しておりました。さて、4月28日(日)に鎌倉に到着した事は以前にも少し触れましたが、今回の旅行記をこれから紹介したいと思います。先ずは小町通りで昼食にしらす丼を頂きました。次に向かったのは鶴岡八幡宮。建久3年(1192年)鎌倉幕府を開いた源頼朝公が信奉した鎌倉幕府の宗社です。一族の守護神としました。境内には重要文化財の本宮、源頼朝公と実朝公を祀る白幡神社など歴史的建造物が点在しています。表参道から舞殿、本宮(上宮)を望みます。GWも2日目に入り表参道はもの凄い人数の観光客でした。どこで写真をとっても人が写ってしまうので三ノ鳥居から源氏池の方へ行ってみました。すると全く動かない鳥がいました。剥製にしてはおかしいなとしばらく観察していると動きました。この後、大きな羽を広げて飛んでいきました。源氏池に浮かぶ島に立つ旗上弁財天社の社殿裏手には政子石という霊石があります。頼朝と政子の夫婦仲の良さから夫婦円満の御利益があるそうです。源氏池から向こうの藤棚を眺めます。藤が綺麗でした。この日は友引で結婚式を挙げたばかりの花嫁、花婿のカップルに会えました。舞殿では今まさに式を挙げているところでした。静御前が舞を披露したと伝わる若宮廻廊跡に立ち、毎年4月の鎌倉まつりで「静の舞」を再現した舞を奉納する所です。大石段を上がり本宮(上宮)の入り口の門の両側ににらみを利かしていた像です。(ガラス張りでうまく写りませんでした)横から見た像です。平家池の方に桐の花が咲いてました。将軍家が参宮の際はここで輿を降りたとされる太鼓橋。勾配が30度もある弓上の橋です。創建当時は朱塗りだったので赤橋と呼ばれていたそうです。記念撮影する人があまりにも多くて行きは撮れなかったんですが、やっと帰り際に人のいない瞬間を狙いました。(続く)
May 2, 2019
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5月になりました。令和の時代の始まりです。武下さんのカレンダー、5月は「いい夢を見て 頑張ろう」です。実は4月28日(日)から鎌倉に来ています。新幹線とJRを乗り継いで3時間半かかりました。こんなに綺麗な富士山を見るのは初めてでした。小田原でJR東海道本線に乗り換え大船へ。JR横須賀線で大船から鎌倉へ着きました。あまりの人の多さにびっくりしました。詳細は後程掲載しますが、まず鶴岡八幡宮に参拝しました。日ごとに観光客の数も増えてきました。鎌倉駅から徒歩数分のところに私たちが4日間滞在するホテルがありますのでとても便利です。相方はタブレット、一眼ミラーレスカメラ2台が入った重いバッグを肩にかけ、PC2台を入れたキャリーバッグも引いてきましたので疲れてしばらくベッドに横になっていました。その間、私はブログを書いていましたけどね。4月28,29,30日、5月1日まで鎌倉に滞在して、今夜自宅に帰ります。帰りましたら、またぼつぼつと旅行記を書きたいと思っています。
May 1, 2019
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今回の大阪日帰り旅も大阪ビリケンさんで終わりにしたいと思います。通天閣5階の展望台にビリケン像があるそうですが、一行のうち私たち二人だけが通天閣に上がらなかったので新世界にあった面白いビリケンさんを写してきました。足の裏をかいてあげるとご利益があるそうですよ。こちらはビリケンさんではないですが、面白かったので写してきました。バスの車窓から写した3つの時代が一緒になった写真。高層ビル群と大阪城と手前にある古代住居。豊臣秀吉も拠城である大阪城がのちの世にこんな光景になるとは夢にも想像できなかったことでしょう。阪神高速道路は歴史ある地下遺構を保護するためここだけ高架からなだらかに下って地表に降りていました。高速道路を支えるためのくい打ちをすると地下遺構を破損しますからね。(ついでに言えば、高速道路で大阪に入った時、驚いたことに高層ビルの1階部分が大きな口を開けその中を高速道路が通過していました)近くには歴史的な地下遺構が埋まっています。夕陽に照らされた大阪城を眺めながら日帰り旅もこうして幕を下ろしたのでした。(終)
April 28, 2019
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大阪舞洲(まいしま)シーサイドパークの100万株のネモフィラ祭りの後半です。こちらのネモフィラ園の中には色とりどりのチューリップが植えられていました。私個人としてはネモフィラの中にチューリップが植えられているよりもネモフィラだけの青の世界の方が好きですが。こちらでは大道芸人がペットボトルのキャップの上にサイコロを3個重ねて乗せる技を披露していました。こちらは3個のシガーボックスを使って立ったり座ったりしながら前や後ろで横一列に並べる芸です。上手くできると拍手を浴びてました。ネモフィラ園で70分間過ごした後は大阪新世界(通天閣)を70分間散策します。バスは天王寺動物園のすぐ横に停車。あべのハルカスも木々の向こうに見えてました。そこから歩いて通天閣に向かいました。通天閣のタワー下の天井画一行48名のうち私たち2名を除いた全員が通天閣の展望台まで上がりました。私達は地下1階をぶらぶらして買い物女子高生二人と交互に記念撮影さあいよいよコッテコテの大阪の街をぶらり散策しましょう。目と頭が疲れてしまい、ここらでちょっと休憩をしようと喫茶店に入ってゆっくりコーヒータイムでした。(もう少し続きます)
April 25, 2019
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(今日は愛知県まで出かけますので予約投稿です)先日の大阪日帰り旅の続きです。大阪舞洲(まいしま)シーサイドパーク園内には100万株のネモフィラが植えられています。(ブロ友さんの情報では昨年夏の台風で百合園が壊滅的な被害を受けネモフィラ園になったそうです)さあ、ご一緒に散策しましょう。遊覧ヘリコプターがネモフィラ園の上をひっきりなしに飛んでいました。菜の花も綺麗でした。いかがでしたか?まだ1周してないんですよ。(続く)PS) 昨日はホームパーティーでしっかり軽食を頂いてきたんですが、夕食は打ち上げという事でホームステイしているイタリア人と3人で隣の市までお肉を食べに出かけました。明日からダイエットしますね。
April 22, 2019
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ホテルの前はすぐUSJ です。ジェットコースターから歓声が聞こえてきます。手を挙げてキャーッと叫んでいる声が近づくたびに聞こえてきました。どうもホテル前が一番スリルがあるようです。ここがUSJの入り口でしょうね。右向こうの方にハリーポッターの屋敷が見えますね。こちらはホテルのすぐ横です。お腹を満たした一行は舞洲(まいしま)に向かいました。途中バスの窓から見えた光景です。まるでテーマパークのようなこの建物はなんだと思いますか?これは道路の左側に建っていた建物です。これは道路を挟んで右側に立っていた建物です。これはごみの焼却場なんだそうです。イメージをよくするためにこのような建物になったようです。高架で高いところから見たUSJと近くのオフィシャルホテル群です。次は添乗員さんの話です。大阪湾にできた人口の島は3つ。舞洲(まいしま)、夢洲(ゆめしま)、咲島(さきしま)です。これからネモフィラを鑑賞しに行くのは舞洲。そして2025年開催の大阪万博会場になる予定の夢洲。大阪で55年ぶりの開催となる万博に向けてカジノを含むリゾート開発をするらしいですが、問題は山積のようですね。運送会社の倉庫や配送センターがたくさん建ってましたし、産業廃棄物の埋め立て処分場やごみ焼却場もあるようですからね。(これは舞洲から見た夢洲の端です)途中大阪の新しいランドマーク、あべのハルカスが何度も見えました。高さ300メートル、60階建ての超高層ビルですね。最上階のビルの周りを命綱をつけて歩くのが現在流行っているそうです。聞いただけで足がすくむ思いでした。これから舞洲(まいしま)へネモフィラを観に行きましょう。(続く)
April 20, 2019
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昨日の日帰りバスの旅を振り返ります。乗客48名を乗せたバスは午前7時50分当市を出発し、途中で2回の休憩をはさんで午前11時30分にUSJオフィシャルホテル、ザ・パークフロントホテルに到着。旅の始まりはまず食事からでした。3階の昼食会場に向かいます。壁に面白い絵が描いてありました。バスが到着した入口は2階です。エスカレーターで3階に上がりました。昼食会場です。イースターが近づいているので(今年は4月21日・日曜日ですね)お花が描かれたイースターエッグがレストラン前に飾ってありました。モザイクタイルで描かれたモザイク画も綺麗でした。私は明後日(21日)にまたダンスパーティーで踊りますので、ちょっと控えめに。(これで控えめとが笑わないでくださいね)参加者の皆さんは私達よりもご高齢の方々が多かったのですが、「食べ事は生きること」を実証されてるようで、空いたお皿がどんどん積まれていきました。滞在時間が70分も取ってありましたが、私達は早々に切り上げてホテル内を歩きました。こちらがホテルのフロント側です。イースターが近づいているのでこちらにも大きなウサギ(イースター・バニー)と見ていても飽きない面白い仕掛け時計がありました。多産のウサギは生命の誕生・復活・繁栄の象徴でイースター(復活祭)の卵を運んでくるんですよね。サマータイムで時計を1時間早めるので大きな懐中時計も飾ってありました。フロント側はゴージャスな雰囲気でした。シャンデリアはこんな感じです。次はUSJ側に行くことにしましょう。(続く)
April 19, 2019
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今日は1日大阪方面へ日帰り旅をしてきました。 ザ・パークフロントホテルへ到着しビュッフェスタイルの昼食を頂きました。次に舞洲(まいしま)シーサイドパークでネモフィラ祭りを鑑賞最後は新世界(通天閣)界隈を散策してきました。そして大阪城を見ながら帰りました。先ほど帰宅しましたので明日からしばらく旅行記を続けたいと思います。(続く)
April 18, 2019
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伊賀流忍者博物館を見学した後は名阪関ドライブインに立ち寄りました。ここは江戸時代、日本三関の一つ鈴鹿関が置かれたところで東海道五十三次の江戸から数えて47番目の宿場町、関宿がある所。一行にはイチゴスイーツバイキングが待ってました。イチゴソーダ、イチゴアイスクリーム、イチゴショートケーキ、イチゴゼリー、クロワッサン、カステラ、マシュマロ、そしてイチゴが用意されてました。チョコレートタワーからは融けたチョコレートが流れていました。マシュマロにかけてもよし、イチゴにかけてもよし、お好みでご自由にという事でした。おかわり自由と言われてもそんなに食べられるものではありませんのでここでも一番先に切り上げ夕食を買うため売店に向かいました。買い物をした後は三重、愛知、岐阜とひたすら高速道路を走って家路についたのでした。日帰りバス旅にお付き合い頂きどうもありがとうございました。(完)PS) 今年2月に受けた英検の結果が先日来ましたので記録として載せておきます。ノア君は前回ブロンズ級に合格して今回はシルバー級に挑戦して合格しました。モコちゃんは今回初めてシルバー級に挑戦して合格しました。リスニングの力をつけて今度はゴールド級を目指そうね。
April 7, 2019
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忍者の説明を聞いた後は忍者博物館内を各自で見学しました。ここは民家の土間のように思いましたが、どこかに仕掛けがしてあるのでしょうか。忍者博物館の一部を写してきました。「欺く」というコーナーには変装した姿が展示されてました。忍者は敵地に潜入する時、正体と目的を隠すために変装しました。忍術伝書では「七方出で立ちの事」または「七化」と呼ばれました。忍びの部屋「侵す」というコーナー「備える」というコーナーここでドイツ人の家族に会いました。息子さんが手裏剣にとても興味があってお母さんが息子さんに手裏剣を買ってあげたことをお父さんに報告していました。「闘う」というコーナー「営む」というコーナー外に出てきました。相方も忍者に扮しています。にらみが効いてますね。出口の案内板です。チビッ子忍者や親子連れ忍者もいました。桜はまだ3分咲きというところでしょうか。苔むした石塔がひっそりと時間の関係で芭蕉翁記念館には立ち寄れませんでした。そして次の目的地に向かったのでした。(続く)
April 6, 2019
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月ヶ瀬梅渓で自然の空気を胸いっぱい吸い込んだ後、(もちろん花粉症用のマスクをはめてですが)向かった先は伊賀流忍者博物館。その道中、バスの車窓から伊賀上野城が見えました。(伊賀市のHPから拝借しました)正確には上野城ですが、伊賀上野城、白鳳城とも呼ばれています。始まりは平清盛が建立したと伝えられる平楽寺跡にあったそうです。織田信長の頃に城主が代わり、家康の時代になって家康の命を受けた藤堂高虎が呼び寄せられて1608年に城を拡張したそうです。現在の天守閣は1937年建造で当時の内堀と石垣が残っています。バスガイドさんの話では忍者は普段、農民として農作業に従事していましたが、時には変装をして情報収集をしたり、敵が攻めてくると忍者として戦ったそうです。先ずツアー参加者は各自1回だけ手裏剣投げ体験ができました。自分用の手裏剣を1回投げて一番最後に相方用の手裏剣をもらってもう1回投げました。的には当たりませんでしたが、横の板に刺さりました。近年は外国からの見学者が多いので立て看板も多国籍の説明文が書いてありました。これからあちらに見えるお屋敷で忍者の説明を聞きます。アップにすると忍者がいました。係りの人も忍者の装束です。写真撮影はOKでしたが、ビデオ撮影は禁止でした。いよいよ忍者の説明が始まりました。3回バク転をして登場した忍者、回転する戸の後ろへ隠れたり身のこなしが速いのでなかなかうまく撮れません。納戸の戸を開けると天井からハシゴを下ろして上の戸棚(戸袋)に隠れます。そこに忍者が隠れているのが見えますか?仕掛け戸(落とし段)、ここからも外へ出ることができます。壁の左側を押すと隠れ戸があります。こちらも押し入れの中に逃げ道がありました。最初に回転した戸の奥からこの部屋に通じています。敷居が外れて床下から秘伝書や大切なものが入った壷が出てきました。床板の端を踏むと片側が上がり板の裏には剣が隠されていました。それで相手を攻撃したらしいです。こうして部屋を順番に移動しながらあちこちに仕掛けが施されているという説明を聞いたのでした。(続く)
April 5, 2019
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一息ついた後は野の花を見ながら天神神社を目指します。右上の方には紅梅が見えました。途中木瓜の花の盆栽が売られているお店がありました。一番右の盆栽は天皇梅、隣の真っ赤な木瓜の盆栽はあかね、その向こうは長寿楽という名前がついていました。やっと赤い橋が見えてきました。上の方に梅の里ふれあい館も見えます。赤い小さい木の橋を渡りやっと目的地、天神神社に到着です。月ヶ瀬梅林を満喫できるウォーキングコースのゴール地点です。梅の里ふれあい館の向こうをぐるっと回って折り返します。ここから復路です。ちょっと寄り道をして梅林公園の紅梅を写してきました。電線が写ったのが残念。途中の茶店の前にある赤いソフトクリームが目に入りました。梅ソフトです。ゆっくり喉を潤したいところですが、単独行動をしているのでバスの集合時間が気になります。先を急ぎました。人里に降りてきました。春のお花が満開でした。小さなしだれ梅も満開でした。バスの集合時間までにまだ45分以上も残っていました。結局私は片道30分のところを往復30分ぐらいの速足で駆け上がり駆け下りてきたことになります。韋駄天chiichanとは私のことですね。(続く)PS) 北イタリアの友人が今日の昼頃に我が家に到着しました。これから3カ月間我が家でホームステイをしながら剣道の練習に励みます。彼はこれが7度目の来日。現在剣道4段の腕前でイタリアで生徒に剣道を教えています。これから剣道の腕を磨きながら一緒に旅行にも出かける予定です。2006年に初来日して以来の友達で、前回の滞在は2017年の春から初夏でした。
April 4, 2019
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お腹いっぱいになった後は運動が待ってました。月ヶ瀬梅渓へ観梅に出かけたのです。旧月ヶ瀬村は現在奈良市に吸収合併され、奈良県奈良市月ヶ瀬となりました。名張川沿いに約1万本の梅が咲く梅の名所です。バスガイドさんは片道30分はかかりますからご自分の体調と相談しながら登って下さい、絶対に無理はしないように言われました。駐車場を出る時にちょうど雨がぱらついてきたので、相方はバスに戻って休憩を。私は一人写真を撮りながら途中急な登りや下りを息を弾ませながら往復してきました。月ヶ瀬梅渓の梅まつりが開催中でしたが、3分咲き、5分咲き、7分咲の梅や見頃を過ぎているのもありました。駐車場から5分ほど歩くと石柱が建っていました。先へ進むと道が二手に分かれます。緩やかだけど遠回りの道ではなく勾配が急だけど近道を選びました。苔むした石灯篭の傍を通り大きな梅干しの樽を左手に見て進みます。さあご一緒に月ヶ瀬梅渓を散策しましょう。電線が写り込んでしまいました。汚水槽の蓋も梅の花の絵柄でした。ネコヤナギの切り花がたくさん売られていました。坂道階段を上って細い道の右側の崖には野の花がたくさん咲いていました。こんな感じです。左側に月ヶ瀬湖(名張川)が見えてきました。大分登ってきたことがわかりますでしょ。これでかなりの距離を歩いたんですよ。ここから展望台が数カ所あって眺めが最高になります。今回のバス旅には小さな子供さん達が10名近く参加してました。展望台以外の道路脇には柵がないので足を踏み外したら大変なことになるのではと心配でした。山の上はお天気が悪くあまり紅梅の色が綺麗に出ませんでした。これでやっと片道の3分の2に近づいたところです。ここらで一休みしましょう。(続く)
April 3, 2019
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4月1日に新元号が「令和」と発表されました。万葉集にある和歌から二文字を選ばれたのですね。いつもここで紹介している武下さんから頂いたカレンダーです。パンジーの絵と「大丈夫 自信をもって 一歩前に」という言葉が添えられています。4月も2日になりましたが、3月31日(日)に日帰り旅をしましたので旅行記を綴りたいと思います。中央高速道路から名古屋高速に入り名二環から東名阪に入り、伊勢道に入って三重県の伊賀上野にやって来ました。伊賀上野といえば伊賀流忍者と松尾芭蕉の生誕地ですね。観光の前に先ずは腹ごしらえです。ドライブインへ立ち寄り芭蕉庵で昼食でした。蟹もお肉もお変わり自由ですが、とてもそんなに食べられませんでした。お元気で食欲旺盛な方々は蟹やお肉を何度もお変わりしていました。蟹フライ、蟹コロッケ、蟹シュウマイ、蟹マカロニ等蟹尽くしも結局残してしまいました。私達は一番早く食堂を出て土産物屋さんへ直行しました。(続く)
April 2, 2019
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