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旅行記に戻ります。富岩水上ラインに乗って「水のエレベーター」中島閘門を体験した後は富山県美術館を訪れました。先ずテラス席でベーグルと野菜が主役のランチを食べて結構ボリュームがありました。その後、美術館の方へ移動。ちょうど開館5周年記念の「西洋絵画400年の旅」(珠玉の東京富士美術館コレクション展)を開催中でした。残念ながら館内は撮影禁止。1.歴史画、肖像画、風景画、静物画、2.物語・現実、幻想の世界へ、光と色彩の饗宴、フォルムと空間等、83点が展示されていました。すべての作品の前にはロープが張ってあり絵画を近くで見ようと顔や手をロープよりも前に出すと女性係員が注意をしに来るほど厳しかったです。唯一撮影できたのは外のこのコーナーだけでした。オノマトペの屋上がありました。最近、俳句の番組でよく「オノマトペ」を使った俳句が出てきますね。屋上からは立山連峰が見えました。他の階には展示室、アトリエ、ギャラリーなどがあり、ピカソやミロ、ロートレック、藤田嗣二などの作品がありました。この部屋はコレクション作品で写真撮影OK。国内外の20世紀美術やポスター、椅子などの作品が展示されていました。一旦ホテルに戻り休憩。夜はまた富山駅まで歩いて居酒屋さんで海鮮三昧。白えびの天麩羅が美味しかったです。富山では白えび三昧でした。(ちょっと焦点が合ってませんでした)4日目の朝食ビュッフェです。さあ、これから岩瀬町歩きに出かけましょう。(つづく)
October 23, 2022
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まず富岩運河誕生の背景について少し紹介します。※「かつて神通川は氾濫することが多く、街は頻繁に浸水被害を受けていました。明治34年(1901年)蛇行区間の西側に細い水路を設けて水の流れを広げる工事を開始、その後大正11年(1922年)頃には工事によって水路が本流となり、現在の神通川となりました。市街地には広大な廃川地が残り、近代都市としての発展を遂げました。そこで富山駅北から東岩瀬港の間に「富岸運河」を開削し、堀った土砂で神通川の廃川地を埋め立てる工事をして昭和10年(1935年)使用開始となりました。昭和10年(1935年)富岩運河の中央に上流と下流の推移差2.5mを調節する中島閘門を設置。これにより富山駅北と現在の富山港が水路で結ばれ船による資材運搬が非常に便利になり、運河沿いに一大工業地帯ができ、戦後の復興期に活況を呈しました。しかし、高度経済成長とともに物流が変わり、富岩運河の埋め立て計画も浮上しましたが、今では街づくりに活用しています。運河の途中に、昭和の土木構造物としてある中島閘門は全国発の国の重要文化財に指定されました。」(※ 頂いたリーフレットを参照)さて、約7㎞の運河クルーズ「富岩水上ライン」に乗って出発した私たちは富岩運河の上流側と下流側の2.5mもの水位差を調節するパナマ運河方式を体験しました。ヨーロッパで中世から近代にかけて発達した水運技術を取り入れたパナマ運河方式です。船に乗ったまま川の水がどんどん減っていきます。こんなに減りました。高低差2.5mです。なお、閘室の深さは6.27mです。(全長86m、幅9.09m)双扉式の門扉が開き始めました。門扉が完全に開きました。そこを船が通航しました。こちらは船尾の方です↓門扉が閉まりました。これで今まで来た向こうの川とは2.5m低くなりました。(帰りはその反対で閘門が開閉して船に乗ったまま川の水がどんどん入って2.5m高くなっていき元の川の高さに戻って通行して帰ってきました。)ここでも青鷺が全く動かずにひなたぼっこここで希望者は船を下りて見学しました。足の痛い相方だけ船に残りました。ちょっと読みにくいと思いますが、初めに書いたようなことが書いてありました。閘門の操作室です。船がやってきました。ここで閘門の開閉をします。男性が一人で働いてました。こちらの黒い機械は昔の物で現在はその奥にある操作盤で操作してました。こちらの家では昔、閘門の開閉をする人が家族で生活していたので居間や台所、お風呂やトイレなどが当時のまま残されていました。同じように帰りは川の水が2.5m上がって船が通航して元に戻ってきました。往復70分の運河クルーズでした。ここで皆さん記念写真を撮ってました。近くには有名なシェフの経営するレストランがありましたが、普段着では入りにくい雰囲気でしたし、カジュアルなお店は満員で外まで並んでいたので車で次の目的地に向かう事にしました。(つづく)
October 21, 2022
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遊覧船に乗って松川をクルーズした後は、甘味処でゆっくりと休憩をして元気を取り戻し、富山市役所まで歩いて、地上約70mの展望塔に上がって市街地を360度ぐるりと眺めました。市役所の中はとても近代的でお洒落な建物でした。展望塔からは立山連峰が綺麗に見えました。街中に富山城址公園も見えました。↓赤、白、ピンク色の彼岸花が咲いていました。市役所から富山城址公園の駐車場まで歩いて戻り、そこから富岩(ふがん)運河公園まで車で走りました。木陰の下の駐車場に車を入れてから、乗船場までかなり歩かなければなりませんでした。やっと向こうの方に乗船場が見えてきました。ちょうど船が出た後で、次の出発時間まで約1時間近く待たされました。この辺りは川風がとても強く吹いていました。この船に乗ります。いよいよ富岩水上ラインに乗って約70分間のクルーズに出発です。向こう岸の丸い物は富山の丸薬を象徴しているそうです。向こうの方に中島閘門が見えてきました。ここで私達は貴重な体験をすることになります。さて、それはどんな体験でしょう。それは明日に続きます。(つづく)
October 20, 2022
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では松川遊覧船に乗って30分間の歴史クルーズに出発しましょう。4月上旬は「日本さくら名所100選」に選ばれている華やかな桜のトンネルがくぐれるそうですが、秋なので堤防には赤い彼岸花が群生していました。もう少しすれば桜の葉が紅葉して綺麗なことでしょう。富山県はガラス工芸が盛んです。橋にはステンドグラスがはめ込まれていました。アザミの花でしょうか。こちらのステンドグラスは立山連峰橋の下をくぐりました。※ 日本一の船橋・神通川船橋は慶長11年(1606年)それまでは船の渡しだったこの場所に前田利長が船橋を架橋しました。当時は舟同士をいくつも繋いでその上に板を敷いた形式の橋でした。日本最大規模で「越中富山の名所」と言われたこの橋は明治15年(1882年)に木橋と架け替えられました。現在は当時の面影をしのぶように船の形のデザインが施された橋となっています。(※ リーフレット参照)寛政年間からの常夜灯も残っていました。行きも帰りも青鷺が微動だにしませんでした。これはガス燈の名残だそうです。現在は使っていません。ちょうど橋の上を市電が走っていきました。この橋は頑丈そうにできていました。船は引き返し、乗船場も通り過ぎました。ここで船を止め、川の魚に餌やりをしました。たくさん集まって来て餌を食べるのであちらこちらで水しぶきが上がりましたが、魚がわかりますでしょうか?今度は桜が咲く頃に来るといいわねと言いながら船を降りたのでした。(桜が咲く頃の遊覧船の様子)しばらくしてから次の船が出ていきました。私達は茶店で船を眺めながら休憩をして相方は富山城抹茶パフェを私はきな粉わらび餅とお抹茶を頂きました。とっても美味しかったです。ではここから数分歩いて富山市役所展望塔に上がることにしましょう。(つづく)
October 19, 2022
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旅行記に戻ります。3日目は富山市内の近い所を観光することにしました。先ず向かったのは富山城址、今は石垣しか残っていません。入口に前田正甫公の銅像が建っていました。富山城の石垣が残されています。石垣の石は不ぞろいでした。これは福知山城に行った時にも思いました。(墓石まで使ってありましたから)富山市郷土博物館はその日は閉館していました。翌日富山まつりがあったので準備されていたのかも?残念!佐々成政や富山前田家ゆかりの富山城の歴史を映像や模型を使って紹介してあるそうです。富山城跡は城址公園として整備され、市民の憩いの場となっています。富山城址内をどんどん奥へ歩いていくとかつての富山城の船着き場に出ます。遊覧船に乗る前に松川茶屋の中に併設されている滝廉太郎記念館に立ち寄りました。↓ 父・滝義弘と富山の事が説明してありました。滝廉太郎とかかわりの深い人物が紹介されていました。↑中央はドイツから帰って療養中に親友鈴木毅一と。右は3人組の親友で、その右の人物はロシア生まれのドイツ人哲学者、ラファエル・フォン・ケーベル博士で東京音楽大学でピアノと音楽理論を教えた人。↓滝廉太郎の両親と家族↓音楽学校時代の3人 ↓「荒城の月」と富山城について最後にもう一度、作曲中の滝廉太郎の彫像とオルガンを見てさあこれから松川遊覧船に乗って富山城を守った神通川の名残の松川をゆったり遊覧して来ましょう。川の右側には近代的なビルがたくさん立ち並んでいます。蛇行した神通川の氾濫をなくすために神通川の流れをまっすぐに伸ばす工事が行われた際、掘った土を運搬して埋めた土地の上にどんどん新しいビルが建ち並んでいったそうです。富山市役所も主な会社のビルもそうだったようです。では船頭さんの解説を聞きながらこれから約30分の歴史クルーズに行ってきます。(つづく)
October 18, 2022
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高岡古城公園からホテルへ戻って休憩し、富山は新鮮な魚が食べられますが、夜はお肉料理が食べたくなり街へ繰り出しました。ホテルで紹介してもらって、お店に電話をかけると「お待ちしておりますので是非お越しくださいと」大歓迎。それもそのはず、平日の夜なので外国人の女性が二人だけ。私達は2組目でした。(土曜日の夜に出かけたらお店の外のテラス席まで若者たちで満席でした。)居酒屋と言うよりはパブと言う感じ。イタリアンレストランともちょっと違う感じ。トマトとバジルのパスタを半分こしてビールとジンジャーエールで乾杯!相方はハンバーグとポテトフライを私はフィレステーキとハンバーグを半分もらって満足してホテルに戻りました。ホテルに戻るまでの道すがらその昔、富山は薬売りで有名でした。こういう格好で各地に薬を売りに出かけてましたね。富山駅です。市内を走る電車です。朝から晩まで大勢の乗客が利用しています。道路には市電の線路があり車と電車が信号で調節されて走っていました。市内電車、セントラム(市内電車環状線)ポートラム(主に富山湊線)が運行されています。駅前を歩いてホテルに戻りました。3日目のビュッフェの朝食です。入口で消毒をして手袋をはめて食べたいものをとります。朝はこんな色の市内電車が走っていました。富山駅前は歩車分離式信号になっています。それではこれから富山城址の観光に出かけましょう。(つづく)
October 15, 2022
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氷見市へ行った帰りに高岡市へ寄り道をして、高岡古城公園を訪れました。中心市街地に約21万平方メートルという東京ドーム約4.5倍の広大な面積があります。これだけ広くては方向音痴の私が駐車場まで戻ってこれないかもしれないので足の痛い相方に付き合ってもらったのです。ここは慶長14年(1609年)に加賀前田家2代当主、前田利長公が築いた高岡城があった地で城跡が公園として整備されています。(高岡大仏から南外濠の橋まで約200mで4分の距離です)※ 前田利長公は1585年から13年間守山城の城主でしたが、利家公の後を継ぎ藩主となり7年後に隠居して富山城に移りました。しかし大火で城が消失したため、この地に高岡城を作りました。設計はキリシタン大名で築城の名手、高山右近と伝承されています。入城して5年で利長公は亡くなり廃城となりました。明治になり、城跡が消失しそうになりましたが、公園指定の請願書を出し、保存運動をして、城跡は高岡古城公園として残りました。(上記はリーフレットを参照)3つの水濠に囲まれて、濠は築城時のまま残されています。カミツキガメもたくさん泳いでいたので餌をあげないようにと注意書きがされてました。鯉やカルガモを見ながらしばらく休憩して広い公園を散策し始めました。コウボネの黄色い花がたくさん咲いてました。朝陽橋を渡りました。ここから上り坂を上がっていきました。そして今度は道を下ると、朝陽の滝と聖観音菩薩がありました。高岡は銅器が伝統産業なので、公園には日展作家などの彫刻のブロンズ像があちこちにたくさん設置されていました。屋根の上には金の鳳凰がいました。実は二人とも足元の悪い階段をかなり下りて駐車場とは反対側に出てしまったので、また階段を登って引き返したのでした。私一人だったらこの広い公園で途方に暮れたことでしょう。足元には彼岸花や藪蘭(リリオペ)が自然のままたくさん生えていました。ちょっと見えにくいですが、加賀前田家2代当主、前田利長の銅像です。他にも見所はたくさんありましたが、石段を上ったり下ったりして足腰に痛みが出ている相方が心配でこの辺で帰ることにしました。私も歩き過ぎて腰が痛くなってきましたしね。これで高岡市から富山市のホテルに直行です。(つづく)PS) 昨夜は第19回坪内逍遥大賞の授賞式があり、翻訳家で演劇評論家の松岡和子さんが来市され、授賞式がありました。記念事業として「逍遥訳と松岡訳で楽しむシェイクスピア劇の世界」があり、シェイクスピア劇のリーディングを内田健司さん、周本絵梨香さん、高橋英希さんの3人の役者さん達が演じてくれました。その後、松岡和子さんと役者さん達3名のトークを楽しんできました。(画像はすべて友人から頂きました)2時間楽しい時間を過ごしてきました。ちなみに歴代坪内逍遥大賞受賞者は第1回 六代目中村歌右衛門第2回 島田正吾第3回 加藤道子第4回 前進座第5回 野村万作 第6回 小沢昭一 第7回 仲代達矢第8回 中村雀右衛門第9回 二代目水谷八重子第10回 九代目松本幸四郎第11回 観世榮夫第13回十五代目片岡仁左衛門第14回四世宗家家元花柳壽輔第15回 吉永小百合第16回 渡辺美佐子第17回 北川悦吏子第18回 白石加代子(敬称略)の皆さんです。
October 14, 2022
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富山湾のクルーズを終え、新鮮な魚料理を食べた後、相方が行きたかった氷見市潮風ギャラリーへ到着。藤子不二雄Aアートコレクション展をやってました。ギャラリー入り口には代表作のキャラクターがたくさん描かれていました。1階は写真撮影が禁止でした。藤子不二雄A氏の漫画の原本がたくさん展示されていました。色使いや筆のタッチの細かいところまでよくわかりました。2階は撮影OKでした。相方はこの漫画もあの漫画もそろえて持っていたと懐かしそうに眺めていました。記念に写真を撮りました。「ひみぼうず」君もいました。こちらは入ったばかりはこんな暗い画面ですが、カメラのフラッシュをたくといろんな絵が出てきました。やはり「ひみぼうず」くんも藤子不二雄A氏が故郷氷見市のキャラクターとして作り出されたんですね。こちらも楽しいコーナーでした。動画のスピードが速いのでキャラクターがあっという間に走り去ってしまいました。写真を撮るのは難しかったです。実は私たち二人はこうして立っていただけです。「ココロのスキマ、お埋めします喪黒福造」と書いてあります。そして私たちはこんな風に変身しました。相方は満足できたようでした。せっかくここまで来たのだからと藤子不二雄A氏の実家、光禅寺にも行ってきました。境内には藤子不二雄A氏の漫画のキャラクターが並んでいました。藤子不二雄A氏はこの寺の長男として生まれましたが、お寺は継がずに、東京へ出て後に漫画家として有名になった方達が住んでいたトキワ荘に住んだのです。弟さんがいらっしゃるので跡を継がれたのではないでしょうか。お寺はひっそりとしていたので門から足を踏み入れることはせず、写真だけ撮らせていただきました。では次の場所に行くことにしましょう。(つづく)
October 12, 2022
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富山旅行2日目になりました。ホテルのビュッフェで朝食を済ませ富山市から高岡市を通過して氷見市に入りました。氷見市は藤子不二雄A氏の生まれ故郷なので、街中にたくさんの作品のキャラクターが並んでいます。これは「笑うセールスマン」の喪黒福造です。やっと氷見港に到着です。カラフルな傘が綺麗でした。氷見観光遊覧船で氷見沖クルージングができるという運行案内の看板があったので乗ることにしました。ところが、ここからがさあ大変!ここですぐに乗れると思っていたら、一旦国道に出て大きな橋を渡った向こう側に乗り場があるという事でそちらに向かって走りました。(船乗り場はこの橋の向こうのずーっと奥の左の方にあります)足が痛い相方はこんなことなら車で来れば良かったと言うし、船の出航時間は午前11時の次はもう午後1時しかないと聞いて何としてでも11時のに乗りたい一心で必死でした。ところが、11時の出航に間に合ってやれやれ乗れると思ったら、船頭さんに「あの建物でチケットを買ってライフジャケットをもらって来て下さい。」と言われ、あわててひみ岸壁市場の一番奥まで走って行き販売機でチケットを買い、ライフジャケットを2人分抱えて戻ってくると、かなり時間がオーバーしていました。その間我慢強く待って下さっていた乗客の皆さんに最敬礼をして「お待たせして申し訳ありませんでした」と平謝りしました。やっとのことで出航しました。そして約30分で氷見沖をクルージングしてきました。カモメに見送られて向こうの方に立山連峰が見えるはずでしたが、頂上は雲に覆われて、靄がかかって残念ながらクリアに見えませんでした。島の左奥の方から少しだけ見えますか?山あいから雲が沸き上がっています。富山湾の海と立山連峰の写真をたくさん撮ったんですが、お見せするほど鮮明ではなかったので省きます。ガイドさんの説明をメモしてくれば良かったのですが、聞き流してしまったので、記憶を辿ってみると、※新元号「令和」の出典は万葉集の「梅花の歌」序文にありますが、「令和」を含む序文を記したのは大伴旅人です。(大伴旅人の子供が有名な大伴家持です)富山の国司をしていた頃の住居跡や、織田信長や豊臣秀吉が訪れたという島などが船から見えました。(相方から「オヤジはいつも手帳を持参して大事な事はメモしていたぞ。」と言われてしまいました。義父は詩を書いたり散文を書いていましたので)船はかなり沖に出ました。向こうの浮きがある所が定置網がかけてある場所です。富山の新鮮な魚は定置網漁で獲れた魚を毎朝市場へ出荷するんだそうです。相方は最後尾に座っていました。これで富山沖を1周してきました。岸壁ではたくさんのカモメが迎えてくれました。その後、新鮮な魚料理が食べられる氷見岸壁市場で昼食にしました。私は氷見漬けチラシ定食を相方は氷見刺し身定食を頂きました。自家製つみれ汁も美味しかったです。まるまげ祭りの顔はめをしてみました。氷見市のマスコットキャラクター「ひみぼうず」くん春夏秋冬の氷見市の紹介をスクリーンで流してたので、椅子に座ってしばらく観てきました。そしていよいよ今回の旅行で相方が見たかった藤子不二雄A氏のギャラリーへこれから向かいます。(つづく)
October 11, 2022
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高岡山・瑞龍寺の山門を出るとドラえもんが運転手をしている幸福行きのバスが止まっていました。すぐ隣で龍の形のどら焼きを売っていましたので、二人とも粒あん入りを買って車の中で食べました。次に向かったのはここ、高岡大仏です。高岡銅器のシンボルです。高さが約16mある巨大な青銅製の大仏です。木造製の大仏が大火で焼失したので高岡銅器の技を駆使して、約30年の歳月をかけて建立されました。ちょうど交通安全のたすきをかけてらっしゃいました。台座下の回廊には焼失を免れたご尊顔を拝顔できました。消失を免れたご尊顔台座の下の回廊をぐるりと回って展示物を見てきました。そして高岡市から富山市に移動して富山駅前のホテルにチェックインしました。バス、トイレは隣の部屋にあります。部屋で少し休憩してから富山駅内の北陸新幹線改札口直結の場所に有名店が多数出店してました。そこの一店で新鮮ないくら丼と白えびの天丼を注文。私は余分に白えびの刺身と冷酒を注文。白えびの刺身は甘くて美味しかったですし、立山という銘柄の冷酒も美味しかったです。1合を一人で平らげました。どちらも美味しかったので大満足。いい気分でホテルに戻ったのでした。その夜、私は写真をPCに取り込んでブログに載せるとすべて横向きになるので色々と格闘しました。相方は早々に寝てしまいましたが、夜中の1時頃に起きて朝までテレビをつけながらにじいろ会のストラップを切っていたそうです。富山1日目はこうして終わったのでした。(つづく)
October 7, 2022
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菅沼合掌造り集落と相倉合掌造り集落から高岡市に向けて国道を走りました。標識に大型車両は80キロ、普通車は100キロと書いてあり、車がビュンビュン抜かして走って行きます。私達は安全運転でゆっくり走りましたが、こんな国道を初めて走りました。高岡市街に入り車の中から前方を撮りました。そして着いたのは高岡山瑞龍寺。今回は写真をたくさん省きましたが、それでも30枚ほどありますのでご了承ください。雨が降っていたので暗く写りました。ここ瑞龍寺は富山県唯一の国宝として有名です。加賀藩2代藩主・前田利長の菩提寺で、3代藩主・前田利常が名工の一人である山上善右衛嘉広に建築を命ぜられ約20年の歳月をかけて建立しました。山門、仏殿、法堂が国宝に指定され、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶堂は重要文化財に指定されています。では総門(重要文化財)から入りましょう。山門(国宝)が見えます。天保2年(1645年)に建立され、場所を変えて建て直しましたが、1746年火災で焼失、1820年に竣工しました。左右に金剛力士像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢を祀ってあります。向かって右左山門をくぐると右側に大庫裡(重要文化財)正面に仏殿(国宝)左側に禅堂仏殿(国宝)は1659年に建立されました。山上善右衛門の力作の一つで総欅造りです。仏殿の中の写真はリーフレットから拝借しました。仏殿を囲むように左右対称に回廊が作られているので、右側からぐるっと回りました。大庫裡(重要文化財)で調理配膳と寺務運営を行います。天上が漆喰で曲線になり結露に配慮してあります。正面に韋駄天尊増が祀られています。浄財をして許しをもらい写しました。延命地蔵菩薩様にも浄財をして相方の腰と足の痛みが軽減しますようにとお参りしました。その後、法堂(国宝)へ参拝しました。1655年~1657年の竣工で境内一の総檜造りの大建築。二代目藩主前田利長の位牌が安置されています。各天井には狩野康信の四季の百花草が描かれ、欄間には高岡と言う地名の由来となった鳳凰が刻まれています。法堂の中の写真はリーフレットから拝借しました。法堂の参拝を終え、左側の回廊を戻りました。向こうの方に、石廟(県指定文化財)が祀られ前田利長公、利家公、織田信長公、同室正覚院、織田信忠公の分骨廟がありました。禅堂(重要文化財)座禅修行だけでなく食事、睡眠もとれる生活空間。烏枢沙摩(うすさま)明王が祀られていました。これで高岡山瑞龍寺の参拝を終え山門から出ました。相方は山門までは歩いてそこでずーっと待っていました。私が全ての仏様にお参りしてくると、足の痛みがなくなったと言ってすたすた歩いていきました。ほんのしばらくの間だけですが、「苦しい時の〇頼み」の効果はあったようです。(つづく)
October 6, 2022
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菅沼合掌造り集落の次に向かったのが相倉合掌集落でした。相倉合掌造り集落は五箇山の中でも最大の合掌集落で、20棟の合掌造り家屋に4棟の茅葺家屋を含む24棟の茅葺建造物に加え、数多くの建造物が良好な状態で現存しています。(参考文献:南砺市世界遺産マスタープラン)外は厳しい自然環境に耐えうる強固な造り、中は家庭内産業の工場空間と生活空間を兼ねた合理的で機能的な造りで豊かな自然環境と農村風景とも非常にマッチして「日本の原風景」と高く評価されています。雨が本格的に降ってきました。相方は車に残り、私は一人傘をさして見学に行きました。稲刈り後の懐かしい風景です。実は下にこの標識が立っていたので一人で山の上の方にどんどん登っていきました。辺りに人は誰もいなくて、少々心細かったんですが、ここまで来たのだからと気力を振り絞ってフーフー言いながら山を登っていきました。しかし結局、相倉集落は全く何も見えず今来た道を引き返して山を下りたのでした。下に降りても霧雨で遠くまでは見渡せませんでした。稲架掛け(ハザ掛け)の昔懐かしい田園風景2階の窓から人形がのぞいていました。この真っ黒な花はワレモコウではないような?ガマの穂でもないような?ちょっとわかりませんでした。相倉合掌集落を一周してきました。この頃には観光客は一人もいなくなりました。車で待っていた相方と茶店に入りなめこ蕎麦と月見そばを食べたのでした。次第に雨脚が強くなった中を歩いて山の上で冷えてしまった身体が温まりました。この売店でブラックサイダーを飲んで美味しかったのでお土産に買いました。醤油と黒コショウが入ってピリッとした大人の味です。山の上から降りて行くときは霧雨で前が見えないほどでした。ホテルのチェックインの時間にはまだ余裕があったので、高岡方面へナビを入れてそちらへ。高岡市は元加賀藩の城下町です。(つづく)余談ですが、天皇陛下は学生時代に地理研究会の研修旅行で、相倉合掌造り集落へ来村し宿泊されたそうです。その折の事を1991年(平成3年)の宮中歌会始で「森」のお題で歌われました。また秋篠宮皇嗣殿下も学生時代に相倉へ来村し宿泊されたそうです。民宿で「私は、世界で三カ所好きなところがあります。その中の一つがこの五箇山なんですよ。」と仰ったそうです。また妃殿下とお二人で宿泊された際には、「九年前は一人で来ました。今回は二人で来ました。この次は子供を連れて来たいと思います。」とお話になられ、その後、実際に何度もご家族でお越しになったそうです。
October 5, 2022
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旅行中、持参したノートパソコンに写真が取り込めず、旅先から文章だけ載せましたが、帰宅して使い慣れたデスクトップに550枚の写真を取り込みましたので、これからまた振り出しに戻って走行距離570キロの富山の旅を振り返ります。9月28日(水)朝8時に自宅を出発。東海環状自動車道から東海北陸自動車道に乗り、北陸自動車道に入り、一路富山を目指しました。ところが、あいにくこの日はお天気が悪く霧が深くて山の上は雲海が広がってあまり遠くまで見渡せませんでした。途中2回の休憩をとりましたが、平日で雨も降り出し、お天気が悪いのでこの時間帯に車は少なかったです。最初に着いたのは菅沼合掌造り集落。この日、相方は腰と右足の痛みがひどく車から一歩も出ずに待っていてくれました。方向音痴の私は一人とぼとぼ山道を進み、集落を写真に撮りながらぐるっと散策してきたのでした。山道を歩いていくと左側に菅沼合掌造り集落が見えてきました。ここから集落の方へ降りていきました。すぐそばを庄川が流れています。庄川右岸に9棟の合掌造りを始め土蔵や板倉などの伝統的な建物と田畑が点在しています。江戸時代末期から明治時代に建造されたものが多く、古くは400年前のものもあります。両手を合わせ合掌している形に似ているのでこの名前が付いたと言われています。規模が小さいながらも、住民は生活してらっしゃいますので、民俗館だけでなく土産物店、喫茶店もありました。この集落は江戸時代、隔絶されていたので、今でも秘境の雰囲気が残っていました。↓ これはお手洗い豪雪に耐えられるように急こう配の茅葺で切妻屋根をしています。↑土産物店で民芸品を売ってました。↓菅沼合掌造り集落をぐるりと一周してきました。五箇山は富山県南部で岐阜県と隣接している南砺市内にありますが、5つの谷の間に集落があるので五箇山と呼ばれるようになりました。岐阜県の白川郷と比べるとこぢんまりとして静かです。江戸時代には養蚕や和紙製造が盛んでした。ユネスコの世界文化遺産に登録されているのは五箇山のうち、菅沼(すがぬま)と相倉(あいのくら)の2つの合掌造り集落だけですが、岐阜県の白川郷とともに1995年12月9日に登録されました。それでは次の目的地である相倉へ向かいましょう。(つづく)
October 4, 2022
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昨日朝食後、ホテルをチェックアウトして富山市民俗民芸村経由で山頂付近の呉羽山公園展望台へ行き、富山市街や立山連峰の眺望を楽しみました。そこには富岩水上ラインのガイドさんに聞いたお話しに出てきた佐伯有頼少年の像が建っていました。その後、富山市科学博物館へ向かいました。プラネタリウムの時間までは待てないのでマンモスやクジラの標本を見ながら館内を見学してもう十分満足できたので午前中で富山観光を終え、高速道路をスイスイ走り、途中ひるがの高原PAで昼食を済ませましたが、行きとは違いお天気も良く日曜日と言う事で観光客も多く、駐車場はほぼ満車でした。そしてもう1カ所、PAへ立ち寄り美味しい高原牛乳のソフトクリームを食べ、午後3時頃には自宅に到着できました。途中渋滞もなく快適なドライブでした。これで4泊5日の富山旅行を終えたのでした。走行距離は570キロ。前回天橋立に行った時は781キロでしたので210キロほど少なかったですが、特に運転手は神経を使って疲れたことと思います。お疲れさまでした。そしてご苦労様でした。帰ってから片づけものと洗濯をした途端、二人とも緊張がゆるんで夕方まで少しの間、熟睡しました。旅行中たくさん写真を撮ってきましたので、後日また写真付きの旅行記を載せたいと思います。自宅に帰ると、旅行中にブロ友の咲くや姫さんから地元の珍しい「れんこんめん」が届いていました。ごちそうさまです。優しいお心遣いに感謝します。PS) 自宅に戻って写真を取り込みました。
October 3, 2022
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9月も終わり10月になりました。昨日訪れたのは北前船廻船問屋「森家」とお隣の旧馬場家住宅です。岩瀬大町通りには多くの旧家が残っています。2軒の旧家を見学した後、旧馬場家住宅の米蔵を改装したコボブルーパブでビールを4種類試飲して昼前にいい気持ちになってしまいました。向かいの和菓子大塚屋で伝統を守り続ける三角どら焼きなど甘いものを色々と買いました。その後、富山港展望台まで歩いて101段の階段を上るのは少々つらかったです。富山湾の眺めは素晴らしかったですが。次に高志(こし)の国文学館を訪れました。富山県出身の小説家、漫画家、映画監督などが大勢紹介されていました。所蔵された本がたくさん展示されていました。その後、富山きときと空港へ直行。ここでランチを済ませ、お土産を買いました。飛行機が見たくて空港4階の展望デッキへ。しかし、飛行機は夕方しか来ないのでヘリコプターを3機見ただけです。しかし、望遠レンズを付けたカメラを持った人や三脚を立てたカメラマンがやけに多かったです。夜のニュースで自衛隊の救急医療の訓練をやっていたので、これが目当てだったのかもしれません。最後に富山市ガラス美術館へ行きました。繊細なガラス作品がたくさん展示されていました。フラッシュなしの撮影は許されましたが、それをSNSに載せることは禁止すると書いてありましたので残念ですが、写真を載せることはできません。いつもよりも遅くホテルに戻り午後8時過ぎに夕食に出かけました。土曜日の夜ということでどこのお店も満員。仕方なくお好み焼きと焼きそばを食べに行きましたが、両隣の若者たちの食べっぷりの良さと飲みっぷりの良さに呆気にとられて驚いてしまいました。PS) 自宅に戻って取り込んだ写真です。
October 2, 2022
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今日はホテルから近い所を車で回りました。はじめは路面電車に乗っていこうと思いましたが、電車を降りてから相方が歩くのが大変なので結局車で行くことにしました。最初に訪れたのは富山城址公園です。富山城址公園には富山城が建っていて堀や石垣などに当時の面影があり、中に入れば富山市郷土博物館があるのですが、あいにく休館日で残念でした。ここで気軽に声をかけてきた女性がいました。自転車に乗った明るい方でよく見るともうひとり男性がそばについてらっしゃいました。聞けば、観光ガイドの練習をしているんだとか。そこから少し歩いて松川遊覧船に乗って30分間の歴史クルーズをしてきました。するとまた先ほどの女性と男性のほかにもう一人女性が一緒に私たちの船に乗船されました。5人でクルーズをしましたが、どうも観光ガイドの勉強の一環のような感じでした。松川茶屋でおいしいパフェと抹茶を頂いてきました。茶店には滝廉太郎の写真、彫像、オルガンなどの展示がしてありました。滝廉太郎は「荒城の月」を作曲しましたね。その後、少し歩いて地上約70mの富山市役所の展望塔へ上って遠くの立山連峰や富山湾、市街地を一望してきました。次に車で富岩運河環水公園に行き、この日2回目の船、富岸水上ラインに乗って7キロの運河クルーズを70分体験してきました。中島閘門で最大水位佐2.5mの水のエレベーター、パナマ運河と同じ珍しい体験をしてきました。その後、富山県美術館へ行き遅いランチを食べ、開館5周年記念の「西洋絵画400年の旅」を鑑賞。歴史画、肖像画、風景画、静物画、その他東京富士美術館コレクション展を鑑賞してきました。屋上庭園、楽しい「オノマトペの屋上」では親子連れが遊んでいました。そして夕方ホテルに帰ったのでした。夜はまた富山駅に出かけて夕食。気持ちよくなってホテルに戻りました。PS) 昨夜落語の三遊亭円楽さんが亡くなられたことを知りましたが、実は作朝私たちの社交ダンスの大先生が亡くなられたことを知りました。以前毎朝散歩をされてた名古屋の大きな公園(鶴舞公園)の花の写真を毎日優しいお言葉を添えて数枚送ってくださってた方です。生前故郷に帰りたいと話されてた通り、今日お骨になってふるさと宮崎に帰られます。ご冥福をお祈りします。PS) 自宅に戻って取り込んだ写真です。
October 1, 2022
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一昨日富山に出かけた時に相方は車ににじいろ会のストラップの材料を800個分すべて積んできました。そしてホテルで朝と夜の空いた時間に一人黙々とクラフトテープを切っています。昨夜も夕食が済んでから寝るまで切っておりました。そして午後9時頃には寝てしまいました。ところが、大体毎日睡眠時間は4時間ぐらいですので、午前1時には起きて一人クラフトテープを切っていたようです。私はちょうど寝付いたころで全く気が付きませんでしたが、早朝午前4時前ぐらいからテレビの音に気付いて目が覚めました。(二人は寝る時間が違うんです。)そして朝までずーっと切り続けていたようです。私は午前6時頃までテレビの音を気にしながらまどろんでいました。さて、富山旅行2日目はホテルの1階で富山名産を含めたお寿司屋さんのビュッフェで済ませ、ホテルから氷見へ直行しました。駐車場から遊覧船乗り場まで歩くのが結構長かったです。ちょうど午前11時からの氷見観光遊覧船に乗って30分間氷見沖クルージングを楽しんできました。その後、氷見岸壁市場で新鮮な海の幸の昼食を堪能。次に相方が行きたかった氷見市潮風ギャラリーへ。ここは漫画家、藤子不二雄Aさんの生まれ故郷なので、街中にたくさん漫画のキャラクターが並んでいました。ちょうど鳥取市の水木しげるワールドと似ていて町中が氷見市まんがワールドになっています。氷見市潮風ギャラリーでは藤子不二雄Aアートコレクションが1,2階で展示されていますので見学しながら遊んできました。その様子は後日写真を載せますね。そして藤子不二雄Aさんの実家のお寺、光禅寺も訪れてきました。帰り道で高岡市内へ立ち寄り、高岡古城公園を散策してきました。相方は車で待つといったんですが、方向音痴の私が広い古城公園を歩くのが心細かったので一緒に歩いてもらったんですが、これがまた広くて石段を上ったり下りたりで、相方は右足と腰の痛みがぶり返し、私も腰が痛くなってしまいました。これはちょっと良くなかったなぁと反省しました。このところ海の幸ばかり食べていましたので、ちょっとお肉が食べたくなり、イタリアンレストランへ行くことにしました。相方はハンバーグとポテトフライを注文、私はフィレ肉を食べ、ハンバーグを半分とトマトとバジルのパスタを半分こして食べました。久しぶりのお肉が美味しかったです。グラスビールを1杯飲みました。相方はジンジャーエールですけどね。二人ともいい気分でホテルに戻ったのでした。PS) 自宅に戻って取り込んだ写真です。
September 30, 2022
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昨日28日(水)午前8時に自宅を出てひるがの高原SAと松ノ木峠PAで休憩をはさみましたが、山の上はお天気が悪く霧雨が降っていて気温は18度でした。松ノ木峠PAは標高1,085mで日本で一番空に近いPA(標高日本一)です。周りは雲海が広がって何も見えませんでした。最初に立ち寄ったのは世界遺産五箇山合掌造り集落の菅沼合掌造り集落でした。相方は車に残ると言ったので一人で見学してきました。次に向かったのが越中五箇山相倉合掌造り集落でした。この頃には雨も本降りになり傘をさして相倉集落の全景撮影スポットがあるというのでそこまで一人で山の上に向かって歩いて行きましたが、集落は雲海のかなたに消えてしまい、全く見えないので仕方なく、今来た道を引き返しました。15分の時間のロスでした。相方は足が痛いので車から降りず、一人で相倉集落も見て回りました。ほとんどの観光客が帰ってしまい、相方と二人だけで茶店でなめこ蕎麦と月見うどんを食べてお腹を満たしました。次に向かったのは高岡市です。ここで富山県唯一の国宝として有名な 高岡山 瑞龍寺を訪れました。元加賀藩の城下町でとても歴史のあるお寺でした。次に高さ16mの巨大な青銅製大仏、高岡大仏を見てきました。帰りましたら、訪れた場所の写真を掲載したいと思います。そして午後4時過ぎにやっと富山駅前のホテルに到着し、チェックイン。しばらく休憩してから富山駅前の商店街まで出かけ、夕食を食べてきました。白エビの刺身が美味しかったです。酒の肴に食べながら日本酒も1合飲みました。後は海の幸の丼セットを食べてきました。相方は足を引きずりながら駅まで往復、その後、ホテルの部屋で私がPCをやっている間、にじいろ会のストラップの材料を出して黙々と作業しております。私は酔いがさめるまでもう少しかかりそうです。明日は晴れるといいなぁ~!PS) 自宅に戻って取り込んだ写真です。
September 29, 2022
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宮津湾をぐるっと回って北側にやってきました。府中駅からリフトで傘松公園へ上がりました。山の上の方ではもう紅葉がチラホラと始まっていました。宮津湾の北側、傘松公園から眺めた天橋立です。股のぞきで見た天橋立可愛いかさぼう観光船を写しました。こちらは海鳥を写しました。カモメかもしれません。ラブラブカップル用にはこんなのもありました。とにかく屋外は暑くて暑くて我慢できず、冷房の効いた室内に駆け込みました。傘松公園から眺める天橋立を十分堪能したのでリフトで下りていきました。その後、天橋立ワイナリーの隣にある米粉パン工房「葡萄畑のパン屋」さんへ寄って昨日頼んでおいた米粉のパンを頂いてきました。こちら側から見たトナカイさあ、これで予定していた計画はすべて完了したので京都、福井、滋賀、岐阜と通って自宅へ帰ってきました。(ちなみに行きは岐阜、滋賀、京都、兵庫でした)最後まで「781キロ車の旅・旅行記」にお付き合い頂きありがとうございました。(終り)PS) 昨日は週1のエステはお休み、ダンスレッスンもハプニングでお休みになり、午前も午後も予定していた時間が自由になったので、部屋の整理整頓と押し入れの整理をした後はせっせとにじいろ会のストラップ作りをしました。昨日1日で100個できました。
August 11, 2022
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2日目も朝から福知山城、出石城跡、天橋立ビューランドからの天橋立、ワイナリー、と目いっぱい走り回って夕方民宿に着き、夕食を頂きました。実は二人とも食べきれずに鍋を残しました。2日目の夜はお酒でご苦労様の乾杯を!宮津湾の夕景もこれで最後なのでしっかり目に焼き付けました。翌日の朝食ロビーに飾ってあった可愛い小物類布袋様もマスク姿民宿にお別れしてご主人お勧めの金引の滝へ向かいました。「滝は石段を登っていくとありますよ」と言われ、また登らないといけないのだと覚悟を決めて、車が1台しか通れない細い道を登っていきました。幸いなことにすれ違う車も来なくて一安心。駐車場から歩いて石段を登りました。どれだけ登ったでしょう。目の前に金引の滝が広がりました。ここだけはとても涼しかったので、ずーっと涼んでいたいと思いましたが、そんなわけにもいかず、また車が来ませんようにと祈りながら細い道を引き返したのでした。(続く)8月3日(水)に出席したモロッコガーデンプレオープン式典の記事が8月5日(金)の岐阜新聞に載ってました。記録として載せておきます。
August 10, 2022
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宮津湾に面した民宿を朝9時に出て車で1時間半の福知山城を見学した後、車で1時間半かけて兵庫県豊岡市出石町に着き、有名な出石蕎麦を食べ、出石城跡を見学した後は1時間半、山また山に囲まれた道を京都に向かってひたすら戻って天橋立に向かいました。日本三景の一つとされる天橋立は令和4年に名勝百年、特別名勝七十年を迎えたそうです。天橋立は有名な観光地なので駐車場がどこも満車、結局道を戻って天橋立ビューランドへ行く事にしました。天橋立を南側から一望できる展望所です。リフトとモノレールがありましたが、気持のよいリフトを選びました。天橋立が天に舞う龍のように見えるということから「飛龍観」と呼ばれています。有名な「股のぞき」を私もやってみました。(笑わないでね)こんな風に見えました。ちょっと右側を見るとこんな感じちょっと左側を見るとこんな感じとにかく山のてっぺんなので暑くて暑くて水分補給がペットボトルだけでは追いつきません。苺のかき氷が美味しかった!相方はアイスコーヒーを。明智光秀とその娘(三女)細川ガラシャの顔はめもやりました。細川忠興の正室でクリスチャンになった女性ですね。充分休憩した後、天橋立を見ながらリフトで下りました。最初に訪れた日に天橋立の傍を通りながら自転車を借りてサイクリングをしようかと話してたんですが、観光客が多くてやめました。その後、宮津湾の北側まで車を走らせ、天橋立ワイナリーへ。向こうにいるのはトナカイだそうです。周りには葡萄畑が広がっていました。ワイナリーでワインやワインの入ったお菓子などを買い、宅配便で送ってもらうように頼み、隣にある米粉パン工房「葡萄畑のパン屋」さんで翌日の帰る時間までに相方が好きな米粉で作ったパンを作っておいてもらうように頼んできました。帰りに暑くて喉が渇いたので、喫茶店を探して電話。そのお店は宮津湾の南側にあるのでまた車で戻り、午後4時半がオーダーストップの天橋立近くの喫茶店に飛び込み、そこでコーヒーのかき氷を注文。後でお値段を聞いて目が天に!たかがかき氷、されど観光名所のかき氷!相方はこちらケーキ&ジュースの倍の値段でした。まあこれも旅のいい思い出になりました。(続く)
August 9, 2022
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翌朝天橋立の民宿から1時間半で福知山城を見学して、その後、四方を山、また山に囲まれた道を1時間半ほど走り、着いたところは兵庫県豊岡市出石町内町。出石と書いて「いずし」と読みます。向こうに見えるのは辰鼓楼(しんころう)、日本最古級の洋式時計台。明治から百数十年4代にわたって時を告げています。明治4年(1871年)に出石城大手門脇露台に作られ、当時は1時間ごとに太鼓で時を告げていたそうです。室町時代から城下町として栄えたエリアで、風情のある景観で「但馬の小京都」とも呼ばれています。名物は皿蕎麦。ちょうどお昼時なので私達も蕎麦屋さんへ行く事に。2階の辰鼓楼が見える場所に座ってお蕎麦が来る前に出されたのは権兵衛餅。「皇太子殿下、同妃殿下が但馬路御行啓の折、お召し上がりの栄に浴したものであります」と書いてあったのでお土産に買ってきました。相方は梅蕎麦を私はおろしそばを他のお客さんは出石皿蕎麦をおかわりしてました。ゆっくり蕎麦湯を頂き、水分補給も充分してそれから出石城跡へ出かけました。風鈴がたくさん川に渡してあって、涼しげな音色をたてていました。それでは出石城登城門から入りましょう。慶長9年(1604年)に築城されました。最上段には城の鎮守、有子山稲荷神社があり稲荷神社まで157段の石段と37基の朱色の鳥居が並んでいて、境内から出石の街並みが一望できるそうですが、もう登る気力はありませんでした。暑い中、運動してきたので観光センターで冷えたアップルジュースを飲みました。さあこれから今来た道を戻って今回の目的である天橋立に行く事にします。(続く)
August 7, 2022
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昨日午後4回目のコロナワクチン接種してきました。最近チャチャを練習し始めましたが、身体を結構動かしますので今日はダンスレッスンをやめます。明智光秀が築いた福知山城の続きです。坂道を上がっていくと福知山城天守閣が見えてきました。以前福知山城の天守閣のこの間で羽生善治棋士が福知山対局をされたそうです。そして藤井聡太棋士の第35期竜王戦第4局が今年の11月8,9日に福知山城の天守閣で行われると書いてありました。他にも天守閣内部には明智光秀、朽木(くつき)氏関連資料が展示されていました。福知山城主初代は明智光秀(1579年から1582年)ですが、羽柴秀長、杉原家次、小野木重次、有馬豊氏、岡部長盛、稲葉紀道、松平忠房と続き、1669年から1871年(明治4年)まで朽木氏一族が代々城主を務めました。天守閣からの眺めです。福知山城へ来る道すがら明智光秀が洪水を防ぐために作ったとされる明智藪を見てきました。 ↓豊磐の井(とよいわいのい)天守閣の東側にある井戸。直径2.5m、深さ50mで城郭内部の井戸としては日本有数の深さで、地下の水脈まで岩盤を下げ今も清らかな水を蓄えています。天守台から本丸にかけての石垣は野面積みと言う積み方で400年以上の年月に耐えてきました。多くの五輪塔や墓石などの石造物が転用石として使われています。左の方にあるのは銅門番所(あかがねもんばんしょ)帰り道に明智家の家紋の桔梗があちこちに咲いていました。(続く)
August 6, 2022
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7月28日に丹波篠山城跡と竹田城跡に登ってくたくたになってやっと到着したのは相方が予約した民宿、「天橋立を横一文字に望む浜辺の宿」です。宮津湾を一望でき、波打ち際のすぐ近くでした。民宿のご主人の趣味でしょうか。夕食は新鮮な海の幸の料理を相方さん、長距離運転お疲れさまでした。二人でビールで乾杯!翌日はなぜか午前3時半に目が覚めてしまいました。翌朝の宮津湾です。景色を見ながら朝食です。これぐらいの分量でちょうど良かったです。朝食後、車で1時間半、向かった先は明智光秀の築城で有名な福知山城です。駐車場にあった気になる飾り物。駐車場から上の方に見えた福知山城少しずつ近づいていきました。この石橋を渡り、広場に。気分だけは明智光秀になりました。後ろの木は祇園枝垂れ桜。京都丸山公園の枝垂れ桜の孫にあたる樹です。さあ、福知山城へ登りましょう。(続く)今日は午後、4回目のコロナワクチンを接種してきます。
August 5, 2022
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やっと天空の城、竹田城跡へ登ってきました。向こうに見えるのは立雲峡の眺めです。四方をぐるりと眺めました。向こうに見えるのが竹田城跡です。山の裾野をJR播但線の赤い列車が1両走っていきました。さあ、本丸・天守台を見学しましょう。天守台にさっさと登っていく相方天守台からの眺め私も天守台に登り切った記念にバンザーイ!竹田城遺構についての説明です。朝来(あさご)市と読みます。「行きはよいよい帰りは恐い」の言葉通り、登りよりも下りの方が両足への負担が大きかったです。やはりジョッギングシューズの方が良かったなと思いました。やっと1.5キロ降りてきましたが、ここから下の駐車場までまた下り坂が延々続きました。両足の裏がこすれてヒリヒリと痛みましたし、車に乗り込もうとしたらふくらはぎが痙攣して足が上がりませんでした。(続く)PS) 今日は午前中エステに出かけ、午後はダンスレッスンの後、花フェスタ公園でモロッコロイヤルガーデンオープニングセレモニーに出席します。モロッコ大使や岐阜県知事も出席される予定です。
August 3, 2022
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丹波篠山市で篠山城大書院を見学した後、猛暑の中、ちょっと休憩したいと思い大正ロマン館へ立ち寄りました。この建物は大正12年(1923年)築の旧篠山町役場を活用したものです。中に入ると土産物がある特産品販売コーナーと特産品を使った料理が味わえるレストランがあったので、ちょっと早めの昼食を。揚げ物などのくどいものは食べられずあっさりとそれでもお腹一杯になりました。その後、丹波にそびえる天空の城、立雲峡(りつうんきょう)国史跡 竹田城跡へ向かいました。全国屈指の山城遺構です。雲海が発生しやすい3条件は・ 9月下旬から11月の明け方から8時頃まで・ 当日の朝から昼にかけて寒暖差が大きいこと・ 風が適度に弱く、快晴だが湿度が高いことで朝霧が発生するそうですので真夏の真昼に訪れては雲海に包まれた幻想的な天空に浮かぶ城の風景は残念ながら見ることはできませんでした。でも山登りはしっかりできました。張り切って登ったツケが後で出て来るとはその時は想像もできませんでした。標識に書いてある距離を頼りに登りました。こんな真っ白なキノコが生えていました。ここまで歩いてやっとのこと入り口に到着。まだまだ序の口で、これからがさあ大変!相方はゴム草履で足取りも軽く登っていきます。私は後ろからヒーヒー言いながら追いかけました。やっと頂上に登りました。(続く)
August 2, 2022
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今日から2泊3日の車の旅を振り返ります。7月28日(木)早朝自宅を出発して車で4時間、丹波篠山に着きました。ところが、ナビで着いたところは山のキャンプ場だったので、街中に戻り、三の丸西駐車場へ到着。最初に訪れたのは篠山城大書院です。篠山城は慶長14年(1609年)に天下を盤石なものにしようとする徳川家康が、豊臣方の拠点である大阪城を包囲するとともに豊臣家ゆかりの西日本の諸大名を牽制するために山陰道の要衝であったこの地に築いた城です。石垣や堀は当時のまま残されており国指定史跡になっています。表門跡から中の門跡を通って鉄門跡(くろがねもんあと)へ歩くと目の前に篠山城大書院が現れました。大書院は2000年に復元されたそうです。6代松平信利(のぶとし)の解説がありました。わずか十五歳で六代藩主となり、江戸詰めでしたが、十六歳の時に初めて入城。江戸に向かう途中、病気となり篠山に引き返し翌年十八歳で病没したそうです。短命の六代藩主から十四代藩主青山忠敬までの時代の流れが解説されていました。長くなるので省きます。木造住宅建築としてはかなりの規模で京都二条城の二の丸御殿遠侍に匹敵するそうです。大書院内で最も格式の高い場所である上段の間には狩野派絵師が描いた障壁画があります。井戸も残っていました。次に移動しましょう。
August 1, 2022
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昨夕2泊3日の車の旅から戻りました。結局781キロの長距離ドライブの旅でした。そして今日は母の法事で三重県まで出かけます。愛知の長女家族、次男家族も一緒です。長男も東京から駆け付けます。それで昨日の旅を少しだけ載せますね。朝8時半過ぎに宿を出て山の方へ。車がすれ違えない一本道をそろそろ通り山の中の駐車場から石段を登って行きました。日本の滝100戦にも選ばれている名瀑、金引の滝です。その後、前日にも通った道をどんどん進み、天橋立を北側から一望できる傘松公園へ。展望所へ行くにはケーブルカーとリフトの2種類ありますが、ケーブルカーは時間がかるし、前日天橋立ビューランドへもリフトを使ってスリル感があり涼しかったので今回もリフトで往復しました。私は相方の後ろのリフトに座り写真を撮りました。これが北側から眺めた天橋立です。十分休憩できたので帰りもリフトで下りました。その後、前日に訪れたワイナリーへ頼んでおいたものを取りに立ち寄りました。向こうにいるのは枝で作ったトナカイだそうです。お昼過ぎに宮津市を出て高速道路をひた走り、夕方までに自宅に付きました。来週あらためて旅行記を書くつもりです。
July 31, 2022
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昨朝は午前3時半に目が覚めてしまいました。やはり慣れていない所で神経が興奮していたのでしょうか。午前9時には宿を出て長距離移動。既に気温30度の中、車の窓全開で走ったけれど、もうたまらないのでエアコンを入れてもらって1時間以上かかって京都府宮津市から福知山城へ。両脚が痛いと文句を言いながらも天守閣まで上がりました。そして出がけに宿のご主人からそこまで行くのなら、ついでに出石まで行っておそばを食べてきたらどうですかと言われ、福知山市からまた1時間半以上長距離移動。但馬の小京都、出石城下へ。湖月堂でおそばを食べてから出石城跡を見学。今回これで四つの城跡を見学したことになります。その後、今回の目的である天橋立を見るために天橋立ビューランドへ移動しました。天橋立がきれいに見えました。その後、天橋立ワイナリーへ移動し買い物。夕方5時過ぎに宿に帰りました。夕食を食べていると、ちょうど宮津湾の向こうへ沈んでいく夕陽がきれいでした。昨夜も夕食に海の幸をお腹いっぱい食べました。
July 30, 2022
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昨日から車で旅に出ています。カメラで撮った写真が大きすぎてうまく載せられないのでスマホの写真を少しだけ載せますね。こちらも縦横うまく編集できないのでほんの2枚だけ載せます。2泊3日の旅を終えましたら、今回の旅行記を書きたいと思います。取り急ぎ経過報告だけですが載せておきます。昨日早朝6時前に自宅を出発して車で4時間、兵庫県丹波篠山公園に到着。ところが、そこはキャンプ場だと聞き、30分以上ロスして丹波篠山城跡に戻り、史跡篠山城大書院を見学しました。その後、またもや長距離移動して天空の城、国史跡竹田城跡へ。登り坂を歩いて歩いてやっと到着。登りも大変でしたが、下りも結構大変で足の裏が靴底で擦れて痛くてヒリヒリ。そして車に乗ろうとした途端、ふくらはぎが攣ってしまいました。車の中で足のマッサージをしながらまたもや長距離移動。京都府宮津市へ向かいました。ようやく午後6時過ぎに宿に到着。1日中、車で相当な距離を移動しました。今日は天橋立を見学する予定です。
July 29, 2022
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昨日載せた「若桜鬼が城跡」の続きです。次に「大江の郷・おおえのさと」に向かいました。ここでも大勢の観光客がお土産を買っていたそうです。「大江の郷ヴィレッジ」も「ココガーデン」もお客さんで一杯だったようです。ヤギさんは一頭しか見当たらないですけどね。大江神社に向かいました。大江神社は日本で一番神様が多い神社でこれだけ多くの神様がおわします。その数61柱。狛犬もこのコロナ禍でマスク姿ですね。最終日、5月3日(火)に帰宅しました。中国道に入るまでは楽に進んでいたんですが、そこから結構混み始め、名神高速道路に入ると30キロの渋滞でノロノロ運転。途中でトイレ休憩したので良かったなぁと思ったそうです。そのため、予定を2時間以上もオーバーして16時30分頃やっと帰宅できました。一人で夕食後、録画番組を観て23時15分頃まで起きて待っていたそうですが、私はこの日に限ってダンスパーティーの終演時間が遅く、お友達を家に送ってから帰ったので帰宅できたのは23時半を過ぎていました。ジィジの鳥取旅行はこれで終わりです。長らくお付き合いくださって本当にありがとうございました。(終り)こちらは愛知の公園の薔薇です。薔薇の綺麗な季節ですね。
May 26, 2022
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石谷家住宅の続きをもう少しだけ飾ってある人形が昔懐かしい様子を表しています。「♪そんな時代もあったねと♪」「♪あんな時代もあったねと♪」「♪こんな時代もあったねと♪」ほっこりした気分で石谷家住宅を後にしました。次は河原ICで見た山の上の城、河原城若桜(わかさ)駅です。若桜駅で見たSLです。若桜を「わかさ」と読むんですね。街中ではたくさんの鯉が屋根の下で泳いでいました。元々こういう風に軒下に飾る風習なのか、それともお天気が悪いので軒下に飾ってあるのか真相はわからずじまいでした。とにかく雨と風がひどく寒くて仕方なかったそうです。石に可愛い顔が描いてあったのでパチリ!鬼が城跡へも行きました。こちらは倉吉の白壁土蔵通りです。かつて城下町として栄えたのでレトロな白壁土蔵や商家などが残っています。江戸時代の町屋を改築したお店や食事処もありました。赤色が特徴的な石州瓦を使った江戸から明治の蔵造りの建物が今でも残っています。やはりここでも鯉は軒下に吊るしてありますね。(続く)愛知の公園ではもうこんなに枇杷がたわわになっていますね。我が家はまだ実ができ始めたところです。取って食べたところおいしくなかったそうです。
May 21, 2022
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昨日の続きです。「石谷家住宅」の中に入りましょう。何せ3000坪の敷地に40部屋もあるお屋敷ですから全て回ってくるのは難しかったようです。昔懐かしい人形をたくさん写してきました。和と洋の両方楽しめますね。国登録名勝の石谷氏庭園です。谷川俊太郎氏の詩も書いてあったそうです。ほのぼのとした人形を楽しんでください。中を見て回っているうちに雨が降ってきました。走って駐車場まで行きましたが、この雨では「恋山形駅」で写真を撮るのは無理だろうと諦めて、次の目的地に向かいました。(続く)昨夜にじいろ会のストラップをもう30個作り上げました。こちらは愛知の公園に咲く真っ赤な薔薇です。
May 20, 2022
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「流しびな館」の2階から見えた景色です。そしてその説明です。「流しびなの館」を2階まで見てから日本庭園を散策し、鯉がたくさん泳いでいたので餌を2袋買って、あげたらすぐに大きな口を開けて食べてくれたそうです。鯉は喜んでくれたのでしょうか?道の途中にはこんな地名があったそうです。「用瀬」は「もちがせ」、「郡家」は「こげ」、「宍栗」は「しさ」と読むそうですが、読めましたか?読めませんよね。先ずは「智頭駅・ちづ駅」に車を止めて観光案内所に行き、「石谷家住宅」と「恋山形駅」を教えてもらいました。「石谷家住宅・いしたにけじゅうたく」に行く前に「諏訪酒造・梶屋」さんに寄ってスパークリング日本酒と大吟醸を買い、そこの駐車場に車を置いて歩いて300mほど離れた「石谷家住宅」に行きました。近代和風建築の傑作と言われます。建物は国の重要文化財になっています。庭園は国の登録記念物です。では中に入りましょう。3000坪の敷地に各々デザインされた40部屋があります。(続く)愛知の公園に咲く色とりどりの薔薇の花です。このところ何かと忙しいので、写真ばかり載せていますが、よろしくお付き合いください。
May 19, 2022
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5月2日(月)の事です。前日は気温も低く風も強く吹いていたので寒かったので、ホテルで温かいシャワーを浴びて体を温めたそうです。朝食は一番乗りで1階レストランで頂きました。午前9時にホテルを出て「智頭」に向かいました。途中の「用頼・もちがせ」で「流しびなの館」を見つけ寄り道。お雛様が館内至る所に飾ってあったので、2階までじっくり見てきました。写真撮影もOKでした。とても歴史的に貴重なお雛様も陳列してありました。2階にあがると外の景色の説明がしてありました。ちょっと小さくてわかりにくいかもしれません。(続く)愛知の公園に咲いているリトルリーフ・モック・オレンジちょっとムクゲに似てますよね。5月15日のダンスパーティーで久しぶりに会ったダンス友達のネイルです。いつもここで紹介してますので、パーティー会場で撮らせていただきました。ドレスとぴったり合って素敵でした。
May 18, 2022
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昨日リハーサルの様子を少しだけ紹介しましたが、夜遅く同じ先生からデモンストレーション本番の写真を26枚も頂きましたので、少しだけ紹介します。さて、ジィジの旅行記の続きです。5月1日(日)に遊覧船、三朝温泉、倉吉を観光して海と滝を満喫し最後に「鳥取砂丘コナン空港」に寄りました。鳥取砂丘コナン空港を後にしてホテルに戻り、その夜は読書したようです。(続く)愛知の公園で咲く紫陽花とタチアオイの蕾です。わが家の紫陽花はまだ色づいていません。にじいろ会のストラップはやっと予定の数だけ作れました。
May 17, 2022
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昨日のダンスパーティーでリハーサルの舞姿をカメラが趣味のダンスの先生が撮って下さっていました。その一部を載せますね。毎度おなじみのポーズばかりですが。さて、5月1日(日)の続きです。帰り道で「今滝」を見てきました。ものすごい迫力だったそうです。写真から感じられるといいのですが。次に「不動滝」を見てきました。こちらも迫力満点だったそうです。次に向かったのは白兎神社です。白兎と言えば、「大国主命と因幡の白兎」ですよね。白兎に小さな石を置くというのが面白いですね。(続く)
May 16, 2022
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名古屋駅、セブンの前に突然現れたシン・ウルトラマン。大きいでしょ。昨日午後、愛知の娘家族は名古屋四季劇場へ「ライオンキング」を観に行く途中で「シン・ウルトラマン」を写してきたそうです。今日15日が千秋楽だそうです。今日は愛知でA先生方のダンスパーティーがあり、私はショーダンスを踊ってきます。夜帰りましたら、皆様の所へお邪魔したいと思います。こちらは愛知の公園で咲くエゾカワラナデシコとハコネウツギです。ウツギは紫陽花科だそうです。・・・・・5月1日(日)倉吉にあった「フィギュアミュージアム」の続きです。(続く)それでは愛知まで行ってきます。
May 15, 2022
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昨夜は当市の国際交流協会の総会に出席しました。コロナ禍で丸2年間開催出来ず、今年やっと開催できました。協会員さん達とも久しぶりに再会ができました。さて、5月1日のジィジの日記の続きです。お昼前でしたので「三朝温泉」で足湯でもしてみようかと気楽な考えで向かいましたが、失敗だったそうです。「るるぶ雑誌」には綺麗な写真が載っていて、足湯が2か所あり、露天風呂も川のほとりにあると書いてありました。ところが残念なことにお天気は悪いし、雨も降っていて観光客も見かけなかったそうです。観光案内所で聞くと、「今日はお店も閉まっています。ここから見える『茶田屋』さんしか開いていません。」と言われ、そこで昼食をすることにしましたが、「鳥取牛入りハンバーグ定食」を頼んだのに出てきたのは「昼定食」の刺身、天ぷら、味噌汁、ごはん、漬物でガッカリしたそうです。残念!でした。足湯をしている人達17時まで時間をつぶすために倉吉に向かいました。「円形劇場」で「フィギュアミュージアム」へ寄って色々なフィギュアを見てきたそうです。ここまで来ると趣味の違いが出てきますね。(続く)私としたことが、11日(水)にエステに行くことをコロッと忘れて、朝からにじいろ会のストラップ作りをしていました。花編みをしたクラフトテープの長さをそろえ、鈴に紐をつけ、台紙に鋏を入れていると、電話がかかってきてビックリ!私は夢中になるとついつい時間を忘れてしまうんです。昨日(13日)にじいろ会のストラップが30個お嫁に行ったので、一生懸命作っています。頑張らなくっちゃね。
May 14, 2022
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ジィジの鳥取旅行記もやっと5月1日(日)になりました。鳥取グリーンホテルモーリスで朝食バイキングを済ませました。午前6時半までにレストランに行けば混みませんよと教えてもらったので、朝早いのには強いジィジは10分前に部屋を出ましたが、すでに10人以上の人が待ってらしたそうです。「遊覧船」に乗るために8時半にはホテルを出ました。大谷ICで下りて「遊覧船乗り場」に行ったので、9時半出港の船に乗船できました。ところが、波が荒くて船が揺れたそうです。北海道知床の海難事故がふと頭をよぎったそうですが、45分程度の遊覧は楽しかったようです。それでは一緒に乗船気分になって下さい。山陰海岸国立公園・浦富海岸のリアス式海岸です。浮かぶ島々や奇岩をお楽しみください。船酔いしませんでしたか。私は多分無理です。お付き合いはできません。(続く)昨日は日頃やっている家事の他に、ジィジが急に部屋の整理整頓をやり出し、「断捨離をするぞ!」と言い出しました。結局、一人ではできずに私が片づけることになり、仕事が増えてしまいました。今夜はコロナ禍で2年間開催出来なかった国際交流協会の総会に出席します。こちらは我が家の庭のラベンダーです。数年前に地植えしたのが増えて白い花が咲いて、周りにラベンダーの香りが漂っています。次男とお嫁さんが世話をしています。こちらは愛知の公園で咲く白い薔薇です。清楚な感じが素敵ですよね。心が癒されます。
May 13, 2022
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これでコナンとも「さようなら」です。「さようなら コナン」・・・・・こちらは愛知の公園で咲く薔薇の花です。たくさんの種類の薔薇が色鮮やかに咲いてますね。・・・車の点検に訪れたトヨタの販売店で以前から置かせてもらっているにじいろ会のストラップを一昨日もう少し補充してきました。・・・・・さて、今度はまっすぐ鳥取を目指して運転しました。鳥取市でも街中は駐車場がない店が多く、駐車場のあるお店を探して昼食です。食後、「浦富海岸」に向かい、「山陰海岸ジオパーク 海と大地の自然館」に入りました。やはりここにも大勢の来館者がいました。天気が良いと人の出が多いですね。↓ これは本物です。夕食はホテル・鳥取グリーンホテルモーリス近くの「お好み焼き工房・こな」に行こうとタブレットで道順を見ながら進みましたが、自分がどちらに向かって歩いているのかわからなくなり、同じ所を2回も通ったようです。それでも何とかお店に到着し、広島焼お好みの豚玉を注文したら出てきた量が多くて必死で食べたそうです。帰りは迷うことなくホテルに帰ることができたとの事です。(明日へ続く)
May 12, 2022
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ジィジからノア君への誕生日プレゼントはこちら。大好きなのでフォロをあっという間に作り上げました。そして我が家の庭のつる薔薇です。今年も咲いてくれました。さて、4月30日(土)のコナンはまだまだ続きます。「青山剛昌ふるさと館」に入館できなくてもこれだけ街中でコナンを写してくればもう十分ですよね。明日はようやく次の目的地に移動できるかもしれません。もう1日だけお付き合いくださいね。そして初めて街中に咲くお花を写してきてくれました。明日は次の目的地に移動しましょう。(続く)
May 11, 2022
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4月27日(水)にじいろ会当支部の発足時に配布したストラップが好評で、すぐになくなってしまったので、かもーる(文化会館)、FMららへ各50個ずつ、そして喫茶店へ65個へ配布していただくために暇を見つけてはにじいろ会のストラップを作りました。昨日は市の生涯学習課へも50個にじいろ会のストラップを届けました。そして昨夜96個の袋詰めが完成しました。いつでも補充ができるように用意しておきます。・・・・・さて、旅行記の続きです。境港や米子の西側に隣接する島根県には安来市に「足立美術館」があり、中海に浮かぶ大根島には「油志園」という美しい庭園がありますが、ジィジは名画を鑑賞したり季節の花々を見ながらゆっくり時間を過ごすよりも行動する方が好きなんです。愛知の公園に咲く濃いピンクのバラの花です。それで今日もコナンの続きを載せたいと思います。コナン好きの方には楽しいかもしれません。コナンはまだまだ続きます。(続く)
May 10, 2022
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今日は母の日。家族からたくさんプレゼントを頂きました。どうもありがとうございます。私も三重県のサ・高・住に住む母親に会って様子を見てきます。・・・さて、旅行記は続き、4月30日(土)の事です。この日は米子市から鳥取市に向かいましたが、途中「北栄町」に向かいました。ここには「青山剛昌ふるさと館」があります。JR由良駅は「コナン駅」です。この日はお天気も良く、多くの観光客が道を歩きながらスマホで写真を撮っていました。駅には車が置けそうにないので直接「青山剛昌ふるさと館」まで行きました。ここも車がいっぱいで、入館するつもりでしたが、まだ10時にもなっていないのに12時から12時30分までの入館予約券を販売していました。2時間以上もここで待たなければならないのかと諦め、駅まで写真を撮りながら歩きました。若いカップル、子連れの若い夫婦、熟年カップルもいてコナンは大人気だったようです。ジィジもたくさんコナンの写真を撮って来てくれました。多分3日間ぐらいかかるかもしれませんが、お付き合いくださいね。まだまだ続きますよ。(続く)
May 8, 2022
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4月29日(金)は境港市へ。(4月28,29日と2泊した米子のホテルです)早朝6時にホテルを出て朝食場所を探しましたが、見つからず結局コンビニで食料を買い、車中で食べたそうです。中海のコハクチョウの像です。屋根の上に列車が境港市の港には船も停泊していました。雨が降っており、雨の勢いも凄くて風も強く吹き、まるで台風のようで、薄い半袖シャツだけで震ったそうです。「水木しげる記念館」は9時30分からしか開かないので先に「境港市竹内団地内」にある「境港魚センター」へ行き、紅ズワイガニを買って送ってもらいました。こちらは蟹が届いてすぐに美味しく頂きました。ご馳走様でした。奥の黒い建物は「さんこう夢みなとタワー」です。悪天候の中、鯉が勢いよく泳いでいました。街中は水木しげるワールドですね。交番も小さくてわかりにくいですが、鬼太郎がいます。9時30分になり傘をさして記念館まで歩きましたが、横殴りの雨と風で、傘は全く役に立たなかったそうです。それでもお客さんは多かったようですが。「水木しげる記念館」の中は撮影禁止なのでお土産に本を3冊買って来てくれました。昼食は「水木しげるロード」にあるお店で済ませたそうです。水木しげるロードにいる鬼太郎ファミリーも雨と風で外に出られず写真は撮れなかったそうです。帰り道で私の好物である「おかき」をたくさん買って来てくれました。まだホテルに戻る時間には余裕があったので、今は無い「米子城」をモデルにした外観の「お菓子の壽城」に行きました。まだまだ雨も風も酷くていつ止んでくれるかわからない状態で車の中から写真を撮りましたが、もやで霞んでぼんやりとしか見えませんでした。午後4時になっても雨も風も止んではくれず、ホテルの周りには居酒屋さんがたくさんありましたが、下戸のジィジはその夜もお寿司屋さんで食べたそうです。明日はお天気が良くなってくれるかもと思いながら…(続く)
May 7, 2022
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私が4月29日と5月3日にダンスパーティーで愛知へ出かけたので、その間4月28日から5月3日まで相方は鳥取県へひとり旅をして来ました。撮ってきた写真は400枚以上。私の次回のダンスパーティーは今月15日、その他にも色々と予定がありますので、しばらくの間、鳥取一人旅にお付き合いください。・・・・・4月28日(木)早朝午前3時前にガレージが開いて車が出る音で目覚めました。旅に出ることは聞いてましたが、詳細は全く教えてくれず、いつ出発してどこに泊まるかも知りませんでした。本人はナビに「鳥取砂丘」と入れて出発。外はまだ真っ暗で静か!車も通らず涼しい朝だったようです。高速道路に入ると、やはりトラックが多く走行。制限速度で車を走らせていると多くの車が抜かしていったそうです。約6時間かかって「鳥取砂丘」へ到着。「鳥取砂丘」は高低差が90メートルあり少し湿った砂が足にきつくて登りにくかったそうで、私には多分無理かもしれないと教えてくれました。遠くに小さな人影が見えていますね。風が強くて帽子が吹き飛ばされそうだったそうです。駐車場のオジさんが「砂丘はもっと風が強いですよ」と教えてくれたことを思い出したそうです。天気があまりよくなかったけれど、まあまあ人がいて皆さん砂丘を登っていきました。日本海も荒れていて、風が強く波がすごかったとか。ゴーカート感覚で観光地をドライブできるレンタルのジオコムス帰りに「砂の美術館」に寄ったけれど、残念ながら7日まで休館でした。そこから米子まで一直線に向かったそうで、100キロを少し切る距離でした。途中で昼食を済ませ14時にはホテルに入ることができました。夕食は15分ほど歩いてお寿司屋さんへ行きましたが、この日はお天気が荒れて、風が強く半袖シャツ1枚の薄着では寒くて震ったそうです。ウィンドブレーカーでも1枚持って行けばいいのにね。お寿司屋さんで両隣の若者と夫婦連れのすごい食べっぷりにビックリしたそうです。(続く)
May 6, 2022
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今日もご一緒に藤の花と牡丹と躑躅を見ながら歩きましょう。昨日の続きです。藤の花と牡丹のコラボはいかがでしたか?藤の花と躑躅のコラボはいかがでしたか?もう十分見たので、ノーサンキューですか。残念ながらもう1日だけ続きますよ。・・・・・昨日は午前中エステに出かけました。久しぶりの訪問で庭の景色もすっかり変わっていました。目についたのがアヤメです。4月ってもうアヤメの季節ですか。アヤメって初夏に咲きませんか?5月か6月に咲くものだと思ってました。今年も季節は早く進んでますよね。クリスマスローズはまだ咲いてました。実はエステシャンのお友達にエステを施術してもらうのはもちろんですが、もっぱら話題になるのはお庭に咲く季節の花々とお互いの孫ちゃん達の事でそれも楽しみの一つなんです。
April 21, 2022
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連日朝から夜まで予定が入っているので今週は曼陀羅寺の藤の花と牡丹と躑躅をご覧いただきたいと思います。広い園内をご一緒にぐるりと回りましょう。昨日の続きです。4月上旬に訪れた時は八重桜が満開でした。いつの間にか若葉が出て、黄緑色の若葉と淡いピンク色の花色とのコントラストが綺麗でした。燃えるように赤い牡丹が緑を背に色鮮やかに咲いていました。白い石楠花も咲いていました。花水木も綺麗でしたが、何しろこの日はどんより曇っていたので花色がうまく出せませんでした。これから房がどんどん長く伸びていきます。これから3色の藤の競演が始まりますが、まだ少々早かったようです。白い藤の花も清楚でいい感じでした。太い幹は向こうが見えるほど空洞が目立ちますが、それでも毎年綺麗な藤の花を咲かせます。昨日は朝一番に車のオイル交換をしに出かけ、家に帰る間もなく、直接ダンススタジオに走り、午後は友人と約束したことがあって出かけて解決し、自宅に戻るとミラ君が小学校から帰り宿題を見て相方がノア君を学校へ迎えに行って隣の市まで送っているうちにもろもろの雑用をこなし、夕方やっとゆっくりしようとPCの前に座るとモコちゃんが階段を上がったり下りたりしているのに全く何のことかすっかり忘れて気付かず、約束の時間が過ぎてやっと気づいて慌てて準備をしてモコちゃんを隣の市まで送り届け、その足で迂回してノア君を迎えに行って帰宅。午後会ったお友達が私の社交ダンスを見たいというので夜になって今までのDVDを6年分探して自分が踊っているところをチェックして見やすいように目録と付箋を付けました。というわけで、夜遅くまで大忙しでした。パタパタママではなく、パタパタバァバなのでした。
April 20, 2022
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昨日の続きをご一緒に歩きましょう。もう少し先の方が見頃という藤もありました。九尺藤はこれからもっと長く伸びます。何しろまだ4月半ば過ぎでしたもの。藤の花も綺麗でしたが、色鮮やかな牡丹の花も綺麗でした。そして種類も結構たくさんありました。写真を撮らなかったのも結構ありますので。この蕾は石楠花です。新緑の木々の葉と色鮮やかな牡丹やツツジのコントラストがとても綺麗でした。・・・・・いよいよ今度の日曜日がデモの本番なので毎日練習に明け暮れていますが、日曜日に東京の先生とスタジオの先生のお二人のレッスンを続けて受けたのが身体に応えたみたいで大腿骨の付け根から腰に掛けて鈍い痛みが走り、歩くと痛いので、週1で出かける整体の先生に特別長く1時間半ほど施術してもらいました。まだ完全に痛みが取れたわけではないですが、大分楽になったので、その後ダンスレッスンに走りました。多分社交ダンスをやってない方にはこの気持ちがわからないと思います。相方があきれていますから。まあそういう相方も愛知の娘の家まで届け物をして、あちらで家の整理整頓して出た物を持ち帰り片付けていますので、まめな性格は似ているのかもしれません。お土産にゆめいちご(苺大福)を買って来てくれましたしね。
April 19, 2022
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昨日愛知県江南市にある曼陀羅寺に隣接する公園で藤の花と牡丹、躑躅を見てきました。皆様にもご覧いただきたいと思い載せました。私と一緒に公園内を歩いてください。あいにくどんより曇っていたので花色が少々暗く写っています。以前は毎年出店があって、それはにぎやかでこの時期は訪れる人も多かったので写真を撮るのも大変でした。コロナ禍で中止になったこともありましたが、今年は出店もなく、静かでした。皆さん熱心に写真を撮ってらっしゃいました。こちらはマシュマロのお菓子ですいろんな柴犬がいろんな表情をしています。美味しかったですよ。
April 18, 2022
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